[#ここから2段組み]
 人間

そめ
かつ
かじや
さぶ 
農夫
しげ
馬方
仲買
おかみ
娘一
男の子
吏員一
助役
吏員二
農夫
吏員三
吏員四
娘二
青年
女教師
旅の女
[#ここで2段組み終わり]

どこかで鶏がトキを作っている。
かつ (なにかしながら)まったく、因果な事だよう。毎月毎月、二十六日になりさえすりゃ、夜の明けるのも待ちきれないように起き出してよ、こうして、よそ行きの着物着て、――ちょっくら[#「ちょっくら」は底本では「ちよっくら」]、そっち向きな、――まるで、へえ、娘っこが物見に行くみてえによ。よいしょと。さあ帯しめたぞ。(しめた帯のうしろをトンと叩く)はいキンチャク。六十円入れてあっからな、くたびれたらバス乗ってな、甘い物ほしくなったら、アメ玉でも買って食わっせえ。パアパアと人に呉れてやったりしたら、ダメだよ。わかったかよ?
そめ あい。
かつ 鼻紙は持ったなあ! と、これが下駄。(カタリと両方を合せてから、土間におろす)ホントにまあ世話が焼けると云うたら! 行かせねえと五日も六日もボーッとしてなんにも手が附かねえんだから、しかたが無え、行くのも良いけどよ、おらも源次郎も、なんぼ世間に恥かしいか知れないぞ伯母さん。
そめ あい。
かつ ちっ、なんにも聞いちゃいねえ。まあま、しよう無え。あい、ベントウだ。おひるになったらチャンと食べるだよ。
そめ おかつや、あの、鈴取っておくれ。仏壇だ。
かつ 又、鈴か、あれだけは忘れねえだなあ。しょうむ無え……(小走りに畳をふんで仏壇から小鈴の束を取って来る。コロコロという音)……そっちい向くだ。帯の横にこうして、ゆわえ附けて、と……早く帰って来るだよ。又、おそくなっても、今日は一日アゼ豆の植え込みで忙しいから迎えにゃ行かねえからな、あい、むすべた。
そめ そいじゃ、行って来やす。(歩き出す下駄の音と鈴の音)
かつ (その後ろ姿へ)人に何か聞かれたら、鷲山の荒木源次郎の嫁のおかつの伯母ですと、そんだけ云うだ。グジャグジャからかわれても相手になるでねえよ。いいかあ?
そめ (少し離れた所で歩きながら)あいよ。(部屋の中でそれまで眠っていた幼児が眼をさましてグズグズ泣きだす)
かつ 小僧、眼えさましたかよ?(部屋に入り、子供を抱き起す。子供泣きやむ)今日はバサマにお守りはしてもらえねえだから、おっ母あが、タンボに連れて行ってやるからな、おとなしくしろ。そら見ろ、バサマ、トットと行かあ。
コロ、コロ、コロと鈴の音が遠ざかり消える。ゴーゴーゴーとフイゴの音。
金床のうえでチンカン、チンカンと鉄を叩く音。
かじや (フイゴを押しながら)さぶ、鷲山の米八のマングワ、急ぐずら?
さぶ うん、是非今日中に頼むって云ってた。去年の秋でハンパになっていた山の開墾を、この春はどうでもおえるんだからと。
かじや そこにある、それがそうだべ、持って来う! そいから新助んとこのレーキを、おっくべろ。
さぶ ……(持って来たクワとレーキをガタンと置く)おいしょ。
かじや ついでにコークス、すこしくべろ、近頃のコークスぁどうしてこう火力が弱いんだか、まるで、へえ、オガクズみてえなもんだぞ、じょうぶ! これで一俵二百円からすんだからな。こんなエンフレエじゃ、俺ちみてえな野かじなんざ、たまったもんじゃねえぞ。まったく!(火の中に鍬の穂をザっと突っこみ、あと勢いよくフイゴを押す。そのゴーゴーと云う音の中に、遠くから鈴の音が入って来る……)
さぶ あゝ、鷲山のキチゲ婆さんが来た。
かじや あゝん?
さぶ 源次郎さんとこのよ、ほら。(鈴の音が近づく)
かじや へえ、するつうと、今日は二十六日かよ? 俺あ二十五日だと思っていたが――(鈴の音近づく)そうか、そんじゃ、山田の馬力の輪は、今日中にやっとかにゃならんな。堆肥ば山へ運ばんならんのが、たしか二十六日とか云ってた。
さぶ んじゃ、輪をはずしとくかな。
かじや うむ、(表を通りかかる鈴の音に向って)おそめさん、早いねえ、おそめさんよ? よくまあ、なんだ、根気の良いこんだなし。
そめ あい。……(足はとめないで通り過ぎて行く)
さぶ (それを見送りながら)だども、いい加減にあきらめたら、どうずらなあ、あの婆さまも。
かじや そこが親つうもんだ、なえ! キチゲなどと云うと罰が当るぞ。俺なざ、毎月の今日、あの婆さまが通るたびに、おふくろに孝行する気にならあ。(金テコで火の中から引き出した鉄を金床の上にコツンと置き)ありがてえもんじゃねえかよ!(それを金つちでチン、チンと叩く)ほら、来い!
さぶ だども、無駄な事だと思うがなあ。ヨイショと!(大金つちでドッチンと叩く)
かじや (チンと叩き)あにが無駄だ? そういう量見じゃ(ドッチン)ふつ、さぶなんぞ、いつまで経っても(ドッチン)ロクなかじやにゃなれねえて。(トンカン、トンカン、トンカンと次第に遠ざかり消える)
鈴の音は続いて行く。
サクサクサクと畑の土を鍬がうなって行く音。
農夫 (うなって行きながら)そんじゃ、しげ、ソロソロ苗運んで来るべし。
しげ あーい、やれ、どっこいしょ。(と、使っていた鍬をドンとわきに置く)
農夫 南がわの苗木から先に持って来るだぞ。札にノーリンと書いてあるやつだ。
しげ あい。あれま、荒木の婆さま、又行ってら。
農夫 ほう(鍬の手を休めて、見る)なんとまあイソイソして、まるで、へえ、娘っこが祭りにでも行くようなアンベエしきだ。
しげ 左様さ、あの婆さまにしてみりゃ、祭りに行くのと同じかも知れねえさ。なんぼか、なあ。そこい行くと、おらちなんぞ、つまらねえ、大事な息子は、もうちゃんと墓の下だかんなあ。(涙声)化けてでも出て来うと思うのに、久作の阿呆が、からっきし、夢枕にも立ちやがらねえ。
農夫 久作の事は言うな。物は考えようだ。荒木じゃ米の供出では、鷲山で一、二の成績で、それもあの婆さまがしっかりしているからだつうが、そのしっかりもんがよ、毎月々々その日が来ると、ああして取っつかれたようになって通って行かあ。つらかんべえ。まだこっちは、ハッキリ諦らめが附くだけ、ましかもわかんねえ。
しげ お前は男親だから、そう言うだ。おらなんぞ、あの婆さまがうらやましくなる事があらあ。阿呆な、ホントに、ホントに阿呆な戦争やらかしたもんだなあ! 大事な息子戦死させて、そいで、その後のここらの暮しがちっとは良くでもなる事か、まるでアベコベもアベコベも、一升の米で地下足袋一足も買えねえなんて、おっそろしい世の中になっちまってよ。腹が煮えら。息子の死んだな無駄死にだもん、東京の大臣さんたちゃ、どうた量見か聞いて見てえよう、まったく。
農夫 ほえるな、バカ。早く苗取って来う。百姓はタンボだ、理屈こねている暇あ無え。
しげ そうよ、涙あこぼしている暇も無えずらよ! お前はそうたじょう無しだあ。
農夫 なにをこくだ、このアマあ! 行かねえと、ぶっくらわすぞっ!
鈴の音と下駄の音がコトコト行く。
向うから馬力が近づいて来る音。
馬方 (馬と共に歩きながら、軽い鼻歌)ハイ、イッサイコレワノ、パラットセと。鮎は瀬に住む、鳥ゃ木に止る、人は情のう――よう、婆さん、又行ってるなあ? どうだえ、ちったあ利きめがあるか、よ? へっへへ、(馬力の音が停る)ホントにお前、気が変なんかよ?(鈴の音がとまる)そうじゃあるめえ、キチゲのふりして、そうやってツラ当てに歩いてるだけずら?
そめ ……はい。(ビクビクしておじぎをしたと見えて鈴がちょっと鳴る)
馬方 ふだんの日は、ちっとも間ちがわねえでタンボ稼いだり子守してるつうじゃねえか? え、なんとか云えよ、どうだ、おらが誰だか、わかるかよ?
そめ あの、いつも村を通る馬方のしだ。
馬方 そうれ見ろ、わかるじゃねえか。ニセキチゲめ。いいかげんにするがええぞ。もうへえ、戦争から五年たってら。民主々義だぞ。誰にしたって出来た事は出来た事で、もうへえ、戦争の事は忘れちまってら。それをへえ、お前みてえにいつまでもだな、いえさ、息子を取られたり亭主を取られたり親父をとられたりした者は一杯いらあ、それがみんな諦らめて、忘れよう忘れようとしていら、なあ、――お前みてえに、そやってチラクラとだな、ツラ当てしられちゃ、たまったもんじゃねえじゃねえか!
そめ へい、すみませんです。(鈴がコロコロ)
馬方 ホントは、なんじゃねえのか、そやって歩きまわって闇米かつぎの仲人でも稼いでんじゃねえかよ? それとも税務署のドブさがしの手先でもつとめてるか?
そめ いえ、そんな――
馬方 ハハハハ、とんかく、いいかげんにしろって云う事よ。第一そうやってポーッとして眼え釣り上げていると、今にバスに引かれるか、馬に蹴られるぞ。こら、野郎あゆべ。(これは馬に言ったもの。馬が歩き出し、車がきしむ。歩き出しながら)気を附けろう!
そめ あい。
馬方 (馬力と共に遠ざかりながら)ハハ、ハッハハハ。こうら!(鼻歌のつづき)人は情のう淵に、住うむう。(歌いつつ消える)
再び歩き出している下駄と鈴。
仲買 ねえ、おかみさん、俺だって何もこうして朝っぱらから、駆けまわるの嫌だけんどよ、今度ばかりは金儲けの事はさておいて、どうしても二斗ばっかり集めてやらねえじゃ、取引先きに義理の立たねえわけが有ってなあ、ひとつ頼むから、たとい一升でも二升でもええから、分けてくれろや、頼んますよう。
おかみ 有るにゃ有るよ、五升でも六升でも。だども三百円ぱっちじゃ、まず、話になんねえなあ。内でも、今月二十六日の、あと四日か……ミソカまでにゃ税金払わねばならねえし、金の当ては無えだから、いずれなんか売らねばならねえだから――
仲買 んだからよ、頼んますよ、な! ええい、思い切った、もう五十両ふんぱつしようでねえか。こうなったら意地だ。
おかみ お前さま、そんな往来ばたに突っ立ってちゃ困るよ、こっちい、へえって来なせえ。近頃じゃ、この辺、組内でいながら駐在に云いつけたりする者がいるだ。人に見られると、うるせえ。
仲買 ほい来た。(自転車を引いて、木戸口へ行き、バタンと開けて庭場に入って行きながら)いやあ、全くなあ、そんなふうになっただかねえ。百姓は人が良いなんて云うのは、戦争からこっち夢のような話になっちゃっただなあ。
おかみ もっと、ちゃっけえ声で頼むよ。なあに、一つは、ヤキモチだ。よその内で、ちっとでもうまい事してるの見ると、たちまち眼を光らして、尾ひれをつけて云いふらすだ。(庭場を横切って行く。仲買も自転車を押してそれにつづく)闇売りの事ばかしじゃねえ。おらなぞ、こうして戦争後家ば立て通して三人の子育てるためにお前さん、まっ黒になってタンボ稼いでいるのに、人の気も知らねえで、やれ、町の男と話していただのなんのかんのと、とんでもねえ事云いふらすだ。
仲買 そうりゃ、まあ。――だども、そいつは、一つはおかみさんがそうやって綺麗でよ、それにまだそんな年じゃなしなあ、へへ、男が見りゃ、チョックラそんな事も云いたくなるずら。カンを立てるにもあたらねえとも、この――
おかみ なによ、アホな事言うだい、フフ、男なんざ、死んだ亭主でこりてら。
仲買 そうでやすかねえ?
おかみ そうでねえか? 無事でいる時ぁ、酒えくらって、なんとか云やあ町に出ちゃ変な女とジヤラジヤラしてよ、そいで戦争になると、自分一人で日本国ばひっちょったような血まなこになって、か、ならママされたがよ、万才ぁいなんて云って行っちまって、忽ちコロリだ。自分だけは、さぞ良い気持だったろうさ。おらや、子供たちぁ、ポンと後にうっちゃられて、このザマだ、勘定合ゃあしねえ。
仲買 だども、へへ、その御亭主が恋しい時も、たまにゃあるずら? そうは薄情に云わねえもんだ。ハハ。(バスのクラクションの音近づく)
おかみ ハハハ、ハハ、さ、こっちい、へえってくんな。あの隅のカマスの下が、そうだがな。
仲買 ありがてえ、おらが出しやしょう。(ズカズカ、納屋に入って行き、その辺の農具などを、取りのける音)
垣の外の街道を激しい音をたててバスが通り過ぎて行く。
おかみ 一番のバスが行かあ。
仲買 この下だね?(云いながら、取りのけている)
おかみ ……ああ、鷲山の鈴の婆さまが通る。……(しかし鈴の音は聞えない)
仲買 え、なにかね?――(おかみ返事せず。離れた所を通り過ぎて行く鈴の音が微かに聞える)よいしょと、このカマスの下の、これだなあ? (返事なし)……これだべ?
おかみ ……いじらしい。
仲買 あんだよ?
おかみ 鈴鳴らして行かあ、鷲山の婆さまよ。
仲買 ああ、一日キチゲの? そうさ、よくまあ、飽きねえなあ、へへ。これだな、おかみさん?
おかみ ちょ、ちょっと待ってくれろ。……せがれに一度相談してからにしやす。考えて見ると、こんな事、良くねえかも知れねえ。
仲買 ど、どうしただよ急に? そんな、今更になって、そんな――税金は、じゃどうしるだね?
おかみ 税金はどうしればいいかわからんが――鈴の音聞いたらば、なにや知らん、死んだ亭主がおらをのぞいているような気がした。よすべ。すまんが、とんかく、せがれに相談した上で――
仲買 そうかね? だども、今更そんな――わからんなあ。
おかみ おらにも、よくわからんが、とにかく今日の所は、なんだけんど、引き取っておくんなし。
仲買 そうかね。そりゃまあ。……(口の中でブツブツ)
鈴の音と下駄の音が行く。
自転車の音が後ろから近づき、ベルの音。
娘 お婆さん、今日も行くのう?(笑い声)
そめ あい、これは――
娘 今に帰って見えるから、気い落さねえで、シッかりね。あたしは、これから町の洋裁学校。バイバイ!(ジリンジリンとベルを鳴らして追い抜いて去る)
 
鈴の音と下駄の音。
男の子 やいこら、キチゲばば――どけえ行くよ?
そめ わたしは、ちょっくら、あの――
男の子 どけえ行くよ? 云わねば、ここの橋通っちゃならんぞ。
そめ ちょっくら、あの、役場さ――
男の子 役場さ行って、なによしるだ? それ云え。云わねば、通さんぞ。
そめ そんな事云わんと、通しておくれんさい。
男の子 そんじゃ、ゼニよこせ。ゼニよこさねば通さんぞ。
そめ ゼニかな? そんなら……(帯の間からキンチャクを出し、サツを取り出して)はい、これあげやす。
男の子 (受取って)……ふん。
おそめが急いで去って行く下駄と鈴の音。
男の子 やい、なによ笑う――
そめ あい、良いお子だなし。(遠ざかる)
男の子 (その後ろ姿に向って)バカア! キチゲエばばあ!
電話器のベルがジリジリ、ジリジリと鳴り、それから、ゴトンと椅子から立って、床の上をペタペタとスリッパで急いで行く人の足音。ガチャと受話器をはずす。
吏員一 はいはい……はい、こちらは駒形村役場。はあ、ああ県庁の学務課で――……はい……はあ……はあ、はあ……そうでやすか……はあ……まだ配給になってないぶんの教科書……全部、ついたんですね? そりゃ、どうもお手数で。学校でも喜こぶでしょう。……はあ……直ぐ伝えときます。じかに、じゃ、その大坪書店の方へ伝票持って行けば、わかりますね?……はい……はい……どうもそりゃ、ありがとうがした。じゃ……(ガチャリと受話器をかけて)助役さん、足りなかった教科書が全部着いたそうです。
助役 そうか、そりゃよかった。こないだっから、校長さんにコボされて弱っていた。
吏一 久我さん――
吏二 (若い女)はい。
吏一 あんた、御苦労だが、ひとっ走り学校さ行って、そう云って来てくれないか。
助役 電話かけりゃ、よかろう。
吏二 学校の電話、故障で通じないんです、直ぐ私、行って参ります。(ゴトリと立ってパタパタ歩き、靴を突っかけて、土間をコトコト)
農夫 (のら声)配給のカリンサンの量目が、あんなに足りねえとあっちゃ、わしら、なんとしても困りやすからねえ、どうすりゃええか――
吏三 (三十位の男)だから、昨日も言ったように、そんな事を此処へ持ち込んで来られてもどうにも処置無えだから、その、あんたとこの実行組合にでも行ってだなあ――
農夫 行きやしたよ、サンザ、いくら行っても、受取る時に一々カンカンにかけて受取るわけじゃねえからつうので、へえ、スのコンニャクのと云うばかりでさ――
吏三 スのコンニャクか。弱ったなあ。(ガシガシと頭を掻く)
農夫 弱ったちったって、あんた方あ、頭あ掻いてりゃ済むが、わしら百姓に肥料が足りねえと、これ、命取りだからね。さればと云って、これ、どこへ訴えりゃええか、わからねえですからよ。
吏三 そいでも、川本さんよ、此処は村役場の世話係だかんねえ。カリンサンの事を訴えるちったってお前、……弱ったなあ。(コトコトと足音)ああ久我君、どこへ行くの?
吏二 学校。教科書が来たんですって。……(カタカタと歩いて、入口の押戸をギイと開ける。同時にコロコロと鈴の音)あら、又来た婆さま。そんな所に立ってねえで、おはいんなさい、さあ、よ。(相手を内に入れ、自分は出て行く。押戸がギイギイとゆれてしまる)
そめ はい、はい。(おじぎをしながら、受付台の方へ)
吏三 やあ、そうだっけ、今日は二十六日だった。どうも、こりゃ――
そめ 今日は、ええあんべえでございます。
ていねいに頭を下げる。
吏三 はい。(と、受けて)ええあんべえは、結構だけど、又来やしたかい?
そめ はい、あのう……私は、駒形村、字、鷲山の荒木源次郎の嫁のおかつの伯母で、ズーッと源次郎にかかりうどになっていやす、荒木そめと申します。ちょっくらお願いしたい事がありやして――
吏員 わかった。わかった。わかっていやす。
農夫 はあん、すると、これがシベリヤぼけの婆さまかなし? へえ、話にゃ聞いていたが――
そめ はい。シベリヤから、これが、あの……(と懐中から紙包みを出してガサガサ開く)このハガキがチャンとこうしてシベリヤから参りました。へえ、ごらんなして。チャンと末吉と、荒木末吉と、ここに書いてありやす。無事でチャンと働らいていますから、なんでやす、いろいろ、そちらさまでも御都合がお有りでやしょうけんど、どうぞこの、お願いでやす、早く帰してやってつかあされるように……いえ、ただ身体一つで帰してさえくだされば、それだけで結構でやすから、お願い申します。
吏三 そうら始まった。……婆さま、お前の云う事は、よくわかりやすけどねえ、毎月々々ここへ来て、そんな事云われてもだなあ、ここは村役場だかんねえ、どうしようも無えから――そらあ、二人っきりの息子が戦争に取られて二人とも戦死、したと思っていたら末の息子が捕虜になって生きていると知ったんだから、親の身としてお前みてえになる心持は、わかるけんどよ、ここに催促に来られてもだな、どうにも、へえ――
農夫 へへい、息子二人をなあ、ほかに子供は無えのか?
そめ はい、二人きりでやす。でも、なんでやす、お国のためでやすから、兄の久男だけは、しかたありゃせん、差し上げやす、末吉だけは、どうぞお返しなすって。はい亭主はとうに死にやして、後家で永らく苦労して育てて来た子でござります。末吉一人だけは、どうぞまあ、お返しくだされまし。
吏三 弱ったなあ。この調子で、夕方までブッ坐るんだから(農夫に)いやね、上の息子の時も、下の息子の戦死の公報が入った時も、チャンと諦らめを附けてビクともしなかったつうんだ。そこへ二年近く経っちゃってから、つまり、去年の五月頃のつまり二十六日に、死んだ筈の末の子からハガキが舞い込んだ。うれしくって、カーッとしちまっただなあ。そん時から、二十六日が来ると、その鈴さげて――鈴は、その二番目の息子が出征する時にオスワさんに武運長久のお詣りに行って受けて来た魔よけの鈴でね、婆さまにカタミに置いて行ったもんだつう。なんしろ、へえ、そん時以来、こうしてまあ、どっか[#「どっか」は底本では「どつか」]、まちがっちゃっただねえ。
そめ まちがっちゃ、おりませんです。チャンとこうしてハガキが二枚も参っておりやすから――
農夫 無理もねえ、無理もねえ、親一人子一人じゃねえか、無理ねえとも! 全体だなあ、ロシヤと云う国は、どうた国だな? そりゃ、こっちは[#「こっちは」は底本では「こつちは」]戦争に負けて捕虜になっただから、勝手を云えねえのはわかっているけどよ、いいかげん働かしたら、帰すだけは帰してくれたら、どんなもんだ――え? 三年も四年もつらまえて置いといて、どうする量見だ、いってえ? それに、なんだっつうじゃ[#「なんだっつうじゃ」は底本では「なんだっうじゃ」]ないかね、ロシヤでは、百姓だとか職工なんぞが大事にされて、つまり百姓なんぞの味方と云うか、そうた国がらだつうじゃないか。それがお前、こっちの百姓の子をだな、こんなえれえ目に逢わして筋が立つかなし?
吏三 おい川本さん、そんな大声出して、お前さんまでそんな――此処はソビエット大使館じゃねえだから。
農夫 だってよ、腹が立つからよ! なんてえ話のわからねえ連中だあ!
そめ (ハラハラして)いえ、あの、いいえ、そんな腹が立つなんて――腹なんぞ、まるでへえ、そんな――今まで末吉が生きていただけでも、なんとお礼を申してよいかわかりませんですから、そんな――どうぞまあ、ですから、この上のお願いに、どうか一日も早くお返し下さりまして――
農夫 見ろま、この人の姿を――ロシヤ人だって人間ずら!
吏員 困るよう、お前まで、そんな怒鳴り出しちゃ――お前はカリンサンの事で来たんじゃねえかい、そんな――
農夫 そうともよ! カリンサンにしても、この婆さまにしても同じこんだ。どうしてこねえに話のわからねえ奴ばっかり居るだい世の中には!(ドシンと受付台を叩く)
吏三 と、と! インキが飛びやすよう。そんなお前、カリンサンと婆さま、いっしょくたにして昂奮したって、だな――
助役 どうしたな?(奥から受付台の方へ歩いて来ながら)……やあ、おいで。
農夫 こりゃ、助役さんでやすかい。いえね、この婆さまの事に就てでやすね、あんまりキモが煮えるもんで――
助役 ああ又来てるな。(農夫に)いやあ、わしらもキモは煮えているんだ。問題はこの人だけじゃないからね。この村だけでも、ほかに、まだ引上げて来ないのが六、七人あるんだから。だから、世話部や引揚援護庁や、その他、司令部や大使館だのへ、それぞれ嘆願書や調査願など、出来るだけの手は尽してある。あっても、しかし、どうにもこれが相手のある仕事でなあ、相手がお前、ウンともスンとも返事をくれねえだから、当方としては、これ以上どうにも出来ないんだ。(おそめに)だからなあ、あんたも、そうヤキモキしてだな、此処へそうやって来てくれても、どうにも出来ねえだから、つらかろうが、もうチットしんぼうして、内で待っていてくだせえ。な! とにかく、息子さん生きているだけはチャンと生きているんだから、そこん所は安心してだ。なんしろ、へえ、シベリヤと此処じゃ、いくらヤキモキしても喧嘩にならないんだから、もっと落ちついてだなあ――
そめ よっぽど、その、シベリヤつうのは、遠いんでしょうか?
助役 そりゃ遠いなあ。何百、いや何千里かな――
そめ 歩いて何日ぐらい、かかりやす?
吏三 え? お前、歩いていく気でやすかい?
そめ いえ、こんな婆あでやすから、若いしのように早くはいかねえが、ボツボツ歩けば――
吏三 ちょ、ちょ、ちょっと待った! ちょっと待ってくれ! ちょ、ちょ、お前、じょだんじゃねえ! この上、シベリヤまで――ボツボツ歩かれて、たまるかえ――じょ、じょ――
助役 ハハ、ハハ。……そりゃ駄目だよ婆さま。間に海が在ってな、よしんば海は渡っても、向こうで入れてくれんだ。ハハ、そんなムチャを言うもんじゃない。
農夫 俺あ、笑えねえです助役さん!(涙を拭いて)俺あ笑えねえ! そうだらず? この年寄りがだな、とんかくだ、息子を連れに、この年寄りがシベリヤまで歩いて行く気を起しているのですぞ! 笑える奴があったら笑って見ろい! そんな奴ぁ、情無しの、我利々々野郎のオタンコナスの、だら野郎つうだ!
吏三 ダラ野郎? 助役さんに向って、お前、言う事に事を欠いてダラ野郎たあ、あんだい?
農夫 だって[#「だって」は底本では「だつて」]、そうじゃねえかい、お前さんたちは一事が万事そうた調子の、グズだ。わしん所のカリンサンにしたってだな、こんだけ俺が頼んでも――
吏三 又カリンサンだあ!
助役 まあま、小父さ、そんな泣いたりせずともだな――わしら、あんた方村民のために良かれと思って、出来るだけの事はすっから――(おそめに)だから婆さま、今日はもうお帰り。な! そうやってお前が坐りこんでいると役場のじゃまになるし、第一、内でも心配してるずら。悪い事は言わねえから内へ帰って、落ちついて待っていなせえ。
そめ はい。でも、お願えでございますから、末吉の野郎、返して下されまし。お願えで。
助役 だからさ、又こちらでも此の上にも係り係りへ早く返してくれるように頼んだり、手配はチャンとしとくからね、今日はもうお帰り。
そめ そんな事おっしゃらねえで、どうぞ、へえ。待つぶんは、いくらでも待ちやす。末吉はわしが連れて戻りやすから。
助役 まるで、へえ、息子が此処に居るようだなあ。弱ったね、こりゃ。
吏三 でしょうが? 相手になっているときりが無えんですよ、いつも。又あ言い出し、又あ言い出しして、夕方までは、どうせ帰りはしねえですから。――(おそめに)婆さま、いいからね、そっちの隅の腰かけさ、かけていなさい。
そめ はい、ありがとうござります。
農夫 そうだ、こっちに来なせよ。(助けて土間の隅の腰かけにかけさせる。鈴がコロコロ鳴る)
吏四 助役さん、農地委員の方から人が見えておりますが。
助役 おい、行くよ。(パタパタと奥へ去る)
表の押戸がキイキイと開閉して、
娘 あのう、戸籍トウホン、お願えしたいのですが?
吏三 トウホンかね? だら、ズーッと奥へ行って、戸籍係があるから、そう言いなさい。
電話のベルがジリジリと鳴る。それにかぶせて大時計がユックリ十一時を打つ。それにかぶせて「はいはい、こちらは駒形村役場ですよ。……はい……はあ……はあはあ」と言う声。それらの音が次第に遠くなり、消える。
青年 (歩きながら、ハモニカを吹いて来る。節は又古めかしい「砂漠に日が落ちて」と言うやつ)
女教師 柿沼さん、今、お帰り?
青年 ああ、村山先生、お晩でやす。
女教師 お疲れさま、近頃あなた開墾ですってね? えらいわね、大変でしょ?
青年 いえ、今日は山の畑の方です。
女教師 そう。あの今晩ね、いつか言ってた文化会の相談を光村先生のおうちでやるから、あなたも出てくれない? 女子青年会の方からも、新田しんでんのお藤さんや米子さんなぞも出るの。
青年 そうでやすか。出たいけんど、なんせ、晩めし食うと、くたびれてんで、じき眠くなっちゃって――
女教師 あらあ、あんたみたいな若い人が、そんな――それにね、光村先生がこないだ東京へ行って来て、農村演劇の話聞いて来たり、本も一杯買って来てござるから、面白い話が出るだろうと思うの。文化会で劇をしようと言ってた、あの話に就いて、よ。
青年 そうでやすか、そいじゃ出席します。
女教師 是非ね、じゃ、後で又。(コトコトと靴の音が去りかける。その音に鈴の音が混って来る)
青年 ああ、鷲山の婆さま、今日も行ったな。
女教師 (横道の離れた所から)え、なあに?
青年 いいえ、なんでもねえです。
女教師 そう? じゃ、バイバイ。(靴音消える)
鈴の音と下駄の音近づく。
青年 お晩でやす、婆さま。――(返事なし)役場の帰りだかい?(返事無し)……くたびれただなあ。もう、よしゃ、いいに。……どうしただよ、婆さま?
そめ (消え入るように弱り果てた声)お晩でやす。
青年 ……(それを見返り、見返り、歩き出し、癖になっているハモニカが口へ行って、「砂漠」のメロディ。ある所まで吹いてピタリとやめる。あとは、スタスタと地下足袋の足音だけが遠ざかる)
コトコト、コロコロと歩いて行く下駄と鈴の音。
男の子 (前出)やいやい、キチゲばば!
そめ ……(チョット立停るが、又、歩き出す)
男の子 とまれ! へえ、じょうぶ待っていたんだぞ、俺あ。(鈴の音がとまる)ホリョ、もどしてくれたかよ? うん?
そめ ……(やっぱり弱々しく、おびえた声)もどしてくれなんだわ。
男の子 なぜ、もどさねえだ?
そめ ズーッと、遠いんですと。
男の子 いくら遠くとも、おめえの息子ずら? そんだら、なぜもどさねえだ?
そめ あい。……
男の子 悪いぞ、そんな奴あ! へえ、俺ぁ、きかんから。
そめ ありがとうさん。……通しておくれんさいな。
男の子 これ、返さあ。
そめ なにな? ああ、昼間あげた十円だな? どうしてな? おっ母あに、しかられたかな?
男の子 しかられやせん。もう要らんけん、返さあ。
そめ ……そうかえ、そうかえ、良いお子だ。いいから、婆はいいから、明日になったら、坊やがキャラメル買うて食べなんし。(歩き出している)
男の子 要らんつうたら!
そめ ……(遠ざかりつつ)いいから、よ!
男の子 やいやい、やいやい! 息子のホリョの奴ぁ、今に帰って、来るぞう!
そめ (うれしそうに)あい。
男の子 (遠くから)バカア! キチゲばばあ!
コロコロと行く鈴の音。
旅の女 あの、もしもし。……ちょっと伺いますけれど。……(おそめは立停って、薄闇をすかして見ている)この辺に、何か食べるものを売ってくれる内はないでしょうか?(返事なし)……なんでもいいんですけど?
そめ ……なんな、お前さま?
旅の女 いえ、東京を立つ時にもう少し何か用意して来ればよかったけど、……夕方までには――この前、戦争中来た時には、バスが白浜まで行っていたから、その気で、夕方までには着けると思っていたら、いつの間にか、バスがほかへ廻るようになっていて……おなかが空いて、あなた、もう歩けないんですの。……白浜まで、まだ、二三里有るんでしょ?
そめ 白浜かいな? 白浜までだと、ええと、何千里つう――
旅の女 え?
そめ ううん。いや、そうさ――白浜と……
旅の女 この奥なんでしょ? 一度主人といっしょに来た事があるんですけど、よく憶えてなくて――
そめ そうさ、二千……いやいや、二里半かな。ええと……そうかや? おらあ、へえ、どうしたずらな? コーツ、と?
旅の女 どうかなさったんですか?
そめ いやいや、コーツと。……食う物だと、そいで?
旅の女 はあ、何でもいいから売ってくれる所は無いでしょうかね?
そめ さあ、この辺には、店屋なんぞ一軒もなし、……第一、もうへえ、暗くなんのに、お前さま一人で、なんでまた――?
旅の女 連れ合いの姉が、その白浜村にいるんです。いえ、先日急に病気で連れ合いが亡くなりまして……この子が有るもんですからね。
そめ (相手の背中をのぞいて)ああ、赤さんだなし。よくねぶってござら。
旅の女 連れ合いの――ナンの時も、そう言って来てもくれない姉ですから、さて行って見てもなんにもならないかも知れませんけどね……とにかく今後の身のふりかたを相談しに――ほかに身寄りもないもんですから――
そめ そりゃ、えれえことだ。そうかや。つれえこんだなし。
旅の女 いいえ、つらい事は覚悟して来たんですから、なんでもないんですの。ただ、おなかが空いて歩いて行く力がなくなっちまって――
そめ うんそうだ[#「そうだ」は底本では「そうた」]、おらに握り飯があるよ。ホイホイ。(帯のうしろにむすび附けた包をほどきながら)これ食って行きなせ、あい。
旅の女 え? まあ!、これ、いいんですか?
そめ ええとも、ええとも。竹の皮ごと持って行きなんし。
旅の女 それは、どうも。ありがとうございます。助かりました。なんでしょうか。いかほど、お金さしあげたら?
そめ なに、ぜになど要らんよ。それは、おかつがこせえてくれたおらのベントウだ。
旅の女 じゃ、お婆さんがお困りでしょ?
そめ あにさ、俺あ、へえ、食わずにすましただから。遠慮せずと、お持ちなせ、さあさ。
旅の女 そうですか。そいじゃ、どうも――おかげで、助かります。こんな所で、どこの方か知りませんけど――(涙声)忘れません。……ありがとうござ……
そめ あい、あい。(少しテレるような調子。しばらく前から、彼女の調子に、夢から醒めた人のような所が出て来ている)そんじゃま、早く行きなせ、おそくなると、へえ、物騒だ。(自分は歩き出している)
旅の女 (離れた所で)忘れませんよ、お婆さん!
そめ お前さまも、つれえ事が有っても、短気起さねえでなあ!(そしてスタスタ歩く)
鈴の音と下駄の音。
自転車のベルの音。
娘 (前出)お晩でやす!
そめ お晩でやす。
娘 あら、婆さま、今帰り?(そめ返事せず。娘はベルを鳴らして追い抜いて行ってしまう)
鈴の音と下駄の音。……それが、かなり長いこと続いて、やがてユックリとなり、フッと停る。
そめ (ひとりごとの様に)つれえ事が有っても、なあ……(その言葉尻が涙声になり、やがて、すすりあげて泣き出す)
馬方 (遠くからガラガラと空車の車輪の音と馬のひづめの音と共に近づく。酔っているらしく、恐ろしく間伸びのした歌)イッサイコレワノ、パラットセと。はぁああ、伊達と相馬の、境の桜、ハハコレワノサ……こらやい、早く歩べ……ハイッサイコレワノ、パラットセと。はぁああ――誰だあ?(返事なし)え、おい? あれえ、シベリヤ婆さまでねえかよ。どうしたな、こんな所に?
そめ お晩で――
馬方 又、泣いてるだな、こねえな所で――チェッ、しょうのねえ婆さまだのう――だから、朝逢った時、あんだけ俺が言ってやったじゃねえかよ。シベリヤに居る息子は、役場に連れに行ったとて、どうならず? 無駄な事ぁ、はなっから、わかってんじゃねえかよ。それをさ、目え釣り上げて役場さ行っちゃ、日が一日サンザからかわれてよ、ガッカリして戻って来て、ここの橋の所まで来ると泣いてござら。しっかりせんと、今に、お前、川ん中にでもドンブリこいたら、どうしるだあ?
そめ 俺あ、まちがって、いやした。もう、へえ、こんな事しねえから――
馬方 へへ、まあ、そいつがお前の業つうもんずら。くたびれつろ? えらかったら、俺の車さ乗って行くか? なによ、どうせ空車だあ。乗りなよ、さあ――
そめ ありがとうござりやす。
かつ (小走りに近づいて来ながら)ああい、婆さまかよう?
そめ おかつや――
馬方 ああ内の人かよ。てえげえに[#「てえげえに」は底本では「てえけえに」]するがええぞ。こんな年寄りば、一人でおっぱなしてやってよ、たった[#「たった」は底本では「たつた」]今も、此処にぶっ坐って泣いてらあ。ケガでももしあったら、どうしる気だな、ホントに――
かつ すんましねえ。いくら止めても、どうしても行くつうて――行かせねえと三日も四日も変テコが治らねえもんだから――
そめ おらが悪い。おらが悪いんだからよ。
馬方 子供の可愛いいのは知れたこんだ。まして老い先きの短けえ婆さまが伜にこがれるのは、誰だって察しが附いてら。だのによ、そうた聞き分けのねえのはおめえ、ツラ当てが過ぎるだぞ。そうでなくても、近ごろの世の中なんて、おめえ、カンにさわる事ばっか多くて、誰彼なしにムシャクシャ腹だあ。何事が起きるか知れたもんでねえぞ。
かつ すみません、よ――これから、よく気い附けてナニすっから。
馬方 なによ、怒って言ってんじゃねえ。どうだ、車さ乗って行くかお前さんら?
かつ いえ、もう直ぐそこだけん。
馬方 ほうか。じゃま、やい歩べ――(馬がポカポカ歩き出す。空車の音)
かつ ありがとうございましたよ。
ガラガラと遠ざかって行く荷馬車。
かつ ……さ、婆さま、早く帰るべ。あんまり遅いで……じょうぶ心配したよ。めしの支度途中で、がまん出来ねえで、かけ出して来た。
そめ すまなかった。こらえてくんな。……
かつ 小僧はお前が居ねえで一日グズグズ言うしな。先にマンマ食わしたら、今日はもう、こうだ。
そめ おうおう、可哀そうに。眠りこけてら。どれどれ、おらにおぶせろ。
かつ いいよ、婆さま、くたびれてら。
そめ なあに、おらがおぶいてえからよ。
かつ そうか、んじゃ……こら小僧。(言いながら、おそめに、おぶわせる。ムニャムニャと寝言。鈴がコロコロ)大丈夫かえ?
そめ なあに、よ。……(二人歩き出す)
かつ まん中歩かねえと、暗えから、危ねえぞ。……ほら、内の灯が見えら。
そめ 源次郎、タンボから、あがったかや?
かつ たった今、あがった。(二人歩く)
遠くで馬方の歌「はぁああ、伊達と相馬の――」が風に流れて来る。
そめ ……ホントニ、お前にゃ、すまねえよ。……でも、知っちゃいるんじゃが――どうしてもジットしておれなくってなあ。お前にも、源次郎にも、みなさまにも、迷惑かけて――もうもう行かねえから、こらえてくんな。
かつ ……なあによ、来月も又、行くがええよ。別に人さまに悪い事するんじゃなし――へえ、末ちゃんが戻ってくるまで、通うさ。なんなら、こんだ、おらが附いて行かあ。フフ、フフ。
そめ ……すまねえ。どうしておら、こんなアホずら、よ。
二人歩いて行く。コロコロコロと鈴の音。
馬方 (はるかに、切れ切れに)――はあ、コレワノセ、と。花は相馬に、実は、伊達に、はあ、イッサイコレワノ、パラットセ――

底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
   1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
初出:「人間」
   1953(昭和28)年6月号
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2009年1月6日作成
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