一

 婦人は、座のかたわらに人気のまるでない時、ひとりでは按摩あんまを取らないがいと、昔気質むかしかたぎの誰でもそう云う。かみはそうまでもない。あのしもの事を言うのである。ねやでは別段に注意を要するだろう。以前は影絵、うつし絵などでは、巫山戯ふざけたその光景を見せたそうで。――御新姐ごしんぞさん、……奥さま。……さ、お横に、とこれから腰をむのだが、横にもすれば、俯向うつむけにもする、一つくるりと返して、ふわりと柔くまた横にもしよう。水々しいうおは、真綿、羽二重のまないたに寝て、術者はまなばしを持たない料理人である。きぬとおして、肉を揉み、筋をなやすのであるから恍惚うっとりと身うちが溶ける。ついたしなみも粗末になって、下じめも解けかかれば、帯も緩くなる。きちんとしていてさえざっとこの趣。……遊山ゆさん旅籠はたご、温泉宿などで寝衣ねまき、浴衣に、扱帯しごき伊達巻だてまき一つの時の様子は、ほぼ……お互に、しなくってもいが想像が出来る。はだを左右に揉む拍子に、いわゆる青練あおねりこぼれようし、緋縮緬ひぢりめん友染ゆうぜんも敷いて落ちよう。按摩をされるかたは、対手あいてめくらにしている。そこに姿の油断がある。足くびの時なぞは、一応は職業行儀に心得て、太脛ふくらはぎから曲げて引上げるのに、すんなりと衣服きものつまを巻いて包むが、療治をするうちには双方の気のたるみから、かかと摺下ずりさがって褄が波のようにはらりと落ちると、包ましい膝のあたりから、白い踵が、空にふらふらとなり、しなしなとして、按摩の手のうちに糸の乱るるがごとくもつれて、えんなまめかしい上掻うわがい下掻したがい、ただ卍巴まんじともえに降る雪の中をさかし歩行あるく風情になる。バッタリ真暗まっくらになって、……影絵は消えたものだそうである。
 ――聞くにつけても、たしなむべきであろうと思う。――
 が、これから話す、わが下町娘したまちっこのおけいちゃん――いまは嫁して、河崎夫人であるのに、この行為、この状があったと言うのでは決してない。
 問題に触れるのは、お桂ちゃんの母親で、もう一昨年頃故人なきひとの数に入ったが、照降町てりふりちょう背負商しょいあきないから、やがて宗右衛門町の角地面に問屋となるまで、その大島屋の身代八分は、その人の働きだったと言う。体量も二十一貫ずッしりとした太腹ふとっぱらで、女長兵衛とたたえられた。――末娘すえっこで可愛いお桂ちゃんに、小遣こづかい出振だしっぷりが面白い……小買ものや、芝居へ出かけに、お母さんが店頭みせさきに、多人数立働く小僧中僧若衆わかしゅたちに、気は配っても見ないふりで、くくりあごの福々しいのに、円々とした両肱りょうひじ頬杖ほおづえで、薄眠りをしている、一段高い帳場の前へ、わざと澄ました顔して、(お母さん、少しばかり。)黙って金箱から、ずらりと掴出つかみだして渡すのが、てのひらが大きく、慈愛が余るから、……やせぎすで華奢きゃしゃなお桂ちゃんの片手では受切れない、両の掌に積んで、銀貨の小粒なのは指からざらざらとこぼれたと言う。……亡きあとでも、その常用だった粗末な手ぶんこの中に、なおざりにちょっと半紙に包んで、(桂坊へ、)といけぞんざいに書いたものを開けると、水晶の浄土珠数じゅずれん、とって十九のまだ嫁入前の娘に、とはたで思ったのは大違い、粒の揃った百幾顆ひゃくいくつの、皆真珠であった。
 姉娘に養子が出来て、養子の魂を見取ってからは、いきぬきに、時々伊豆の湯治に出掛けた。――この温泉旅館の井菊屋と云うのが定宿じょうやど[#ルビの「じょうやど」は底本では「じやうやど」]で、十幾年来、馴染なじみも深く、ほとんど親類づき合いになっている。その都度秘蔵娘のお桂さんの結綿ゆいわた島田に、緋鹿子ひがのこ匹田ひったしぼりきれ、色の白い細面ほそおもて、目にはりのある、眉の優しい、純下町風俗のを、山が育てた白百合の精のように、袖に包んでいたのは言うまでもない。……
「……その大島屋のせんの大きいおかみさんが、ごふびんに思召おぼしめしましてな。……はい、ええ、右の小僧按摩を――小一こいちと申したでござりますが、本名で、まだ市名いちなでも、斎号でもござりません、……見た処が余りちっこいので、お客様方には十六と申す事に、師匠も言いきけてはありますし、当人も、左様に人様には申しておりましたが、この川の下流のかまふち――いえ、もし、渡月橋とげつきょうで見えます白糸の滝の下の……あれではござりません。もっとずッと下流になります。――その釜ヶ淵へ身を投げました時、――小一は二十はたちで、従って色気があったでござりますよ。」
「二十にならなくったって、色気の方は大丈夫あるよ。――私が手本だ。」
 と言って、肩を揉ませながら、快活に笑ったのは、川崎欣七郎きんしちろう、お桂ちゃんの夫で、高等商業出の秀才で、銀行員のいい処、年は四十だが若々しい、年齢にちと相違はあるが、この縁組に申分はない。次のつき井菊屋の奥、香都良川添かつらがわぞいの十畳に、もう床は並べて、膝まで沈むばかりの羽根毛はね蒲団ぶとんに、ふっくりと、たんぜんでくつろいだ。……
 寝床をすべって、窓下の紫檀したんの机に、うしろ向きで、紺地に茶のしまお召の袷羽織あわせばおりを、撫肩なでがたにぞろりと掛けて、道中の髪を解放ときはなし、あすあたりは髪結かみゆいが来ようという櫛巻くしまきが、ふっさりしながら、清らかな耳許みみもとかんざし珊瑚さんごが薄色に透通る。……男を知って二十四の、きじの雪が一層あくが抜けて色が白い。眉が意気で、口許に情がこもって、きりりとしながら、ちょっとお転婆に片褄かたづまの緋の紋縮緬もんちりめんの崩れたなまめかしさは、田舎源氏の――名も通う――桂樹かつらぎという風がある。
 お桂夫人は知らぬ顔して、間違って、愛読する……泉の作で「山吹」と云う、まがいものの戯曲を、軽い頬杖で読んでいた。
「御意で、へ、へ、へ、」
 と唯今ただいま御前ごぜんのおおせに、恐入ったていして、肩からずり下って、背中でお叩頭じぎをして、ポンと浮上ったように顔をもたげて、鼻をひこひことった。この謙斎坊さんは、座敷は暖かだし、精を張って、つかまったから、十月の末だと云うのに、むき身しぼり襦袢じゅばん大肌脱おおはだぬぎになっていて、綿八丈の襟の左右へはだけた毛だらけの胸の下から、ひものついた大蝦蟇口おおがまぐち溢出はみださせて、揉んでいる。
「で、旦那だんな、身投げがござりましてから、その釜ヶ淵……これはただ底が深いというだけの事でありましょうで、以来そこを、提灯ちょうちんヶ淵――これは死にます時に、小一が冥途めいどを照しますつもりか、持っておりましたので、それに、夕顔ヶ淵……またこれは、その小按摩に様子が似ました処から。」
「いや、それは大したものだな。」
 くわっ、とただ口を開けて、横向きに、声は出さずに按摩が笑って、
「ところが、もし、顔が黄色膨れの頭でっかち、えらい出額おでこで。」
「それじゃあ、夕顔の方で迷惑だろう。」
「御意で。」
 とまた一つ、ずり下りざまに叩頭おじぎをして、
「でござりますから瓢箪淵ひょうたんふちとでもいたした方がかろうかとも申します。小一の顔色かおつきが青瓢箪を俯向うつむけにして、底を一つ叩いたような塩梅あんばいと、わしども家内なども申しますので、はい、背が低くって小児こども同然、それで、時々相修業に肩につかまらせた事もござりますが、手足は大人なみに出来ております。おおき日和下駄ひよりげたかしいだのを引摺ひきずって、――まだ内弟子の小僧ゆえ、身分ではござりませんから羽織も着ませず……唯今頃はな、つんつるてんの、すそのまき上った手織縞か何かで陰気な顔を、がっくりがっくりと、振り振り、(ぴい、ぷう。)と笛を吹いて、杖を突張つっぱって流して歩行あるきますと、御存じのお客様は、あの小按摩の通る時は、どうやら毛の薄い頭の上を、不具かたわの烏が一羽、お寺の山から出て附いてくと申されましたもので。――心掛ここころがけい、勉強家で、まあ、この湯治場は、お庇様かげさまとお出入でいりさきで稼ぎがつきます。流さずともでござりますが、何も修業と申して、朝も早くから、その、(ぴい、ぷう。)と、橋を渡りましたり、路地を抜けましたり。……それが死にましてからはな、川向うの芸妓屋げいしゃや道に、どんな三味線が聞えましても、お客様がたは、按摩の笛というものをお聞きになりますまいでござります。何のまた聞えずともではござりますがな。――へい、いえ、いえそのままでおよろしゅう……はい。
 そうした貴方様、勉強家でござりました癖に、さて、これが療治にかかりますと、希代にのべつ、坐睡いねむりをするでござります。古来、しゅうとめの目ざといのと、按摩の坐睡は、遠島ものだといたしたくらいなもので。」
 とぱちぱちぱちと指をはじいて、
「わしども覚えがござります。修業中小僧のうちは、またそのねむい事が、大蛇を枕でござりますて。けれども小一のははげしいので……お客様の肩へつかまりますと、――すぐに、そのこくりこくり。……まず、そのために生命いのちを果しましたような次第でござりますが。」
「何かい、歩きながら、川へおっこちでもしたのかい。」
「いえ、それは、身投みなげで。」
「ああ、そうだ、――こっちが坐睡をしやしないか。じゃ、客から叱言こごとが出て、親方……その師匠にでも叱られたためなんだな。」
「……不断の事で……師匠もあらためて叱言を云うがものはござりません。それに、晩も夜中も、坐睡ってばかりいると申すでもござりませんでな。」
「そりゃそうだろう――朝から坐睡っているんでは、半分死んでいるのもおんなじだ。」
 と欣七郎は笑って言った。
「春秋の潮時でもござりましょうか。――大島屋の大きいおかみが、半月と、一月、ずッと御逗留ごとうりゅうの事も毎度ありましたが、その御逗留中というと、小一の、持病の坐睡がまた激しく起ります。」
「ふ――」
 と云って、欣七郎はお桂ちゃんの雪の頸許えりもとに、くすぐったそうな目をった。が、夫人は振向きもしなかった。
「ために、主な出入場でいりばの、御当家では、方々のお客さんから、叱言が出ます。かれこれ、大島屋さんのお耳にも入りますな、おかみさんが、可哀相な盲小僧だ。……それ、十六七とばかり御承知で……肥満こえふとって身体からだおおきいから、小按摩一人肩の上で寝た処で、蟷螂かまぎっちょが留まったほどにも思わない。冥利みょうりとして、ただで、おあしは遣れないから、肩で船をいでいなと、毎晩のように、お慈悲で療治をおさせになりました。……ところが旦那。」
 と暗い方へ、黒い口を開けて、一息して、
「どうも意固地いこじな……いえ、不思議なもので、その時だけは小按摩が決して坐睡をいたさないでござります。」
「その、おかみさんには電気でもあったのかな。」
「へ、へ、飛んでもない。おかみさんのおそばには、いつも、それはそれは綺麗な、お美しいお嬢さんが、大好きな、小説本を読んでいるのでござります。」
「娘ッ子が読むんじゃあ、どうせろくな小説じゃあるまいし、碌な娘ではないのだろう。」
勿体もったいない。――香都良川には月がある、天城山あまぎやまには雪が降る、井菊の霞に花が咲く、と土地ではやしましたほどのお嬢さんでござりますよ。」
「按摩さん、按摩さん。」
 と欣七郎が声を刻んだ。
「は、」
「きみも土地じゃ古顔だと云うが。じゃあ、その座敷へも呼ばれただろうし、療治もしただろうと思うが、どうだね。」
「は、それが、つい、おうわさばかり伺いまして、お療治はいたしません、と申すが、此屋こちら様なり、そのお座敷は、手前同業の正斎と申す……河豚ふぐのようではござりますが、腹に一向の毒のない男が持分に承っておりましたので、この正斎が、右の小一の師匠なのでござりまして。」
「成程、しかし狭い土地だ。そんなに逗留をしているうちには、きみなんか、その娘ッ子なり、おかみさんを、途中で見掛けた――いや、これは失礼した、見えなかったね。」
「旦那、口幅くちはばっとうはござりますが、目で見ますより聞く方がたしかでござります。それに、それお通りだなどと、途中で皆がひそひそ遣ります処へ出会いますと、ぷんとな、何とも申されません匂が。……温泉から上りまして、梅の花をその……ぎますようで、はい。」
 座には今、その白梅よりやや淡青うすあおい、春のすももかおりがしたろう。
 うっかり、ぷんと嗅いで、
不躾ぶしつけ。」
 と思わずしゃべった。
「その香のさと申したら、通りすがりの私どもさえ、しなにものを着換えましてからも、身うちが、ほんのりとさわやいで、一晩、極楽天上の夢を見たでござりますで。一つ部屋で、お傍にでも居ましたら、もう、それだけで、生命いのちも惜しゅうはござりますまい。まして、人間のしいなでも、そこは血気ちのけの若いやつでござります。死ぬのは本望でござりましたろうが、もし、それや、これやで、釜ヶ淵へおっぱまったでござりますよ。」
 お桂のちょっと振返った目と合って、欣七郎は肩越に按摩を見た。
「じゃあ、なにかその娘さんに、かかり合いでもあったのかね。」

       二

「飛んだ事を、お嬢さんは何も御存じではござりません。ただ、死にます晩の、その提灯ちょうちんの火を、お手ずからけて遣わされただけでござります。」
 お桂はそのまま机にった、袖が直って、八口やつくちが美しい。
「その晩も、小一按摩が、御当家へ、こッつりこッつりと入りまして、お帳場へ、精霊棚しょうりょうだなからぶら下りましたように。――もっとももう時雨の頃で――その瓢箪ひょうたん頭を俯向うつむけますと、(おい、霞の五番さんじゃ、今夜御療治はないぞ。)と、こちらに、年久しい、半助と云う、送迎おくりむかえなり、宿引やどひきなり、手代なり、……頑固で、それでちょっと剽軽ひょうきんな、御存じかも知れません。威勢のいい、」
「あれだね。」
 と欣七郎が云うと、お桂は黙ってうなずいた。
「半助がそう申すと、びしゃびしゃと青菜に塩になりましたっけが、(それでは外様ほかさまを伺います。)(ああ、行って来な。内じゃお座敷を廻らせないんだが、お前の事だ。)もっとも、(霞の五番さん)大島屋さんのお上さんのほかには、好んでませはござりません。――どこをどう廻りましたか、宵に来た奴が十時過ぎ、船をいだものが故郷へ立帰ります時分に、ぽかんと帳場へ戻りまして、かしこまって、で、帰りがけに、(今夜はやみでございます、提灯を一つ。)と申したそうで、(おい、来た。)村の衆が出入りの便宜同様に、気軽に何心なく出したげで。――ここがその、少々変な塩梅あんばいなのでござりまして、先が盲だとも、盲だからとも、乃至ないし、目あきでないとも、そんな事は一向心着かず……それには、ひけ頃で帳場もちょっとごたついていたでもござりましょうか。その提灯に火をともしてやらなかったそうでござりますな。――後での話でござりますが。」
「おやおや、しかし、ありそうな事だ。」
「はい、その提灯を霞の五番へ持って参じました、小按摩が、逆戻りに。――(お桂さん。)うちのものは、皆お心安だてにお名を申して呼んでおります。そこは御大家でも、お商人あきんど難有ありがたさで、これがおやしきづら……」
 くしゃみ出損でそこなった顔をしたが、半間はんまに手を留めて、はらわたのごとく手拭てぬぐいを手繰り出して、蝦蟇口がまぐちの紐にからむので、よじってうつむけに額をいた。
 意味は推するに難くない。
 欣七郎は、金口きんぐちけながら、
「構わない構わない、俺も素町人だ。」
「いえ、そういうわけではござりませんが。――そのお桂様に、(暗闇くらやみの心細さに、提灯を借りましたけれど、盲に何が見えると、帳場で笑いつけて火を貸しません、どうぞお慈悲……おなさけに。)と、それ、不具かたわ根性、ひがんだ事を申しますて。お上さんは、もうお床で、こう目をぱっちりと見てござったそうにござります。ところで、お娘ごは何の気なしに点けておやりになりました。――さて、霞から、ずっと参れば玄関へ出られますものを、どういうものか、廊下々々を大廻りをして、この……花から雪を掛けて千鳥に縫って出ましたそうで。……井菊屋のしるしはござりますが、陰気にともして、暗い廊下を、黄色な鼠の霜げた小按摩が、影のように通ります。この提灯が、やがて、その夜中に、釜ヶ淵の上、土手の夜泣松の枝にさがって、小一は淵へ、いわの上に革緒かわおの足駄ばかり、と聞いて、お一方ひとかた病人が出来ました。……」
「ああ、娘さんかね。」
「それは……いえ、お優しいお嬢様の事でござります……親しく出入をしたものが、身を投げたとお聞きなされば、可哀相――とは、……それはさ、思召したでござりましょうが、何の義理時宜じんぎに、お煩いなさっていものでござります。病みつきましたのは、雪にござった、独身の御老体で。……
 京阪地かみがたの方だそうで、長逗留ながとうりゅうでござりました。――カチリ、」
 と言った。按摩にはえた音。
「カチリ、へへッへッ。」
 とベソを掻いた顔をする。
 欣七郎は引入れられて、
「カチリ?……どうしたい。」
「おかんざしが抜けて落ちました音で。」
「簪が?……ちょっと。」
 名は呼びかねつつ注意する。
「いいえ。」
 婀娜あでな夫人が言った。
「ええ、滅相な……奥方様、唯今ではござりません。その当時の事で。……上方かみがたのお客が宵寐よいねが覚めて、退屈さにもう一風呂と、お出かけなさる障子際へ、すらすらと廊下を通って、大島屋のお桂様が。――と申すは、唯今の花、このお座敷、あるいはお隣に当りましょうか。お娘ごには叔父ごにならっしゃる、富沢町さんと申して両国の質屋のだんが、ちょっとおつな寸法のわかい御婦人と御楽おたのしみ、で、おおきいお上さんは、苦い顔をしてござったれど、そこは、長唄のお稽古ともだちか何かで、お桂様は、その若いのと知合でおいでなさる。そこへ――ここへでござります……貴女あなたのお座敷は、その時は別棟、向うの霞で。……こちらへ遊びに見えました。もし、そのお帰りがけなのでござりますて。
 上方の御老体が、それなり開けると出会頭であいがしらになります。出口が次の間で、もう床の入りました座敷のふすまは暗し、また雪と申すのが御存じの通り、当館切っての北国ほっこくで、廊下も、それはしからず陰気だそうでござりますので、わしどもでも手さぐりでヒヤリとします。暗い処を不意に開けては、若いお娘ご、吃驚びっくりもなさろうと、ふと遠慮して立たっせえた。……お通りすがりが、何とも申されぬいい匂で、その香をたよりに、いきなり、横合の暗がりから、お白いえりかじりついたものがござります。」……
「…………」
「声はお立てになりません、が、お桂様が、少しかがみなりに、さっと島田を横にお振りなすった、その時カチリと音がしました。思わず、えへんとせきをして、御老体がのぞいてござった障子の破れめへそのまま手を掛けて、お開けなさると、するりと向うへ、お桂様は庭の池の橋がかりの上を、両袖を合せて、小刻みにおいでなさる。蝙蝠こうもりだか、蜘蛛だか、やっこは、それなり、その角の片側の寝具部屋やぐべやへ、ごそりとも言わず消えたげにござりますがな。
 たしかに、カチリと、かんざしの落ちた音。お拾いなすった間もなかったがと、御老体はお目敏めざとい。……翌朝、気をつけて御覧なさると、欄干が取附けてござります、巌組いわぐみへ、池から水の落口の、きれいな小砂利の上に、巌の根に留まって、きらきら水が光って、もし、小雨のようにさします朝晴の日の影に、あたりの小砂利は五色ごしきに見えます。これは、その簪のたちばなしべに抱きました、真珠の威勢かにも申しますな。水は浅し、拾うのに仔細しさいなかったでございますれども、御老体が飛んだ苦労をなさいましたのは……夜具部屋から、膠々にちゃにちゃ粘々を筋を引いて、時なりませぬ蛞蝓なめくじの大きなのが一匹……ずるずるとあとを輪取って、舐廻なめまわって、ちょうど簪の見当の欄干の裏へ這込はいこんだのが、屈んだ鼻のさきに見えました。――これには難儀をなすったげで。はい、もっとも、簪がお娘ごのおぐしへ戻りましたについては、御老体から、大島屋のお上さんに、その辺のな、もし、従って、小按摩もそれとなくお遠ざけになったに相違ござりません、さ、さ、この上方の御仁ごじんでござりますよ。――あくる晩の夜ふけに、提灯を持った小按摩を見て、お煩いなさったのは。――御老体にして見れば、そこらのゆきがかり上、死際しにぎわのめくらが、面当つらあてに形をあらわしたように思召しましたろうし、立入って申せば、小一の方でも、そのつもりでござりましたかも分りません。勿論、当のお桂様は、何事も御存じはないのでござります。第一、簪のカチリも、咳のえへんも、その御老体が、その後三度めにか四度めにか湯治にござって、(もう、あのおも、円髷まるまげに結われたそうな。実は、)とこれから帳場へも、つい出入でいりのものへも知れ渡りましたでござります。――ところが、大島屋のお上さんはおなくなりなさいます、あとで、お嫁入など、かたがた、三年にも四年にも、さっぱりおいでがござりません。もっともお栄え遊ばすそうで。……ただ、もし、この頃も承りますれば、その上方の御老体は、今年当月も御湯治で、つい四五日しごんちあとにお立ちかえりだそうでござりますが。――ふと、その方が御覧になったら、今度のは御病気どころか、そのまま気絶をなさろうかも知れませぬ。
 ――夜泣松の枝へ、提灯を下げまして、この……旧暦の霜月、二十七日でござりますな……真の暗やみの薄明うすあかりに、しょんぼりとかがんでおります。そのむくみ加減といい、瓢箪頭のひしゃげました工合ぐあい、肩つき、そっくりしょうのものそのままだと申すことで……現に、それ。」
「ええ。」
 お桂もぞッとしたように振向いて肩をすぼめた。
「わしどもが、こちらへ伺います途中でも、もの好きなのは、見て来た、見に行くと、高声で往来が騒いでいました。」

 謙斎のこの話のいとぐちも、はじめは、その事からはじまった。
 それ、谿川たにがわの瀬、池水の調べにかよって、チャンチキ、チャンチキ、鉦入かねいりに、笛の音、太鼓のひびきが、流れつ、かれつ、星のしずかに、波を打って、手に取るごとく聞えよう。
 実は、この温泉の村に、あらたに町制が敷かれたのと、山手やまのてに遊園地が出来たのと、名所に石の橋が竣成したのと、橋の欄干に、花電燈がいたのと、従って景気がいのと、もうかるのと、ただその一つさえ祭の太鼓はにぎわうべき処に、繁昌はんじょう合奏オオケストラるのであるから、鉦は鳴す、笛は吹く、続いて踊らずにはいられない。
 何年めかに一度という書入れ日がまた快晴した。
 昼は屋台が廻って、この玄関前へも練込んで来て、芸妓連げいしゃれんは地に並ぶ、雛妓おしゃくたちに、町の小女こおんなまじって、一様の花笠で、湯の花踊と云うのをった。屋台のまがきに、藤、菖蒲あやめ牡丹ぼたんの造り花は飾ったが、その紅紫の色を奪って目立ったのは、膚脱はだぬぎより、帯の萌葱もえぎと、伊達巻の鬱金うこん縮緬ちりめんで。揃って、むらはげ白粉おしろいが上気して、日向ひなたで、むらむらと手足を動かす形は、菜畠なばたけであからさまに狐が踊った。チャンチキ、チャンチキ、田舎の小春の長閑のどけさよ。
 客は一統、女中たち男衆おとこしゅまで、こぞって式台に立ったのが、左右に分れて、妙に隅を取って、吹溜ふきだまりのようにかさなり合う。真中まんなか拭込ふきこんだ大廊下が通って、奥に、霞へ架けた反橋そりはしが庭のもみじに燃えた。池の水の青く澄んだのに、葉ざしの日加減で、薄藍うすあいに、おぼろの銀に、青い金に、鯉の影が悠然と浮いて泳いで、見ぶつに交った。ひとりお桂さんの姿を、肩を、つまを、帯腰を、彩ったものであった。
 この夫婦は――新婚旅行の意味でなく――四五年来、久しぶりに――一昨日温泉へ着いたばかりだが、既に一週間も以前から、今日の祝日の次第、献立がきが、処々ところどころくれないの二重圏点つきの比羅びらになって、辻々、塀、大寺の門、橋の欄干にあらわれて、芸妓げいしゃ屋台囃子やたいばやしとともに、最も注意を引いたのは、仮装行列のもよおしであった。有志と、二重圏点、かさねて、飛入勝手次第として、祝賀委員が、審議の上、その仮装の優秀なるものには、三等まで賞金美景を呈すとしたのに、読者もあらためて御注意を願いたい。
 だから、踊屋台の引いて帰る囃子の音に誘われて、お桂が欣七郎とともに町に出た時は、橋の上で弁慶に出会い、豆府屋から出る緋縅ひおどしの武者を見た。床屋の店に立掛たちかかったのは五人男の随一人、だてにさした尺八に、かりがねと札を着けた。犬だって浮かれている。石垣下には、あひるが、がいがいと鳴立てた、が、それはこの川に多い鶺鴒せきれいが、仮装したものではない。
 泰西の夜会の例に見ても、由来仮装は夜のものであるらしい。委員と名のる、ものしりが、そんな事は心得た。行列は午後五時よりと、比羅にしたためてある。昼はかくれて、不思議な星のごとく、さっの幕を切ってあらわれるはずの処を、それらの英雄侠客きょうかくは、髀肉ひにくたんに堪えなかったに相違ない。かと思えば、桶屋おけやの息子の、竹を削って大桝形おおますがたに組みながら、せっせと小僧に手伝わして、しきりに紙をっているのがある。通りがかりの馬方と問答する。「おいらはめようと思ったが、この景気じゃあ、とても引込ひっこんでいられない。」「はあ、何に化けるね。」「たこだ……黙っていてくれよ。おいらが身体からだをそのまま大凧に張って飛歩行とびあるくんだ。両方の耳にうなりをつけるぜ。」「魂消たまげたの、一等賞ずらえ。」「黙っててくんろよ。」馬がヒーンといなないた。この馬が迷惑した。のそりのそりと歩行あるき出すと、はじめ、出会ったのは緋縅の武者で、続いて出たのは雁がね、飛んで来たのは弁慶で、争ってろうとする。みに揉んで、太刀と長刀なぎなたが左右へ開いて、尺八が馬上に跳返った。そのかわり横田圃よこたんぼへ振落された。
 ただこのくらいなだったが――山の根に演芸館、花見座の旗を、今日はわけて、山鳥のごとく飜した、町の角の芸妓屋げいしゃやの前に、先刻の囃子屋台が、おおき虫籠むしかごのごとくに、紅白の幕のまま、寂寞せきばくとしてすわって、踊子の影もない。はやく町中まちなか一練ひとねりは練廻ってあます処がなかったほど、温泉の町は、さて狭いのであった。やがて、新造の石橋で列を造って、町をまわりすました後では、揃ってこの演芸館へ練込んで、すなわち放楽の乱舞となるべき、仮装行列を待顔に、掃清はききよめられたさまのこのあたりは、軒提灯のきぢょうちんのつらなった中に、かえって不断より寂しかった。
 峰の落葉が、屋根越に――
 日蔭の冷い細流せせらぎを、軒に流して、ちょうどこの辻の向角むこうかどに、二軒並んで、赤毛氈あかもうせんに、よごれ蒲団ぶとんつぎはぎしたような射的店しゃてきみせがある。達磨だるま落し、バットの狙撃そげきはつい通りだが、二軒とも、揃って屋根裏に釣った幽霊がある。弾丸たまが当ると、ガタリざらざらと蛇腹に伸びて、天井からさかさまに、いずれも女の幽霊が、ぬけ上った青い額と、縹色はなだいろの細いあごを、ひょろひょろ毛から突出して、背筋を中反りに蜘蛛くものような手とともに、ぶらりと下る仕掛けである。
可厭いやな、あいかわらずね……」
 お桂さんが引返そうとした時、歩手前あしてまえの店のは、白張しらはり暖簾のれんのような汚れた天蓋てんがいから、捌髪さばきがみの垂れ下った中に、藍色の片頬かたほに、薄目を開けて、片目で、置据えの囃子屋台をのぞくように見ていたし、先隣さきどなりなのは、釣上げた古行燈ふるあんどんやぶれから、穴へ入ろうとするまむしの尾のように、かもじのさきばかりが、ぶらぶらと下っていた。
 帰りがけには、武蔵坊むさしぼうも、緋縅も、雁がねも、一所に床屋の店に見た。が、雁がねの臆面おくめんなく白粉を塗りつつ居たのは言うまでもなかろう。
 ――小一按摩のちびな形が、現に、夜泣松の枝の下へ、仮装の一個ひとつとしてあらわれている――
 按摩の謙斎が、療治しつつ欣七郎に話したのは――その夜、食後の事なのであった。

       三

「半助さん、半助さん。」
 すらすらと、井菊の広い帳場の障子へ、姿を見せたのはお桂さんである。
 あの奥の、花の座敷から来た途中は――このでの北国だという――雪の廊下を通った事は言うまでもない。
 カチリ……
 ハッと手を挙げて、珊瑚さんご六分珠ろくぶだまをおさえながら、思わずにかわについたように、足首からむずむずして、爪立ったなり小褄こづまを取って上げたのは、謙斎の話の舌とともに、蛞蝓なめくじのあとを踏んだからで、スリッパを脱ぎ放しに釘でつけて、身ぶるいをしてと抜いた。湯殿から蒸しかかる暖い霧も、そこで、さっと肩に消えて、池の欄干を伝う、緋鯉ひごいひれのこぼれかかる真白まっしろな足袋はだしは、素足よりなお冷い。で……霞へ渡る反橋そりばしれば、そこへ島田に結った初々しい魂が、我身を抜けて、うしろ向きに、気もそぞろに走る影がして、ソッと肩をすぼめたなりに、両袖を合せつつ呼んだのである。
「半助さん……」ここで踊屋台をた、昼の姿は、鯉を遊ばせたうすもみじのさざ波であった。いまは、その跡を慕って大鯰おおなまずが池からしずくをひたひたと引いて襲う気勢けはいがある。

 謙斎の話は、あれからなお続いて、小一の顕われた夜泣松だが、土地の名所の一つとして、絵葉書で売るのとは場所が違う。それは港街道の路傍みちばたの小山の上に枝ぶりの佳いのを見立てたので。――真の夜泣松は、汽車から来る客たちのこの町へ入る本道に、古い石橋の際に土をあわれにって、石地蔵が、苔蒸こけむし、且つ砕けて十三体。それぞれに、しきみ、線香を手向けたのがあって、十三塚と云う……一揆いっきの頭目でもなし、戦死をした勇士でもない。きいても気の滅入めいる事は、むかし大饑饉おおききんの年、近郷から、湯の煙を慕って、山谷さんこく這出はいでて来た老若男女ろうにゃくなんにょの、救われずに、菜色して餓死した骨を拾い集めて葬ったので、その塚に沿った松なればこそ、夜泣松と言うのである。――昼でも泣く。――仮装した小按摩の妄念は、その枝下、十三地蔵とは、間に水車の野川が横に流れて石橋の下へ落ちて、香都良川へ流込む水筋を、一つまたいだ処に、黄昏たそがれから、もう提灯をつるして、すそも濡れそうに、ぐしゃりとしゃがんでいる。
 今度出来た、谷川に架けた新石橋は、ちょうど地蔵の斜向すじむかい。でその橋向うの大旅館の庭から、仮装は約束のごとく勢揃をして、温泉の町へ入ったが、――そう云ってはいかがだけれど、饑饉どしの記念だから、行列が通るのに、四角な行燈あんどんも肩を円くして、地蔵前を半輪はんわによけつつ通った。……そのあとへ、人魂ひとだまが一つ離れたように、提灯の松の下、小按摩の妄念は、列の中へ加わらずに孤影※(「(火+火)/訊のつくり」、第4水準2-79-80)けいぜんとして残っている。……
 ぬしは分らない、仮装であるから。いずれ有志の一人と、仮装なかまで四五人も誘ったが、ちょっと手を引張ひっぱっても、いやその手を引くのが不気味なほど、しょうのものの身投げ按摩で、びくとも動かないでいる。……と言うのであった。
 ――これを云った謙斎は、しかし肝心な事を言いわすれた、あとで分ったが、誘うにも、同行を促すにも、なかまがこもごも声を掛けたのに、小按摩は、おくびほども口を利かない。「ぴい、ぷう。」舌のかわりに笛を。「ぴいぷう」とただ笛を吹いた。――

 半ば聞ずてにして、すっと袖の香とともに、花の座敷を抜けた夫人は、何よりも先にその真偽のほどを、――そんな事は遊びずきだし一番あかるい――半助に、あらためて聞こうとした。懸念に処する、これがお桂のこの場合の第一の手段であったが。……
 居ない。
「おや、居ないの。」
 一層袖口を引いて襟冷く、少しこごみ腰に障子の小間こまから覗くと、鉄の大火鉢ばかり、誰も見えぬ。
「まあ。」
 式台わきの横口にこう、ひょこりと出るなり、モオニングのひょろりとしたのが、とまずシルクハットを取って高慢に叩頭おじぎしたのは……
「あら。」
 附髯つけひげをした料理番。並んで出たのは、玄関下足番の好男子で、近頃夢中になっているから思いついた、頭から顔一面、厚紙を貼って、胡粉ごふんつぶした、不断女の子を悩ませる罪滅しに、真赤まっかに塗った顔なりに、すなわちハアトのワンである。真赤な中へ、おどけて、舌を出しておじぎをした。
可厭いやだ。……ちょいと、半助さんは。」
「あいつは、もう。」
 揃って二人ともまたおじぎをして、
「昼間っから行方知れずで。」
 と口々に云う処へ、チャンチキ、チャンチキ、どどどん、ヒューラが、直ぐそこへ。――女中の影がむらむらと帳場へく、客たちもぞろぞろ出て来る。……血の道らしい年増の女中が、裾長すそながにしょろしょろしつつ、トランプの顔を見て、目で嬌態しなをやって、眉をひそめながら肩でよれついたのと、入交いれまじって、門際へどっと駈出かけだす。
 夫人も、つい誘われてかどへ立った。
 高張たかはり弓張ゆみはりが門の左右へ、掛渡した酸漿提灯ほおずきぢょうちんも、ぱっと光が増したのである。
 桶屋おけやたこは、もううなって先へ飛んだろう。馬二頭が、鼻あらしを霜夜にふつふつと吹いてく囃子屋台を真中まんなかに、※(「石+角」、第3水準1-89-6)こうかくたる石ころみちを、坂なりに、大師みちのいろはの辻のあたりから、次第さがりに人なだれを打って来た。弁慶の長刀なぎなた山鉾やまぼこのように、見える、見える。御曹子おんぞうしは高足駄、おなじような桃太郎、義士の数が三人ばかり。五人男が七人居て、かりがねが三羽揃った。……チャンチキ、チャンチキ、ヒューラとはやして、がったり、がくり、列も、もう乱れがちで、昼の編笠をてこ舞に早がわりの芸妓げいしゃだちも、微酔ほろよいのいい機嫌。青いひげも、白い顔も、べにを塗ったのも、一斉にうたうのはどじょうすくいの安来節やすぎぶしである。中にぶッぶッぶッぶッと喇叭らっぱばかり鳴すのは、――これはどこかの新聞でも見た――自動車のつくりものを、腰にはめてくのである。
 時に、井菊屋はほとんど一方の町はずれにあるから、村方へこぼれた祝場いわいばを廻りすまして、行列は、これから川向かわむこうの演芸館へ繰込むのの、いまちょうど退汐時ひきしおどき。人は一倍群ったが、向側が崖沿がけぞいの石垣で、用水のながれが急激に走るから、されてふみはずすうれいがあるので、群集は残らず井菊屋の片側に人垣を築いたため、背後うしろの方の片袖の姿斜めな夫人の目には、山から星まじりに、祭屋台が、人の波に乗って、赤く、光って流れた。
 その影も、ともしびも、犬が三匹ばかり、まごまご殿しんがりしながらついて、川端の酸漿提灯の中へぞろぞろと黒くなって紛れたあとは、たたずんで見送る井菊屋の人たちばかり。早や内へ入るものがあって、急に寂しくなったと思うと、一足おくれて、暗い坂から、――異形いぎょうなものが下りて来た。
 疣々いぼいぼ打った鉄棒かなぼうをさしにないに、桶屋も籠屋かごやも手伝ったろう。張抜はりぬきらしい真黒まっくろ大釜おおがまを、ふたなしに担いだ、牛頭ごず馬頭めずの青鬼、赤鬼。青鬼が前へ、赤鬼が後棒あとぼうで、可恐おそろしい面をかぶった。縫いぐるみに相違ないが、あたりが暗くなるまで真に迫った。……大釜の底にはめらめらと真赤まっかな炎を彩ってもやしている。
 青鬼が、
「ぼうぼう、ぼうぼう、」
 赤鬼が、
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 と陰気な合言葉で、国境の連山を、黒雲に背負しょってあらわれた。
 青鬼が、
「ぼうぼう、ぼうぼう、」
 赤鬼が、
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 よくない洒落しゃれだ。――が、訳がある。……前に一度、この温泉町ゆのまちで、桜のさかりに、仮装会を催した事があった。その時、墓を出た骸骨がいこつを装って、出歯でっぱをむきながら、卒堵婆そとばを杖について、ひょろひょろ、ひょろひょろと行列のあとの暗がりを縫って歩行あるいて、女小児こどもおびえさせて、それが一等賞になったから。……
 地獄の釜も、按摩の怨念おんねんも、それから思着いたものだと思う。一国の美術家でさえ模倣をる、いわんや村の若衆わかしゅにおいてをや、よくない真似をしたのである。
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
「あら、半助だわ。」
 と、ひとりの若い女中が言った。
 石を、青と赤いかかとで踏んで抜けた二頭の鬼が、うしろから、前を引いて、ずしずしずしと小戻りして、人立ひとだちの薄さに、植込の常磐木ときわぎの影もあらわな、夫人の前へ寄って来た。
 赤鬼が最も著しい造声つくりごえで、
牛頭ごずよ、牛頭よ、青牛よ。」
「もうー、」
 と牛の声で応じたのである。
「やい、十三塚にけつかる、小按摩な。」
「もう。」
「これから行って、釜へ打込ぶちこめ。」
「もう。」
「そりゃ――あゆべい。」
「もう。」
「ああ、待って。」
 お桂さんは袖を投げて一歩ひとあしして、
「待って下さいな。」
 と釜のふちを白い手で留めたと思うと、
「お熱々つつ。」
 と退すさって耳をおさえた。わきあけも、襟も、乱るる姿は、電燭でんきの霜に、冬牡丹ふゆぼたんの葉ながらくずるるようであった。

       四

「小一さん、小一さん。」
 たとえば夜の睫毛まつげのような、墨絵に似た松の枝の、白張しらはりの提灯は――こう呼んで、さしうつむいたお桂の前髪を濃く映した。
 婀娜あだにもの優しい姿は、コオトも着ないで、襟に深く、黒に紫の裏すいた襟巻をまいたまま、むくんだ小按摩の前に立って、そと差覗さしのぞきながら言ったのである。
 つまが幻のもみじする、小流こながれを横に、その一条ひとすじの水を隔てて、今夜は分けて線香の香のぷんと立つ、十三地蔵の塚の前には外套がいとうにくるまって、中折帽なかおれぼう目深まぶかく、欣七郎がステッキをついてたたずんだ。
(――実は、彼等が、ここに夜泣松の下を訪れたのは、今夜これで二度めなのであった――)
 はじめに。……話の一筋が歯にはさまったほどの事だけれど、でも、その不快について処置をしたさに、二人が揃って、祭のを見物かたがた、ここへ来た時は。……「何だ、あの謙斎か、按摩め。こくめいで律儀らしい癖に法螺ほらを吹いたな。」そこには松ばかり、地蔵ばかり、水ばかり、何の影も見えなかった。空の星も晃々きらきらとして、二人の顔も冴々さえざえと、古橋を渡りかけて、何心なく、薬研やげんの底のような、この横流よこながれの細滝に続く谷川の方を見ると、岸から映るのではなく、川瀬に提灯が一つ映った。
 土地を知った二人が、ふとこれに心を取られて、松のかたへ小戻りして、向合った崖縁に立って、谿河たにがわを深く透かすと、――ここは、いまの新石橋がかからない以前に、対岸から山伝いの近道するのに、樹の根、巌角いわかどを絶壁に刻んだこみちがあって、底へ下りると、激流の巌から巌へ、中洲の大巌で一度中絶えがして、板ばかりの橋が飛々とびとびに、一煽ひとあおり飜って落つる白波のすぐ下流は、たちまち、白昼も暗闇やみを包んだ釜ヶ淵なのである。
 そのほとんど狼の食いちらした白骨のごとき仮橋の上に、陰気な暗い提灯の一つに、ぼやりぼやりと小按摩がうごめいた。
 思いがけない事ではない。二人が顔を見合せながら、目を放さず、立つうちに、提灯はこちらに動いて、しばらくして一度、ふわりと消えた。それは、いわの根にかくれたので、やがて、縁日ものの竜燈のごとく、雑樹ぞうきこずえへかかった。それは崖へ上って街道へ出たのであった。
 ――その時は、お桂の方が、と地蔵の前へ身をかわすと、街道を横に、夜泣松の小按摩の寄る処を、
「や、御趣向だなあ。」と欣七郎が、のっけに快活に砕けて出て、
「疑いなしだ、一等賞。」
 小按摩は、何も聞かないふりをして、かわずが手を※(「てへん+爭」、第4水準2-13-24)もがくがごとく、指でさぐりながら、松の枝に提灯を釣すと、謙斎が饒舌しゃべった約束のごとく、そのまま、しょぼんと、根にかがんで、つくばいだちの膝の上へ、だらりと両手を下げたのであった。
「おい。一等賞君、おい一杯飲もう。一所に来たまえ。」
 その時だ。
「ぴい、ぷう。」
 笛をくわえて、唇を空ざまに吹上げた。
「分ったよ、一等賞だよ。」
「ぴい、ぷう。」
「さ、祝杯を上げようよ。」
「ぴい、ぷう。」
 空嘯そらうそぶいて、笛を鳴す。
 夫人が手招きをした。何が故に、そのうしろに竜女のほこらがないのであろう、塚の前に面影に立った。
「ちえッ」舌うちとともに欣七郎は、強情、我慢、且つ執拗しつような小按摩を見棄てて、招かれた手と肩を合せた、そうして低声こごえをかわしかわし、町の祭のともしびの中へ、並んでスッと立去った。
「ぴい、ぷう。……」

「小一さん。」
 しばらくして、引返して二人来た時は、さきにも言った、欣七郎が地蔵の前に控えて、夫人自ら小按摩に対したのである。
「ぴい、ぷう。」
「小一さん。」
「ぴい、ぷう。」
「大島屋の娘はね、幽霊になってしまったのよ。」
 と一歩ひとあしひきさま、暗い方に隠れて待った、あの射的店の幽霊を――片目で覗いていた方のである――竹棹たけざおゆわえたなり、ずるりと出すと、ぶらりと下って、青い女が、さばき髪とともに提灯をめた。その幽霊の顔とともに、夫人の黒髪、びんかきに、当代の名匠が本質きじへ、肉筆で葉を黒漆くろうるし一面に、の一輪椿のくしをさしたのが、したたるばかり色に立って、かえって打仰いだ按摩の化ものの真向まっこうに、一太刀、血を浴びせた趣があった。
「一所に、おいでなさいな、幽霊と。」
 水ぶくれの按摩のおもては、いちじくの実の腐れたように、口をえみわって、ニヤリとして、ひょろりと立った。
 お桂さんの考慮かんがえでは、そうした……この手段を選んで、小按摩を芸妓屋げいしゃや町の演芸館。……仮装会の中心点へ送込もうとしたのである。そうしてしまえば、ねだ下、天井裏のばけものまでもない……雨戸の外の葉裏にいても気味の悪い芋虫を、銀座の真中まんなか押放おっぱなしたも同然で、あとは、さばさばと寐覚ねざめい。
 ……思いつきで、幽霊は、射的店で借りた。――欣七郎は紳士だから、さすがにこれははばんだので、かけあいはお桂さんが自分でした。毛氈もうせんに片膝のせて、「私も仮装をするんですわ。」令夫人といえども、下町娘したまちッこだから、お祭り気は、頸脚えりあしかすかな、肌襦袢はだじゅばんほどはくれないはだのぞいた。……
 もう容易たやすい。……つくりものの幽霊を真中まんなかに、小按摩と連立って、お桂さんが白木の両ぐりを町に鳴すと、既に、まばらに、消えたのもあり、消えそうなのもある、軒提灯の蔭を、つかず離れず、欣七郎がまもってく。
 芸妓屋町へ渡る橋手前へ、あたかも巨寺おおでらの門前へ、向うから渡る地蔵のかま
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
「や、小按摩が来た……出掛けるには及ばぬわ、青牛よ。」
「もう。」
 と、える。
「ぴい、ぷう。」
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 そこで、一行異形のものは、あひるの夢を踏んで、橋を渡った。
 鬼は、お桂のために心を配って来たらしい。
 演芸館の旗は、人の顔と、頭との中に、電飾に輝いた。……町の角から、館の前の広場へひしとつまって、露台にあふれたからである。この時は、軒提灯のあと始末と、火の用心だけに家々に残ったもののほか、町を挙げてここへ詰掛けたと言ってい。
 そのかわり、群集の一重ひとえうしろは、道を白く引いて寂然しんとしている。
「おう、お嬢さん……そいつを持ちます、俺の役だ。」
 赤鬼は、直ちに半助の地声であった。
 按摩の頭は、提灯とともに、人垣の群集の背後うしろについた。
「もう、要らないわ、此店ここへ返して、ね。」
 と言った。
「青牛よ。」
「もう。」
「生白い、いいさかなだ。釜で煮べい。」
「もう。」
 館の電飾が流るるように、町並の飾竹が、桜のつくり枝とともにさっと鳴った。更けて山颪やまおろしがしたのである。
 竹を掉抜ふるいぬきに、たとえば串からさかさに幽霊の女を釜の中へ入れようとした時である。砂礫すなつぶていて、地を一陣のき風がびゅうと、吹添うと、すっと抜けて、軒をななめに、大屋根の上へ、あれあれ、もの干を離れて、白帷子しろかたびらすそを空に、幽霊の姿は、煙筒えんとつの煙が懐手をしたように、はるかに虚空へ、遥に虚空へ――
 群集はもとより、立溢たちあふれて、石の点頭うなずくがごとく、かがみながらていた、人々は、羊のごとく立って、あッと言った。
 小一按摩の妄念も、人混ひとごみの中へ消えたのである。

       五

 土地の風説に残り、ふとして、浴客の耳に伝うる処は……これだけであろうと思う。
 しかし、少し余談がある。とにかく、お桂さんたちは、来た時のように、一所に二人では帰らなかった。――

 風に乗って、飛んで、宙へ消えた幽霊のあと始末は、半助が赤鬼の形相のままで、蝙蝠バットを吹かしながら、射的店へ話をつけた。此奴こいつふんどしにするため、野良猫の三毛を退治たいじて、二月越ふたつきごし内証ないしょで、ものおきで皮をしたそうである。
 笑話の翌朝は、引続き快晴した。近山裏の谷間には、初茸はつたけの残り、からびた占地茸しめじもまだあるだろう、山へ行く浴客も少くなかった。
 お桂さんたちも、そぞろ歩行あるきした。掛稲かけいねに嫁菜の花、大根畑に霜の濡色も暖い。
 畑中の坂の中途から、巨刹おおでらの峰におわす大観音に詣でる広い道が、松の中をのぼりになる山懐やまふところを高くうねって、枯草葉のこみちが細く分れて、立札の道しるべ。歓喜天御堂、とゆびさして、……福徳を授け給う……と記してある。
「福徳って、お金ばかりじゃありませんわ。」
 欣七郎は朝飯あさはん前の道がものういと言うのに、ちょいと軽い小競合こぜりあいがあったあとで、参詣おまいりの間を一人待つ事になった。
「ここを、……わきへっては可厭いやですよ……一人ですから。」
 お桂さんはいきおいよく乾いた草を分けてじ上った。欣七郎の目に、その姿が雑樹ぞうきに隠れた時、夫人の前には再びやや急な石段があらわれた。軽くあえいで、それを上ると、小高い皿地の中窪みに、垣も、折戸もない、破屋あばらやが一軒あった。
 出た、山のに松が一樹。幹のやさしい、そこの見晴しで、ちょっと下に待つ人を見ようと思ったが、上って来た方は、紅甍こうぼう[#ルビの「こうぼう」は底本では「こうばう」]粉壁ふんぺきと、そればかりで夫は見えない。あと三方はまばらな農家を一面の畑の中に、弘法大師[#「弘法大師」は底本では「引法大師」]奥の院、四十七町いろは道が見えて、向うの山の根を香都良川が光って流れる。わきへ引込んだ、あの、辻堂の小さく見える処まで、昨日、ひるごろ夫婦ふたり歩行あるいた、――かえってそこに、欣七郎の中折帽が眺められるようである。

 ああ、今朝もそのままな、野道を挟んだ、飾竹に祭提灯の、稲田ずれに、さらさらちらちらと風に揺れる処で、欣七郎が巻煙草まきたばこを出すと、燐寸マッチを忘れた。……道の奥の方から、帽子もかぶらないで、土地のものらしい。霜げた若い男が、蝋燭ろうそくを一束買ったらしく、手にして来たので、湯治場の心安さ、遊山ゆさん気分で声を掛けた。
「ちょいと、燐寸はありませんか。」
 ぼんやり立停たちどまって、二人をじって、
「はい、わしどものたもとには、あっても人魂ひとだまでしてな。」
 すたすたと分れたのが、小上このぼりの、あぜを横に切れて入った。
「坊主らしいな。……提灯の蝋燭を配るのかと思ったが。」
 俗ではあったが、うしろつきに、欣七郎がそう云った。
 そう言った笑顔に。――自分が引添うているようで、現在いま、朝湯の前でも乳のほてり、胸のときめきを幹でおさえて、手を遠見にかざすと、出端でばなのあしもとあやうさに、片手をその松の枝にすがった、浮腰を、朝風が美しく吹靡ふきなびかした。
 しさってつまを合せた、夫に対する、若き夫人の優しい身だしなみである。
 まさか、この破屋に、――いや、この松と、それよりこずえの少し高い、ついの松が、破屋の横にややまた上坂のぼりざかの上にあって、根は分れつつ、枝は連理につらなった、濃いみどり色越いろごしに、額を捧げて御堂がある。
 夫人は衣紋えもんを直しつつ近着いた。
 近づくと、
「あッ、」
 思わず、忍音しのびねを立てた――見透みすかす六尺ばかりの枝に、さかさまに裾を巻いて、毛をおどろに落ちかかったのは、虚空に消えた幽霊である。と見ると顔が動いた、袖へ毛だらけの脚が生え、脇腹の裂目に獣の尾の動くのを、狐とも思わず、気はたしかに、しかと犬と見た。が、人の香を慕ったか、そばえて幽霊をみちらし、まつわり振った、そのままで、裾をいて、ずるずると寄って来るのに、はらはらと、あわただしくきびすを返すと、坂を落ち下りるほどのさえなく、帯腰へ附着くッついて、ぶるりと触るは、髪か、顔か。
 花の吹雪に散るごとく、裾も袖も輪に廻って、夫人は朽ち腐れた破屋の縁へ飛縋とびすがった。
「誰か、誰方どなたか、誰方か。」
「うう、うう。」
 と寝惚声ねぼけごえして、破障子やぶれしょうじ[#ルビの「しょうじ」は底本では「しやうじ」]を開けたのは、頭も、顔も、そのままの小一按摩の怨念であった。
「あれえ。」
 声は死んで、夫人は倒れた。
 この声が聞えるのには間遠まどおであった。最愛最惜の夫人の、消息の遅さを案じて、急心せきごころに草をじた欣七郎は、歓喜天の御堂より先に、たとえば孤屋ひとつや縁外えんそとの欠けた手水鉢ちょうずばちに、ぐったりとあごをつけて、朽木の台にひざまずいて縋った、青ざめた幽霊を見た。
 横ざまに、ステッキで、たたき払った。が、人気勢ひとげはいのする破障子やれしょうじを、及腰およびごし差覗さしのぞくと、目よりも先に鼻をった、このふきぬけの戸障子にも似ず、したたかな酒の香である。
 酒ぎらいな紳士は眉をひそめて、手巾ハンケチで鼻をおおいながら、そっと再びのぞくとひとしく、色が変って真蒼まっさおになった。
 竹の皮散り、貧乏徳利のころがった中に、小一按摩は、夫人にかじりついていたのである。
 読む方は、筆者が最初に言ったある場合を、ごく内端うちわに想像さるるがい。

 小一に仮装したのは、この山のふもとに、井菊屋の畠の畑つくりの老僕と日頃懇意な、一人棲ひとりずみの堂守であった。
大正十四(一九二五)年三月

底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十二巻」岩波書店
   1940(昭和15)年11月20日第1刷発行
※疑問点の確認にあたっては、底本の親本を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:今井忠夫
2003年8月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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