日射しの暖かい南向きの窓に、開くともなしに、美しい装釘の本をひもどく、といった、読書のよろこび、「閑」というこころもちの深い厳しさ、こんな世界から、だんだん遠ざかりつつある。
 どこへ行くのであろう。時々こんなこころもちになる。私のいる部署は実に五百人の人々が、タイプライターの機銃のような音、電話、交渉、書類の交錯の中で朝八時半から五時の夕暮まで、一分の暇もなしに働きつづけているのである。しかも、それが読書の組織の内部機構にほかならないのである。
 議会への立法サービス、大小となく議員からの質問、または調査の依頼、早いのは二、三日の中に回答をしなければならない。さらに各省その他に二十四の支部図書館があって、全体で三百八十万冊の書籍に対して相互研究の便宜の道と、各図書の綜合リードすなわちユニオン・カタローグの課題が待っているのである。一般国民に対しても、三十六万の現存図書の自由回覧のサービス、および質問に対する調査業務が課せられている。また全国の図書館のユニオン・カタローグは二十五ヵ年計画で進められている。これが完成のあかつきは、日本国中の図書館のカードが本館に集まることとなるのである。さらに全国の図書館にかわって、図書のカードをつくって、それを印刷してそれを全国の図書館に流し作業をすることも任務の一つとなっている。この四月までに出版後一月で日本の出版図書のカードが印刷され得るところまで到達する予定である。
 学術会議の図書館も支部図書館となることで、全学術文献は雑誌所載の内容を、小さくまとめて摘録して、間断なく報告する任務が、来年度から私たちの課題となってきたのである。国際業務部では、外国との図書交換の事務、ことにスミソニアンの交換事務を一手に引き受けて、外国からの書籍を各大学に送ることと、各大学からきたのを、外国の各国に送る事業をやっている。七十五坪の一階にいっぱいの書類にうずまって人々は動いている。
 レコードも納本形式で入りつつあるので、三月からレコード・コンサートがおこなわれることとなってきた。次はフィルムの収集が来年度のプランとなることであろう。納本制度は二年目の今年度になって、ようやく月額一千冊を越えるにいたったので、大いに意を強くしているのである。新聞も、全新聞をのこす意気でもって、やがてマイクロフィルム、すなわち一頁を一コマの映画フィルムに収めて保存することにしている。貴重な書籍は、このマイクロフィルムに取って、拡大器で見るようにして、米国製の撮影機でその活動に入ってきているのである。
 こんなに書いていってみると、もはや本を読むということは、浄机明窓で静寂境の楽しみどころではなくして、私にとっては一つの大工場である。その工場の一技師長にしかすぎないのである。物ごとが巨大になりすぎている。しかも、その一つ一つが避けるべからざる必然性をもって、私をその部署に縛りつけ、それに対して、油の少なく引かれた機械の正確性をもって順応せざるをえないのである。この世界での寂けさは、精密機械の工場のもつ静謐である。
 しかし、私はようやく、この静寂が、決して、単に不快なものではないことを、みずから確かめつつある。個性の危機を乗り越えて、集団の部署の一員として、みずからの全性格をその中に投じ去ることのもつ命の味は、また世代の一つの戦慄である。
 自我を没し去って、全機露呈するときに横溢する働きの中の静寂は、ある意味において快いものがある。もちろん、敵もあれば、心肝も摧く、謀略にも遇う。しかし、そこにこそ湧く爽爽しい緊張もまた捨てがたき命の味もあるというべきであろう。
 図書館協会も、本館内にあり、その仕事をも承わっている私は、二倍の意味でこの工場化を感ずるのである。もはや全図書館は、一つ一つベルトを巻いて全動力となるべき図書館組織である。図書館法案が通過するとき、その時まさに大組織体として出発するのである。
 公共図書館が一万、学校図書館四万五千の単位で結合するとき、それはすでに購買組織としても巨大である。良書一千の単位の購買を獲得できるのはもはや遠い将来ではない。八千円文庫ですら今八百の単位を戦いとったのである。
 希くば、この十二社で、基本図書、教養文庫の一万円文庫の計画を立てて戴き、図書館協会の組織と組み合わせて大いなる威力だと思っている。国会図書館の印刷カードが一枚二円でその文庫に加えうるときも、もはや時期の問題であろう。
 中央でこんなに働きつづけている地下室のものがおればこそ、遙かなどこか日当たりのいい南向きの窓で、誰かが、楽しく寂かにいい本を読むことができ、また読んでいることだろうと、自分にいいきかせて、わずかに、この窓から私は、みずからを慰めている次第である。
*『ブックス』一九四九年三月号

底本:「中井正一全集 第四巻 文化と集団の論理」
   1981(昭和56)年5月25日第1刷
初出:「ブックス」
   1949(昭和24)年3月号
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2009年8月23日作成
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