三年前、第一回の支部図書館準備会の会合に出席した人々の何人が、この三年目の今日、かかるかたちで三周年を迎えることができると想像しえたであろう。「大陸の法律をやっている私たちには、かかる機構は考えにくいのだ」と、わが館の牧野英一専門調査員がその席上で独語しておられたくらいであるから、大半は、その前途に半信半疑であった。
 あわやというような瞬間が、第一回の会合ではあったのであった。私は憮然として丹那トンネルの困難を説いて、もしこれが不可能なら、その不可能の記録を残すべきであると申し上げたのであった。幸いに全省および法務府、最高裁判所の全部の参加を得て、日増しにその発展をみたのであった。
 最初の困難は、各省に図書館自体のスペースがないことであった。このことから私たちは図書館概念の変革というスローガンをかかげ、「実体概念より機能概念へ」と合い言葉をつくったのであった。
 図書館の広さと、本の量、これが図書館を形成するものでは決してないことを私たちは取り上げたのであった。カードの整備とリストの完全なものさえあれば「どこかの本」を「誰かの机」の上に伝達することはできるのである。大切なのは「本を読む」はたらき、機能ファンクションさえ果たされればよいのであって、本と図書室という実体サブスタンスそのものは必ずしも、その当体がもっていなくてもよいのである。
 この議論を最初に取りあげられたのは近藤康男氏を首班とした農林省の図書機関であった。八つの研究所と、渉外課、調査局とを打って一丸とする組織の事務局として、図書課なるものが出現したのであった。「室」から「課」に移ったとき、それは実体概念から機能概念が新しく生まれ変わったのであった。そして農林省は、自分のところには室も本もなくして、ただリストの整備によって、そのころのわが館の官庁出版物を五〇パーセントは利用したのであった。
 今や、アメリカのファーミントン・プランに準ずる官庁機構の大組織が、アメリカにもないかたちでできあがりつつある。三年にしてここまできて、全官庁が機能的組織で一つになって立ち上がりつつあることは、まことに感慨深いものがあるのである。
 電話網で、四百万冊の本を探ることができ、たいてい二十分間でその回答を得ることは、三年間の夢であり、一九五一年の私の現実となっているのである。
*『びぶろす』一九五一年十一月号

底本:「中井正一全集 第四巻 文化と集団の論理」
   1981(昭和56)年5月25日第1刷
初出:「びぶろす」
   1951(昭和26)年11月号
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2009年8月23日作成
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