私はいま自分の前に「窓」といふ、插繪入りの、薄い、クワルト判の佛蘭西語の詩集をひろげてゐる。その表題の示すごとく、ことごとく、窓を主題にした十篇の詩を集めたもので、そのおのおのに一枚づつ插繪が入つてゐるのである。
 その詩のいづれもが、とある窓の下を通りすがりにちらつと垣間見たその内側の人生だの、或はその窓のみを通してその内側の人生と持ち合つたはかない交渉だのを歌つたものだが、所詮さう云つたはかなさそのものこそ此の人生にいかにも似つかはしく、さういふ點からしてもそれ等のふとゆきずりに見たやうな窓といふ窓がこのわれわれの人生に對して持つてゐる大きな意味――さう云つたやうなものが知らず識らずのうちにわれわれにひしひしと感ぜられて來ずにはおかないのである……
 それ等の詩はどれも難解といふほどではないが、ちよつと風變りな佛蘭西語で書かれてあるので、私などにはすつかり呑み込めないやうな奴がないでもない。そんなのにもしかし插繪がついてゐるので、ともかくも大體の意味はわかる。若い女の畫家の描いたものらしいが、(ひよつとしたら少女かも知れない)繪そのものはいかにも素人らしくつて、稚拙だ。
 私はいまその十篇の詩の大意を、その插繪でもつて補ひながら、此處に書き竝べて見るが、それがおのづから一つの人生風景を美しく繰りひろげてくれたら好い。

          ※(ローマ数字1、1-13-21)

 最初の詩は、われわれがバルコンの上だとか、窓枠のなかにちらりと現はれたのを見たきりで、姿を消してしまつた女の、われわれの心に殘す何とも云ひやうのない寂しさを歌つてゐる。

が、その女が髮を結はうとして、その腕を
やさしい花瓶のやうに、もち上げでもしたら、
どんなにか、それを目に入れただけでも、
私達の失意は一瞬にして力づけられ、
私達の不幸はかがやくことだらう。

 插繪は、その窓枠のなかに一人の女が裸かの腕をもち上げて髮を結はうとしてゐる姿をちらりと見せてゐる。明け方、たつたいま起きたばかりのところと見える。窓枠の奧はまだ薄ぐらい……

          ※(ローマ数字2、1-13-22)

 その次ぎの插繪も、同じやうに、鼠色の窓帷のかげから何かの花を插した花瓶を窓ぎはに置かうとしかけてゐる女の手だけをちらりと覗かせてゐる。――つい云ふのを忘れてゐたが、插繪はみんなエッチングである。
 さて、本文の詩だが、詩の方にはまださういふ女の手は現はれてはゐないのである。さうして唯、その鼠色の窓帷がなんだかごそごそと動いたのが目に止つたきり。……それだけでももう、それを見た者の胸ははずんで、それが自分に來てくれるやうにといふ合圖なのではないかしらと思ふ。さうしてそれに應じたものかどうかと迷はずにはゐられない。が、それにしてもそれは一體誰なのだらうか?
 さうやつてその窓帷のかげにそつと隱れてゐるのは、ひよつとしたら戀を失つた女ではないのか? さうして彼女の心から溢れでてゐる生命が、かうして窓の下に立つてゐる行きずりの私にまで、その飛沫を與へてゐるのではないだらうか?

          ※(ローマ数字3、1-13-23)

 窓はわれわれの幾何學、――それはわれわれの大いなる人生を無雜作に區切つてゐる、いとも簡單な圖形だ。

お前の額縁のなかに、われわれの戀人が
姿を現はすのを見るときくらゐ、
かの女の美しく見えることはない。おお窓よ、
お前はかの女の姿を殆ど永遠化する。

 此處にはどんな偶然も入り込めない。戀人は戀の眞只中にゐる。彼女のものになり切つた、ささやかな空間にだけ取り圍まれながら。……この詩の插繪は、なんのことやらよく分からない。一人の女の片手をちよつと胸にあてがつてゐる立ち姿が描かれてゐるが、さうやつて片手をしをらしく胸にあてながら、物思はしげに窓に倚つてゐる姿、――それこそ戀人の永遠の像だといふのであらうか。此處のところ、どうもすこし詩よりも插繪の方が晦澁である。

          ※(ローマ数字4、1-13-24)

 第三の詩で窓を幾何學的なものとして取扱つた詩人は、こんどは反對にそれを海のやうに千變萬化のものとして取扱はうとしてゐるとでも云へようか?
 插繪もこんどはいくぶん詩に即してゐる。一人の女が窓のところに手をかけながら、沖を走つてゆく船へぢづと切なさうな目を注いでゐる。無雜作にひつかけた肩掛けを強い海風のなびくがままに任せながら[#「任せながら」は底本では「任せがら」]……

窓よ、お前は期待を量る器だ――
一つの生命が他の生命の方へ
氣短かに自分を注がうとして
それを何度一ぱいにさせたことか。……

          ※(ローマ数字5、1-13-25)

 此處いらへんで、下手な譯だが、まあ一つ見本にその詩をそつくり譯してお目にかけて置くのも好からう。あんまり間違つてゐないで呉れるといい。

窓よ、お前はどんなものでも
何んと儀式めかしてしまふのだらう!
お前の窓枠の中では、人は直立不動になつて、
何かを待つたり、物思ひにふけつたりする。

そんな風に放心者だの、怠け者だのを
お前はよくお小姓のやうに立たせてゐる。
彼はいつも同じやうな姿勢をしてゐる。
彼は自分の肖像畫みたいになつてゐる。

漠とした倦怠にうち沈みながら、
少年が窓に靠れて、ぼんやりしてゐることがある。
少年は夢みてゐる。さうして彼の上衣を汚してゐるのは、
少年自身ではなくて、それは過ぎゆく時間だ。

又、戀する少女たちが、窓に倚つてゐることもある。
身じろがずに、いかにも脆さうに、
あたかもその翅の美しいために、
貼りつけられてゐる蝶のやうに。

 この詩の插繪は、窓から三人の少女が顏を出してゐるところが描かれてゐる。その中の一人の少女だけが唐草模樣のある欄干に腰かけて、何かをしきりに見ようとしてこちらへ體を捩ぢ向けてゐると、その背後からも二人の少女が肩に手をかけ合ひながら、やつぱりこちらへ注意深さうな目を注いでゐる。……

          ※(ローマ数字6、1-13-26)

 この第六の詩にだけは特に「朝の空」といふ傍題が附せられてゐる。
 まだ部屋の奧にある寢臺のあたりは暗くつて、そこに寢てゐる者が誰だかさへもはつきりとは見分けられない位。だが窓ぎははもう徐々に明るみ出してゐる。そのとき突然、寢臺から飛び下りて、その窓ぎはに走りより、それに倚りかかる者がある。それは一人のみづみづしい少女だ。
 しかし、その窓から少女の眺め入る曙の空には、青空そのものしかない。ただ、その空の一部に鳩たちがゆるやかに飛び交つてゐるばかり。……
 この「朝の空」と題された一篇の大意はまあさう云つたものだが、插繪では、一人の裸體の少女がいま目を覺ましたばかりと云つたやうに、寢臺の上で半ば身を起しながら、窓のところに飛んできた二羽の鳩を無心さうに眺めてゐるところを繪にしてゐる。これでは、詩にあるやうに、その戀する少女が夜そのものからのやうに寢臺から素足のまま拔け出し、窓に駈けよつて、うつとりとして明けゆく空を見入つてゐる、いかにもみづみづしい姿が、あまり描けてゐないのではないだらうか?

          ※(ローマ数字7、1-13-27)

 次ぎの頁をめくると、どう見ても美しいとはいはれない女がぼんやりと窓のところで頬杖をついてゐる插繪がある……
 さて、その物思はしげな女の繪と詩との關係だが、それもどうも自分にはよく分からない。この詩は、私達の、狹い、限度のある部屋に無限の擴がりを與へるやうにと工夫せられた窓だの、昔その傍らで一人の婦人が俯向いたまま、身じろぎもせずに、靜かに縫ひ物をしつづけてゐた窓などを歌つてゐるのだが……

          ※(ローマ数字8、1-13-28)

 此處にも、いまのと似たり寄つたりの插繪がついてゐる。しかし、詩にはずつと即してゐるから好い。その若い女は、何時間も何時間も、無心さうに、しかも緊張した面もちで、その窓に凭れながら過ごす。獵犬が横になるや、きちんとその前肢を揃へるやうに、彼女の夢の本能といつたやうなものが、先づ、彼女のしなやかな手を氣もちのいい具合に揃へさせる。それからはじめてその餘の、腕だとか、胸だとか、肩だとかがめいめいの配置につく。さうしていつまでもさうやつて凝つとしたままでゐて、「もううんざり」なんぞとはおくびにも出さない……

          ※(ローマ数字9、1-13-29)

 九番目の插繪は、これまでとはぐつと異つて、二本の木立ごしに或アパアトらしい二階建の小家をやや遠くに離して描いてゐる。二階には窓が三つ見え、地階には扉と窓が一つづつ見える。二階の一番左端の窓はひらかれて、窓帷をもたげながら一人の女が立つてゐる。それから地階の中央の窓からはやつぱり一人の女が格子ごしに顏を出してゐる。その上方の窓も、同じやうにひらかれてはゐるが、窓帷がひつそりと垂れたまま、人かげはない……
 さて、詩だが、その插繪で補つて見ても、いまのところ私にはよく分からない。ただ、どうもその插繪のなかで、窓帷で覆はれたまま何も見えない窓が、この詩の對象になつてゐるのらしい。その誰も見えない窓の向うには、實は、一人の女が慰みやうもなく忍びやかに泣いてゐるのだ、――と云つた詩意らしいが、この自分の解釋には自信はない。ただ
Sanglot, sanglot, pur sanglot !
 といふこの詩の第一行を口のなかで繰り返へし繰り返へししながら、その何かしら佗しげな插繪を見てゐると、分かつたやうな分からないやうな裡にも、少しづつその詩趣が自分の身についてくるやうな氣もしないことはない。

          ※(ローマ数字10、1-13-30)

 さて、最後の詩である。これは戀人の別離を歌つた詩だ。插繪は一人の若い女が窓に身をのり出して、去りゆく戀人に向つて絶望したやうに手を振つてゐる。髮さへふりみだしながら……

別れるとき窓から身をのり出すやうにしてゐた
お前の姿をまざまざと目にしながら、
私ははじめてわが身うちの深淵に氣づき、
それを隈なく知つてわが物となした……
お前はその腕を闇の方へ向けて
私にそれを振つて見せながら、
私がお前から切り離して自分と一しよに持つて來たものを、
私から更に切り離して、それを出て行かせた。……
お前のその別離の手ぶりは、
永久の別離のしるしなのではなかつたらうか?
遂に私が風となり、
水となつて川に注がれてしまふ日までの……

底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
初出:「むらさき 第五巻第三号」
   1938(昭和13)年3月号
※初出時の表題は「「窓」」、「雉子日記」河出書房(1940(昭和15)年7月9日)収録時「リルケの「窓」」と改題、「堀辰雄小品集・繪はがき」角川書店(1946(昭和21)年7月20日)収録時「詩集「窓」」と改題。
入力:tatsuki
校正:岡村和彦
2013年1月10日作成
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