一

 法医学者B氏は語る。

 私のこの左の頬にあるあざの由来を話せというのですか。御話し致しましょう。いかにもあなたの推定されたとおり、生れつきに出来た痣ではなくて、後天的に、いわば人工的に作られたものです。これはある男の暴力によって作られたものですが、皮下出血のために、この通り黒みがかったものとなりました。もう三年になりますけれど、少しも薄らいで行きません。なに蝙蝠こうもりの形に似て居ますって? 私の名は「やす」ではありませんよ。玄冶店げんやだな妾宅しょうたくに比べるとちとこの法医学教室は殺風景過ぎます。
 余談はさてき、この痣の由来を物語るには、どういう動機で私が法医学を専攻するようになったかということから御話ししなければなりません。しかし、その動機を御話しするとなると、自然、私の弱点をも御話しせねばなりませんが、一旦御話しすると申しあげた以上、思い切って言うことにします。一口にいえば、私が法医学を選んだのは、私のサヂズム的な心を満足せしめる為だったのです。おや、そんなに眼をまるくしないでもよろしい。別にあなたを斬りもりも致しませんから御安心なさい。サヂズムは程度の差こそあれ誰にでもあるものです。自分で言うのは当にならぬかも知れませんが、私のは常人よりも少し強いくらいのものでした。しかもこの痣を拵らえてからは、不思議にも私のサヂズムは薄らいで行きました。
 それはとに角、私は、小さい時分から、他の子供と比較して幾分か残忍性が強かったように思います。他人が肉体的精神的に苦しむ姿を見て、気の毒に思うよりも寧ろ愉快に思ったことは確かです。然し、それかといって、自分で直接他人に苦痛を与えることはあまり好まなかったのです。
 家代々農業に従事してりましたが、中学校を卒業したとき、私は、何ということなく、医者になって見たかったので、その頃の第三部の試験を受けて合格しました。それから高等学校を無事に卒業し、大学へはいるに至って、はじめて医学を修めることに多大の満足を感じました。即ち、解剖学実習室で、死体を解剖するようになってから、いうにいえぬ愉快を覚え始めたのです。鋭いメスの先で一本一本神経を掘り出して行く時の触感、内臓にとうを入れるときの手ごたえに私は酔うほどの悦楽を催おし、後には解剖学実習室が私にとって、楽園パラダイスとなりました。多くの学生は解剖実習を嫌います。それは死体を扱うことに不快を覚えるというよりも寧ろ面倒臭いためでありますけれど、私は出来ることなら、一年中ぶっ通しでもよいから、実習室にはいって居たいと思いました。
 彼此かれこれするうちに、私は死体というものに一種の強い愛着の念を覚えるに至りました。老若男女を問わず、死体でさえあれば、それに接するのが楽しくなったのです。妙な話ですが、例えば美しい女を見るとします。すると私は、その女の生きた肉体に触れることよりも、その女を死体として、その冷たい皮膚に触れたならば、どんなに楽しいかと思いました。更に、その死体の冷たい皮膚にメスを当てたならば、なお一層うれしいだろうと想像したものです。といって、別にその女を殺そうというような気には決してならなかったのです。それのみか、人を殺した人間に対しては、はかり知れぬ憎悪の念を抱きました。そうして、さような人間をば、あく迄苦しめてやりたいという衝動に駆られました。これが即ち、私をして法医学を志さしめるに至った重大な動機なのです。即ち、法医学では、死体を取り扱うことが出来ると同時に、鑑定によって、犯人の逮捕を助けることが出来、従って犯人を精神的に苦しめることが出来るからであります。いや、全く、変な動機もあればあるもので、現今の法医学者中、私と同じような動機で、法医学を志したものは、私以外には一人もないだろうと思ってります。
 サヂズムを持った人間は、通常血を見ることを非常に好むといわれてりますが、私は特に血を見ることを好むというほどではありませんでした。もっとも、ここでいう「血」なるものは、生きた身体即ち、暖かい身体から流れ出る血をいうのでありますが、死体から出る血に対しては、どちらかというと快感を覚えました。然し、その色を見て愉快に思うというよりも、むしろ、ねばねばした触感に心を引かれるのでした。尤も血液に触れたときよりも、組織にメスを切りこむ方がはるかに愉快でして、そのため、私の死体解剖は、どちらかというと叮嚀ていねい過ぎるほど叮嚀なものでした。従って一面から言えば、法医学的鑑定には比較的成功したといってよろしく、私の鑑定のみで、犯人が逮捕されるに至ったという例は決して少くはありませんでした。

       二

 ところが、御承知のとおり、たとい、どんなに完全に殺人死体の法医学的鑑定が行われ、なお又、極めて有力な犯人容疑者が逮捕されても、所謂いわゆる、直接証拠のない場合には、その容疑者が自白しない限り、彼を罰することが出来ないのであります。死体解剖を行うとき、私はつとめて虚心平気になろうと心懸けましたが、メスを当てる時の快感を払い退けることが出来ぬと等しくこの死体を作った人間、即ちその殺人犯人を、何とかして一刻も早く官憲の手に逮捕させたいという慾望を打ち消すことが出来ませんでした。ことに有力な容疑者があげられた時は、一刻も早く、彼を白状せしめたいものだと、人知れず、焦燥の念に駆られるのでした。
 こういう経験を度々した結果、私は直接証拠の出ない場合に、何とかして、いわば法医学的に、犯人の自白を促がす方法はないものかとしきりに考えるようになりました。先年物故ぶっこしたニューヨーク警察の名探偵バーンスは、かような場合、犯人の急所を突くような訊問をして、いわば一種の精神的拷問を行い、巧みに犯人を自白せしめる方法を工夫し、所謂「サード・デグリー」と称して、今でもアメリカの警察では頻りに行われてりますが、サヂズムを持った私は、この「サード・デグリー」にすこぶる興味を持ち、法医学の立場から、これと同じような方法を工夫し、犯人に苦痛と恐怖とを与えて、自白せしめるようにしたいものだと色々考えて見たのであります。
 現今の犯罪学者は、口を揃えて、拷問ということを排斥してります。たといそれが精神的拷問であっても、やはり絶対に避くべきものであると論じてります。尤も、拷問ということは、無辜むこのものを有罪とし、有罪のものを無辜にするからいけないというのが主要な論拠でありまして、従って、グロースやミュンスターベルヒの考案した心理試験をも、拷問と同じだからいけないと批評してりますが、し容疑者が真犯人であったならば、おおいに精神的苦痛を与えてやらねばならぬと私は考えたのであります。つまり、真犯人が容疑者となってる場合には、精神的拷問は欠くべからざるものだと思いました。
 然し、真犯人が果して容疑者となって居るか否かということはもとより誰にもわかりません。そこで私は、容疑者が真犯人である場合にのみ、精神的拷問となり、真犯人でない場合には、同じ方法を講じても、少しも精神的拷問にはならぬという手段を発見しなくてはならぬと思いました。ところが、熟考の結果、この問題は比較的容易に解決されることを知ったのであります。
 第一に私は、殺された死体を、法医学教室で、直接、容疑者に見せて、そのときに、その容疑者に起る生理的変化を観察してはどうだろうかと考えました。御承知の通り、人を殺したものはその死体を非常に見たがるものです。而も死体を見ると、一種の恐怖と不安とを覚えますから、当然、心臓の搏動数や呼吸の数が増加する筈です。で、それ等のものを、測定器によって計測したならば、ある程度まで犯人か否かを発見することが出来るばかりでなく、じっと死体を見つめて居ると、今にもその死体が息を吹き返して、丁度、ポオの小説に書かれてあるように、「貴様が犯人だ!」と叫びはしないかという恐怖に襲われますから、時にはそれがために、その場で自白をするにちがいありません。之に反して、容疑者が真犯人でなかったならば、たとい死体を見て一瞬間心臓の鼓動がはげしくなっても、決して恐怖心を起しませんから、ミュンスターベルヒの心理試験とはちがって、無辜のものを有罪にするうれいは決してない筈であります。ミュンスターベルヒの方法は、兇行に関係した言葉を容疑者に聞かしめて、その反応を見るのですが、数々の言葉の中には真犯人でない人を興奮させるものもありましょうから、誤謬ごびゅうに陥り易い道理です。
 そこで、私は、司法当局の人々と相談して、有力な容疑者を捕えて、而も、直接証拠のあがらぬ場合には、法医学教室へ連れて来て、死体を見せ、呼吸計、脈搏計を以て、生理的の反応を調べることに致しました。すると果してこの方法は、ある程度まで成功しました。ことに有力な容疑者が二人ある場合には、明かに真犯人を区別することが出来ました。けれど、反応が明かにあらわれただけでは、それをもって直接証拠とすることが出来ず、やはり自白を待たねば罪を決定することが出来ません。ところが私の予期に反して、死体を見せただけで自白した真犯人は一人もありませんでした。更に又、頗る物足らなかったのは、真犯人でありながら、死体を見ても心臓運動や呼吸運動に少しの変化もあらわれぬもののあったことです。要するに、死体を見せるという方法は、私の望んで居る効果をあげることが出来なかった訳です。

       三

 そこで私は第二の方法として、容疑者を法医学教室へ連れて来て、その眼の前で死体解剖を行って見せたならば、恐らく所期の結果をるだろうと考えました。どうせ人を殺すほどの人間ですから解剖を見たぐらい、びくともすまいと考えられるのが普通ですけれど、人を殺す場合には多くは精神が異常に興奮して、いわば夢中になり易く、兇行の後一旦平常へいぜいに帰ったときは、たといはかり知れぬ憎悪のために殺したのであるとしても、眼前で、被害者の内臓をさらけ出されては、恐怖のために、自白するに違いないと考えたのであります。
 果してこの方法によって、二三の容疑者を白状させることが出来ました。六十歳になる高利貸を殺した三十二歳の大工は、高利貸の頭蓋骨がのこぎりで引き割られるとき、私の手にすがって、
「どうか、やめて下さい、私が殺しました」
 と白状しました。
 また、情婦を殺した人形製造所の職工は、雪のように白い女の腹部が、縦一文字に切り開かれたとき、やはり、私の手につかまって、
「もう沢山です。私が殺しました。早くあちらへ連れて行って下さい」
 と、声顫わせて叫びました。
 ところが、頑固な犯人たちは、どんな惨酷な解剖の有様を見せつけられてもびくともせず、中には気味の悪い笑をもらして、さもさも、被害者の解剖されるのを喜ぶかのような表情をするものさえありました。そういう人間に接すると、私は少なからず焦燥を感じて、何とかして苦しめてやる方法はないものかと、無闇に死体にとうを入れたのでありました。然し、白状しないものは、どうにも致し方がありません。この上はただ、もっと有効な方法を工夫するより外はないと思いました。
 熟考の結果、私は遂に第三の方法を案出することが出来ました。それは何であるかと申しますと、犯人の眼の前で死体を解剖し、その小腸を切り出して、それを蠕動ぜんどうさせることなのです。
 御承知かも知れませんが、人間の心臓や腸は、その人の死んだ後でも、これを適当な条件のもとに置くときは、生前と同じようにその特有な運動を始めるものです。心臓については、実に、死後二十時間後に於ても、それを切り出して、動き出させることが出来たという記録があります。腸に就てのレコードを私は存じませんでしたが、少くとも心臓と同じくらいのレコードは作りると考えました。
 はじめ私は心臓を切り出して、これを犯人の眼の前で動かせて見せようかとも考えましたが、心臓を生き返らせる装置は腸のそれに比して遥かに複雑ですから、私の目的を達するには不便だと思って、腸を選ぶことにしました。ことに腸管は、一見蛇のように見え、その運動も、蛇がゆるやかに動くように見えますから、犯人にとっては可なりに強い恐怖を与え、自白せしめることが出来るだろうと予想しました。
 先ず、私は実験によって、死後何時間までぐらいの腸を生き返らせることが出来るかを定めようとしました。すると、多数の実験の結果、やはり死後二十時間までの腸ならば例外なく動き出させることが出来るという確信を得ました。通常切り出した腸について、生理学実験を行うときには、切り出すべき腸管の長さは五寸ぐらいでありますが私のは目的が目的ですから、少くとも一尺五寸位を切り出すことにきめました。生理学実験の際には直径七八寸、高さ一尺ぐらいの一端に底のある円※(「土へん+壽」、第3水準1-15-67)形のガラスの容器の中に、更に腸のはいる位のガラスの容器を装置し、その中にタイロード氏液と称する透明の液を入れ、腸管の両端を糸でしばって液中に縦に浮游せしめて下端を器の底に固定し、上端を糸で吊り上げ、糸の先に梃子てこをつけ、腸の運動を梃子に伝わらしめて、之を曲線に書かしめるのですが、私の方法はそれとちがって、大きい方のガラス器に直接タイロード氏液を入れ、切り出した腸管の両端を糸でしばり、上端だけを糸で吊り上げて容器の中に浮游せしめることにしたのです。そうして、タイロード氏液を三十七度内外に保つために、下からブンゼン瓦斯ガス灯によって暖め、なお、酸素を通ずるために、ガラス管を液の中に入れました。生理学の実験では、切り出した腸管全部を液の中に浸しますが、私は、糸で吊り上げた一端を三四寸空気の中に出し、もって、腸の運動の印象を深からしめようとしました。仮に腸を鰻にたとえるならば、頭を糸で吊って、胸まで空中に出し、それ以下を液の中へ沈めるのです。もっとも切り出した腸は鰻の色とはちがって、全体が薄白く、それが蚯蚓みみずのように、而も極めて緩く動くのですから、馴れない者の眼には可なりに気味の悪い印象を与えます。而も死んだ人の腸がいわば生きかえるのですから、殺人犯人によっては、殺された本人が生き返ると同じようなショックを与えるであろうと私は思いました。
 すると果して、私はこの方法によって、可なりに頑固な犯人を、数人白状せしめることが出来ました。
 恋の遺恨で、朋輩ほうばいを殺した電気会社の職工は、死体が解剖される間は、にやにや笑って見て居ましたが、やがて私が腸を取り出して、例の装置に結びつけますと、急にその笑いを失い、眼を大きく開いて、蛇のような臓器を見つめましたが、暫く過ぎて、腸がぴくりぴくりと動きかけると彼は額の上に汗の玉をならべ始めました。と、その時腸管が、急にくるりと液の中で一回転したのです。
「ウフッ、ウフッ」
 笑いとも恐怖とも、何とも判断のつきかねる声を発したかと思うと、見る見るうちに彼は顔色を土のようにして、その場にうずくまってしまいました。それから彼は、長い間言葉を発することが出来ませんでしたが、言葉を発するや否や、その罪状を逐一白状してしまいました。
 あるときは又、次のような異常な場面もありました。
 それは、ある金持の老婆の家に強盗にはいって、老婆を惨殺した、四十五六の、眼の凹んだ顴骨かんこつの著しく出張った男でしたが、解剖の行われる間、彼はマスクのような顔をして、呼吸一つさえ変えずに、柱のように突立ってりました。私は心の中で、「そんなに何喰わぬ顔をして居たとて駄目だよ、今にびっくりさせられるから覚悟をするがよい」と呟きながら、例の如く腸を切り出してガラス器に取りつけました。と、その時、今迄無表情であったその眼に、案の如く好奇の色があらわれました。
 解剖室の中には、白い手術服を着た私と助手と小使、その外に司法官と警官が一人ずつ、容疑者を加えて都合六人りますが、決して口をきかぬことにしてありますから、あたりはしんとして居て、音のない腸の運動が、聞えはすまいかと思われる程の静かさです。人々は一斉に腸管を見つめました。やがて腸は軽く動き出し、凡そ十回ぐらい伸縮を繰返したと思う時、どうした訳か吊してあった糸がぽっつり切れて、腸の上端が、ガラスの容器のふちひょいと載りかかりました。丁度その方向が容疑者の真正面に当りましたので、あだかも一匹の白蛇が、彼に向って飛びかかるかのように見えたのです。
 あっと云う間もなく、彼は腸のはいったガラス器をめがけて突きかかりました。ガラスの割れる音がして、水があたりに飛び散りました。その時私は、腸が床の上に見つからなかったので、何処どこへ行ったかと思って見まわすと、彼の首筋の後ろのえりの間に、とぐろを巻いて載って居ました。男は悲鳴を発し両手を後ろの方にあげて取り除こうとしましたが、つかみ方が間ちがったので、丁度腸をもって首を巻こうとするような動作を行いました。
「ウーン」と腹の中から搾り出すような声を出したかと思うと、どたりとたおれて、後頭部で腸管を圧しくだき、凡そ二時間あまりは、息を吹き返しませんでした。無論後に彼は犯人であることを自白しましたが、彼がたおれてから間もなく、口から血の泡を吹き出して、それが老婆の腸の上に流れかかった有様にはさすがの司法官たちも顔をそむけました。
 然し私は、真犯人がこのくらい苦しむのは当然のことだと思いました。出来るならば私はもっともっとはげしいショックを与えて犯人を苦しませてやりたいと思いました。むかしの拷問は一種の刑罰法と見做みなすべきものでして、犯人を苦しませるには誠によい方法ですが(尤も主として肉体的の苦しみを与えるだけですから物足りませんけれど)犯人でないもの迄が時として同じように苦しみますから、それは拷問の最大欠点です。バーンス探偵の「サード・デグリー」は精神的拷問ですから、すこぶる興味がありますが、これは主として訊問によるのでして、止むを得ず所謂いわゆる鎌をかけねばならず、それによって幾分か、無辜の人をも苦しめる欠点があります。然るに私の考案した「腸管拷問法」は、犯人でないものには何の苦痛も与えません。始めから終り迄沈黙の裡に事を行うのですから、人体解剖を見馴れぬ人には、多少の刺戟を与えるかも知れませんが、多くの場合、十中八九まで真犯人らしいと思われる者に対して行われるのですから、精神的拷問法としては、先ず先ず理想に近いものだと思いました。
 沈黙というものは、訊問よりも却って怖ろしいものです。罪を持ったものが衆人の沈黙の中で而も自分の殺した死体と一しょに置かれるということは、非常な恐怖を感ぜずにはられません。その上その死体が解剖され、腸管が切り出されて、生き返らしめられるのですから、大ていの犯人は白状する訳です。実際数例に施して一度の失敗もなかったのでしたから、私は腸管拷問法に可なりに興味を持ち、之を行っては人知れず愉快を覚えてったのであります。
 ところが、世の中には、上には上のあるものです。遂にこの腸管拷問法も、何の役にも立たない人間に接しました。その人間がつまり私の左の頬の痣を造ったのでして、それ以後私は、腸管拷問法を初め、その他の医学的拷問法を一時中止することに致しました。

       四

 腸管拷問法に対して平気の平左衛門で居た人間というのは、三十前後の男でした。彼は左の頬に先天的に出来たらしい大きな痣がありました。その痣は黒くて、むしろ漆黒といってよい程でありました。最大径は四寸ぐらいあって、その形は蝶々といえばやさしいですが、むしろ毒蛾の羽をひろげたといった方が適当に思われました。
 御承知のとおり、身体に何等かの肉体的異常を持つものは、男でも女でも幼い時分から一種のひがみを持ち、だんだん犯罪性を増して行くもので、極端になると、殺人狂になりおわります。それはつまり人間全体に対して一種のはげしい憎悪を感ずるからであります。かような不具な男が青春の頃になりますと、性的の刺戟を受けて、女子に対して一種の反抗心を持つに至ります。そうして、一旦女子を恋して、その恋が受け入れられると、こんどは、女子を熱愛しその代りに、激しい、むしろ病的といってよい位の嫉妬心を起します。それがため、いろいろの邪推を起して遂には女を殺します。そうして、殺した後に、邪推だったということがわかると悔恨の念もまた甚だしいのです。沙翁さおうの「オセロ」を御承知でしょう。黒人オセロは、イヤゴーの讒言ざんげんによって、妻デズデモナを殺しますが、後に邪推に過ぎなかったことがわかると、悔恨のあまり自殺しました。尤も同じ不具者でも、殺人狂にまでなったものは、たとい嫉妬によって人を殺し、邪推であったとわかっても、オセロのように後悔しないのですが、それ程強い犯罪性のないものには、多少の悔恨の念は残って居る筈です。私の今申し上げて居る男は、後に発狂してしまって、彼が殺人罪を犯すに至った(いや、厳密にいえば、殺人を果して彼が行ったかどうかさえわからぬのですが)その心的経路を知るに由ありませんけれど、周囲の事情から察して、恐らく、嫉妬のために殺人を行い、悔恨のあまりに発狂したと見るべきでして、而も、頑強に白状することを拒みとおしたのであります。
 その男が何という名で、何処に生れたものであるかということは今以てわかりません。殺された女は、ある人の妾で、女中と二人、浅草田町に小ぢんまりした家に住んでりました。女中がその家に雇われたのは半年ほど前で、妾になった女も、女中の来る一週間前から、其処そこに家を持ったのだそうで、女中は、女が、その以前、何処に住って何をして居たのか少しも知りませんそうでした。
 兇行のあった日の夕方、男が始めて女の家を訪ねたそうです。女中はその男を見たとき左の頬にある痣のために、恐ろしい感じがしたそうです。すると、女は男を出迎えて、さもさも驚いたような顔をして、
「まあ、繁さん、あんた生きて居たの?」と申したそうです。「繁さん」であったか「常さん」であったか、女中ははっきり覚えて居ないと申したそうです。
 それに対して、男は何か云ったそうですがよく聞きとれなかったということです。とりあえず女は男を奥の座敷に招じ入れ、しきりに密談して居たが、やがて女は、女中を御湯に行かせ、附近の料理屋で、二人前の料理をとって来るよう命じたそうです。
 それから女中が帰って来るまでにおよそ一時間かかったそうです。四月末のこととて、もうその頃はすっかり夜になって居ましたが、家の中が静まりかえって居たので、不審に思って奥の座敷のふすまをあけて見ると、女は首に手拭を巻かれて、仰向きに死んで居たそうです。女中は夢中になって交番にかけつけ、男の左の頬に痣のあることと、着て居た衣服きものの縞柄とを話したので、直ちに非常線が張られ、その夜の十時頃、男は上野駅で逮捕されたのだそうです。
 彼は直ちに警察に拘引され、とりあえず女中を呼んで見せると、この人に間ちがいないと証言したそうです。ところが彼は何をたずねても知らぬと言い張り、そんな女の家をたずねたこともなければ、この女中も見たことがないと申したそうです。兇行に使用された手拭は、被害者のものであるし、現場には指紋が残って居ないし、その他何一つ直接証拠となるものがなかったので、警察でも非常にもてあましたそうです。姓名をたずねても出鱈目をいうだけで生国や年齢をたずねても口をつぐんで言わなかったそうです。とりあえず彼の指紋をとって、もしや前科者ではないかと、警視庁で調べても、指紋台帳に同じ指紋を発見することが出来なかったそうです。それから衣服の塵埃じんあいや耳垢まで顕微鏡的に検査されたのですけれど、やはり無駄に終ったそうです。
 で、要するに、唯一の証拠は女中の見証だけだったのです。然し見証というものは直接証拠となり得ません。女中が着物の縞柄さえ記憶して居て、それによって男が逮捕されたのですから女中の見証は間ちがいない筈ですけれど、偶然同じ着物を着て、同じ痣を持ったものがこの世の中に、もう一人無いとは限りません。又、仮にその男が女の家へ訪ねて来たとしても、必ずしも犯人だとは言われません。警察では女の旦那をしらべたそうですが、疑を容るべき余地はなかったそうですから、先ず先ずその男が犯人たることは誰にも考えられます。ことに、身に覚えのないものならば、たといどんな事情があるにしろ、女を訪ねたことまで否定しないだろうと思われます。
 いずれにしても男が有力な容疑者であることは争われませんでした。それにもかかわらず、直接証拠がないために、彼を罪に陥れることが出来ません。即ち男が自白しない限りは彼を罰することが出来ないのです。で、検事は私に被害者の解剖を依頼すると同時に、例の方法をってくれぬかと申しました。私は以上の事情をきいて、痣のあるその男が、嫉妬のために女を殺したのであろうと推定し、腸管拷問法を試みることに致しました。
 あくる朝、教室へ運ばれ、解剖台上に、裸にして仰向けに載せられたのは、漆黒の房々とした髪を持った、色の白い、面長の、鼻筋のよくとおった、二十四五歳の女でした。彼女は妊娠八ヶ月ぐらいの腹をして居ました。頸部には深くくびれた絞痕こうこんが見られ、紫色をした舌が右の口角に少しくはみ出してりました。死後凡そ十六時間を経て居ました。その時丁度午前九時でしたから、兇行は前晩の七時頃行われたことになり、女中の言葉とよく一致してりました。私は一応見診を終って、死体を白布にて蔽い、腸管を運動させる準備をして後、容疑者のはいって来るのを待ちかまえました。
 程なく、問題の男は、検事と警官とにはさまれて、解剖室へはいって来ました。私は男の顔を見て、これは容易ならぬ敵だと思いました。毒蛾のような痣が彼の顔をして一層兇悪の表情を帯ばしめてりました。その時私は、何となく腸管拷問法が効を奏しないような予感がすると同時に、この男のあの痣を利用したならば腸管拷問法よりも、もっとはげしい恐怖を与えることが出来ると思いましたので、腸管拷問法が成功しない時の予備として、助手に耳打ちして、その頃教室で癌腫発生の研究に使用して居たコールタールの小罎と、それを塗る短い筆とを取って来て置くように告げました。
 いつもの通り、容疑者を加えて、私たち六人は、無言の行を始めました。男は初め、検事に何か言われるであろうと予期して居たらしく、検事のむっつりとした顔を不審そうに見つめました。然し検事は何も言わなかったので彼は解剖台を眺めて、解剖台から一けん半程隔ったところに立ちました。警官は、警戒のために入口のドアのところに立ち、検事は男の左側に立ちました。私は男と相向きあいの位置に、解剖台の右側に立って、死体を蔽った白布をさっと取り除き、女の顔を男の方に向けました。
 男はその時一つ二つ瞬きを致しました。然し、少しもその顔色を変えませんでした。私は、今に段々恐怖を増して行くであろう所の彼の心を想像しながら、先ず胸壁にメスを当て、皮膚、脂肪層、筋肉層を開き、肋骨を特種の鋏で切り破り、胸壁に孔をあけて心嚢しんのうをさらけ出し、次でそれを切り開いて心臓を取り出しました。取り出した心臓は、これを左の掌に受け、式に従ってすーっ、すーっと二度メスを入れました。その時、男の左の頬の筋肉がぴりっと動きましたので漆黒の毒蛾はあだかも羽ばたきするように見えました。然し男の顔色には何の変化もありませんでした。それから肺臓の解剖に移りましたが、肺臓には、明かに窒息の徴候があらわれてりました。通常法医学的解剖の際には、執刀者が所見を口述して、助手が之を筆記するのですが、この腸管拷問法の行われる際には、私は無言で、特殊の変化のある部分をゆびさし、助手が私の示すところを見て記載することにしてりましたので、メスを台上に置く金属性の響と、助手が首にかけた筆記盤の上を走らせる鉛筆の音ばかりが静かな空気を占領しました。
 解剖室の窓のすりガラスには日が当って、室内はマグネシウムの光で照された夜の墓場のようにあかるく、血のついた皮膚が、気味の悪いような白さに輝きました。一匹の、まださなぎから出たばかりであるらしい蠅が、摺ガラスにつかっては、弱い羽音を立ててりました。その時私は女の黒髪を掻き分けて、耳から耳に、頭上を横断してメスを入れました。それから皮膚をはがして骨をあらわし、鋸をもってごしごし頭蓋骨を挽き始めました。男はそれを見て、半歩ほど後ろに退き、垂れた両手の先を二度、握ったり伸したりしました。然しやっぱり顔色を変えませんでした。次で私は脳を取り出して特別の台に載せ、メスを入れましたが、最早彼の身体には何の変化も認められませんでした。
 いよいよ私は腹部を解剖することにしました。円形のドームを見るような女の腹にメスを入れたとき、男の頸部前面に出て居る所謂咽喉仏が一度上下致しました。これを見た私は、幾分か彼の心を動かし得たことを思って愉悦を感じました。若し私の推定するごとく、嫉妬のために行われた殺人であるとすれば、女の妊娠中の腹が解剖されることは、可なりに男の心を戦慄せしめるであろうと思いました。腹壁を開くと、いう迄もなく大きな子宮壁があらわれました。私は然し乍ら子宮壁には手をつけず、先ず小腸を例の如く一尺五寸ほど切り出し、その両端を糸でしばり、解剖台の左側に置かれた腸管固定装置のところへ運んで、それを吊りさげました。ブンゼン灯の火が、見様によっては、その腸管を煮るためではないかと思わせます。
 男は少しくその眼を輝かせて腸管を見つめましたが、その時彼は右手をあげてその額を一撫で致しました。やがて腸管がその特有な蠕動ぜんどうを始めると、男の衣服が肩先から裾まで、少しばかりではあるが、たしかに一種の波動を起しました。私はじっと彼を見つめました。彼の額に始めて小粒の汗がにじみ出しました。
 然し、彼は何事も言いませんでした。私は今にもその唇から、悲鳴が洩れ出ずるかと思いましたが、彼は何とも言いませんでした。彼の頬は幾分か赤みを帯んで、出たがる言葉を無理に抑えつけて居るかのようでしたが、やはり唇を動かしませんでした。私の予感は当りました。予期したこととは言い乍ら、私は失望しました。それと同時に私は、愈よ、私が彼の痣を見て計画した最後の手段を講ずべきだと思いました。そこで私は男に気づかれぬように、コールタールの小壜と、短い筆とを掌中に握り今までと反対のがわに立ちました。即ち男と解剖台との中間に立ちいわば男に背を向けて、私のすることが男に見えないようにして、残った部分の解剖を行うことに致しました。
 男はさすがに腸管の運動に心を惹かれて、私が位置を変えたことにさえ気がつかぬ様子でした。私はタールの壜と筆とを死体の右側にかくし、メスを取って子宮壁を開きました。胎児は正常の位置即ち頭部を足の方に向けて顔の左側を上にしてよこたわってりました。私は臍帯へそのおを切って胎児を取り出し男に見えぬよう手前の方に近く寄せました。胎児は男性でした。私は手早く胎児の左の頭をガーゼで拭い、ひそかにコールタールを筆の先につけ、其処そこに、男の痣と同じ位置に毒蛾に似せた形を描きました。幸に男はそれを気づかなかった様子です。
 私は、漆黒の痣を左の頬に持った胎児の脇の下を両手にささげ、くるりと一廻転して、その痣が男の真正面になるように、差出しました。胎児と男の距離は凡そ三尺でした。
 男はこの突然な私の動作にさすがに面喰って、はじめは私の差出したものが何であるかを判断しかねて居るようですが、暫くすると彼の眼は、胎児の痣に集中されました。無論、男には自然に出来た痣と見えたでしょう。その眼に、初めてはげしい恐怖の色があらわれました。呼吸が急に大きくなり、同時に、上体を後ろにまげて、危うくよろけようと致しましたが、その時世にも恐ろしい唸り声を発して、ぱっと私をめがけて飛びかかって来ました。
 私はその時彼が胎児を奪うつもりかと思って、伸した腕をつと引きましたが、その途端、石のような男の拳が空間を唸って、私の左の頬に当ったかと思うと、私は人事不省に陥って、胎児を捧げたまま、解剖室にたおれてしまいました。

 その時に出来たのがこの痣です。
 男はそのまま発狂して、今は精神病院にります。然し彼は遂に女殺しの犯人であることを自白しませんでした。コールタールで出来た痣は、無論胎児と共に消滅しましたが、私の痣はその後消えませんし、無論男の痣も消える筈はありません。で、私はこの残された二つの痣が消えるまで、私の考案した法医学的拷問法を中止することに致しました。

底本:「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集 恋愛曲線」ちくま文庫、筑摩書房
   2002(平成14)年2月6日第1刷発行
初出:「大衆文芸」
   1926(大正15)年2月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:宮城高志
2010年3月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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