本館にて、心理講究のかたわら妖怪事実を捜索研究し、その結果を館員に報告し、また、その事実を館員より通信せしむるについては、従来の通信中、妖怪、不思議にして解釈を付し難きものを掲載し、一は館員中事実報告の参考となし、一は館員よりこれに対する意見を報知せしめ、妖怪研究の一助となさんとす。よって今後は、ときどき妖怪事実を本誌に記載すべし。
 左の一事実は、明治十九年、余が手に入りたるものにして、静岡県遠州某氏の報知なり(本誌掲載のことは本人に照会せざりしをもって、その姓名を挙げず)。夢想の研究については、参考すべき必要の事実なり。
   ○霊魂は幽明の間に通ずるものか
 予は祖先相つぎ、世々農をもって業とするものなり。父母存在し、一姉あり、さきに他に嫁し、一弟あり、よわい七歳にして没す。妻あり一男を産む、成長す。当時家族五人、予や明治十二年以降、某官衙かんがに微官を奉ず。しかして、明治十九年二月二十日、公務を担い、奉職の官衙を去る十里ほど、某官衙に至る。該地に滞留すること八日維時これとき、その月二十八日夜、寝に就く。忽地こっちにして妻、手に提灯ちょうちんを携え、某川のそばに彷徨ほうこうし、予に告げて曰く、「父、水没す」と。ともに驚然として覚む。とき夜半、なお再び寝眠するに、さらに水没の地名を呼ぶ。夢況また故のごとし。しかして夢破すれば、時辰儀じしんぎまさに七時になんなんとす。起きて盥嗽かんそうし終わり、うたた昨夢の現象を思う。しかれども、予や元来、夢想に感じ、空想を惹起じゃっきするがごとき情感なく、ことに夢境は某川暴漲ぼうちょうせりと覚ゆれども、あたかも天晴朗、降雨の兆しもなし。かつ、はじめ家を去るとき、父平素にたがわず健康なれば、これを煙消霧散に付し、意思のかけらにもかけず。
 その日も前日のごとく、某官衙に出務せり。とき三月一日なり。日課を終え、午後六時ごろ旅亭に帰り浴湯し、まさに晩餐ばんさんを喫せんとす。旅亭の下婢かひ、左側の障子を開き、手に電報を持ち、予に告げて曰く、「ただ今、君へ電報到着せり」と。予、なにごとの出来しゅったいせしやと疑いながらただちに披封すれば、なんぞはからん、「父大病につき、ただちに帰宅せよ」と、親戚某より寄するところの電報なり。愕然がくぜん、大いに憂懼ゆうくす。しかれども、公事を帯び羈客きかくの身となる。ほしいままに帰省なしがたきをもって、某官衙に生が病気届けを上呈し、倔強くっきょうの車夫を呼び腕車に乗じ、ただちに旅亭を辞し、時刻を移さずして帰省し、父の病をわんとすれば、溘焉こうえんとしてすでに逝き、また浮き世の人にあらず。もってひとたびは錯愕さくがく、もってひとたびは慟哭どうこく、情緒乱れて、またなすところを知らず。しかれども、事すでにここに至る、いかんともするあたわず。よって、その卒去の情況を子細に尋問すれば、二月二十八日早朝、父、故人某のもとに訪問せんと、平素のごとく家を出発せしが、途次、某川のそばを通行し、あやまちて蹶倒けっとうし、堤脇壇上の杭頭に触れ、いたく前額を打撲しきずつき、なお半身頭部の方を水面に没して絶倒したりと。
 また、これよりさき父出発の際、家族に語りて曰く、「即日帰家すべし」と。しかして、黄昏たそがれ帰家せざるをもって家僕を迎わせんとせしに、あいにく不在なるにより、妻、一婢をもって出迎えせしは、すでに夜七時。提灯ちょうちんを携え東奔西馳し、父に会同せんことを企図すれども、途次さらに人影だもあることなし。よって、むなしく帰家し母に告ぐれば、父の故人某の近傍には二、三の親戚あれば、いずれにか宿泊せしならんと、ともに語れり。しかして、その遺骸を発見せしは、三月一日午後一時ごろなり。しかれども、この難にかかりしは、二十八日の帰路なりしか、はた三月一日の朝なりしか、その際いまだ判然せざりし。これをもって、父のさきに訪問せし某の家に人を走らせ、つまびらかにその情況を探知し、かつその途次、逐一審査すれば、全く出発の即日帰路の変事にして、近傍途次にて現に父と面語せしものありと。よって、はじめてその事実を知了するを得たり。
 ここにおいてか、予はさらに思う。曩日のうじつの感夢、おおむね事実と適中するもののごとしと。これ、そもそも予が疑団いよいよ凝結して、氷釈するあたわざるゆえんなり。それ、およそ夢は、つねに五官の交感、あるいは往事追懐の起念等、種々の原因より結合して成るものなりといえども、かくのごとく詳細の事実に至るまで、多分は符合すること、はなはだ怪しむにたえたり。しかりといえども、古来東洋の人、夢によりて禍福を知り、夢に神託を受け、婦妻の遠征の良人おっとを追慕し、夢の情感によりて妊孕にんようせし等、おおむね架空の談柄たるに過ぎず。これ、自ら欺き人を欺き、夢を利用し、自らためにするところのものあり。それ、かくのごときは、文明の世に生まれて、いやしくも学者たるものの、はなはだ取らざるところたるのみならず、士君子の最もいさぎよしとせざるところなり。
 ゆえに予は、すべて夢をもって人事をぼくするに足るものなりと信ずるものにあらずといえども、ひそかに信ず、霊魂は幽明の間に通ずるものなりと。しかれども、いかんせん心体のなにものたるを理会するにあらざれば、論理上考証となすべきものなきを。よって、事実を記しておおかたにただす。こいねがわくは、教示をたまうことを得ば幸甚。
          ○
 前回に奇夢の事実を掲載せしが、今また奇夢の一事実を妖怪報知書類中に得たれば、ここに掲載すべし。この報知の余が手もとに達したるは明治二十年十二月のことにして、北海道日高国、某氏の実際に経験せる事実なり。書中に記するところを見るに、同年十一月十九日夜、夢中に現見せる奇事なれば、ここに記載して読者の参考となす。
 拝啓、小生は小鳥類を餌養じようし、籠中ろうちゅうに運動し、余念なく時節につれて囀啼てんていするを見聞し、無上の快事といたしおりそうろう。当時も四、五羽相集め、暇さいあればこれを撫育ぶいくいたしおり候に、小鳥もまた押馴おうじゅんし、食物を掌上に載せ出だせば、来たりてこれをついばみ、少しも驚愕きょうがく畏懼いくの風これなし。人慣れ、かご慣れとも申すべきか。しかるに、今御報知及ぶべき次第は、右小鳥より生ぜし小生が奇夢に御座候。こは、かねて新聞広告にて、昨今御病気中、右ら妖怪御取り調べ相成る趣、承知いたし候につき、まことにつまらぬ一場の夢記にはそうらえども、万一御研究の御材料にも相成り候わば大幸と存じ、大略左に申し述べ候。元来、不文の小生に候えば、しばしば文の支離錯雑の段は、御判読を願いたく候。
 三更、人定まり、四隣寂として声なし。小鳥、小生の枕辺に来たり、小生に訴えて申すよう、「限界もなき蒼空そうくうを住家となし、自在に飛揚し、自在にさえずり、食を求めてついばみ、時を得て鳴き、いまだ人間の捕らえて、籠裏ろうり蟄居ちっきょせしむるがごときことあるを知らざりき。不幸ひとたび先生の網羅にかかり、この籠裏に入りしより、食を得、飲を求むるにおいては労することなしといえども、かの空中自在の飛揚に比すれば、その苦と歓とは果たしていかんぞや。余や、この籠を居となす、すでに一年。その間、先生により、つつがなきを得たり、多謝深謝。さりながら、事と物とはままならぬことのみ多き浮き世の悲しさ、今や余が一身は一魔物のためにかすめ去られ、ふたたび先生を見ることを得ず、先生また、余を愛することあたわざらんとす。請う、先生よ、余を愛したる念情はこれを他鳥に移せ。しかれども、余にもまた翅翼しよくあり、なお飛揚の術を忘れず。魔物来たりて余を掠めんとせば、余は全力を飛逃に尽くし、その爪牙そうがを逃るることをつとむべし。万一この計のごとくなるを得ば、再び来たりて先生の愛鳥の列に加わらん」と言い終わりて、悄然しょうぜんとして去る。しばらくありて、右の小鳥は辺およびいん部に爪牙の跡を得、血を垂れ、来たりて小生に向かい哀を請うがごとし。
 小生、大いに驚き、家内を呼び寄せ、「なんじらの不注意より、事のここに至りしぞ」と叱咤しったすれば、これぞ、この夜(十一月十九日)一場の夢にてそうらいし。かえって傍人にその寝語などを笑われ、再びそのまま寝に就き、翌朝、例により小鳥の食物など相与え、昨夜の夢など思い出し、笑いながらも食後他出し、談話のついで前夜の夢を語り、一場の笑いを博し、午後三時ごろ帰宅すれば、なんぞ図らん、小生が最愛の、方言「のじこ」と称する小鳥は、すでに飛逃してあらず。かごもまた破れて、羽毛のその辺りに紛々たるを認めそうろう。このとき、小生は前夜の夢想を考え合わせ、さても不思議なることもあるものかなとは思い候えども、多分猫などの所為なるべしと存じ、なお家族にもよく、小生不在中なりとも注意すべき旨を申し聞けおき候。
 ここにその翌日すなわち二十一日の朝も、例により小鳥の食物を与えおり候ところへ、さきに飛び去りし小鳥は小生の面前に来たり、なんとなくしおしおいたしおり候につき、これはと思い、ただちに捕らえてこれを検すれば、くちばしおよびのど辺などに爪牙にかけられしきずを受け得て、その景状はすべて夢中にありし事柄とごうも異なることこれなし。誠に不思議千万の次第にこれあり候いしも、もとよりつまらぬ夢想のことゆえ、そのままにいたしおき候も、他人より右ようのことを話されなば、人さきに駁撃ばくげきする小生ゆえ、なまじいに右ようのことを話し出し、かえって笑わるることと存じたるゆえに候。
 右は夢想と事実と偶合せし事実にして、小生はもちろん友人などにも、奥深き学問上のことなど承知いたしおるものこれなし。ただ奇とか妙とか申しはなすに過ぎざることに御座候。幸い御研究の御材料にも相成るべきかと存じ、その顛末てんまつ、前顕のごとく御報知及び候。なお右顛末につき御不審のかどもこれあり候わば、その点につきさらに御報知及ぶべく候間、御申し越しくだされたく、右までかくのごとく候。頓首。
明治二十年十二月二日
某氏報知
          ○
 夢は、前に経験せる種々の事柄が、いろいろに結合して想中に現ずるものなり。美濃国、山田某が明治二十年十月二十九日郵送せる事実およびその説明は、この一例を示すものなれば、左に掲記して読者の参考となす。
 予、かつて夢む。盗あり、戸を破りて入りきたり、秋水閃々せんせん、大いに目をいからし、予に向かいて曰く、「金を渡せ、金を渡せ」と。予、たちどころに柳生流の秘密を施し、苦もなく盗を一撃の下にくだし、ついにこれを殺したるが、ややありて盗はさかさまに歩行し、股間に頭を生じ、予と懇親を結びたり。覚めて後、深くこれを考うるに、その秋水の閃々たるは、前々日、古物商の買い出しに来たるあり。戸を破りたるは、前日ある家に遊びしに、その家の馬逸して、廏側きゅうそくの朽ち板を破りたるあり。「金を渡せ」とは、過日、浮連節の座に木戸銭を受け取るあり、その浮連節に柳生流を演じたるより、ついにここに連想をきたし、さかさまに歩行したるは、その日、ある所にて、越後なる倒竹の話をなしたるよりし、殺したるの連想は、かつて死刑人を巨板に載せ、首をその股前に置きたるを、解剖室において見たるに結び、懇親をなしたるは、解剖の悪臭にたえず、帰りて友人と一杯を酌みたるを、かくは転じきたりたるなり。すべて夢は、かくのごとく疑似、差異、係属等よりして、最下等なる想像世界をいわゆる夢中に浮かぶるものなれば、夢によりて吉凶をきたすがごとき妄説は、あえて取るに足らずといえども、またよくこれを判断して、その人の心内に思うところを推し、もって将来をぼくすることを得べしというも、やや理なきにあらざるがごとし。ここに諸家の説を請う。
          ○
 先回、奇夢の事実を掲記せるが、今ここに、感覚より生ずる夢の事実を報告せんとす。西洋の心理書に引用する二、三の例を挙ぐるに、
○ある貴人が一夕、兵隊となりたる夢を見、たまたま砲声の発するを聞きて驚きさむれば、そのとき隣室中に、不意に発声せるものありて夢を引き起こし、かつ眠りを驚かせしなり。これ、耳感にありて夢を生ぜし一例なり。
○ある人睡眠中に、その弟来たりて談話したることあり。しかるにその人、睡眠中にありながら、その談話と寸分もたがわざる夢を結びたりという。これまた耳感の夢なり。
○ある人睡眠中、ガスの気をぎて、化学実験室に入りたる夢を結びしという。これ、鼻感の夢なり。
○触感の夢には、その例はなはだ多し。例えば、湯を入れたる鉄瓶てつびんに足の触るるありて、火上を渡りし夢を結び、冷水を入れたる鉄瓶に足の触るるありて、氷雪を踏みし夢を結ぶ等なり。
○また、視感によりて夢を結ぶことあり。ある人、夢に極楽に遊び、四面光明赫々かくかくたるを見、驚きさむれば、炉中にたきぎの突然火を発するを見たり。また、ある人、夢に盗賊の室中に入りて、手にしょくを取り物品を探るを見、翌朝これをその母に語る。母曰く、「これ、わが前夜ろうそくを取りて室中に入り、物品を探りしことの、夢に現ぜしならん」
○また、ある人、ことさらに試験を施せしことあり。一夕、熟眠せる人の手足をつめにてひねりたるに、その人は医者の手術を受けたる夢を見たり。また一夕、熟眠せる人の額に冷水の一滴を点じたるに、その人、イタリア国にありて熱気のはなはだしきを感じ、ブドウ酒一杯を傾けたることを夢みたりという。
○明治二十年、和歌山県、久保某氏より報知せる書中に、左の一事あり。久保氏自ら曰く、「一夕、夢中にて余の傍らにある人、棒をふり回す。余、その棒の己が身体にあたるを恐れしに、やや久しくして、果たして余の頭にあたれり。よって驚きさむれば、たまたま余の傍らにしたる人が手を伸ばして、あやまりて余の頭に触れたるなり」と。
          ○
 埼玉県、永井某氏より、夢の解釈につき報道せられたる一文は、参考の一助となるべきものなれば、その全文をここに掲記す。
 郵便をもって申し上げそうろう。しからば、『通信教授 心理学』第三号の付言に従い、はばかりながらちょっとのべんに、およそ人の睡眠するは、すなわち原語のスリープという。心理書によれば、その定義は、意識を失うこと、すなわちわがを失うなりと。また、ねむるという近き解釈は、神経にかかわることにて、全身にはあらずといえり。しかして、ねむりし後、われわれの夢の起こる原因はなにものなりやというに、夢は睡中のとき心が働くことにて、われわれにたびたびこの作用の起こることは、世人のすでに知るところなり。すなわち、彼のいまだかつて見聞せざる場所に遊び、その他奇人にあい、種々様々の夢の起こる原因は、余はことに不瞭解なれども、しかしこれを不瞭解なりと言いて等閑とうかんに付すは、日進の知識は決して得べからざるものと思われ申し候。それゆえ、ひとえに研究いたしたく志願の至りに御座候。よって、余のちょっと書物あるいは人に見聞したることを申さんに、夢の発作するありさまは、吾人もし硬き疎なるじょく上にね、もしくは狭窘きょうきんなる位置にしたるときは、骨を傷つき、もしくは楚撻そたつに遭うと夢み、消化せざる食餌しょくじをなすときは、肥大なる黒熊来たり、わが胸膈きょうかくに当たりて、泰然として座したりと夢みたりと。また、ソクラテスの言わるるには、「人あり、その寝に就くに、数たんに熱湯を盛り脚冷を防ぎけるに、その夜、エトナ山の噴火口辺りを徘徊はいかいしたりと夢みし」と。そのエトナ山の観念を、足に熱を覚えたるによりて提起する原因は、これエトナ山の地も、ぬるとき足に感じたるごとき熱度にて、実際必ずその足に感ずべきところなるをもってなり。つぎに、わが睡中において不意に声音を聞き、われわれを醒覚せいかくする人あらば、われわれはその声を聞き、感覚の器一部のみ醒覚したるときは、おそらくは砲声となさん。よしや、そのとき砲声なりと心に認識せざるも、必ずや現に発鳴せし音響より大なりと誤り知るなるべし。かくのごとくなるは、余の考えにては、上の例にて音響の小なるを大砲のごとく大声なりと誤り聞こゆるは、あたかも水の高所よりひくき所に流るるを防ぎおき、その防ぎおきたる所を不意に押しきるときは、水の勢力は、防ぎおかざるときより一層強かるべし。しからば、さきに申せし音響の小さきを聴官に大きく聞こゆる音響も、やはり水のごとく、はじめは勢力小さきも、これを重ぬるときは、大きくなりて聞こゆるなるべしと思わる。しかし、この説は余の浅考にて、むろん理屈に当たらざるように見ゆるなり。しからば、貴堂の奇夢と申されしは、上のごとき原因等より起こるならんか。もししからざれば、新聞にてちょっと承りしが、不思議研究会にて御発言の節、御説明願いたく候なり。草々不備。
          ○
 左に、茨城県久慈郡下小川村、市毛雪氏より報知ありし奇夢事実ならびに解釈は、奇夢研究の参考となるべきものなれば、その全文を掲ぐ。
 客年十二月中のこととか、友人の家に雇い入れおきし男、夜中しきりにうなされ、いかにも困苦の様子なるにより、喚起しやらんずる途端に、「火事よ、火事よ」と呼ばわる声聞こえ大いに驚き、家内残らず起き出でてその男をも起こししに、その男案外驚愕きょうがくの様子にて、狼狽ろうばいして起き出でたり。
 この者、元来同村の某家に雇われおりしを、近ごろ友人の家に転傭てんようせしなりという。しかるに、その夜の出火は、この男のもと雇われおりし家のかわやより起これり。けだし、放火なりしとぞ。幸いに、本屋へは延焼せずに打ち消しぬ。ここに奇とすべきは、その男、その夜うなされおりしは、すなわち、もと雇われおりし家の厠に火が付きしを夢み、しきりに叫呼せしも声立たず、困難してもがきおりしといいしことなり。かくのごとき夢が、あやまたず事実に符合すとは奇の至りなりと。
 小生、その由を解釈して曰く、「この男、元来某の家に雇われおりしならば、定めてその家のことにつきて種々心配しおりしならん。しかして、その夜おそらくは、「火事よ」の声のありしを、睡眠中かすかに聞き得しならん。このとき、耳官はその用をなしおるも、他の諸機関はすべて熟睡のありさまにてあれば、ここに心象は意志の管束もなければ、火事の声をかすかに聞くと同時に、この男が旧縁の家(それは平生念頭にかかりおりし)と連合し、ついにかかる夢を結びしならん。その厨より起こるを夢みしとは、おそらくは夢中、確然と厠とは見えまじ、木小屋か物置きのようなる所より起こりしと見しならん。また時節柄、放火が流行するとか、しめりなくして乾きおるとかにて、火の心配たえず心にかかりおれば、かかる夢は希有けうのことにもあらざるべし。しからば、他の家に起こりし火事にても、この男がもし夢みたらんには、旧縁の家と夢みるならん。不幸にその家と結び付きしは、おそらくは偶然のことならん。すなわち、某氏の家より火が起こりしことは、夢の的中というよりも、むしろ偶合として可ならん」と。

出典 『哲学館講義録』第一期第三学年第七・八・九・一〇・一一・一六号、明治二三(一八九〇)年三月八・一八・二八日、四月八・一八日、六月八日、巻末、一―二、一―二、一―二頁。

底本:「井上円了 妖怪学全集 第6巻」柏書房
   2001(平成13)年6月5日第1刷発行
底本の親本:「哲学館講義録 第一期第三学年第七・八・九・一〇・一一・一六号」
   1890(明治23)年3月8、18、28日、4月8、18日、6月8日
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
入力:門田裕志
校正:Juki
2010年8月16日作成
2011年4月15日修正
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