季節の変るごとに、武蔵野はそれより一足先きに春秋の風がふき、霜も雪も早く来る、夏草が茂るのも早い。その野原に近い家で何年か暮して来て、毎日の生活には季節の物をたべてゐるのが一ばんおいしく、一ばん経済であることもおぼえた。
 冬から春にかけ、らくに手に入るものは、野菜の中で一ばん日本人好みの大根で、それに白菜、小蕪、ほうれん草、果物では林檎とみかんをずうつと六ヶ月位たべ通すのである。十二月、正月にかけて乾柿が出る。新春のなますに乾柿を混ぜたものは世界のどこにもない美味である。冬の葱だけは都の西北の畑には貧弱なものしか出来ない。大森や池上あたりの白根の長いあの豊かな味の物は手に入りにくいから、しぜん、葱を防寒料理に用ひることはさほど愉しいとも思はなくなつた。それは私だけの話。春になつてまづ楽しみはいちご。春深くなればそら豆やゑんどう。家々の庭や垣根に豌豆の白や紫の花が眼をよろこばせ、夏近くまでふんだんに食べられる。竹の子は日本特有の味をもつてみごとな形をしてゐるけれど、ただ季節のにほひだけで、毎日じやんじやん食べたい物ではない。竹取の伝説や源氏物語にも出てきて、古くからの食料と思はれる。蕗はそれよりも田園調で、庭のすみの蕗をとつてゐる時、わかい巡礼さんの歌なぞ聞えるやうな錯覚さへ感じられる。蕗のとうは鶯の声よりもつと早く春を知らせてくれる。
 初夏の空気に夏みかんが現はれ、八百屋が黄いろく飾られる。一年中に一ばん酸つぱい物がこの季節に必要なのかもしれないが、すこし酸つぱすぎる。その次は可愛い新じやが。小さい物は生物も青ものもどれも愉しい。びわ、桃、夏のものは林檎やみかんほど沢山はたべられない。吉見の桃畑も今では昔のやうにおいしい水蜜を作らないのかと思ふ。遠方からくる桃は姿が美しくつゆけも充分あるけれど、東京のものほどすなほな味でない。五月六月七月、私たちのためにはトマトがある。どんなにたくさん食べてもよろしい。同時に胡瓜。この辺ではつるの胡瓜も、這ひずりのも、すばらしい物で、秋までつづく。茄子は東京も田舎も、冬の大根と同じやうに日本風のあらゆる料理に最も奥ふかいうまみを持つてゐて、一ばん家庭的な味でもある。
 やがて梨と葡萄が出て、青い林檎もみえ、秋が来る。キヤベツ、さつまいも、南瓜、栗や柿。それに松茸の香りが過去の日本の豊かさや美しさを思ひ出させる。
 八百屋の口上みたいに野菜と果物の名をならべて、さて困つたのは、牛蒡とにんじん、どの季節に入れようか? お惣菜に洋食に、花見のお弁当に、正月のきんぴらに、殆ど一年ぢうの四季に渡つてたべつづけてゐる。あの牛蒡の黒さ、にんじんの赤さ、色あひだけでもにぎやかで、味がふくざつである。それから書きわすれたのは、八月の西瓜。グラジオラスの花に似たうす紅色ととろけるやうな味覚。口のなかでとけてしまふものはアイスクリームやシヨートケーキもあるけれど、あの甘いさわやかな味が水のやうに流れてしまふことがはかない気持になる。戦争を通つて生きて来た私はそんなに物惜しみするやうにもなつた。ずつと前に親しくしてゐたB夫人は西洋と日本の料理を器用にとり交ぜて私たちに御馳走した。
 四季の折々B夫人の家には四五人のお弟子が招待されて、何時もビフテキパイの御馳走であつた。夫人はアメリカから一人で日本に来て家庭の奥さんたちに英語や作法を教へ、大使館の事務の手伝もしてゐた。その時分私はさういふ家に出入りするやうな閑な身分であつた。戦争の始まるより十年以上も前で、古い話である。
 B夫人はビフテキパイが好きで、日本人のコツクさんも夫人の味加減を心得て上手に作つてゐた。奥さんたちをランチによぶ時はいつもビフテキパイを主食に、あとは細かい物をつけ合せにした。はじめて呼ばれた時は秋で、晴ばれしたお昼どき。スープは蛤を白汁で煮たもの、それから大皿のビフテキパイ。ビーフは香ばしい香料と松茸でいり煮したものを、パイの皮に幾重にもはさんで焼いたもの。夫人はそれを幾つにも切つて客の皿に盛り、小物の皿をまはしてみんなが自由に取り分けた。小さい角きりの魚をてり焼らしく見せたもの(味は洋風)一口茄子の油煮、ずゐきの白ごま酢(サラダ代り)クツキースとコーヒ。それだけで、ほんとうのソーザイランチだと夫人は言つた。パイを何度もお代りして私たちみんな満腹したのを覚えてゐる。
 次に招かれたのは春、スープは日本流の茶碗むし、白魚が一ぱい入つてゐた。ビフテキパイには初ものの生椎茸が混つてゐた。お魚はなく、揚ものは慈姑のおろしたのを玉子と交ぜて黄いろくあげた物。竹の子や蓮根をうま煮の色に煮たもの。サラダすこし。うす紅のアイスクリーム、ちまき屋のまんぢゆうを蒸したのとコーヒ。みごとな色の料理で、ソーザイランチ以上と見えた。つぎは七月頃、パイは出さず冷肉だつたと思ふ。ほそいんげんの黒ごま和へ。小えび、アスパラ。特別の御馳走はフルーツサラダで、バナナ、パインアップル、桃やネーブル、ほし葡萄と胡桃も交り豪しやなもので、食後は長崎カステラとおせん茶であつた。
 夫人が帰国する時、ある奥さんと私と、送別のために小さいお茶料理に夫人を招待した。小座敷にむつましく坐つて、鯛のさしみ、大きな鮎の塩やき、栗のふくませなぞを夫人はよろこんでくれた。そしてきんこと小かぶのみそ汁をほめた。きんこはどんな物かと訊かれて、私よりも英語の話せる奥さんが、きんこは、海にゐる時は黒く柔かい生物でナマコと呼ばれる。ナマコを乾したものがきんこであると、しどろもどろに説明したが、その黒く柔かい物がB夫人にはとても分らないだらうと思つた。それから「おそばはお好きですか」と訊くと、「ふうん!」と夫人は考へる眼つきをして「味はよろしい。長さがわれわれを困らせる」と言つた。
 先日私は配給の短メンを食べてゐて、おそばの長さがわれわれを困らせると言つたB夫人を思ひ出した。短メンのみじかさはわれわれを寂しくする。さう思つて私は月日のうごきを考へてゐた。

底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
初出:「美しい暮しの手帖 八号」暮しの手帖社
   1950(昭和25)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:竹内美佐子
校正:富田倫生
2008年10月14日作成
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