一昨日、哲学館において井上円了氏の演ぜし妖怪取り調べ報告の大要を聞くに、左のごとし。
 昨年十一月中旬より、山梨県北都留郡(すなわち、いわゆる郡内)大目村、杉本永山氏の宅に一大怪事現出す。今、その怪事の概略を記さんに、その本体は形もなく影もなく、目もって見るべからず、手もって触るるべからざるをもって、なにものの所為たるを知るべからざれども、空中に一種奇怪の声ありて、明らかにこれを聴くことを得べし。しかして、その声はあたかも人の口笛のごとき響きにて、よく五いんをいい分け、人と問答会話するをもって、なんぴとにてもこの怪声に対し問いを発せば、いちいちその答えを得という。この声、最初の間は夜分のみ聞こえしが、後には昼夜を分かたず聞こゆるに至りしかば、このこと、いつしか近村の一大評判となり、人々みなこれを奇怪とし、実際にこれを聴かんと欲して、その家に争い集まる者、前後きびすを接し、一時は門の内外、人をもってうずむるほどなりき。かくて、この群衆のうちより、だれにても問いを発する者あるときは、怪声のこれに応じて答うること、すこぶる明瞭にして、なんぴとにもみな聞こえ、ただにその声の発源と思わるる所より四、五間の距離において、明らかに聴き取られしのみならず、隣家まで聞こゆるほどにて、その状あたかも人が談話するに異ならず。ただ、その人の言語と相同じからざるは、その音調が口笛のごとく聞こゆる点のみ。されば、これを聴ける群衆は、いかにもしてその声の発源を知らんと欲し、種々の方法をもって、その位置、方向を指定せんと試みたれども、あるいは家の内にあるがごとく、また外にあるがごとく、あるいは上に聞こえ、また下に聞こえ、右に聞こゆるかと思えば、また左に聞こえ、人々おのおのその聴くところの位置を異にし、ついにその目的を達することあたわざりき。かつ、この怪声はひとりその音調の奇怪なるのみならず、種々の怪事これに伴って現出するあり。
 今、仮にその怪事を、言語上に現ずるものと、行為の上に現ずるものとの二種に分かちてこれを略陳せんに、まず言語の上においては、第一に、その口笛のごとき怪声が、よく人の年齢をいい当つることなり。例えば、なんぴとにてもその怪声に対し、わが年齢はいくばくぞと問わんに、あやまたずその数を告ぐるがごとし。これ、あに怪事にあらずや。第二に、その声が他所もしくは他家に起こりし出来事を察知して人に告ぐることあり。例えば、某家に今かくかくのことありと告ぐるとき、その家に至りて問い合わすに、果たしてそのことありという。これ、あに奇怪にあらずや。第三に、その声、よく他人の心中を洞察し、これを言い当つるに、あやまちなしという。これまた、奇怪といわざるべからず。第四に、その声、よく他人の一身上もしくは一家の上に、まさに来たらんとする吉凶禍福を予言すという。これまた、奇怪といわざるべからず。第五に、その声、よく他人の疾病に特効ある奇薬を指示す。実に奇怪千万というべし。これを要するに、以上の事実によりて考うるに、その怪物には予言、察心の力あること明らかなり。
 つぎに、行為の上において第一の怪事というべきは、あるときその家の一室に掛けたりし機糸はたいとが、いつの間にか、みごとに断ちきられたることこれなり。第二は、あるとき人の機を織りてありしに、なにごともなくしてその機糸が一時に断ちきられしことこれなり。第三は、あるとき機糸の枠に巻きてありしを、あたかも歯にてみ切りたるがごとくに、切りみだしたりしことあり。かく機糸を断たれしことは、一回のみにあらず数回ありしかど、だれもかつてその形体を見しことなく、あたかも無形的死霊あるいは生霊いきりょうのごときものありて、暗中になすもののごとし。ただし、その怪声が予言もしくは察心をなすは、別に大いなる害とも見えざれど、その毎度機糸を断たるるに至りては、たちまち多少の損失を受くるをもって、一家最もこの怪事に困却せりという。これ、郡内におこりし妖怪事件の大略なるが、これを約言せば、この怪事は形体なき無形の怪物が、空中に口笛のごとき怪声を発し、かつ種々の怪事を営むものにほかならず。もし、このこと果たして真実ならば、実に奇々怪々、不可思議千万といわざるべからず。
 この一大怪事を研究せんには、まず第一に、その地方の者が、この怪事につきていかなる想像を有しおるかを知るを要す。これをもって、予は諸人のいうところを集めしに、およそ左の諸説に過ぎず。すなわちある者は、従来久しくその家に養われおる女子(年齢十八、九歳)に、狐狸こりもしくは蛇の類が付して、かくのごとき怪事をなさしむるならんと想像せり。また、ある者はいえらく、かつてその女に通じおる男子ありて、その男子の平素信仰せるところのきつねが、かかる所業をなすものならんと。また、あるいはその女子をもって、ただちに狐き患者もしくは魔婦のごとくに考うる者もあり。しかのみならず、その地方において方術もしくは祈祷きとうを専務とせる者さえ、またこれを狐憑き、たぬき憑き、もしくは蛇憑きの類ならんといえりとぞ。これらの説、互いに多少の相違あれども、帰するところは、その女子になにものかが憑付ひょうふして、この怪事をなさしむるものというにほかならず。されば、その戸主杉本氏もやはり、しか信ぜしなり。しかるに、ある二、三の人は、これをもって狐狸等の憑付にあらずとなし、全く女子自ら故意にこの怪事をなすものと信ぜり。しからばすなわち、この怪事に関して該地方の人がいだける想像説には、憑付説と故意説との二種ありといいて可なり。また、局外者の評するところをみるに、この両説はいずれも別に確実なる根拠を有するにあらず、全く真の憶測にほかならざれば、いまだにわかに信ずべからず。
 まず、憑付説につきて疑わしき点を指摘せんに、もし果たして狐狸等の類がその女子に憑付せしものならば、必ずその女の精神作用において、多少の変態異常なくんばあるべからず。しかるに、その女の言語、動作を熟察するに、かつて常人と異なるところなく、ごうも精神異常の徴候を発見することあたわざるはなんぞや。さりとて、故意説にもなお疑わしき点なきにあらず。その故いかんというに、かの女子は、元来無教育の者なれば、決して予言、察心の力あるべきはずなく、したがって他人の問いに対し相応の答えをなさるべき理なし。特にその怪声は一種奇怪の声にして、女子の口より発するものとは思われず、さりとてまた、その女の体内より発するがごとくにも聞こえざればなり。
 これをもって、種々の想像説を提出する者あれども、その理を究むれば究むるほど、妖はますます妖となり、怪はますます怪となりて、ついにその説明を得ず、今はただ黙してやむよりほかなきに至れり。しかるに、その村に中村藤太郎氏といえる人あり。この人は従来哲学館館外員のうちに加わり、妖怪の研究にも注意しおらるる人なるが、このたびの怪事につき、ぜひとも予にその鑑定を請わんとて、事実の始終を詳細に報道し、かつその実験を兼ねて哲学館設立の趣旨をその地方の有志者に告げんため、至急出張せられたき旨申し送られたり。よって、予はともかくもその招きに応じてかの地に至り、一応実地に取り調べたる上、いかんともこれが鑑定を試みんと決心せり。
(未完)
 かくて予は、去月二十五日早朝東京を発し、その夕甲州北都留郡上野原村に着して、その夜はここに一泊し、あらかじめ期しおきたるごとく、中村藤太郎氏と相会せり。翌二十六日は、早朝より同氏の案内にて、まさしくこのたびの妖怪地たる大目村に向かいしが、この村は上野原をさることわずかに一里半余に過ぎざれば程なく着し、まず中村氏の宅に入りて休憩せり。しばらくありて杉本永山氏、予に面会せんためその家に来たり、いちいち怪事の顛末てんまつを語れり。その談話によるに、かの怪声は、必ずかの少女の身辺において発し、少女のおらざる所にては決して聞くことなし。かつ、かの怪声は、最初の間は杉本氏の宅においてのみ聴くことを得たりしが、後にはかの少女の至りし所には、いずれの家にてもこれを聴くに至れり。現に中村氏の宅にても、かつて彼女の来たりしとき、これを聞けりという。これによりてこれをみれば、かの少女と怪声との間に密着なる関係あること明らかなり。
 よって、予のこの怪事研究の第一着として、かの少女の身上につき精細なる観察を下し、かつ適当なる試験を行わざるべからずと思惟しいし、まず杉本氏につきて同女の履歴をたずねしに、彼女はその名を「とく」といい、同国都留郡小形山の産にして、早く父をうしない母の手に育てられしが、十一歳のときより杉本氏の養女となり、爾来七年の間その家に養われ、今年まさに十八歳になれり。しかるに、近年その実母、小形山を去りて駒橋と称する所に移り、ここに一家を借りて住す。駒橋は大目村より道程みちのりおよそ四、五里を隔てて、甲府街道に沿える村なるが、いかなる故にや、「とく」は近来しきりに、大目村を去りて駒橋なる実母の方へ帰らんことを望み、実母もまたこれを取り戻さんと願えども、杉本氏の方にてさらにこれを承諾せざれば、「とく」はやむことをえず、今なお大目村にとどまりおるなりという。ここにおいて、予は杉本氏に向かい、「かの少女はなにゆえに駒橋に帰らんと欲するか」と問いしに、杉本氏は、「けだし駒橋は甲府街道のことなれば、相応ににぎわしく万事便利なれども、わが大目村は山谷の間に挟まり、なにごとにも不便なるが故ならん」といわれたり。よって、予はさらに「かの少女に面会することを得るか」とたずねしに、杉本氏曰く、「『とく』は一週間ばかり前より実家へ帰りおりしが、今日は先生の御来駕らいがある由を聞きしゆえ、昨日使いを遣わし、ぜひとも帰村いたすよう申し遣わしたれば、先刻ようやく帰村し、すなわち隣家にひかえおれり」といいながら、ただちに出でて伴いきたれり。よって、予はまず当人の様子をうかがうに、年齢いまだ長ぜざるにもかかわらず、他国人に対し少しも恐れはばかる気色けしき見えず、その状あたかも他人を軽視するがごとし。されば、その村においても、おてんば娘の評ありという。
 さて、この女に対し第一に試むべきは、その精神作用において異常ありやいなやの点なり。もし、この試験によりて精神にごうも異常なきことを承認するを得ば、狐狸こりもしくは蛇の類の憑付ひょうふにあらざることを知るを得ん。ゆえに、予は種々の問いを提出してその答弁のいかんを注意せしに、その言語の順序、連絡の上において、さらに異常あるを認めざりき。よって、また視覚の上に種々の試験を施し、もって幻覚、妄覚の有無を考えしに、またさらにその徴候だに認めざりき。よって、予はある二、三の方法により、およそ十分間ばかり催眠術を施したれども、さらに感ぜざりき。これらの試験によれば、狐狸の類が憑付せりとの説は、全く無根の妄想なること明らかなり。
 つぎに予は、かの口笛のごとき怪声がいずれの所より発するかを探らんため、これを聴かんことを求めしかど、予がほとんど三、四時の滞在中には、ついに聴くことを得ざりき。もっとも、その女子が予の休憩せし中村氏の家に来たりし前には、隣家において怪声あり、「今日はここより西の方へ行かじ」といえりとぞ。しかして、中村氏の家はまさしくその西に当たれば、ついに聴かれざりしものと見ゆ。かくて、その女子が予のもとより退き、再び隣家へ行きしとき、また怪声あり、「われは決して少女とともに隣家へ行かざりき。隣家の客もしこの家に来たらば、われはただちにこの家を辞して他家に至らん」といえりとぞ。とかくするうちに、時すでに正午に近づけり。この日の午後には、かねてより上野原保福寺において演説をなす約あれば、急ぎてその村を辞し再び上野原に帰りて、その地の有志者に対し哲学館拡張の趣旨を演説せり。しかるに、同地の有志者はなお一日の滞留を請われ、予もまた翌日再び大目村に至りて、かの怪声を聴かんと欲したれど、二十八日には哲学館に遠足会あるはずなりしをもって、ついにその意を果たさずして帰京せり。
(未完)
 以上は、このたび郡内に起これる怪事の実況なるが、これよりいささか、この怪事に関する予の意見を略陳せんとす。ただし、その怪声はついに自ら聴くことを得ざりしかど、杉本、中村諸氏の談話によりて、ややその状を明らかにするを得たれば、これによりてその鑑定を下さんに、このたびの怪事の原因が、杉本氏の養女なる「とく」の一身上にあることは、今日までに四方より得たる事実ならびに考証によりて、すでに明らかに証せられたれば、今、さらにこの点につきて弁明することを要せざるべし。されば、この怪事の研究につきて帰するところの問題は、ただその女子が狐狸こりの類の憑付ひょうふによりて、かくのごときことをなすものなりや、あるいは故意にこれをなすものなりやという点にほかならず。しかるに、予は一時の試験によりて、かの女子の精神作用になんらの異常もなきことを知りしをもって、決して狐狸の類が憑付してなさしむるものにあらずと断言するに躊躇ちゅうちょせざるなり。しからば、予がいわゆる偽怪、すなわち人為的妖怪もしくは故意的妖怪なること疑いなし。
 よって、今試みにその証跡を列挙せんに、第一、かの口笛のごとき怪声は、いかにもいずこよりともなく発しきたりて、決してかの女子の口より発せしものにあらざるがごとく聞こえしならん。さりとて、これをもって、ただちにかの女子の声にあらざることを証せんは、すこぶるいわれなきこととす。いわんや、かの怪声が決して吾人の口より発せられざるものならばともかく、なんぴとにても少しく熟練せば、これに類する声を発するに難からずというにおいてをや。現にその近隣の児童が、この怪事の出現以来、口笛をふきてこれが擬声をなすに、その巧みなる者に至りては、ほとんど真物と区別することあたわずという。果たしてしからば、かの女子もまた、熟練によりてかかる怪声を発するに至りしにはあらざるか。西洋にもベントリロキズムすなわち腹話術と名づくる一種の術ありと聞けば、かの怪声は、おそらくこの腹話術の一種ならんと考えらるるなり。その術は、口舌を動かさずに言語を発する術にして、そのはじめギリシアに起こり、当時は魔声なりと信ぜりという。果たしてしからば、その声は、もとより唇舌の間に発するものにあらずして、多分咽喉いんこうの辺りより発するものなるべければ、これを聴きてその位置を指定し難きも、もとより当然のこととす。それ音響の位置は、ただこれを聴けるのみにては容易に知り難きものにして、吾人が日常他人の言語を聴くに、その声の某の口より発することを知るは、単に耳の感覚にのみよるにあらず、必ず目の感覚これを助け、某の言語に伴いてその唇舌の動くを見るによるなり。しかるに、かの怪声のごときは、たといかの女子の発するものに相違なかるべきも、唇舌これに伴いて動くにあらず。かつ、その声の一種奇怪にして、いまだかつて聞きなれざるものなる上は、ただ聴官によりてこれを感ずるのみにて、視官の補助を受くることあたわざるものとす。これ、その位置の明らかに知れざるゆえんなり。
 第二に、その声に予言、察心の力ありというの故をもっては、いまだにわかに、その声がかの女の体内に出でしものにあらざることを断ずべからず。その故いかんというに、他人の年齢のごときは、想像によりてもたいてい知らるるものにて、特にかの女子が平素交際せる人の年齢のごときは、必ず知りおることもちろんなり。なんぞ、これを奇といわん。もし、かの女子にして、自身のかつて知らざる数千里外の西洋諸国に起これる出来事を予言するがごときことあらば、それこそ実に奇怪千万なれども、わずかに自身の住める一村内の出来事を予言し察知するがごときは、いまだ奇と称するに足らざるなり。杉本氏の談話によるに、かつて歯痛にかかりしとき、怪声に向かいてその薬をたずねしに、落雷のために裂けたる木の一片を用うべしと答えたりという。これすこぶる奇なるがごとくにして、しかも実に奇なるにあらず。なんとなれば、かかる治法は、その辺りにおいて一般に伝承するところなればなり。指痛(腫物しゅもつにて)をうれえしきこれが薬法をたずねしに、某の木と某の草とを調合して服用すべしと教えたり。されど、その草の名を明言せざりしをもって、再三これを問い返せども、さらに知れず。ここにおいて、あまねくその辺りに発生せる草を集め、いちいちこれを示して、これかかれかと問い試みしも、ついにその草を得ざりしことありたりという。こは、おそらく、かの女子がその草の名を忘れしによるものならん。
 第三に、断機のことのごときもまた、決して奇とするに足らず。なんとなれば、この出来事は必ずかの女子のおりしときに限ればなり。特にはたを織りてありしとき、偶然その糸が断絶せしことのごときは、かの女子の織りてありし機にして、彼が「今、わが機にしかじかの怪事ありたり」と告げしによりて、はじめてその家人に知られしものなれば、これをかの女子の所為とせば、ごうも怪しむべき点なきなり。ただこれが奇怪とせらるるは、その女子は決してかかる悪戯をなすものにあらずと信ぜられしによらずんばあらず。また、かの室内の一隅にかけてありし機糸が、なんの原因もなくして截断せつだんせられたることのごときも、その日はかの女子一人のみ家にありし日なれば、いずくんぞ、かの女子が家人の不在に乗じて、自らなせしところにあらざることを知らんや。
 第四に、杉本氏の談話によれば、かの口笛のごとき怪声が他人の問いに応答するは、最初よりのことにあらず。最初の間はただその声を聞くのみなりしが、その後ようやく他人の問いを発するものあれば、わずかにこれに応ずるに至れり。されど、なお熟練の足らざる故にや、いまだ明らかに五いんをいい分かつことあたわず、ただ、問いを発する人があらかじめ方法を定めおける応答の方法に従いて、これに応ずるに過ぎざりき。例えば、ここに中村という人ありて、その姓を問わんとするに、そばより「この人は木村なりや」と問いて応答なきときは、さらに「渡辺なりや、河村なりや」なおその答えなし。「中村なりや」と問うに至って、ついに一声の応答を得るがごとし。また、人の年齢のごときは、声の数にて応答せしなり。かくて本年二月ごろより、その声わずかに五音をいいわけ、よく談話するに至れり。ただし、その口笛のごとき響きのみのときも、またよく談話するに至りし後も、不明瞭の状態より明瞭の状態に進み、次第に発達熟練せし跡ありきという。しからばすなわち、この怪声は狐狸こりのごとき怪物ありて、女子の体外においてなすものにあらざること疑いなし。もし、狐狸の類これをなすものならば、なにゆえに最初より談話をなさざりしか。かく熟練してついに談話するに至れりというは、取りも直さず、かの女子の所為なることの確証にあらずや。
(以下次号)
 第五に、予は杉本氏に向かい、かの怪声が用うる言語はいかなる種類のものなるかをたずねしに、その土地の同輩間に用うる言語と、さらに異なることなしといわれたり。果たしてしからば、すなわち、かの怪声がかの女子の所為なる一証というべし。かつ、中村氏のいえるところによるに、怪声の談話は常にかの女子の思想と一致し、かの女子の知らざることは怪声も知らず。また、もし怪声の談話中に解し難きところあらば、これをかの女子に問うに、その説明を得という。これによりてこれをみれば、怪声はかの女子の所為なること、いよいよ明らかなり。
 第六に、怪声とかの女子の談話とは、決して同時に発することあたわず、必ず相前後すという。これまた、怪声の原因、かの女子にある一証というべし。
 第七に、かの怪声が常にかの女子の身辺に伴い、かの女子の至る所に限りてこれを聞くは、すなわち女子の所為たる証拠にあらずや。加うるに、かの女子が大目村にある間は、そのゆく所においてこれを聞くことを得るも、実家に帰りしとき駒橋村においては、さらにかかる怪事なかりきという。これによりてこれをみれば、かの女子が養家を去りて実家に帰らんと望む情切なるあまり、故意にかかる怪事をなすものたること、ほとんど疑うべからず。また、杉本氏の談話によるに、かつてかの怪声が、「養女『とく』にはたを織らしむることあらば、われ必ずこれを断ちきらん」と告げしことありしが、果たしてそののち数回引き続き、「とく」の織れる機を断てりという。しかるに、同地方にては女子はもっぱら機業をもって職とすることなるに、「とく」に限りてこの業に従事せしむることあたわざるときは、徒食せしむるよりほかなきをもって、養家にありても最初のうちは実家に返すことを拒みしかど、今はむしろ、その心に任す方よからんと考うるに至れりとぞ。
 養女「とく」の一身上に関する前後の事情すでにかくのごとしとせば、このたびの怪事は、かの女子がいかにもして実家に帰らんとの志望を遂げんため、故意になせしものと解するに、なんの不可かあらん。かつ、しか解するときは、この一妖怪も容易に説明せられて、また怪しむを要せざるべし。これ、予が狐憑こひょう的妖怪にあらずして人為的妖怪なりと断言するゆえんなり。この断言にして、幸いに誤りなからんか。しかるときは、かの女に憑付せりという狐は野狐やこの類にあらずして、おそらく、わがまま狐ともいうべき一種の狐ならん。
 以上は、予が半日間の観察と、杉本、中村二氏の談話とに基づき、前後の事情より推測して考定したるものなれば、いまだ十分の事実を探知したるものというべからず。かつ、故意的妖怪とする以上は、当人自ら明言するにあらざれば、その実を知るべからず。ただ、広くこれを世に示す意は、識者の判定を請わんと欲するにほかならざるなり。
(完)
出典 『東京朝日新聞』第二八三四、二八三五、二八三七、二八三八号、明治二七(一八九四)年五月八日、九日、一一日、一二日、二面。

底本:「井上円了 妖怪学全集 第6巻」柏書房
   2001(平成13)年6月5日第1刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1894(明治27)年5月8、9、11、12日
入力:門田裕志
校正:Juki
2011年2月7日作成
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