一九三〇年八月十七日、K村にて
 僕がホテルのベッドに横になつて、讀書をしてゐたら、窓から、向日葵の奴がしきりにそれをのぞきこむのだ。
 どうもうるさくつてしかたがない。
 そこで僕は立ち上つていつて、窓をしめてきてやつた。
 うすぐらくなる。本なんか讀んでゐるよりは晝寢にもつてこいだなと思つてゐると、……いつのまにか僕はすこし眠つてしまふ。
 やがて僕は目をさます。窓を開けにゆく。さつきの向日葵は怒つたやうに向うむきになつてゐる。
 どれ、ひとつ散歩でもしてこよう。……

 向日葵めは、その下を僕が通り過ぎても、知らん顏をしてゐるので、僕がステッキの先でこづいてやつたら、今度はほんとに怒つて、僕に平手打をしようとする。――と思つたのは、僕の錯覺だつた。實は、その瞬間まで、そいつにかじりついて花粉まみれになつてゐた蜜蜂の奴が、いきなり飛び立つて、僕に襲ひかかつたのだ。
 そいつから逃げ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つてゐるうちにすつかり僕まで花粉まみれになつて、さて氣がついて見ると、僕は道に迷つてゐた。
 だが、心配しないでいい。そら、そこに立札がある。――
Way to Town
Way to Station
 僕はとにかく町へ出かけることにする。

 空には、一めんに、壜の破片かけらが散らばつてゐる。そいつがきらきら光つてゐる。どうも、頭の上へ落つこちて來さうで、あぶなくつていけない。
 おや、どこかでシヤンパンを拔いてるな。
 なんだ、テニスをしてゐるのか……。
 そこのテニス・コオトの裏の草むらでは、西洋人が二人、ボオルを熱心にさがしてゐる。すると子供たちが走つてきて、一しよに搜してやつてゐるらしい。そのうち西洋人たちはあきらめて行つてしまふ。
 すると子供たちは彼等を見送りながら赤い舌を出した。そして一人がふところから白いボオルを取り出した。
 ここにも立札がしてある。
 ――曰く、「球不知徑ロスト ボオル レエン」。

 それから「本町通りメエン ストリイト」に出る。
 そこは氷と花とレエスで飾られてある。蝶が骨董店の中に飛び込んで、支那の皿の上にとまる。するとお客がそれを模樣かしらと見ちがへる。郵便局では、電信機がどもつてゐる。鷄肉屋の前を、西洋婦人が七面鳥の眞似をして通る。
 僕は繪はがき屋の中にはいつて、見て、一枚も買はないで出る。

 ここからが「水車の道ウオタアウイル レエン
 だが今は名前ばかりで、水車なんか何處にも見えぬ。
 四五年前、まだそれのあつた時分は、よく栗鼠がきて、いたづらをするので、こまつたさうだ。
 それから少し行くと「森小路フォレスト レエン」になる。
 その徑の入口に、たくさん羊齒の生えてゐる、見るからに古びた別莊がある。ひよいと表札を見ると、「アンデルセン」。――なんだか家の中から、オルガンと合唱の音でも聞えて來さうだな……
 だが、僕はもつと驚いた。その隣りの別莊の、表札を見ると、まさしく「グリム」。――いくら目をこすつても、やつぱりさう書いてある。これでは、いやでも應でも僕は夢見心地にさせられてしまふ。僕の籐のステッキがまづ魔法のバートンといふところ。これで觸つたら、小鳥だらうが、花だらうが、木の枝だらうが、みんなお喋舌りをしはじめさうである。僕はそつとステッキを小脇にかくす。
 なにしろ海拔三千尺の高さだ。空氣もだいぶ稀薄らしい。そのせゐか、空氣に皺があつて、ある部分は妙に温かで、ある部分は妙につめたい。それがますます僕を妖精化するに役立つのである。
 僕は次第に目まひがする。なんだかクロロフォルムを嗅がされてゐるやうである。僕の腕からステッキが滑り落ちるが、それを知つてゐながらどうすることも出來ない。僕の全身は無感覺であるのに、ふしぎなことに周圍の風景だけははつきりと見えるのだ。身體がふらふらしてくる。どうやら僕の足はもう地面についてゐないらしい。
 おお、僕は飛んでゐる! 飛んでゐる! ……

底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年8月30日初版第1刷発行
初出:「週刊朝日 第十八巻第十六号」
   1930(昭和5)年10月5日
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2011年3月9日作成
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