ほととぎす

われぞげにとけてらめやほととぎす
  ものおもひまさりこゑとなるらん
              蜻蛉日記

「昔、殿のお通いになっていらしった源の宰相なにがしとか申された殿の御むすめの腹に、お美しい女君が一人いらっしゃるそうでございます。その女君なんぞをお引き取りになられては、如何なものでございましょう? なんでも今は、お二人共、しょうとに当られる禅師ぜじの君の御世話になられ、志賀のふもとに大層心細いお暮らしをなすって入らっしゃるそうでございますが……」
 やっと春の立ち返った或日、そんな事を不意に思い出したように年とった女房の一人が、私の前で話し出した。そう、そう言えば、そんな御方の事も聞いていたっけ……と私は以前殿にそういう女の御方もあられた事など、もう殆ど忘れかけようとしていたのを、何ということもなしに思い出させられた。――なんでも故陽成院ようじょういんの御後だとか云われる、その宰相がお亡くなりになって、跡にたった一人の御むすめばかりがお残されになった時、そう云う事をお聞きになるとそのままにはお聞き過ごしになれない例の御性分から、殿はその御方を何くれとなくお世話なすっていらしったようだったが(一度などは私のところからもあるたけの単衣ひとえをその御方の許へお取り寄せになった事もあった――)、そのうちその不為合ふしあわせな御方は、御自分の本意ほいからでもなく、ときおり殿をお通わせになさっていられるらしい御様子だった。昔気質むかしかたぎの人らしく、それに殿よりも少し年上だったりしたので、それまで大ぶお躊躇ためらいなすったらしかったが、やはり何かと行末が心細くお思いなされていた折でもあろうし、そう頼もしそうにもない殿をもお頼みになるより外はなかったのかと思えば、反ってお気の毒なような位であった。しかし、殿との御仲は、恐らくその御方のお思いなすったのよりも、ずっと果敢はかないものにちがいなかった。――その後一年と立たないうちに、その御方のところに女の御子様がお生まれになったとか云う事を耳にして、或日私がそれをそれとなく殿におきすると、「そう、そんな事もあったかも知れんな」と殿はいかにも冷淡そうにおっしゃられたぎりだった。私の前なのでわざとそう素知らぬふりをして入らっしゃるばかりでもなさそうだった。そして、「どうだ、ひとつお前がその子を引き取って育ててやらないか?」などといつも子の少いのを歎いていた私に反って挑まれるように仰ゃられるのを、私は胸を刺されるような思いで聞いていた事も、今、ひょっくりと思い出す。しかし、そんな一昔前の自分と言ったら、只もう自分の不為合せな事ばっかしで胸を一ぱいにしていて、自分のほかにもそんなおいたわしい御方さえいらっしゃる事なんぞ、知らずにいられたら知らずにいたい位だった。……
 そういう一人よがりな私であったのに、それがこの頃、身も心も衰え出しているとでも云うのか、ときおり見る夢までが妙に気になってならない程で、行末なども何かと心もとなくて、自分が死んだ跡には道綱みちつなだけがただ一人ぎり頼りなく残されることを思うと気がかりでならなかった。数年このかた物詣ものもうでなどするにつけてもどうかもう一人ぐらい女の子でもお授け下さるようにとお祈りし続けていたが、だんだんそんな望も絶えた年頃になり、もうこの上は何処からかいやしくない腹の女の子でも引き取って、それを養うよりほかはあるまいなどと、誰れかれにともなく私はそんな事を言い言いしていたのだった。……
 ――私は、恐らく殿なんぞにももう忘れられているかも知れないような、その不遇な少女を自分が引き取ってもいいような事を言うと、私にその話をした女房はすぐ伝手つてを求めて問い合わせて呉れたが、その日かげの花のように誰にも知られずにこっそりと大きくなった少女はもう十二三ぐらいになっているそうだった。そんないたいけな子だけを相手に、その不為合せな御方は、志賀の東の麓に、近江の湖を前に見、志賀の山を後ろにした、寂しい里に、言いようもなく心細く明し暮らして入らっしゃるとかいう事だった。その二人のお身の上をつぶさに聞けば聞くほど、何か私も身につまされて、そう云うお暮らしではさぞその御方もこの世に思いの残るような事ばかりであろうと思いやられるのだった。
 その人の異腹の兄だという、その禅師の君はいま京に住まっておられた。その禅師の君と、その話を持ち出した女房とが昵近じっこんの仲だったのである。で、すぐその禅師の君に話をしに往ってくれたが、「それは何よりな事です。早速志賀の里へ往って、お話をして参りましょう。どうも世の中があまりに果敢いようなので、いっその事尼にでもさせようかと思って、あちらへ遣ってあったのですから――」と云うこころよい返事だった。それから二三日後、その禅師の君は志賀の山を越えて往ってくださった。たまにしか訪れることのない、そんな異腹の兄がそうやって突然訪れていったのを、その世をびた女は何事かといぶかしそうにしていたが、その話を切りだすと、はじめのうちは黙って聞いて、なんとも言わずに只泣いてばかりいたけれど、ようやく口を開いてこう云う返事をした。「わたくしはもうこれぎりの身と思い、自分の事なんぞはとうから諦めておりますが、ただ一しょにいる此娘がこのままではあんまり不便ふびんで、なんとか為様しようはあるまいかと思って居りました。まあ、そう仰ゃってくださる御方がおありなれば、どうぞあなた様のよいようにお極めなすって下さいまし……」――そう云うその人の御返事だったという事を、その翌日京へ帰った禅師の君から聞いて、その女房は私のところへ来て、一部始終を繰り返し、「本当に好うございましたこと。そう云う御宿縁でもございましたのでしょう。が、何よりもまあ、そのお気の毒な御方のところへ、御文をあなた様から早速差し上げなさらなければ――」と言うのだった。私も先ずそうしたいと思っていたところだったから、その日の夕ぐれ、その志賀の御方のところへ最初の消息をしたためた。「かねがねよりあなた様の御ん事はお聞き及びしておりましたが、これまではついぞ御消息も差し上げませんでした。突然、こういう私のような者からこんな無躾ぶしつけなことを申し出されて、まことに思いがけなく思し召されたでもありましょうけれど、禅師様がわたくしの日頃よりの心細い憂えをそこもとへお伝えなさいましたのを心よく御承引おうけひき下さいました由、ほんとうに心から嬉しゅうございました。何かと遠慮いたされまするかるもういでゆえ、ずいぶん躊躇もいたしましたけれども、いろいろとそちらの御様子などお聞きいたし、しやそんなおいとしい御子様をもお手放しなされはすまいかと思いましたものでございますので――」などと心を入れて認めたのであった。
 御返事は翌日来た。長い御消息だった。養女の件は「喜んで」などといかにも心よい返事をして下すったが、その同じ御消息の中に、以前殿とおかたらいになられた日頃の事なんぞを何かと思い出されて細々こまごまと書かれてあった。自分なんぞの想像以上に不為合ふしあわせであられたらしいお身の上には、何かと胸を打たれるような事のみ多いのだった。「いつのまにやら目の前を霞が一ぱい立ちこめましたようで、筆の立所たちどもわかりませず、たいへん見苦しい字になったようでございますけれど――」と最後を結ばれてあるのも、いかにもその御方らしい真実な感じがあるように思えた。
 それからも二度ばかりその御方と長い消息をとりかわし、とうとうその少女をわたくしの養女とする事になったので、又禅師ぜじの君が出向いて往かれて、その少女を志賀の里からともかくも京へ連れて来られたのだった。
 その事を聞くと、自分の愛娘まなむすめをそうして京へ出立させて、いよいよ寂しくなられたその御方のお心の中はまあどんなであろうかと、それからそれへと尽きせずお思いやりしていたが、「それにしても、あんなに気弱そうな御方をこのように決心させたのも、しかしたら殿がその女を御世話くださるような事にでもなりはしないかと思われなすったからかも知れない。そう思って入らしったとしたら、私なんぞのところへお寄こしになったって、殿はこの頃こちらへもあまりお見えにならないものを」などと、こうしていつまでも殿との仲を絶とうとしては絶たれずに中途半端な暮らし方をしている意気地のない自分の事が反省せられ、こう云う自分とも知らないでたくせられて来るその少女までがかわいそうな気もしたが、それもいまさら詮ない事、一旦こうと契った上はもはや取り返すことは出来ないと思われるのだった。
 この十九日が日が好いというので、道綱にその少女を迎えに往って貰うことにした。出来るだけ目立たぬようにと、只、網代車あじろぐるまの小ざっぱりとしたのを用意させて、それに馬に乗った男共を四人、下人を数人だけ附添にした。やがて道綱は、自分の車のうしろにこんどの仲人役の女房を載せて、出かけて往くことになった。
 丁度皆の出かけようとしている所へ、殿から珍らしくも御文があった。何だかこちらへ入らっしゃりそうな御様子にも見えるので、きょう殿にいきなりその養女を見られてはしようがない、まあ暫くは知られないようにして、なりゆきに任せて置いた方が好いと思うものだから、出来るだけ急いで連れもどるようにと皆に言いつけた。
 しかしそうやって急がせた甲斐もなく、それより殿が一足先きに来てしまわれた。まあ、どうしようかしらと思い惑っているうちに、やがて皆も帰って来たようだった。殿は少し不審そうにしていらしったが、道綱が、狩衣姿かりぎぬすがたではいって来るのをお認めになると、「大夫たいふはどこへ行っていたのだ?」とおきになった。道綱は、さも困ったような様子で、何かと苦しそうに言い紛らしていた。私は側からそれを見るに見かねて、いずれ一度は殿にも打ち明けなければならない事なのだからと思って、「実は、私どもの身よりが少くて、あまり心細うございましたので、或る御方に棄てられました子を貰って参ったのでございます」と言葉のうらに少し皮肉をめながら言った。
「それは見たいな」と殿はしかし上機嫌そうにおっしゃって、それからふと私の顔を見据えるように「一体、誰の子なのだい?」と小声になって訊かれたが、私が相変らず笑っているような、いないような目つきをしているのにっとお気がつきになると、急に御自分も目をかがやかせられながら、「だが、まさかおれがもう年を取ったので、代りに若い奴を手に入れて、おれなんぞは追い出そうと言うのじゃあるまいなあ」と言われた。
「御目にかけてもよろしゅうございますが――」と私もそれについ釣込まれてほほみ出しながら、「――でも、御子様にして下さいますか?」
「いいとも。そうしようではないか。――だが、まあ、どんな奴だか早く見せてくれ」殿はいかにも好奇心をおさえ難そうにかせられた。私も私で、まだ一目も見ないその少女が見たくてたまらなかったので、すぐにこちらへ来るようにと呼びに遣らせた。
 その少女は十二三と聞いていたが、その年にしては思ったよりも小さくて、まだいかにも子供子供していた。近くへ呼び寄せて、「立って御覧」と言うと、素直にすぐ立って見せたが、身丈みのたけは四尺位で、いかにも姿のよい子で、顔なども本当に可哀らしかった。只、髪だけは、幼少の折からの辛苦がそこにまざまざと見られでもするかのように、大ぶ抜け落ちて、先きの方ががれたようになってい、身丈には四寸ばかりも足りなかった。
 そういういとけない少女を殿はつくづくと見入っていらっしったが、「可哀らしい子じゃないか。一体、誰の子なのだ?」とあらためて私の顔を見据えられた。
「本当にお可哀いとお思いなされます?」と私は言いながら、「では、お明かししてもよろしゅうございますけれど――」と静かにほほ笑んでいた。
 殿はとうとうこらえ兼ねたように言われた。「早く教えてくれ」
「まあ、おうるさいこと」私は急にすげなさそうに言った。「まだお分かりになりませんの? あなたの御子様ではありませんか」
「何、おれの子だって?」殿は側で見ているのもお気の毒な位、おあわてなすった。「それはどういうのだ、何処のだ?」
 私はしかし、相変らず、冷やかにほほ笑んでいるぎりだった。
「いつかお前に貰ってやらないかと言った、あの子か?」殿はそれを半ば御自分に向って問われるように問われた。
「さあ、その御子様かも知れませんが……」
 殿は、そういう私には構わず、一層しげしげとその少女を見入られていた。「やはりあいつらしい。――だが、あいつがこんなに大きくなって居ようなどとは夢にも思わなかった事だ。いまごろ何処をうらぶれていることだろうかと、ときおり急に気になり出すと、もうたても溜らない位だったが……」そう云う御声はだんだん震え出してさえいられた。
 少女はそこに泣き伏していた。それを見ていた側近の者共も、そんな物語にでも出て来そうな奇しい邂逅かいこうには泣かされない者はいないらしかった。――そういううちでも私だけは、まるで涙ももうれてしまったとでも云うように、そしてそんな自分自身をも冷やかに笑っているより外はないかのように見えた。
 やがて、殿が何度となく単衣ひとえの袖を引き出されては御目を拭われていらっしゃるのを、私は珍らしい物でも見るようにそのまま眺めていたが、それから漸っと言った。「もうお歩行あるきのついでにもお立ち寄りにならなくなったような私なんぞの所へ、こんなに可哀らしい子が参りましたけれど、これからはどう遊ばします?」
 暫く殿はなんともお返事なさらずにいた。が、ようやく顔をお上げになった時は、もういつものように私に挑むように目を赫かせていらしった。そして殿は「いっその事おれのところへ連れて往こう。――なあ、小さいの」と言いながら、少女の方へふり向かれた。少女はどうしてよいか分からず、いかにも当惑しきったように、しかし顔だけはあでやかにほほ笑んで見せていた。……
 翌朝、殿は少女を又お呼び寄せになって、髪などをしきりに撫でておられた。そうしてお帰りぎわに、「さあ、これからおれの所へ一しょに往くんだよ。いま、車をこちらへ寄せさすから、そうしたらさっさとお乗り」などとそんな小さな子にまで揶揄からかわれていらしった。少女はただもう困ったように袖を顔にしていた。殿はそういう少女の可憐な様子を、心残りそうにかえり見られがちに、帰って往かれた。
 それからは御文を寄こされる度毎に、端にきまって「撫子はどうしているか」などとお書き添えになられるのだった。「山賤やまがつの垣は荒るとも」などと云う古歌を思い出されてか、そんな撫子なでしこなんぞとあわれな名をいつのまにかお附けになっていられるのも、本当に心憎いほどなお思いやりだこと。あいにくそれから殿も御物忌おものいみつづき、こちらも何かと物忌がちで、殆ど門もとざしたぎりなものだから、入らっしゃろうにも入らっしゃれず、そういう御文を毎日のように、門の下から差し入れさせて往かれるのも、それだけでもまあ大層なお心変りのように見える。

 それから十数日ばかり立った或日のひつじの刻頃、「殿がお見えです」と言い騒いで、にわかに中門を押し開けなどしているところへ、車ごとお這入はいりになって来られた。
 車の傍に男共が数人寄っていって、ながえをおさえながら、みすをまき上げると、中から殿はお降りになられて、いきなり「綺麗だなあ」とおっしゃりながら、いまを盛りと咲いている紅梅を見上げ見上げ、その下をしずかにお歩きになって入らしった。
 そしていつになく上機嫌そうにして入らしったが、あいにくあすは方塞かたふさがりになっている事を申し上げると、「そんならそうと、なぜ先に知らせて置いて呉れなかった」といかにも不満そうに仰ゃられた。「しそうお知らせして置きましたら、どうなさいました?」と私はつい言わなくともいいのに言いかえした。「むろん方違かたちがえをして来たさ」と殿も殿で、あんまり見え透いたような事を仰ゃるものだから、こんどは私も少しばかり気色を顔に出して、「それほどのお気持がおありなさいますかどうか、今後に試めさせていただきます」と応じた。
 そんな小さな事から、又いつものように不和が高じそうになって来たので、殿はすこし気むずかしい顔をなすっていられたが、やがてこないだの少女が呼ばれて来ると、やっと又上機嫌になられて、側にお呼び寄せになり、髪などを撫でられながら、「この子には手習や歌なんぞよく仕込んでやってくれ。そういう事は、お前になら任せて置けるからな。――まあ、もうすこうししたら、向うの家の奴なんぞと一しょに裳着もぎの祝をしてやろうよ」などとたのしそうに御相手をせられていた。そのうち日が暮れ出したので、「おなじ事なら院へ参ろう」と言い出され、又皆を騒がせて車にお乗りになり、帰って往かれた。
 殿をお見送りした後、一人ぎりになって、私はそのままいつまでもその暮れようとしている庭面にわもをぼんやりと見入っていた。一種言うに言われないほどの好い匂が、ときおりその夕闇のなかに立って、それがまだ鶯なんぞをつかせないでいるらしい。西にしたいあたりから、それにまじって、つい今しがた少女の習い出したらしい琴の幼い調べが途絶えがちに聴えて来る。――私はふとこんな美しい春の夕をさえあの御方はまあ山里にお一人でどうして入らっしゃるだろうかと思いやった。あたりのいかにも充ち足りたような、ものうい位の、なごやかさが、反ってそういう悲しみの多い人のお気の毒な身の上を、その一々の悲しみをまで、残酷なほど鮮かに、生々いきいきと私に描かせていた……

 この春は、祭や物詣ものもうでなどにその少女が珍らしがって往きたそうにしているので、そう若いものばかりだけを出してやることも出来ないので、私も連れ立って一しょに出かける事もつい多かった。
 しかし又春の末からは何かと物忌が重なり、家にもりがちだったけれど、去年までは家の柱などに御守札などを押し付けてあったりするのを目に入れると、この夢ほども惜しいと思われない生をさも惜しんでいるかのような気がされて、自分らしくない事だと心苦しかったが、今年はどういうものか、そう云う厄除やくよけのようなものすら無関心に見過ごされ、何事もないように静かに忌にこもっていられるようになった。それもこの少女のために気がまぎれるのかと思って、私は毎日のようにその少女を相手に歌を詠んだり、手習をさせたりしていた。
 殿もこの頃は物忌がちなので、お泊りになることは少ないが、よく昼間などお見えになる。そんな昼なんぞ、もう自分の老いかかった姿を見られるのははずかしいようだが、どうにも為様しようがないので、少女を自分の側から離さぬようにして物語のお相手などしているが、いつも派手好みで、匂うような桜がさねの、綾模様あやもようのこぼれそうな位なのを着付けていらっしゃる殿にむかっていると、いまさらのように自分の打ちとけて、しおたれたようななりをした姿がかえり見られ、可哀いさかりのこの撫子のために、こうしてわざわざ入らっしゃればこそ、さぞ自分は殿には見とうもなく思われたろうと悔やまれがちだった。
 葵祭あおいまつりが近づいた。その日になると、私は若い人たちを連れて、忍んで出掛けていった。暫く祭の行列を見物しているうちに、なかでも一きわ花やかに先払いさせながらやってくる御車があったので、どなたかしらと思って注意をして見ていると、その前駆の者共のなかに幾人も見馴れた顔があった。「矢っ張、殿だ」と思いながらも、自分達の車のまわりで「あれはどなた様でしょうか……いままでの中でも一番御立派なようだ……」などと人々がざわめいているのをそれとなく耳に入れていると、こうして忍んだ姿で来ている自分達が一層みすぼらしいような気がされてきてならなかった。簾をすっかり捲き上げられたまま、きらびやかにお通り過ぎになって往かれたが、車上の人はまぎれようもなく、あの方だった。――が、まあ何ということか、あの方はすぐ目の前をお通り過ぎになられながら、その瞬間私達の車をお認めになられたかと思うと、ふいと扇で顔をお隠しになられて、そのまま其処を通り過ぎて往かれてしまったのだった。
 車の奥ぶかくに自分と一しょにいた撫子にもそれは気がついたにちがいなかった。私がそれについては何んとも言わずに黙っていると、少女も心もち蒼いような顔をしながら、しかし車上の殿なんぞは見もしなかったような風をしていた。その少し蒼ざめた顔色は、家に帰るまで、直らなかった……
 夕方、そんな事がらずらずのうちに帰りを早めた私達の車よりか、ずっと遅くなってから、道綱の車が帰ってきた。
 なんでもその祭の帰りぎわ、混雑をきわめた知足院のあたりで道綱の車は一台の小ざっぱりとした女車のうしろに続き出したので、そのままその跡を離れぬようにして附けて往くと、向うでもそれに気がついたらしく、家を知らせまいとするのであろうか、ずんずん車を早めて他の車の間に紛れ込もうとするのを、とうとう最後まで附けて往って、その女の家(大和守のむすめだとか……)をつきとめて来たとか云う話だった。――その小さな冒険は、内気一方に見える道綱にも少からず気に入ったらしかった。そうしてその跡を附けて往った車の若い女のことを、その姿を見もしないのに、何んとなく懐しくおもめているように見えた。
 あくる日になって、何を思われたか、殿から御文を寄こされた。しかし、きのうの出会には一切お触れになっていなかった。私はその返事の端にすこしねたように、「きのうは大層まばゆいばかりのお出立いでだちだったと皆が申しておりますが、どうして私達にだけはお見せ下さらなかったのですか。本当に若々しいなされ方でしたこと」と書いてやったら、すぐ折り返し、「あれはおれの姿が老いぼれていて羞しさのあまりにした事なのだ。それをまた、けばけばしい姿なんぞと誰が言っているのか」などと書いて来られたが、よくもまあそんな空々そらぞらしい事が仰ゃれたもの。

 そんな葵祭あおいまつりが過ぎてから、殿は又かき絶えたように入らっしゃらなくなった。
 道綱は、この頃、しきりに例の大和守のむすめもとへ文をやっては、内気な子だから、女の方の返事の思わしくないのを、一人でもどかしく思っているらしい。私にはまだ何も打ち明けてくれないので、こちらも何も言わずに見ているよりしようがない。日ねもす何か憂わしげな様子で庭面にわもなど眺めながら暮らしているかと思うと、次ぎの日は小弓の遊びなどに出かけて往って、きょうは上手に射たなどと帰って来るなりその日の模様をはしゃいで皆に話したりするのだった。
 撫子の方はまた撫子で、ようやく世の中と言うものが分かりかけて来た少女らしく、あれから何か私に気を置いて、つとめて顔をさえ見合わせないようにしている。小さい心に過ぎていろいろ思っている事もあろうかと、いたいたしいような位。――私はもうこのまま殿がいつお絶えになろうとも、自分自身は思い残すような事もあまりあるまいと思われたが、只、こうしていろいろな夢をいだいて私のところにやって来たでもあろう撫子がまあどんなに胸のつぶれるような思いをする事だろうと、その事のみが気づかわれるのだった。
 もう梅雨つゆちかいそんな或日、突然殿があの祭の日からはじめてお見えになられた。私がうつけたような顔ばかりして、いつまでも物を言わずにいると、「どうして何も言わないのだ」と、殿は私の機嫌をとるように言い出された。「何も言うことがございませんので――」と私が思わず生返事をすると、殿は急にこらえ兼ねられたようにお声を荒らげて、「どうしてお前は、来てくれない、憎い、悔やしいと、おれを打つなりつねるなりしないのだ」などとお言い続けになった。私はしばらく打ち伏したまま無言で聞いていたが、ややたってから、やっと顔をもたげ、「わたくしの方で実は申し上げたかった事を、そのように何もかも御自分でおっしゃられてしまいましたので、もう私の申し上げたい事はなくなりました」と言いながら、私はいつか自分がいかにも気味よげにほほみだしているのを感じていた。
 その日はそうやって一日中、二人共、むっつりとし合ったままでむかっていた。殿は撫子を呼びにやられたが、撫子までがきょうは気分が悪いと言ってとうとう出て来なかった。殿はますます苦々しげな御顔をなすって入らしったが、それでも何かがお心残りのようにすぐにはお立ちにもならず、日暮れ近く、ようやくお帰りになって往かれた。

 しばらく此日記を附けずにいた。みずから進んでそれを附けたいような気にもならず、又、それを附けずにいることが気にもならなかったので、そのまま放っておいたのである。もともと、ながらく途絶えていた此日記を再び何んと云うこともなしにこの頃附けはじめていたのは、前のように自分で自分を何んとかしなければならないと言った、切迫した気持なんぞからではなかった。只、あれほど自分の事だけでぎりぎり一ぱいになっていた私が、こうしてあの方に棄てられた女の子を養うような余裕のある心もちにまでなり出したのが自分にも不思議な位で、それで筆をとり出したのだが、矢っ張、此日記を私に書かせたものは、あの方への、又、自分自身への一種の意地であったかも知れぬ。しかし、そういう気もちもだんだん無くなりかかっている現在、その日記がこうして終るともなく終ろうとしているのも当然であるのだろう。此日記にいつかまた別の弾んだ心で向えるような日の来るまで、しばらくそれを仕舞っておくため、私はいま、この物憂い筆をとっていると言えようか。
 ここ数日、雲のたたずまいが険しく、雨が思い出したように降ったりんだりするような日が続いている。この頃はよく明け方なんぞに時鳥ほととぎすいているらしく、女房の一人が「ゆうべ聞いた」などと言うと、他の女房がすぐそれに応じて「けさも啼いていた」などと話し合っているが、人もあろうに、この私がまだこの夏は一度もそれを聞かないなんぞと言うのははずかしいような気がする程。――それほど、この頃はどう云うものか我にもなくぐっすりとてばかりいる自分をかえり見て、私は皆の前では何も言わずにいたけれど、心のうちではひそかに「自分はいくらぐっすり寐ていたって、本当に打ち解けて寐ているわけではないのだ。恐らくこの頃私自身にさえ見向きもされなくなってしまった私の物思いが、毎夜のように自分のうちから抜け出して、時鳥となり、あちらこちらを啼き渡っているのだろう」などと考え考え、そんな負けず嫌いな気もちを歌によんだりして、わずかに悶をっていた。しかし、それを誰に見せようでもなく、私はそこいらの紙に書き散らしては、それがそのまま失せるもよいと思っていた。……

 もう一年余もひらかなかった此日記を取り出して、それにまだこう云う気もちではついぞこれまで向った事もないようにさえ見える、心のときめきを感じながら、いま、夜の更けるのも私は知らずにいる。自分にとって附けても附けなくとも好いようなものになりかかっていた此日記を、再びこんな切ない心もちで手にとる事があろうとは、夢にも思わなかった事である。
 かんきみがお立ち去りになって往かれたのは、もう余程前のことであろう。その跡、私はながいこと、灯をそむけたまま、薄暗いなかに、ひとり目をつむっていた。いつまでもそうしながら、自分でも何をとははっきりと分からないようなものを考えで追い続けていた。そしてその自分でもはっきりとは分からないもののために自分の心が切ないほどらいでいるのを、私もまた切なくそれを揺らぐがままにさせていた。……
 暫くしてから、私は観念したように閉じていた目をやっと見ひらき、出来るだけ心を落着けるようにして、自分の前にこの日記を置いた。

 一生受領ずりょうだった父が、私のためにいろいろと気づかって呉れて、私達をいまの中川のほとりの住居に移らせて下すったのは、去年の秋の半ば頃だった。殿が私のためにあてがって下すっていた、これまでの家はますます荒れ放題に荒れてきて、もう住み難いばかりになっているとは言え、父の勧告に従って其家を去ってしまえば、同時に殿との間もこちらから絶やすも同様になるので、最近わざわざ志賀の里から引きとったばかりの養女の事など考え、さすがにそれを自分ひとりでは決し兼ねて、まあそう言えば殿の方でどうお出でになるだろうかと、それとなくその移居の事をほのめかすように殿にお伝えして置いたのだった。けれども、殿からはその事については何んとも御返事がないばかりか、この頃は例の近江とかいう女の許へばかり繁々とお通いになって入らっしゃると云うお噂を耳にしたので、私はいよいよもうこれまでと思い、殿にはなんともお断りせずに、父の言うとおりに中川の家に移ったのだった。大層山近く、河原に沿うた、ささやかな家で、本当にこんなところにこそ住いたいと年頃思っていたような住いであった。――其処へ移ってからなお二三日は、殿はまだそれをお知りになった様子もなかった。ようやく五六日立ってから、「どうしておれに知らせてくれなかったのだ」と御文をもうわけのように寄こされた。「お知らせいたそうかとも思いましたが、こちらはあんまり片寄った処でございますので。本当に、せめてもう一度なりと、もとの処でお会いいたしとうございました」と私が気強くすっかりもう仲の絶えたようにして返事を差し上げると、殿の方でもお怒りになったかのように、「そうか、そんな不便な処ではおれには往かれそうもない」と言って寄こされたぎりだった。それからそのまま、私達はとうとう仲が絶えた形になった。
 九月、十月とたち、早朝などしとみを上げて見出すと、川霧が一めんに立ちこめていて、山々はふもとすら見えないようなこともあった。それほど寂しい、それほどわびしい住居に自分自身を見出すのが、私にはせめてもの気休めになった。その川を前にして果てしもなく拡がっている田の面には、ところどころに稲束いなたばが刈り干されていた。たまたま私達のもとに訪れて来るような人でもあると、その青稲をそのまま馬に飼ってやっているのも、いかにもあわれが深かった。小鷹狩が好きなので、ときおり野へ出ては鷹を舞い上がらせたりしているものの、こんなところでもって一緒に暮らすようになった道綱は、まだ若いだけ、何んだかすべてが物足らなさそうに見えた。
 そのままやがて冬になろうという頃、こちらではもうすっかり仲の絶えた気でいた殿の許から、突然、冬の着物を使いの者に持って来させて、これを仕立ててくれなどと言って来られた。「御文もありましたが、途中に落して来てしまいました」と使いの者がしきりにわけをしていたが、最初からそんなものはお持たせにならなかったのだろうと思われた。私はもう意地を立てとおす気もなく、言われるなりにそれを仕立てて、こちらからも文を附けずに送って差し上げた。その後、そんな事が二度も三度も続いてあった。なかなか仲が絶えそうで絶えないのが気になったが、それもまあこんな縫物位のためではと、私達の果敢はかなかった仲がいまさらのように思い返されたりしているうちに、その年も暮れたのだった。
 ながいこと大夫たいふの位より昇進しなかった道綱が、ようやく右馬助うまのすけに叙せられたのは、その翌年の除目じもくの折だった。殿からも珍らしくお喜びの御文を下さったりした。今度の昇進はよっぽど道綱も嬉しいと見え、いそいそとして其処此処御礼まわりなどに歩いていたが、そのつかさ(右馬寮)の長官が丁度道綱には叔父にあたる御方なので、其処へも或日お伺いすると、まだお若いその御方は非常によろこばれて、よもやまな物語の末、何処からお聞きになって知っていらしったのか、私の手許に養っている撫子の事を何くれとなくお問いになり、「御いくつになられました?」などと熱心にかれたそうだった。帰って来てから、道綱が私にその事を話して聞かせたが、私は「まあ、いくらお好色すきな方だって、こんな撫子を御覧になったら――」と答えたぎり、なんとも気にはとめなかった。
 撫子は去年志賀の里から私の許に引き取られてきた頃から見れば、だいぶ大人寂おとなさびた美しさも具え出して来てはいる。そして幼少の折からいろいろ苦労をして来たせいか、年の割には世の中の事は何もかも分かるようで、私の前なんぞでは山里に一人佗しく暮らしている母の事などを少しも恋しそうにはしない位、――だが、身体つきなどはまだ細々としていて、全体に何処となく子供子供している。初事ういごとなどはまだ遠そうである。――そういう誰の目にもつきそうもない小さな草花のように生い立っているこの少女を、まあその御方は何処からお聞きつけになって、もうそれに御目をかけられようとしているのだろう。……

 右馬頭うまのかみはその寮で道綱にお出合いなさると、話のついでにかならず撫子について同じような事を繰り返しお尋ねになるらしかった。最初は道綱も気になると見え、逐一それを報告していたが、私の方で一向取り合おうとしなかったので、しまいにはもう私には何も聞かせないようになった。ところが、或日、夜更けてから帰って来るなり、もう私のているところへ這入ってきて、「実はきょうお父う様にお目にかかりましたら、お前の寮の頭がこの頃おれをしきりに責めるのだが、お前のところの撫子はどうしているな、もう大ぶ大きくなったろう、などとおっしゃっておりました。それから寮で、かんきみにお逢いしましたら、殿から何かそなたに仰せにはなりませんでしたか、と訊かれたので、その通りにお答えしますと、頭の君はそれをどうお取りになられたのか、それでは明後日が好い日だから御文を差し上げたい、などと私に言われるのです。私は何んとも御返事いたさずに参りましたが――」と生真面目な道綱はさも困った事になってしまったようにそれを話すのだった。私はそれを一通り聞くと、「まあ本当に何を勘ちがいなすって入らっしゃるのでしょうね。まだ撫子がこんなに小さいとは御存知ないからなのでしょうよ」などと事もなげに返事をして、心配そうな道綱を去らせた。そうして私もその夜はそのまま寐た。
 さて、その日になると、矢っ張、頭の君から御文があった。「日頃からわたくしの思っておりまする事を殿にお頼みいたしておきましたが――」などと丁寧に書いて、殿からそちらへ自分で文を差し上げよと言われましたので、こうやって消息をしたためましたと言って来たのだった。私はそれを受け取って、まあ頭の君も撫子がこんなにおさない事がお分りになりさえすればと、おかしい位に思って、さしあたり返事はどうしようかと迷っていたが、いっその事この手紙を殿のところに持たせてやって何んと仰ゃるか聞いて来させようと思った。が、御物忌おものいみやら何やらでなかなかそれを殿に御目にかける事が出来ないでいるらしかった。一方、頭の君は頭の君で、こちらの返事のいつまでもないのをしきりにうらんで入らっしゃるらしかった。仲に立って、道綱は一人で殆ど困っていた。ようやく殿の御返事のあったのを見ると、「おれがどうしてそんな事をまだ許すものか。そのうち考えて置こう、と右馬頭には言って遣っただけだ。返事はお前が好いように取做とりなせ。そんな姫のいる事さえ誰もまだ知ってはいない位だのに、しそんな右馬頭でもそちらに通ったりしてみろ、お前がおかしく思われてもしようがないぞ」といかにも心外な事らしく仰ゃって来られた。そんな事を言われれば、こちらだって腹が立つ。その腹いせのように、私はつい大人げなく頭の君にも「ちょっと殿の許に使いを遣りましたら、まるで唐土もろこしにでも行ったように長いことかかって、ようやく御返事をいただいて参りました。しかしそれを見ますと、ますます私には分かり兼ねる事ばかりなので、何んとも返事のいたしようがございませぬ」と手きびしい返事を書いてやった。そんな風にいつになく腹を立てた後で、ふと気がつくと、なんでもない事だろうと思っているうちに、急にすべての事がなんだか思いもよらない方へ往ってしまいそうな危惧きぐが、其処には感じられないでもなかった。私はそれを感ずると、何がなし心の引き締まるような気もちがした。――そんなこちらの冷めたい返事にも、私のおそれたとおり、頭の君はすこしもお懲りにならず、それどころか反って熱心に同じような御文をお寄こしになり出したのだった。もうそうなると、こちらではなるべくそれに取り合わないようにしているよりしようがなかった。

 ところが、三月になり、或日の昼頃「右馬頭様がお出になりました」と言うことだった。突然だったのでびっくりしたが、私はすぐざわめき立った女房たちに「まあ静かにしておいで」とたしなめ、それを取次いだものには「好いから、いま、私達は留守だとお答えなさい」と言いつけた。
 が、そうこうしているうちに、一人の品のいい青年が中庭からお這入りになっていらしって、目のあらまがきの前にお立ち止まりになられたのがみすごしに認められた。練衣ねりぞを下に着て、柔かそうな直衣のうしをふんわりと掛け、太刀たちいたまま、紅色の扇のすこし乱れたのを手にもてあそんでいらしったが、丁度風が立って、その冠のえいが心もち吹き上げられたのを、そのままになさりながら、じっとお立ちになって入らっしゃる様子はまるで絵に描かれたようだった。
「まあ綺麗な方がいらっしゃること」奥の女房たちは、まだなんにも知らずに、なども打ち解けた姿のまま、そんな事をささやき合って、みすごしにその青年を見ようとしているらしかった。折から、その青年のえいを吹き上げていた風が、其処まで届いて、急にその簾をうちそとへあおったものだから、簾のかげにいた女房どもはあれよと言って、それをおさえようとして騒ぎ出していた。恐らくその青年に、そのしどけない姿を残らず見られたろうと思って、私は死ぬほどはずかしい思いをしていた。
 ゆうべ夜更けて帰ってきた道綱がまだていたので、それを起しに往っている間の、それは出来事だった。道綱はやっとそのとき起きてきて、「生憎あいにくきょうはみんな留守でして――」などとかんきみに言っていた。風がひどく吹いていた日だったので、先刻から南面のしとみをすっかり下ろさせてあったので、それが丁度いい口実になった。
 頭の君はそれでも強いて縁に上がられて、「まあ、円座わろうだでも拝借して、しばらくここに坐らせて下さい」など言いながら、其処で道綱を相手にしばらく物語られていたが、「きょうは日が好かったので、ほんの真似事にでもこうして居初いそめさせていただきました。これだけで帰るのはいかにも残念ですが――」と、すこししおれた様子で、お帰りになって往かれた。
「思ったよりも品の好さそうな御方だこと」そんな事を思いながら、私は簾ごしにその後姿をいつまでも見送っていた。

 それから二日程してから、頭の君は私のところへ留守中にお伺いしたびなどを言いがてら、「本当にあなた様にだけでもお目にかかって、わたくしの真実な気もちをお訴えしたいのですが、自分の老いしゃがれた声などどうしてお聞かせ出来よう、などといつも仰せられて私をお避けになるのは、それはほんの口実で、まだ私をお許し下さらぬからだと思われます」などとうらんでよこし「まあ、それはともかく、今夜あたりまたすけにだけでもお目にかかりに参りましょう」と言ってきた。暮れ方、頭の君はお言葉どおりお見えになられた。しようがないので、ともかくも蔀を二間ほど押し上げ、縁に灯をともして、ひさしの間にお通しさせる事にした。道綱が出て往って、「さあ、どうぞ」と言って、妻戸をあけ、「こちらから――」と促すと、頭の君はそちらへちょっと歩みかけられたが、急に思い返したように後退あとずさって、「お母あ様にここへはいるお許しを願って下さいませんか」と小声で押問答していた。やがて道綱が私のところに来て、それを取り次いだので「そんな端近くでも構いませんでしたら――」と返事をさせた。頭の君はその返事を聞くと、少しお笑いになりながら、もの静かにきぬずれの音をさせて、妻戸からおはいりになって来られた。
 ときおり向うの庇の間から、頭の君と道綱とが小声で取交わしている話し声にまじって、しゃくに扇の打ちあたる音が微かに聞えてくる。私どものいる簾の中は、物音ひとつ立てず、しいんと静まり返っていた。それからややあって、頭の君はまた道綱に取り次がせて、私に「こないだはお目にかかれずに帰りましたので、又お伺いいたしました」と言ってよこした。そうやって何度も間に立たされている道綱が「早く何んとか言って上げませんか」としきりに私を責めるので、私はしょうことなくて几帳きちょうの方へ少しいざり寄っては見たものの、勿論、私の方から何も言い出すことはないので、そのまま無言でいた。頭の君はいざとなって、私に何んと言ったらよいのか、当惑なすって入らっしゃるような様子だった。なお、そのままにしていたら二人の間がいよいよ気づまりになって往きそうだったので、自分がそこにいる事を頭の君が或はまだお気づきにならないのかも知れぬと思って自分がそうしたようにお取りになればいいと、私は少し咳払いをした。ようやっと頭の君は口を切った。
 志賀の里から誰にも知らさないようにしてこっそりと私のもとに引きとられた少女の事をひそかに聞き、その物語めいた身の上に何んと云うこともなしに心をかれているうちに、だんだんその未知の少女の事を心にみて思いつめるようになったなりゆきを、最初は妙に取り繕ったような声だったが、次第に熱を帯びた声になって、頭の君は語り出されたのであった。私はそういう頭の君の話をはじめから仕舞いまで、それに思いがけない好意さえもちながら、黙って聞いていたが、ようやくそれをおわり、こんどは自分が何か言わなければならない番になったけれど、やはり何んとしても私は「何を申そうにもまだ姫は大へんおさないので、そうおっしゃられるとまるで夢みたいな気がいたす程ですから――」とお答えしているより外はなかった。
 それは雨が乱れがちに降っている暮れがただった。あたり一めんをおおうように蛙の声がわたっていた。そのまま夜が更けてゆくようなので、さっきから庇の間に坐られたぎり、一向お帰りなさろうとする様子も見えない頭の君に向い、「こんなに蛙が啼いて、こうして奥の方にいる私どもでさえ何んだか心細い位ですのに。あなた様も早くお帰りになっては」と私は半ばいたわるように、半ばたしなめるように言った。
 頭の君の方では、そういう私の言葉をも反って身に沁むようにしていて、只「そういうお心細いような折こそ、どうぞこれからは私を頼りになすって戴きたいものです。そんなものなんぞ、私は少しもこわがりはいたしませんから――」といらえるばかりで、いつまで立ってもお帰りなさろうとはしないように見えた。だんだん夜も更けて来るようだし、皆の手前もあるので私は一人で困ってしまっていたが、それぎり物も言わずにいると、とうとう頭の君はお帰りなさるらしい気配を見せて、「すけきみ御祓おはらいももう間近かでお忙しいようですから、何か御用がおありになれば代りに私にお言いつけなすって下さい。これからは度々お伺いいたす積りです」と言い残しながら、っとお立ち上がりになった。
 私は何気なしにその後姿を見ようと思って、ふと几帳の垂れをかき分けながらかいま見をすると、いま、頭の君のいらしった縁の灯はもうさっきから消えていたらしかった。私の座の近くにはまだ灯がともっていたものだから、それには少しも気がつかずにいたのである。それではさっきから闇の中で黙って頭の君は私の影を御覧になっていたのかと驚いて、私はあまりと言えばあまりな頭の君を「まあ、お人の悪い。灯のお消えになっているのを仰ゃりもしないで――」と鋭くたしなめるように言い放った。頭の君はしかし、それが聞えなかったようなふりをなすって、黙ったまま立ち上がって往かれた。
 私はその跡、自分の近くの灯をそむけて、薄暗いなかにひとりそのままじっと目をつむっていた。そして私はその目のうちらに、自分自身のこうしている姿を、ついいましがた頭の君に偸見ぬすみみせられていたでもあろうような影として、何んと云うこともなくよみがえらせていた。それは半ば老いて醜く、半ばまだ何処やらに若いときの美しさを残していた。そうしているうちに、私がだんだん何とも云えず不安な、悔やしいような心もちに駈りやられていったのは、そういう自分の影がいつまでも自分のうちに消えずにいるためばかりではなかった。それはさっきあんなに狼狽ろうばいを見せて頭の君をたしなめたときの、自分自身を裏切った、自分のしゃがれた声がまだそこいらにそのままそっくりと漂っているような感じのし出して来たためだった。
 私はそういう一見何んでもないように見える事のために、思いがけないほど自分の心が揺らぎ出しているのを、しょうことなく揺らぐがままにさせていた。……

 かんきみはそんな事があってからも、私がそれをそれほど苦にしていようとは夢にもお知りなさらない風に、相変らず、何かと道綱のところに来られては、撫子の事で同じようなことのみ道綱を仲にして私に言ってお寄こしになっていた。
 私も、さりげない風をして、「姫はまだ小さいから――」と同じような返事ばかり繰り返させていた。それに丁度道綱がこんどの賀茂祭の御祓おはらいには使者に立つ事になっていたので、何かとその支度をしてやらなければならないので、私はそれをいい事にその方にばかり心を向け出していた。自然、撫子の事やなんぞで何んのかのと私をお苦しめになられる、頭の君の上からは心をそらせがちだった。――頭の君も頭の君で、毎日のように、役所の往き帰りに道綱のところに立ち寄られては、何かと先輩らしく世話を焼きながら、御自身は御祓の果てる日を空しく待たれているらしかった。
 ところが或日、道綱は、往来で犬の死骸を見かけたと言って出先きから戻って来た。そうやって、その身のけがれた上は、御祓の使者は辞さなければならなかった。一方、道綱がそうしていみにこもり出すと、頭の君はこんどは又役所の用事にかこつけては、前よりも一層繁々とお立ち寄りになり、いつまでも上がり込まれて、あれから頭の君がいくら入らしってもお会いしない事にしている私に何んとでもしてもう一度会えるような機会をお求めになって入らっしゃるらしかった。
 人の好い道綱は、そんな私達のくさびになっているのを苦にして何かと責め好い私の方ばかりを責めるのだった。そうなると、皆の手前も、私はあんまり自分だけが強情にしているように見えるのも何んだから、いっその事なりゆきを自分でない他のものにすっかり任せるような気もちになって、道綱を再び殿のもとへ使いに遣ることにした。ことによると又殿が前のようにその事で何んとかかとか私をお意地めなさりはすまいかとも思われたが、そうされたらばされたで又その時次第の気もちで頭の君の方へも今の自分には言われない事も言われようと気構えしていたところ、殿はこんどはひどく御機嫌好さそうに、「そんなに右馬頭うまのかみが熱心にいうのなら、八月頃にでも許してやると好い。それまで心変りせぬようだったら」などと言って寄こされた。それは思いがけなかったが、しかし八月頃と聞いて、私は何んとなくほっとした。まだその八月までには大ぶ間がある、それまでに何かその殿の一言で決せられた運命から撫子をまぬがれしめるような事がなぜか知ら起りそうな予覚が私にしないこともないからであった。「八月まで待てとはまあ何んという待遠しさでしょう」頭の君もそれと同じような予覚からか、殿の御返事をお告げすると、あたかも私をうらむように言って来られた。「せめて五月にでもなったらと思って居りましたのに。――せっかく私のところへ来かかっているように見える時鳥ほととぎすも、あんまり不運な私をいとうて、このまま立ち寄りもせずに、私から去って往ってしまうような気がいたされてなりませぬ」しかし、どうして私にばかり頭の君はそう怨むような事を言って来られるのだか分からない位である。
 そのままその四月も半ばを過ぎた。

 四月の末になり、たちばなの花の匂の立ちだした或夜、だいぶ更けてからだったが、私は自分にいろいろの事を言ってよこされる頭の君を、不本意ながら撫子をそのうちお許しすると御約束した以上はそう素気すげなくばかりも出来ないので、ともかくもお通しさせる事にした。頭の君はこんどは、前とは打って変って、重々しい態度をして入らしったが、二人ぎりになったとき私に向って言い出された事は、しかしいつもと少しも変らない怨み言だった。あんまりその事ばかり繰り返しておっしゃるものだから、反ってしまいにはその仰ゃっている事に最初ほどの熱意がないようにさえ――そして只それでもって私を苦しめなさるためにのみ、それを私に向って繰り返してばかり入らっしゃるようにも――私には思えたのだった。
「まあ、何んと思し召して、その事ばかり仰ゃるのでしょうね」と私はもうそれを打切らせようとして、「何度も申しましたように、まだほんの子供で、どうやらまあその八月頃にでもなったら、初事ういごともあろうかと心待ちにされている位なのですから――」と、そんな事までずばりと言った。
 そう私に言われると、さすがに頭の君も二の句を継げなそうにしていられたが、
「でも、いくらお小さくとも、物語ぐらいはし合うものだと聞いておりますが――」と暫くして言い出された。
「姫はまだそんな事も出来そうもないほど、幼びているのです。誰にでも人見知りをしてしようがない位なのですからね。」
 私はみすごしに、だんだんしょげたようになって私の言葉を聞いていらっしゃる頭の君を見透しながら、更らにすげなく言い続けていた。……
「そう仰ゃられるのをこうして聞いておりますと、只もう胸が一ぱいになってきてまりませぬ」そう言って、頭の君はとうとう身もだえするようにその場に顔を伏せた。
「何故、そう私にはつらくおあたりになるのでしょう。まあ、そうまで仰ゃられなくとも。――いいえ、もう私はなんだか自分で自分が分かりませぬ。せめて、その簾のなかへでも入れさせていただけましたら……」
 だんだん興奮してきながら、何を言っているのだか自分にも分からないような事を言い続けているように見えた頭の君は、そのとき突嗟とっさに――どうしてもそう考えてやったとは思われないほど突嗟に――ずかずかと簾の方に近づいて、それに手をかけそうにせられた。
 私はそれまでそれを半ば目をつむるようにして聞いていたが、いきなりそんな事をせられそうなのに気づくと、思わず後ずさりながら、突嗟にきっとなって、「まあ、簾に手をおかけになるなんて、何という事をなさいます?」と声を立てた。同時に私はその簾の外側から、それに近づいた頭の君と一しょに縁先きに漂っていたにちがいない橘の花の匂がさっと立ってくるのを認めた。私はその匂を認め出すと、急に自分の心もちに余裕が生じでもしたように、一層きびきびと、「夜更けて、いま頃になると、いつも余所よそではそんな事をなさるのでしょうけれど――」と言い足した。
 そういう冷めたい、それなりに何処となく熱のこもったような私の言葉が、思わず頭の君を、もう手をかけそうにしていた簾から飛びすさらせた。「そんな御あしらいしかなされまいとは夢にも思いませんでした。」頭の君は其処に再び顔を伏せながら、「暫くなりと簾のなかへ入れていただけたら、只もうそれだけでよろしゅうございましたのに。若しこんな事で御気色けしきを悪くせられたようでしたら、重々おびいたしますから――」と詫びられていた。
 私はそういう頭の君に更にしかぶせるように「いくら私が年をとっていて、私の事を何んともお思いなさらずとも、簾の中へ御はいりなさろうというのは、まあ何んという事です。その位の事が御わかりにならないあなた様でもありますまいに――」と言い続けていたが、そのままその場に居すくまれたようにして入らっしゃる頭の君を見ると、さすがに少しお気の毒になってきて、それから急に語気を落すようにしながら、「昼間、内裏うちなどに入らっしゃるようなお積りで、此処にだって入らっしゃれませんか?」と半ば常談のように言い足した。
「それではあんまり苦しゅうございましょう」かんきみは、そういう最後の言葉をもほんの常談として受け取るだけの余裕もないほど、しょかえって、そのままずうっと縁の方まですさって往かれた。さっきのたちばなの花の匂はそちらから頭の君がみすの近くまで持ち込んで来たのにちがいなかった。
 私はふと、その一瞬前の何んとも云えず好かった花の匂を記憶の中から再びうっとりとよみがえらせていた。それがそのまま暫く私を沈黙させていた。
 頭の君はそういう私をすっかりもう自分の事を取り合おうとはしないのだと御とりになって、「何だかすっかり御気色をお悪くさせてしまいまして。もう何もおっしゃって下さらなければ、私は帰った方がよろしいのでしょう。――」
 そう言って、頭の君は、さも私をうらむようにつまはじきなどなさりながら、なおしばらく無言で控えて入らしったが、頭の君がそうお思いになって居られるならそれでもいい、と私が更らに物を言わずにいたものだから、とうとう立ち上って帰って往かれるらしかった。
 丁度月のない晩だったから、私は松明まつなどお持たせするように言いつけた。しかしそれさえ受け取ろうとなさらずに、頭の君は何かすねたように、橘の花の匂の立ちこめている戸外へお出になって往かれた。

 そうひどく気もちをじらせたようにしてお帰りになったので、もう当分入らっしゃらないかも知れないと思っていたが、翌日になると、又頭の君は役所へ出がけに道綱のところへいつものように「御一しょに参りましょう」と誘いにきた。いそいで道綱が出仕の支度をしている間、すずりと紙とを乞うて、一筆したため、それを私のもとに持って来させた。見ると、ひどく震えた手跡で、「前生の私にどんな罪過がありましたので、私はいまこうも苦しまなければならないのでしょう。このままもっと苦しめられるようでしたら、私はとても生きておられそうもありませぬ。何処でも私を入れて呉れるところがありましたら、山にでも、谷にでも。――しかし、もう何もいいませぬ」と認められてあった。
 私はそんな頭の君のような若い御方の仰ゃる苦しみなんぞはお口ほどの事もあるまいと思ったが、それでもそのひどく震えたような手跡を見ていると、さすがに胸が一ぱいになって来、いそいで筆を走らせて、「まあ、そんな恐ろしい事を仰ゃるものではありません。あなた様がお怨みなさるべきは、この私ではないではありませんか。山のことも一向不案内なわたくし、まして谷のことなどは――」と認めて、すぐ持たせてやった。
 それから暫くして、頭の君はいつものように道綱と一つ車で、役所に出かけて往ったようだった。
 その夕方、頭の君は再び道綱と同車して帰って来られた。そうして私のところへ又、何かお認めになって寄こされた。こんどは見違えるばかり鮮な手跡で、「けさほどはたいへん取り乱した事を申し上げて恐れ入りました。仰せ下さいました事、しみじみ胸にみました。私はきょうは本当に生れ変ったような気がいたしております。これからは、もっと気をしっかりと持って、殿の仰せどおりにお待ちいたす決心をいたしました。只、それまでは他に何んのなす事もなく、無聊ぶりょうでありまする故、どうぞ縁の端にでもおりおり坐らせて置いて下さいませんか」と書かれていた。
 まあ、そう急に神妙なお気もちになられたってそれがいつまで続くことやら。そうも思われたものだから、ともかくも今後を見ていようという気で、私はそれには差しさわりのないような返事しか差し上げなかった。その夜は頭の君もすぐお帰りになられたらしかった。

 そんな事があってから暫くは、頭の君も何かと遠慮がちになされて、私達のところへも余りお立ち寄りにはならなくなった。只ひまさえあれば、道綱を呼びにお寄こしになって、別に為事しごともないのにいつまでもお手放しにならなかった。それにはさすがの道綱も殆ど困っているらしかった。
 私も私で、撫子などを相手に、再び昔に返ったような無聊な日々を迎え出していた。昔に返ったような? ――しかし、それらの日々は私にとっては、前よりかもっと無聊で、もっと重くろしいところのあるのを認めないわけにはいかなかった。私はそれをば撫子にも話して置かなければならない事をまだ話していないことの所為せいにしていた。どうせいつか話さなければならないのなら――と思いながらも、撫子のまだ余りに子供じみた身体つきや、もううすうす頭の君の求婚の事を勘づいていて、私からそれを聞かされるのをそれとなく避けているとしか思えない折々のはずかしそうな様子だのを見ると、私にはどうしてもその話が持ち出せないのだった。
 そういう撫子の羞かしそうな姿が気になってならない時など、どうかして縁の方から橘の花の重たい匂が立って来たりすると、いつかその簾のそとにしおれていた、若い頭の君の艶な姿が、ふいと私には苦しいほどはっきりとおもかげに立ったりするのだった。……

 そんな或日の事、思いがけず道綱が殿の久しく絶えていた御消息を私のところに持って来た。何事かと思って、私はいそいでひらいて見た。「この頃よく右馬頭うまのかみがそちらへ参るそうな。八月まで待たせなさいと言ってあるのに。人の噂によると、なんでもお前が右馬頭を派手にもてなしてやっているそうではないか。お前に会えるのだったら、怨みの一言も言ってやりたいものだ」
 その消息を手にしたまま、余りの事にしばらく私はうつけたようにさえなっていた。こんな事を、あの気位の高い殿がよくもまあ私になど仰ゃって来られたものだ。事もあろうに、あんなお若い頭の君のことで私をお疑ぐりなさるなんて。――そう思うと、何より先きに、ひとりでに苦笑とも冷笑ともつかないようなものが私の胸のうちにおさえ兼ねたように込み上げて来た。その一方、何とも云えず悔やしいような気もちもしないではいられなかった。……
 そうやってその消息を手から離しもしないで、しばらく空けたようになっていた私は、やっと気を変えて、ともかくも早速殿に何んとか返事を差し上げなければならないと思った。が、何を書いても、誰が誰に向って書いても同じような弁疏いいわけめいた事しか書けそうもなかった。そんな事位でこちらの心をお疑ぐりになるのを反って殿にお怨み申したい――そう自分でありたいと思うような気もちには、しかしどうしても今の私はなれなくなっていた。自分の心が既に殿からはこんなにも離れてしまっているのかと思って、私はみずから驚いた位だった。
 私はそのまま悔やしそうに、その殿の手紙の裏に何んと云うこともなしに散らし書きをし出していた。こういう今の自分の何もかもを引括ひっくるめて自嘲したいような気もちにしかなれずに。――

いまさらにいかなる駒かなつくべき
  すさめぬ草とのがれにし身を

 私は殿には返事を差し上げる代りに、そんな歌だけ書いてお送りする事にした。それを道綱に持たせてやった後も、しかし私はいつまでも自分の裡に何物に対するともつかない、果てしない不満のようなものが残っているのをどうしようもなかった。
 頭の君はこの頃も相変らず、何かと言っては道綱を呼びに寄こしたり、又遠慮がちに道綱のところに御自身でも入らしったりなすっているらしい。かんきみはこんどの事は何も御存知ないのだから、別にかれこれ言うこともないので、私はそのまま勝手にさせておいた。そのうち五月になった。時鳥ほととぎすがいつになくよくいた。昼間からこんなに啼くことも珍らしい。かわやにはいっていて、ほととぎすの啼き声を聞くのは悪い前兆だといって昔から人々が忌むらしいが、私はしばしばそれをすらうつけたように聞くがままになっていた。……

 いつか世の中は長雨ながさめにはいり出していた。十日たっても、二十日たっても、それは小止おやみもなしに降りつづいていた。
 或夜など、雨のためにひさしく音信おとずれのなかった頭の君から突然道綱のもとに「雨が小止おやみになったら、ちょっと入らしって下さい、是非お会いしたい事がありますから。どうぞお母あ様には、自分の宿世すくせが思い知られました故何も申し上げませぬ、とお言付ください」などと、何を思ったのか、書いて寄こされた。――そこで道綱が何やら気になるような様子で、雨の中をわざわざ訪ねてゆくと、別に何の用事もなかったらしく、ただ頭の君に人懐しそうにもてなされ、女絵など一しょに見ながら常談を言い合って、夜遅く再び雨に濡れて帰って来た。
 撫子の方も撫子で、この頃は何かふさいだようにしている。日ねもす、こもったまま、琴などを物憂そうに掻き撫でたり、そうかと思うと急に止めたりして、少しいらいらしたようにして暮らしている。――こういう物忌ものいみがちな長雨頃の、そういう若い人達の、何処へも持ってゆき場のない、じっとしていたくともじっとしていられないような気もちは私にもよく分かっていた。そればかりではなかった。私は絶えてここ数年というもの感じたことのなかった、そういう何処へも持ってゆき場のないような気もちを、撫子なんぞのために思いがけずよみがえらされたようで、――しかし、今の私にはその昔日の堪え難さそのものさえ、それと一しょにそれが自分のうちに蘇らせるもののためにか、反って不思議になつかしい気のするものだった。私はそういう心もちに誘われるがまま、一人きりで端近くに出ては、雨にけぶった植込みなどをぼんやりと見入っていたりする事が多かった。まだ殿もお通いにならなかったような若い頃、よく自分がそうやっていたように……

 そんな長雨のつづいている間の、すこし晴れて、どことなく薄月のさしているような晩だった。
 きょうはひさしぶりの雨間に、さっきから頭の君が道綱のところに来ていられたようだったが、そのうち知らない間に一人でこちらへ入らしってしまわれた。そうしていつもの縁の端に坐られて、例の撫子の事、いつまでもこうして一人でいなければならぬ苦しさなんどを、何かと私にお訴えになり出した。「もうあとの三月みつきばかりなど、すぐ立ってしまいましょう」私はいつもの冷やかな、突っ放すような調子で言った。
「それが反って中途半端で、この頃私にはますます苦しいのでございます」頭の君はそれには構わずに、自分の言おうとする事は押し切っても言ってしまわれようとするように言い続けられた。「御約束下さった日は、あともう三月と申せば、向うに見えて居るも同然なものではございますが、それでいてこのまま只今のように空しく待たされて居りますると、どうもそれに一日一日と近づいて往かねばならぬのがいかにもまだるく、もどかしくて、反ってそれに近づけば近づくほどその日が遠のくように思われてなりませぬ。もういよいよと言うところまで待っても、私はそのとき自分が此どうにもならない堪え難さのためにどうかしてしまいはせぬかと不安でたまらないのです。どうか私からその不安を取り除くように、何とかお計らい下さいませんでしょうか」だんだん哀訴するような調子になって来ていた。
 そうなればなるほど、私はますます取り合わないように、「まさか私に殿の御暦の中をって、すぐ八月が出るように、つないでくれとおっしゃるのではないでしょうね?」と思わず笑いを立てながら言ったりした。
 頭の君はしかし、にこりともなさらずに、みすの方をじっと見つめて入らしった。そのため、私はその簾の中に自分の立てた笑いがいつまでも空虚うつろにひびいているような気もちになったほどだった。私はそのときふいと殿の御手紙の事を思い出しながら、「それは御無理な事です。それに、この頃は殿にもこちらから御催促しにくいような事情になりまして……」
「それは又、どうなすったのですか?」頭の君は心もち縁からいざり寄られた。
 これはまだ言うのではなかった、と思ったけれど、私はすぐ又、そう、いっそ此事は早くお知らせしておいた方がよくはないかしら、とも思い直して見るのだった。しかし自分の口からはさすがに言い出しにくいので、その殿から寄こされた御文をそのまま、頭の君にお見せしたくないところだけ破り取って、「これを御覧なすって下さいまし。御目にかけてもしようのないものですけれど、まあ、これで殿に催促しにくいわけがお分かりになるでしょうから――」と言いながら、簾の下から差し出した。
 頭の君はそれを手にせられると、ずうっと縁の先まで滑り出して往かれて、かすかに差している月あかりにすかしながら、それをいつまでも見入っていられた。
 そうやってながいこと見て入らしった後、頭の君は何やら口籠りながらそれを簾の下から、こちらへ差し入れられた。それからっと聞えるか聞えないほどの声で、「御料紙の色さえわかり兼ねます位で、折角ながら何んとも読めませんでした」と言って、再び縁の方へすさって往かれた。
 私は頭の君に巧みにすかされたような気がして、「いいえ、こんなものはもう破いてしまいますから――」と悔やしそうに言ったものの、しかしそれにはすぐに手を出そうともしなかった。
 頭の君が縁の方から再び言われた。「どうぞお破りにだけはならないで下さいまし。昼間、もう一度、拝見させて戴きとうございます」何処までもそれが読めなかったような御様子をなさろうとして入らっしゃるらしかった。それからそのまま頭の君は無言でお控えになっておられるかと思っていたら、一人で何を口ずさんで入らっしゃるのだか分からないような事を口ずさんで入らしった。……
「あすは役所の方へは助の君に代りに往っていただいて、私はこちらへもう一度、それを拝見に参りますから――」頭の君がそう言い残されて、其処を立ち去って往かれたのは、それから間もなくの事だった。
 その跡で、私は半ば気の抜けたように、そこの簾の下に差し入れられたままになっている殿の御文を破ろうとするのでもなく、手に取って見ると、まあ何とした事か、私は頭の君に御目にかけたくないと思って破ったところを反対にあの方に御目にかけてしまっていたのだった。その上、誤って御目にかけた紙の端が半分ほど更に引きもがれているのに気がついた。私にはすぐ、あの薄月の微かに差している縁先きで頭の君が帰りぎわに何かしきりに口ずさまれて入らしった姿が思い出された。
 私はその頭の君に見られた紙片の丁度裏あたりに、あのとき自分で自分をあざけるように一ぱいに散らし書きをしたままであったのを、それまで忘れるともなく忘れていたのだった。――「いまさらにいかなる駒かなつくべき……」
 私はふと口をいて出たその文句が自分の胸を一ぱいにするがままにさせながら、なぜか知ら、撫子の悲しいまなざしをくうに浮べ出していた。いまにも私に物を言いかけそうにして、しかしすぐに何んにも言うまいと諦めてしまうような、撫子のしおらしいまなざしが、それまでついぞそんな事はなかったのに、その夜にかぎって私の目のあたりからいつまでも離れなかった。

 その翌朝、かんきみは道綱のところへ使いの者に、風邪気味で役所へ出られそうもありませんから一寸お出がけにでもお立ち寄り下さい、とことづけて来させた。ゆうべの出来事を少しも知らない道綱は、又例の事かと思ったらしく、いつまでも出仕しゅっしの支度をぐずぐずしていると、再び使いの者が来て、お待ち兼ねのようですからどうぞ早く入らしって下さいませ、としきりに催促しているらしかった。何んの用があるのか分からなかったけれど、何か私にも気がかりでない事もなかった。
 が、そのとき頭の君は私の方へも別に御文を持ってよこされたのだった。ひらいて見ると、「風邪気味で、折角ゆうべ御約束したものを拝見に伺えず、なんとも残念でなりませぬ。私なんぞには忖度そんたくいたし兼ねます事ながら、何か殿にわざと御催促なさりにくいような御事情がおありなさいまするなら、然るべき折を見てなりと、よいように御取りなし下さいまし。此日頃、われとわが身が不安になるほど何が何やら分からず思い乱れておるような私の気もちをも御推量下すって」といつもに似ず乱雑な、読みにくいほどな手跡で、したためられてあった。
 私はいろいろ考えあぐねた末、それに対する返事はそのまま出さずに置いた。

 しかし、あくる日になってから、矢っ張それぎり返事を差し上げないのは、反ってこちらで何んだかこだわっているようで、若々しいかたではないかと私は考え直して、いかにも何気なさそうに返事をすることにした。「きのうはこちらに物忌ものいみなどいたす者がございまして、御返事もつい書けずにしまいました。その事をどうぞ川水のよどみでもしたかのように、心あってかなんぞとはお思いにならないで下さいまし。殿へはこちらからは使いをやるよすがさえ無いのが、御存知のとおりの、今のわたくしの果敢はかない身の上。――御文の紙のいろは、昼間御覧なすっても、同じように覚束おぼつかのうございましょうとも」
 夕方、その文を頭の君の許へ届けに往った使いの者は、先方に法師姿をしたものがおおぜい集ってごった返していたので、只、それを置いて参りましたと言って戻って来た。
 まだ風邪気味でていらっしゃるらしい頭の君から「きのうは法師共がおおぜい参っておりました上、日も暮れてからお使いの方が見えられましたので――」などと言いわけがましく書いてよこされたのは、その翌日になってからだった。「――ここ数日、どうしたのか私の庭を離れず、一羽のほととぎすがはなの蔭などでしきりにてておりますが、こうして日ごと一人きりで歎き明かしてばかりおる私にすっかりなつきでもしたと見えます。

なげきつつ明し暮らせばほととぎす
  この卯の花のかげに啼きつつ

 まあ、一体、私はこのほととぎすと共にどうなることでしょうか知ら」
 いかにも何事もなげながら、どことなくお心のうめきをお洩らしになって入らっしゃる、そのような御文を読み返しているうちに、私はついらずらずのうちに、苦しんでいるのが相手の方であるときいつも自分の内をひとりでに充たしてくる、一種言うに言われぬ安らかさを味い出している自分自身を見出さずにはいられなかった。……
 それから数日後、突然、おじ君にあたられる左京頭さきょうのかみがお亡くなりになられたので、頭の君もその喪に服せねばならなくなり、殿の御約束せられた八月を前にして、私共に心を残されながら、しばらくその病後の御身を山寺へおこもりになられ出した。山からは、最初のうちは絶えず御消息をおよこしになられた。それは相変らず独居の淋しさと撫子を求める切なるねがいとに充たされていた。しかし私はその頭の君の御文のなかの独居の淋しさをお訴えなさる御言葉がなんとも言えず切実に身にしみて覚えられれば覚えられるほど、一方、撫子をお求めになられる同じ文中の御言葉が、なぜか知ら、いよいよ空疎なものに見えて来るのに気がつかないわけには往かなかった。恐らくそれにはただ私だけが気がついているのだという事も自分には分かっていた。それが一層私を身じろぎもできないような苦しい心もちにさせていた。そのうちにそんな頭の君の御文がだんだん途絶えがちになって来るようなのに、私が気がつくかつかないうちに、突然、それが絶えてしまった。絶えてから、私ははじめてこうなるだろう事を前から何んとはなしに予知していたような気さえしたのだった。しかし頭の君が山を下りられたらしいお噂はついぞまだ聞かなかった。

  …………………………………

 私は此日記を仕舞わないうちに、もう一と言附け加えておきたいと思う。左京頭の喪のために山に籠られたぎり、そのまま行方ゆくえ知れずのようになられていた頭の君が、実はいつの間にやら他人の妻をぬすまれて何処ぞへこっそりとお姿をくらましてしまわれたのであるという事が分かったのは、もう七月もなかばを過ぎてからだった。その事を知った当初は、あまりといえばあまりな出来事に心がみだれて、そういう頭の君に対する思いがけない程のはげしい憤りやら、自分のした事に対する悔いやらを感ぜずにはいられなかったが、ようやくいつもの落着いた自分に立ち返った今はもう、何やら自分でもわけの分からぬ身の切なさを除いては、私の気もちも割合に静かになっている。
 女房たちはそんな私に向って言うのだった。「もう御約束の日も間近かになっておりましたのに、あれほど御執心なすって入らしった姫君をいて、あの方とした事が、まあ何んという事をなすったのでございましょうね。本当にあまりといえばあんまりな……」私はそういう人々のおなじ繰り返しのような慰めの言葉はどうも無関心に聞き流しているよりしようがなかった。
 が、そういう頭の君のこんどの唐突な振舞も、少くともいまの私にだけは、そうなさるべくあの方を余儀なくせしめたようなお心の動きの全然分からない事もないような気がする。否、むしろ、もう殆ど手に入れられるばかりになっていた撫子をいつまでもあの方に限りなく遠いところにあるかのように思わせ、あの方のお気もちをわざとらし抜いて、御自分で御自分がもう何を欲していらっしゃるのかさえ見分けられないようにおさせして、とうとうこんな思いがけないような結果にならせてしまったのは、この日頃の私、――いつの頃からか男という男のあらゆる運命に対してともすれば皮肉になりがちな、しかもそんな自分を自分でもどうしようもない、この私の所為せいだったのではなかろうか。そんな気にも私はどうかするとなり兼ねないのだった。……
 そういう一抹の不安のないこともない私に、道綱が何かそわそわとして黙って一通の文を届けてくれたのは、丁度きのうの事である。まあ、おめずらしい、殿の、と思ったら、それは思いがけず頭の君のだった。しかし、道綱の手前、何気なさそうにして手にとって見ると、「本当にわれながら浅ましい姿になり果てました。いくら心にもないことだと私が申しましても、お聞き入れにはなさいますまい。こんなどうしようもない羽目にならない先きに、どうしてもう一度なりとあなた様のお目にかかってしみじみとお語らいしなかったのだろうと、悔やまれてなりませぬ。――」
 そのあとに何やら歌のようなものが書かれてあって、その上が墨で消されてあった。私はその一部分を辛うじて判読した。「……をしむはきみが名……」
 私はつとめて冷めたい顔をしたまま、その紙をしずかに巻き出していた。道綱は私の前に据わったまま、別にその文を見たくもなさそうにしていた。そしてしばらく、二人は何んとも言わずにいた。しかし、そのながい沈黙は、私にとっては、何か心いちめんに張りつめていた薄氷うすらいがひとりでにわれるような、うすら寒い、なんとも云えず切ない気もちのするものだった。……

底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館
   1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄全集 第2巻」筑摩書房
   1977(昭和52)年8月30日初版第1刷発行
初出:「文藝春秋」
   1939(昭和14)年2月号
初収単行本:「かげろうの日記」創元社
   1939(昭和14)年6月3日
※底本の親本の筑摩書房版は創元社版による。
※初出情報は、「堀辰雄全集 第2巻」筑摩書房、1977(昭和52)年8月30日、解題による。
入力:kompass
校正:松永正敏
2004年2月27日作成
2010年11月2日修正
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