大田垣蓮月が、維新の混乱期にあって女ながら日本のゆくべき道を極めてあやまらなかったことは、自ずから皇国護持の精神を発揮したものといってよい。
しかも、内に滔々たる勤皇の大志に燃えながら、その行いは極めて女らしく、名利を求めず、富貴を望まず、自詠の歌を書き、陶器を焼いて生活の資に充て、他に齎すところ厚く、自らは乏しくつつましく暮し、謙虚さは失わなかった姿こそ、まことに日本女性の鑑であり、私達にこの厳しい時局下ゆくべき道を示してくれているように思える。
尼は当時京都に集まる勤皇の志士から慈母のごとく慕われたが、自らは聊も表立つことはなく、あくまで女らしい床しさに終始した。あの毅然たる中に持ちつづけた女らしい床しさこそ、私達が学ばなければならないものである。
戦局の険しさが加わると共に、険しさ、とげとげしさが深くなる人の心に和やかさを贈ることこそ、女性本来の生き方であり、かくてこそ、はじめて女性として皇国護持の道に徹し得るのではないかと思う。
(昭和二十年)