レエモン ラジィゲ

「何よりもまづ獨創的であれ。」しばしば發せられるこの忠告は、凡庸な詩人たちのところでのみ役に立つ。凡庸でない詩人たちはそれを必要としないのだ。そして多くの凡庸な詩人たちがダダの亞流になつた。何よりも獨創的にならうとする努力、そこに今日の詩人たちの共通の弱點――奇矯にすぎること――があると言つてよい。ところでそれとは反對に、ラジィゲは我々に忠告するのだ、「平凡であるやうに努力せよ」と。
 平凡であらうとする努力、これくらゐラジィゲの作品を貴重にしたものはなかつたのである。
 ラジィゲの持つてゐる平凡、――この一點を中心にして僕は大きな感動をもつて一つの圓周を描かう。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 ラジィゲは一九〇三年六月十八日に生れ、そして一九二三年十二月十二日に二十で死んだ。
 ラジィゲは死んだが、それと同時に、彼の詩人としての生涯は始まつたと言つてよい。何故なら彼は三册の著書を殘して行つたからだ。一つの詩集「火のやうな頬」と、二つの小説「憑かれて」と「ドルジェル伯爵の舞踏會」と。そしてその詩集は人々をして彼のことを「二十世紀のロンサアル」と呼ばしめるに充分であつたし、十六と十八の間に書いた「憑かれて」はコクトオによつてコンスタンの「アドルフ」に比せられ、十八と二十の間に書いた「ドルジェル伯爵の舞踏會」は「一九三五年を豫想してスタンダアルによつて書かれた『プランセス・ド・クレエヴ』だ」と評されてゐるほどである。
 だから世間が彼のことを神童扱ひにするのは無理もない。だが彼は「神童」といふレッテルを貼られるのをひどく厭がつた。そして彼はそれについて抗議までした。「年齡なんか何でもないのだ。ランボオが僕を驚かせるのは、ランボオの作品であつて、彼がそれを書いたときの年齡ではないのだ。すべての偉大な詩人は十七で書いた。最も偉大な詩人はそれを忘れさすことの出來た人達だ。」コクトオもまた「ドルジェル伯爵の舞踏會」の著者を辯護して「日附のない本の年齡のない著者」と呼んでゐる。
 僕はラジィゲの「神童」といふ言葉に對する嫌惡を理解できる。彼は「神童」といふ言葉の含んでゐる早熟さ及び異常さを彼自身の才能に結びつけられることを恐れたのだ。なるほど、ラジィゲの才能には、「神童」特有の早熟さとか異常さとか云ふものは少しもないのだ。コクトオの言ふやうに、彼がランボオよりより以上に我々を驚かすのは、その異常さの皆無によつてだ。ラジィゲの才能は一見すると平凡のやうに見えさへするのである。
 さういふラジィゲの祕密を見拔くために、僕は「舞踏會」の中から彼の一句を引用しよう。
「すべての年齡はその果實を持つてゐる、それを揉ぎとることを知らなければならぬ。だが、青年等は大人にばかりなりたがる、そして彼等の前に差し出されるものを輕蔑するのだ。」
 ところで、ラジィゲは自分の年齡を正確に知つてゐたのだ。彼の作品は、それを書いた彼の年齡のよく熟した果實だつたのだ。そしてそれには少しも未熟なところがなかつたのである。
 我々は、大人にばかりならうとしないで、我々自身の年齡を正確に知らなければならぬ。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 僕はさつき「最も偉大な詩人はそれを書いた年齡を忘れさすことの出來た人達だ。」といふラジィゲの言葉を引用した。そして年齡を忘れさせるためには、年齡を正確に知ることが大切であるといふ結論に達した。この結論は我々に、我々がどうしても我々自身の年齡から逃れ得ないことを示してゐる。
 ラジィゲは彼の年齡の果實を揉ぐことによつて、「神童」特有の異常さからは逃れ得た。しかし彼も、彼の年齡に特有な「羞恥」からは、「隱し立て」からは逃れ得なかつたことを、僕は告發する。それから又、その「羞恥」とか「隱し立て」から彼の作品の大きな特色が生れてゐることをも。
「憑かれて」にしろ、「舞踏會」にしろ、僕がラジィゲの小説を讀んで最も深く感動したところは、それが純粹の小説であることにある。即ち、その中で作者は少しも告白をしてゐないのだ。さういふ少しの告白もない、すべてが虚構に屬する小説こそ、僕は純粹の小説であると言ひたい。そして僕は近頃さういふ小説にだけしか興味を持つてゐないことを告白する。そこでラジィゲの小説だが、ことに「舞踏會」のごときはそれの有する純粹な、そして露骨なくらゐの心理解剖によつて、實に僕を感動させたのである。それと同時に、僕はさういふ純粹な小説を書いたラジィゲの製作心理に考へを及ぼして行つたのであるが、そこで圖らずもラジィゲの偉大な「羞恥」に觸れた。そして「羞恥」といふものがいかに貴重であるかを僕は始めて知つたのである。
 ラジィゲが「乾燥セツク」であるといふ世間の非難に對して、コクトオは答へた。「彼は固い心臟をもつてゐた。そのダイアモンドの心臟はごく僅かな接觸には反應しなかつた。それには火か、他のダイアモンドが必要だつたのだ。」
 僕の意見によれば、乾燥は彼の表側であり、羞恥は彼の裏側なのだ。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 ラジィゲが生きてゐたのは、丁度、戰爭から歸つたばかりの、疲勞した、そして彼等にとつてはすべてが墮落の機會であつたところの、青年達の間だつた。ラジィゲは彼等の眞中を通り拔けた。しかし彼は彼等の生活には仲間入りしなかつた。そしてひどい近眼の彼は、片目金ごしに、その固い視線を、「存在を分裂させるやうなリズムをもつた音樂に、意識を失はせるアルコールに」身をまかせてゐる彼の友人達の上に注いでゐた。彼の生眞面目な、子供らしい顏の上には、一種の我慢できないやうな表情が浮んでゐた。
 さういふ無秩序の中にあつて、ラジィゲのやうに平靜な態度を持し得たことは何といふ劇的效果だ!
 ラジィゲの「舞踏會」とポオル・モオランの「夜開く」とを比較するがよい。ポオル・モオランは社會の無秩序そのものを忠實に描寫した。しかしラジィゲはモオランのやうに無秩序の前に頭を下げなかつた。勿論、彼も正確な心理解剖をするためには、人物をそれの屬する社會の額縁の中に入れなければならないことは百も承知してゐた。だがそれは風俗描寫そのもののためにではないのだ。「ある感情の展開に必要なアトモスフェア」を作り出すためになのだ。
 だからそこにラジィゲのやうな靜かな藝術が存在し得たのである。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 ジャック・リヴィエェルはラジィゲの心理解剖に「新しい發見」のないことを非難してゐるさうである。なるほど、ラジィゲの心理解剖にいはゆる「新しい發見」はないかも知れない。そしてそこにあるものは恐らく普通の心理だけであらう。だが、普通の心理がこれくらゐ正確に、そして高尚に描かれたことは嘗て無かつたのだ。そしてそれだけが、ラジィゲの小説にあつては、問題だ。
 彼が「舞踏會」の中で書かうとしたところのものを知るために、我々はその書出しの數行を讀まう。
「ドルジェル伯爵夫人のそれのやうな心の動きは時代遲れなのだらうか? このやうな義務と優柔不斷との混合は、今日では殆ど信じがたく思はれるかも知れない。……それは寧ろ、放蕩無頼ほどの面白味を與へて呉れさうもないからと言つて、我々が純潔さと云ふものにあまり注意を向けてゐないからではないか? が、純潔な魂の無意識的なからくりは、惡癖の組み合せよりも、もつと特異なのだ。」
 そしてこの「舞踏會」が我々を感動させるのは、それに描かれてゐるごく普通な感情の特異さによつてだ。
 そしてそこにいはゆる「古典主義」なるものを發見したいものは勝手にするがいい。
 今日の作家達はあまりに「心理の新しい發見」をのみ心がける。それが彼等の作品をしてあのやうな異常さに導くのだ。そして我々の周圍には恐るべき誇張とデカダンスとの作品が積み重ねられてゐる。我々はそれから逃れるためには、先づラジィゲの平凡さを理解する必要があるやうだ。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 ここにラジィゲの書いた斷片の一つがある。
「……我々は數人のフランス的な藝術家をもつてゐる。畫家たちは親密な對象を描く。音樂家たちはモンマルトルの縁日を散歩する。詩人たち(私は二三人知つてゐる)はもはやアメリカを發見しない、そして常套句は彼等を恐れさせない。一つの機械は他の機械を追ひ出す。やがて、機關車が人生から出て行くだらう。日曜日、博物館に、より速力のある機械によつて取り換へられた機械を見るため、子供たちを連れて行く。ロマンチスム時代に「ゴシック」といふ言葉が意味してゐたところのものを、今日では「モダン」といふ言葉が意味してゐるのだ。そしてヘンリイ・ビドウ氏がいみじくも言つたやうに、『アメリカン・バア、タンゴ、マオリ族の刺青が我々の時代に於けるのは、月光、廢塔、トゥルバドゥル詩人の胡弓がロマンチスムに於けるごときものだ。そしてロマンチックな大作品の中にはそれらを思ひ出させるやうなものは殆ど何もないのである。』
 ミュッセはロマンチスムを氣にしないで彼の作品を書いた。同樣にジャン・コクトオはモダアニスムを狙はないで書く。彼には薔薇を嗅ぐことを許されるに充分な新しさがあるのである。」

          ※(アステリズム、1-12-94)

 ラジィゲは病院で「舞踏會」を校正しながら死んだ。人は死ぬ前にはあらゆるものを知り得る、といふことはどうも眞實のやうだ。ラジィゲはその好い例である。あらゆる人間の心理を見拔いてゐなかつたならば到底書けなかつたであらうと思はれる「ドルジェル伯爵の舞踏會」は確かに死に値ひするものだつたのだ。僕等は彼の夭折をいたづらに嘆くのを止めよう。
 ラジィゲ自身もまた彼の死を豫感してゐたらしい。
 彼は死の三日前に、枕元にゐたコクトオに、彼の最後の言葉を云つたのである。
「あと三日すると僕は神樣の兵士達に銃殺されるんだ。」

附記。この小論文はアンリ・マシス氏に負ふ所の多いものである。

底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
初出:「文学 第五号」第一書房
   1930(昭和5)年2月1日刊
※初出時の表題は「レエモン ラジゲ」。
入力:tatsuki
校正:岡村和彦
2013年1月17日作成
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