一

 おなつかしきT様。
 私は、何といって私の今の心もちをあなたに御伝えしてよいやら、本当に迷ってしまいました。あなたは今頃定めし私を怨んでおいでになることと思います。本当に私こうして筆をって居ましても、恐しいような、恥かしいような、また悲しいような思いになりまして、何から書きかけてよいやらわからなくなりました。私はこれから、あなたにとってはまったく意外な、世にも恐しい私の秘密を御伝え致そうと思います。そうして私は心からあなたに御わびして、あなたの御ゆるしを乞おうと決心致しました。この決心をする迄に私はどれ程苦しんだか知れません。しかしその苦しみは、秘密があなたに発見される時の苦しみに比ぶれば何でもないものであろうと思うと、私は一切を告白せずにられなくなりました。無論両親はおおいに反対致しましたが、私が頑としてきき入れぬものですから、遂にやむを得ず同意してくれました。これから私は私の犯そうとした大罪を潔よく白状致します。それはあなたの想像も及ばないところでして、きっとあなたは吃驚びっくりなさいますと同時に、限りなく腹をお立てになるだろうと思います。しかし私は危うい瀬戸際に至って、その大罪を犯さずに済みました。それが、せめてもの私の慰さめでもあり、又、比較的軽い気持で、あなたに御わびすることが出来るのであります。
 不思議な御縁によってあなたの許に嫁ぎ、新婚の一夜を過して、その翌日、実家へ戻って、そのまま、御そばに伺わぬ私の行いを、あなたはさぞかしお怒りで御座いましょう。でも私は、罪を犯して長い一生を送る気にはなれないので御座います。あなたを御慕い申せば申すほど、却って心苦しくてならぬので御座います。あなたの御なつかしい姿は、ふかくふかく私の心にきざみ込まれて、ともすれば私を美しい夢の世界に誘い入れますが、私の秘密を思い出しますと、愕然がくぜんとしてその夢からさめるので御座います。
 思えば、結婚前に、何故、一切の事情を御仲人おなこうど様に打ちあけなかったかと、今になって後悔で後悔でなりません。たとい両親がどういう意志でありましても、私さえ勇敢に打ちあけてりましたら、こうした遣瀬やるせない悲哀に沈まないでよかったものをと、かえすがえすも私の弱い心を恨まずにられません。その私の弱い心が、あなたにまで深いわざわいを及ぼすに至ったかと思うと、まことに穴があったら、はいりたい心地が致します。両親を恨むのは勿体もったいないことで御座いますが、両親から一切を秘密にせよと勧められて、ついつい気遅れのしたのも事実で御座います。然し、又とない良縁を喜ぶのあまり、秘密にすることをいた両親の心にも私は同情しないではられません。まったく私の秘密は私がし大胆に振舞いさえしたならば恐らく当分の間は発見されずに過すことが出来たであろうと思います。そうしてそのうちに私たちの間に、愛らしい子供が出来ましたならば、たといその秘密が暴露されても、必ず、あなたは私をお許し下さるだろうと思います。実際、そう考えたればこそ、心の中では済まぬ済まぬと思いながら、つい見合いまですましてしまい、それから話が急に進んで、せわしい結婚準備に追われ、そのまま引きられるようにして、とうとう式まですましたので御座います。
 このように申し上げても、恐らく、あなたは、私の秘密が何であるかを御察し出来ないだろうと思います。或は結婚前に私が他の男と関係したのではないかというような想像をなさいますかも知れませんけれども、私の秘密は、まったく、それとは性質を異にして居るので御座います。それは……ああ、こうしていざ打明けようと決心してさえ、なおも筆が進みかねるので御座いますが、思い切って申します……実は私は右の眼のめいを失った、不具者かたわものなので御座います。と、申し上げましたら、どれ程驚きになることか、又、どれほどお怒りになることか。然し、どうかこの手紙をしまいまで御読みになって下さいませ。不具者ではありますけれど、生れつき、不具かたわではなく、一昨年の冬、突然網膜炎に罹って、明を失したので御座います。然し、網膜炎のことで御座いますから、外部から見ては健康な眼と少しもちがい無いので御座います。ですから、御仲人様は勿論もちろん、見合を致しました時に、あなたにも気附かれずに済んだので御座います。ああ、あの見合の時の恐しさ、裁判官の前へ出た罪人の心もこれ程ではあるまいと私は思いました。もっとも、あなたは強度の近視眼で、眼鏡をおかけになって居ても、普通の人ほどには御見えにならぬとの事で御座いますから無理は御座いませんが、たとい専門の御医者様でも、一瞥しただけでは、御わかりにならぬくらいで御座いますから、両親も、私のこの欠陥を十分かくし通すことが出来ると主張し、私も両親を喜ばせるために、心を鬼にして、秘密をもったまま嫁入りしようとしたので御座います。
 実際結婚の当日までは、私は自分の罪をさほど深いものとも思わずに暮しました。ところが結婚の日の朝、思いもうけぬ月のものが、突然まいりましたのには、さすがに戦慄を禁ずることが出来ませんでした。予定の日より十日も早くまいったので御座いますもの、どうして驚かずにられましょう。もとより、こうしたためしは世の中に沢山あることだそうで御座いますが、すねに傷持つ身には、神様よりの警告としか考えられぬので御座いました。私はその時、本当に恐しくなってしまい、両親に向って、どうか先方様さきさまへ私の秘密を告げて、結婚を差し控えて下さいと、涙を流して頼みましたけれど、今になってはどうにも仕様がないではないかという、理由にならぬ理由をもって両親は無理やりに私を引っ張って行ってしまいました。自動車で運ばれる途中、御宅で式を挙げる時、それから披露の宴席につらなりました間、私はただもう恐しい夢を見て居るような心地がしましたが幸いに近視眼であらせられるあなたには、私のただならぬ顔色も不審がられずに済みました。
 両親も多少は狼狽ろうばいしたものか、御仲人様に私の身体の不浄を申し上げたのは、披露の宴も大方すもうとした頃で御座いました。御客様がたは、だいぶ御酒を召しあがって、随分上機嫌におなり遊ばしましたが、私は恐しいやら、苦しいやら、恥かしいやらで、心も上の空で御座いました。そうして、いよいよ二人きりになりました時も、私にとっては、あの柔かいしとねがいわば針のむしろで御座いました。私の身体の不浄は、せめてもの幸いといってよろしく、若しそうでなかったならば……と考えて、私はあの一睡も致しませんでした。若し子供が出来て、私のこの恐しい眼病が遺伝したならば、どんなに悲しいことであろう。あなたをあざむいた罪が、無邪気な子供にむくいたならば、どんなにつらいことであろう。と、そんなことを考えて、まんじりともせず、はては涙までこぼして、あなたに気附かれてしまいました。あなたは、しきりに私に向って、何故泣くのかと御たずねになりましたが、あの際どうして本当のことが申し上げられましょう。その上私は、あなたの接吻をさえ拒みましたので、あなたはついに御怒りで御座いましたが、私はもう、まるで夢中で御座いました。仮りに若し、あなたが私と同じ網膜炎であらせられて、私がそれを気附かず、結婚の当夜に、その真相を御告げになったとしたならば、恐らく私は気狂いにでもなるか、さもなくば悲しみと怒りのあまり、あなたを……いえ、どんなことを仕出かしたかもわかりません。それを思って私は、どうしても打明けかねたので御座います。然し私は、自分で打明けなくっても、今にあなたは、私の秘密を発見されはしないかと思って、びくびくしながら、時々涙を拭って見えぬ方の眼を隠すようにしてりましたが、どうした訳か、あなたは眼鏡をさえ御とりにならず、また私の顔を正視なさることもありませんでしたから、私はほっとしたので御座います。
 かような、いわば薄氷を踏むような一夜が明けるなり、私は逃げるようにして実家に戻りました。両親は驚いて、しきりに私を責め、一刻も早く帰るようにすすめましたが、私の決心は確乎として動きませんので、とうとう降参してしまい、私の自由に任せてくれました。そうしてやっと心の落ついた今、この手紙を書くので御座います。この手紙を御読み下さったあなたは、始めて、あの夜私があなたを怒らしめた理由を御知り下さって、私の心に同情して下さることと存じます。無論、私があなたをあざむいたことには御腹も立ちましょうが、一面から申しますれば、あなたを欺きとおして不幸に陥れなかった私の心には、むしろ感謝して下さるだろうとも思います。すべてはあなたを慕うのあまり、あなたの幸福を思って執った私の態度で御座いますもの、若しあなたが私を愛して下さるならば、きっと御許し下さるだろうと思います。
 然しながら、こうして一旦秘密を打明けました上は、もはやあなたの御手許へは帰れなくなりました。たとい私がどんなに御慕い申し上げ、又あなたが私のすべてを御許し下さっても、不具者かたわものとして御そばで一生を送ることは、私の堪えられぬところで御座います。両親も、もはや今となっては、すっかり諦めてります。まだ御仲人様には申し伝えにまいりませんが、その代り、私がこの手紙を書くことに同意してくれました。実は、両親は御仲人様のところへ出かけるのに、すこぶる足が重いらしいので御座います。
 不思議な御縁もこれで一旦の夢となってしまいました。どうぞ、私のことは一切忘れて下すって御身体を大切に遊ばし、良い御縁を御求めになり、幸福な御生涯をお送りになるよう蔭ながら御祈り申し上げます。まだ種々いろいろ申し上げ度いことも御座いますが、書けば書くほど未練な心も生じ、涙がしきりに出ますから、これで失礼致します。末筆ながら御両親様によろしく御伝え下さいますよう。乱筆を御許し下さいませ。
     × 月 × 日
文子ふみこ
       二

 おなつかしきT様。
 何という意外なことで御座いましょう。私は夢を見て居るのではないかと思います。今日御仲人様がおいでになりまして、私の手紙に対するあなたの御返事を承わり、且つ、あなたの御一身上の秘密を伝えききましたとき、嬉しいというよりも、むしろびっくりしてしまいました。本当に私たちはどういうしき因縁のもとに生れたので御座いましょう。あなたもまた私と同じように、左の眼の網膜炎にかかって明を失って御いでになろうとは、偶然の一致とはいえ、あまりにも偶然過ぎることで御座います。右の眼と左の眼との相違こそあれ、共に片目が見えないということしかもそれを双方が秘密にし合ったということは何という皮肉な運命で御座いましょう。似た者夫婦という言葉がありますが、こんな風に似ようとは、お互に思いもよらぬことで御座いました。両親はじめ私も、こちらの秘密を隠すことに気をとられて、ついついあなたの御眼には気がつかなかったので御座います。まさかあなたが同じ病に罹っておいでになろうとは、どうして考えられましょう。もとより御仲人様からはその話はなく、今日御仲人様が見えまして、はじめて双方の秘密をお知りになり、知らずしてこれまで双方をあざむいて居たと言って苦笑してられました。然し、若しこれが、双方のだましあいの喜劇に終らず、一方だけがだまされる悲劇に終ったとしたならば、御仲人様の責任は決して軽くはないと思います。
 思えば結婚の当夜、しとねの上でさえ、眼鏡を御取りにならなかった理由が、今になって私にもはっきりわかりました。そうして、あなたも、私と同じように、なるべく私に覚られまいと苦心して御いでになったかと思うと、何だか笑いたいような気になって来ます。あの時、二人がいさぎよく打あけ合って居たら、どんなにか、心を軽くすることが出来たであろうにと、今更残念がっても致し方が御座いません。
 それにしても、あなたが、私と同じように潔く秘密を御打ちあけ下さって、私に是非共帰って来るようにと仰せ下さることは、あなたを御慕い申し上げて居る私にとって、どんなに嬉しく且つ恥かしいか、到底筆紙のよく尽すところでは御座いません。両親もほっと一安心致しましたが、御仲人様に対しては急に御挨拶も出来ず、一先ず帰って頂いて、こうして私が、あなたのうれしい御言葉に対して、胸を躍らせながら、御返事をしたためる次第で御座います。
 二人とも片眼を失った不具者かたわものであるということは、却って二人の仲をかたく結び付けるよすがとなるかも知れません。ただ二人の間に出来る子供のことを思うと、さすがに恐ろしいような心持になりますが、必ずしも不具かたわものが生れて来るものとは限りますまいから、さほど心配するには及ぶまいかと思います。秘密を包んで持って居る間は、少しのことでも心配の種となりますが、秘密を打あけて了解を得た暁は、むかしの取越苦労をむしろ笑いたいような気になるものです。二人で二つの眼しかないということは悲しいといえば悲しいことですが、お互に外観はちっとも健康眼に変らないのですから、あなたが承知して下さった以上、私は喜んで一生涯御そばに暮させて頂きます。両親はもとより望んで居た御縁で御座いますから、今こうして、あなたが御不自由の身とわかっても、同情こそすれ、少しの不愉快をも感じないで、私の帰ることに同意してくれました。いわんや、こちらにも同じような欠点があるのを、潔く貰ってやるとおっしゃる御心には、涙を流して感謝致して居るので御座います。
 まったく、私の心は晴々と致しました。婚約が成立って以来、一日として安らかな日を送ったことのない私は、今日はじめて楽しい心になりました。でも、こんど御目にかかるとき、私はどんな思いをするでありましょうか。何だか御目にかかるのが恥かしいような気がしてなりません。でも、私は勇をして参ります。喜んであなたの腕に抱かれに行きます。そのことを思うと手が震えてなりません。どうか私の心を御察し下さい。両親よりよろしく申上げました。委細は御目にかかって申します。おなつかしきT様。

 と、申し上げたら、あなたはきっと御喜びになるで御座いましょう。然し、残念ながら、今の私には微塵みじんもそんな心はないので御座います。思えば結婚式がすむ迄、私もやはり世の常の花嫁の抱くような楽しい夢を胸に描いてりましたが、その夢は、披露の宴の際、忽然こつねんとして消えました。御友人の一人……お名前は申し上げません……が、可なりに沢山お酒を召し上り、酩酊のあまり、私の母に向って、あなたが網膜炎で片眼しか見えないと御告げになった時の母の驚きは、何にたとえんすべのない程大きいもので御座いました。私もそれをきいたとき、くやしさに胸がはりさける程で御座いました。片眼しか御見えにならぬという事実よりも、それを隠そうとなさった御心に腹が立ちました。何という恐しい御心で御座いましょう。私たちは御仲人様をも恨みました。無論御仲人様も御承知はなかったのですが、それにしてもあんまりな事だと思いました。本当にこの恨みは一生涯忘れまいと覚悟しました。然し、あの場合、事を荒立てるのはよくないと思い、なお又、御友人の言葉が果して真実かどうかわかりませんので、私はそれをたしかめようと決心して、先ず、両親から御仲人様に、その日の朝から月のものが来たといつわってあなたに告げてもらい、それからとこの上で私はあなたの眼を観察しようと思いましたけれども、用心深いあなたは、眼鏡を御取りにならず、私は私でくやし涙が出て観察どころではありませんでした。全く、外観上は健康な眼と変りのないのが網膜炎の常だということですから、たとい心を落つけて観察しても、素人にわかる筈はありません。でも、私は、あなたの接吻を断然拒みあなたのために、貞操も破られなかったことを誇りと致します。実家に帰っても勿論真偽のほどがわかりませんから、あなた御自身の口から白状して頂こうと思って、先便に差上げたような手紙を書いたので御座います。私自身は網膜炎にかかったことはなく、立派に両眼が見えるので御座います。然し、ああした虚偽の手紙を書かなければ、到底あなたのような卑怯ひきょうな人を白状させることは出来ぬと思いました。果して私の計画は成功しました。あなたはみごとに私の係蹄わなにかかって不具かたわものであるということを白状なさいました。そうして私たちは、あなたに欺かれたことをはっきり知ることが出来ました。若しあなたが、縁談のはじめから打明けて下さったならば、或は私は喜んでしたかも知れません。然し今はただあなたの心をにくむのみです。あなたの心をにくむと同時に、結婚を遊戯視しようとする一般男子の心をもにくみます。そうして又、私は日本の現代の結婚の習慣をもにくみます。あなたほど極端な欺瞞はないにしても、結婚と虚偽とがとかく離れがたい関係にあることは、実に呪うべき現象だと思います。
 私の申し上げたいことはぼ尽きました。ではこれで御わかれ致します。永久に。
     × 月 × 日
文子

底本:「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集 恋愛曲線」ちくま文庫、筑摩書房
   2002(平成14)年2月6日第1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1926(大正15)年4月号
入力:川山隆
校正:宮城高志
2010年3月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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