登場人物
佐々木四郎高綱さゝきのしらうたかつな
その娘薄衣うすぎぬ
佐々木小太郎定重さゝきこたらうさだしげ
馬飼子之介うまかひねのすけ
その姉おみの
高野かうやの僧智山ちざん
鹿島與一かしまよいち
甲賀かふが六郎
侍女小萬こしもとこまん
佐々木の家來など。
[#改ページ]

江州佐々木の庄、佐々木高綱の屋敷。建久けんきう元年十二月の午後、晴れたる日。中央より下のかたにかけて、大いなるうまやあり。但し舞臺に面せる方はその裏手と知るべし。中央よりすこしく上のかたには梅の大樹ありて、花は白く咲きみだれたり。奧の方には木立のひまに屋敷の建物みゆ。

(佐々木四郎高綱、三十七八歳。梅の樹の下に立ちて馬の洗足すそするを見てゐる。家來鹿島與一、四十餘歳。甲賀六郎、二十五六歳。おなじく馬の左右に立ちて見る。馬かひ子之介、二十歳前後の律義なる若者。名馬生月いけづきを厩のうしろに牽き出して洗足さしてゐる。)
高綱  けふはよい日和になつたなう。比良ひらのいたゞきに雪はみえても時候は俄に春めいて來たやうぢや。をちこちで小鳥が樂しさうに囀るわ。
與一  鎌倉どのが初めての御上洛に、かやうな日和つゞきと申すはまことにおめでたい儀でござりまするな。
六郎  お先觸れの同勢はもはや尾州びしう熱田あつたまで到着したとか申すことでござりまする。
(高綱は聞かざるものゝ如く、馬のそばに進みてその平首ひらくびを輕く叩きなどする。)
高綱  子之介、よう働くな。
子之介 はあ。(無言にて洗足さしてゐる。)
高綱  そちが陰ひなたなく働いて、あさゆふ心をつけて養うてくるゝほどに……。(家來を見かへる。)これ、見い。一時はすこしく衰へた馬も、このごろは再びすこやかに生ひ立つて、毛澤けづやもひとしほ美しうなつたわ。
子之介 (惚々と馬をみる。)よい御馬でござりまするなう。
與一  よい筈ぢや。これは鎌倉どのが御祕藏の名馬で、世にもきこえたる生月ぢや。そちも定めて存じて居らう。かの宇治川の合戰に、梶原かぢはら磨墨するすみに乘り勝つて、殿が先陣の功名させられたも、一つはこの生月の働きぢやぞ。
六郎  あの折のありさまは思ひ出しても勇ましい。名に負ふ宇治の大河たいがには、雪解ゆきげの水が滔々とみなぎり落ちて來る。川の向ひには木曾きその人數およそ五百餘騎、楯をならべて待ち受けてゐたわ。
與一  まして河の底には亂杭らんぐひを打つて、大綱小綱を張りわたし、馬の足をさゝへんと巧んである。なみ/\の者ではよも渡すまじと見てあるところへ、殿は生月、梶原は磨墨、黒馬二匹が轡をならべて、平等院びやうどうゐんうしとら、たちばなの小島が崎よりざんぶ/\と乘り入つた。
高綱  (遮る。)えゝ、珍らしうもない。おけ、おけ。(馬にむかひて。)なう、生月。かの宇治川を初めとして、つゞいて一の谷、八島やしま、壇の浦、高綱と生死しやうしを共にして、そちも隨分働いたなう。が、それも今はむかしの夢で、そちも高綱も再び功名をあぐる時節はあるまい。あたら名馬も飼殺しぢや。(嘆息しつゝ子之介にむかひ。)けふは二日、そちが亡父なきちゝの命日ぢやぞ。もうよいほどにして身を清め、佛前に囘向いたせ。
子之介 はあ。
高綱  もうそれでよい。厩へ牽いて繋いでおけ。
子之介 はあ。(馬をひかんとすれど動かず。)えゝ、なにが氣に入らいですねるのぢや。さあ、行け。ゆけ。つ、叱つ。
(馬はなほ動かず。與一と六郎も立寄る。)
與一  えゝ、どうしたものぢや、叱つ、叱つ。
六郎  さあ、行け、行け。
(三人は無理に牽かんとすれば、馬は狂ひて蹴散らさんとす。六郎倒る。與一等はうろたへ騷ぐ。馬は狂ひて走りゆかんとするを、高綱は遮りてその轡を取る。)
高綱  えゝ、なにを狂ふぞ。そちにも氣に入らぬことがあるとみゆるな。高綱も狂ひたいは山々ぢやが、狂うたとて藻掻いたとて所詮は無駄な世のなかぢや。まあ、鎭まれ、鎭まれ。(馬にむかつて諭すやうに云ふ。)
與一  (馬にむかつて罵るやうに。)この横着ものめが……。殿樣が直々ぢき/\にお手をかけられたら、この通り、おとなしくなつてしまうたわ。
(高綱は馬の口をとりて、子之介に渡す。子之介うけ取りて厩のうしろへ牽いてゆく。六郎は馬盥ばだらひなど片附ける。高綱の娘薄衣うすぎぬ、十六七歳。侍女小萬こしもとこまんを連れて、下のかたより出づ。)
薄衣  父上樣、これにお出でなされましたか。
高綱  日和がよければ厩に出て、馬に洗足さするを見てゐたのぢや。
薄衣  石山寺いしやまでら參詣のかへり途に、ついそこで旅の御出家樣にお逢ひ申しましたれば、お連れ申してまゐりました。
小萬  お見受け申したところが、ありがたさうな御出家樣。路をいそぐと一旦はお斷りなされましたを、無理にねがうて御案内申しました。
高綱  今日はこゝろざす佛の命日。よくぞそこに心が注いた。して、その御坊は…………。
薄衣  (小萬を見かへりて。)早うこれへお通し申しや。
小萬  はい、はい。(引返して去る。)
高綱  (六郎を見かへる。)女子をなごばかりの出迎ひは無禮であらう。そちもまゐつて御案内申せ。
六郎  はあ。(去る。)
高綱  薄衣と與一は奧へまゐつて、ときをまゐらする用意なといたせ。
薄衣  かしこまりました。
(薄衣と與一は奧へ去る。六郎と小萬は高野かうやの僧智山ちざんを案内して出づ。智山は四十餘歳、旅すがたにて笠と杖とを持つ。)
高綱  (會釋して。)ひじりにはゆく手を急がせらるゝとか承はつたに、ようぞお立寄りくだされた。毎月二日はほとけの命日でござれば、誰にかぎらず、門前をすぐる出家をよび止めて、囘向を頼みまゐらするが家例でござる。
智山  唯今御息女よりも右樣の儀をうけたまはつたが、さりとは御奇特ごきどくのことに存じまする。してお身が佐々木殿でござるよな。
高綱  申しおくれたれど、それがしは佐々木四郎高綱、なにとぞ御見知り置きくだされい。
智山  拙僧は高野の山にすむ智山と申す者、諸國修行のために陸奧みちのくへ下り、歸り途には鎌倉より伊豆をめぐりて、これより歸山の道中でござる。
高綱  では、東海道を上られたか。
智山  あたかも鎌倉の將軍が上洛の道筋とて、宿々しゆく/″\は以てのほかの混雜、われ等のやうな痩法師はこゝでもかしこでも追ひ散され、いやさん/″\の目に逢ひ申したよ。はゝゝゝゝ。
高綱  (打笑む。)それは定めて御迷惑のことゝお察し申した。(六郎を見かへりて。)床几しやうぎを持て。
六郎  はあ。
(六郎と小萬は奧に入る。)
高綱  して、鎌倉の同勢にはどこらあたりでお逢ひなされた。
智山  熱田の手前で一つになりましたが、かの同勢は二三日そこに逗留とか承はつたれば、そのにわれ等は通りぬけて、一足先に發足いたした。が、その行列の華やかさ、實に眼をおどろかすばかりでござつた。(高綱は耳をかたむけて聽く。)先づその人數は四五千騎もござつたか。
(六郎と小萬は床几を持ち來る。高綱は頤にて智山にすすめよと命じ、おのれも亦床几に腰をおろす。六郎と小萬は一禮して去る。)
智山  (床几に腰をおろして語りつゞく。)將軍はいづこにおはすか存ぜぬが、先供さきどもには北條、梶原、三浦、畠山、あとおさへには土肥どひ安達あだち……なほ數々の大小名が平家の殘黨に備ふる用心もござらう、諸國に威勢を示すためでもござらう、いづれも甲冑よろひかぶと爽かに扮裝いでたつて、家々の紋打つたる旗をたてさせ、小春日和の海道筋を長々と練りゆくありさまは、勇ましいとも美々しいとも譬へて申すべきやうはござらぬ。まことに前代未聞との取沙汰、われ等もこの年になるまでに、かやうな目ざましい上洛は初めて見申したわ。われ等は出家の身で、うき世のことを兎かう申すではなけれども、頼朝といふ御人は果報めでたくおはすよなう。
高綱  (ひとり言のやうに。)それも皆この高綱故ぢや。恩知らずめが……。(罵る。)
智山  恩知らずとは……。(聞き咎める。)
高綱  (苦笑ひして。)いや、これはお聞かせ申しても詮ないことぢや。先づそれよりも、高綱の懺悔を一過りお聞きくだされぬか。今日こんにち御囘向をたのみまゐらする佛と申すは、わが身寄りでも無し、敵でもなし、味方でも無し、罪なくして相果てたる紀之介きのすけといふ馬士まごでござる。
(高綱は眉を皺めて、空をあふぎつゝ起つて徘徊す。智山は珠數を爪繰りながら聽く。厩のかげより子之介忍び出でておなじく聽く。)
高綱  (しばらくして。)かぞふれば十年以前、治承ぢしよう四年の秋のはじめ、蛭ヶ小島に於て頼朝が旗をあぐるといふ噂、ひそかに都へもきこえたれば、われ眞先に見參に入り申さんと、忍んで伊豆へ下りしが、浪人のかなしさには馬も有たず、徒歩かちにておぼつかなくも辿り辿りて、八月二日のあかつきに野洲やすの河原にさしかゝると、まだ明けやらぬ朝霧のあひだより、雜鞍ざふくら置いたる馬を追うて來る者がござつた。これ幸ひとよび止めて馬を借受け、むかうの岸までは渡りしが……これより遠き旅をゆくに、馬の足をらでは不便なり、ぬすみて逃げんと馬をはやめて、二三町ばかり駈けぬくれば、馬士はおどろき追ひ來りて馬盜人よと罵りさわぐ。かくては是非も無し、馬をかへさば大事の間に合ふまじと……。こゝろを鬼にして……。
智山  (思はず叫ぶ。)あら、無慚……。由なき殺生をせられたよな。
高綱  馬を返さんとあざむいて、油斷を見すまし……。(突く眞似をする。しばしの沈默。)斯くしてやう/\馬を得たれば、無事に伊豆まで乘りつけて、おなじ月の十七日には八牧やまき屋形やかたを攻めほろぼし、源氏再興のもとゐをひらく。その後のことは申すまでもござらぬ。が、たゞ不憫なるは彼の馬士にて、その名を紀之介と申す由、かれの口より聞きたるを手がかりに、平家沒落の後この國中を隈なく詮議したるも容易に相分らず、このごろに至りて栗田の里に子之介といふ若者あり。(厩のかたを見る。子之介あわてゝ隱れる。)これぞ彼の紀之介の忘れがたみと知れたれば、呼び取りてあつく扶持せんと存ぜしに、彼はほかに望み無し、おのがなりはひは馬士なれば、馬飼ならば奉公せんと申すによつて、その云ふがままに厩の小者として召仕ひ、けふまで屋敷に置きまするが、これだけにて高綱の罪が消えませうか。せめては亡人なきひとの菩提を弔ふために、月の二日を命日とさだめ、供養をおこたらず營んで居ります。
智山  (うなづきて。)して、その子之介と申すは、いつの頃より當家に身を寄することゝ相成りましたな。
高綱  三月ほど以前でござらうか。
智山  恨みを捨てゝかたきに奉公し、勤めぶりに如才はござらぬか。
高綱  かげひなたなく正直に立働いて居りまする。
智山  それもまた奇特のことでござる。み佛は恩怨無二と説かせられた。
高綱  恩怨無二……。(かんがへる。)佛のをしへを學べばそのやうに悟られまするか。
智山  ほとけの教を學ばずとも、悟らるゝものには悟らるゝ道理ぢや。現に彼の子之介とやらも、お身をかたきと恨んでは居らぬと申すではござらぬか。
高綱  子之介が高綱を恨まぬは、心からその罪を謝するといふ人のまことに感じたのではござるまいか。至誠はしんを動かすとかうけたまはる。もし我に心のまことがなくば、かれも飽まで我を恨みませうぞ。天下の人に皆まことがあらば、高綱にも不足はござるまいに……。
智山  佐々木殿ほどの勇士にも、なにかこの世に御不足がござるかな。
高綱  勇士なればこそ悶ゆる胸をおさへて、かやうに生きても居られまする。弱いものなら疾うの昔に、狂ひ死でもして居りませうわ。(と起つ。)御坊ごばう、なぞこの世の中にはまことなき奴儕やつばらがはびこつて、正しきものがしひたげられるのでござらうな。
智山  (騷がず。)正法しやうほふ千年、像法ざうほふ千年の世はすぎて、今は末法の世でござる。それを救はんがために、われ等も努めて居るとは知られぬか。
(高綱はかんがへてゐる。奧より與一出づ。)
與一  御用意整うて居りまする。
高綱  (うなづきて。)さらば、御坊。
與一  どうぞお通りくださりませ。
智山  (起ちあがりて。)御案内おたのみ申す。
(與一は智山を案内して奧に入る。)
高綱  (厩を見かへりて。)子之介は居らぬか。子之介、子之介。
(厩のかげより子之介は着物を着かへて出づ。)
高綱  御坊を佛間へ招じたれば、やがて讀經も始まるであらう。そちも參つて囘向いたせ。
子之介 はあ。
(高綱は奧に入る。子之介もつゞいて入らんとする時、下のかたより佐々木小太郎定重、廿餘歳出づ。)
定重  こりや馬飼のもの、叔父上はお宿にござるか。
子之介 はい。唯今高野の御出家樣がお越しなされて、御佛間へ御案内なされました。
定重  おゝ、左樣であつたか、御佛事の場所へみだりに推參も如何。兎もかくも定重まゐりしと申上げてくりやれ。
子之介 かしこまりました。(奧に入る。)
定重  (ひとり言。)合點のゆかぬはこの頃の叔父上のありさまぢや。鎌倉殿上洛の人數も早や美濃路まで進まれたと聞くに、御出迎ひの用意もなく、そしらぬ顏して日を送らるゝは、もいかなる次第であらうか。(おくにてかねきこゆ。)おゝ、讀經ももはや始まつたと見ゆるな。
(奧より薄衣出づ。)
薄衣  小太郎どの、お越しなされましたか。
定重  おゝ、薄衣どの。叔父上は佛間にござるさうな。
薄衣  はい。先づ奧へお通りなされませ。
定重  いや、けふは少しく心もせけば、こゝにて暫時相待ち申さう。
薄衣  ではそれへお掛けくださりませ。
(定重は上のかたの床几にかゝる。薄衣は梅の樹に倚りて立つ。)
定重  叔父上の御機嫌はこのごろ何うでござるな。
薄衣  別にかうといふこともござりませぬが、兎かくにお氣が暴々あら/\しくなつて……。瑣細なことにもおむづかりなされて……。そばにゐる者もはら/\するやうな。
定重  御病氣ともみえませぬか。
薄衣  御病氣のやうでもござりませぬが……。(眉をひそむ。)
定重  はてなう。(かんがへてゐる。)
高綱  (奧より出づ。)小太郎、まゐつたか。
(定重は起つて床几をゆづる。高綱は床几に腰をかける。定重は薄衣にすゝめられて、下のかたの床几にかゝる。)
定重  早速でござりまするが、將軍御上洛の同勢はもはや美濃路まで到着とうけたまはる。やがては當國へ進ませらるゝ御日取りでござれば、叔父上にも御出迎ひの御用意いかゞでござりまするな。(高綱答へず。定重はその氣色をうかゞひて。)父は昨夜すでに出發いたしてござる。(高綱はなほ答へず。)そのみぎり、父が申しまするには、其方は叔父上のおん供して、今夕刻よりつゞいて出發いたせと……。
高綱  (不興げに。)兄上が左樣申し殘されたか。
定重  はあ。
高綱  其方は父の指圖にまかせて、ゆきたくば勝手にゆけ。叔父はいやぢや。(定重おどろく。)高綱は行かぬぞ。
薄衣  このあひだからお勸め申して居りまするに、なぜ御出迎ひはなされませぬ。將軍の御上洛には途中までお出迎ひ申すが武家の習。なう、小太郎どの。
定重  鎌倉の將軍頼朝公がはじめての御上洛、武藏相模は申すにおよばす、海道の大小名はすべておん供に加はるなかに、叔父上ばかりが御不承知とは……。
高綱  おゝ、不承知ぢやよ。鎌倉の將軍がなんぢや。頼朝がなんぢや。あの大がたりの大嘘つきめが……。
薄衣  あ、もし、うか/\とそのやうなこと……。
定重  萬一餘人の耳に入りましたら……。
高綱  おそろしいと申すのか。(あざ笑ふ。)嘘つきなればこそ嘘つきと云うたがなぜ惡い。こりやよう聞け。石橋山いしばやまのたゝかひ敗れて、頼朝めは散々の體たらく。噛合ひに負けた痩犬のやうに、尻尾をまいて這々はふ/\の體で逃げまはる。暗さは暗し、雨はふる。木の根や岩角につまづいてこけつまろびつ、泥まぶれになつて這ひあるくそのざまは……。わはゝゝゝゝゝ。さりとてわれに取つては譜代の主君ぢや。命を捨てゝもその難儀を救はねばならぬと、高綱かけ付けて扶け起し、それがしおん名をたまはりて防ぎ戰ふあひだ、君には疾く/\落ちさせたまへと云へば、頼朝めは拜まぬばかりによろこんで、おゝ、わが身がはりに立つてくるゝか、佐々木は日本一の大忠臣ぢや。われもし生きて天下を取らんには、その恩賞として日本の半分をわかち取らすぞと、諸人の聞く前でたしかに誓うた。
定重  右樣みぎやうの儀はかねて父よりうけたまはつて居りまする。そのをりに叔父上がおん身代りに相立たずば、頼朝公の御運も危かつたかとも存じられまする。
高綱  高綱が源頼朝と名乘つて……おもへば馬鹿な。大童おほわらはとなつて必死にたゝかふ間に、頼朝めは杉山まで逃げ込んだ。高綱も幸ひに命をまつたうした。つゞいては宇治川先陣の功名、それだけでも二ヶ國三ヶ國のあたひはあらう。さて頼朝めは思ひのまゝに世をとつて、天下の大將軍と仰がれながら、命の親の高綱にはなにほどの恩賞をくれたと思ふぞ。日本の半分は云ふもおろか、四半分の又その四半分にも足らぬ捨扶持をくれたばかりで、おのれはあつぱれ主人顏ぢや。征夷大將軍、源氏の棟梁とか勿體らしく名乘るものが、恩をわすれ、約束を破つてすむと思ふか。
定重  一應御もつともではござりまするが……。(返事に困つてゐる。)
高綱  勿論、高綱もだまつては居らぬ。石橋山の御約束はもはや御忘れなされたかと、たびたび催促に及ぶといへども、四の五の云うて埓があかぬ。それにまた土肥の、安達の、三浦のといふ腰拔どもが、かしこ振つた面をして、そのやうなことを申すは第一に不忠ぢやの、やれ君命には背くなの、長いものには卷かれろのと、理を非にまげて意見をし居る。(定重をみて。)其方の父なども同じくその腰拔け仲間ぢや。えゝ、ばか/\しい。主人は約束にそむく大嘘つき、まはりの奴儕やつばらはへつらひ武士や臆病者、右を見ても左をみても、癇に障ることばかりが疊まつて來るわ。
(高綱は立つて梅の枝をねぢ折り、落花微塵に引きちぎつて地に投げ付ける。)
定重  われ/\若輩者が押して申上げましたら、定めてお叱りもござりませうが、今もむかしも道理ばかりでは濟まぬ世の中でござりまする。たとひ叔父上に十分の道理がござりませうとも、いまさら鎌倉の將軍を相手取つて、理非を爭ふなどとは及ばぬこと。どのやうな御不足がござりませうとも、堪忍あそばすがお家の爲、このたびは何とぞそれがしをお供に連れられて、まげて國境くにざかひまで御出迎ひを……。
高綱  最前も申した通り、ゆきたくば其方ひとりで行け。
定重  くどうも申すやうなれど、お家を大事と思召されて……。
高綱  えゝ、面倒な。家がなんぢや。高綱がけふ限りで家を捨てたらなんとする。
薄衣  え、もし、父上樣……。(思はず縋らんとす。)
高綱  (ぢつと娘の顏をみたるが、又つき退ける。)こんな馬鹿々々しい世のなかに、生きてゐる奴の氣が知れぬわ。
定重  では、どうあつても御出迎ひには……。
高綱  まだわからぬか。くどい奴ぢやなう。
(高綱は奧に入る。あとにふたりは顏を見あはせる。)
薄衣  今更ならねど父上のはげしい御氣性、一旦かうと云ひ出されたら、容易に思ひ返しはなされまい。困つたことでござりまするなう。
定重  このたび將軍御上洛には海道筋の大小名、いづれも人數をひき連れて、路次の警固をつかまつるとあるに、叔父上のみ御不參とこれあつては、後日の御咎は逃れまい。まして將軍のお側には、日ごろより佐々木一家いつけとは仲違なかたがひの梶原父子おやこもひかへて居れば、この機に乘じていかなる讒言を申立てんも測られず、油斷せば家の大事……。(思案して。)兎もかくも一旦は立歸り、出發の用意をとゝのへて、再びお迎ひにまゐるでござらう。
薄衣  もし父上が飽までも御不承知と仰せられたら……。
定重  是非に及ばず、それがし一人にてまゐるまでぢや。萬一叔父上が御不興を蒙るとも、それがし父子が申しなだめて、無事を計るが一族のよしみ……。(詞優しく。)かならず御心配あるな。
薄衣  なにとぞ宜しくたのみまする。
定重  さらば重ねて……薄衣どの。
薄衣  御出發の折には今一度お立寄り下さりませ。
定重  無駄とは思へどお誘ひにまゐらう。
(ふたりは會釋して、定重は下のかたに入る。薄衣はあとを見送りて思案顏にたゝずみしが、これも思ひ直して奧に入る。下のかたより子之助の姉おみの、廿二三歳の農家の娘、旅姿にて出づ。)
おみの (あたりを窺ひて。)子之介は厩にゐると御門で教へられたが、はて何處へ行つたことであらう。
(奧より子之介出づ。)
おみの おゝ、弟……。
子之介 姉樣あねさまか。(なつかしげに寄る。)ようたづねて來てくだされた。
おみの このごろは時候もおひ/\に寒うなつて來たが、別に變ることもないかや。
子之介 はい、幸ひに達者で暮してをりまする。
おみの それでわたしも安心しました。
子之介 けふは月こそ違へ、父樣とゝさまの御命日で、今まで奧で御囘向をして來ました。
おみの 奧で……。(かんがへて。)そなたひとりで御囘向をしてゐやつたのか。
子之介 殿さまと御一緒に……。
おみの 殿樣も御一緒に……。人間ひとりを慘たらしう殺して置いて、囘向さへすれば、罪が消ゆるかなう。(冷笑ふ。)
子之介 (愁はしげに。)姉樣。お前はやつぱり殿樣を恨んでゐるのぢやな。
おみの (左右を見まはす。)これ、そこらに人はゐぬか。(子之介うなづく。)恨むが無理か、積つてもみやれ。父樣は正直律義のお生れで、日ごろから露ほども曲つたことはせられなんだに、よい人にも惡い報いが來て、十年以前野洲の河原で何者にか斬り殺され、牽いてゐた馬はぬすまれた。その時わたしはまだ十三、そなたは十一で碌々に物心もつかず、唯おろおろと途方にくれて、姉弟きやうだい手を取つて泣いてゐた。(なみだを拭ふ。子之介もうつむいて聽く。)かたきは誰か知らねども、見つけ次第に唯は置くまいと、歎きのなかに胸に刻んで今まで月日を送るうちに、神佛かみほとけのひきあはせか、かたきは知れた……。(再び左右をうかゞひて。)かたきは佐々木高綱とおのれの口から名乘つて來た。
子之介 十年以前野洲の河原で馬士まごを殺したはわが仕業と、あからさまに名乘つて出て、ゆかりのものを探し求め、むかしの罪を償ふために、あつく扶持して取らせると、御領主樣からお觸れが出たときには、夢かとばかりに驚きました。
おみの おどろきと悲みと喜びとが一つになつて、一旦は思案にも惑うたが、かたきが我から名乘つて出たこそ幸ひ、その屋敷へ入り込んで、すきもあらば恨みのやいばをかたきの胸に刺し透さうと、約束したを忘れはせまい。こゝへ奉公住みして足かけ三月のあひだに、討つべき隙はなかつたか。そのたよりが聞きたさに、けふはわざ/\尋ねて來ました。
子之介 隙もあらばかたきを討たうと、刃を呑んで住み込みましたが、あくまで前非を悔いた佐々木どの、この子之介のまへに兩手を突いて、ゆるしてくれとお詫びなされた。そのまごころがおもてにあらはれて……。
おみの 討つべきこゝろもにぶつたか。えゝ、云ひ甲斐のない卑怯者、臆病者……。最前もいふ通り、罪もない人間ひとり殺して置いて、わびて濟まうか。囘向して濟まうか。それで堪忍がなるほどなら、けふまで泣いて暮らしはせぬ。廿歳はたちを越しても齒を染めぬ姉の覺悟をなんと見た。姉弟きやうだいが心ひとつにして、馬盜人のかたきの奴めを……。
子之介 もし。(聲高しと制する。)
おみの そなたは疾うからこゝに住み込んで、屋敷の案内も知つてゐやらう。今夜にも姉を手びきして……。これ、默つてゐるのは不承知か、但しは今更おくれが出たか。
子之介 むかしの罪を後悔して、毎月二日を命日に、佛事供養をかゝさず營んでくださる殿樣を、いまさら執念しふねく恨むのは……。もし、姉樣。父樣の死んだのは是非もない災難ぢやと……。
おみの なに。(屹となる。)
子之介 どうぞ諦めてくださりませ。
(おみのは呆れた體にておとゝの顏をぢつと眺めてゐたりしが、やがてわつと地に泣き伏す。)
子之介 もし、姉樣。(立寄つて取縋る。)
おみの (狂ふがごとくに突き退ける。)えゝ、寄るな、寄るな。現在の親のかたきを眼の前に置きながら、おめおめと見てゐるやうな不孝ものに、姉と呼ばるゝおぼえはない。
子之介 たとひ佐々木殿を討つたとて、死んだ父さまが返りませうか。よしない罪を作らうよりも……。
おみの えゝ、卑怯者…… 不孝者……。もうこの上はそなたは頼まぬ。なんの相手が武士さむらひぢやとて怖ろしいことがあらうか。かたきは妾ひとりで見事に討つてみせう。
(おみのはかゝへたる絲楯いとだてをときて、山刀をとりだす。子之介おどろきておさへんとす。)
おみの (振拂ひて。)えゝ、邪魔するな。放しや、放しや。
(おみのは突退けて奧へ駈けゆかんとするを、子之介はあわてゝ遮る。)
子之介 いかにおきなされても、女ひとりで奧へ踏み込まうなどとは狂氣の沙汰……。もし仕損じたらなんとなさる。まあ、お待ちなされませ。
おみの とめるな、放しや。
子之介 でも、このまゝに遣ることは……。
(おみのは又ふり切つて行かんとするを、子之介は必死となりて縋りとめ、無理に厩のかげへ連込む。下のかたより佐々木小太郎定重、花やかなる鎧をつけて弓を持ち、家來數人を引連れて出づ。)
定重  (家來を見かへりて。)先刻の樣子では、叔父上にもまだ御支度はなされまい。それがし參つておすゝめ申す間、其方どもはこれに控へてをれ。
家來  はあ。
(定重は奧へゆかんとする時、奧より佐々木高綱は頭髻もとどりを切りたる有髮うはつ僧形そうぎやう。直垂の袴をくゝりて脛巾はゞきをはきたる旅姿にて笠を持ち出づ。あとより薄衣、與一、六郎、小萬等は打しをれて送り出づ。)
定重  (おどろく。)や、叔父上には……。
高綱  弓矢は折つた。太刀も捨てた。熊谷蓮生坊くまがひれんしやうばうの二の舞ぢや。(笑ふ。)
定重  これは又思ひもよらぬこと、佐々木四郎高綱と日本中にきこえたる弓取が、にはかに浮世を捨てられたは……。
高綱  戀しい浮世ならばなんで捨てよう。いつはり者が上にたつ世の中、へつらひ武士がはびこる世の中、けがれた世の中、面白からぬ世の中、このやうな世の中は高綱の住むべきところではない。
定重  では、この世の中を見限つて……。
高綱  (罵るやうに。)おゝ、この世の中に愛想がつきたわ。
薄衣  幾たびおとゞめ申しても、お聞き入れがないばかりか、高野のひじりのおん供して、これからすぐにお立ちとは、情ないことでござりまする。
定重  これからすぐに高野へ山入りとな。
與一  折も折とて高野の聖が、こゝへお立寄りなされたので、にはかに出家の思召、まことに夢のやうに思はれまする。
六郎  さなきだに世の中が面白からぬと仰せられてゐたところへ、恰も將軍の御上洛、その御出迎ひを強ひられる蒼蠅うるささに、いつそ武士を捨つるとのお詞でござりまする。
高綱  委細は今聞く通りぢや。かならず騷ぐな、おどろくな。兄上に逢うたらばそのおもむきを確と申傳へてくりやれ。
(定重茫然。奧より智山出づ。)
智山  方々のおどろきも嘆きももつともぢや。われ等も一應はかうべをかたむけたが、勇猛直前ぢきぜんは勇士の本意、たとへば風を剪つて飛ぶ矢のごとくで、おのれが向はんとするところへ向ふよりほかはござるまい。(風の音して梅の花散る。)おゝ、花がちる。佐々木どのにはこれをなんと見らるゝ。
高綱  (うち笑む。)西行さいぎやうのやうな涙もろい男なら、無常を感じて泣くでござらう。
智山  おん身の悟りは……。
高綱  高綱に悟りはござらぬ。
定重  悟らずして世を捨てらるゝは……。
高綱  こんな世の中にうろ/\してゐるのが、忌々しいからぢや。
智山  それも一種の悟りであらうよ。はゝゝゝゝ。
高綱  はゝゝゝゝゝ。(厩にむかひて。)生月をこれへひけ。
(子之助は生月を牽いて出づ。)
子之介 殿樣、委細はあれで伺ひました。
高綱  聞いたとあらば重ねて云ふまい。これより聖のおん供して、高野へまゐる。頭をそりこぼてば高綱も法師ぢや。其方が父紀之介の後生安樂を祷るであらうぞ。
子之介 ありがたうござりまする。(馬の口を取る。)さあ、お召しなされませ。
高綱  いや、今からは聖の御弟子ぢや。(智山にむかひ。)師の御坊には鞍に召しませ。われ等が車匿童子しやのくどうじとなり申さう。
智山  鎌倉の將軍にも頭をさげぬ佐々木殿が痩法師の馬の口を取らるゝか。さりとは面白い。しからば御免。(馬に乘る。)
(高綱は馬の口をとりて行かんとす。薄衣、小萬、與一、六郎、左右より走せ寄り、無言にて袂にすがる。)
高綱  薄衣は小太郎といひなづけの仲ぢや。やがては祝言して睦じう暮せ。與一そのほかも堅固であれ。やあ、小太郎。
定重  はあ。(進み寄る。)
高綱  高綱一家のあとをたのむぞ。
定重  委細承知つかまつりました。
高綱  よし。(取られし袂をふりきつて。)さらば……。
(行かんとする時、厩のかげよりおみのは山刀をぬき持ちて走り出づ。)
おみの 父樣のかたき……。(切つてかゝる。)
高綱  (身をかはしてその手をとらへ。)誰ぢや。(顏をみて。)おゝ、子之介の姉か。(微笑みながら突きはなす。おみの倒れる。)こゝにも悟られぬ人があるなう。
智山  冬の日のくれぬうちに大津おほつ宿しゆくまで。
高綱  はあ。
(高綱は馬の口を取りてゆく。皆々あとを見送る。おみのは又起ちあがりて行かんとするを、子之介は抱きとめる。三井寺の鐘の音きこゆ。)
――幕――

底本:「修禅寺物語 正雪の二代目 他四篇」岩波文庫、岩波書店
   1952(昭和27)年11月25日第1刷発行
   2008(平成20)年2月21日第7刷発行
初出:「新富座」
   1914(大正3)年10月初演
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「子之助」と「子之介」混在は、底本通りです。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2010年5月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。