このごろ少しく調べることがあって、支那の怪談本――といっても、支那の小説あるいは筆記のたぐいは総てみな怪談本といっても好いのであるが――をあさってみると、遠くは『今昔物語』、『宇治拾遺物語』の類から、更に下って江戸の著作にあらわれている我国の怪談というものは、大抵は支那から輸入されている。それは勿論、誰でも知っていることで、私自身も今はじめて発見したわけでもないが、読めば読むほどなるほどそうだということがつくづく感じられる。
 わたしは支那の書物を多く読んでいない。支那文学研究者の眼からたらば、ほとんど子供に等しいものであろう。その私ですらもこれだけの発見をするのであるから、専門の研究者に聞いてみたらば、我国古来の怪談はことごとく支那から輸入されたもので、我が創作は殆どないということになるかも知れない。
 時代の関係上、鎌倉時代の産物たる『今昔物語』その他は、主として漢魏、六朝、唐、宋の怪談で、かの『捜神記』、『酉陽雑爼ゆうようざっそ』、『宣室志』、『夷堅志』、などの系統である。室町時代から江戸時代の初期になると、元明の怪談や伝説が輸入されて元の『輟耕録てつこうろく』や、明の『剪灯新話せんとうしんわ』などの系統が時を得て来たのである。清朝の書物はあまりに輸入されなかったが、あるいは時代の関係からか、康煕乾隆嘉慶にわたって沢山の著書があらわれているにもかかわらず、江戸時代の怪談にはかの『聊斎志異りょうさいしい』を始めとして、『池北偶談』や『子不語』や『閲微草堂筆記』などの系統を引いているものは殆ど見られないようである。大体に於て、わが国の怪談は六朝、唐、五代、宋、金、元、明の輸入品であるといって好かろう。
 そこで、いやしくも著作をするほどの人は、支那の書物も読めたであろうが、かの伝説のごときは誰が語り伝えて世にひろめたものか。交通の多い港のような土地には、支那に往来した人も住んでいたであろうし、または来舶の支那人から直接に聞かされたのもあろうが、交通の不便な山村僻地にまでも支那の怪談が行き渡って、そこに種々の伝説を作り出したということは、今から考えると不思議のようでもあるが、事実はどうにもげられないのである。
 支那では神仙怪異の事という。しかもその神仙のうちで、仙人の話はあまり我国に行われていない。勿論、仙人という言葉もあり、またその事実も伝えられてはいるが、その類例は甚だ少い。仙人はわが国に多く歓迎されなかったと見える。仙人を羨むなどという考えはなかったらしい。支那で最も多いのは、幽鬼、寃鬼えんき即ち人間の幽霊であるが、我国でも人間の幽霊話が最も多いようである。同じ幽霊でも幽鬼は種々の意味でこの世に迷って出るのであるが、寃鬼は何かの恨があって出るに決まっている。わが国には幽鬼も寃鬼も多い。それは支那と同様である。
 我国では死人に魔がさして踊り出すとかいって、専らそれを猫の仕業と認めている。支那にも同様の伝説があるがまた別に僵尸きょうしとか走尸そうしとかいうものがある。これは死人が棺を破って暴れ出して、むやみに人を追うのであるが、さのみ珍しくない事とみえて、こういう話がしばしば伝えられている。年を経た死体には長い毛が生えているなどという。我国にはこんな怪談はあまり聞かないようである。
 幽霊に次いで最も多いのは狐の怪である。支那では狐というものを人間と獣類との中間に位する動物と認めているらしい。従って、狐は人間に化けるどころか、修煉しゅうれんよっては仙人ともなり、あるいは天狐などというものにもなり得ることになっている。我国では葛の葉狐などが珍しそうに伝えられているが、あんな話は支那には無数というほどに沢山あって、勿論支那から輸入されたものである。狐に次いではやはり蛇の怪が多い。我国では蛇が女に化けたというのが多く、そうして何か執念深いような話に作られている。支那でもかの『西湖佳話せいこかわ』のうちにある雷峰怪蹟の蛇妖のごときは、上田秋成の『雨月物語』に飜案された通りであるが、比較的に妖麗な女に化けるというのは少い。その多くは老人か、偉丈夫に化けて来るのであって、むしろ男性的である。そうして、その正体は蛇蟒だもうとか、※蛇ぜんだ[#「虫+(冉の4画目左右に突き出る)」、339-4]とかいうような巨大な物となって現れるのである。我国でもかの八股やまた大蛇おろちや九州の緒形三郎の父の伝説の如きは、この男性的の系統を引いているらしいが、大体に於て支那の蛇妖は男性的、我国の蛇妖は女性的が多い。
 そこで、支那と我国との怪談の相違を求めると、狐狸と一口にいうものの支那では狸の化けたということは比較的少い。決して絶無というわけではなく、老狸の怪談も多少伝えられてはいるが、狐とは比較にならないほどに少い。狸の怪談は我国の方が普遍的であるらしい。もっとも支那では熊が化ける、猿が化ける、猪が化ける、鹿が化ける、兎が化ける、犬が化ける、猫が化けるというわけで、大抵の動物はみな化けるのであるから、狸ばかりが特に跋扈ばっこすることを許されないのかも知れない。前にもいう通り、猫も勿論化けるのであるが、我国の猫騒動などというような大掛りの怪談はない。我国では、ややもすれば「化け猫」などという言葉を用いるが、支那では猫を怪物とは認めていないらしい。狸と猫は我国に於て、特に化物扱いをされてしまったのである。
 生れ変るというのは別問題として、支那では人間が生きながら他の動物に変ずるという怪談がすこぶる多い。ことに虎に変ずる例が多い。『捜神記』には女が海亀に変じたという話もある。我国には虎がまないために、虎の怪談は絶無であるが、さりとて生きながら他の動物に変じたという怪談も少いようである。
 支那でも河童かっぱというものを全然否認してはいないで、水虎などという名称を与えているのであるが、河童の怪談などは殆ど聞えない。それに似たような怪談はかわうそか亀のたぐいが名代を勤めているようである。河童の正体は恐らく、すっぽんであろうと察せられるが、どうしてそれが河童として、日本全国に拡められたのか、これだけは殆ど我国の独占といってよい。それに反して、竜は支那の専売である。我国でもたつといい、竜巻きなどともいうが、竜に関する怪異を説いた人は少い。畢竟ひっきょうは竜に類する鰐魚がくぎょや、巨大な海蛇などが棲息しないためであろうと思われる。
 支那には魚妖の話がしばしば伝えられている。魚類が男に化け女に化けて種々の妖をなすのであるが、これも我国には稀れである。支那に鮫人こうじんの伝説はあるが、人魚の話はない。ただ一つ『徂異記そいき』のうちに高麗へ使する海中で、紅裳を着けた婦人を見たと伝えている。我国でも西鶴の『武道伝来記』に松前の武士が人魚を射たという話を載せているが、他には人魚の話を書いたのは少く、人魚という名があまねく知られている割合に、その怪談は伝わっていないらしい。
 支那にも、我国にも怪鳥という言葉はあるが、さて何が怪鳥であるかということは明瞭でない。普通に見馴れない怪しい鳥を怪鳥ということにしているらしい。我国では、先ずぬえ五位鷺ごいさぎを怪鳥の部に編入し、支那では※(「休+鳥」、第4水準2-94-14)きゅうし[#「緇のつくり+鳥」、341-3]を怪鳥としている。※(「休+鳥」、第4水準2-94-14)[#「緇のつくり+鳥」、341-3]は鷹に似てよく人語をなし、好んで小児の脳をくらうなどと伝えられている。天狗も河童と同様で、支那ではあまりに説かれていない。『山海経せんがいきょう』に「陰山に獣ありそのかたち狸の如くして白首、名づけて天狗といふ」というのであるから、我国の天狗には当嵌あてはまらない。我国のいわゆる天狗は鷲の類で、人をつかみ去るがために恐れられたのであろう。
 こんな風に種類分けをすると、支那とはよほど相違しているようであるが、それは単に形の上の相違にとどまってその怪談の内容は大抵支那から輸入されていることは前にいった通りである。

底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年10月16日第1刷発行
   2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「不同調」
   1928(昭和3)年12月号
初出:「不同調」
   1928(昭和3)年12月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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