これはレイモン・ラジィゲの小説だ。私はこの小説について語る前に、まづ作者ラジィゲについて一言したい。ラジィゲは一九二三年に二十で死んだ詩人だ。今生きてゐても私より一つ年上なだけである。そしてこの小説は十九で書いたのだ。彼はランボオのやうな「恐るべき子供」だ。しかし彼がランボオよりもつと驚かせるのは、さういふ「恐るべき子供」に特有な異常さが、彼には一寸も無いことだ。ラジィゲの才能は通常な風をしてゐるのだ。これはより以上に驚くべきことではないか。
 ラジィゲは死んだが、それと同時に、彼の生涯が始まつたと言つてよい。何故なら、彼は三册の著書を殘したからだ。一卷の詩集と二つの小説その小説の一つの此の「オルジェル伯爵の舞踏會」は彼の死んだ病院の一室で校正されたものだ。
 この小説は徹底的に心理解剖で行つてゐる。ラジィゲは「小説はロマネスクな心理學だ」とさへ言つてゐるのである。
「オルジェル伯爵夫人のそれのやうな心の動きは時代遲れなのだらうか? このやうな義務と淫蕩との混合は、今日では殆ど信じがたく思はれるかも知れない。しかし、それは我々が純潔さと云ふものにあまり注意を向けてゐないからではないか? 純潔な魂の無意識的な作用は、惡癖の組み合せよりずつと特異な場合がある。」
「舞踏會」はかかる書出しをもつて始まるのだ。オルジェル伯爵夫人は或る地方の名家に生れた。彼女はマオと言つた。彼女は野生の葛のやうに言つた。マオは十八の時アンヌ・ド・オルジェル伯爵と結婚した。彼女は彼女の夫を狂はしいまでに愛した。彼女の夫は、その反應として、彼女に大きな感謝と友情とを示した、彼自身さへそれを愛だと思つた位の。そして、衰へかけてゐたオルジェル家もアンヌとマオの代になると、急に再び活氣づいてきたのである。靜かな日々があつた。
 ところが或時から、フランソアと云ふ青年がオルジェル家に出入しはじめた。フランソアは聰明で純潔な青年だつた。彼はオルジェル伯爵夫人を愛してゐた。しかし彼自身はさう考へることを恐れてゐた。そのことがオルジェル夫人に氣に入らないだらうと思ふほど夫人を愛してゐたからである。
 ではオルジェル伯爵夫人の方は? 彼女はよく自動車に乘つて、彼女の夫やフランソアと一緒にマルヌ河へ散歩に行つた。その散歩から、彼女はいつも少し發熱して歸つてきた。彼女の夫が彼女を抱擁するとき彼女は非常に悲しく感じた。彼女はそれに單純な原因しか見出さなかつた。彼女は彼女自身を、花が好きなのでそのために逆上する人間に比較した。花のそばで眠らなければいいのだ。それも彼女には自分の不快が我慢出來るやうに思はれたからだ。しかし花の匂との比較は間違つてゐた。何故なら、彼女の不快は頭痛ではなく微醉であつたのだ。
 このやうにマオとフランソアとの戀は、お互に知らずに、誰からも知られずに、そしてまた彼等自身にすら氣づかれずに、進行する。夏になつた。巴里の人々は避暑地に行つた。オルジェル夫妻は七月は巴里で暮らし、八月になつてからヴェニスへ行くことになつてゐた。フランソアはいくら夏が進んでも何處も行かうとはせずに、毎晩オルジェル家へやつてきた。或晩マオが何氣なくアンヌに言つた。「もう巴里には誰も居ませんのね。私達はきつと滑稽ですわ。」その言葉の中にフランソアは彼に對するマオの惡意を感じた。そして誰も居ない巴里に自分だけが殘つてゐると云ふ事が彼の自尊心を傷けた。翌日彼はバスク地方へ旅行することを彼等に告げた。彼は彼等夫妻が停車場まで送りに來てくれたらどんなにいいかと思つた。マオもそれを考へたが、しかし默つてゐた。すると伯爵が「私達もお見送りしようぢやないか」と言つた。フランソアがそれを嬉しさうに承諾するのを見て、マオは思はずほつとした。彼女はフランソアがそんなに淋しい地方へ旅行するのはきつと一人でではあるまいと思つてゐたのだ。彼女はあとで一人ごとを云つた。「私はあの人のことを疑つてゐた。私はなんて馬鹿だつたのだ。」
 フランソアが最初に出發した。それから間もなくオルジェル夫妻もヴェニスに行つた。フランソアとマオとは長い手紙を書き合つた。ときどき伯爵がマオの手紙の餘白に一行位書いてきたが、それはフランソアにはマオの親切の公認のやうに思はれた。マオにとつても、フランソアから愛情に充ちた手紙を貰ふことによつて、ヴェニスの日々は樂しかつた。しかし彼女はその幸福を、彼女の夫とともにヴェニスに居ることの所爲にした。そのやうに彼女が彼女自身を欺いたのは彼女の義務によつてだつた。
 夏が去つた。オルジェル夫妻は巴里へ歸つた。やがてフランソアも歸つてきた。歸つて來るとすぐに、彼はオルジェル家を訪問した。丁度伯爵は不在だつた。マオと彼とは二人きりで向ひ合ひながら何だか窮屈だつた。そして二人ともアンヌの事ばかり考へてゐた。普通は、居ては戀人達を窮屈がらせる筈の人間の、居ないことが彼等を窮屈がらせたのだ。フランソアは伊太利から持つてきたアルバムを見てゐた。その中に伊太利滯在中伯爵と變な噂のあつた或る婦人の寫眞があつた。それを見ながらフランソアが、「これは誰です? なんて綺麗でせう。」と言つた。マオは嫉妬を感じた。彼女はそれはその寫眞が彼女に伊太利でのいやな記憶を喚び起したからであると思つた。彼女特有の嘘の方法。
 しかしマオは次第に彼女の中に大きくなつて行く感情を認めずにはゐられない。彼女はたうとう自分がフランソアを愛してゐることを自覺した。その恐ろしい考へを認めるや否や、すべてのことが彼女には明瞭になつた。あまりに長い薄闇の後だつたので、その明るさは彼女を盲にした。勿論彼女は以前の靄の中に再び入らうとは思はない。彼女はすぐにでも何とかしたいのだ。しかし如何したらいいのか、誰に相談したらいいのか彼女には解らなかつた。彼女は、かはるがはる、伯爵とフランソアとを見つめた。
 このやうにマオが苦しんでゐると、伯爵は彼女の顏色のよくないのを見て、その原因が何だか解らなかつたが、ただ彼女の氣をまぎらしたいと思つて、假面舞踏會の計畫を彼女に話した。「だつてまだ舞踏會をやる時期ぢやありませんわ。」と彼女は答へるだけだつた。伯爵は言つた。「いや、これが季節を開く舞踏會になるだらうよ。」
 マオは相變らず自分一人きりの苦痛の中に閉ぢこもつてゐた。彼女は彼女の夫に救ひを求めようとはしなかつた。それよりもフランソアに話すことの方がより自然であるやうに彼女には思はれたのだ。しかし如何したらフランソアに彼女が彼を愛してゐることを(それを彼が知つてゐる氣づかひはないと思つた)打明けずに彼に救ひを乞ふことが出來るだらうか? 或晩、伯爵の心配さうな質問に彼女が「いいえ、何でもありませんの」と答へたとき、アンヌが言つた。「お前がどうかしてゐると思つてゐるのは、私ばかりぢやないのだ。フランソア君もさう云つて心配してゐたよ。」マオは氣を失ふやうに思つた。もう愚圖々々してはゐられないのだ。危險はこんなに近く來てゐる。彼女は決心した。彼女は二三度會つたことのあるフランソアの母に手紙を書いた。その手紙でもつて、彼女は自分がフランソアを愛してゐることを、そして彼の方ではそれについては何も知つてゐないと思ふが、自分を今の危機から救つてくれるために、何か口實を設けて彼がもう自分のところへは來ないやうにして欲しいと言ふのであつた。
 フランソアの母は、これまで夫以外のものを心に持つてゐる女を獸のやうにしか考へてゐなかつたのであるが、その手紙の中のオルジェル夫人の純潔な感情に打たれずにゐられなかつた。墮落しないために自分の罪を告白する女。そして彼女は人生が自分の考へてゐるやうに簡單なものではないことを理解した。
 彼女はその手紙を持つてフランソアの部屋に入つて行つた。フランソアは丁度オルジェル家へ出かけようとして服を着換へてゐた。彼女は、その手紙をフランソアに決して見せるなといふマオの頼みにも拘らず、昂奮からそれを彼に渡してしまつた。彼はそれを讀んだ。そして讀み返した。その間、彼の母は始終彼に向つて何やら非難してゐたが、幸福がすつかりフランソアを不浸透性にしてゐた。彼女の言葉は彼をすこしも害はずに彼の上を滑つた。彼は再び着物を着はじめた。
「お前は出かけてはいけません」
「しかし今夜行かないと伯爵に變に思はれるでせう」
 彼女は默つた。そして自分の息子の前に眼を伏せた。彼女はいままで彼の中に「子供」ばかりを見てゐた。ところがいま彼女が一人の男の前にゐるのを感じた。
 その夜、オルジェル家はロシアから亡命してきた或る公爵の突然の訪問を受けた。彼はほかに着る着物がないので、ゴルフ服を着てゐた。晩餐に集まつた多くの人々はともすると異樣な服裝をした公爵の上に異常な好奇心を持たうとしたが、それはオルジェル夫人の努力によつて拒まれた。公爵は夫人を尊敬した。が、さういふ夫人の冷靜さも母と話してゐたため少し遲れながら入つてきたフランソアを見ると、恐ろしい不安に一變した。夫人は彼がまだ母に會はないのだと信じて、やつとその不安をこらへた。その時、一人のアメリカ婦人が向見ずにロシアの貴族に向つて、「どんなに貴方はボルシェヴィキを憎んでいらつしやるでせう!」と言つた。公爵の顏の上にはげしい苦痛が現はれた。この無作法な一言によつて、いままでの雰圍氣はすつかり滅茶苦茶にされた。
 そのうちに晩餐が終つた。すると突然、オルジェル伯爵が立上つて、近いうちに假面舞踏會をやりますが、今夜は一つその下調べをしようと思ひますと言つた。この思ひつきでその場の空氣を元に戻さうとした伯爵は、自分から非常にはしやいで、下僕たちと一緒になつて他の部屋からさまざまな古い衣裳を引つぱり出してきたりした。そればかりではなく、客達にもそれぞれ衣裳をあてがつてはそれを無理に着せて、みんなを笑はせた。伯爵の思ひつきは見事に成功した。ところが、最後に伯爵は次の間から妙にロシア風な可笑しな恰好の帽子をかぶつて出てきた。そしてわざと滑稽にロシア舞踊の顏似をして見せた。みんなは大笑ひした。ただ一人公爵だけが笑はなかつた。
「それは私の帽子です。(と彼は言つた。)帽子がなかつたもんだから、私の友達がそれを呉れたんです。」
 冷い空氣が笑ひを麻痺させた。伯爵は大騷ぎをしてゐるうちにすつかり公爵のことを忘れてしまつてゐたのだ。マオは彼女の夫がいま馬鹿な道化役者にならうとしてゐるのを見拔いた。彼女は、彼女の夫だけにさういふ笑ふべき役割を、ことにフランソアの前で、させるに忍びなかつた。
 公爵の無骨な言葉を聞くと、彼女は立上つて、アンヌの方に歩いて行つた。死の方へ歩いて行くやうに。
「それでは駄目よ。かうするのです。」
 さう言ひながら、彼女はその滑稽な帽子を自分の頭の上にのせた。
 その夫人の行動は公爵を感動させた。彼は夫人が彼女の夫だけに恥かしい思ひをさせぬために自分も笑はれる位置に立たうとしてゐるのを察した。アンヌがその帽子をかぶつて現はれた時には、公爵は笑はなかつたたつた一人の人間だつた。しかし今度は彼は愉快さうに笑つたたつた一人の人間だつた。
「ブラボオ!」と彼は叫んだ。
 ただ公爵が間違つてゐたのは、マオの行爲に夫婦としての愛情だけしか見なかつたことだ。そこにマオのフランソアに對する特異な感情を見なければならなかつたのに。
 ――此處に「オルジェル伯爵の舞踏會」のクライマックスがあるやうに私は思ひます。以上私はラジィゲの小説のほんの梗概を書いてきたに過ぎず、勿論それをすらよく傳へたとは思つてゐないが、ただこの傑作がいかにモダン離れのした純潔な戀愛を主題にしたものであるかは了解されたことと思ひます。現代の新しい傑作は何等のモダアニズムなしに生れ得るのであります。そしてこの小説が果して傑作であるか否かに就いては僕は諸君をフランス現代の一流の作家批評家たちの賞讃文に送つた方が簡單でありませう。

底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年8月30日初版第1刷発行
初出:「婦人サロン 第一巻第三号」
   1929(昭和4)年11月号
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2011年3月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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