M夫人は私たち十二三の時からの学校友達で、むかしも今も親しくしてゐるが、彼女は実家も婚家も非常に裕福なので趣味としての諸芸に達して、殊にお茶や歌では趣味以上のくろうとである。その彼女がある時言つた。「私はずゐぶんいろいろなお稽古ごとをやつてみましたけれど、何といつても、十代の時習つたものが一ばん身についてゐますね、それはお琴。家庭の人となつて琴なんぞ弾いてゐる時間もなく、何年となく捨てつぱなしにしてゐても、ちよつとお浚ひをすればすぐ思ひ出して昔の通りに出来ますものね。中年で習つたものは一生けんめい念を入れて今までやり続けてゐても、まだ本当に身についてはゐないやうです……。」彼女のやうな静かな心構への人がいふ事で、それは本当だと思ふ。私は小学生の年から女学校の寄宿舎にはいつてゐて、大きくなると(十四五から)自分の部屋のお掃除を習はせられた。それから十六位からは、外人教師のお部屋と西洋応接間の掃除をした。一週に一度づつは足袋や肌着の洗濯もしなければならなかつた。こんな年になつても割合にらくな気持で掃除や洗濯ができるのは、十代でおぼえた仕事が、芸ではないが、身についてゐるのであらう。
 それに比べると、卒業前一年位は一週間に三度賄ひの手伝ひに行つてお惣菜の煮物をしてみたり、一週に一度づつ先生がたの洋風料理のお手伝ひもした。しかし、料理の才能がないのか、あるひは大急ぎのつけ焼刃であつたか、私はとても料理が下手で、自分の手でめんどうなお料理をこしらへてたべる愉しみを知らない。しよせんは主婦としての資格に落第であるが、これはその道の好ききらひとか、手が不器用とかいふばかりでなく、主婦生活の殆ど一生のうち、明治大正、昭和の戦争が始まるまでの長い月日を人まかせにしても御飯をたべてゐられたからでもある。今になつて自分自身の手で何ひとつ器用に出来ないのを後悔しても、もう遅すぎる。
 さて料理や洗濯とはよほど方角ちがひの物に聖書がある。私には深いなじみのもので、おそらく私の体臭の一部分ともなつてゐるだらう。ミツシヨンの女学校だからとはいへ、聖書は教へられ過ぎたやうだ。日曜日の午前は教会に行き牧師さんのお説教を聞いた。そのお説教の前に聖書が朗読されてその中の一節を当日の説教の題とされる。それから教会でなく学校の方に日曜学校といふのがあり、英語の聖書で旧約のユダヤの歴史を教へられた。先生の教へ方によつてはずゐぶん興味ある学課であつた。これは試験はない。それから週間の日の月火木金の四日、午前十一時半から十二時まで校長先生の新約聖書の研究があつた。研究といつても一方的で、校長さんは文学が好きな人であつたから、いろいろな詩人の詩やシエークスピヤの劇の文句まで引いて聖書をたいへんおもしろく教へて下さるのだつた。これは試験があつて、よほどうまく答案を書かないとあぶない、聖書の点数を落第点なぞ貰つたら、ミツシヨンの方面にはスキヤンダルみたいな一大事なのである。
 それから又、そんな義務や義理でなく、私たち生徒が何も読む物のないとき、聖書でも、読まないよりは読む方が愉しかつた。どこでも手あたり次第で、こんなところを読んだと言つたら先生がたは驚いたらうが、一さい何も言はなかつた。女学生といふものは(おそらく現代の彼女たちもさうであらうと思ふ)どんな問題にでも、わからない事にでも興味をもつものらしく、私たち二三人はレビ記の法律のところなんぞ読んで、そのうらに潜む人事を不思議がつたりした。あなかしこといふ言葉がこんな時使はれる。
 そんなやうな長時間の読書が何かやくに立つたかと考へれば、むろん心の持ち方にも、身の行ひにも、それだけ若い時に蒔かれた種子は育つて実を結んだにはちがひないが、もつと思ひもかけない小さな思ひ出が或る時私をわらはせた。
 この国の終戦後たべる物がまだ出揃はず、家庭でパンやビスケットを焼いてゐる時分に、粉の中にバタをすこしばかり交ぜて焼きながら、そのバタの量で柔らかみが少しづつ違ふのを試食してゐる時だつた。私は旧約聖書にある予言者エリヤとまづしい寡婦の話を思ひ出したのである。暴虐な王アハブの時代、予言者エリヤがイスラエル国にはこれから数年のあひだ雨も露も降らないだらうと予言した。アハブ王はどうかしてこの予言者を捕へて殺さうと思つたが、中々つかまらないで、彼はさびしい田舎の或る寡婦の家にかくれて、そつと養はれた。国は飢饉でくるしんでゐるとき、その貧しい寡婦の家では小桶に一つかみの粉と小瓶にすこし残つてゐる油とあつただけで、三年のあひだ彼女ら母子とエリヤがその粉と油で焼いたパンを毎日たべてゐたのだが、粉も油も尽きなかつたといふ話。子供の時分に読んだその奇蹟の粉と油のことを思ひ出した、その昔から彼等は粉に油を交ぜてパンを焼いてゐたのだが、どこの国から教へられたものだらうと、もつと古くから開けてゐた国々の事を考へた。そんなやうな食物のことなぞぽつんぽつんと思ひ出して、心はどこともなく遊び歩くのである。
 慣れしたしむといふことは何によらずその人の身に色をつけ力をつける。餅は、餅屋にといふのは専門家のことを言ふのだけれど、毎日の生活に私たちの頭にひそむものや指に手馴れたものが知らずしらずに出て来るやうである。

底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:林 幸雄
2009年8月17日作成
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