卜居(津村信夫に)

 この家のすぐ裏がやや深い谿谷けいこくになっていて――この頃など夜の明け切らないうちから其処そこ雉子きじがけたたましく啼き立てるので、いつも私達はまだ眠いのに目を覚ましてしまう程だが、――それでも私はその谿谷がにくくなく、よく小さな焚木たきぎを拾いがてらずんずん下の方まで降りていったりする。その谿谷の丁度向う側にある、緑色の屋根をした大きなヴィラが、いまはまだ木の枝を透いて手にとるように見える位。その谷間の雑木林はやっと芽を出したばかりだが、今日なんぞ、そこで焚木を拾っていたら、ぶんとぶよらしいものがいきなり飛んできて、私の顔のまわりにいつまでもつきまとっていた。少しうるさかったが、なんだかちょっとそれに夏の気分を感じて、懐かしくもあった。――それほどもう夏の或るものがついそこまで来かけているというのに、それを除いたすべてのものにはまだ春さえ充分には行き渡っていない。夜なんぞはこれで想像以上に寒い。いまだっても、この手紙を書きながら、ファイア・プレェスに火を焚いているほどだ。しかしそれは私が昼間谷から自分で採ってきた僅かな焚木でも事足りる、わざわざまきを買うほどのこともない……と、まあ、そういった位の余寒さだ。
 そう、まだ君にはこの新居のことを話さなかったね。御想像どおりの、相変らずの不便な山の中で、それに慣れっこの自分はともかくも、はじめての女房には、いささか可哀そうな位だし、それに家がすこし二人だけで住むのには大き過ぎたけれども、小屋のつくりが(こんなのを端西などで Ch※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字)let というのだろうか)いかにも気に入ったので、思い切って借りた。――本当をいうと、こんな一番山奥の、それにこんな二人きりには少し大き過ぎて持てあまし気味の小屋を、他にいくつもあった手頃な小屋よりも私に特に選ばせたのは、実はこのファイア・プレェスの傍に二つ三つ無雑作にころがっていた古いかしの木の椅子(昔から私はこんな椅子をどんなに欲しがっていただろう!)と、それからレムブラントの絵なんぞの入った額縁がいくつか裏を向けて埃まみれのまま壁に立てかけてあった小さな屋根裏部屋となのだ。いくら女房持ちになったって、こんな風な一向変らない私を知って、さぞ君は嬉しがってくれることだろうな? それとも少しは私達の行末が気になるとでも云うかね?
 私はその屋根裏部屋をすぐ自分の部屋にきめて、そこに自分の椅子のすべてと、それから去年火事ですっかり焼いてしまってから又ぽつぽつと集め出した少数の本の中から、特にリルケのだけを持ち込んだ。これは女房の奴には内証だが、私はこの屋根裏部屋にときどき閉じ籠っては、全く一人っきりで、昔の自分にそっくりそのままの自分に返って、心ゆくまで自分の青春に訣別けつべつを告げようという陰謀。――が、その代り、階下の、女房と共同の部屋には、女房に買って貰ったトルストイ全集だの、ジャック・シャルドンヌの「祝婚歌エピタラアム」や「クレエル」などを積み重ねて、一方、大いに結婚生活者の心理研究もしようという感心な心がけさ。……当分、そんな二種類の自分が、私のうちでお互いに勝手悪そうに同居しているだろうが、それはまあ仕方があるまい。慾を云えば、かえっていつまでもこうしたままの通りでいてくれた方が自分には何だか面白そうだ。
 こんな手紙を君に書きながら、私がいま思い出しているのは、二三日前にも読み返したリルケが「マルテの手記」の中でフランシス・ジャムらしい詩人のことを書いている一節だ。――「ああそれは何という幸福な運命であろう。先祖代々の家の、物静かな部屋に坐って、家付きの落ちついた家具に取囲まれながら、まぶしいほどの新緑の庭で山雀やまがらが啼きかわしたり、又、遠くの方で村の時計の鳴るのを聞いたりしているのは。そうやって坐って、午後の温かな日ざしを眺めながら、昔の少女たちの話を沢山知っていて、そしてしかも詩人であるというのは。そうして自分だって、もし何処どこかに――この世の何処か、誰ももう行っても見ないような閉ざされた田舎家の一つにでも、――住むことが出来ておったならば、彼に似たような詩人にもなれていただろうと思うのは。私にはたった一つの部屋が(屋根裏の明るい部屋が)ありさえすれば好かったろうに。そうしたら、私はそこで自分の古い身のまわりの物や、家族の肖像や、書物だのと一しょに暮しただろう。それから私は椅子や、花や、犬や、石ころの多い小径のための丈夫なステッキも持ったろう。そしてその他には何ももう持たなかったろう。……が、すべてはそれとこんなにも異ってしまっているのだ。その訳は神様だけが知っていられる。私の古い家具類は、私が預かって置いて貰ってある或る納屋なやの中で朽ちつつあるのだ。そして私自身はと云えば、ああ私にはこのように屋根さえなく、雨は私の眼のなかにも降るのだ。」
 まあ、この世のこんなところに、――こうして自分の気に入った屋根裏部屋をしばらくなりと借りられて、椅子や花や犬などと気持よさそうに暮している、恐ろしく出来損いのマルテといった恰好の自分、――それにしたって、その気持のいい何もかもがいつまでも自分のものであるわけのものではなく、そんなフランシス・ジャムのような詩人になり切れそうな日も、また何と遠いことだ……
 が、いまだけはともかくもこうした幸福そうな私達、――この私達には、現在、花だって、犬だって、少しも事は欠かない。――例えば、ついこの間、私がすぐ裏のもみの木かげにちょっと目につかないくらいに小さな青い花が一面に咲いているのを見つけて、何の花だか知らないけれどいかにも可憐かれんだったので、その見本のように一輪だけ摘んで得意そうに持ち帰ってきたら、女房の奴に「あなたがすみれの花なんぞを摘んできて。それにうちの庭にだってたくさん咲いているじゃあないの?」と笑われた。なるほどそう言われて見ると、わが庭の隅々にもそれと同じ可憐な花が一ぱい咲いているのに漸と気がついた。それにしても菫の花をいままで少しも知らずにいた私の迂濶うかつさ!……だがそんな迂濶なところのある私だけに、いま、――こんな人生のこんな瞬間に、――菫の花みたいなものまでもこうやってしみじみと見て楽しんでいられるのだからな、と誰に向ってともなく負け惜しむ。
 夕方、女房が食事の支度をし出す頃になると、何処から来るのか、エアデルテリヤの雑種らしい大きな犬が姿をあらわす。人恋しげな女房がそんな犬まで歓待して、家の中へ入れてやるものだから、私達が食事の間、私達の傍に仲間の一人といった恰好で坐っている。しかし、私達が分けてやるものがもう何もなさそうなのを見すますと、私達のこわごわしてやろうとする愛撫には目もくれないで、さっさと外へ飛び出していってしまう現金な奴。もうすこし一しょに居て、こうやってファイア・プレェスの前で私がまだいくぶん独身者のように、ときどき一人ごとなど言いながら手紙を書き、女房が心もち物足りなそうな顔をして、編み物をしている傍で、ちょっとの間だけでも、こんな少し淋しすぎる一家団欒だんらんにぎわせていてくれたら好かりそうなものだのに。

底本:「堀辰雄集 新潮日本文学16」新潮社
   1969(昭和44)年11月12日発行
   1992(平成4)年5月20日16刷
入力:横尾、近藤
校正:松永正敏
2003年12月12日作成
2010年11月2日修正
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