社会現象の過程は、全体性においてのみ完全に理解することができるので、それを部分的に、局所的に理解することは不可能である。だから、昭和四年の文壇に起こった現象の過程も、他の社会現象との連関において、また、少なくも最近数年間の過程との連関においてのみ、はじめて理解することを許されるであろう。だが、ここではそういう企図ははじめから放擲ほうてきせねばならぬ。私はただ若干の特徴的な事実を列挙し、それに対する簡単な解説を加えることだけで満足し、それ以上の仕事は読者自身に一任しておこうと思う。
 それに私はいま正確な資料を前においてこの文章を起草しているのではなくて、思い出すままに筆をとっているのであるから、記憶の不正確をおそれて、具体的な記述に入ることはなるべく避けようと思う。また、ここに許された程度の紙面では、具体的記述にわたることは、実際にそうしようと思ってもできるものでない。
 なるべく公平に見てゆこうと思うのだが、これも畢竟私の眼で見た公平にすぎないので、すべての人が私と同じ眼をもっていない以上不可能なことであろう。

 最も多数の読者をもっているという点において、最も大量に生産される新聞と雑誌との文芸欄を占有しているという点において、通俗小説の勢力は、今年においても少しも衰退を見せないのみならず、かえって、ますます読書界の寵児となりつつある。その顔触れは大体において変化を見ない。依然として菊池寛であり、三上於莵吉おときちであり、中村武羅夫であり、加藤武雄である。だが、これらの第一線の作家が、従来主として、新聞と婦人雑誌とによっていたのが、近年目だって、娯楽雑誌にまで進出して、娯楽雑誌専属のお抱え作家の勢力が急激に閉息してきたこと、そして、いわゆる「文壇」から、通俗小説の作家が頻々として現れてきたことは、特に昭和四年度における著しい特徴の一つだと言えよう。これは十九世紀の後半にフランスあたりの文壇におこった現象、アレクサンドル・デュマや、ウージェーヌ・シューのような作家を輩出せしめたのと同じ現象、すなわち金の力が最も力強く作家の創作活動を刺激するようになってきた現象に外ならないと私は思う。ブルジョア社会におけるすべての原動力は金である。社会の全面をあげて、現代はゴールド・ラッシュの時代である。金が作家の創作の刺激になるのは当然である。従来の日本作家には、まだまだこの意味では、封建時代の文人気質が多く残っており、どんなに勘定高い文人でも、他の職業人に比べるとまだまだ金銭に対する観念が淡白であったし、どんなに収入の多い作家でも、その所得額平均十万円の単位を突破し得る人はほとんどなかったろうと思う。だが産業合理化の段階にはいった資本主義の現段階では、清貧に甘んじたり、怠けていたり、濫費したりすることは、文人にとっても美徳ではなくてかえって悪徳となる。今や刊行物、換言すれば出版資本の集中と、出版物の大量生産とは、流行作家をますます流行作家とし、二流以下の作家を、もはや名前だけでは何の力にもならないという位置に没落させることによって、急激に作家の淘汰を行いつつあるように思われる。ちょうどそれは金融寡頭政治の社会とよく似ている。第一流の地位は独占的で、あらゆる変化を通して強固であるが、第二流以下においては、自由競争が最も露骨に、最も無慈悲に行われる。二流作家とか中堅作家とかに属する人たちは、もはや、かけだしの新作家と同じ立場にたって、存在のために戦わねばならぬのである。
 こういう形勢の下では、精力的な作家が生きのこる。前にあげた四人は、ただ思いついたままにあげたに過ぎないのだが、四人が四人とも、著しく精力的なのが目立つ。いまイギリスの通俗小説の寵児、エドガー・ウォーレスのごときは、数週間も彼の新刊が出ぬと、ウォーレスは病気でもしたんじゃないかと読者があやしむということだ。それ程に精力的なことが通俗作家には必要なのだ。それ程ではないにしても、今、二三ヶ月三上於莵吉の名前が、どの新聞にも雑誌にも見えなかったとしたら、読者はきっと、「三上さんはまだ生きているだろうか」とあやしむに相違ない。
 いずれにしても通俗小説は今も昔も、そして近い将来にも、ますます多数の読者を獲得してゆくだろう。

 いわゆる大衆文学は、昨年を全盛期として、今年は少し下火に向かったような観がある。『赤穂浪士』三巻を完成し、『ごろつき船』を出し、『由井正雪』『からす組』その他その他、と引きつづき大作を発表している大仏おさらぎ次郎が、ひとり大衆文学界の寵を独占していた観がある。それは中里介山が完全に沈黙し、白井喬二が次第に勢力を失って、今や、大衆文学壇において、問題となりそうな作品を提供し得る作家が、ほとんど大仏氏一人になったためであろう。
 もちろん、いわゆる大衆文学の作家は昨年に比べて数がへったわけではなく、作品がへったわけでもなく、読者がへったわけでもない。ただ大抵の作家が娯楽雑誌の舞台へおしやられて、リテラリー・サークルのトピックとなることをやめたということをさすのである。大衆文学の大部分は、いま、講談や、落語と同じような、骨董的存在として命脈を保っているに過ぎないのである。
 そこで、この方面における私たちの興味は、勢い、大仏氏が、今後どんな風にその文学的生命を展開するかという一点に集中される。心境小説への転落か、真の大衆的文学、普遍的な問題を、普遍的に表現することによって多数の読者の心臓に迫るような作風への進出か、あるいは安易な話術文学へかえって、一般の大衆作家の列伍に復帰するか、さらにまた階級的意識を鮮明にして、プロレタリア大衆文学の先駆をなすか、そういうところに興味がつながっている。貴司山治氏がプロレタリア大衆文学としてのすぐれた作品を発表したということであるが、私は不幸にしてまだよんでいない。直木三十五が、この方面にだいぶ身を入れはじめたということであるし、彼はたしかに何か鋭いものをもっているような感じは与えるが、まだ、この方面でゆるぎなき位置を獲得する程の作品は見せておらぬ。気の多い彼にはそれを期待することも恐らくできないであろう。
 一般に、大衆文学は、題材の制約を受けている。大衆文学という名前は、通俗的歴史小説とかえる方が適当である。この制約が撤廃されぬ限り、大衆小説は、ある程度まで、読者の回顧的、反動的趣味と迎合しなければならない。そしてますます急速なテンポをもって進んでゆく今日の社会では、大衆文学は、今日までのような伝統を墨守する限り、ますます読者の範囲をせばめてゆくであろうし、題材の制約を撤廃するならば、それは一般の通俗小説となんらえらぶところがなくなるであろう。
 要するに大衆小説と通俗小説との関係は、旧劇と新劇との関係に似ている。ただ、ちがっているのは、旧劇が数百年来の伝統によって鍛え上げられた芸術的完成をもっているに反し、大衆小説は、全くそうした伝統をもっていない点である。そのために大衆小説は歌舞伎劇のような惰性的生命をもち得ないで、大衆の実質的興味が衰えるとともに弊履へいりのようにすてておしまれないだろうという点だ。中里、白井、大仏氏らが筆をたったあとの大衆文学壇は、今日の状態では、沢田正二郎没後の剣劇と同一の試練にたえなければならぬであろう。

 西洋ではロマンティシズムの末期に、次のような批難が作家に向かってなげられた。
「こんな小説はわざわざ時間をかけて読むには値しない、誰でも知っている、誰でも生活している生活を、紙の上に再現して、またそれを読んだところで何の興味があるか?」
 かかる批難は、日本では、自然主義の末期から、現代へ引きつづいて繰り返されている。けだし、これは、ある流派の文学の末期に起こるトリヴィアリズム〔瑣末主義〕に対して、常に繰り返される批難であろう。
 この批難に答えるために、機敏なジャーナリストによって旧造された文学のカテゴリーがいわゆる実話文学であろう。『文藝春秋』は毎号実話物を掲載しているし、『新潮』にも事実小説と銘うった作品が掲載されたことがある。「実話文学」によりて、ジャーナリストが、そしてジャーナリストが読者の希望を代表している限りにおいて読者が要求しているのは、私の考えによれば、ただ事実を基礎とした小説というのではなくて、何か変わった、異常な、滅多にない事実の記録という点であろうと思う。したがってこれは、文学作品は事実をはなれてはならぬというリアリズムの要請とは根本的にちがうものであり、むしろ今日の場合ではそれに対立しているのである。リアリズムの文学が、身辺小説、心境小説に転落して、大衆の興味を失ったのに対して、これに客観性を与え、作者の心境ではなくて、事件そのものの興味、作家の主観をはなれても、それ自身で興味のあるような事件の記録をこれに代置しようとした試みであると解せられる。
 だがこういう試みは、一時読者に眼光をかえることによって、何らかの刺激を与えることはあっても、一つの根底のある風潮を形成するには至らないであろう。というのは実話文学という名称そのものが既に、木に竹をついだような感じを与えるとおり、これは二つの本質的にちがったものの組み合わせだからである。最近の小説があまり面白くないから、何か面白い読み物をという、漠然たる、ジャーナリストのホイムシイ〔(whimsy =奇抜なもの気まぐれ、もの好き)〕によってつくりあげられた文学であって、文学作品は実話を基礎としなければならぬというような主張にもとづいているものではない。そのために実話がかえって製造され、つくられた実話が生まれるようになる。現にそう思わせるような作品が決して少なくない。そうなると「実話」としての魅力も小説としての価値も二つながら台なしにならざるを得ない。しょせんこれは、一時の流行であって、来年あたりは消えてなくなるべき運命をもっているのである。現代の面白くない小説に対する、一時おさえのカンフル注射のごときものである。
 それについて思い起こすのは、近年まで、婦人雑誌の読み物として「告白物」が流行したことがある。これは官憲の取り締まりのためもあって、最近あとをたったが、あの「告白物」は、事実らしく見せかけたつくり話であることが多かったということである。実話文学の落ちつく先もそうした経路をとるより他はあるまい。それよりも私には『婦人公論』の、新聞で問題になった事件の当事者の感想的告白の方が遥かに生々しいという点で興味があった。無論これらは、文学の問題として論ずる問題ではないであろうか。

 同じく末期的文学の一つの現象として、ナンセンス文学をあげることができるであろう。これは、ある一つのレジームの末期にいつでもあらわれる軽文学の、最新の形態である。これはまだしかし日本では地についていない観がある。主として『新青年』によるフィッシュ兄弟とかウッドハウスのごとき、外国の作家の作品の輸入、ならびに外国の笑い話の翻訳によって一つの読み物のカテゴリーを形成している現状に過ぎない。日本人のナンセンス文学にはどうも重苦しい、封建的せんじつめの伝統を脱しきらないところがあって、たとえば佐々木邦の滑稽小説にしても、新時代の精神に触れていない。鈍重で、陳腐である。
 辰野九紫の滑稽物にやや新鮮味が見られるが、この人の面白さも、やはり落語的話術の巧みさが主であって、真のウイットで腹の底まで哄笑させるようなところが少ない。岡本一平等の漫画は、この種のナンセンス文学に少なからぬ影響を与えているだろうと思われるが、私には今その経路を辿っている余裕はない。ただ岡本の漫画にも、東洋的な伝統に返ろうとする傾向が最近特に顕著で、そこが日本人のオリジナルなところだと言えないこともないが、ナンセンスは伝統を破るところに、真骨頭を[#「真骨頭を」はママ]発揮するとも言えるので、何となく新鮮味の欠如を感じさせる。余談にわたるが、邦楽座の漫画のサウンド・ピクチャーは実によかった。これにはもちろん、進んだ映画技術も手伝っていることであろうから、簡単な結論は下せないが、一般に外国のナンセンス物は、破壊的で、非伝統的で、構想が突飛を極めているが、日本のそれは常識的な、中庸的な、生温かさに包まれている。
 ナンセンス文学は、全く逃避的な文学であるという説がある。しかしそう断定してしまうのはいささか独断だ。ナンセンス文学は、何よりも、伝統、権威、一切の上品ぶったもの、もったいぶったもの、形式主義、に対する消極的破壊の文学である。価値転倒の文学である。日本のナンセンス文学が、地口と洒落との範囲をでないで、スピリチュアルな要素を欠いているのは、したがって、ナンセンス文学の本質的なものを欠いているということになる。

 今日全世界で、最も広く読まれている文学は、探偵小説であろう。特に英米二大資本主義国における大衆読み物のうちでだんぜん地をぬいているものは探偵小説である。
 日本でも、今年は、探偵小説が急に台頭してきた。従来ほとんど、『新青年』の独占であった探偵小説が、今年は、一方では、『キング』、『講談倶楽部』、『朝日』、『婦女界』等の大衆雑誌や婦人雑誌に掲載されはじめ、他方では『中央公論』、『改造』、『文学時代』等の従来純文芸小説ばかりを掲載していた高級雑誌に進出し、『東京朝日新聞』は、甲賀三郎の「幽霊犯人」を講談にかえて夕刊紙上に連載するようになり、時期を同じうして、四つの書店から、創作および翻訳の探偵小説全集が出版されるという有り様であった。
 だが、これらの賑やかな外観の割合には、探偵小説の実質的な発達はそれほど目ざましいものではなかった。その理由は、まず第一に、日本の読者層が、まだ探偵小説を歓迎する程までには発達していないためであり、第二には、がんらい日本人は古くから、探偵小説の発達に好適な推理的国民ではないためであり、第三に、日本にはまだ探偵小説のすぐれた作家が出ないためである。
 探偵小説の発達には、何といっても科学的機械文明の高度の発達が前提とされる。探偵小説にももちろん、神秘的要素は必要だが、探偵小説の神秘は、科学前期の神秘であってはならない。ここでは人間の推理力が王座をしめていなくてはならない。宿命や、超自然的な力は、探偵小説の領域から排除されねばならぬ。その意味で、探偵小説は、最も執拗に人間的な小説であり、しかもアップ・トゥー・デートの小説である。日本人の文明、長い間非科学的な伝統の中に育ってきた日本人のイデオロギーは、まだ十分に探偵小説を生むにふさわしい程度まで発達しておらぬ。
 探偵小説の作家では、江戸川乱歩が依然として第一人者であり、彼の構成する世界はたしかに異常な世界である。だが彼の世界には健康性がなく、朗らかさがなく、機械学的な複雑の中の単純さといった要素がない。そのために、彼がどんなに精巧な世界を構成して見せても、しょせんそれは過去の世界でしかない。金融資本と、信用経済と、電気工業との現代の社会にぴったりとあったテンポをもっていない。現代の社会の軌道からそれたあぶくを顕微鏡で見たようなのが、彼の探偵小説の世界である。だから彼の作風は、他人の追随を許さないと同時に、他の作家をリードすることもできないのである。小酒井不木の死は、探偵小説らしい探偵小説の出現をさらにおくらしたという点からだけでもおしまれる。その他には甲賀、大下等の作家があるが、まだ独自のものをもつに至らない。大衆文学としての探偵小説の頷域は、当分の間は最も有望な領域であるが、その全盛期を見るまでには前記の諸理由によってまだ若干の年月が必要とされるであろう。そしてまだ相当の期間の間は、探偵小説の読者は依然として翻訳物につくであろう。

 島崎藤村氏が、中央公論誌上に年四回の割合で、畢世ひっせいの大作『夜明け前』を連載しはじめるという予告は、冬眠状態にあった正統派の文壇を一時聳目しょうもくせしめた。そして、ある人々は、さすがに期待を裏切らなかったと言ったが、大部分の人々は、何となく物足りない感じをもってこれを迎えたことは争われない事実であった。
 島崎氏が、従来自己の生活を中心として筆をとってきた、『破戒』から『分配』までの諸作は少なくともそのシリアスな態度において、いかなる場合にも取り乱さない省察の周到さにおいて、明治大正の文学史上における一つのモニュメントたるを失わない。ところが、この『夜明け前』において、氏は、従来氏が取り扱わなかったところの、純客観的な材料を取り扱おうとした。とうぜん勝手がかわらざるを得なかったに相違ない。シリアスな態度、材料に対する十分な用意、この作品が写し出そうとする広大な展望の前触れともいうべき雰囲気は、既に発表された部分だけから感じられる。だが、氏が自己の生活を中心とした従来の作品にくらべて、この作品には至るところにゆるみがあるのが感じられる。作者の血が隅々まで通いきっていないところがある。一つ一つの文字に作者の神経がいきわたっていないところがある。そしてこういう大作にとって必要なテクニックを作者がほとんど無視しているために、作者が懸命に精力を集中している割合に、この作品をすでに退屈なものにしていることは争われない。全体的な評価を今から下すのは早計であるが、少なくも技術的に見て、この作は失敗とは言えないまでも、はじめから非常に大きな欠点を暴露したと言えるであろう。しかし、零細な、身辺小説の中にあって、この老大家の精進はたしかに空谷の足音であった。
「唐人お吉」についで「あの道この道」を発表し、さらに、「街の斧博士」「時の敗者」等を発表した十一谷義三郎じゅういちやぎさぶろうもまた、その質実な、根気のよい、手堅い作風において、滔々とうとうたる即興的小説の型を破った作家である。彼の創作態度は、そのシリアスな点において、島崎藤村とともに推賞すべきものがある。だが彼の創作態度は研究的というよりもむしろ穿鑿せんさく的といった方がよい程度な点が多く、そのために、折角の努力が、本質的なものに向かわないで末枝的なものに向かっている場合が少なくない。風俗史家的な考証癖と、文章における一種のペダントリー〔衒学〕とが相まって、「調べた」作品である割合に、氏の作品は効果が希薄である。もっと自由な空気を流入させ、もっと大胆に奔放に社会と人生との根本的なものへ突入してゆかねば、氏の小説は、ついに書斎の中でこしらえた小説におわるであろう。
「風呂と銀行」を発端とする長編の一部分をひきつづき『改造』誌上に発表した横光利一もまた、今年度において特記すべき作家であろう。彼もまた、身辺小説を揚棄して、客観的な世界に眼をむけたという点において、また、創作態度がなおざりでなく、真撃である[#「真撃である」はママ]という点において、島崎、十一谷両氏と共通なものをもっている。しかも前記二者が過去へ穿鑿の眼を向けたに対し、横光氏は現代の世界へ、勇ましく飛びこんで、それを描出しようとした点において、いっそう意味のある仕事にとりかかったと言えるだろう。しかしこの企図の結果が満足なものであったとは決していえない。彼の表現にはたしかに新鮮味がある。その点において、十一谷氏の擬古的な表現とは正に対蹠たいしょ的であり、私自身の好みから言えば、横光氏の努力の方が遥かに効果的だと思う。だが氏の表現は、混沌としすぎている。氏はいつか、この混沌的表現を合理化していたが、あれは筋がとおらない。現代の社会が騒音であるからその表現もまた騒音的であるべきだという論拠だったと記憶するが、騒音の騒音たることははっきりと描出しなければならぬ。文章道における、クラルテ〔明晰〕とサムプリシテ〔簡素〕の原則はそのために決して破られない。馬鹿を最もよく表現し得るものは馬鹿ではなくて、かえって最もすぐれた天才でなければならぬ。
 谷崎潤一郎、里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)、佐藤春夫の諸家は、なんらかの転換を画さざる限り、もはや昔日の名声を回復することは困難であろう。広津和郎も何とかなりそうで、まだ注目すべき作品を示すには至らなかった。その他個々の作家を列挙すればきりがないが、一般に正統派文壇においては、いわゆる中堅作家が、急激に没落したことが目立つ。もちろんこれは、中堅作家の創作力が衰えたということよりも、むしろ出版資本の集中による作品発表機関の相対的減少と、新作家が比較的自由に文壇にのりだすことができるようになった事情とに制約されているのであろう。

 プロレタリア文学の陣営は、ともかくも年一年と上向線をたどっていることは事実である。これはプロレタリア階級そのものの進歩的性質にもよるのだが、もう一つは、プロレタリア政治的戦線においては、極度の暴圧がひきつづき加えられつつあるに反して、文学の方面では、不思議にもプロレタリア文学は比較的好適な条件のもとにおかれてあるという事情にもよるのである。それと同時にまたそれは、プロレタリア文学は、まだ、プロレタリアの政治運動のように、ブルジョア社会の存立を脅かす程の力をもっていないために、黙認されているからだという説明も可能であろう。ちょうど合法的無産政党が、一般には多少の好奇心もまじって気受けのよいのと同じである。
「一九二八・三・一五」「蟹工船」「不在地主」等の比較的まとまった作品を発表して、プロレタリア身辺小説を掲棄した小林多喜二はこの方面における第一の功労者といって差し支えなかろう。彼の地位は正統派文壇における十一谷義三郎、横光利一等の地位とよく似ている。すなわち、一編の作品をつくり上げるのに、材料に、構想に、表現に、非常な準備をもって向かうという点がこれらの作家と共通している。これは作家として当然なことなのであるが、この当然なことが最近ではネグレクトされていたのだ。
 小林多喜二の作品が従来のプロレタリア文学の作品に対してすぐれている点は、私の考えでは、彼がある事柄を描くにあたって、それを自余の全体との連関において把握しようと努力した点である。彼の物の見方が弁証法的唯物論の基準に従っている点である。局所的、部分的、主観的、身辺的な多くの作品の中で彼の作品が光っていたのはそのためだ。
「鉄」「賃銀奴隷宣言」等の作者岩藤雪夫もまた、小林とならんで、本年度のプロレタリア文学の陣営で記憶すべき作家であろう。彼の作風は、小林の作風がインテリゲンチャ的であるに対して労働者的であるという点に異色がある。彼は工場労働者の闘争的生活を、実にたんねんに描写している。彼の功績は、今までのところでは、従来文学作品の中にあまり現れなかった工業労働者の生活を微細に描写したということにあって、まだそれ以上には何物も示していないといってよかろう。
 小林といい、岩藤といい、テクニックの上では、ブルジョア文学の遺産を踏襲する以外に、むろん何物をも付加してはいない。だがプロレタリア文学は、まだ当分、いかに描いたかよりも、何を描いたかの方を主として検査され、評価されねばならぬであろう。内容の偏重は、勃興の途上にある文学には避けがたいことだ。

 マルキシズムが生産階級の前衛のイデオロギーであるとすれば、モダニズムは消費階級の前衛的イデオロギーである。すなわちこれは近代化された享楽主義である。
 この傾向は、カフェとダンスホールの増加に正比例して、今年にはいってから、ますます知識階級を中心とする消費者階級に全盛の勢いを見せている。したがってそれが文学作品に反映するのは無理もない。
 モダニズムは、同じく消費者的イデオロギーであっても、センチメンタリズムともデカダニズムともちがい、むしろこれらのものと対立する。菊池寛や中村武羅夫の小説にも幾分この影響がある。大宅壮一の評論にも、堀口大學の詩にもそれがある。そして最後に百パーセント・モダニスト林房雄である。林房雄はモダニズムとマルキシズムとを調和させたという人がある。だがこの二つは決して調和する代物ではない。それは林房雄個人の中に並存しているかもしれないけれども、決して調和してはいない。この二つが似ているのはモダニズムは破壊的なイデオロギーであり、マルキシズムにも破壊的な一面があって、どちらも伝統的の拘束を排除するという点だけだ。本質はまるでちがっている。

 形式主義の問題が一段落をつげ、プロレタリア文学大衆化の問題がうやむやに葬られ、今年は、批評界では、いわゆる、政治的価値と芸術的価値の問題が最も活発に論じられた。
 この問題は、そもそもプロレタリア前衛の文学作品を評価する際にあたっての疑問を、告白の形で私が提出したのであるが、種々様々な意味にとられて、ついに、文学一般の問題であるかのような姿を帯びて、論壇のオール・スター・キャストの入り乱れての論戦をまきおこした。
 私の提出した課題は、マルクス派の作品には、芸術品としてはすぐれた作品でなくても、マルクス主義の通俗化というような宣伝的また扇動的機能をもっているものがあるので、一概に排斥されないものがある、この場合には評価の基準は、まず政治的基準により、次に芸術的基準によるという風に、二重の基準をもってのぞまねばなるまいというのであった。したがって、もちろん、一般には、そういう政治的機能をはたしていない作品でも芸術品としてはすぐれた作品があり得るし、また実際にあるということを主張したのであった。しかも、実際、左翼における批評では、従来私が指摘したような評価の基準が採用されていたのだ。誰が芸術的に、ナップ〔(全日本無産者芸術連盟)〕所属の大部分の作家を、島崎藤村よりもすぐれていると考え得ただろう。しかし左翼の批評家のうちで、誰が、自らのグループの作家をまず賞揚しなかっただろう。
 実際この論戦は、ある人によると、明らかに私の敗けにおわったそうであるが、たとい議論にはまけたとしても(実際数から言えば一対一〇位のスコアでまけた)、事実において、左翼批評界における政治主義が、だんだん緩和されてきたという消極的な結果をもたらしたことだけは争われなかった。
 この問題およびその他の問題において、今年の批評界では勝本清一郎、蔵原惟人、岡沢秀虎、谷川徹三の四氏が私の印象には最もあざやかにのこっている。ことにあまり人の注目をひかなかったようであるが、岡沢秀虎が『文学思想研究』および『文芸戦線』誌上に連載した、ソビエト・ロシア文学の史的研究は注目すべき述作であった。この他に、大宅壮一の歯ざれのいい、通俗的な、わかりやすい評論も、ますます冴えてきたように思われる。
 中村武羅夫が、突如としてプロレタリア作家の作品の大部分を読んだ上で、プロレタリア文学を批判したことは、まずその精力的な点で、次にはその大胆率直な点で私たちを驚かせた。彼の批評には、見当ちがいな点も多分にあったが、中には肯綮こうけいにあたった部分も少なくなかった。彼がプロレタリア文学の作品がなんら新しい形式を獲得していないと批難したのは批難する方が無理であると思わせたが、「蟹工船」の批評には適切な意見が含まれていた。これに対して作者小林多喜二が『読売新聞』で、むやみに興奮して反駁したが、彼はあんな風に批評をうけ入れるべきではなかったように私には思われる。
 蔵原惟人らの提唱によるプロレタリア・リアリズムの問題は恐らく来年へもちこされて十分に論じられるべき問題であろう。幾分お祭り気分的に上ずった、プロレタリア文壇の一部に対する青野季吉の忠告は、勝本氏らによりて簡単に葬り去られたが、この問題も来年度にはきっと再燃するだろう。
 だがそんなことよりも何よりも、批評家にとって、特にプロレタリア批評家にとって、早速とりかからねばならぬ仕事は、明治、大正、昭和三代を通じて築き上げられたブルジョア文学を全体性において、歴史的に、分析的に研究することである。大宅壮一が提唱した、「プロレタリア文学概論」のごときは、この基礎的研究なくしては不可能だ。ロシアの理論を輸入することよりも、日本の現実を知ることの方が遥かに意義のある仕事だと言えよう。

 功利主義に対する、反功利主義、形式主義に対する内容主義、これは、文学の弁証法的進化をつらぬく核心であるといえよう。「文学派」はこの意味で、昨年来の形式主義の継承であり、その形式主義はまた、その以前の新感覚派の継承である。そしてこれらの根幹をなす主張は、「芸術のための芸術」主義であり、唯美主義である。そしてこの潮流の陰に常に隠見するのは横光利一の姿である。彼をとり囲んで、川端康成がある。小林秀雄がある。堀辰雄がある。犬養健がある。さらにアルチュール・ランボーがあり、マルセル・プルーストがある。
 これはマルクス派文学に対するアンチテーゼである。プロレタリア文学の内容主義と功利主義とに対する反発である。小林秀雄が、『改造』の懸賞に応じた評論は、この派の代表的理論であろう。そこには主張も理論もすべて否定されている。横光利一の騒音の賛美もそれと軌を一にする。――ここにマルキシズム文学の明快を貴ぶ文学論と、芸術派の不明快を貴ぶ文学論の衝突が起こってくる――と横光利一はあるところで言う。
 この言葉は実に興味のある言葉である。文学派はこれで見ると明確にマルキシズム文学のアンチテーゼとしての自己をまだつくり上げないで、それを摸索しているのだ。その期間だけ、不明快と、騒音とで満足できているのだ。『文学』という彼らのオルガン〔機関誌〕の題名について、はじめ『左翼』とするつもりであったのが、『文学』となったのであるが、実によい名前だと川端康成は言う。この言葉の意味もよくわかる。何も冠詞のない文学は、何の主張もない文学という意味だ。だが無意識的には反マルクス主義派であれば、どんな分子でも、騒音の中の一つの音としてとり入れられる。ダグラスの信用経済と新文学とを有機的にむすびつけようとする久野豊彦の不協和音にも一つの席が与えられる。
 だが、一定の期間がたつにつれて、この騒音と、不明快の中から、明快なコーラスが聞きとれるようになるだろう。その時こそ、文学派が自己のリアクショネール〔反動〕としての積極的役割を意識する時だ。要するに「文学派」の発生は必然的であり、マルキシズム文学派にも、もし彼らが十分に寛容であるなら、今日の段階では、ある程度のよい刺激を与え得るだろう。マルクス主義が正しいにしたところで、それに属する人々の作品や文学理論が全部すぐれているわけでは決してないのだから。

『女人芸術』がだんだんととのってくる。『婦人サロン』が生まれる。みんなリベラルな婦人のグループだ。
 平林たい子はもう下り坂になったという話をよく聞くが、私は彼女の全盛時代をよく知らないせいか、そうは思わない。創作では近頃大した注目すべきものを見せないが、議論はだんだんしっかりしてくるように思う。上田文子にはまだ女らしいセンチメンタリズムがのこっているようだが、中本たか子は理知的で、特に器用である。二人とも左傾したということだが、後者に未知数的な期待が多くもてるような気がする。その肉体ほどではないが、とにかく相当に豊満な創作力をもっていた中条百合子がロシアに行ってから、あまり作品を見せないことは、この一派を淋しくしている。神近市子は、理論的勧進元かんじんもととして、親切に後進を見ているようだ。
 だが、欧米の先進国に比して、日本にはまだ、文壇の第一線に立つような閨秀作家は見られない。紫式部を先祖にもつ閨秀作家たちの奮起をのぞんでやまない。

 円本の濫出、出版資本の集中は、ついに、出版恐慌を現出し、それはとうぜん作家にも影響して、人気作家の独占的傾向が濃厚になってきた。
 この風潮は、少数のミリオネア作家〔人気作家〕(といってもまだまだちっぽけな規模のものではあるが)を生んだが、それと同時に、従来のいわゆる中堅作家の一群を急激に没落さしていった。
「筆では食へなく[#「食へなく」はママ]なった」「原稿ではもう食ってゆけない」という声が文壇のあらゆる方面からきこえる。二流以下の作家は、作品を発表する舞台を失って、田舎新聞へ追いやられる。彼らの名前はもう中央文壇では相場がたたないのである。彼らの頭上には、偶然にあたりくじをひいた人気作家がひかえていて、到底わりこむ余地がないし、彼らの脚下あしもとには、新鋭の新進作家が犇々ひしひしとつめかけている。彼らの名前に何らかの特権があった時代には、それでも彼らの位置はどうにか維持することができたが、この特権がなくなって、無名の作家とハンディキャップなしの競争をしなければならなくなっては、彼らがその地位を維持することは、ますます困難になる。それは、読者は、同じくらいな価値のものなら珍しいものを好むからだ。文壇気質がこまやかで、作家と編集者とが友人的、朋党的関係をむすんでいた時代には、それでも中堅作家の没落をある程度まで防ぎとめることができたが、そうした旧式な編集方法は今日のジャーナリストはとらない。産業合理化の原則は、ジャーナリズムの領域へも移入されて、能率の上がらない作家は、無慈悲に淘汰されてゆく。
 ある編集者の言葉によると、近頃では、締め切りの期日におくれたり、催促をするのに非常に骨の折れるような作家にはもはや執筆を依頼しないということである。創作も現代においては一つのビジネスである。少なくもジャーナリストの側にたてば、創作をビジネスと見なし、作品を純然たる商品と見なさなくては仕事ができないのである。
 そうなってくると、作家とジャーナリストとの地位は転倒する、かつては作家がジャーナリストを支配し得たが、今ではジャーナリストが完全に二流以下の作者をコントロールしている。某雑誌では、作者に原稿を依頼しておいて、作品が編集者の意に満たないと二度でも三度でも書き直しを要求するということである。そして、作者は、また唯々諾々としてこれに応ずるということである。ちょうど大呉服店の注文を受けた織元が、いちいち製品を厳密に検査されて、ちょっとした傷物でも容赦なくはねられるような風である。
 作家の権利を擁護するために、文芸家協会のごとき団体がつくられているが、それはもはや、大出版資本の前には全く権威をもたない。私事にわたるが、一度ある刊行物で発表されたことがあるから言っておくが、私はある雑誌から小説の依頼を受けて、その稿料について、公然と、文芸家協会の規定を破ってもらいたいという交渉を受けた。むろん私はそれには応じないで原稿をとり返したが、こういう規則違反はざらに行われていることをその機会に知ることができた。私はこれを、その雑誌の横暴だとも思わないし、協会が黙認している以上その規則を破った者が悪いとも思わない。というのは規則にしたがうことは、彼らにとって作家としての生活の終焉を意味するからだ。ただ、次のことは言える。文芸家協会は、最低稿料に関する規定の一部を改めない限り、事実上まったく権威のない協会になってしまう。そして私たちが良心的に行動しようと思うならば、もはや事実上守られない空文の規則をもつ協会を脱退するか、武士は食わねど高楊子式の旧道徳をまもって、規定外の条件を付せられた原稿は書かぬようにするかのいずれかしか道はない。この問題も恐らく来年はもっと真面目に協会員に考えられてくるだろう。

(『新潮』第二六年第一二号、一九二九年一二月)

底本:「平林初之輔探偵小説選〔論創ミステリ叢書2〕」論創社
   2003(平成15)年11月10日初版第1刷発行
初出:「新潮 第二六年第一二号」
   1929(昭和4)年12月号
※「平林初之輔遺稿集」及び「平林初之輔文芸評論全集中巻」に「文壇の現状を論ず」と改題され収録されている。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年12月8日作成
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