初秋の浅間

 この山麓では、九月はたいへん雲が多い。しかし、夏の近づく頃の雲の不活溌な動きとは異つて、白い、乾燥した、動きのいちじるしい雲の塊りが不連續的に通り過ぎる度毎に、何かがそれらの雲とともに一剥されでもしたかのやうに、そのあとで青空はいよいよ本物の青空に近づいてゆく。――さういふ雲のたたずまひが、とても好い。林のなかの空地などに寢そべつて見てゐると、さういふ雲は絶えず西から東へとときどき日かげを翳らせながら流れてゆく。
 さういふ雲のなかから、淺間山もたえず見え隱れしながら、ときどきその全貌をすつきりと爽やかに見せたりする。山肌はいよいよ黄ばみ、夏などもつと多いと思つてゐた煙りが、思ひがけず、殆どあるかないか位にしか立つてゐなかつたりする。――が、さういふ時くらゐ、淺間山が魅惑的に見えることはない。日がぱあつと當つて、それがまだ何物をも温めてゐない、もうかなり肌寒いやうな朝など、起き拔けにふところ手をして山を見に出ると、そんな朝は淺間はきまつて雲ひとつない山肌を冷え冷えと見せてゐる。その山肌一めんに日が赤あかとあたり出すのを眺めてゐると、山自身が見る間に淡い雲を湧き立たせ、ヴェイルのやうに漂はせ、だんだんそれが濃くなつていつて、しばらくする裡に自分自身を半分以上その雲のなかに隱してしまふ。それから終日、そのなかに見え隱れしてゐる。
 そんな淺間山に憑かれたやうになつて、放心したやうにふらふらと山へ入つていつて死んだ人もあるといふ。――さういふ話を、私は數年前はじめて追分へ來て長い滯在をした秋に、宿の主人から聞いた。丁度その前年の、同じ九月半ばのこと、――一週間ほど前から、關西の方からふらりと來た一人の滯在者があつた。快活さうな男で、淺間山をはじめて見に來て、どうもかうも仕樣のないくらゐ好きになつて、毎日恍れ恍れと山許り見て暮らしてゐたやうだつたが、とうとう或朝、一人で山へ登つてくると云ひ出した。主人に一人ぢやとても行けませんからと云つて止められたので、それは思ひ止まつたらしかつた。その代り、途中の血の池まで行つてくると云つて、それまでの道筋を主人に聞いて、寫眞機だけ手にして出ていつたが、それがさあ夕方になつても、夜になつても歸つて來ない。宿では騷ぎ出し、翌日から村では搜索隊を出して搜したがとうとう見つからずにしまつた。――その男らしい死骸の見つかつたのは一月位たつてからで、佛岩の崖に落ちてゐたといふ。寫眞機も一しよにあつた。その寫眞をそのあとで現像してみると、まだ使つてない二三枚を除いては、みんな淺間の寫眞で、最後に撮つたやつには、初秋の、白い、さわやかな雲だけが映つてゐたといふ……

          ※(アステリズム、1-12-94)

 さういつた凄さを何處かその底にもつてゐる山だが、その淺間も、追分の供養塔などの立ち竝んだ村はづれ――北國街道と中山道とのれ――に立つて眞白な花ざかりの蕎麥畑などの彼方に眺めやつてゐると、いかにも穩かで、親しみ深く、毎日見慣れてゐる私の裡にまでそこはかとない旅情を生ぜしめる。往昔、遠く中山道を御代田の方から上つてきた旅人がやつと追分まで辿りつき、宿へのはひり口で、いかにもほつとした氣持であらためて淺間山をしみじみと見なほした數百年の感慨が、いまだに此處いらぢゆうに漂つてゐて、私達のけふの感情をもそれとなく支配してゐるのかも知れない。そんな氣もされる。
 去年の九月も末近い頃、朝から午過ぎるまで、ここの馬頭觀音などのある村はづれの、昔のままに殘つてゐると云はれてゐる、一本の古い松の木かげに、畫架を据ゑて、いかにも愉しさうに水彩畫を描いてゐた、一見外國婦人と見まがはれるほど、黒づくめの洋裝の身についた、日本人の一老婦人がゐた。その傍には、中年の日本服をきた婦人がつきそふやうにして、編物をしてゐた。
 偶然その朝そこまで散歩にきた私は、しばらく邪魔にならぬやうなところに立つて、その由緒ありげな老婦人のいかにも朗かさうな氣分で繪を描いてゐる樣子を、私自身まで何か樂しくなりながら見物してゐた。
 その午後、私が晝餉ををへた時分、隣室に客が通されて、物靜かな老婦人らしい話し聲がしだした。隣室とはいへ、私の居間になつたお小姓の間からは、疊廊下と控への間とを隔てた、大名の泊つた上段の間だから、話し聲は殆ど聞き分けられない。しかし、さつき村はづれで繪を描いてゐた老婦人とその附添ひの上品な婦人にちがひないことは分つた。
「山羊がこの村にだいぶ飼はれてゐるやうですが、山羊のお乳を頂戴できますか?」さう云つたのは附添ひの婦人らしかつた。
「はあ、山羊のお乳でしたら、どこかで分けて貰つて差し上げます」宿のおかみさんが答へてゐる。
「山羊の乳飮めるの、たいへん嬉しいです。私、伊太利でよく飮みました。大へん好きでしたが、――こちらへ歸つてきてから、まだ一度も飮みません……」すこしをかしな言葉遣ひで、しかしいかにもにこやかな口吻で、獨りごとのやうに云うてゐるのは、その長いこと伊太利で暮らしてゐたらしい老婦人であらう。
 私は自分の部屋から出ていつた。隣室で、私なんぞがごそごそ物音を立てたりしてゐない方が、この村における二人の珍らしい短い滯在のためにはすべてが好い、――と思つたからである。
 その間散歩でもして來ようかと思つて、板土間を横切つて行かうとすると、そこにぢかに繪具箱と編物の袋がおかれ、その傍らに大きな紙挾みが無造作に立てかけられてあつた。その中に挾みこまれてゐるにちがひない、さつきの村はづれからの淺間山の繪が見たかつた。頼んで見たら、氣輕に見せて貰へたらうが、強つてさうするほどの氣にもなれず、――それほど一人愉しんで描いてゐたやうな繪なので――私はそのままおもてへ出た。
 宿の前には、向日葵が一本、すつかり枯れたまま、いまだに褐色の實を垂らしてゐる。その大きな葉は、夏ぢゆう、花を太陽の方へ向けさせてゐたときの剛情な姿勢のまま、ただすこし傾いて。その枯れた向日葵を前面プルミエェル・プランに立てて、淺間山は相も變らず自ら湧き立たせた雲のなかに見え隱れしてゐた。
附記 この老婦人は有名なラグウザお玉さんであつた事を私はあとで知つた。

底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年8月30日初版第1刷発行
初出:「帝国大学新聞 第七百三十三号」
   1938(昭和13)年9月26日
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2010年5月29日作成
2011年5月23日修正
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