おりき
新一
次郎
サダ
喜十
森山
おせん
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新一 そうじやねえよ!
次郎 そうだよ!
新一 そうじやねえよ!
次郎 そうだよつ!
新一 そうじやねえつたら!
次郎 そうだい!
新一 そうじやねえつたら、馬鹿!
次郎 馬鹿でも阿呆でも、そうだからそうだねえかよ!
新一 ちつ、次郎なんぞになにがわかるもんだ!
次郎 へつ、そんじや、新ちやんはなんでもかんでもわかるのけえ?
新一 なんでもかんでもと誰が言つた? ただそうじやねえからそうじやねえと言つてるまでじやねえか。
次郎 んだからよ。おらあ、そうだからそうだと言つてるまでだ。てめえ一人が真理みてえなツラしてエバるこたあねえずら。
新一 真理みてえなツラ、いつした? そうじやねえつて、ただ俺あ――
次郎 わからねえなあ新ちやんも!
新一 わからねえのは次郎の方じやねえか!
次郎 んだから、この簡単明瞭な事実をだなあ、へえ――
新一 だから、事実そうじや無えじやねえか!
次郎 そんな事あ無えよつ! そうなんだ! そうだから、そうだよ!
(――いきなりほとんど喧嘩のような怒鳴り声ではじまつた二人の青年の口論は、もう相当の時間つづいて来たものである。山奥の小みちを歩きながらの口論、二人のズボンが両側の草をこすつたり、足が道を埋めた枯枝を踏みしだく音に、時どき鋭どい小鳥の鳴声が、遠近に冴えて響く)

新一 そうじやねえつたら! 次郎はあんまり狭く、自分の境遇にとじこめられてばつかり考えるから、そうなるんだ! もつと、へえ、広く今の世の中のこと見てみたらどうなんだ?
次郎 広く見てりやこそ、そうだつて俺あ言つてんだ! 人間だれだつて、ふだん考えてる時あ他人と喧嘩してえと思つてる者あ一人もねえさ。だのに喧嘩あ、やつぱしやらかすだ、だらず? だら、そこから出発してだなあ――
新一 ちがう! そりや喧嘩はするよ誰だつて。んだけど、そいつあ、カーツとなつた時の、つまりまちがいで、人間のふだんの状態じやねえさ。そのまちがいを元にしてだな、年中喧嘩の仕度をしてなきやならんと、お前言つてんだ。
次郎 喧嘩あ、まちがいにしろだ、そんなまちがいが多過ぎることを俺あ言つてんだ! そんだら、そいつはまちがいでは無くつて、人間はもともとそうだつて事なんだ。これまでもそうだつたし、これからもそうだ! でなかつたら、原子爆弾を早く多くこさえようと競争なんぞ、どうしてしるだ? え?
新一 だつて、そりや、それとこれとは話が――
次郎 ちがやあしねえ、同じ事だねえか! そんで、どうせそうならば、つまりそれが今の実際の事ならばだ、そこんとこから自分の考えを決めるのが本当だと俺あ言つてるまでだ。第一、お前がそんな理想みてえな事言つて屁りくつこねたり出来るのは、新ちやんが工業学校なんぞ出してもらつて、本なんぞも、いつぺえ読んだりよ、今じや甲府の工場につとめて立派な月給とつたりしているからだ。
新一 そんじや、次郎だつて家へそう言つて学校行くようにしたらいいじやねえか!
次郎 それが出来ればこんなこと誰が言うもんだ! タンボと畑で合せて三段ちよつとに、雑木の山が二段しか無くて一家七人、食つて行くのがヤツトだねえかよ。へえ、そこの次男坊主の冷めしぞうりだ俺あ。
新一 学校に行けなくとも自分で本読んで勉強できるよ。
次郎 本読む時間がどこにあるだ? 三百六十五日、夜なべまでやつてんだぞ、そうでなくとも兄ちやんなど今に相続の時が来ると俺にもチツトは田地を分けてやらざならねえ、家じや立ち行かなくなる、それ考えて今から青くなつてるのがチヤンとわからあ。俺が東京さ出ようと思うのが、どこがいけねえ?
新一 いけねえとは言わねえけどさ、お前が警察予備隊に入るだなんと言うからさ――
次郎 へん、新ちやんなんぞ、今では特権階級だかんなあ。それに町の工場に行つたりして共産党かなんかにカブレたアンベエずら。だからそんな――
新一 なんだと! 俺がなんで特権階級だ? へんな事ぬかすと、きかんぞ! 第一、警察予備隊に反対するだけで、なんで共産党にカブレたことになるんだ?
次郎 そうだねえか、よー、思い出して見ろ、新ちやんは戦争中、まだ年も足りねえのに少年航空兵に志願するんだと言つて、じようぶあばれたというじやねえか。ずら?
新一 あれは、あん時は、あんな事は俺がまちがつていたんだ。
次郎 まちがつちやいねえよ! 戦争はまちがつていたかも知れねえが、国のために働こうとした新ちやんの気持はまちがつていやあしねかつたと俺あ思う。
新一 まちがつていたと言つたら! まちがつていたんだ!
次郎 仮にまちがつていたとしても、そいつは、あとから、今こうなつたから言えることだよ! ウヌがその場に立つて見ればその時の考えでやつて行くよりしようが無え。警察予備隊にしたつて――
新一 ウソこけ! 次郎は家にいても先きの見こみが無えから予備隊に入ろうと思つているだねえか! 
次郎 そうさ、それもある。それもあるけど、お前が戦争中少年航空兵になろうと思つたと同じ気持もあんだ! 同じ働らくなら国のために、この――
新一 国のために、なんでなるんだ? そつたら考え自体が反動だ!
次郎 それ見ろ、自分が以前した事は棚の上にのせといて人のことをやつける! おおよ、俺が反動なら、お前は猿だ!
新一 さ、猿だと!
次郎 そうよ、うぬが尻の赤いのを忘れて人の尻を笑う猿だ!
新一 野郎、言つたな!
次郎 言つたがどうした?
(……二人が睨み合つて立ちはだかつている崖道へ、下方の谷の方から若い女の声が、呼びかける)

サダ よおーい! そこに来たのは新ちやんに次郎ちやんじやねえかよう! (二人そちらを見るが、又睨み合つて、返事をしない)…… そんな所に突つ立つて、なによしてるだあ? 早う、おりてこう!
新一 ちきしようめ、なまいきな――(と口の中で言つてから、下へ向つて呼ぶ)おおい、サダちやんよう!
(ザザザと足音をさせて坂道を走りおりて行く)

次郎 へつ! (下へ向つて)サダちやあん!
(これもダダダと走りおりて行く)

サダ あらあら! そんな走ると、ころげ落ちるよう!
(言葉のうちにマイク急速にサダに近づいている)

新一 今日あ、サダちやん!
サダ あい、おいでなんし。どうしたの、あんな所で二人で突つ立つて? (笑い声で)タキギ取りに出て来たら、上の方でなんやら喧嘩のような声するんでヒヨイと見たら――どうしたん?
新一 次郎があんまりわからねえ事言うもんだ。
次郎 わからねえのは新ちやんだねえかよ!
サダ ふふ、甲州の栃沢と中込の栃沢が久しぶり逢つて、たちまち喧嘩おつぱじめても、しようねえずら。さあ、家さ入ろうよ。やれ、どつこいしよと。(とタキギの束を抱えて庭場を斜めに歩き出す。二人の青年もそれに従う)ズーツと二人でともなつて来やしたの?
新一 ううん、俺あ野辺山でおりて、オサキの追分の地蔵さんとこまで来て休んでたら、次郎がヒヨツクり。
サダ そうかや。
次郎 ばさま、いるの?
サダ うん、いる。今、お客だ。海の口の喜十さんつう人と、農事指導員の森山さんと、それを案内して川上のおせん伯母さん来てる。
新一 じさまは?
サダ 半月ばつか川上の家だ。ここんとこ、だから、おらとばさま二人つきりだ。こんな山奥の一軒屋だかんなあ、人が来ると、うれしくてなあ。(家の土間に入る)
せん (あがりはなから)え、あんだえ? あれま、甲州の新一ちやんと中込の次郎ちやんでねえかよ!
新一 伯母さん、今日は。
次郎 いいあんばいです。
せん さあさ、あがりなんし。(おりきに)ばさま、今日は大入満員だ。孫が三人そろいやした。
りき よう来た。甲州でも中込でも、みんな変りねえか?
新一 うん。おつかあが、ばさまに分けてもらつて、開こんに植えたダンシヤクよく出来たから礼言つといてくれと。
りき そうか、そら、よかつた。
新一 これ、お茶だ、ばさまと約束してあつた。月給もらつたから直ぐ買つて持つて来た。
りき そら、ありがてえ。ちようど四五日前から切れちやつてなあ。茶あ飲めねえと、なさけなくてなあ。ほう、月給で買つて来たかや?
森山 新一さんとも久しぶりだ。はは、おぼえていやすかい、おかいこの指導で一二度甲州へ行つた森山でやすよ。
新一 おぼえていやす。今日は。
りき 次郎も突つ立てねえで、こゝさ坐れ。
次郎 うん。……これ、おつかあが。
りき あんだ?
次郎 餅だ。この秋出来の餅米を、ばさまにお初穂につて、ちつとべ調製して、おつかと俺で今朝ついた。
りき そうかや。そいつは、かたじけねえ。お茶と餅がいつぺんに湧いて来やがつた。あつらえたみてえだ、はは、サダよ、さつそくだあ、茶を入れろ。
サダ (少し離れた土間の隅でガチヤガチヤ茶わんの音をさせながら)あい。
森山 すると、これが中込の松造さんとこの、へえい、こんな立派な総領がいたかなあ?
せん 総領だあねえ、二番目でやすよ。
森山 へ? そいつは二度びつくりだ。そうかね。いやどうも、うぬが年い拾つてることは気がつかねえで、若えしの大きくなるにや、たまげてばかりだ。はは!
せん ははは。
りき どうした、次郎は?
次郎 うん?
りき なんで、浮かねえツラあしてる?
次郎 ううん。
サダ (土間を歩いて来ながら笑いを含んで)つれ立つて来ながら次郎ちやんと新一ちやん、そこの坂の上で掴み合いの喧嘩やらかしそうにしてたよ。
せん へん、そりや又、なんでな?
次郎 俺、ばさまに相談に来たんだ。その事を新ちやんに話したら、俺のこと、馬鹿だつてんで――
新一 そうじやねえよ、俺の言うのは。
りき よしよし、んで、どんな事だ、言つて見ろ。
次郎 ……あとで言わ。
森山 おらだちに遠慮はいらねえよ。
次郎 ううん、あとでええです。
りき まあ、よからず、ユツクリあすんで行け。……
(森山と、だまりこくつている喜十に)
するつうと、なにかね、芹沢の金五郎は、どうしても折れようとはしねえつうんだね?
森山 へい、だめでやすね、まあ。さつきから申した通り、これが昨日や今日の事で無え。さしあたりはおとどしの総選挙の時に海の口の須山さんが買収問題であぶなくなつた。あん時の、そいつを警察に言いつけたのが村で三四人いたらしい、その一人がこの喜十さんだと須山の方で睨んだらしいだね。そんでまあ、芹沢じや、昔つから、須山さんの子分みてえにしてるから、須山からそう言われて喜十さんちをイビリにかゝつたと言うわけだ。もつと前にさかのぼれば、戦争中、喜十さんちで須山さんから、借りて作つていたタンボを須山で取り返しにかかつて、喜十さんちでは、そうなれば立ち行かねえから甲州へ国越えをするだの、娘売りこかして稼がせるのと騒いだ事がありやんしよう。たしか、ばさまが、わざわざ口きいてくだすつて、須山ではタンボ取上げるの思いとゞまつて、丸くおさまつた。やしたね?
りき そんな事が、あつたかなあ。
森山 ありやした。そん時、その喜十さんとこから取り返したタンボを、実は芹沢で直ぐ借りて小作する話になつていたんだなあ。だども、ばさまに乗り出されては須山さんも不承しねえわけに行かなかつた。さあ、芹沢じや当てがはずれて、喜十さんとこ、目の敵にしだした。それ以来、事ごとにイザコザで、積り積つて来たやつだ。根が深いんでやす。そこへ、こんだ分譲地の水口の問題で、とうどう爆発しちやつた。わしらとしても見すごしちやおれなくなりやしてね。いえさ、これが金五郎と、喜十さんち、つまり隣り同士の争いだけなら、村にやよくあることで、どんなに両方でシノギを削ろうと、はたで何か言うべきこつちや無えかもしれません。だけど芹沢の方じや近所の家を抱きこんで、喜十さんとこを村八分にしろだなんて、寄合いを開いたりして、事実上、村では喜十さんとことは誰一人附き合わなくなりやした。こうなると、村全体の問題でやすからね。わしらもいろいろ口きいて見たが、芹沢じや、なんとしてもウンと言わねえ、ホトホト手を焼きやした。村会でも問題になつたが、芹沢の方は金もあるし勢力もある。第一須山さんが附いてるんで、みんな遠慮して引つこんでいやす。そんでまあ、ひとつ、ばさまに相談して見ずと思いやして、わしもへえ、出しやばるわけでは無えが指導員なんぞしてればこんな事心配でやすからね、こうしてまあ、喜十さんといつしよに……おせんさんのおかみさんが、ちようど味噌うとどけに行くと言うんで、つれなつて来ていただきやしたようなわけで――
せん その話は、おらも聞きやした。海の口の事が川上まで伝わつてくる程じやから、よつぽどのなんでやすねえ、喜十さんも大変だなし。
喜十 ……へい。
森山 このシが又、この調子で言うべき事も言つてくれねえので、なおのこと事が行きづまるんでやす。どうして、こう口をきかねえんだか、ことに腹あ立てたとなると、まるでへえ、石つころになつちまうだから。なあ、喜十さんよ?
喜十 へい。
森山 へい、か。どうも、へえ――
りき はは、なあに、おらが口きかせて見べえ、やい喜十!
喜十 へい。
りき お前、そんで、金五郎が憎いか?
喜十 憎くは無え。憎くは無えが――(と、老農夫に間々ある黙狂と言つたふうの、タドタドしい、すこし辻つまの合わぬような調子で)死ぬよりつらいんでやす、ばさま。そんで、このまゝで行きや、じようぶ、死ぬのは、わかりきつているんじやから。
りき 死ぬと? おのしがか?
喜十 俺なら、まだえゝよ。タンボだ。
りき ハツキリ言え。タンボが死ぬと?
喜十 そんだ。水口、一寸二寸とへずられてよ、水が切れりやタンボは死ぬだねえかよ。
りき 水口をへずるのか?……そんで、それを、金五郎がへずるのか?
喜十 現場あ見たこと無え。けんど、俺が築いときや、夜のうちに、又あ、鍬でもつて、へずりやがら。又築くと、又へずる。この夏中で十五六度もだ。ふんづらまえてやろうと思つて、アゼのかげに、寝て待つていた事もあるが、そういう晩は来やがらねえ。餓鬼い使つて探偵しているだから、俺が待つてるの、わからあ。そんなに俺んちが憎ければ、なんで、へえ、おおつぴらに俺とこさやつて来て、この頭あ、ゲンノウでもつて叩き割らねえ? その方が、よつぽどマシだあ。
せん ほんになあ! タンボの虫と言われた喜十さんだからなあ、そう思うのも無理あねえよ!
りき 阿呆ぬかせ、頭あ叩き割れば、それこそ、おつ死ぬべし!
喜十 阿呆だ俺あ。タンボの事知つてるだけで、ほかの事あカイモク知りやせん。金五郎が、んだから、俺のこと馬鹿にしても異論は無え。……、なんで、俺のタンボから水う取り上げようとさらすんだ? よ? それ聞こうでねえかい! (ドンドンと、畳を叩く)
森山 まあさ、そうイキリ立つても、金五郎は、此所にやいねえ。
喜十 だつてそうでねえか! 戦争すんで農地改革つうので、爪に火いとぼすようにして、金え拵えてよ、もとの入会いりあい分譲してもらつて、やつとまあ、これで小さいながら田地持ちの百姓だと、お前さま、勇んで稼いでるもんに、こんな事する奴、鬼だねえか!
森山 また、よりによつて隣り同士であんだけ仲の悪い芹沢と喜十さん、分譲地まで隣り合つちまつたもんだ。
せん ほんによ、因果だなあ!
喜十 鬼だねえか! どうしてこれが我慢していられるもんだ、ばさま! (ドンドンと畳を叩く)
りき わかつたわかつた。そう畳ぶつな、ホコリが立つていけねえ。見ろま!
喜十 それもなあ、金五郎からアダを受けるだけなら、まだええ。かやつの家と俺ちとは永え間のモツレでのし、あいだにや、俺の方が悪い事だつてあつたずら、人間、お互いだから、それもいいと眼えつぶる法もあらあ。村の衆のことよ、俺の言うなあ。金五郎に種え分けてもらつたり、中にや金え握らされたり、それでなくてもあやつは須山の旦那あ笠に着て顔が良いから、それにオベツカする、みーんな俺んちのことアダをしやがら!
森山 かげじや、しかし、喜十さんの方に同情しているもんも相当あるよ。
喜十 かげで同情してくれたつて、なんになりやす? この秋あ、お祭りにも俺だけノケモンだ。よそのうち同様に寄附しようとしても、ことわつて来る。配給もんのフレも俺とこだけ抜かして廻すのがしよつちゆうだ。田植えの加勢も、申し合せて、俺んちだけは一人も出てくれねえ。な! 道で行き合つても、こつちが挨拶しようとすると、みーんなソツポ向かれて見ろ。一家五人、村なかさ住んでいながら、離れ小島に流されるのと同じだからよう!
りき ふむ。……んだが、石ころが急にまた、じようぶ、しやべりやがる。
喜十 ばさまだから、しやべれるんだ。のし! 俺の身にもなつてくろい。
りき だども、おらにどうしろと言うんだ? 俺の身にもなつてくれと言つたとて、おらあ、ばさまで、お前は喜十ずら。
森山 いえさ、そこんとこをですよ、一度ばさまに話して、全体どうしたらいいか、ようく相談して――まずそう思つて喜十さんも私も、こうしてやつて来たようなわけで――
りき さあて、そりや、無理だあ。おらに何がわかりやす? 相談にやならねえなあ、(シヨンボリした一人語り)うまく行かねえもんだなあ世の中つうもんも。……喜十なんどの、正直いつぺんのシが、うまく行かねえとなると、これ、なんとすればええだかなあ――
(一座シンミリとしてしまつて、誰も語り出す者なし)

サダ ……あい、お茶がへえりやした。
りき おい。……、森山さんもどうぞ。喜十も飲め。
(サダが茶わんをくばる音)
せん あい、中込の餅でやす。(箸にはさんで出す)
りき なんだ、へえ、こりやアンがついてら。
サダ 喜十のおじさん、手を出してくんなんし。
喜十 へい。
りき (食いながら)こら、うまい、よくつけた。さあさ、森山さんも。新一も次郎も食いな。
新一 うん。
森山 すまんなあ、お初穂の御しようばんになるなんぞ。
(一同、茶をすゝり餅を食う気配)

りき ……そんで、なにかや、次郎の相談つうのは何だつけよ?
次郎 あとで言わ。
りき もうかまわねえ、言つて見ろ。
次郎 ……おれ、家にいてもしよう無えから、東京に出ようと思つてよ、そんで――
新一 俺が反対したんだそいつに。いや、ただ東京へ出るならいいけど――
(そこへ、いきなり、犬がほえるような声で、はじめはどうしても泣いているなどとは聞えない声で、喜十が手離しで泣き出す)

喜十 おう、おう、おう! うわあ!
サダ あれ、どうしやした、喜十のおじさん?
せん 喜十さんよ! どうしただ?
喜十 おう、おう、おう!
りき どうしたよう、出しぬけに、こうれ!
森山 喜十さん、どうしやした?
喜十 うう、俺あ、へえ、どんな悪いことばしやした? うう、だのに、俺のこと、俺んちのこと、村中でお前、どこさ行つても、喜十さ、お茶がへえつたから、一杯のんで行けと声をかけてくれる家あ、たつた一軒も無えだあ。うう、つれえぞ、ばさま! こうして、それが、ばさまんちへ久しぶりに来やした。茶あ飲め、餅食えだ。俺を人間あつかいにしてくれるの、ここんちだけだあ、んだから、おらあ……
(一同シーンと黙りこんでしまう)

りき ……そうかや。
森山 まつたく、無理ねえんでやんすよ、うむ。
次郎 喜十のおじさんがホントじやと思う! だらず? まちがつているのは、村のそやつらだ。芹沢の金五郎なんつ奴、捨てて置くこと無えだよ。がまんにがまんしてるのに、いじめにかかる奴とは、戦わねばなんねえ、と俺あ言うんだ。そうだねえか! しかけて来られる戦さなら立たざならねえ! それで立たなかつたら、そいつは腰抜けだ。卑劣野郎だ。そいじや、そうよ、国も亡びるぞ! 俺あ、へえ、喜十のおじさんの身方にならあ。おじさん、やりなよ! かまうこたあ無えから、芹沢だろうと村の奴らだろうと、ゲンノウで叩き割つてやれ。なあに、そんで死んだら死んでもいいでねえすか! そんな、そんなつれえ目を、そんな耻をしのんで生きてるよか、死んだ方がええよ!
新一 又言わあ! 直ぐそれだ次郎は。コーフンしてムチヤ言うが、そう簡単に行くもんか。
次郎 だつて、新ちやん、お前は喜十のおじさんに同情しねえのか? 黙つて放つといていいと言うのか? へへ、そうかもしれんな。なんぜ、再軍備にや反対だと言うかんなあ、そいでどつかの軍隊が、日本へ攻めこんで来たら、手をあげて、さあ、さあ取つて下さいちつて待つてると言うからな。
新一 なにを言う? それとこれとは別だねえか!
次郎 別だねえよ! 大きい小さいの違いこそあれ、家のこともタンボの事も国のことも同んなじだ。だらず? 芹沢の金五郎つうのは喜十のおじさんの方へ侵入して来た奴だ。
新一 おじさんの問題は問題で、村会へ持ち出すなり、裁判所に訴え出るなり、そのほか、なんとかすれば、やりようはあるんだ。だのにそれと国の軍備の問題とを、いつしよこたに混同して、んだから軍備は必要だ、んだから戦争はやむを得ないなんどと言うのは、愚劣だよ。そんな考えを持つてるもんが、まだ居るから、見ろ、元の軍人だとか右翼の連中が又ゾロゾロ這い出して来てるんだ。
次郎 それとこれこそ、話あ別だい! 元の軍人や右翼なんぞ引つこんどりや、ええ。俺あ、これからの俺たち自身のことを言つてんだ。第一新ちやんはおじさんの問題にやりようはあると言うが、村会や裁判所に、なんと言つて、持ち出すだ? そのほか、やりようは有ると言つたつて、もうこれまでに、やれる事はみんなやりつくして、どうにもこうにもしようが無くなつたんだぞ。それでも先方じやイジメるのよさねえ。そんでこうして、ここさ来てよ、おじさん泣いてんだぞ。おじさん泣いてんだぞ!
新一 だからよ、だから、俺が言うのは、この事と国の軍備の事をいつしよこたにして考えるが間ちがいだと言つてるまでだねえか。
次郎 同じじやねえかよ。今後日本がほかの国に侵略されたら、軍備無かつたら、どこへ訴えりやいゝんだ? 訴えてもどうにもならなかつたら、、どうすりや、いいだ?
新一 まあ、聞け。今あちこちで、一軒の家なら戸じまりが無えと泥坊がへえる、その戸じまりが軍備だなんて言う者が相当いるが、次郎の考えは結局はそれだ。そいつは、よその国はみんな泥坊だと決めてかかつたムチヤクチヤ議論だぞ。今の世界はそんな一つの国が理不じんにほかの国を侵略するのを、みんなが黙つて見送つてなぞいない世界だ。
次郎 それこそ夢みてえな理想論だ。だら、現に朝鮮はどうだや? いやさ、しよつぱなに攻めこんだのが北鮮だか南鮮だか俺あ知らねえ。けんど、とにかくどつちかが攻めこんでよ、それを押し返そうと言うんで戦さになつてることを俺あ言つてんだ。それをさ国際連合つうもんが有つても、どうにも片づけることが出来ねえでいるんだ。ちようど、喜十のおじさんの事件を、村会でも、部落会でも片づけられねえでいるのと、まるで同じだねえか。もうあとは実力でもつてぶつくらわすか、ぶつくらわされるかだけしきや残つていねえじやねえか。
新一 わからねえなあ、こやつも! そりやあな、日本が今本当の独立国なら、自分を守るための軍備持つてもよからず。しかし、今日本には、アメリカの軍事基地がいつぱい有るんだぞ。そこい日本が軍隊持つてだな、もしアメリカとほかの国が戦争になれば、日本軍はアメリカ軍に一人手に組み入れられるんだ。すれば、ヘタをすると日本の軍隊はアメリカのために戦わねばならんくならんとも限らんのだ。そんな事も考えねえで、自分一人が国を愛しているように思つてるのは、まるで豚の頭だ。
次郎 豚の頭だろうと犬の頭だろうと、大きなお世話だ。へつお前がそんなえらそうな事言つておれるのは、お前んちじや足りるだけの田地が有つてよ、そんでお前はそこの総領で、しかも会社で月給取つてる、つまりがお大じんだからだ! へつ、俺みてえに貧乏な百姓の、ひやめし次男だとか、喜十のおじさんみてえな人間は、そんな悠長なゴタク並べてはおれねえだ!
新一 ゴタクと? 野郎つ! (ビシツと一つなぐる)言わして置くと――
次郎 やつたな!
サダ (ガタガタと、とめに割つて入る)これさつ! なによするの、あんた方! よしなもう!
せん (これもとめながら)なんてこつた、ま! イトコ同士でいて、そんなお前がた! 新ちやん、なぐるというなよくねえ!
新一 ちしようめ!
りき (大きな声)やらして置け! 取つ組み合いでも、やつて見ろ! (それで、騒ぎがピタリと止んで静かになる)………見ろ新一、兵隊はよくねえ、戦争はよくねえと言つてるおのしが、そう言つてる口の下から手え出して次郎をなぐつたぞ。
新一 だつてあんまり人をナメタ事ぬかすから――
りき 同じこんだ。りこうぶつた事言つても、お前も次郎も同じこんだ。どつちもおらの孫だけあつてバカスケだ。
森山 んだけんど、なんでやすよ、こんな若いしたちにして見りや、こんだ又戦争にでもなりや直接自分たちが引つぱり出されるんじやから、軍備問題ではムキにもなる道理でやすねえ。
りき さようさ、困つたもんだ。……(寂しそうなシヤガレた声で)次郎、そんでお前がおらに相談に来たつうのは、そいつたような気持で東京さ行きたいというのかえ?
次郎 ……うん、家に居ても、この先、しようねえから――
りき そうか。……
(永い間。……シーンとした中に火じろの火のはぜる音と、柱時計のカツ、カツ、カツと刻む音)

りき ……喜十よ、お前がなあ、村八分になりかかつとるについては、お前の方からは金五郎にも村の衆にも悪い事はなんにもしなかつただな?
喜十 こんりんざい、俺の方で悪い事はしたおぼえ無えです。
りき お前は馬鹿正直のえ人間だ。そりや俺が知つとる。だどもどんな善え人間でも自分じや気が附かねえで、人の気い悪くするような事するもんだ。
森山 だけんど、わしなんども方々問合わしたが、喜十さんの方にそんな事あ無えでさあ。そのおとどしの選挙の時の須山さんの買収をサシたの喜十さんだつたと言うのも濡れぎぬだ。第一、こんな人がそんな出過ぎた真似をするかしないか、誰が考えてもわかる筈だに、ツイ芹沢の口車にのつてなんとなくそういう事になつちやつてるのでやす。
りき ……たしかに、喜十よ、悪い事しねかつたというの嘘じやねえな?
喜十 俺あへえ、たとえ神さまの前で嘘つく事あつても、ばさまの前で嘘あ、つきやせん。
りき よし、よからず、んじや。ならば、お前は喜こんどれ、そんで、ええ。自分は幸せもんじやと思つて喜こんどりや、それでええのよ。
喜十 へい?
りき 村八分になろうと七分になろうと、そつたらこと捨てて置いて百姓しろ。そうだらず? 今どき人さまに対して悪い事を一つもしねえで過して行けるというのは、大した事だぞ。自分がそれ知つてれば、それでいゝじやねえかよ。こんな満足な事あ無えんじやから、満足してればよからず。第一、村のもんが今いくらお前をイジメにかかつても、人間わけも無えことを、そういつまでもやれるもんで無え。今に飽きて、忘れつちまわあ。
喜十 ちがいやす。あんまりシツツコク、忘れねえで俺のことイジメるから――
りき ちがう! アベコベだ。忘れねえのはお前の方だ。お前が、うらめしいうらめしいと思つて忘れねえから、先方も忘れねえだ。
次郎 だども、そんじや、おじさんの方は、どんなひどい目に逢つてても、イジメられつぱなしになつていなきやならねえのかい?
りき まあ/\、俺に委せておけ。
新一 村八分なんていう、そんな封建的な事、間ちがつてるよ!
りき はは、そつたら理屈言つても、俺にわかるもんかよ。ただなあ、人間早まつちやならねえ。喜十はイジメられてるイジメられてると言うが、その喜十や森山さんの言う事嘘たあ思わねえが、話ばようく聞いていると、そん中でホントにあつた現なまの事というと、水口がへずられるという事一つきりだ。だらず? 配給を抜かされることも、祭りの寄附のことも、附き合いはずれの事も、そのほか、みんな、その時々の話の行きちがいかも知れねえし、こつちの思い過しかも知れねえ。すべてアヤフヤなこんだ。事がグレハマになる時は、そうた事が次ぎ/\と起きるもんだ。それをこつちが、年中いじめられるいじめられると思う気があるもんで、一つ/\曲つて取る。人間は自分が嘘つくつもりは無くとも嘘をつく事だつてあらあ。はは、家のじさまが一度キツネにだまされた事あつてな、小諸の親戚の祝儀へ行つての帰りに、こゝの上まで戻つて来てんのに、どうしても家へ入れねえつうんで、大声はりあげたんで、出て見ると坂の上でグル/\ひとつ所ば廻つていてなあ、俺が行つてやつと連れもどしたが、俺の顔見てもまだキツネにばかされていると言つてたつけ。なあに、段々聞くと、悪い地酒をサンザ飲んで、そこへサバずしの少し腐つたやつを食つて、油に酔つちやつて頭が少しどうかしていたのよ。当人は、それをキツネにばかされたと言つて、今でもそう思つてら。はは、人間は、おかしなもんで、自分で自分をばかすもんよ。キツネからはバカされないでも、自分からばかされる。はは、俺なんざ、うぬが馬鹿じやし、馬鹿のくせにズルイからのし、自分の眼で見るまでは、人の話なぞメツタ信用しねえや。その水口へずられる話にしたつて、金五郎がやつた事かどうか、わかつたもんで無え。
喜十 だども、ばさま――
りき サダよ、わらじ一足出せ。
サダ わらじと? なんにしやす?
りき わらじをなんにするものだ。――おらがはいて行かあ。
サダ へえ、どこさ行くの?
りき 海の口まで、ちよつくら行つてくら。
森山 へい、するつうと――?
りき お前さまがたといつしよに行つて、喜十の言うのが本当かどうか見てみやんしよう。都合で須山のおだんなや芹沢の金五郎と逢つて見べえ。
森山 そうでやすか! そうお願いできれば、もうへえ、ばさまに乗り出していただければ、イサもクサも無え、事は片づきやす。こいつは、ありがてえ!
喜十 ばさま、俺あ、へえ、なんにも言わねえ。こん通りだ!
りき へん、礼を言うなあ、まだ早えや。まだ誰もおのしの身方すると言つちやいねえ。行つて見て、もしおのしがまちがつていたら、おのしをやつつけてやるから、そう思え!
喜十 けつこうでやす。ひやあ、ありがてえ!
りき もし先方がまちがつていたら、先方をやつけてやらず。ははは、そいつは冗談だ。つまりはこの白髪頭ヘコ/\さげて頼んで廻るだけの事だあ。
次郎 俺もいつしよに附いて行かあ!
新一 俺も行く。
りき よせ/\、お前だちは川上からまつ直ぐに家さ帰れ。
せん んだけど、ばさま、そつたら足元から鳥が立つように急がずとも――
りき なに、こんな事あ早い方がええ。
サダ あい、わらじ。たびは、え?
りき たびは、いらん。(わらじの紐をしごきながら)そうだ、次郎の相談だつたなあ。東京さ出るんだと?
次郎 うん。
新一 出るだけならいいさ。けど次郎は予備隊へ入るんだなんて言うから、俺あ反対してんだ。予備隊というのは今後軍隊みてえになるらしいんだ。
りき ほうか、軍隊か? (わらじをはきながら)
次郎 それでも俺あいいんだ。新ちやんは軍備に反対だからそう言うが、俺あ反対じや無えからな、国を守るために必要なら、俺あ喜こんで兵隊になりたいんだからな。
りき そうか。……なんやら、そんな理屈は俺にやわからねえが、次郎は、すると、どうしても東京さ出てえのか?
次郎 うん、出てえ。
りき そうか。そんなら、出ろ。若い時あ二度無え。人間、自分がホントにしたいと思う事するのが一番だ。はたの人間が何を言おうと、うぬがようく、うぬの胸に手を当てて考えて、何でもええから一番してえと思うことを、いつしよけんめいやつて見ることだ。すれば、たとえしくじつたつて悔むこたあ無え。東京さ行け。そいで、うまく行かなかつたら又もどつて来い。
次郎 ……うん。いや、そうだねえよ。ホントは俺、東京なんどへ出たくは無え。俺あ、へえ百姓が一番向いてるし、百姓やつていてえんだ。けど、家さ居ても、家の田地はそうでなくても足りねえのに、次男の俺がいると分家なんつ事になると家は立ち行かねえし、にいちやんも可愛そうで、ちかごろ俺、兄ちやんの顔見てるの、たまらねえんだ。
りき ……なんだ、そうかよ。……そんだら、東京なんどへ出るの、やめろ。なあんだ、そうか――そんなら、やめろ/\。田地の足りねえのは困りもんだが、なに、俺がチヤンとええようにしてやらず。親戚中から少しずつ譲つてもらつても二段やそこらは集まるべし。じさまとおらが死んだら、この下のタンボの一枚ぐれえ、てめえにくれてやらあ。
次郎 ……ありがとう、ばさま。
りき なあによ泣きさらす? 娘つこじやあるめえし、メソメソするの俺あ大きれえだ。
森山 (これも足ごしらえをしながら)だけんど、なんでやすねえ、現在この、農家の次男三男の問題は、こいで大きい問題でやすよ。結局は土地が足りねえからね、いくら農地改革やつてもホントの解決にはならねえ。人口問題をなんとかするとしても急の間には合わねえとなると、こいつ、国内だけではどうしても片づかねえ問題で。喜十さんの問題なんずも一番の大根おおねの原因は田地が足りねえ所から来てるだから。
りき さようさ、どうすればいいだか。
森山 外国でもこの点は早く考えてくれて、どつか移民さしてくれるとか、してくれねえと――
りき うん。いずれはそうお願えするほかに無えようだなし。
森山 この前の戦争にしたつて、そら、日本のした戦争は間違つていたけんど、その原因の一つには、たしかにこの土地が足りねえ、満洲へんに出抜けねえば、どうにもこうにも、やつてけねえつう事もあつたんだからなし。これを又うつちやつとくと、いろいろにこぐらかつて来やすよ。新一つあんや次郎さんみてえな若いしたちが、やれ再軍備だ、再軍備反対だなんぞとカツカとなつて考えるようになつて来てるのも、そこらと関係のあることで、気持だけは、ようくわかるなあ。
りき さようさ。だども、軍備はいけねえよ、もう兵隊こさえちや、ならねえ。
次郎 え? 軍備は、いけねえの、ばさま?
りき いけねえ。(極くあつさりした言い方)
次郎 ……すると、外国から攻めて来たら、どうすんだ?
りき 攻めてくると誰が言つた?
次郎 誰も言やあしねえけどさ、もし来たら、手をあげて取らすんか?
りき そつたら事、俺あ知らねえ。それにこいつは日本国全体のことだ。俺なんずのクソ婆あが、アレコレ言つたとてなんになる? もつと賢い衆が、うまくやつてほしいや。だども兵隊は、もう、こさえちやならねえ。……こねえだの戦争で、俺あ息子を四人兵隊に出して二人とられた。……悔んじやいねえ俺あ、それを。あたりめえずら、それぐれえ。……んだが、息子二人とられて見ろ、楽じや無え。……その俺が言うんだ。言つてもよからず?……兵隊はもう、どんな兵隊も、こさえちや、ならねえ。
次郎 ……だども――
りき だどももヘチマも無え。理屈をつけりや、どんな事にも理屈はつかあ。軍備した方がええという考えにも、しねえ方がええという考にも、それぞれ理屈はあるべし。両方に良い事も有りや悪い事もあらあ。それをハカリにかけて較べていたんではきりが無え。大事なこたあ、これが一番だと思つたら――これが一番ホントだと見きわめ附いたら、ほかのグジヤ/\した事、一切合切、スペツとかなぐり捨てゝ、そいつをやる事だ。そんために出来てくる困つた事あ、又なんとかすればなんとかしようがあらあ。去年なあ、板橋のお兼婆あが、腸が悪くて悪くて、どんな養生しても、町のお医者に三人も四人もかゝつて薬浴びるほど飲んでも治らねえ。しまいに拜み屋さまに凝つても、まだいけねえ、ガンだガンだつうので泣いてたつけ。俺あ見舞いに行つてよ、よく/\気いつけて見ていたらば、お兼婆あ、アズキがじようぶ好きでな、なんかと言つちや、アンコにしたりオヤキにつけたり、カユにたきこんだりして朝晩に食つてら。アズキというもんは通じのつくもんでな、婆あそれ知つてるくせに、好きだもんで、いろんな理屈つけちや、かかさず食つてら。そんで俺が、いきなりアズキを取り上げた。つれえといつて、初めは婆あめ、わめきやがつた。そやつて半月たつたら、腸の悪いの、なめて取つたように治つちやつた。はは。……かんじんのてめえの命がおしかつたら、いけねえもなあ、きれいサツパリやめる事だ。
次郎 ……するつうと、ばさまは、よその軍隊が攻めこんで来ても抵抗しねえのか?
りき 抵抗たあ、なんだ?
次郎 刃むかわねえかというんだ?
りき さあなあ。そら、人間だから、わからねえ、そん時になつて見ねば、うぬが目の前で同じ日本人がドンドン殺されたりすれば、おおきに、こんで、出刃ぼうちよう持つてでも刃むかわずにやいられめえ。
次郎 そんだら、もうそうなつたら、手おくれだねえか! 殺されるだけだ。
りき 手おくれでも、しよう無えよ。まだしも人を殺すよか、人から殺される方がええぞ。殺される方が手おくれならば、殺す方は、もつと手おくれだらず? 地獄に落ちつぱなしになるだけだ、そんな奴あ。かんじんの事は、人を殺すのは悪いという事だ。だらず? 悪い事あ、しちやならねえ! 悪い事あ、しちやならねえ! 悪い事あしちやならねえつ!
サダ なんとまあ、大きな声よ。耳が、ガン/\いわあ!
りき はは! 俺にわかることは、そんだけだ。バカだから、その余の事あ、知らねえ。賢い衆が、余の事あ、うまくやつて欲しい。悪い事あ、しちやならねえ! (わらじをはき終つた両足でドンドンと土間をふみこころみる)喜十よ、さあ行くべし!
喜十 へい!
サダ はは、はは!
せん ふふ!
(一同が、軽く笑いながら、出て行く人たちが立つて歩き出す気配。どこかで、けたたましいモズの声)

底本:「破れわらじ」ラジオ・ドラマ新書2、宝文館
   1954(昭和29)年12月25日第1刷発行
※拗音、促音が小書きされていないのは底本通りです。
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2009年1月6日作成
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