すると、或冬の事、この老爺というのが、元来談上手なので、近所の子供達が夜になると必ず皆寄って来て、老爺に談をせがむのが例であったが、この夜も六七人の子供が皆大きな炉の周囲に黙って座りながら、鉄鍋の下の赤く燃えている榾火を弄りながら談している老爺の真黒な顔を見ながら、片唾を呑んで聴いているのであった、私に談した男もその一人であったそうだ。戸外は雪がちらちら降っていて、時々吹雪のような風が窓の戸をガタガタ音をさして、その隙間から、ヒューと寒く流込むと、申合した様に子供達は、小な肩を皆縮める、榾火はパッと一しきり燃え上って、後の灰色の壁だの、黒い老爺の顔を、赤く照すのであった、田舎のことでもあるし、こんな晩なので、宵から四隣もシーンとして、折々浜の方で鳴く鳥の声のみが、空に高く、幽かに聞えてくるのである、夜も更けて十時過ぎた頃だった、今まで興に乗じて夢中に談していた老爺が、突然誰も訪れた声もせぬのに、一人で返事をしながら、談半ばに、ついと起って、そこの窓際まで来て、雨戸を開けて、恰も戸外の人と談をしているかの様子であった、暫時して、老爺はまた戸を閉めて、手に何か持ちながら其処の座に戻って来たが、子供等もあまり不思議に思ったので、それを尋ねると、老爺はさも困ったという風をして「何、実はこの間死んだ、己の娘が来たんだがの、葬式の時、忘れて千ヶ寺詣りのなりで、やったものだから困るといって、今この通り、白衣と納経を置いて行って、お寺さんへ納めてくんろといいながら、浜の方さ、行ってしまっただよ」と談された時には、子供達は皆震上って一同顔色を変えた、その晩はいとど物凄い晩なのに、今幽霊が来たというので、さあ子供等は帰れないが、ここへ泊るわけにもゆかないので、皆一緒に、ぶるぶる震えながら、かたまって漸くの思いをして帰ったとの事だが、こればかりは、老爺が窓のところへ起て行って、受取った白衣と納経とを、眼の当り見たのだから確実の談だといって、私にはなしたのである。
底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「怪談会」柏舎書楼
1909(明治42)年発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月22日作成
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