私は先頃プルウストについてエッセイを書いた時、プルウストの小説の構成については敢へて觸れようとしなかつた。その時はまだプルウストの小説を切れぎれにしか讀んでゐなかつたから。そして小説の構成などと云ふものは全體を通讀して見た上でなければ分るものではあるまいから。しかし私はそれを切れぎれに讀みながら、一體この小説はどんな構成を持つてゐるのであらうかと時々氣になつた。そしてプルウストのことを批評したものなどを讀む場合もそれに注意をしてゐたが、あまりそれに觸れたものは見當らなかつた。そのうちに私はバンジャマン・クレミユの「二十世紀」といふ本の中の批評に出遇つた。それにプルウストの小説の構成を論じた一節があるが、それが何と云ふ理由もなしにいつの間にか、私の懷抱しはじめてゐた「無構成の構成」説を打破して呉れた。他日私がこの小説の全體を讀んだ上でも果してその説に無條件で同意し得られるかどうかは分らないが、今假りにその説を信ずるとして、ざつと此處に書き止めて置かう。
 バンジャマン・クレミユは「失はれた時を求めて」の構成の基本となつてゐるものを大體三つ擧げてゐる。
 第一はピラミッド式である。作品の中心をなしてゐる主題が、ルネッサンス期の大畫家の用ひた「ピラミッド」式構圖によつて展開して行くと云ふのである。小説の冒頭においては、完全に隔離してゐる二つの環境ミリウが示される。それを僅かに結びつけてゐるのはスワンである。その一つの環境はコンブレエであり、他の環境はヴェルデュラン家のサロンである。ゲルマント家の人々、「私」の一家、スワン家の人々、ヴァントゥィユ、ルグランダン、フランソワズ等はコンブレエに屬する。コタル、サニエット、エルスティル、ブリショオ、モレル等はヴェルデュラン家のサロンに屬する。「コンブレエの方」は、その儘巴里に移される。「私」の兩親がアパアトメントを借りてゐる。その同じ家の中にヴィユパリジス侯爵夫人は別のアパアトメントを借りてゐる。ゲルマント家の邸宅は或る庭の奧にあるがその庭に面してジュピアンが部屋借りをしてゐる。次第に二つの環境ミリウが接近して行く。バルベックの海岸がその接近を助ける。遂に巴里でそれが成就する。ゲルマント家又はヴェルデュラン家に於ける各の面會日、各の舞踏會、各の晩餐が、小説の進展の、二つの黨派間の爭鬪の、或る段階を示すのである。
 第二は薔薇窓式である。第一のピラミッド式が小説の全體としての構成であるとすれば、これはその小説の枝葉に關するものである。プルウストの小説の各枝葉はそれ等をそれぞれに獨立させて見ても面白い。しかし、その各枝葉が實に思ひもよらぬやうな複雜な方法で、互に連續的に結びついてゐるのを知ればますます面白くなる。それがちやうど薔薇窓のやうだと云ふのである。かの薔薇窓を見ながら或る一つの曲線を目で追つて行くと、絶えずそれが正面に見え隱れしながら、實に意外な方向へ延びて行く。丁度、プルウストがオデット・スワンを描いたのもそんな具合である。
 最初の「コンブレエ」では、昔の浮氣女、そしてそのためスワン夫人となつた今でも何處の家にも招待せられない婦人として現はれる。次の「スワンの戀」の中では、それより十數年前にさかのぼり、ヴェルデュラン家のサロンの常連としての、そしてスワンの戀人としての彼女が描かれてゐる。それから「花さける少女の影に」の第一部では(「コンブレエ」より數年後になる)彼女はスワンと結婚して居り、自分のサロンにいろいろなブルジョアの婦人たちをお客にする。更にその第二部では、「私」が畫家エルスティルのアトリエで「サクリパン孃」といふ女の古い肖像畫を發見する。(後にそれがオデットの昔の肖像であることを知るが、その時はまだそれを知らない。)それから「ゲルマントの方」で、彼女はやうやく貴族社會のサロンに出入りしだす。「ソドムとゴモル」では、「私」がその伯父アドルフのもとの下男の息子、今は音樂家として知られてゐるモレルの持つてゐた女優の寫眞を見てゐるうちに、突然「サクリパン孃」としてのオデットの寫眞を發見し、そして彼女が、自分の少年時に彼の伯父のところで出遇つた「薔薇色の夫人」と同一人物であることを知る。(その邂逅はすでに「スワン家の方」の第一部に書かれてある。)――かうして最初の卷にあつては、ほんのちよつとした插話でしかなかつた「薔薇色の夫人」が、此處まで來て、初めてオデットの性格に強くアンダアラインしてゐる。
 第三はワグネル式である。プルウストに著しい影響を與へた音樂家にワグネルがある。プルウストはワグネルからそのライト・モチイフの手法を借り來つて彼の人物の大半を登場せしめる。ワグネルに於けるやうに、一人物のライト・モチイフがはつきりと未だ示されてゐないうちに、その人物が未だ登場して居らぬうちに、それは他のライト・モチイフの中に溶かされつつ音樂的に誘導されるのだ。
 例をアルベルティヌに取らう。彼女の名前は始めてジルベルトの口から發せられる。しかしその時は唯「有名なアルベルティヌさん」と云ふ一ことだけだ。(「花さける少女の影に」第一部)その次ぎの暗示は第一部もずつと終りに近づいてから、彼女の伯母のボンタン夫人がかう云ふのだ。「私の姪のアルベルテイヌも私みたいですの。あの娘もどんなに圖々しいつたら……」。さう云ふ二三の暗示があつてからアルベルティヌは遂にその第二部に入つて初めて登場する。しかし彼女のライト・モチイフは未だ完全に示されてはゐない。「私」はまだ彼女の身分を知らずにゐるのである。
 大體、以上の三つのものを「失はれた時を求めて」の主な構成としてクレミユは擧げてゐる。
 以上のやうな構成を持つところの十三卷の此の小説は大體年代を追つて主人公の見聞を語つてゐると言つてよい。その中で唯「スワンの戀」の一卷だけが年代順からはみ出してゐる。その卷には第一卷の「コンブレエ」において「私」の家をときをり訪れる奇妙な客としてちよつと顏を出してゐるスワン氏の過ぎし日の戀が物語られてゐる。そしてその物語は先きに書いたやうに「コンブレエ」よりも何年か前にさかのぼつてゐる。――しかし、これは何もプルウストの氣まぐれによつて插入されたわけではあるまい。スワンは「私」の上に大きな影響を與へた人物だ。だからそのスワンと云ふ人物を精細に描いて置くことは後に「私」の性格を語るためにも無駄ではない。それに小説全體の構圖から見ても、この「私」の生れない前のスワンの戀物語のあるために非常に奧行の深くなつてゐる感じがするのである。
 プルウストは青年時にラスキンにすこぶる傾倒してゐた。そしてその頃この優秀な美術批評家に關する研究や若干の飜譯などを發表したりしてゐた。後年のプルウストの中にラスキンの影響として見出されるのは、彼のカテドラアルに對する強い愛着であらう。彼の友人は彼がしばしば病を冒してまで彼の愛する古教會を巴里の郊外に見に行つたことを書いてゐる。彼は又しばしば、現代におけるカテドラアルの死を嘆いてゐるが、恐らくさう云ふ熱烈な愛好が彼をして、かかる文字によるカテドラアルとも云ふべき、壯大なモニュマンタルの作品を企圖せしめたのかも知れぬ。

底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
初出:「リベルテ 第二号」
   1932(昭和7)年12月1日刊
※初出時の表題は「文學的散歩――プルウストの小説構成」、「狐の手套」野田書房(1936(昭和11)年3月20日)収録時「「狐の手套」の「二」」と改題。
入力:tatsuki
校正:岡村和彦
2013年1月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。