小説のことなど

 この頃私は逢ふ人ごとにモオリアックの小説論の話をしてゐる位だ。
 私はつい最近、彼の小説論を二册ばかりと、「癩者への接吻」といふ小説を一つ、立て續けに讀んだところなのだ。彼の小説論は、勿論本格小説論だが、讀んですこぶる啓發されるところがあつたし、小説の方は彼としてはかなり初期のものらしいが大へん氣に入つた。これこそこの頃私の一番讀みたいと思つてゐた小説であるやうな氣がした。この作以來、モオリアックはいい小説をだいぶ書いてゐるやうであるから、この夏でも出來るだけ多く讀んで見たいと思つてゐる。
 さて、モオリアックの小説論だが、早速その一節を引用して見る。
「十八歳の少年は、彼が人生について知つてゐるもの、即ち彼自身の欲望、彼自身の幻滅をもつてしか本を書くことは出來ない。彼は自分でその殼を破つたばかりの卵を描くことしか出來ない。概して、彼は他人を觀察しようといふ考へが起るにはあまりに彼自身に夢中になりすぎてゐる。われわれの中に小説家が形態を具へ出すのは、われわれがわれわれ自身の心情からわれわれを引き離し得るやうになつてからである。」「自分自身の物語を語る作家」がかうも簡單に子供扱ひにされてゐるのは少々不滿だとは云へ、これは今日の私達には、適切な忠告を與へてくれた言葉である。――以上の一節は、去年あたり書かれたらしい「作家と作中人物」といふエッセイの方から引用したが、その同じエッセイのずつと先きの方で、モオリアックは又、かうも言つてゐる。
「最も客觀的な小説の背後にも、……小説家自身の活きた悲劇は隱されてゐる。……しかし、その私的な悲劇がすこしも外側に漏れて居なければ居ないほど、天才の成功はあるのだ。「ボヴァリイ夫人は、私自身だ」といふフロオベルの有名な言葉は、頗る理解し易い。――が、その言葉はもつと時間をかけて考へて見る必要がある。それほど此の本を書いた作家がその中に自分を入れまぜてゐないやうに見えるからだ。「ボヴァリイ夫人」が傑作であるのは、即ちその作品が、その作家から切り離された全體として、世界として、一塊となり、位置してゐるからである。われわれの作品が不完全であればあるほど、その割れ目からその不幸な作家の苦しめる魂が漏れるのである。」
「が、ある天才をもつてしても作家と作品とのさういふ結合を得なかつた、出來損ひの作品はまだしも良い。魂のない作家によつて手ぎはよく、外側から構成された作品なんぞよりは。……」
 モオリアックを俟つまでもなく、作家にとつて自分を棄てることがいかに大切であるかと云ふ事は、今日、私たちの最も關心をもつべき問題となりつつある。――さういふ今日、私はいままで好い氣になつて自分自身の物語、或ひはそれに似たものをばかり書いてきた私自身がすこし腹立しいくらゐである。さうして最初から、さほど苦勞せずに、他人を觀察して得たものだけで物語を書くことに慣れてゐる人達がたいへん羨しい氣もする。――が、羨しい氣はしても、どうも矢張り、その人達の仕事には、今だに、そしてこれからも興味がもてさうもない。私の興味は、何と言つても、その作家が自分を棄てるのにどれだけ獨得の苦痛をかけたか、といふ點に專らかかつてゐるやうである。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 私のこれまで書いて來たものは所謂「私小説」と呼ばるべきものであるかも知れないが、私はつひぞ一度も、私小説本來の特性であるところの、他人の前に何もかも告白したいといふ痛切な欲求からそれを書いたことはなかつた。私はむしろ漠然と、わが國特有とも云ふべき、その種の小説の小ぢんまりした形式が自分には居心地よいやうな氣がしたので、それに似た形式の中で自分勝手な作り事を書いてゐたのだ。私の作品は――といつて惡ければ、それらの作品を書いた感興の多くは、――フィクションを組み立てることにあつた。私は一度も私の經驗したとほりに小説を書いたことはない。(さうかと云つてまた、自分の感じもしなかつたことは一ぺんも書いたことはないが……)
 私をしていま、かうまで言はしめるものは、居心地がいいのでついうかうかと私の居ついてゐたその形式の、恐ろしい罠の中にいつの間にか自分が落ち込んでゐるのに漸く氣がついたからだ。――此處で、更らに私的な問題に立ち入ることを許していただきたい。で、私小説をどう云ふ信念から書くにせよ、すべての場合を通して、その主要な感興は自分自身をはつきり識らうとすることにあると言へる。(たとへ私のやうな場合にあつても。)――最初は自分自身のうちに私小説に書けさうなものばかりが見えてくる。が、そのうちにだんだんそれが私小説からはみ出してしまふ。そして今さら自分の氣持のあまりに複雜なのに驚く。そして、私小説の中に入れるためには、どうしてもその氣持を歪曲させなければならぬやうな羽目になる。たとへば、一つの戀愛を描くときにも、自分の感情全部から、その一部を孤立させ、誇張し、――同時にそれを純粹にさせて、描くよりほかはない。その結果、小説中の「私」の氣持は、現實の私の氣持とは似てもつかないものとならざるを得ない。勿論それは嘘ではないのだが、それがそつくり本當の氣持かといふと、必ずしもさうではない。私自身の場合などでは、私はなまじつか私小説らしいものを書いたため、他人に私を識つて貰つた分量より、むしろ誤解された分量の方が多いのでないかといふ氣がするくらゐだ。――それでは、さういふ複雜な氣持をそつくりそのまま書いたらいいではないかと云ふ考へが一應は起る。が、さうなると、いきほひ支離滅裂なものになつて、殊にこれまで私達の書いてきたやうな、活きた混沌から一つの小さな秩序を得ることをその本分とする短篇小説などの中には、到底盛ることは出來ない。――むしろ、矛盾したそれぞれをはつきり分離させて、それぞれ異つた性格に負はせ、そしてそれぞれを思ふ存分に活動させることをその本分とする長篇小説が書けるやうになるまで、何とか誤魔化してゐてやれと云つた氣持で、知らん顏をしてゐたのが、先づ私の正直なところである。
 此處に、私がこれまで私小説のやうなものを書くよりしかたがなかつたと云ふ唯一の辯解があり、しかし今までのままでは、もうにつちもさつちも行けなくなつてゐることを、ついでに告白して置きたいのである。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 もう一つは、作家の手腕である。
 私は一つの作品を書く毎に、これまで自分の書いた作品にすこしも似てゐないやうな作品を書きたいと考へた。そこで、私の諸作品を跡づけてきた曲線は極めてジグザグな筈だ。……が、それにも拘らず、私は作品から作品へと、いつも同じやうな人物しか描けなかつたことを認めずにはゐられない。そこに描いてあるのは、即ち、それらの人物の中に投げられてゐる私自身の影でしかなかつたのだ。さうして批評家から「お前は人間が描けない」と言はれると、私は好んでそれを肯定しながら、しかし私の作品はそれでもいいのだといふやうな妙な自信を持ち續けてゐた。――勿論、眞の小説といふものが人間を創造することにあるといふ事は否應なしに認めてゐたが、私はさういふ眞の小説をあまり嚴格に考へ過ぎてゐるせゐか、たうていこれまでの私にはそんなものは、それに近いものすら書けさうもないと考へたので、あべこべに、少しもさういふ小説らしいところのない小説ばかり書いてゐたのだ。たとへ二流三流の小説にせよ、さういふものでの方が現在の自分の手腕を思ふがままに揮へ、自分を小さいなりに完全に表現できると考へたがためだ。
 そこで私は、これまで、自分の作品の中に人物を置く場合には、風景畫のなかに小さな點景人物を置くほどの用意しか持ち合はせなかつた――とまで言はなくとも、それはいつも「私」(語り手)の心のなかに獨得な屈折をして入つてきた幻像イメージに過ぎなかつたのである。
「麥藁帽子」の中で試みた私の方法は、さういふ自分には最も素直なものであつた。私は一人の娘を語り手に映つてゐる側からのみ描いていつた。娘の心理の動きがどうしても語り手に解らないままに、小説が進展し、その結末に及んでもその心理の上に何等の照明を與へずに、小説を閉ぢる。讀後、讀者をもその語り手と共に、一種の謎めいた氣持の中にとり殘させる。――それは一篇の小さな心理小説でありながら、普通の心理小説家がそれをするやうには、娘の心理の裏側に讀者を引つ張つて行かない。常に光線は「私」の側からのみ投ぜられてゐる。――さういふ氣まぐれな思ひつきで、私はその娘の幻像イメージを出來るだけ生き生きさせようとしたのだ。
「聖家族」の中では、それと反對に、私は諸人物に頭上から何處からともなく、云はば一種のレムブラント光線のやうなものを投げようと試みた。さうしてその光と影の中でさまざまな人物を出來るだけ巧妙に動かさうとした。が、それらの人物は私には將棋の駒のやうなものだつた。あらかじめ駒の動き方が定つてゐて、その上私の手のままにどうにでも動いてくれたのだ。「むづかしい詰め將棋を何とかかんとかして詰ましちやつたやうな小説だなあ」と小林秀雄がそれを讀んで私に言つてくれたが、恐らく小林の考へたよりもつと、その比喩はあの小説をうまく説明してゐたのだ。
 そんな「聖家族」のやうな作品を書いたあとだつたので、私は「麥藁帽子」のやうな手法の素樸さに身をゆだねられたのだらう。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 私達の間でいつかラジィゲの「舞踏會」の話が出たとき、あの女主人公の顏がはつきりと浮んで來るかどうかといふ事が問題になつた。さうして皆の意見は期せずして、それが浮んで來ないといふ點で一致した。たしか横光さんも座に居られて、どうかするとあの女の妙にしやがれたやうな聲だけは浮んでくるが顏は決して浮ばぬ、と言はれたやうに記憶する。
 その後、私は古い「エヌ・エル・エフ」を繙いてゐるうち、フェルナンデスの何とかいふエッセイの中で、次のやうな一節を讀んで、突然、その時の話を思ひ出した。今、その雜誌が私の手許にないので、その題も忘れたし、その一節を引用する譯にも行かないが、何でも「各人が漠然と、いくらか大ざつぱに感じてゐるものに一番共通性がある。ドストエフスキイは流石にそこに目をつけてゐた。彼は、各人各樣とも言ふべき視覺的描寫などはかなぐり棄てて、各人に直接に共通し得る漠然たる感覺をのみ、ひたすら明瞭な意識の上にのぼすやうにと骨折つたのである」といふ論旨だつたやうに思ふ。私達のその時の意見は、はからずもフェルナンデスの同意を得たばかりでなく、漠然としてゐたところを極めてはつきりと説明して貰つたやうな感がある。
 ドストエフスキイといへば、私はどういふものか「白痴」が好きであるが、ムウシュキンが一體どういふ顏をしてゐるのか、すこしも分らないのだ。そのため私はその人物をまだはつきり捉んでゐないのかとさへ疑つたが、それも「舞踏會」の場合と同じだつたのだらう。小説が心理的であればあるほど、その小説は少くとも視覺的ではなくなるものらしい。
 しかし、小説において讀者に漠然たるものを與へる方がより効果的であるのは、何も視覺的なものばかりではあるまい。たとへば、此處にモオリアックの面白い例がある。彼は子供のとき目撃した實際の出來事に材を採つて、自分の良人を毒殺する女を描いたことがある。(「テレェズ・デケルウ」)その場合、實際はその女は他に情人があつたがためにそんな行爲に出たのであるが、それを事實のまま描かずに、その女がさういふ恐ろしい行爲に自らを驅つたものを彼女自身は何も知らずにゐたやうに、モオリアックは作り變へて、一層の效果を得たと言つてゐる。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 ドストエフスキイがどれだけバルザックよりも新しいかといふやうな事も、かういふ點から説明できやしないかと思はれてくる。
 さうしてモオリアックが他の本、「小説論」といふ表題のエッセイの中で、この二大作家の隔りをはつきりと示してゐる箇處に私達はぶつかる。
「……バルザックの主人公はいつも辻褄が合ふ。彼は彼を支配してゐる情熱でもつて説明されないやうな行爲は何一つしない。それは實に見事である。」――つまり、ゴリオ爺即ち父性愛、從姉ベット即ち嫉妬、ユウジェニイ・グランデ即ち吝嗇、といつた工合で、彼等はいつもその埒内にあつて行爲をする。「それがバルザックに「タイプ」即ち、一箇きりの情熱に全く要約された存在を創造することを許したのだ。」
「ところが、それに反して、ドストエフスキイは人間心理の縺れを解きほごさうとはしなかつた。――彼の人物にあつては、崇高と破倫と、低い衝動と高い願望とが、解きほごしがたく、もつれ合つてゐる。それはもはや理性の動物――「吝嗇漢」「野心家」「高利貸」ではなしに、遺傳を負はされ、缺點のある、血肉の人間だ。……
 彼の描いたのは露西亞人だ。不合理、矛盾は露西亞人の特質ぢやないか、と人々は言ふ。――が、彼の主人公が、われわれにかくも矛盾だらけに見えるのは、彼等が露西亞人だからではなしに、むしろわれわれに似た人間、即ち、活きた混沌、矛盾に充ちた個人だからである。彼等にはわれわれの理性から見ると、不合理そのものであるやうな生の論理以外の如何なる秩序も、如何なる論理も與へられてゐないからである。彼の作中人物が、各瞬間に、彼等が感ずるのが自然であり普通であると思へるのとは、まるつきり反對の感情を感じてゐるのを見て、われわれはびつくりする。……」
 モオリアックの意見は、まあ大體さういふ事になると思ふ。が、モオリアックは、自分は一方(これは批評ではないと斷つてゐるが)佛蘭西小説の傳統――その秩序と明晰さ――を熱愛してゐる者であると告白する。そしてさういふ二つの欲求の爭鬪を感じながら、彼はかういふ問題を提出してゐる。
「佛蘭西小説の傳統を否定せずに、それを英吉利や露西亞の作家――ことにドストエフスキイを受け入れることによつて豐富にすること。われわれの主人公に、生きた人間の不合理、不確かさ、複雜さを與へること、と同時にわれわれ民族の天性に從つて、構成し、秩序づけること。」
 そしてその二つの欲求の間の葛藤こそ、彼等佛蘭西作家の解決すべき唯一のものではないかと問題を提出してゐる。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 佛蘭西では、早くからジィドが熱心にドストエフスキイを讀んでゐたやうだ。それがより若いモオリアック等を刺戟して、かくもドストエフスキイに關心せしめるやうになつたのではないかと思ふ。丁度、今日のわが文壇はその當時に似てゐないか。さうして私達の間では、小林秀雄が早くから熱心にドストエフスキイを讀んでゐてくれるのは大いに感謝していいことだと思ふ。私などは何もそれに口を插むことはないが、モオリアックの出した問題は私達にもたいへん有益に思へるから、それを此處に置き換へておく。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 さて、モオリアックに戻らう。
 さうして彼によつて提出された問題を、その後、佛蘭西で最も見事に解決したのは誰だらうかと考へて見る。さうして先づ第一に、それはモオリアック自身ではなかつたらうかと云ふ答案が浮ぶ。が、私はさつきも言つたやうに、まだ彼の小説は「癩者への接吻」一篇きりしか讀んでゐないのだ。もうすこし讀んで見るまで、――少くとも彼の最大傑作であると定評のある、一昨年書いた「蝮のとぐろ」といふ小説を讀んでしまふまで、――その答案は保留して置きたい。
 私がこの小論文の冒頭に引用した「作家と作中人物」は、その傑作「蝮のとぐろ」製作後に書かれたものらしい。これには、もう一方の「小説論」(恐らくこれは前者から十年ぐらゐ前に書かれたものか)と同じ論旨が、作者の體驗によつて、ずつと深められつつ、展開されてゐる。さういふ見方をして、兩者を讀み比べてゐると、私はモオリアックの思ひがけない進歩の跡を發見したりする。
 その中で彼が人物描寫について述べてゐる一節が特に面白く思はれるから、それを此處に引用してお目にかける。
「一つの小説を創作してゐる間、私は何度氣づいたことか、ずつと前から主人公として考へてゐた人物、そいつの發展をその最後のデテエルまで決めて置いた人物が、プログラム通りにうまく形づくられるときは、それは彼が死んでゐるからであり、――彼が從順であるのは、それが死骸に過ぎないからであるといふ事に。反對に、私が補役として何等の重要牲を帶びさせなかつた人物が、自分勝手に第一列にのり出し、私が彼のために用意しなかつた場所を占領し、思ひがけない方向に私を引つ張つてゆくことがある。「愛の沙漠」の中のクウレエジュ醫師は、私の意圖では、插話的な人物(主人公の父親)であるべきだつた。そのうちに彼は小説全體に侵入してしまつた。私がその本を考へる度毎に、その可哀想な男の苦しんでゐる顏が他のすべての人物を領し、それらの忘れられた頁の上にほとんど一つ、それだけが浮んでくる。……」
 この一節は、私にすぐ、ドストエフスキイが「惡靈」を書いた時、考へもしなかつた新しい人物(スタヴロギン)が、初めに主人公となるべき筈であつた人物を驅逐して、その小説の眞の主人公となつてしまつたといふ話を思ひ出させた。
 しかしモオリアック自身は、この一節を書いた時には、そのドスエフスキイの話を思ひ出してゐたかどうかは知らない。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 今、この小論文を終へるにあたつて、私はもう一度、モオリアックのテェゼを繰り返して置きたい。即ち、一方では論理的な、理智的な小説を書きたいといふ欲求、また一方では、不合理、不確かさ、複雜さをもつた生きた人物を描かうといふ欲求、――われわれはその二つの欲求の戰場であるがいい。……これは何も佛蘭西のみに限つた問題でなく、私達の間でも大いに考へていいことだと信ずるので、此處にその問題にアンダアラインして置くのだ。
 私はこれまで私達、私達と書いてきたが、私達といふのは、「白痴」とほとんど同等に、ラジィゲの「舞踏會」をも熱愛してゐる人達の謂であることを、最後に於いて明瞭にさせて置きたい。

底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
底本の親本:「曠野」養徳社
   1944(昭和19)年9月20日刊
初出:「新潮 第三十一巻第七号」
   1934(昭和9)年7月号
※初出時の表題は「小説のことなど――モオリアツクの小説論を読んで」、「堀辰雄作品集第二・美しい村」角川書店(1948(昭和23)年10月30日)収録時「小説のことなど」と改題、底本の表題は「堀辰雄作品集第二・美しい村」のものによる。
入力:tatsuki
校正:岡村和彦
2013年1月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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