S・S・ヴァン・ダインは、数年前彗星のようにアメリカに出現して、一挙に、数あるアメリカの探偵小説作家の中で、群を抜いて王座をしめた作家である。
『ベンスン殺人事件』『カナリア殺人事件』『グリーン殺人事件』『僧正殺人事件』その他に近作一つと都合五つの長編小説を著わし、他に若干の短編小説がある。
 そのうちで前の三つは既に映画化され、ウィリヤム・パウエルの主演で、三つとも日本へ輸入された。三つともトーキーであったが、最初に来た「カナリア殺人事件」は日本にまだトーキーの設備のできない時分だったので、サイレントで興行されたと記憶している。
 もともと探偵小説の映画化は、困難であると見えて、シャーロック・ホームズ物にしても、ルパン物にしても、かつて成功したためしがない。トーキーは、その点で、サイレント映画よりも多少の便利をもっている。けれどもヴァン・ダインの作品の映画化は、どれも大して成功とは思われなかった。それだのに、映画会社が、引きつづき彼の作品を三つまで映画化したということは、彼の人気がどれほど異常であるかを知るに足る。

 探偵小説に限らず、一般の通俗小説においても、アメリカの小説は、イギリスやヨーロッパ大陸の小説に比べて、馬鹿げた筋や、剣撃的なテンポや、千編一律なハッピー・エンドにいつまでも低回していて、芸術的価値の乏しいものが多い。ことに探偵小説においてそうで、私も、一時探偵小説が好きで、だいぶ新刊雑誌のものなどを読み漁ったことがあったが、これはと思うような作品にはめったにぶつかったことがなかった。
 こうした中にあって、S・S・ヴァン・ダインの作品は光っている。
 ことに彼は一作ごとに新しい趣向をこらしてゆくので、駄作というようなものは一つもない。どれを見ても、物語の構成から、犯罪捜査の手法から、それを表現する文章に至るまで、一分のすきもなく、しっかりしている。海の彼方のイギリスには、いま、エドガー・ウォーレスという探偵小説の流行児がある。彼はその多作の点において、いかにも楽々と大作を次から次へと発表してゆくエネルギーにおいて私たちを驚嘆させるが、やはり一作ずつをとってみると、ゆるみがある。イージーに書きなぐった形跡を蔽うことができない。どうも私は、ウォーレスをアメリカへもってきて、ヴァン・ダインをイギリスへもって行った方が、所を得ているように思われてならない。それほどヴァン・ダインはアメリカ作家の中で異彩を放っている。

 ヴァン・ダインの探偵小説があれほど読書界の人気を獲得した理由はどこにあるのだろうか? 私はその心理的分析にあるのだろうと思う。彼の作品は架空的な物語の筋を図式的にこんぐらがらせ、発展させていっただけのものではない。それに充分な肉付きを与え外的事件の過程とともに内的心理の過程をも見逃さないようにしている。しかもそれは単にトリックに必要なためにそうしているのではなくて、それが彼の全体の作風となっているのだ。ここに彼の作品に、一味の現実味とまた芸術性とを与えている理由がある。それと同時に、馬鹿々々しいアメリカの探偵小説界においてあれだけの人気を博した理由がある。人気というものはちょっとしたことが機縁になるもので、あまり読者をあまく見て、読者の人気に故意に投じようとしたって決して生まれるものでない。
 ちょうど大仏おさらぎ次郎氏の『赤穂浪士』が日本の大衆文学界で人気を集めたのもこれと似ている。氏はこの作において、大衆文芸の従来のレベルを少し高めて、それに芸術性と現実性とを与えた。それが人気に投じた。しかし大仏氏の作品はまだまだ妥協的であるが、ヴァン・ダインの探偵小説には妥協がない。全身的だ。低い読者を頭の中においているようなところがない。そこが彼のよいところである。

 彼の作品にはわざとらしい伏線がない。そのかわり、第一頁から犯人があがるまで全体が伏線のようなもので、どの一頁、どの一行、登場人物のどんな一言一行でも、漫然と読んでいるわけにはゆかない。犯罪に関係のないことは書かないというのが彼の主義である。それでいて、いっけん犯罪とまるで関係のなさそうなこと、関係があるとすれば、互いに矛盾していて、どうにも論理を辿ってゆけないような事柄を彼は、精緻に、ぎしぎしと詰めこんでいる。
『グリーン殺人事件』の中で、素人探偵ファイロ・ヴァンスは、犯跡捜索の手がかりとなるような事項を二百近く列挙している。二百近くである。しかも、それがいっけん互いに矛盾しあっているのだ。大抵の探偵小説では、手がかりは二つか三つ、せいぜい五つか七つである。それを彼は二百も列挙して、その間の関係を考えるのだ。そのうちのどれを省略しても手がかりは不十分ということになる。
 私はかつて、彼の作品を一つ翻訳したことがあるが、紙数の都合で、約四分の一ほど切り捨てねばならなかった。普通の探偵小説では、切りすてるということは容易である。冗漫な描写や、わき道へそれたところなどはかえって捨てて圧縮した方が効果的になる場合すらある。ところが、ヴァン・ダインの場合はそうではない。何しろ彼は、物語の本筋に関係のない描写は探偵小説には禁物なりということを信条としている作家である。だから、どこを切りすてても、犯人を見つける上の手がかりをなくしてしまうおそれがあるので弱ったものである。
 彼の作品はことごとく「殺人事件」であり、またその形式はいずれも、作者のペン・ネームと同じヴァン・ダインが日付順に記録していった日記の形式となっている。探偵は皆、フイロ・ヴァンス[#「フイロ・ヴァンス」はママ]という作者の友人の形式になっている。これらのうちのあるものは彼の独創とは言えないが、これらの形式を結合したところに、しっくりした彼独特のスタイルをつくりだしている。

底本:「平林初之輔探偵小説選〔論創ミステリ叢書2〕」論創社
   2003(平成15)年11月10日初版第1刷発行
初出:「改造 第一二巻第一一号」
   1930(昭和5)年11月号
※表題の「ヴアン・ダイン」と、本文中の「ヴァン・ダイン」は、底本通りです。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年12月8日作成
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