一挿話

 一九〇八年の春、伊太利のカプリ島に友人に聘せられて再遊し、その冬獨逸で發した宿痾を暫く療養して居つたリルケは、漸くそれから恢復するや、前年來の仕事を續けるために、五月、四たび巴里に出て來たのであつた。先づ、シャンパアニュ・プルミエェル街十七番地にささやかなアトリエを構へた。彼と殆ど前後して、妻のクララも獨逸から巴里にやつて來た。やはり、此の都で彫刻の仕事をするためにである。しかし、リルケはその妻にすら一週間に一度くらゐしか會はずに、ひたすら自分の仕事に沒頭した。仕事といふのは前年その第一卷を上梓した「新詩集」の別卷を完成せしめる事であつた。先頃の一時的不和からは既に完全に和解してゐたロダンにさへその間はあまり會ひに行かずにゐたらしく、五月十二日付のロダン宛の手紙を見ると、「……不本意にも長いこと何もせずに居りましたので、私はいま、全く一人きりで、自分の仕事と共に閉ぢこもつてゐなければなりませぬ。これまでの數ヶ月といふもの、世間の人達と附き合つて居なければならず、そのため仕事もあまり出來ませんでしたので、私のうちにいままでよりもずつとはつきり目立つて來てゐる孤獨への傾向を、貴方は誰よりもよくお分かりになつて下さるでせう。……」又、七月二十日付の手紙には、「……私は自分の家に、核がその果實の中にとぢこもつてゐるやうに、閉ぢこもつてゐます。そして食事にしか外出いたしませぬ。私の妻すら、一週に一度、ちよいと私の樣子を見にくるだけです。私の本は八月末までに仕上げてしまはなければなりません。……」
 そのやうな孤獨の裡に「新詩集別卷」は八月末脱稿せられた。その卷頭に「アポロの古拙なるトルソ」なんぞと題せられた詩を載せてゐる此の詩集は、その「大いなる友」オオギュスト・ロダンに捧げられた。
 妻のクララもその頃彫刻の仕事を了つて、再び獨逸に歸つて行つた。リルケもその妻に伴つて暫く獨逸の友人等のところへ行かうとしかけてゐたが、「……私はまだ決心がついてゐません。けれど、仕事を仕上げたばかりなので、大ぶ疲れてへとへとになつて居ります。ですから、この秋から冬に、元氣よく、再び仕事に取りかかるためには、氣分を轉換させなければなりませぬ。……」(ロダン宛、八月)――そしてとうとう獨逸行を斷念したリルケは、その代りに、その八月の終りの日に、アトリエをヴァレンヌ街七十七番地に移した。こんどのアトリエは彼には大へん氣に入つたやうに見える。――「今朝から私の住まつてゐるこの素ばらしい建物と部屋とを貴方に是非ともお目にかけたいものです。その三つの戸口は或廢園の上にひらかれて居りますが、其處にはちやうど古代絨氈の中でのやうに、無邪氣な兎が四目垣を跳び越えたりするのが、ときどき見えたりするのです」などと、引越した當日にロダンに書いてゐる。
 それから二三日すると、リルケはロダンに若しか空いてゐる卓子が一つあつたらどんなのでも拜借願へないかと無心の手紙を出してゐる。そんな手紙の一節を讀んでゐると、古い家具類のある、靜かな田舍家に住まつてゐられるフランシス・ジャムのやうな幸福な詩人を羨望しながら、みづからは自分自身の家具を何ひとつ持たぬばかりでなく、「ああ私にはこのやうに屋根さへなく、雨は私の眼のなかにも降るのだ」とかこたずにはゐられぬ孤獨なマルテのかはいさうな姿がひとりでに浮んでくるやうである。――しかし現實では、そのロダンへの無心はすぐかなへられる事になつて、リルケは大いに喜んだ。「……貴方の仰やられるその卓子はきつと私の欲しがつてゐるやうなものに違ひありませぬ。それは大きな肥沃な平野のやうでありませう、そして私の原稿はその上に恰も村々のやうに竝べられるでせう。……」そんな感謝の手紙と殆ど行きちがひにロダンから一つの立派な卓子が屆けられた。「……こんな風に、こんなにも迅速に、願望が達せられるなんて、まるでききわけのよい子供たちのために作られたお伽噺のやうでございます。……」リルケは無邪氣な子供のやうな喜び方をしてゐる。
 その秋からリルケはいよいよ數年前から計畫してゐる「マルテの手記」に取りかかつてゐるが、それがそのロダンから借りた卓子の上で書かれたらしい事なんぞを想ひ描くと、やはりいつまでも子供のやうな心をもつた私には何かしきりに心愉しいものがある。
 その後、十一月頃の手紙になつてくると、既にその「マルテの手記」の製作の中にすつかり沒頭してゐる、リルケの憑かれたやうな、痛々しいまでの姿が、それも纔かにしか垣間見られないやうになつてくるのである。その頃ロダンへ宛てた手紙の中に、
「……私はいままでよりずつと遠くまで自分の仕事のなかに降りて行つてゐます。ときをり海底にでもゐるかのやうに眞つ暗になります。そして私の上方からの、流れの壓力は、非常に強くなります。さいはひ、かういふ深處には、それ自身の光線をいくらか發する、燐光性の思念イデエがあるものなのです。そのやうなものが、私がいまにも勇氣が挫けさうになつてゐるやうな時に、屡※(二の字点、1-2-22)非常に都合よく通過してくれます。そしてその通過は、實に迅速ではありますが、私をして一瞬、甚だ實在性があるのだけれど、殆ど見知られてゐない、美しい事物に自分が取り圍まれてゐることを、見拔かしめてくれます。……」
 さうやつて、毎晩、夜ふけまで小さなホテルの片隅で孜々として仕事をしてゐたリルケの部屋から洩れてゐたあかりだつたのだ、その頃同じホテルに住んでゐた、もう一人の詩人が毎晩それとは知らずにそのあかりを見ながら、なんといふ佗びしいランプの光だらうと思つてゐたのは。――後年その囘想録のなかで、もう一人の詩人はそれからずつと後になつてはじめてそれが誰の部屋だつたかを知り、そしてそのやうに孤獨に堪へてゐた詩人が、そんな夜ふけの佗びしいランプの光を通して、だんだんさういふ孤獨の偉大さを解するやうになつてきた自分にどのやうに慰めを與へてくれてゐるだらうといふやうな事を書いてゐる。
「マルテの手記」はその冬巴里のその客舍で一氣に仕上げられたらしい。それが上下二卷に分たれて、ライプチヒのインゼル書肆から上梓せられたのは、翌一九一〇年の春の事である。

底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
初出:「文化評論 創刊号」
   1940(昭和15)年6月1日刊
※初出時の表題は「一插話――リルケ雑記拾遺」、「雉子日記」河出書房(1940(昭和15)年7月9日)収録時「一插話」と改題。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:岡村和彦
2013年1月17日作成
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