九月十一日

広島尾道地方へ旅立つ日だ、出立が六時をすぎたので急ぐ、朝曇がだん/\晴れて暑くなる、秋日はこたえる、汗が膏のやうに感じられるほどだ。
中関町へ着いたのは十一時過ぎ、四時頃まで附近行乞。
六時、三田尻の宿についた、松富屋といふ、木賃二十五銭でこれだけの待遇を受けては勿躰ないと思ふ。
夜は天満宮参詣をやめて旧友M君を訪ねる、涙ぐましいほど歓待してくれた、奥さんもお嬢さんも、おばあさんまで出てきて、私の与多話を聞いて下さつた、十時近く、帰宿して熟睡。
同宿、いや、同室一人、誓願寺詣の老人、好きな好々爺だつた、いづれ不幸な人の一人だらう!
捨てた、今日の行乞で物事に拘泥する悪癖を捨てた、気持がたいへん楽になつた、もう一つ捨てたいものは、捨てなければならないものは酒の執着である(正しくいへば酒への未練)。
有縁止、無縁去、去来行住すべて水の如かれ、雲の如かれ。
おもひでの道を歩いて、善友悪友のおもひでがあつた、――K君、S君、I君、M君、等々等。
私はどこへいつても、招かれざる客であつても拒まれる客ではない、今日は歓迎せられた客でさへあつた。
秋草のうつくしさ、水草のうつくしさ。
ルンペン家族が、とある樹蔭で、親子四人でお辨当を食べてゐた、彼等に幸福あれ。
私の貧乏、そして私の安静、私の孤独、そして私の自由、不幸なる幸福
今日の所得(銭十九銭 米二升四合)
今日の御馳走(酢鮹、煮魚、里芋)
・朝風の簑虫があがつたりさがつたり
・バスも通うてゐるおもひでの道がでこぼこ
・役場と駐在所とぶらさがつてる糸瓜
・かるかやもかれ/″\に涸れた川の
・秋日あついふるさとは通りぬけよう
・おもひでは汐みちてくるふるさとの渡し
 ふるさとや少年の口笛とあとやさき
 ふるさとは松かげすゞしくつく/\ぼうし
・鍬をかついで、これからのへたくましい腕で
 おばあさんも出てきて話すこうろぎ鳴いて(M君に)
・相客はおぢいさんでつゝましいこほろぎ
   追加
 つかれてついてどこかそこらでをんなのにほひ

 九月十二日

朝、鞠生松原を散歩する。
放下着、放下着、身心ほがらかほがらか。
六時出立、我ながらサツソウとしてあるく、見渡すかぎり出来秋のよろこびだ(実際問題としては豊年飢饉だらう!)。
末田海岸の濤声、こゝにも追懐がある。
荷馬車にひつかゝつて、法衣の袖がさん/″\にやぶれた。
彼岸花が咲いてゐる、旅の破法衣と調和するだらう。
富海から戸田まで汽車、十時から一時まで福川行乞、行乞がいやになつて、そこからまた汽車で徳山へ、二時にはもう白船居におさまることが出来た。
酒はうまい、友はなつかしい。
井葉子さんもずゐぶん年が寄つたと思ふ、それだけまた、その接待振が垢抜けしてうれしい、感謝合掌。
飲みすごしても、層雲を借覧して、句稿整理することは忘れなかつた、句は酒と共に私の生命の糧である。
今日の所得(銭十七銭、米一升三合あまり、これは白船君の奥様にむりにあげて、その代償として五十銭拝受)
身うちのものがいふ、――
『あんたもホイトウにまでならないでも、何かほかに仕事がありさうなものだが、……』
私は苦笑して心の中で答へる、――
『ホイトウして、句を作るよりほかに能のない私だ、まことに恥づかしいけれど仕方がない、……』
・いまし昇る秋の日へ摩訶般若波羅マヽ多心経
・コスモス咲いて、そこで遊ぶは踏切番のこどもたち
・鍛冶屋ちんかんと芭蕉葉裂けはじめてゐる
 煤け障子は秋日の波ですつかり洗つた
 おもひでは波音がたかくまたひくく(末田海岸)
・もう秋風のお地蔵さまの首だけあたらしい
・秋の日ざしか、旅の法衣をつくらふことも
・すわれば風がある秋の雑草
・寝ころべば青い空で青い山で
・何もかも捨てゝしまはう酒杯の酒がこぼれる
 うらに木が四五本あればつく/\ぼうし(白船居)
   追加
・海をまへに果てもない旅のほこりを払ふ
・ふるさとの山にしてこぼるゝは萩

 九月十三日

曇、八時出立、尻からげ一杯ありがたく頂戴。
遠石八幡宮参拝、奥床しく尊い。
昨夜飲みすごしたおかげで、今日はだるくてねむくて閉口した、そのためでもあるまいけれど、犬に咬みつかれた、シヤレた奴で傷づかない程度で咬みついたのである、一つ懲らしめのために殴つてやらうと思つて※(「てへん+(麈−鹿)」、第3水準1-84-73)杖をふりあげたがやりそこなつた(飼主の床屋さんは責任廻避のために飼主ではないと解りすぎる嘘をいつてゐる、犬よりも犬の主人の方が下等だ!)。
十時から十一時まで花岡行乞。
花岡八幡宮はよいお宮だつた、多宝塔は特別保護建造物になつてゐる、古色蒼然として無量の含蓄がある、心しづかに味ふべし。
社務所の白萩はうつくしくてふさはしい。
老ルンペンといつしよにお寺の縁で休む、昼食は戴いた菓子四五片。
途中、都合よければ泊めて貰ふつもりでI君を訪ねる、折あしく大掃除で、手伝人も多勢で、腰をかける場所もない、挨拶もそこ/\にして飛びだした。
I君は相かはらずプチブルボツチヤンだつた。
呼坂行乞、そして今市に近いところで泊つた、この宿はほんたうにきたなくてうるさくて、同時にしんせつできやすかつた。
子供がゐる、猫がゐる、鶏がゐる、馬がゐる、蠅、蚊、等々等、いやはや賑やかなことだつた。
木賃は三十銭、賄はまず普通、三田尻のそれを上の中とすれば、これは中の中といふところ。
同宿は少々気のふれた乞食老人、下らなく話しかけてうるさいから、すまないけれど黙殺してやつた。
こんな宿にも盆栽の数鉢はある、鳳仙花、唐辛、蘭、万年マヽなど、おしやべりの、きかぬ気の小娘の丹マヽだ、日本人はうれしいなと思ふ。
今夜は特に奮発して晩酌三合(いつもは二合)、いゝ気持で寝てゐるところを揺り起された、臨検だといふ、お役目御苦労、問はれるまゝに日本禅宗史を一席辯じて、おまはりさんと宿の人々を感心させた(と自惚れる)。
今日の所得(銭弐十弐銭、米二升一合)
            米はどこでも二十銭替
今晩の御馳走(焼魚、茄子の煮たの)
・かあかあと鳴いたゞけで山の鴉は
 あえぎのぼる並木にはひでりのほこり
・こんなに子供があつてはだかではいまはる
・笠へ落葉の秋が来た
・なんでもない道がつゞいて曼珠沙華
・うらは蓮田できたなくてきやすい宿
・旅の夜空がはつきりといなびかりする
・ほんとうによい雨が裏藪の明ける音
・今日の陽もかたむいたひよろ/\松の木
   追加
・まんぢゆさけさきわたしの寝床はある(帰庵)

 九月十四日

夜中に雨の音をきいた、朝空は曇つてゐるがなか/\降らない、宿の支度がおそくて出立もおくれた。
十時から一時まで高森町行乞、夕立がやつてきた。
二時から四時まで玖珂行乞、こゝでも夕立、よい夕立だつた。
心たいらか、行乞相も行乞所得も上マヽ来、善哉、々々。
与へる人のいろ/\さま/″\が考へられる、三輪空寂は理想だ、せめて二輪空寂になりたい。
昼飯代りに柏餅五つ、五銭は安かつた、いはんや、新聞を読まして貰ひ、マツチを貰つたに於ておやである。
ありがたい雨だつた、草も木も人もよみがへつた、畑仕事をする人々が至るところに見られた。
欽明寺峠は峠としては何でもないが何しろ長い、秋草、虫声がよかつた、萩の老木は口惜しいほど欲しかつた。
師木野シギノといふところ、鉄道工事風景が興味ふかゝつた。
夕雀、赤子の泣声、犬の吠えるのも旅のあはれだ。
しんせつなおばあさん、ふしんせつなおぢいさん。
路傍の荷馬車小屋で野宿の支度をしつゝあつたお遍路さんがていねいに挨拶した、私もねんごろに会釈した、彼の境遇を羨ましく感じるほどそれほど私はまだ私の生活に徹してゐない、恥づべきかな。
暮れて急いで道を間違へて、岩国の馴染の宿(昭和二年にも四年にも世話になつた)へ着いたのは八時頃だつたらう、地下足袋をぬぎ法衣をぬいで、やれ/\、「周東美人」を二、三杯ひつかける、どうも酒はうますぎますね。
木賃三十銭、中の上、または上の下とでもすべきか。
宿の主人夫妻がめつきり年をとつてゐる、娘がもう年頃になつてゐる。……
今日の所得 (銭四十銭、米二升四合)
御馳走 (小海老のいりつけ、にんじんのおしたし、豆腐汁)
もう栗が店に出てゐる、栗そのものは食べたいとも思はないが、栗の感じはよろしい、柿――きねり柿――をおせつたいとして頂戴した、歯がわるいから小供にくれてやつたが。
・百舌鳥がするどくふりさうでふらない空
・馬も肥えたと朝飯いそがしく出てゆく
・秋のひかりや蠅がつるんだりして
・鮮人長屋も秋暑い子供がおほぜい
 乞ひあるく旅のいやになつたバスのほこり
・売られて鳴いて牛はのそ/\あるく
 牛を見送ると水涸れた橋まで
・夕立すずしくこちらで鳴けばあちらで鳴くも牛
・ほんによかつた夕立の水音がこゝそこ
・すゞしくぬれて街から街へ山の夕立
・いたゞきは夕立晴れの草にすわる
・長い峠の、萩がちつたり虫がないたり
 峠くだればゆふべの牛が鳴いてゐる
・夕立晴れるより山蟹のきてあそぶかな
 長屋あかるく灯して疳高いレコードの唄
 アンテナがあつて糸瓜がぶらさがつて鉄道工事長屋で

 九月十五日

降りさうなが、降ればよいのだが、歩いてゐるうちに晴れてきた。
今日は歩けるだけ歩いて、そして汽車に乗つても、広島入の日である、よろこばしい日である。
朝酒一杯、その元気で八時半から十時半まで岩国町行乞、十一時から十二時まで麻里布町行乞、近来にないはじかれ方だつた。
愛宕山林をながめて亡弟追憶の涙をしぼつた。――
今は死ぬるばかりとを合せ
  山のみどりに見入りたりけむ
旧作は新作だ! あゝ。
二時半から三時半まで、さらに大竹町行乞。
四時近い汽車に乗る、若夫婦のクツシヨンに割り込ませて貰つたが、お気の毒でした。
五時広島駅着、地下道をのぼつて出札口に近づくと、大山さんのニコ/\顔が待つてゐた、うれしかつた、連れて澄太居へ。――
澄太居は予想通りで、市にあつて市を離れたところに澄太らしいところがある、葉鶏頭がたくさんあつて、とてもうつくしい。
明るい家、明るい気分。
酒は加茂鶴、下物は焼鮎、……身にあまる優遇で野衲いさゝか恐縮のテイ
よく飲んでよく話してよく寝た。……
今日の所得は、銭七十四銭と米六合(?)
今日の行程は徒歩で三里、汽車で九里。
・暮れても宿が見つからないこうろぎで
・水は涸れきつて松虫や鈴虫や旅人
 のぼりつめればトンネルとなりこだまする
 誰も寝しづまり鈴虫のよい声ひとつ
 秋の波がうちよせる生徒がむらがる
・赤子つぶらな眼を見張り澄んで青い空
・葉鶏頭に法衣の袖がふれるなど(澄太居)
 窓へからまり朝顔の実となつてゐる
・塀にかぼちやをぶらさがらしてしづかなくらし
・葉が四五本穂をだして揺れるのも
・父がくれた柘榴はじめての実が揺れてゐる(澄太居)
 野良猫も仔を持つて草の中に
・これが最後のかぼちやたゝいて御馳走にならう

 九月十六日

秋空一碧、一片の雲もない明朗さである、午前中はそこらを散歩、そして句稿整理。
友の温情が、酒のうまさが全心全身にしみいる。
菓子のうまさまで味つた。
都会情調、人のゆききが自動車電車のひゞきが今の私にはうるさい。
蛙の声があかるい室でしづかに自然人生をおもふ。
奥さんが昼食にも一本つけて下さる、主人が昨日二階にあがるより一杯持つてきて下さつた時のやうに、うまい/\ありがたい/\。
一浴して一杯やる気持は何ともいへませんね。
牛田風景は三方が山、南が河の、雑音のない閑静である。
湯上り浴衣にヘルメツト帽。
夜は独壺君来訪、三人で飲みながら話した、とても愉快な一夜だつた。
悪夢に襲はれて寝言をいひつゞけたことが私自身によく解つてゐる、これはとても不愉快だつた。
・兵営の柳散らうとする騷音
 秋の野へうごくのはタンク
・旅も蓮の葉の枯れはじめた
 蓮の葉のやぶれてゐる旅の法衣も
・秋風の驢馬にまたがつて
・朝はすこし萩のこぼれてゐる
・空瓶屋空瓶だらけへ秋日がまとも
・雑魚の列も水底の秋
・朝がながれるまゝに流れてくる舟で
・秋風の家をそのまゝうごかしつゝ
・かぼちやとあさがほとこんがらかつて屋根のうへ
・秋空に雲はない榾を割つてゐる
・卵を産んだと鳴く鶏の声が秋空
・たゝみにかげはひとりで生えた葉鶏頭
・へたなピアノも秋となつた雲の色で
   追加
・有明月夜の葦の穂の四五本はある
   再録
・鍬をかついで、これから世の中へたくましい腕

 九月十七日

電車で五日市へ行き、終日舟遊、私の一生にはめつたにない安楽な一日だつた。
釣つた魚を下物にして、水上饗宴である、澄太さんは少しく、独壺(黙壺氏の誤記)さんも少しく、私は大に飲んだ。
釣つた魚は何々ぞ――キス、ハゼ、コチ、小鯛、そして鮹(いたづらに種類多くして小さかつたことは内密々々)。
さらにまた蜊貝、蟹。……
水、酒、友、秋、物みなよろし。
夜は若い巨村君来訪、奥さんも仲間入、朝からのほろ酔機でマヽ、夜の更けるのも忘れて行乞漫談
・朝風がながれいる朝酒がある
・朝からしやべる雲のない空
・丸髷の大きいのが陽を浴びて
 秋晴の日曜の、マヽユツクサツクがかるい朝風
・向日葵日にむいてゐるまへをまがる
・空ふかうちぎれては秋の雲
 水底からおもく釣りあげたか鮹で
・いながはねるよろこびの波を漕ぐ
 葱も褌も波で洗ふ
・足は波に、舟べりに枕して秋空
・雲のちぎれてわかれゆくさまを水の上
 ぽつかりとそこに雲ある空を仰ぐ
・仰いで雲がない空のわたくし
・波の音ばかり波の上に寝ころんで
・陽のある方へ漕いでゆく

 九月十八日

曇、后晴、日支事変二マヽ年記念日、小学校中学校は休。
広島風景――軍国風景。
東練兵場へ出かけて模擬戦を観る、鉄条網、毒瓦斯、煙幕、タンク、機関銃、……マヽれて、少し憂欝になつて戻る。
午後は句稿整理。
夕飯を食べながら、澄太さんから清水さんの話を聞く、聞けば聞くほど頭がさがる、そして自分の不甲斐なさを恥ぢる、是非一度は同朋園を訪ねたいと思ふ。
多賀さん来訪、生れて初めて蓴菜をよばれる、横旗さん来訪、葡萄をよばれる、波田さんら二人来訪。
話、話、話。……
朝、眼がさめると枕頭の大徳利から二三杯、夜は澄太さんと寝酒、とかく飲みすぎて困ります。
法衣の手入、奥さんが縫うてあげようとおつしやつたけれど、これは綻びを縫ふとか何とかいふ程度のものぢやない、裁縫を知らない人で初めて出来る仕事である!
流転しない世界はさびしい、流転するが故に新らしく、流転するが故に成長するのである、否、流転即成長なのである。
・煙幕ひろがつてきえる秋空
・突撃しようすマヽる空は燕とぶ
・タンクがのぼつてゆくもう枯れる道草
・鉄兜へ雑草のほこりがふく
   改作追加
・はてしない旅もをはりの桐の花
・晩の極楽飯、朝の地獄飯を食べて立つ

 九月十九日

曇、小雨がふつてゐるが、引き留められたけれど、出立する、私としては長い滞在であつた、大山夫妻の心づくしはいつまでも忘れないであらう、忘れられないであらう。
尻からげ一杯、この一杯にも澄太さんの心づくしがある、おべんたう、こゝにも奥さんの心づくしがある。
饒津神社の境内で、マヽ壺さんがきて写真をうつした、それからいよ/\お別れだ、……山頭火一人だ。
私は東へ急いだ、十時から十二時まで海田市町行乞、行乞相申分なしといつてよからう。
私はたしかにこの旅で一皮脱いだ
慾望をほしいまゝにするなかれ、貪る心を放下せよ。
午後は雨、合羽を着て歩いた、横しぶきには困つた、二時半瀬野着、恰好な宿がないので、さらに半里ばかり歩いて、一貫田といふ片田舎に泊つた、宿は本業が豆腐屋、アルコールなしのヤツコが味へる。……
相客は一人、若い鮮人で人蔘売、おとなしい人柄だつた。
今日の行程は五里。
所得は(銭三十銭、米四合)
              二五中ノ上
御馳走は(豆腐汁、素麺汁)
前が魚屋だからアラがダシ、豆腐はお手のもの。
早くから寝た、どしやぶりの音も夢うつゝ。
・朝がひろがる豆腐屋のラツパがあちらでもこちらでも
・やつと糸が通つた針の感触
 時化さうな朝でこんなにも虫が死んでゐるすがた
・朝の土をあるいてゐるや鳥も
・旅は空を見つめるくせの、椋鳥がさわがしい
・また一人となり秋ふかむみち
・この里のさみしさは枯れてゐる稲の穂
・案山子向きあうてゐるひさ/″\の雨
・案山子も私も草の葉もよい雨がふる
 明けるより負子を負うて秋雨の野へ
 ひとりあるけば山の水音よろし
・よい雨ふつた朝の挨拶もすずしく
 一歩づつあらはれてくる朝の山
・ぐつすりと寝た朝の山が秋の山々
 秋の山へまつしぐらな自動車で
   改作追加
 あるくほどに山ははや萩もおしまい

 九月二十日

曇、まだ降るだらう、彼岸入、よい雨の音。
歩いてゐるうちに、はたして降りだした、しようことなしに八本松は雨中行乞、どうやらかうやら野宿しないですみさうだ。
濡れて歩く、一歩一歩、両側の山が迫る、谷川の音がうれしい。
すゝき、はぎ、そしてききようやあざみや、名も知らぬ秋花。
山家に高くかゝげてある出征の日の丸、ぶらりと糸瓜。
「良い犬の子あげ升」といふ紙札。
萩は捨てがたい趣を持つてゐるが、活ける花でも植ゑる花でもない、生えて伸びてこぼれるべき花であることを知つた。
ありがたかつたのは、山路で後になり先になつてゐたおぢいさんがあまりゆたかでもなさゝうな財布から一銭喜捨して下さつたことだつた、この一銭は長者の千万金よりもありがたい。
八本松から西条までルンペン君と道連れになつた、彼はコツクで満洲から東京まで帰るのだといふ、満洲へいつたときは汽車辨当がまづくて食へなかつたのに、失敗し失職して帰るときは一椀五銭の朝鮮飯にもありつけなかつたといふ、すこし奔走して来ませうといつて、そこらの民家から握飯を貰つて、むしやむしや食べる、――おもしろい、それ以上の何物でもない。
昨夜は海田市町はづれの神社で五人のルンペンと一夜を明かしたさうな、ルンペンが職業化しない限り、いひかへれば、生活の手段としてルンペンをやら限マヽり、人間は一度ルンペンになるがよろしい、ルンペンの味は人間味の一つだから。
二時近くなつて西条着。感じのわるくない町だ、金本屋といふ安宿へ泊る、木賃三十銭、上の下といふところ、主人は少し調子はづれと見たは僻目か。
今日の行程四里、所得は十弐銭と五合。
関西第一の酒造地に泊つて、酒が飲めないとは『宝の山に入りながら……』の嘆なきにしもあらずだつた(財布には五厘銅貨が六銭あるだけ)。
今夜も風呂がない、初めて蚊帳をつらないで寝た。
雨はまだ二日も降り続けないのにもう雨を嫌つてる声が聞える、あれだけ待ち望んでゐた雨だのに!
しづかな宿だ、どこからか三味の音がする、わしが国さを弾いてゐる、虫の声、犬の声もさわがしくないほどに。
同宿同室は鮮人、彼も失職者、よく話すけれど嫌味がない、どこでも働らきたい、金を貯めて家庭を持ちたいといふ、彼によき妻あれと祈つた。
今晩の御馳走(きうりなます、にざかな、いも)
昼飯はぬき
・まことお彼岸入の彼岸花
・よべのよい雨のなごりが笹の葉に
・道がわかれて誰かきさうなもので山あざみ
・レールにはさまれて菜畑もあるくらし(踏切小屋)
・山ふかく谺するは岩をくだいてゐる音
 蛙とびだしてきてルンペンに踏み殺された
・仕事は見つからない眼に蜘蛛のいとなみ
・あれが草雲雀でいつまでもねむれない
・旅のからだをぽり/\掻いて音がある

 九月廿二日

晴、秋暑し。
午前中は西条町行乞、午後はゆつくりと歩みつゞける。
予定が狂つて、本郷までは無理だから、途中安宿がないから、すこし左折して新庄といふ田舎の宿に泊る。
宿もわるくないが、山はだんぜんよい。
上の下で屋号本岡屋、三十銭。
空高雲多少――といふ語句が行乞途上でひよいと浮んだ、昨今の私の心境そのまゝである。
何でもない山村風景、その何でもないところに何ともいへないよさがある、かういふよさがほんたうのよさだらう。
或るおかみさんと道連れになつて、彼女がいかに夫思ひで、そして子煩悩であるかを見せつけられた、彼女に幸あれ。
里程を訊ねてもよく知らない人が多い、しんせつにせいかくに、教へてくれる人はなか/\すくない(安宿のおかみさんは、おばあさんでもさすがによく知つてゐるが)、今日訊ねたら、その一人はよく教へて下さつた、彼は中年の不具者だつた。
川原へ出かけて、からだを洗ひふんどしを洗つた。
宿の病弱なおかみさんが月おくれ雑誌を貸してくれた、その厚意はありがたい、去年の夏の富士!
宿の便所はきれいだつたが(安宿の便所は殆んど例外なしにきたない)私の夢はいやにきたなかつた。
・はぎがすゝきがけふのみち
・ゆつくりあゆめば山から山のかげとなつたりひなたとなつたり
・水が米をついてくれるつく/\ぼうし
・出来秋の四五軒だけのつく/\ぼうし
 かたまつて曼珠沙華のいよ/\赤く
・大地にすわるすゝきのひかり
・あほむけ寝れば天井がない宿で
・ころもやふんどしや水のながれるまゝに
   或る友へのたより
昨日は雨中行乞をしましたが、やつと泊つて食べたゞけ、加茂鶴も亀齢も白牡丹もその煙突を観るばかりでした、今日は山もよかつたしお天気もよかつたし、行乞相も所得もよかつたし、三日ぶりに入浴もしたし、一杯やる余裕もあつたし、――まづこのあたりが山頭火相応の幸福でありませう!

   三風居
・街のひゞきも見おろして母子オヤコの水入らずで
   淡々居
・松に糸瓜も、生れてくる子を待つてをられる
   阿弥坊居
・カンナもをはりの、秋がきてゐる花一つ
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 十月二日

 十一月一日

行乞のつかれと酒の酔とでぐつすり寝た。
眼覚めたらすぐ起きるのが私の癖だ、起きたのは四時頃か、そこらを片付ける、さつぱりする、気持がいゝな。
緑平老の温情そのものであるカワセを受ける、そして買物また買物、買へるだけ買つた。
火鉢 三十銭 五徳 八銭……
白米 四十八銭 酒 八十五銭……
いそがしくてうれしい、うれしくていそがしい。
老来、人のなさけがわかる! 雑木紅葉がうつくしいな!
樹明来、つゞいて黎々火来、すべて予定の行動也。
酒あり下物あり、友あり火あり。
何ヶ月ぶりの魚か、その魚は鰯(十尾九銭だつた)。
樹明の酒八合、黎々火のカーネーシヨン六本。
いつしよに黎々火と寝る、フトンがないからでもある。
 今日の夜明けの星とぴつたり
 稲刈日和の、道ばたのをとことをなごがむつかしい話
・柚子をもぐ朝雲の晴れてゆく
 稲刈るそこををとこふたりにをなごがひとり(稲刈の写生也)
・秋日にかたむいてゐる墓場は坊さんの

 十一月二日

・雨がおちるいそがしい籾と子供ら(農村風景の一つ)
 笠は網代で、手にあるは酒徳利(酒買道中吟)
・月夜あるだけの米をとぐ

 十二月廿七日

何といふ落ちついた、そしてまた落ちつけない日だらう。
私は存在の世界に還つてきた、Sein の世界にふたゝびたどりついた、それはサトリの世界ではない、むしろアキラメの世界でもない、その世界を私の句が暗示するだらう、Sein の世界から Wissen(道徳の世界)の世界へ、そして M※(ダイエレシス付きU小文字)ssen(宗教の世界)の世界へ、そしてふたゝび Sein(芸術の世界)の世界へ。――
それは実在の世界だ、存在が実在となるとき、その世界は彼の真実の世界だ。
   十二月廿七日
 死をまへに、やぶれたる足袋をぬぐ
        (この句はどうだ、半分の私を打出してゐる)
・晴れてきてやたらに鴉なきさわぐ
 ほろにがいお茶をすゝり一人である
・身にせまり人間のやうになきさわぐ鴉ども
 冷飯が身にしみる今日で
・草もわたしも日の落ちるまへのしづかさ
   追加一句
 荷づくりたしかにおいしい餅だつた
・枯れた山に日があたりそれだけ
・死にたくも生きたくもない風が触れてゆく
・こゝにかうして私をおいてゐる冬夜
・独言でもいふほかはない熱が出てくる
・さびしうなりあつい湯にはいる
・こゝろむなしく風呂があふれるよ
・焚くだけの枯木はひろへて山が晴れてゐる
・人をおこらしてしまつて寒うをる(北朗君に)
北朗作るところの梅もどきあれ
   庵中有暦日、偶成一句
・これがことしのをはりの一枚を剥ぐ
   樹明君に
 冬朝をやつてきて銭をおとした話
   種田山頭火
   第三句集  山行水行
私は私自身について語りたい、Sein の世界について。
境涯の句、彼の生活が彼の句の詞書だ。
山行水行はサンコウスヰコウとも、サンギヨウスヰギヨウとも、どちらにても読んで下さい、私にはコウがギヨウだから、――たゞ歩く、歩くために歩くのだけれど、それは自然発生的に修するのだから。
   十二月廿七日から風邪気味にて臥床、病中吟として
・ふとめざめたらなみだこぼれてゐた
・なみだこぼれてゐる、なんのなみだぞ
・いつのまにやら月は落ちてる闇がしみ/″\
・うつとりとしてうれてはおちる実の音も
・冬蠅のいつぴきとなつてきてねむらせない
・何を食べてもにがいからだで水仙の花
   病中吟がめづらしくもつゞく
・病めばひたゝきがそこらまで
・よびかけられてふりかへつたが落葉林
・ひさしぶりにでゝあるく赤い草の実
・いよ/\押しつまりまして梅もどき



自依帰仏 当願衆生 体解大道 発無上心
自依帰法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海
自依帰僧 当願衆生 統理大衆 一切無礙
      (三帰礼文―華厳経偈文)

底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年11月30日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。