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 文壇の人にあうと探偵小説をすいている者が多いようである。『新青年』四月号のマイクロフォンを見てもその一班が知れる。ところが探偵小説の作者や翻訳者の中には、探偵小説にあきたりない感じをもっている人が少なくとも少しはある。江戸川乱歩氏はときどきそういう口吻こうふんを洩らす。延原謙氏も探偵小説でないものが翻訳してみたいというような口吻を洩らしたことがある。少なくも短銃物は真っ平だと考えている人はそうとう多い。挿画にでもピストルはかきたくないと松野氏も言っていたように記憶する。
「文壇小説」も「探偵小説」もひとしく行き詰まって新局面の打開を求めているらしいことが、双方の陣営から起こる嘆声によりてうかがわれるように思う。

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 僕は体質上脂肪を要求しているので、鰻なら三人前位くうが、他のものにはあまり食欲がない。頭の方もそれに似ていると見えて、脳細胞をしびらせるような深刻なものを一番に要求する。こういう要求に答えてくれたものは今までにドストエフスキー一人位である。探偵小説にも僕はそういう種類のものを喜ぶこというまでもない。

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 トルストイは、子供の時分の思い出を書いた中に、甘い菓子を食いながら、ベッドの上に寝ころんで面白い小説を読むのが人生至上の楽しみだったと言っている。汚い話だが、放尿し、脱糞し、ゆあみしてしかる後に適度な温度の中で(この温度という奴が僕には一番大切だ)、仰向けに寝ころんで(寝ころぶという姿勢は重力に対して最小の努力で抵抗できる)、人事上の心配からすっかりのがれて、必要なだけのポケット・マネーをもって、健康を享楽しながら読書するのは人生至上の楽しみなりと私は言おう。年をとってくるとだいぶ条件がむずかしくなってくる。筆というものは口と同様に重宝なもので、こんな虫のよい条件を並べてだけはみることができるのである。

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 今日は天気がよい。屋根瓦の上に堅い砂がちらばっていて、その上をトタン板を引きずる音がする。こんな音をきいたらビスマルクでも神経衰弱になるだろう。ただしこれは天気のよいことと別に関係はないのである。せっかく書いたものだから消さずにおいただけのことだ。

底本:「平林初之輔探偵小説選〔論創ミステリ叢書2〕」論創社
   2003(平成15)年11月10日初版第1刷発行
初出:「探偵趣味 第二年第五号」
   1926(大正15)年5月号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年10月28日作成
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