夜の家庭の雑談の中で、十歳の女の子が、「神様はほんとにあるの、地球の外は宇宙でしょう。神様は何処に棲むの?」と問うた。
 皆はっと顔を見あわせて、一瞬たじろいだ。そう簡単に答えられる問いではない。
 死んだ母が天にいると先達まで固く云いきっていた十歳の子に芽生えた疑問なのである。
 どの大人も、この至純な問いをつづけることを怠り、その問いそのものを掌から落しているにしかすぎないのである。それは成長ではなくして、只堕落にしかすぎないのである。
 ルソーは「エミール」で、五歳の子をほんとうに五歳たらしめよ、十歳の子をほんとうに十歳の子供たらしめよ。そのとき、ほんとうの二十歳の青年、人間が生れるであろう、と云っている。
 十歳の子供の問いと、夢は、大人のいかなる饒舌な哲学よりも、至純で具体的で人間的であるに違いない。只その表現の手段と技術がないだけである。
 かくて大人の書く童話は、子供への愛に加うるに、洗練さえたる技術と回顧の中から生れて来るべきである。ところがこの当の子供は歴史の中に成長しつつある。大人の回顧がそれに堪えないまでに子供の歴史の中での成長が伸びつつあることを深く畏れ、心を用うるべきである。
 新しい時代に、新しい夢と、神話と、人間像が、子供の中にも巨大に成長しつつある。それをこそ、大人は真剣になって子供達と共に追い求めるべきである。
 それは大人自身が、人間として、自らに至純になることでもある。

底本:「アフォリズム」てんびん社
   1973(昭和48)年11月8日第1刷発行
初出:「読書春秋」
   1952(昭和27)年2月
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2010年3月13日作成
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