近頃農村の經營といふ事に關する著書が月に一册か二册は缺かさず出版されてゐる。新聞や雜誌にも同じ問題がちよい/\繰返されてゐる。かういふ傾向は、不知不識しらずしらずの間に爲政者の商工偏重の政策と對照して、我々批評家の地位に立つ者に一種の興味を與へる現象である。産業時代と謂はるゝ歐洲の近代文明は、既に隨處に農業の不振、農村の疲弊を馴馳した。同じ弊害は今や漸く我邦にも現はれてゐる。さうして日を逐うて著るしからんとしてゐる。今までと雖ども、農業に關する問題が特に閑却されて來たといふ譯ではなかつたが、右のやうな情勢は、やがて我々が新らしい熱心を以て其の爲に思考せねばならぬ時代の近づいてゐる事を暗示してゐるやうに見える。單に農村の振興改良と言へば小さい問題のやうであるが、その後には直ぐ國民最大多數の生活を如何に改善すべきかといふ大問題が控へてゐるのである。農村の疲弊は事實である。隨つてその振興改良の事は徹頭徹尾實際問題である。頭や口の問題ではなくて、手の問題である。さて今までに發表されたそれに關する意見を、私の讀んだ限りの範圍に於て考へて見るに、大凡二つに別けることが出來る。一は二宮流の勤儉貯蓄を中心思想とする消極的のもの、一は現在既に漸く農業そのものに絶望せんとしつつある青年子弟に自覺を促して、それによつて萎靡ゐびを極めてゐる農業と、沈滯を來してゐる最小自治區とに新精神を與へんとする積極的のもの。然し問題が既に實際問題であるだけに、此の兩者ともその説く所の方法に於ては殆んど一致してゐる。曰く副業の契勵、曰く勤儉貯蓄の勵行、曰く購買販賣組合や信用組合の組織、曰く村有財産の造成、曰く青年團體の活動、曰く何、曰く何……無論この外に農業國としての廣い立場からは、農業の根本的改良とか、不動産銀行の設立とか、低利資金供給とかの問題も提唱されてゐるのであるが、それは暫く論外として置く。
 今これ等の方法の一々に就いて考へて見るに、皆尤もな事ばかりである。啻に尤もな許りでなく、今日農村の事情を知つてゐる者であれば、それが學者であらうと果た實際家であらうと、矢張これ以上の特に立優つた方法を考へ出すことは難かしからうとも思はれる。私自身は元來何事に對しても積極的なやり方を喜ぶたちで、隨つて封建時代の道徳を、その儘取つて以て新日本の標準道徳としようとする内閣の連中の保守思想に就いては、沒分曉でもあり不可能でもあると思つてゐるのであるが、それにしても一般都市より十年もその餘も文明の程度の遲れてゐる農村などには、二宮流の消極的道徳を極端に行ふなども、時に取つて一方法であることは拒み得ない。

底本:「啄木全集 第十卷」岩波書店
   1961(昭和36)年8月10日新装第1刷発行
入力:蒋龍
校正:阿部哲也
2012年4月15日作成
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