少年の時郡へいったが、ちょうど立春の節であった。昔からの習慣によるとその立春の前日には、同種類の商買をしている者が山車だしをこしらえ、笛をふきつづみをならして、郡の役所へいった。それを演春えんしゅんというのであった。
 私も友人についてそれを見物していた。その日は外へ出て遊んでいる人が人垣を作っていた。堂の上には四人の官人にふんした者がいたが、皆赤い着物を着て東西に向きあって坐っていた。私は小さかったからそれが何の官であったということは解らなかった。たださわがしい人声と笛や鼓の音が耳に一ぱいになっていたのを覚えている。
 その時一人の男が髪を垂らした子供をれて出て来て、官人の方に向って何かいうようなふりであったが、さわがしいので何をいっているのか聞くことができなかった。と、見ると山車の上に笑い声をする者があった。それは青い着物を着た下役人であった。下役人は大声で彼の男に向って芝居をせよといいつけた。彼の男は何の芝居をしようかと訊いた。官人達は顔を見あわして三言四言いった。そこで下役人が、
「お前は何が得意か。」
 と訊いた。彼の男は、
「何もない所から物を取ってくることができます。」
 といった。下役人はそこで官人に申しあげた。と、しばらくしてめいがくだった。下役人はの男に向っていった。
「桃を取ってまいれ。」
 彼の男は承知して、うわぎをぬいではこの上にかけ、物を怨むような所作しょさをしていった。
「お役人様は、物がわからない。こんな氷の張っている時に、どこに桃があるだろう。しかし、また取らなければ怒りに触れる。さて、どうしたらいいかなァ。」
 すると彼の伴れている子供がいった。
「お父さんは、もう承知したじゃないか。今更できないとはいわれないだろう。」
 彼の男は困ってなげくような所作をしていて、やや暫くしていった。
「よし、思いついた。この春の雪の積んでいる時に、人間世界にどこに桃がある。ただ西王母せいおうぼはたけの中は、一年中草木がしぼまないから、もしかするとあるだろう。天上からぬすむがいいや。」
 そこで子供がいった。
「天へはしごをかけて昇っていくの。」
 彼の男がいった。
「それは俺に術があるよ。」
 そこではこけて一束の縄を出したが、その長さは二、三十丈もあった。彼の男はその端を持って、空中へ向って投げた。と、縄は物があってかけたように空中にかかったので、手許にある分を順順に投げあげると縄は高く高くのぼっていって、その端は雲の中へ入った。それと共に手に持っていた縄もなくなった。そこで子供を呼んでいった。
「来な。俺は年寄で、体が重いからいけない。お前がいって来な。」
 とうとう縄を子供に持たして、
「これから登っていきな。」
 といった。子供は縄を持って困ったような所作をして、そして父親を怨むようにいった。
「お父さんは、あまり物がわからないや。こんな一本の縄でどうして天へ登れる。もし道中で切れでもしたら、骨も肉もみじんになるのだよ。」
 彼の男は無理に昇らそうとしていった。
「俺がつい口をすべらして、引きうけたから、もう後悔してもおッつかない。いってくれ。もし、桃を窃んで来たなら、きっと百円、金を出して、それでい女を買ってお前の嫁にしてやる。」
 子供はそこで縄を登っていった。それはちょうどくもが糸を伝わっていくようであった。そしてだんだん雲の中へ登っていって見えないようになった。
 暫くして空から一つの桃がちて来た。それは※(「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72)わんよりも大きなものであった。彼の男は喜んで、それを堂の上の官人にたてまつった。官人は順順にそれを見たが、それはほんとうの桃であるかないかをしらべるようなさまであった。と、たちまち縄が空から落ちて来た。彼の男は驚いて叫んだ。
「あぶない。天に人がいて、縄をったのだ。せがれがたいへんだ。」
 暫くして空から物がちて来た。それは子供の首であった。彼の男は首を抱きかかえて泣いていった。
「これは、きっと、桃をぬすんでいて、番人に見つかったのだ。」
 また暫くして一つの足が落ちて来たが、それにつづいて手も胴も体もばらばらと堕ちて来た。
 彼の男は非常に悲しんで、一いちそれを拾って笥の中へ入れて蓋をして、そしていった。
「私はただこの子供しかありません。この子供は毎日私について来て手助けをしてくれておりましたが、とうとうこんなことになりました。これからいって※(「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1-88-54)うずめましょう。」
 そこで官人の前にひざまずいていった。
「桃のために子供を殺しました。もし、私を憐れんでくださるなら、葬式を助けてください。どうにかしてこの御恩は返します。」
 傍に坐っていた者は同情して、それぞれ金を出してくれた。彼の男はそれを腰につけてから、はこたたいていった。
「八八、出てお礼をいわないかい。何をぐずぐずしているのだ。」
 忽ち髪をもしゃもしゃにした子供の首がはこふたをもちあげて出て来て、北の方を向いてお辞儀をした。それは彼の子供であった。それは不思議な術であったから、私は今にそれを覚えているが、後に聞くと白蓮教びゃくれんきょうの者はこの術をするということであったが、ついすると彼の男は、その苗裔びょうえいかも解らない。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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