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窓のないガランとした室。
中央にテーブルと三四のイス。
伴(軍服)がイスにかけて書類を見ている。壁の前に人見(セビロにゲイトル)が、棒のようにこわばって立っている。
間――時計の秒刻の音。

伴 (寝ぼけたような顔をあげて)人見。
人見 は。
伴 ツトムいうのかね、ベンかね?
人見 ツ、ツトムで、あ、あります。
伴 三十四歳。……独身か。家族は、妹だけか……妹だね、この治子というのは?
人見 は。妹であります、はい。
伴 キリスト教教会牧師というと……どうだね、ちかごろ?
人見 は? あの、なんでございましょうか?
伴 いや、この――信者か……信者は、よっぽど居るのかね?
人見 いえ、教会といいましても、ほとんど私個人ではじめたようなもので、その、ホンの小さい……二百人ばかり、その、名簿だけにはのっておりますが、現在はホンの五六人、いえ、この、集りなども、全く休んでいまして、実際は一人もおりませんような、状態でして、つまり教会というのは名前ばかりでして――。
伴 ふむ。……それで費用などは、どこから出てる? たいがい、なんだろう、外国から……つまり伝道会というかね――現在はトゼツしとるかしらんが、以前だなあ?
人見 いえ、それは、そんな事はありませんです。最初から、この、なんです、私たち五六人の信者どうしが集ってなにしたもので、一種の独立教会……日本内地の、どんな教派とも、べつにつながって居りませんくらいで、ましてその――
伴 しかし、すると費用は、どうするね?
人見 費用と申しましてもべつにいりませんし――
伴 君や、その妹の生活費だって、いるだろう?
人見 それは、私は、以前、教師をしていましたし、現在は私も妹もチョウヨウを受けまして、そいでまあ――
伴 (書類に目をやって)東亜計器か。飛行機をこさえるんだったね?
人見 はい。もと時計の方の工場でございまして、現在、ズッと、おもに飛行機の計器を製造して――
伴 よかろう。それで――で、主の祈りというのは、どういうのかね?
人見 主の――?
伴 聞かせてくれたまい。
人見 しゅ[#「しゅ」は底本では「しゆ」]、主の祈りでございますか?
伴 うん。やって見せてくれたまい。
人見 でも――。
伴 べつにさしつかえはないだろう?(はじめて笑う) いけないのかね?
人見 ……(おびえた眼で、あいてを見守っていたが、やがて、となえはじめる。色を失った唇がピクピクひきつって[#「ひきつって」は底本では「ひきつつて」]いる)……天にましますわれらの父よ、願くばみ名をあがめさせたまえ。み国をきたらせたまえ。み心の天になるごとく地にもならせたまえ。われらの日用のカテを今日もあたえたまえ。われらにおいめあるものを、われらがゆるすごとく、われらのおいめをも、ゆるしたまえ。われらを試みにあわせず、悪よりすくい出したまえ。国と力とさかえは、なんじのものなればなり。アーメン。
伴 ……(しばらくだまって考えてから)もう一度。
人見 ……天にましますわれらの父よ、願くばみ名をあがめさせたまえ。み国をきたらせたまえ。み心の天になるごとく地にもならせたまえ。われらの日用のカテを今日もあたえたまえ。われらにおいめあるものをわれらが許すごとく、われらのおいめをも、ゆるしたまえ。われらを試みにあわせず、悪よりすくい出したまえ。国と力とさかえは、なんじのものなればなり。アーメン。
伴 アーメン……国と力とさかえは、なんじのものなればなり、か。……ふむ。……そのねえ、その国というんだなあ?
人見 はあ……?
伴 そりゃ、なにかね、つまり天国とかなんとか――まあ、そいった事なんだろ?
人見 はあ。まあ、大体その――
伴 だが、信者当人の取りようによって、今現にこうして生きている此の世のだな、此の国がそうだ、という考えもあり得るのかね? え、どうだえ? そんなふうに教えている、つまり教派というかね、教会も有るんじゃないかね?
人見 さあ……有るのかもしれませんが……私は、その、広いことを知りませんで――
伴 君自身は、どうなんだ?
人見 は?……はあ。その――
伴 自分の事だからいえるだろう。それに、とにかく、君あ、牧師なんだからね、そのへんの考えがハッキリしていなくては、つとまらんわけじゃないかね? どうだろう?
人見 はい。それは――それはそうでございますが、その、……私ども、なによりも先ず、この日本人でありまして――
伴 わかっとる。そりゃ、わかっとるから……ハッキリいってくれても、それでどうこうという事はないから、安心して、ふくぞうなくいってくれたまえ。……つまり、ホンの参考のために聞くだけだからね。
人見 はい。それはもう――
伴 必ずしも、そいつが天国といったようなものでなく、現にこうしている実際の世の中であるという考えかた……信仰……も有り得るわけだろ?
人見 はい。まあ、それは有り得るには得ますけれど、それにしても、その点ハッキリなにしているのは、すくないと思いますが――信仰上のことはバグゼンとした事が多うございまして――つまり、そういう考えにしましても、なんです、この、私どもの、信仰と努力によりまして、この世の中をすこしでも神の国に近いものにしたいという願い、希望……そんなものじゃないだろうかと――しかし、その、わが国がです、今、こうしてなにしているのでございますから、それはそれとしてです、私ども――
伴 よろしい。……そこでだねえ、いや、ええと、君たちの方には、おきてが有ったね? つまり、キリスト教徒なら、これこれの事はしてはならんという、つまり戒律というかね……それを聞かせてくれたまい。
人見 はい。あの……。
(扉にノック)
伴 ……(そっちを見て)はいれ。
(制服の下士が入って来て、人見には目もくれず、伴の四五歩前でカガトを鳴らして止り、注目挙手)
伴 ……(あい変らずねむそうな眼で)なんだ?
下士 ただいまから、田中杉雄、君塚三次、本田菊次郎の三名を本部向け護送し、司令部内、斎藤法務官殿に引渡します。
伴 うむ。そいで、三人ともなり、その中のどれかを向うに残す必要が有ったら、そうしてくれるように。ただその場合には受領證といったものでもいただきたいと、そういって――。
下士 は。三人とも、又は中のいずれかを向うに残留させる場合は法務官殿より受領證をいただいてまいります。
伴 よし。
下士 それから、三人の中で君塚と申しますのが、口から、かなり多量に出血しておりますが、そのままでよろしいでありましょうか?
伴 どうしたんだ? 舌でもかんだか? いや、あれは外務省などに出入りしたりして、おとなしい様子はしているが、もともとシベリヤ方面をウロついたりした事もある男で、いけないとなったらそれぐらい、やりかねない。
下士 いえ、そういう形跡はありませんです。
伴 そうかね、じや、訓練がすこし過ぎたんじゃないか?
下士 いいえ……はあ。……わたくしは――。
(プツンと言葉を切って不動の姿勢で壁を見ている)
伴 ……(その棒のような相手の顔を見ていて、しまいにニヤリと笑って)いいさ。――だが、あまり手荒らく扱ってはいかんぞ。……医者に見せたりせんならんで、あとがめんどうくさい。……で、あの雑誌記者は、どうしてる?
下士 あれは、昨日から非常にしゃべりだしておりまして、今朝も自分から是非申しあげたい事があるといって聞きませんので、須山中尉殿の方へ、さきほど出頭させることに――はあ。
伴 例の――なには、カケて見たかね?
下士 昨日、三回ばかり。かなり効果があります。
伴 四号の男にも、かけたか?
下士 はあ。しかし、あれには、あまり効果がありません。電圧をあげますと、ただ、卒倒するだけでして――
伴 よし。じゃ、あれを、此処に連れて来させるように、いっといてくれ。よろしい。
下士 は。それでは――(挙手の礼をして室を出て行くべく扉を開ける。その開いた所へ、出あいがしらに、廊下の方からフラフラと入って来る雑誌記者浮田。久しく着たきりでヨレヨレの背広の背中やズボンが裂け、蒼白な顔が動かず)
下士 ……こっちじゃないお前は。向うの須山中尉殿の室だ。
浮田 はい。(かがとを鳴らして足をそろえて不動の姿勢になり、伴の顔に注目したまま、いきなりべラべラとしゃべりはじめる)申しあげます。この、日本を主導者とする東亜共栄圏の確立は、すでに東洋全体の必然であると同時に、世界の必然であり、必要であります。政治的経済的に、この事は立證されることは、もちろんでありますが、更に文化的にも哲学的にも立證することのできるものでありまして、人生と社会と国家及び諸国家の連合などに関するヨーロッパ的理念は、もはや崩壊しておりまして、その点、くわしく具体的にのべておりますと、くだくだしい事になりますから、省略いたしますが、私が考えに考えたあげく到達しました結論だけを申しあげるのですが、その、ルネッサンスにおいてキャソリシズムがヨーロッパ全体の指導権をしっついした時に、すでにヨーロッパ的理念の実質は没落したのでして、以来、ただ一つ、ソヴイエット・システムだけが、ヨーロッパ的理念の最後のひとつかみのよりどころ、ないしは修正物として、かろうじて存在しておりますが、しかし、それも、特殊な地方的条件としてのツァーリズムというものが、打ちたおされるべき反対物として存在していたればこそ、可能であったのであって、そういう意味では、すでに現段階のものではなく、世界的チツジョ樹立のための現実的な原理としては、もはや無力であることは、立証されているんです。いえ、私は、或る意味でマルキストであるかもしれません。いえ、マルキストと言われてもすこしも恥じません。もちろん、そのために処罪されても、いいんです。しかし、われわれのマルキシズムは、公式主義的適用から、はるかに生成発展したものでありまして、つまり、東洋的現実日本的地方的条件――すなわち、民族の族長としての天皇へいかを中心として、つまり一君万民ですね、せまくは日本、広くは大東亜圏諸国を、天皇中心の社会主義体系にまとめるという理念であります。この事は、私がこれまで書きもし、また各地で講演もして来た考えでありまして、冷静な科学的検討をへて来た思想であると同時に、今日となりましてはわれわれの信念となっているところのものであります。もしマルキストとしてわれわれを処分されるのでありましたら、われわれは、あえて辞するものではありませんが、しかし、この、現にわれわれが到達している理念の体系をよく理解された上で、いずれとも処断していただきたいのです。われわれは、これを、神の前で誓って断言すると共に、この聖戦はじまって以来、各方面の戦場で陣歿された将兵のミタマの前で明言します。実は、私の弟も昨年、上海附近で戦死しておりまして、それを思うと私、なんであります、まだ、この、女の味も知らない二十四になる賢介がです、この、童貞のままで――クリークの泥の中に頭を突込んで死んでいたそうですが――まったく、シッチャイネーヨと――(直立不動のまま、まくし立てる)
伴 ……(冷然として聞いていたが)もういい。おい。(下士に、浮田を別室へつれて行けとアゴをしゃくる[#「しゃくる」は底本では「しやくる」]
下士 は。……(浮田に)お前は、あっちだ。
浮田 戦陣訓、戦陣訓と、そりゃ、ウヌは殺される心配がないから、なんとでもいえるだろうさ。ぜんたい、この聖戦をだなあ、こんなふうに――グウ!(と言ったのは、下士がツと寄って、背広のえりに両手をかけて、十文字にグイとノドをしめあげたのである。下士はそのまま浮田をボロのように引きずって、廊下に消える)
伴 ……(しばらくだまっていてから、なんにもなかったような調子で)そこで、クリスト教信者として、守らなければならぬ事になっとる、この、掟だねえ?
人見 は?……はい。(ガタガタふるえ出している)
伴 山上の垂訓とか、いうやつさ。さがしたが、見つからん。(テーブルの上の小形の本をいじくる)いって見たまえ。
人見 それは、あの、なんです……なんじ、カンインするなかれとか、なんじ、いつわりのアカシをするなかれとか――つまり、キリストが示した一種の道徳上のです、標準といいますか――
伴 だが、信者なら、それを守らなければならんのだろう?
人見 はあ、それは、なんですが……この宗教上の信条と申しますのは、実際上にこれを、なんです、実行するという点になりますと、いろいろの解釈がありまして、必ずしも、この――
伴 必ずしも実行することを命じていない? そうだね? ……しかしだね、実行できれば実行した方が、いいのだろ?
人見 はあ、それはなんですけど、でも、実行しようにもできない場合もありますし……また、そのような事の前に実行しなければならぬ、もっと大事なことが有るとか……つまり人間としてです――
伴 よしよし。正直にいってくれて、いいよ。よそ行きの、おもてむきの、キマリもんくを聞くために君を呼んだのじゃない。ホントの事をいいたまい。……どうだね、君は、この戦争をどんなふうに思っているかね?
人見 は? ……はあ、それは、とにかく日本が生きるか死ぬかの、聖戦でございますから、わたくしども、力の限り、なんです……それでまあ、私も、チョウヨウを受けまして、飛行機の増産にたずさわらしていただいて……もっとも、私は眼がすこしいけないものですから、事務関係とそれから青年学校の講師にまわされておりますが……とにかく、いっしょうけんめいに――
伴 よろしい。それで、その山上の垂訓というやつを、やって見る。なんじ、殺すなかれというのが有るかね?
人見 はあ、それは――
伴 なんじの敵を愛せよ。
人見 あ、ありますです。
伴 人もしなんじの右の頬を打ったら、左の頬を出せ。
人見 はい、それは――
伴 それをだね、そんな事をだね、文字通り実行しなければキリスト教にはずれる。救われることができない――天国に行けないというので、この、文字通り実行する気になった人間が居るとする、――つまりだ、アメリカ人、イギリス人、その他の、つまり敵国人をだね、つまり、愛するんだから、――戦争にでかければ、それを殺さなきゃならんから、行くのはイヤだ。
人見 そ、そ、そんな、私は、そんな者が居ようとは、思いません。居る筈がありませんです。そんな――
伴 キリスト教の方からいえば、それは、りっぱな事じゃないのかね?
人見 いえ、そんな、それは、なんです……どうして、そんな事をおっしゃいますでしょうか――いえ、最初から、なんです、憲兵隊などへ呼び出しを私などが受ける事からして、私、ビックリしておりまして――なんの事やら、わかりませんので――いったい、なんのために、このようなごじんもんを受けるのか、どうも、わけがわからないのでございまして――その点を、なんです――私は工場の方の青年学校の講師としましても、いつもつつしんで、この、常に万全をつくしまして――クリスト教の事を話しますにも、主として生徒たちの修養という事を主眼にしまして――それも、しかし、大東亜戦争になりましてからは、ほとんど教室ではキリスト教に関する事は一言も話さないように――
伴 だが、自分のうち……つまり、教会の方では、信者になりたいという人間に洗礼――といったね、洗礼をしてやったりはしているんだろう?
人見 はい、それは――いえ、しかし、そんな人も近頃、ほとんど有りませんものですから。
伴 ふむ。……(それまでいじくっていた小形の黒い本の、はじめから折ってあった所を開いて)ここだ。(読む)見よ、ある人、みもとにきたりて、言う。「師よ、われ、とこしえの命を得るためには、いかなる善き事をなすべきか」イエス言いたもう……えゝと、うん。読んで見たまい。(本を人見に渡す)
人見 え? はい……(その聖書と伴の顔を見くらべてオドオドする)読むのでございますか?
伴 うむ。
人見 (つかえつかえ読む)「師よ、われ、とこしえの命を得るためには、いかなる善きことをなすべきか」イエス言いたもう「善きことにつきて、なんぞ我れに問うか。善き者はただ一人のみ。なんじ、もし命に入らんと思わば、いましめを守れ」その人言う「いずれのいましめを」イエス言いたまう「殺すなかれ。姦淫するなかれ。盗むなかれ」「いつわりのアカシを立つるなかれ。父と母とをうやまえ。また、おのれの如くなんじの隣人を愛すべし」その――ああ!(ギクリとして口の中で叫ぶ。手に持った聖書がひとりでにめくれて表紙の見返しが現われ、そこに書いてある文字を見たのである)片倉……
伴 知っているね? 君の字だろう?(ニヤニヤして本の見返しを覗きこみながら)われらのために十字架にかかりたまいしイエスのみもとにて、逢わん、か。洗礼をさずけし日に、人見勉。わが兄弟、片倉友吉君へ。
人見 ……すると、すると、なんでございますか。さきほどからの事は、片倉の、この、なにか、この――
伴 だからさ、私が聞いているのは――
人見 あれは実に、なんです、おとなしい、正直な……まるでこの、子供のように単純な男でして、それが、なにか――
伴 うん、正直ではあるようだな。……こらこら、なんだそりゃ、君!(人見の足元を指す)
人見 は?
伴 いかんよ、おい!(人見の足もとに水たまりができている)きたないなあ!
人見 はあ?……(その水たまりと、伴の顔を見くらべても、まだ自分のした事に気づかず)はあ?
伴 困るじゃないか、どうも――
(そこへ半開きになっていた扉から、そこまで連れて来た下士官の軍服の腕で背を押されて、ヨレヨレの訓練服を着た片倉友吉が入って来る。ほとんど少年といってよいほどの単純で柔和な顔が青い。からだつきと動作にどこか調子のこわれたような所ができている)
伴 ……そこへ、かける。
友吉 ……(伴にていねいにおじぎをしてから、人見を見る。相手を認め得ないでポカンとしている)
人見 ……(石のようになって、友吉を見つめていたが)……片倉。
友吉 ……(不意に相手を認めて)……先生。……(うれしそうに微笑)
人見 ど、ど、どうしたんだ、友吉君?
友吉 ……(マジマジと人見を見ていたが)人見先生……助けてください。……(子供らしくいって、唇のすみがギュッと下にさがり、からだが一つフラッとしたと思うと、立木が倒れるように前の方へストンと倒れて、動かなくなる。……その彼の頭が、人見のこしらえた水たまりのすぐわきにある)
伴 なんだ?……
人見 ……(二人ともユカの上の友吉の姿を見守っている)

        2

 東亜計器工場の人事課長室。夜。周囲は全部まっくらな中に、燈火管制用のエンスイ形の電燈がテーブルの上をカッと照らしている。その光の中で、テーブルの正面に坐って、話している課長。はじめ、こちらに話しかけているかと思える。しかし実は、聞かされているのは、テーブルのこちらに、背を見せてションボリ腰かけている片倉義一。義一の姿は、逆光のため、おそろしく大きなボンヤリしたシルエットになっている。そのシルエットに区切られた光の輪の中で、シルエットに向って――こちらに乗り出して、心労と恐怖と脅威の入れまじった、低く押しころした早口でしゃべる課長の顔の、ふくれあがった鼻腔やブルブルふるえる頬のシワまでハッキリと見える。(クローズ・アップ)義一のシルエットが、時々、課長に向っておじぎをする。

課長 ……でねえ、その、アカでないという事だけは、むこうでもハッキリしたらしい。最初は、てっきり、そうと思ったらしいんだ。そうだろう。今どき、そんなムチャな人間が居ようたあ、君、誰が考えたって、そうとしか思えないからね。また、本人が先方へ連れて行かれてから、いろんな事をいったらしいんだ。ああいう男だからね、正直というか薄バカというか……そりゃ、たしかに、この、聞いて見るというと、共産主義とか無政府主義なぞと共通した所が有るからねえ。いやキリスト教には限らない、仏教にしろ、なに教にしろ、この教義をしらべて見るというと、つまり、仏教でいえばオシャカさん、ヤソでいうとキリストがいった事は、或る意味からいえば、たしかに、アカに共通するものがあるんだ。それを又、君んとこのは、その通りにベラベラとやるんだろう。いや、とにかく、恐ろしいものが有るんだ。この、ここんとこに当てがって、電気を通じるんだ。すると、頭が、あれで、どんなふうになるのかねえ、手や足がピキピキと引きつるようなカゲンになって、さ、三度四度とそれにかけられると、どんなシブトイ人間でも、そりゃもう、グナグナになってしまうんだ。向うから持って来た器械とかいっていたね。いやどうも、見ちゃいられない。しまいに、こうしてダラリと舌を出してしまう。いや、どうも、……で、まあ、大体、アカではないようだというような事になって、まあ、私の方は、いくらかホッとしたんだ。考えても見たまい、内の工場は、さきおとどし、やっとまあ[#「やっとまあ」は底本では「やつとまあ」]、時計工場から飛行計器の製作に切りかえて、指定工場になったばかりだ。そこの工員の、しかも熟練工の中からアカが飛び出して、戦争反対をしたとなると、もちろん取りつぶしだ。ヘタをすると、私ども主脳部はみんな、ひっくくられてしまう。だからまあ、とにかく、そんな事になって[#「なって」は底本では「なつて」]、ひと安心だが、それにしても、又どんな事になって、指定工場を取り消しになったりしないとも限らんから、なんとか大至急、処置をしなければならん。それも、外部へはもちろんの事、工場内部でもだ、この間題がパッとしない内にだね、一刻も早くなんとかしないと、えらい事になる。わかるねえ、その点は?……(義一のシルエットが大きくうなずく)うむ、そいでまあ、あんたにも夜分に御足労をかけたわけだが……そんなわけだ、本人には、まあ、もちろん、会社から引いてもらうとして――そりゃ、これまであんなにおとなしい、それに腕は立つからねえ、会社としては――特にこの、今の時計の方でも又始めるとなると、部分品の工作となると、あんたんとこの息子以上の腕ききは先ず居ないからね、会社としては惜しいのだが、まあ、あきらめてもらいたい。その方は問題ないとしてだ、弟だねえ、旋盤の方に居る、ええと――明君か。(義一のシルエットうなずく)片倉明。これにも、いちおう、引いてもらいたいんだ。工員たちには、この問題はかくしてあるが、でもみんなウスウス知って来たらしいね、若い者ばっかりだし、とにかく、この戦争に負けちゃならん、それには飛行機を一機でも多く、一刻でも早くと、みんなで火のようになっている最中だろう? そんな国賊が我が社から出たのは捨てて置けん、とまあイキリ立っている連中も居るんだ。その弟だからねえ。当人には責任はなくってもだ――二、三日前にも、明君を取り巻いて、なぐるといって騒いでいる連中が有ったりしてね。いやいや、兄きの事は別に表立って誰もいわないさ、その時も、衝突の理由は、なにか仕事の上の事さ、折よく私が行き合わせて、みんなをなだめてやったが――そんなわけで、いつなんどき、爆発するかわからない。そんなふうでは、旋盤部全体がうまいぐあいに行かんし、すると、この、大事な増産のジャマになる、第一、明君当人がおもしろくないだろう? そいで、まあ、なんだ、いちおう、この……いやいや、明君自身に対しては、別にいうべき事はなんにもない。先日からなんども話し合って、私あよく知っている。来年は自分もチョウヘイで[#「チョウヘイで」は底本では「チヨウヘイで」]、そうなったら、直ぐに特攻隊に志願するんだといってるしね、まじめな、今の日本の現実をよく認識しとる点でも、立派なもんだ。ただ、ああいう兄を持ったのが、まあ、不運なんだねえ。まあ、あきらめてくれるんだねえ。で、明日から、会社へは出て来させないように――わかったね? ……(義一のシルエットがガックリとうなずく)気の毒だ。あんたは、からだが不自由のようだし、息子たちがそんな事では、生活の事もあるだろうが、どうも、私などの力では、どうにもできない。まあなんだ……ええと、友吉の方は、憲兵隊の方にいつまでも置いとくわけには行かんし、――いや、もしかすると、発狂したんじゃないかという疑いで、精神カンテイもやらしたらしいが、そうでもないらしい。しかたがないので、警察の方へまわしたようだ。本人があの通り、まるでおとなしい。ただ反抗するというのとは違うしねえ、ただのチョウヘイ[#「チョウヘイ」は底本では「チヨウヘイ」]・キヒとも違うという事は憲兵隊でもわかったらしいんだ。どうもこの、なんだ、宗教は阿片なりというが――いや、意味はすこし違うかもしれんが、とにかく、信じこんだとなると、実にひどいものだねえ。実は、洗礼をしてやった人見勉自身が、おどろいているらしいんだ。いや、人見は先日退職してもらった、うむ。自分でも責任を感ずるというしね、善い人間だけど、この際まあ、しかたがないから……人見の妹が、やっぱり仕上げ部の検査の方に来ているが、あれは挺身隊なんだし、まあよかろうというんで、そのままにしてあるが……あれは、なにかね、友吉と特別に仲が良かったとか、この恋仲だったなんていう向きもあるが、そうなのかね?(義一のシルエット動かず)……ええと、しかし、なんだね、今後の事もあるし、まったく困ったもんだねえ君んとこも。なにかね、君の家には、この、宗教を信じて、なにかこの、夢中になってしまうといったふうの血統というか、そんなもんが有るのかねえ? ……友吉の母親――つまり君の奥さんは、以前、天理教にこった[#「こった」は底本では「こつた」]事があるんだって? うむ、そういったふうの血すじが友吉にも伝わっているかも知れんねえ。しかし、君あたしか、郡山――だったね? ――の士族――たしか、そうだったね? そういう家柄から、こんなふうな、とんでもない人間が、どうして出たものか? 明君の下に妹がもう一人居たね、たしか? フム。……まあまあ、なんだなあ、私の方も、よく心がけておくから、君の家でも、まあ、出来るだけ、友吉の事は世間にパッとしないようにして、この、キンシンしてだ。そいじゃまあ、今夜のところは……どうも、御苦労さまでした。……じょさいはないだろうが、今夜のことは私と君の間だけの話として、なんだ……そんなわけで明君の退職の……(そこへ、突然、奥から四、五人の足音がドカドカとあわただしく近づいて来る。お! といって課長が奥を見る)
奥の声 (ドアを三つ四つ叩いて)課長さん! 課長さん! 課長さん!
課長 なんだ、誰だ?
奥の声 旋盤部へ来て下さい。
課長 どうしたんだ?(立つ)
奥の別の声 片倉が、又、あばれているんです。
課長 なんだって?
奥の声 片倉の明ちゃんを、みんなが取り巻いて、この――
課長 よし、すぐに行く――(行きかけて、こちらを振向いて、義一を見る)ね? また、なにか、はじめたらしい。
(その課長の視線に射すくめられて、義一のシルエットが、だんだんに前こごみに低くなって行く)

        3

 同じ工場内の仕上部の一角(クローズ・アップ)管制用の電燈のエンスイ形の光に照らし出された仕上台をはさんで、正面にこちらを向いて、人見勉の妹の治子と、向う向きになって背を見せた、その同僚の静代の二人が、それぞれ、流れ作業の台の上に押し出されて来る小さい長方形の金属ブロックを仕上台に取りつけてあるミクロメータアに当てがって見ては、合格品と不合格品を別々にキチンと積みあげて行っている。動作は器械のように正確にすばやい。正面を向いて明るく照らし出された治子の表情は、どんなに小さい所までもハッキリと見られるが、語っている静代は向う向きの逆光のため、ボンヤリと大きなシルエット。(前場の課長と義一の関係を逆にしたものである)作業のリズムとテンポには無関係な低いトギレトギレの言葉。

静代 ……だってそうじゃないの、なにも弟さんに責任の有ることじゃないわ。それを、みんなで、よってたかって、迫害するという法はないじゃありませんか。……そりゃ、今、世の中がこんなふうになって、みんなが増産のためにシンケンになっている最中なんだから、そこいもって来て、あんな人があらわれれば、フンガイするのも、もっともじゃあるけど――いえ、私たちだって、こんな毎日夜業までして働いているんですもの、あなたの前だけど、チョット腹が立つわ、正直いって。……だけど、明という人にゃ、責任は有りゃしない。そうじゃなくって? そうでしょう[#「そうでしょう」は底本では「そうでしよう」]、治子さん?
治子 ……ええ。
静代 卑劣だと思うのよ、罪もない人を、おおぜいでイジメるの! 卑怯よ! みんな、卑怯だわ! それも、ホントウにシンから国のためを思って……つまり自分もホントウに国のために命を投げ出してかかっている人が、その事をフンガイするのなら、まだわかるけれど、たいがい、忠君愛国はおれ一人といったふうにノボセあがって良い気持になったり、人のオッポに[#「オッポに」は底本では「オツポに」]附いて、つまり附和雷同ね、そいでワーワーいっているのよ。私知ってるわ。ゲンに此処の工員の人に、ホントウに国のためを思って働いている人なんか、かぞえる程しきゃ居ないのよ。たいがい、しかたなしのイヤイヤながらよ。戦争のナリユキについてだって、そうだわ。もう、こうなったら負けたって勝ったって、どっちでもいいから、早くおしまいにしてくんないかなあ、というのが、たいがいの人のホントの腹の中だわ。カゲでは、みんなそういってる。それをしかし、口に出していうとしばられるもんだから、おもてむきは、忠義みたいな顔をしているんだわ。そうなのよ!
治子 …………
静代 ……(しばらくだまってから)だけど、なんだわね、また、考えてみると、みんなが腹を立てるのも無理もないとも思うのよ。そりゃ誰にしたって、こんな戦争――自分たちにはワケもわからないままにガヤガヤとはじまってしまって、つらい事ばかりの戦争なんか、早くなんとかならないかと思うには思うけれど、とにかく、はじまってしまった戦争、こんだけいっしょけんめいになって、たくさんの人を死なせて、ここまで来た戦争ですものねえ、負けたくはない、負けたらたいへんな事になる、それには、なにがなんでも、とにかく、みんな心をそろえてやりぬかなくてはならんという気持もウソじゃないと思うのよ。……私だって友吉っあんの事を聞いた時には、正直いってトテも腹が立ったわ。あんまり一人がってだと思ったのよ。だって、そうでしょう[#「そうでしょう」は底本では「そうでしよう」]? ……私は、一番上の兄さんは、満洲で戦死したんだし、そいから、イトコにも一人、ビルマで戦死した人がいるの。……そいから、あとしばらくすれば結婚する筈だった――その人も去年応召して南方に行ったんだけど、この半年ばかりタヨリがまるきりない。……もう、たぶん、死んだんじゃないかと思うの。……自分は、日本国民のために、いや、つまり、その日本国民の中には、静代さん、あなたがはいっているんだ、つまりあなたがたのため、命の限り戦って来ます。……そういってニコニコして行ったのよ。忘れないわ、私……あの時の顔を忘れられないの、私。(仕事の手は休めないで、すすり泣く)……それを思うと、石にかじりついたって、私――
治子 ……(涙を流している。仕事の手は休めない)
静代 それを思うと、私、ホントに、腹が立つの。国民全部が、こんだけなにしているのに、自分だけ、そんな事って、あるもんじゃないわ! でしょう?
治子 ……(たえきれず、次第に顔をふせ、ミクロメータアの上に額をつける)
静代 ……いえ、私、アテツケにこんな事いっているんじゃないの。あなたと友吉さんが親しかったんで、それをアテツケにいってるんじゃないのよ! まるきり、アベコベだわよ。あんたにだからいえるの。そうだわ、ほかの連中なんかに、こんな事いいたくなんかないわ。わかってくれる、治子さん? くれるわね? ……そうなのよ。だからね、友吉さんを憎んでいる人たちの中には……いえ、そりゃ、大部分がワイワイ連中だけどさ、なかには――いえ、そのワイワイ連中の気持の中にだって[#「中にだって」は底本では「中にだつて」]――私と同じような、やっぱりシンケンにあの人を憎まないわけにはいかない人だって[#「人だって」は底本では「人だつて」]いるのよ。……だって[#「だって」は底本では「だつて」]、戦争が善いの悪いのというんだったら、はじまる前にいわなきゃならないんだわ。はじまってしまって、こっちが殺したから、むこうが殺すというように、両方で押せ押せになってやりはじめてしまった後になって、善いの悪いのといってみたって、なんの役に立つの?……
(ながい間。……ミクロメータアにうつぶせになっている治子の白いエリアシを静代が見つめている。流れ作業のベルトが、その間にも廻転している音がリズミックにつづいている)
女の声 (奥から、いかつく)人見治子さん! 山下静代さん! あんたがた、どうしたの! いまこの工場で、能率をおとすような人は、国賊ですよッ!(静代と治子がピクンとして、――治子は顔をあげて――いそいで仕事をはじめる)われわれ女子挺身隊は、敵をたおすために働いています! われわれの職場は第一線の戦場です! われわれは兵士です! 撃ちてし止まんの覚悟を忘れた人は、日本人ではありません!
静代 ……(だまって、しばらく仕事をつづけた後で、顔を動かさないで、おしころした低い声で)監督さん、まだこっちを見てるわよ。……ごめんなさいね、治子さん。
治子 (これもささやくように)いいのよ、いいのよ。
女の声 われわれは、勝ちます! あくまで勝って勝って、勝ちぬきます! われわれは、われわれの手も足も、血も命も、カンキをもって[#「もって」は底本では「もつて」]国にささげます。カンキをもって[#「もって」は底本では「もつて」]
静代 ……フ。ナチスの真似よ、あれ。……勝ちます。……カンキをもって。……勝てやしない。……勝ちたいけどさ。……勝てやしないわ。……だって[#「だって」は底本では「だつて」]、見てごらんなさい、こうして、飛行機の計器をこさえている。この、現に、このメータア、どこ製なの? ……向う製よ。……そんで、勝てるの? ……手や足や血や命なら、カンキをもって、いつでも、ささげる。けど、そんなものが、なんの役に立つの? ……フ。……(正確に手を動かしながら、その間を縫って低く)ああ、行っちまやがった。……いや、まだ見てる。チキショ。……でも、なんだわねえ、治子さん(治子の方は見ないで)……とにかく、ユーカンだわね。……こんな中で、たった[#「たった」は底本では「たつた」]一人で、あなた、……バカかキチガイでなきゃ、だれがいえるの? ……あんな、すこしポーッとしたような……組立部じゃ、あの人、お嬢さんお嬢さんていわれてたっていうんでしょ? ……そんな、おとなしい人が、いくらヤソ教になったからって、どうしてそんな思いきった事がやれるのかしら? ……ヤソ教というものが、そうだったら、なにも、友吉さんに限った事はないんでしょう[#「ないんでしょう」は底本では「ないんでしよう」]? ……キリスト教の人は、いっぱい居るんでしょ?……それが、どうして、たった[#「たった」は底本では「たつた」]一人、よりによってさ……ああ、ヤッと行っちまやがった、鬼ババめ。……(手は休めないままで、治子の方をチョット見て)現に、あんただってキリスト教でしょ? ――そいから、あんたのお兄さんもそうでしょ? どういうの、ねえ、どうして、友吉ていう人だけが、そんなかしら?
治子 ……わからないの。……私には、わからないの。
静代 ……いえさ、だから、ヤソ教として、どっちが正しいの? ……あの人? それとも、ほかの人たち?
治子 ……わからないの、私には。――だけど……いえ……でも、あの人は、まちがってはいない。
静代 ……そいじゃ、あんた、わけがわからない。……だって[#「だって」は底本では「だつて」]、あの人が善いのだったら、ほかの人がまちがってるわけだし、……ほかの人が正しいのだったら、あの人はまちがってるんだわ。……キリスト教の教えは、そんな、キチガイの宗教じゃないんでしょ? そんなら、それを信じてる人なら、誰が考えても、正しい事と正しくない事の標準はハッキリひとつしきゃないわけじゃなくって――? ……どういうの?
治子 ……わからない。私は、私は――(深い、刺すような眼で正面を見る。口のわきがブルブルとひきつっている)
(その時、この室の、光のあたらない隅のドアにドシンと人がぶつっかる音がして、うすくらがりの中に二人の若い男が入って来る。そちらをすかして見る静代と治子……)
男の声 ……しかたがないじゃないか。君みたいに、そんな、イキリ立って見たって、どうなるんだよ! わかってる者あ、わかってるんだ。友ちゃんは友ちゃんだし、君は君だ。いいじゃないか。友ちゃんが、そんなふうになったからって、君に責任はないさ。それぐらい、わかってる者はチャンとわかってるよ。しかし、なんしろ、みんな気が立ってるんだ。君を追いかけて表門の方へ行った連中もいるから、すぐに帰ると、また、あぶない。ここでいっとき待っていてから帰ったほうがいいんだ!
明 (かすれた声で)……北村さん、あんたあ、兄さんの友達だね? ね、そうだろう?
北村 そうだよ。だから――
明 俺あ、こんど兄さんに逢ったら、俺あ、この腕で、兄さんを――(クククと泣き出し、せぐりあげてヒーッという)
北村 いいよ、いいよ、そんな君――君の気持はわかる。よくわかる。だから―― 
明 俺あ、俺あ、兄きとはちがうんだ! 俺あ、来年早々、志願して出ようと思ってるんだ。俺あ日本人だ。俺あ、こんなとこでベンベンとして器械の組立てなんぞやってはいられないんだ。俺あ日本人のためなら、死ぬことなんかヘイキだ。俺あ、やって見せる。見ろ! 九軍神が、なんだ! あれ位のこと、いつだって、俺あ、やって見せる――それを、それを、班長の奴、「九軍神に対しても恥かしいと思え!」……どんな、どんな事をしたから、俺が、恥かしいと思わなきゃならないんだ! 俺が、兄きの弟だと言うだけじゃないか! それも、それも、その事をいって、ハッキリとその事をいって、やっつけるんなら、まだ、いいんだ! 当のその事は、カゲにまわってコソコソいうだけで、表むきにゃ、なんにもいわないで、仕事のことで、俺の組立にケチをつけちゃ、事ごとに俺の成績をおっことしにかかるなんて、――いや、そうなんだよ、みんな班長や組長にオベッカをたれやがって、俺がいっしょけんめいやってる仕事にケチをつけてオシャカにしゃがるんだ! そうしといて、おおぜいで俺をナブリものにしゃあがって、ちきしょう[#「ちきしょう」は底本では「ちきしよう」]
北村 いいよ、いいよ、いいんだよ! そんな気を立てないで――
治子 ……(うすくらがりへ向って)明さんじゃなくって? 明さん!(明と北村がこっちを[#「こっちを」は底本では「こつちを」]見る)
治子 ……どうなすって?
明 ……治子さん。……(その辺を見まわす)なんだ、ここは仕上部か。……(こっちへ[#「こっちへ」は底本では「こつちへ」]歩いて来かけて、ヨロヨロとなる。北村がそれをささえ助けて、二人が、光の輪の中へ入る。そのギラギラした光に照らし出された明の作業服がズタズタに裂け、右のコメカミの所にベットリと血)
治子 ……(ギョッとして中腰になる)……どうなすったの、その――?
明 ……うん。フ!(つとめて笑おうとしながら、コメカミに左手を持って行く。その左手が、また赤い)
静代 まあ! ……(これも立ちあがる)
北村 みんなと、やりあってね。やっと[#「やっと」は底本では「やつと」]、とめて――
明 治子さん、……俺あ……兄きと、あんたと……いや、あんたは、いいんだ。……だけど、俺は……兄きの事を……兄きは、俺の、カタキだ。……こんだ逢ったら……。(つぶやくように切れ切れにいい、眼はジッと憎悪をこめて治子を見つめながら、無意識に血だらけの左手を空に一杯にひらき、それでグッと物をつかむ動作をする。その左手のシワの中に、かたまりかけた血液が、赤黒くスジになって光る。それを見つめている治子の、石化した顔。……北村とシルエットの静代とが、二人を見まもっている)……フ! (明の、つとめて笑おうとしてゆがんだ顔が、ベソに近くなってくる。暗くなる)

        4

 ガランとした柔剣道道場。
 半分は板じきで、半分はタタミじき。正面に体操用の肋木台。その肋木に両腕をしばりつけられて、土気色の顔の、眼をつぶり、青バナを垂らし、ヒクヒクとあえいでいる片倉友吉。左腕は上膊から肱の下までホウタイが巻き立てたのが、折れて不自然なかっこうに垂れている。
 その足もとから五、六歩はなれたユカの上に、右手に竹刀を握りしめたまま、うつぶせにたおれている父の義一。黒背広を着た中年の今井が、かがみこんで老人の背に手をかけて、のぞきこんでいる。人見勉がタタミの部〔分〕にキチンと坐り、すくみあがっている。

今井 ……だから、いわない事じゃないんだ。これくらいな事で、転向するような大将なら、ぼくらも苦労しやしないさ。……(ノロノロと、人見に話しかけるような、話しかけないような調子でいうが、人見が口をパクパクするだけで答えないので、又つづける)憲兵隊でも、そうとうな目に逢ったようだし、ここへ来てからも、まあなんだね、以前の左翼の連中なんかよりや骨を折らせてるんだ。もう、とにかく、ぼくらもアグネきってるんだよ。実際めいわくな話さ。一体からいやあ、憲兵隊で、始末すればいい事だあ。警察へまわしてよこすなんて、筋ちがいだもんなあ。軍法会議へかけたりして処罰したりすると公けの問題になるし、外部に洩れると、国民の士気に関するからだというんだそうだがね。だって、警察に置いときゃなおのことだろう、第一、もう、工場でもみんな知ってるというし、家では町の者が石を投げてるというんだろう?いまさら外部に洩れるものじゃないかね。けっきょく、責任問題なんだね。自分たちが責任をとりたくないもんだから、こっちへ廻してしまったのさ。憲兵隊やら動員の方の大将とか、東部軍管区とかの司令官とか、軍部というのは、上から上へ次ぎ次ぎと自分の責任になるらしいんだね。忙がしくって、こんなキチガイの一人や二人のことに、いつまでもかかりあっている暇はないともいってた。そりゃまあ、向うも、一日に四、五十人ぐらい、しょっぴいて来たり、ヤキを入れたりさ、ぼくらのお株を取っちまっているありさまだもん、忙しいのも忙しい。しかし君、こんな、ヤッカイなお荷物を、よりによって、ここへおっつけるのは、セッショウだよ。主任なんか、泣きツラかいているんだ。ヘヘヘ、……だから半分はムシャクシャばらで、こないだから君、ずいぶん、この、なんだ、見てると、かわいそうになるよ。アカやなんかとは違うしなあ。それに、こんなおとなしい男だからねえ。……だけど、いくら同情したって、しょうがねえんだよ。こんだ、気が附いて眼をさますと、ケロンとして「神さまから叱られますから、」……ヘ、ヘ、ヘ、シケちゃったあよ、まったく。ヘヘ、どういうのかねえ、この――(ニヤニヤしながら肋木の方へ)
人見 ――あの、だいじょうぶで[#「だいじょうぶで」は底本では「だいじようぶで」]しょうか?
今井 うん?
人見 あの――?
今井 なあに――まだこれ位じゃ気絶もしてないよ。なあおい。(友吉の頭をこづく。しかし友吉はビクリともしない)
人見 いえ、その、なにしろ年よりですから――
今井 ……(義一の方を見て)なあに君、そっちは、ただ、あんまり竹刀を振りまわしたんで、眼がまわっただけだもん。……(近づいて[#「近づいて」は底本では「近ずいて」]背に手をかけて)おやじさん、起きろよ。(義一、手足をヒクヒクさせて、起きようとするが、起きられない)……よせばいいんだ。いまさら、しかたがねえじゃねえか、ねえ!おい!
人見 (義一が動きだしたので安心して)……それで、なんでしょうか、この……片倉が、いつまでも、このままの状態でいるとしますと……今後、どんな事になるんでしょうか?
今井 そうさねえ……そりゃ、とにかく、困るよ。まあ、しかたがなければ、キチガイ病院に入れるとか、憲兵隊にもどしてしまうという事になるかもしれんがね……病院は費用がかかるし、官立のやつは一杯でダメ……また、戦争からこっち、おそろしくキチガイがふえたそうだねえ。……だからまあ、いよいよとなれば軍に引渡してアッサリ処置してもらうんだが、今いった通り、向うも忙しいのと、責任問題で、相手にしたくないんだから、これ、どうなるもんだか――(話しながら、友吉の縄をほどく。友吉は、縄がほどけるとクタクタと、ボロをたたんだように肋木の足もとに坐る。顔はガックリ前に垂れている)……どうしたい?……だからねえ、どうだい、君からなんとかすすめてだなあ、早くこの――だって、この大将をヤソにしたのは、君なんだろう?そんなら、君からいやあ、なんとかなりそうなもんじゃないか?
人見 はあ。それは、先日から、この、口をすっぱくして、なにしているんでございますが、どうしても……
今井 でないとだな、君だって、これで、今に、妙なことにならんとも限らないよ。戦争が、こんなふうに段々と負けが込んで来るとだなあ……うむ、海軍はあらかた沈んじゃった、飛行機の増産も思うように行かん、第一ガソリンがなくなって来たわ、せいぜいあと半年ぐらいで、いよいよ本土作戦――竹槍で、一億総肉弾か。ヘヘ、……といった有様、軍部もドタンバだもん、神経質になっとるからな。ヘタをすると君なんかも、ロクに調べもしないで、バッサリということにならんとも限らんぜ。気をつけるんだなあ。
人見 ……はい。その、私は――(すくみあがってキョトキョトする)
(そこへ黒川※(始め二重括弧、1-2-54)国民服にゲートル※(終わり二重括弧、1-2-55)と、宗定※(始め二重括弧、1-2-54)セビロ※(終わり二重括弧、1-2-55)がズカズカ入って来る。黒川は正面の額に向ってキチンと敬礼をした後、友吉の姿と、まだ伸びている義一と、人見を見る。宗定は、一同をユックリ見まわしながら、巻煙草を取り出す)
黒川 ……(今井に)そいで?
今井 (宗定に、ちょっとあらたまって敬礼をしてから)はあ?
黒川 ダメかね、やっぱり?
今井 なんしろ――
宗定 いかんなあ、しかし。(友吉と義一の姿をアゴで指して)あんまり手あらに扱っちゃあ。
黒川 だが実際、こうなると全く、どうにも処置のしようがないですからねえ。弱りました、われわれも。
宗定 そりゃ、僕らにしたって同じさ。本庁でも、君みんな逃げを打ってるんだ。しかし、それだけに参っちまったりすると、後がうるさいよ。相手が軍だからなあ。
今井 いえ、この、今日のこれは、わたしらがなにしたのではありません。このおやじさんが(とモゴモゴして義一を指して)――この――(宗定に)これは、父親なんです。今日は、自分からやって参りまして、なんです。こんなやつが自分の家から生まれたのは相すまんから、父親の自分の手で叩き直してやる……そういいまして、一時間近く、力一杯に、この。……よせといっても、ききませんでねえ。――そいで、自分もこうして伸びちまったんです。いや、昔かたぎの、正直いちずといいますか――
宗定 ふーむ。
黒川 そうかね?そいつは――感心だなあ、しかし。……今井君、水でも汲んで来て。
今井 はあ。……(出て行く)
宗定 人見君――だったね?
人見 はい。(ていねいに、おじぎをする)
宗定 ……(ニヤニヤしながら、壁のそばに並んでいるイスの一つを自分の手で持って来て、室のまんなかに置き、それを腰におろしながら)どうだい、そいで? この前もサンザンいったように、もう、こいだけ、つまり半年以上もこうして来たんだから、いまさら、めんどうな事をいい合ってみても、はじまらん。君の方としても、もう答えようもないだろうと思うんだ。どうだね?
人見 はあ。……
宗定 こう度々ブーブーとやられてる最中にだな、ムダな事をいつまでも繰り返していても、しかたがない。本庁の方も、ますます忙がしくなってるしね、今までのように僕などが出向いて来ることもできにくくなるんだ、今後は。だからねえ、もういいかげんにして、取りあつかいを軍の方へ返すなり、軍の方でウンといわなければ、しかたがないから、こっちで書類を検事局の方へまわそうと思うんだ。聞いて見たら、向うでも迷惑がっているようだったが、さればといって、どうにもしかたがないからねえ。どうだい?
人見 ……すると、なんでございましょうか、この正式に、この――?
宗定 そいで刑務所だね。しかし、そうなると、当人もかわいそうだしね、それに、君も、たぶん、そのままじゃすまんことになるだろうし――
人見 え、しますと――?
宗定 うん、まあ、正式のことになると、君がすすめて、この男をこんなふうにしたという事になるだろうからね。国法では、まあ、宗教というものを、そういうものとしては認めとらんのだなあ。教唆という事になる。
人見 わ、私は、しかし、この、そんな……いえ、たしかに、私が負わなければならぬ責任は、はい、負いますが、この――
宗定 (ニヤニヤしながら)と同時に、君だけでなくだ、キリスト教全般だねえ――日本にも、まだこれで、かなりたくさんのキリスト教徒は居るねえ――それが、この問題がおもてザタになって国民の前で判決をくだされたとなると、キリスト教ぜんたいが、けしからん教えだという事になってだね――
人見 キリスト教界ぜんたいは、片倉とは、べつに関係はありませんですから、その、そんな――
宗定 だけど、この男が、君から洗礼を受けてヤソ教になっていなければ、こんな事にはなっていないのだからねえ。
人見 ですが、片倉は、その前から、この、ガンジイの本などを、ひどく熱心に読んだりしていまして――
宗定 しかしだ、それは単なる空想だったんだからねえ。ハッキリと具体的になったのは、君の教えを受けてからだもの。
人見 いえ、私はただ、導いただけでございまして……牧師と申しますのは、この牧、つまり羊かいが羊やなにかを、水飼うという意味でございまして、人が信仰に入りますのは、あくまで、この、神の啓示による――
宗定 しかし君、神さまを裁判にかけるわけにも行かんからねえ。フフ。(義一の背をつついたりしながら、それを聞いていた黒川も笑い出す。そこへ今井が、バケツに水をくんで入って来、黒川のところへ持って行く。黒川、バケツの中から水をしゃくって、義一の顔にかける。義一が、ウッ! と声を出す。宗定そちらを見つつ)……とにかく、キリスト教の教義をだなあ、ウンと追いつめて、このギリギリのところまで煮つめて行くと、この男の思想、つまり戦争反対になる事は事実なんだから――
人見 いえ、それは、キリスト教界は広うございますが、片倉のような者は、ご存じのように、たった一人で、なんです――
宗定 すると、君なんぞは、なにかね、戦争には賛成なのかね? それでキリスト教の信者といえるかね?
人見 いえ、この、なんです、この、信仰上のことと、実際の、この国家といいますか、自分が生きている此の国の法律や、国策に従うという事は、自ら、別の事でございまして――
宗定 そりゃ理屈だよ。僕のいっているのは、理屈以上の、この、現実というかね、現実問題としてだよ、キリスト教の中から国策に対して正面きって反対した人間が一人でも現れたとなると、キリスト教ぜんたいが、あぶなくなるという事をいっているんだ。……そいでまあ、要するにだよ、まずい事にならんようにだなあ、ここいらで、本気になって君も考えてくれんといかんだろう? 今日は、まあ、これが最後だ。――この、最後的に、この男や君のりょうけんを聞きたいと思って来たわけだ。そいで――
黒川 わしらも、実にもう、やりきれなくなって来たからねえ。もう半年以上にも、なるんだから。これ以上、留置場や保護室を、こんな男でふさげて置くわけにもいかん。(その間に、今井はバケツを持って友吉のそばに寄って、水で友吉の顔を撫でていたが、いつまでもグッタリしているので、この時、バケツの水を友吉の頭にザッと叩きかける)
友吉 ……(ピクンとして、顔をあげて、視線のきまらない眼で遠くを見て低くいう)た、助けて、ください……
宗定 どうしたい?……(立って[#「立って」は底本では「立つて」]椅子をそっちへ持って行く)
友吉 ……(弱り果てた、しかし、すこしもインウツではない、たとえば自分を苦しめている熱病のコンスイから眼をさました子供のように、すこしキョトンとしてそのへんを見まわす)
黒川 どうだね?え?
義一 ……(黒川の足もとでムックリ起きあがっている。この方は、老いの顔が苦痛にひきゆがんで眼がすわっている。起きあがるなり、友吉をにらみつけて、ふるえる声で、脈絡のない言葉で、どなる)在郷軍人会や銃後奉公会からいろいろとウルサイことをいわれるから、自分の所まで痛くない腹をさぐられるのはイヤだから、今月一杯で是非たちのいてくれ! オオヤの松村さんではそういうんだぞ。無理もないのだ。無理はない! しかし、こんだけ家がドンドン焼けちまっているのに、どこに引越して行く家が有るというんだ? うん? 町会じゃ、そんな非国民の家に配給をするのはごめんだといって、そのたんびに、ひどい事をいわれる! おっ母さんは――おりくは、とうとう寝ついてしまった! 明は会社をやめさせられてカツギ屋になったが、ヤケになって酒を飲むことをおぼえて、一銭だって内にゃ入れない! 俊子は俊子で電燈会社で首になりそうになっているんだぞ! 俺の方も、ちかごろ時計の修繕の仕事も、まるきりなくなって、一家四人が、この先どうなるというんだッ! それも、みんな、お前のセイだ。お前が、こんな――
黒川 いいよ、いいよ、わかってる。まったくだ。実にこの――いえ、ようくわかってるから、いいよ、おやじさん!
義一 いいえ、あなた! なあに、そんな事だけなら、なんでもございません! どうで、こんな人でなしの奴を出したんですから、一家のものがそのために食えなくなろうと、石を投げられようと、それ位のことは、あたりまえだと存じますよ、はい! わしが腹にすえかねるのは、よりによって、このわしの子供にです、いえ、わしの家は今こそビロクしていますが、もとはひとかどの士族の家でございまして、天子様に対しましてです、この――いえ、その家からです、こんな不逞の、けしからんチクショウを出したと思いますると、それだけが、それだけが、わしはくやしゅうございまして、ほんとに!(フラフラしながら、友吉の方へ向って、竹力を握って立ちかける)
宗定 もういいから――よくわかったから――おい君!(今井に眼顔で指示する。今井、義一を制止する)
義一 てめえみたいな奴は、一刻も早く、舌でも噛みきって、死んでしまえッ!
黒川 もういいから、だまりたまい!(今井に手を貸して義一を室の隅の方へつれて行って、押えつけるようにして坐らせる。今井は、義一の耳に口を持って行って、しきりとなだめている)
宗定 ……(タバコを深く吸ってから、ニコニコしながら友吉に)なあ! 今日は警察の者としていうんじゃないよ。国民の一人として――つまり、君も僕も国民どうしとしてだなあ、いうんだが――どうだね、ここいらで、気を入れかえてつまり心気一転して、これまでの事は、いっさいなかったことにして、出直してくれんか。こうして、われわれも、そいから、君の家の人たちも、(人見をアゴでさして)先生もだねえ、困りきっているんだから、どうだろうね?
友吉 ……(スナオに頭をさげる)すみません。(つづいて父親の方へも人見の方へもおじぎをする)……すみません。
義一 すまないと思ったら、すぐに、今日にでも――
宗定 おやじさん、君はいっとき、だまっとれ!(友吉に)……ほんとに、じゃ、すまないと思うんだね?
友吉 はい。みなさんに、御心配をかけて――
宗定 じゃ、召集に行ってくれるね?
友吉 ……それは、あの――
宗定 え? 出征するんだね?
友吉 いいえ。
(一同がシーンとしてしまう。友吉の無邪気な答えに、一同はこれまでに馴れている。しかしまた、この無邪気さが、とうてい抵抗することのできないものであり、この後はただ押し問答になるだけである事も知っている。――その絶望と、ふんまんと、更に此の際にまで相変らずの事をいって落着いている友吉へのアキレとの入りまじった沈黙。……間)
宗定 ……(やっと自ら気をひき立てるようにして)ふむ。いや、もうこれまでにいうだけの事はお互いにいいつくしておるし、キリスト教の教義についての議論も、もうたくさんだ。同じ事をなん百度くりかえしても、しかたがない。……だけど、今日は最後だから、ホンのひとこというがね、お前がそうして召集に応じないと、けっきょく、お前自身身の上――つまり命がだな、どういうことになるか、知っておるね?
友吉 ……はい。(コックリをする)
宗定 それでいいんだね?
友吉 ……はい。エスさまのために、私は……
宗定 (たまりかねて、どなる)ヨマイごとをいうのは、よせッ!ぜんたい、そいつは、どこの馬の骨だッ!エスさまなんかよりゃ、わが国には上御一人、つまり天皇陛下がいられる事を、お前は忘れたのかッ!
友吉 (びっくりしてオドオドする)いえ、そ、そんな――
宗定 第一だ、わが国民が今イチガンとなって戦って――この、戦線でも、銃後でもだ、敵のために、バタバタと虐殺されておる! それがわからんのか、お前には! 殺されているのは、お前の同胞――つまりお前の兄弟だぞ! 兄弟を殺している、その敵がお前は憎くないのかッ!
友吉 ……(返事ができなくなる。それは、しかしあいてを怖れているというよりも、自分に理解のできない理由でもって怒っているオトナに対してトホウにくれている少年のような沈黙である)……
宗定 なぜ返事をしない! ううん? ……なぜ返事をしないのだッ!
友吉 ……はい。
義一(たまりかねて今井の腕の中で、どなる)この、チク――返事をなぜ、この――
友吉 ……(父親からいわれると、本能的にオドオドして)はい。あの……ぼくには、よくわからないもんですから――
宗定 わからない筈はないじゃないか! 現にこうして、爆弾でおれたちをひどい目にあわしている敵の奴を、お前は憎まないのかといってるんだ!
友吉 (救いを乞う目で人見の方を見ながら)……はい。でも……私たちは、互いに愛さなくてはなりませんから――(いわれて人見がギクンとして腰をあげる)
宗定 愛? 愛! ……すると、なにか、敵でも愛さなきゃならんのか? いや、なきゃならんじゃない、現にお前は愛しているのか?
友吉 ……(まだ人見を見ながら)はい。……そうです。あの、なんじの敵を愛せよと、あの――
宗定 われわれの兄弟や姉妹や、罪のない子供までバタバタ殺している敵だぞ?
友吉 (青くなって下を向いた人見から視線をそらされてしまって、しかたなく宗定を見て)はい。でも……日本人も、向うの人を殺したりしているんですから――あの、ですから、どっちが悪いとかではなくて――戦争は、いけないんです。人が殺し合う、あの、戦争は、やめなければ、いけないのです。まちがっています。おそろしいです。みんな、こんな事をしていると、サバキの日に、地獄に落ちます。……予言してあります。……みんな、そんな事は、やめて祈らなくては、なりません。祈って、あのたがいに許し合って――
宗定 ……(聞いているうちに、怒りが心頭に発して来て、まっさおになってイスから立ちあがっている)おそろしい……地獄……じ、じ、じ――(と口うつしに無意識にいっている間にワーッと叫びかけるが、その激怒頂点で、耐えきれないほどおかしくなって)ヒ! ヘヘヘ! たがいに、許し……フフ、アッハハハ、ハッハハ、ヒヒ! ハハハ、ヒヒ! チキショウ! ハッハハハ!(とめどなく笑う。黒川も今井も釣られて笑い出す。最後に人見までが、歪んだ顔で笑い出している。義一だけが恐怖のまじった、いぶかしそうな顔で一同を見まわしている。友吉はただいぶかしそうな眼で皆を見る)
今井 ワッハハこれですからねえ! 話にゃならんです、ハハハ、ヒヒヒ!
宗定 ……(ピタリと笑い止んで、まだ笑っている今井の方を見ていたが、又ニヤニヤしはじめそうになって来る自分に腹を立て、スッと立って今井の方へ行き)……なにが、おかしいんだ、君あ? ――(イキナリ、猛烈ないきおいで、今井の頬をピシリッと打つ。今井が、いっぺんに笑いを引っこめて、不動の姿勢をとる。他の一同もシーンとなってしまう。……宗定、サッサとイスにもどって来て低い声で)じょうだんじゃないぞ。……なあおい?(友吉を見る。すると又、笑えて来る)フフ!
友吉 はい。……(スナオにコックリをしてから、衰弱した青白い顔で花が開くようにニコッとほおえむ)
宗定 ……(その微笑を見ているうちに、なにかギクッと顔色を変える。人見は、宗定と友吉をかわるがわる見ながら、膝の上の両手を腹のところでシッカリと組み合せている)……(低い押しころした声で)ぜんたい、お前は誰だね?
友吉 は?
宗定 お前は、なんだ?
友吉 ……はい。片倉友吉という――
宗定 そうじゃない。そんなお前、今どき、この――
友吉 時計工で、あのう、――組立てやなんか――時計屋であります。
宗定 そりゃお前、そんな――(ついに、くたびれてゲンナリしてしまい、しばらくだまっている。……間。……誰もなんにもいわない。‥…宗定やっと自分から回復して、今度は怒りを底に沈めた事務的な調子で)……よし。そりゃまあ、よろしい。これが最後だからね、いいね?(内ポケットから調書を取り出して、ペラペラめくって見ながら)かんたんにいう。ええと――お前は、戦争は、やめなければならんといっているが、これは昨日や今日はじまったものじゃない。いろんな原因が押せ押せになって、しかも、相手のある仕事だ。あれやこれやの原因が次ぎ次ぎとノッピキならずつながり合って、遂にしょうことなく此処まで来たものだ。……つまり川の水が流れくだって来たようなもんだ。よさなければならんと、いくら思っても、押しくだって来た水の勢いを、今ここでせきとめるわけには、いかん。不可能だ。いいかね? しいて、とめようとすれば、おぼれる。つまり、今、よせば、こっちの負けだ。……それでも、やめるのかね?
友吉 ……でも、はじめ、日本からしかけたのですから――
宗定 真珠湾攻撃の事かね?
友吉 ……はい。
宗定 しかしそれは、向うが日本を包囲してしまってだな、手も足も出なくさせたからじゃないかね? つまり、武器を取って最初に立ったのは此方だが、向うは武器以上の根強い経済封鎖なんかという方法で此方の首をしめて来た、つまり、そういう意味では、手を出したのは向うだともいえる。どうだね?
友吉 でも、日本ではその前に満州を取ったりなんかしていますから――
宗定 満州にしてからがだ、わが国では、これだけの人口を、これだけの土地ではどうしても養えない。だから、けっきょく、やむにやまれず、満州に進出した。
友吉 でも、満州は、よその国だったんですから――
宗定 横取りするのは、いけないんだね? よろしい。すると、日本はどうして日本全国民を養えばいいのだね? 土地がなければ、食べる物がたりないんだぜ?
友吉 世界中の人たちが、それは考えてくれて、なんとかしてくれなくちゃ、いけないんです。それを考えてくれなかった向うの人たちも、そりゃ、いけなかったと思います。だけど、そりゃ、なんとか話して頼めば、わかってくれると思うんです。それしないで、いきなり、軍隊でよその国をとったりするのは、まちがいでございます。
宗定 なるほど。……わかったわかった。すると、今、わが国がこれだけ総力をあげ、人命をギセイにして戦っているのが、聖戦でもなんでもない、つまり強盗と同じ――侵略戦争なんだね?
友吉 ……戦争は、みんな、よくない事です。
宗定 よしと。……しかしなあ、開戦以来、敵の飛行機はドンドンこっちへやって来て、バクダンを落しているが、日本の飛行機は一機だって半機だって向うの本土には行ってないね? それでも日本のしているのは侵略戦争かね?
友吉 戦争は、だれがしても、どこの国がしても、よい事ではありません。
宗定 一番悪いのは日本だが、しかし日本だけが悪いんじゃないんだな? よしよし。ところで、お前はこうして出征するのをこばんでいるが、こんなことをすると、国家の法律や軍刑法で、どんなふうに処罰されるかという事は、知っておるね?
友吉 はい。……
宗定 知っておると。……それを知っていても、出征しないというのは、なぜだね? こうしていれば必ず殺される。出征すれば、うまくすれば死なないですむかもしれんねえ? なぜかね?
友吉 なんじら、互いに愛せよと――
宗定 わかった、わかった! そりゃわかっている。だからさ――
友吉 殺すなかれと、あの、エスさまがおっしゃって……殺すとエスさまに、しかられます。そして地獄に落ちます。出征すると、人を殺さなきゃなりません。……ここで死刑になれば、エスさまの、あの、天国に行けますから、ぼくはあの――ですから、ぼくは、死刑になってもいいんです。
宗定 よろしいわかった。うむ。……しかし、そのエスさまだって、天国だって、死んでから先きの事だろうが? ホントにいらっしゃるものやら、ホントに有るものやらわからんのじゃないかね?
友吉 いいえ。……天国のことは、なんですけど、エスさまは、いらっしゃいます。留置場に時々、あの、ぼくは見るんです。
宗定 ふむ。……お前は、この、宗教上の狂信者というものが有るという事は知っとるかね?
友吉 はい。
宗定 自分がそれじゃないかと思った事はないかね? つまりキリスト教に夢中になりすぎて、自分の頭がどうにかしてしまったんじゃないんだろうかと思った事はないかね?
友吉 それは、そんなふうに思ったことも、あります。しかし、僕の頭はどうにもしたんじゃありません。エスさまは、チャンといらっしゃるんですから。
宗定 ふんふん。よろしい。大体まあ、それでよいが、この、なんだぜ――
人見 ああ! ……(それまで宗定と友吉の問答の一つ一つを、緊張のために眼をむきだして聞いていたのが、この時、苦脳のうめき声を立てる)あの、なんです、この……おい片倉! 君も、この、君は考えてくれなくては困る! 信仰は――この宗教上の信仰の点では、君は、えらい。いや、その、えらいようだけれども、それは君、狂信だ。たしかに狂信だ。そりゃ、聖書に書いてあることを、そのままに信ずるという事は、大事ではあるけれど――いや、この、聖書のことだって、いろいろの解釈が有るのだ。解釈しだいで、この、なんです、つまり――いや、われわれはキリスト教の信者であると同時に、いや、信者である前に、日本国民だよ。だから、信者として守らなければならぬ信仰上の事がらも――いや、それも大事だけれど、その前に、日本国民として守らなければならぬ事が有る。それを忘れてだな、聖書の言葉をウノミにして自分を押し通そうとする事は、日本国民としてあるまじきことだし、いや、それよりも、実はキリスト教徒として、それは、まちがっている事だ。いいかね、友吉君! 今、君がいったような事は、言葉の、文字の上では正しいようだけれど、実際に於ては、まちがっている! そうじゃないか? だって、向うには、つまり敵国は、キリスト教国なんだから、日本よりたくさんのキリスト教徒がいる。その国が、その国の人間が、誰も戦争に反対してはいないのだ。進んで戦争に参加しているじゃないか。え、どうだ? それを見ても、君のそのような狂信が――
友吉 ……それは、向うのキリスト信者も、まちがっているんです。
人見 そ、そんなふうに思うのは、君のゴーマンさだ。世界中の人間がまちがっていて、自分だけが正しいと思うのはゴーマンさだ。いいかね? 信仰上の事は、神の国のことだ。霊に関することだ。しかし、われわれが生きているのは、この世だよ。この現世だ。つまりケーザルによる社会だ。われわれには霊も有るが、肉体も持っている。肉体には、食物も必要だし、食物のためには、戦うことも必要だ。そのためには、しかたがなければ戦争もしなければならぬ。つまり、われわれが生きて行くため――肉体を生かして行くためには、好もうと好むまいと、必然的に戦わなければならんのだ。肉体自身が、そのままで一個の戦いだからね。つまり、戦争というものは、肉体にとって、やむにやめない、つまり運命なのだ。避けようとして避け得られない結果なのだ。そのように、われわれは生みつけられているのだ。そういう肉体を持ちながら――そういう肉体をたもち、永らえて行きながら、その必然の結果である戦いだけを否定するという事は、ムジュンしているんだ。いいかね? すなわち――
友吉 ですから、ぼくは、死刑になってもいいんです。
人見 君一人は、それでいいかも知れんさ。しかし、君の親兄弟や、今の聖戦で、総力をあげて戦っている全国民はどうなるかね? みんな、死ねばいいのかね? ……そらごらん! 君はまちがっているんだ。まちがっている! 絶対に、この――だから、どうか頼むから、眼をさましてくれたまい。私は――
友吉 だけど、僕を導いて、信仰をあたえてくださったのは、先生じゃありませんか。洗礼もあの――。ぼくがいっているのは、おとどし、先生がぼくに教えて下さった通りですもん――
人見 ……(ギクッとして、黙り、友吉を睨んでいたが、やがて苦しみのために、上体をうつぶせに畳に倒し、両手を額の所に組み合せる)ああ! 神さま! 私は――(いいかけて、自分が祈ろうとしかけている事に気附き、ビクッとして起きあがり、宗定や黒川などを、おびえた眼で見まわす。宗定も黒川も、今井も義一も、だまって人見を見守っているだけ。……カーッとして叫ぶ)それは、それは――私が君に教えてあげた事は、そういう意味じゃなかったのだ! そんな、そんな――君のように解釈するのは、まちがいだ!
友吉 殺すなかれ、なんじら互いに愛せよというのは、じゃ、あの――?
人見 ……(涙をバラバラとこぼして)君を、私は助けたいのだ! 救いたいのだ! 君の考えは、まちがっている! そうだ、そんなふうに解釈するんだったら、私のいったことは――私が君に教えたことは、まちがいだった! つまり、それは誤解であって――
友吉 ちがいます。先生には、悪魔がとりついたのです。エスさまは、そんな――
人見 ああ! 友吉君! そんな君! 君はゴーマンにとりつかれている! 君は、この世の中にたった一人で生きていると思っているのか? 君の兄弟姉妹が、今どんなに苦んで――妹なども君の事については、とても、とても、苦しんで、心配して、――どうして君はこんなにわかってくれないんだ? 神さまは、そんなに君をかたくなな人間に――
(そこへ、わりに近くで、ウーッとサイレンが鳴りひびいて来る。一同ちょっとハッとする)
黒川 ……(しばらく、聞きすましていてから)来たな!
宗定 警戒警報だろう? だいじょぶだよ。
今井 いゃあ、たしか、昼前の警報がまだ解除になっていなかったから――ああ、やっぱり、空襲警報ですよ!
黒川 ……(構内のどこかで、ラジオが鳴っている。それに耳をかたむけていたが、よく聞きとれないので)うむ。どれどれ――(ソソクサと出て行く)
今井 (宗定に)やっぱり、そうのようです。待避なさったら?
宗定 そうさねえ。……(友吉や義一や人見を見まわしていたが)うん。……
(急に小走りに室を出て行く。今井は、友吉や他の者たちをどうしようと思って、ちょっとためらっていたが、警報がやつぎばやに聞えて来るので、あわてて、三人をそのままにして走り出して行く。あとに取り残された友吉と義一と人見の三人。友吉はボンヤリして、あたりを見まわしている。義一は急に刑事たちの立ち去った理由がのみこめないでキョロキョロする。人見は苦悩に打ちひしがれて、しばらくは見も聞きもしないで石のようになっている。……断続してひびいて来る空襲警報)
人見 あ!(不意に我れに返って、いっぺんに事態をさとって)いけない! 空襲だ! ええと、友吉君――(義一に)あんたも、この、あぶないから、――(友吉に)いつも、なにかね、そのまま、留置場に居るのかね、空襲の時は?
友吉 ええ。
人見 じゃ、早く、この――(義一に)あんたも――
義一 こんな野郎は、わしの子じゃない! わしはこんなダイソレた子を生みつけたおぼえはない! 先生、あんたを、わしはうらみますよ! なんでまた、よりによって此奴を――そうですよ、今どき、こんな奴は、日本国中に、此奴一人しきゃ居らん! わしは、うらめしい、先生!
人見 それは私も――しかし、とにかく――
義一 こんな奴を、わしの子供に生んでしまった此奴の母親を、わしあ、叩っ殺してやりたい! ――(いっているうちにカーッとして、フラフラと立ちあがり、友吉に近づき、いきなり襟くびをつかむ)死んでしまえ! 早く死んでしまえ!
友吉 ……(その父の、ほとんど錯乱した顔を見あげていたが)お父っあん!(泣く)
義− よし、わしが、じゃ……(ふるえる両手に力を入れて友吉の首をしめはじめる。友吉抵抗せず)
人見 まあまあ、おとっつあん!
義一 わしが、わしが、此奴を生みつけたんだ! わしが殺してやる! このチキショウめ!(けんめいに力を加える)
友吉 く、苦しいよ、お父っあん[#「お父っあん」は底本では「お父つあん」]! かんにんして――
人見 ああ! ちょ、ちょ、ちょっと、そんな――(恐怖と苦悩のために、両眼が飛び出しそうな顔で、動けなくなり、畳に突っぷして、両手を組合せる。義一に首をしめられた友吉の顔が次第に土気色になって、眼が釣りあがって来る。……その間も、底気味悪いサイレンは断続してひびいてくる)

        5

 夜の会堂。
 木造の貧弱な教会の内部で、久しく集会も廃されて、あちこちと荒れすたれ、一隅は人見兄妹の起居に使用されている。粗末な木のベンチが一方に積みあげてある。
 ローソクが一本、窓の下の台の上にともっており、その光が窓にはめたささやかなステインド・グラスを照らしている。そのローソクに向かい、ユカにひざまずき、ベンチの坐板に組合せた両手を置き、それにヒタイをつけて、動かないでいる治子。……

治子 ……(はじめ、ささやくように)神さま……わたくしたちをお助けください。……友吉さんを、お助けください。……それから、兄さんを、お助けください。……それから、友吉さんのお父さん、お母さん……明さん、妹さんを……お助けください。どうぞ、どうぞ、お助けください。神さま……(ウ、ウ! とすすり泣きそうになった声をおさえつけ、しばらく黙っていてから、つとめて静かに、「教会式」なとなえかたで)……天にましますわれらの父よ、願くばみ名をあがめさせたまえ。み国をきたらせたまえ。み心の天になるごとく地にもならせたまえ。われらの日用のかてを今日もあたえたまえ。われらにおいめある者をわれらが許すごとく、われらのおいめも許したまえ。われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えは、なんじのものなればなり。アーメン。……(かなり永く黙っている。フッと顔をあげる、こっちの暗い遠い所を、なにかを捜し求めるように、また、それをとがめるように、深い目でジッと見る。白い頬が時々ピクリとする。……やがて顔全体が、ゆがんでくる)……だれが、まちがっているのでしょうか? ……どこの国が……どんな人たちが、まちがっているのでしょうか? ……みんな、みんな、まちがっているのでしょうか? ……それとも、あなたが、まちがっていらっしゃるのでしょうか? ……みんな苦しんでいます。みんな、私たちは、どうしてよいかわからないで、死にそうになっています。……みんな、私たちは、お互いどうしで殺し合っています。……私たちを助けに、早く早く、来てください。ホントに、あなたがいらっしゃるなら――私たちを、助けに来てください。(ささやくように、暗い中を見つめている間に、次第に熱して来て、眼がキラキラと光って来る)……あなたが、いらっしゃるのが、ホントの事ならば――神さま!(ガバと、再びベンチに顔を押し当て、早口に、シドロモドロに祈りはじめる)私たちを助けに来てくださいまし! 昨日は、私たちの工場に爆弾が落ちて、私のお友達が十八人、いっぺんに死にました。そして、日本の兵隊も向うの人をドンドン殺しています。……どうか、やめさせて下さいまし。あなたがいらっしゃるのでしたら、もうこんな恐ろしい事は、やめさせて下さいまし。あなたさまの力で、やめさせて下さいまし。私たちを助けて下さい、神さま! 友吉さんを助けてください! 兄さんを助けて下さい! 友吉さんの家の人たちを助けて下さい! あなたは、私たちの救い主でいらっしゃいます。あなたは天と地の主でいらっしゃいます。あなたは全知全能の神でいらっしゃいます。あなたのおぼしめしがなくては、野原の小さな花も咲きません。空の小鳥もあなたのおぼしめがなければ、死んで落ちるという事はありません。あなたは、すべてを知っていらっしゃいます。あなたは、どんな事でもおできになります。あなたを、私は信じます。どうぞ、どうぞ、あなたのお力で私たちを助けて下さいまし!(その言葉の中に、薄暗がりにある戸が開いて、兄の人見勉が入って来る。妹の祈りの言葉に立ちどまって、こっちを見ていたが、やがて近づいて来る。ローソクの光の中に浮びあがって来た彼の姿は憔忰し切っている。左手に鉄帽をかかえている。青いボンヤリした顔で妹を見おろしている。治子は祈りの中に我れを忘れて、兄の入って来たのを知らぬ)……私たちを――私を――恐ろしい試みに逢わせないで下さいまし。友吉さんは、善い人です。あの人のように、正直にあなたを信じている人は居りません。美しい心の、やさしい人でございます。そして、あの人は今、ひどい目に逢っているのです。あの人に罪が有るとするならば、それは、ただ、あの人があなたさまを信じたという事だけでございます。あの人にとって、そのために、つかまって、ひどい拷問にかけられたり、家の人たちがセケンから迫害されたりする苦しみをこらえているよりも、兵隊になって出征してしまう事が、ズットズット、ラクなのです。それを、あの人は、あなたさまを信じたために、あなたさまの御子イエスさまのお言葉を信じたために、――そして、ただそれだけのために――死ぬよりも苦しい目を見ています。……そして、友吉さんを、あなたさまのミモトに導いてあげたのは、私の兄でございます。私を導いてくれたのも、兄でございます。(人見がピクンとする。そして、声をかけようとするが、口がパクパクするだけで、声にならぬ)兄に罪が有ったでしょうか? 神さま、あなたのお示しによって友吉さんを、あなたさまのミモトに導いた兄に罪がございますでしょうか? 兄は善い人です。兄は悩んでいます。兄は、自分で自分を疑いはじめています。そして、あなたさまを疑いかけています。兄は、かわいそうです。……早く早く此処へ来て下さい。そして、私は此処にいる、安心するがよい、苦しみを耐えしのべといって下さいまし。そうしたら、兄は安心して、どんな苦しみにも耐えて、あなたさまの栄光と、さばきの日を信ずることができるでしょう。兄は何一つ、むくわれる事を望んでいるのではありません。ただ、栄光とサバキを信じながら――あなたさまに、すべてをおまかせして、そのためにはどのような苦しみにも耐えようとしています。ただ、あなたさまを信じないでは、兄は一刻も耐えて居られません。兄の苦しみは、それほどまでにひどいのです。どうぞ、どうぞ、神さま、あなたさまを信じさせて下さいませ。一刻も早く、あなたのいらっしゃる所から……此処へ降りておいで下さいまし。そして、友吉さんや兄に、よしよし私は此処にこうしている、此処にこうしてお前達を見ていてあげる、とおっしゃって下さいまし。神さま、私たちを――
人見 治子……おい、治子。
治子 ……(兄を見る。すこしもビックリしない。何かにとりつかれたような眼で、兄を見守っている)……いつ、帰って来たの?
人見 うん。……夕飯は食ったかね?
治子 じゃ、警察では、もう、帰っていいって――?
人見 いや、どうせ、また呼ばれるんだろう。
治子 そいで……友吉さんは?
人見 やっぱり同じだ。……からだが、だいぶ弱って来てるようだ。……そこへまた、お母さんも呼ばれてね……あのお母さん、警察であばれてしょうがないので[#「しょうがないので」は底本では「しようがないので」]、今、私が家まで送りとどけて来た。
治子 俊子さんの眼、どうかしら?
人見 まだホウタイが取れないで寝ていた。
治子 お医者にはかかってるかしら?
人見 さあ、あすこも金がないようだからね。
治子 どうして会社の方で、病院に入れてくれないのかしら? だって、挺身隊に出て働いてる最中に空襲を受けて眼をやられたのだから、俊子さん、りっぱな公傷でしょう?
人見 ……でも、こんなテンヤワンヤで、そんなこともチャンと行っていないんじゃないかね。
治子 ……そいで、くらしの方は、あすこの――?
人見 おやじさんの時計の修繕の仕事もあんまりないようだし、明君がカツギ屋をやってるらしいがタカが知れたもんだろう。
治子 ……すると、しかし、明さんが出征してしまえば、あと、どうなるんでしょう?
人見 ……うむ。……夕飯、まだなんだろう?
治子 ええ。配給が遅れて、なんにもなくなって――
人見 これをお食べ。(鉄帽をベンチの上に置く)大豆だ。すこし買ってね、半分だけ片倉んとこに置いて来た。……ううん、イッてあるよ。――
(疲れ切った様子で、くずれるようにベンチにかける)
治子 私より、兄さんお食べなさい。
人見 いや、私あ、いいんだ。お食べ。
治子 ……(鉄帽の中から大豆をつまんで噛む)
人見 ……(自分も手を伸ばして大豆をつまみながら)治子。
治子 …………?
人見 お前、友吉君を、好きかい?
治子 …………?
人見 好きだね? そうだろう?
治子 ……(マジマジと兄を見つめている)
人見 いや、私のいうのは……ただ友だちとして、また、同じ、この信仰上の、なにとしてでなくだよ……いや、それもあるにはあるが……それだけじゃなくさ……つまり、男性として……なんだ、つまり、この愛しているというか……そうなんだろう?
治子 …………(石のようになっている)……急に、なぜそんな事を、兄さん?
人見 いや、べつになんでもないんだけど……この聞いときたいんだ……そうだね?
治子 ……(かすかに、うなずく)
人見 ふん。……(黙って大豆を噛む)それを、だいじに、するんだね。……だいじにしなければならぬ事は、もしかすると、それだけしかないかも、わからない。……なんでもよい、肉体をだ。肉体の思いをだよ。……それだけしか人間にはないのかもしれない。ふん。……友吉という男は、おそろしい男だ。しかし、美しい男だ。私には、わからない。あんな人間を私は知らない。……われ、その人を知らず。この時、にわとり三度鳴きぬ。ペテロ、外に出でて、いたく哭けり。……フ、フ、フ。……(フッと治子を見て)さっき[#「さっき」は底本では「さつき」]、祈っていたね?
治子 ……ええ。
人見 ……私は、ちかごろ、祈れなくなってしまった。……祈っていても、すぐに、なんか、けんとうちがいのような気がするんだ。相手がまちがっているような気がする。……(キョトリキョトリと暗い周囲を見まわす)……祈らなきゃならんのは、もっと[#「もっと」は底本では「もつと」]、べつに有るんじゃないだろうか? ……(恐怖に満ちた目で治子が彼を見つめている。人見も治子の顔に目を止める。兄妹が、ジッと見合っている。……そこへ、はじめ遠くから、次第に近く鳴り響いてくるサイレン。それにつれて、かなり離れたところで、監視員が情報と警報をどなっている声)
治子 ……(耳をすまして聞いていたがいきなり)空襲のようです。
人見 たしかに、けんとうちがいだ。
治子 ……(その兄のサクランしたような表情をして動かないで坐っている姿を、ジッと見るが、戸外の気配を察して、ローソクの光を吹き消す。まっくらになる)……兄さん。
人見 うん?
(サイレンの音つづく。……戸外遠く監視員の警報伝達の声。それも、やむ。静かになる)
人見 (まっくらな中で)……あんなにカタクナな人間を、私は知らない。あんな柔和な、おとなしい人間が、どうして、あんなふうになるんだろう? ……私にはわからない。……あの男のいっていることは、正しいのだ。あの男の信仰は単純なものだけど、まちがっては居ないのだ。……それを、そんなふうに教え、そんな信仰をあの男にあたえてやったのは、この私だ。……そして私は今、それがみんな、まちがっていたから、転向しろとあの男にいいきかせている。そんな信仰は、みんなウソだから、捨てろといっている。……フフフ。……あの男は聞かない。私が今そんな事をいうのは、悪魔にとりつかれたためだといってる。そして私は、祈れなくなってしまっている。なにもかもを、疑いはじめている。……それが、みんな悪い人間の悪い行いを見たためではなくて、正しい人間の正しい行いを見たためだ。……私を地獄に落したのは悪魔ではなくて、天使だ。……私をダラクさせたのは、疑いではなくて、信仰だったのだ。……ユダがもし、キリストに逢ったり、キリストを信じたりしなかったら、悪人にならないですんだのではないだろうか? ……私の信仰をつつきこわしてしまったのは、片倉の信仰だ。まるで神さまのようなあいつの強い信仰が、私をドブの中に叩きこんでしまったのだ。……弱いため? 私があの男よりも弱いだけのためというのか? そんな事はない。だつて、それなら、私以外のすべてのキリスト教徒はどうなんだ? みんな弱いためなのか? ……弱いだけのために、戦争をしているのか?……そんな事はない。それが人間なんだ。弱いとしても、それが人間の普通なのだ。それが人間の肉体だ。……そんなふうに肉体をこさえた者のせいだ。……つまり、あなたのせいだ。つまり、それは、あなただ。……あなたが居て、そして人間がいて、原罪が生れたのではない。人間が出来た時に、人間の肉体が生れた時に、その肉体それ自身が原罪なんだ。つまり、あなた自身が、そのままで原罪それ自体なのだ。神の反対物として罪が有るのではなくて、神自体がそのままで、そして、その総量が、罪と悪それ自体で、罪の総量だ。……そうでなければ、カンジョウが合わない。そうでなければ、あなたは、あんまり、エテカッテだ。
治子 (くらやみの中で)……兄さん! よして。もう、よして。
人見 ……(しばらく黙っている。高射砲が鳴りはじめる。それを蔽うて、襲って来た飛行機の爆音。それから、ショウイダンを[#「ショウイダンを」は底本では「シヨウイダンを」]落しているジャージャーという音。それらの音を聞きながら、暗い中で二人は動かない)……ごらん、そうじゃないか。……ほら! ……すべての物を作りたもう。いいかね、すべての物だよ? ……だから、そうなんだ。そうでなければ、カンジョウが合わない。……神は悪だ。そして善だ。善で悪だ。ハッキリというと、だからなんでもないんだ。つまり、無だ。プラス・マイナス、ゼロだ。……そう思いたいんだ、実は。ところが、思えない。……ざんねんだが、どうしても、思えない。……どこかにいらっしゃる。それが、私にわかる。……やっぱり、どこかに居るんだ。……そして、こっちを見ている。……どっか片隅に居てコッソリこっちを見ている。……(立ちあがっている。その時、照明弾の強い青い光が、窓を照らし出して、室内をカッと明るくする)……じゃまっけだ。じゃまだ。片隅にコッソリかくれていて人間のすることにケチをつける。
治子 兄さん!(空襲と兄への二重の恐怖のために、兄の顔と、窓の外を見くらべつつ、これも立上っている)
人見 よけいな事だ! オセッカイだ! そうじゃないか。……あなたを隅っこから引っぱり出して来て、しめ殺してやりたい!(兄妹の顔を真青に照らし出している強い光)

        6

 片倉一家の壕舎。
 地中に掘りさげたものではなくて、傾斜地に作った横穴壕を、すこし掘りひろげて三畳ぐらいの広さにしたもの。土の上に板を敷きならべ内部の一隅にフトンをしいて、両眼をギッシリとホウタイした俊子が寝ている。母親のリクは、その枕もとに坐って、口の中でブツブツいっている。父親の義一は、こちらの片隅にすえた石油箱に向って、時計の修理をしている。入口に近い、焼けた木の根に、きたない訓練服にゲートルで、よごれたリュックをわきに置いて、たった今よそから帰って来たらしい、憔悴した明。酔っている。それに向って立っている工員姿の北村。
 午後の陽がひどく明るく静まりかえっているために、焼けくずれた傷痕のなまなましさが、光景の上にも人々の姿や表情の上にも、かえってクッキリと現われている。

明 ……(抑揚なくノロノロと)……だから、……だから死ねば、いいんだろう?
北村 そんな君、そんなふうに――
明 死んじまやあ、いいんだろう? いいじゃねえか、それで! んだから、俺あ志願したんだ。許可がおりるのを待っているんだ、だから。……死ねばいいんだ。ヘイチャラだよ、死ぬことなんか!
北村 そりゃ、俺だって――しかたがねえからね。それに今となっては、工場で働いていたって、ブーッと来れば、いつなんどき[#「いつなんどき」は底本では「いっなんどき」]、それっきりにならんとも限らないからね。同じことなら、一日も早く出かけちゃった方がいいもんなあ。……しかし俺のいってるのは、そうやって明ちゃんが買い出しに行ったり――酒のんだりして、ヤケみたいになっているの、つまらんと思うから――
明 そうだよ、俺あカツギ屋だよ。酒も飲むよ。いいじゃねえか。なにが悪いんだい?
北村 いや、悪いというんじゃねえけどさ――
明 そいじゃ、俺んちじゃ、どうして食って行きゃいいんだよ? 三月に焼け出されてからこっち[#「こっち」は底本では「こつち」]、(壕舎の中をアゴでしゃくって見せて)……これだぜ。オヤジは、あれで仕事をしているみたいだけど、なんにもしてや[#「してや」は底本では「してゃ」]しないんだ。人の話も聞いちゃいねえ、ああして時計をいじくりながら、兄きの事ばっかり考えているんだ。そうかといって俺がチョウヨウの芝浦の荷かつぎにクソマジメに毎日行って稼いだって、一日に十五円だよ。そいつを又、親方が三割ぐらいピンはねるから、手取十円だ。十円で四人口がどうしてまかなえるんだよ、え、北村君?
北村 ……そりゃ、そういわれりゃ、なんともいいようがねえけどさ、でもつらいのは君んとこだけじゃないと思うんだ。今となっちゃ、みんな、どこの家でも無理に無理をしてだなあ、なんとかガンバッて行かないといけないと思うから。そりゃ君、自分一人や自分のうちだけの問題じゃない、国ぜんたいが、ノルかソルかのさかい目に来ているんだから、そこを君――
明 (歌う)米は百円する、ヤッコラサノサってんだ! ヘッヘヘ、なによいやあがる、主食の配給でもチャンとしてからにしろい。見ろ、軍需成金と軍人だけは食いぶくれていやあがるんだ。説教が聞いてあきれらあ。ほしがりません勝つまでは、一億一心バンバンザイとね! 
北村 困るなあ、そんなに荒れちゃ――だれも説教なんかしてやしないじゃないか。
明 ほっといてくれよ! 第一、君あ、なんでそんなに此処へ来ちゃ、そんな事ばかりいうんだ? うるせえぞ!
北村 そりゃ君――おれたち若いもんが、お互いに今しっかりしないと、えらい事になってしまうと思うからだよ。
明 ウヘッヘッヘ! 国士かい君あ? いつから、そうなった?
北村 そんな――そんなんじゃねえよ。俺あ、君や友ちゃんの友達だから、それだから、心配になるからだよ。友ちゃんは、まあ、自分の考えでもってあんなふうになってしまったんだから、しかたがないとして――
明 あいつの事をいうのは、よせ。
北村 だからさ――俺だけじゃないんだよ。会社でも仕上や組立の方の連中の中で、君に同情して、なんとかしようと話し合ってるのが、かなり居るんだ。
明 同情? 同情たあ、なあんの事だい?
北村 同じように働いている者どうしが、だって[#「だって」は底本では「だつて」]、お互いに助け合うのは、とうぜんじゃないか。今こんなふうに世の中が戦争一方になっているからって、労働者がお互いに助け合って行かなけりゃならんのは、ならんと思うんだよ。
明 よし、おもしれえ! そんじゃいうぜ。そんなら、そんならだな、なぜ俺を、みんなで、あんなにイジメぬいて、追い出しちまったんだ?
北村 そりゃ君、そんな連中も居るさ。いや、大部分がそんな連中だ。そりゃ、しかたがないじゃないか、世間いっぱんが、こんなふうだし、みんな戦争で気が立っているんだから。しかし、そうでない者だって居たんだ、それは君だって知ってる筈じゃないか。
明 黙っていたんだ、そんな連中は。そうじゃないか! いくら居たって、知らん顔してりゃ、居ないのも同じだい。俺あ、兄きの事をいってんじゃないぜ。兄きみたいなキチガイ野郎を、みんなが憎むのは、とうぜんだ。俺だって憎むもの。いや、誰よりも俺が一番憎んでいるかもしれない。憎い! ……だけど、この俺に、どんな罪が有るんだ? 俺が、どんな悪いことをしたんだ? 俺が、どういうわけで、みんなからイジメられなきゃならねえんだ? なあに、兄きは兄きで、今に法律で処置される。されなかったら、俺が処置してやらあ。やるとも! だけど、だけどね、北村君、仲間から、つまり君のいう、同じ労働者どうしからだよ、ただ、ただ、兄きの弟だという理由だけで、あんなにイジメられ、ヒドイめに逢ったという事は、コタエたよ! ああ、コタエたとも! 忘れられねえや! あれ以来、俺あ、どんな人間も、どんな事も、信用する気がなくなっちまったよ。ああ、もうごめんだあ! んだから、早く出征して、死んじまうんだ!(焼けた木のカブにかじりついてすすり泣く)いいや、出征なんかどうでもいい、ここにこうしている所を、ガシャーンと一つ、バクダンをおっことしてくれッ! こうしてたって、しょうがねえ[#「しょうがねえ」は底本では「しようがねえ」]。俺が出征すりゃ、おやじもおふくろも、俊子も、どうせカツエ死にするんだ。だから今、ひと思いに、ガシャーンと、ビー二十九さまさまよ、五十キロバクダンを、この真上に一つ、おっことしてくれよーう!(うつぶせに地面を抱きかかえるようにする。……北村はいうべき言葉もなく、泣きそうな顔をして見おろしている。赤い夕陽。空のどこかで不気味な飛行機の爆音)
北村 ……(しょうことなしに[#「しょうことなしに」は底本では「しようことなしに」]、四、五歩あゆみ寄って壕舎の中の三人をかわるがわる見ていたが)おじさん、ごせいが出ますね?
義一 う? ……(ボンヤリした眼つきで北村を仰ぎ見て)やあ。いやもう、ダメだね、時計なども。いちばんかんじんなテンプなんぞに、この、ニュームなんぞ使うようになっちゃ……狂ったら、もう、へえ、なおしようがない……うん。(自分でも何をいっているか意識しないようで、言葉がブツブツと一人ごとになってしまう)
北村 ……(寝ている俊子へ)俊ちゃん、どうだい?
俊子 ああ、北村さん? 今日は。
北村 まだ痛む?
俊子 ありがとう。いえもう、ほとんど痛みはしないの。
北村 そう。そりゃいいね。
リク あしきをはろうて、たすけ、(せきこむ)いちれつすまして、かんろだい。……かんろだい。……(口の中でブツブツつづけて)……みずの中なる、このドロウ、はやくいだしてもらいたい。みずのなかなる、このドロウ、はやくいだして、もらいたい。(いいながら胸の前で妙な手つきをしている)はい。やっとまあ痛みはとれましたよ、あれから、あなた、ズーッと私あ、ミカグラのあげ通しですからね。そうですとも、今に眼も開きます、見えるようになります! ただこの子がなかなか信じませんもんですからね、そのためになおるのが、おそいんでございますよ。なんでも、これからひとすじに、神にもたれてゆきまする。といいましてね、つまりが、なんですよ、友吉のいうエスさまも、キリストさまも、天の神さまも、つまりが、テンリおうのみことさまです。仏教で申しますアミダさまも同じでございましてね、つまりがですね、それは、あの、なんじら互いに愛せよと、聖書の中に書いてあるそうですね、同じ事がミカグラ歌ではむごい心を打忘れ、やさしき心になりてこい! 観音経では、この――いえ、あの、友吉の本を読みますと、あのカンジという人が、あの、サチャグラハと申しましてね、やっぱり、それがあの、同じ事でございましてね、スワラジという事も、エスさまが、あの、一番最後にお弟子さんがたの足を洗いなすった、あれです。みればせかいがだんだんと、もっこ[#「もっこ」は底本では「もつこ」]にのうて、ひのきしん!
俊子 (片手を出して、母の膝をなでてやりながら)お母さん、お母さん! いいから。わかったから。そうよ、信じますよ。信じてよ、お母さん。
リク だからさ、友吉は正しいのだよ。それを私は――
俊子 そうよ、友兄さんは正しいのよ。だから、お母さん、そんなになにしないで――
義一 うむ。……(時計をいじっていたのが、不意に机の上の時計の道具をガシャンと押しつぶして、立ちあがり、ブツブツいう)……そうさ、あれで友吉は、まちがってはいないのかも知れん。……
俊子 なあに、お父さん? ……(義一それには答えず、ゲタを突っかけてスタスタと左手の傾斜をのぼって行き、見えなくなる。それを見送っている北村)
リク それをですね、この町会では、友吉みたいな非国民を出したような家には、配給物をやらないというんじゃありませんか。聞いて下さい。そんなあなた! 友吉は正しいのです! そこへ、あなた、夜になると、みんなで、此処へ石やドロをなげつけるんです! 今に罰が当るから、神さまの罰が当って、あやつらが、みんなカッタイカキに[#「カッタイカキに」は底本では「カツタイカキに」]なりやがって、ザマヲミロ! ね! そんなあなた――みなみていよ、そばなもの、神のする事なすことを!
(間。……空の飛行機の音。木カブの所に寝ている明が、眠りの中でウー、ウーッ、とうなる)
北村 ……(俊子に)じゃ、僕あ、これで。ちかごろ工場が二十四時間制になって三交替でね、僕あ六時からだから、ちょっと寄って見たんだ。又来るから、あの、だいじにしてね――
俊子 (涙声)ありがとう、北村さん。あなたの御しんせつ、忘れません……。私には見えるの。ええ、……どの人が善い人で、どの人が悪い人か。……心の中が見えるの。……こうして、みんな(いいながら、右手をあげて、そのへんを、バクゼンと指して)友兄さんの事で、せけんからひどい目に逢って、こんなになっちまったけど……そうよ、みんな悪いんじゃないの。
北村 ……(なんにもいえないで、リクと明へと次ぎ次ぎに目をやっている)
俊子 ね? よくわかるの私には、それが。……北村さん、あなた、兄さんに会える?
北村 そりゃ、又、警察から呼び出しが来れば会えるだろうけど――
俊子 もしね、兄さんにお会いになったら、私の眼はこんなふうになったけど、ちっともヒカンしてはいないといってね。いぜんは、お兄さんを、うらんでいたけど、眠がつぶれてから、兄さんの事が私、わかるようになったの。もしかすると、私もヤソ教になるかもしないわ。
北村 え? ヤソ教に?
俊子 ええ。……いえ、まだよく、わかんないけど、もしかすると、友兄さんのいう事が、いちばんホントじゃないかという気がする時があるの。……(不意にギクンとして、半身を起す)あ! あの――!
北村 (びっくりして)どうしたんだよ? どう――
俊子 お父さん、どこへ行ったの? え? お父さんどこへ行ったの?
北村 おじさんは、この上へ、あの――
俊子 ちがう! あぶない! 北村さん、早く。あの早く、お父さんをさがして!(ヨロヨロと立ちあがっている)
北村 え! どう――?(意味はわからないなりに俊子の様子があまりにただならないので、びっくりして、あわてて)なにを――?
俊子 早く! 北村さん! 早くさがして! 兄さん! 明兄さん! お父さんが――早く、早く!(北村が左手の傾斜をかけあがって行き、消える。俊子は両手を空に突き出して、ハダシで、そのへんの焼土の上を、さぐり歩きながら)明兄さん! 明兄さん!(叫ぶ)
明 う? ……(やっと[#「やっと」は底本では「やつと」]土から起きあがって、モーローとした眼で妹を見て)なんだ! どうしたんだよ!
俊子 早く、兄さん! 早く!
(そこへ、ここからは見えない崖の上で北村が、たまぎるような声で叫ぶのがきこえる)
俊子 あ!
明 どうしたんだよ、ぜんたい?
北村の声 早く来てくれえ、明君!
明 ……(崖の上を、まぶしそうに見あげて)なあんだよお!
俊子 早く行って兄さん! お父さんが――
明 ……(いきなりギャッ! というような叫びを上げ、兎が駆け出すように傾斜をかけのぼって行き、消える)
俊子 ……(今は声も出ず、見えぬ眼で、自分もそちらへ行こうと両手を突き出してウロウロする。壕舎の中では、リクが見も聞きもしないで、妙な手つきをつづけている。斜陽。飛行機のうなり声)

        7

 壁と鉄棒でできた非常にせまい箱の中。
 壁の上部の小さな空気穴からの明りが、箱の中をボンヤリと照らし出している。他にも同じような箱が並んでいるが、暗くてよく見えない。男1(背広)、男2(和服――ヒトエ)、男3(シャツにズボン)、男4(和服――ユカタ)、の四人が、ひどい暑さと倦怠にグッタリと疲れきって、壁に背をもたせ、互いに押し合ったまま、ギッシリと並んで坐っている。四人とも、帯やバンドやネクタイなしで、ひものようなものを帯のかわりにしている。語るべき事は語りつくし、互いにまったく興味を失い果てて、死んだような無表情。時間の進行が停止してしまったような不動の中で、男4だけが、立てヒザにのせた前に垂らした左手を始終ヒク、ヒク、ヒク、と脈搏が打つように動かしている。
 すこし離れた所から、静かな低い歌声。歌詞は聞きとれぬ。――間。

男1 ……(低くつぶやく)うるさいなあ。……うるさい。
男2 あれがきこえると、なお暑いような気がしゃあがる。お祈りをしているのかね?
男3 便所のそうじだ。
男4 ……頭ん中がスーッとする。……サンビ歌というものは、いいもんだね。
男2 わしにも便所そうじをやらしてくれんかなあ。ここに居るよりやマシだ。
男3 へっ、一日や二日じゃねえぞ、おおかた、もう一年になるんだぞ。三百六十五日だ。日に二度ずつなめて取ったようにキレイにするんだ。やれるもんなら、やって見ろい。
男4 へえ、すると、エスさまあ、ここへ来てから一年にもなるのかね?
男3 そうよ。……俺あせんに居た奴から聞いた。ヘヘ……なんしろ、今じゃ、ああして此処で別あつかいの、飼いごろしみてえになっているけど、はじめは、ずいぶんヤキを入れられたそうだ。左の腕も、それだ。なんしろ、憲兵隊でもやられたそうだからなあ。向うは荒いや。イキがとまった事が三度も四度もあるってんだからなあ。そんでも、ネをあげなかったそうだ。
男2 大将の父親が、あの大将のことを苦にして――世間に相済まねえというんで、とうとう、首をくくってしまったんだってねえ?
男3 お前どうしてそれを知ってる?
男2 こないだ調室で小耳にはさんだ。エスさまあ、しきりと、泣いていたっけ。
男4 そんでもウンといわねえのかね。
男1 ……気がヘンなんだろう?
男3 えれえと思うよ。
男4 あんな、まるで、オナゴみたいなおとなしい奴がねえ?
男2 ……ひでえもんだなあ。なにかね、信じこんだとなると、そんなになるもんかねえ?
男4 うう、暑い。
男2 え? 広い日本にヤソも多いだろうし――いや日本たあ限らねえ――アメリカだとか、西洋はたいがいみんなヤソでしょう? だのに、そんな話あ聞かねえし、そんな人間も現われねえのは、どういうんだね?
男1 直接ヤソ教に関係の有ることじゃないだろう。やっぱり、偏執狂というか――
男4 ああ。ああ。たまらねえ。……
男3 ちがう。俺あ、あの大将は、えらいと思う。つまり信念というかな、自分がこう思ったら、たった一人でもだ、ああしてがんばっているのは、よくよくの事だよ。なんかこう、神さまとか仏さまとか――つまり、そんなもんに近いような、おっそろしくえらい、この――
男1 フ……(声を出さないで嘲笑)
男3 なによ笑うんだ君あ?
男1 だって、精神病が、えらいとなったら君――
男3 精神病じゃねえよあの人は。だって[#「だって」は底本では「だつて」]どこもまちがってやしねえじゃねえか。よしんば気がちがっていたにしろだ、えらそうなエンテリづらをして、赤だいこんの腐ったようなマネをするよりや立派じゃねえか!
男1 なんだって、赤ダイコンだ?
男3 ……フ。お前さん、アカなんだろ? そいで、ペチャペチャにあやまっちゃって、タバコなぞを当てがってもらってシュキを[#「シュキを」は底本では「シユキを」]書いてるそうだね? この戦争は聖戦でございますだって? ヘ、笑わしやがらあ。そんな奴よりや、エスさまの方を俺あ信用するね。
男1 いいだろう。それで、君は、ぜんたい何だよ?
男3 俺あスリだよ。闇屋だ。闇屋でスリで、ゴロツキだ。
男1 だから、この戦争をどう思っているんだね?
男3 戦争は戦争だあね。聖戦でも不聖戦でもありやしねえ。喧嘩だ。そんだけの話だ。あんまりリコウもんのする事じゃねえよ喧嘩なんて。しかし、これで、起きちまったもなあ、しかたがねえからこんで、やっつけるまでだ。
男1 同じじゃないか。だから此の戦争を戦い抜いて大東亜共栄圏を作り上げることは、日本の任務なんだから――
男3 だってアカは、もともと、この戦争にゃ反対だったんじゃなかったのかね? 反対なら反対だと、なぜ突っぱねていねえんだよ? そいでこそ、とにかく人間だ。善いの悪いの問題じゃねえや。そんなら、とにかく信用できらあ。ヘヘ、なあに、お前たちや、ただ、おどかされて、おっかなくなったんで、そんで、でんぐりげえってしまって、木に竹をついだように、ヘンテコリンなヘリクツを、こせえあげてるだけだ。おかあしくってえ! そいつがおめえ、てめえの命を投げ出して、ああしているエスさまをあざ笑ったり、キチガイあつかいに、よくできたもんだ!(いわれて男1はセセラ笑いながら相手にならぬ)
男2 (男3に)しかし、なんだぜ、君も、なんだ、オダあげるのも、いいかげんにしといたらどうだい? 君あ、なんじゃないか、あの男が時々、断食する、その食わないメシを貰って食ってるもんだから、そんな事いうんだろう?
男3 ああよ、貰って食うよ! もったいねえからなあ。それで俺が助かりゃ文句はねえからね。ぜんたい、此処にあんだけ永いこと居て、差入れ一つねえのに、断食するなんて、タダのもんにゃ出来ねえことだ。
男2 フフ、君あ、なんじゃないか、もしかすると、あの男を使って、ひと芝居打とうと思ってるんじゃないかね?
男3 なんだって? ……(ジロジロと男2を見る)へえ、そうかね? いかにも、ヘヘ、院外団くずれのヤマシらしい事をいうねえ?
男2 ヤマシと! なにを、きさま――
男3 言葉が過ぎたら、ごめんよ。ヘヘ、だって、此処にこうして、くらいこんでいりゃ、いずれ、そんなにマットウな事あ、お互いにしていねえのは、いねえんだからね。でしょう?
男2 今にわかる。自分はただ、この戦争に負けちゃならんと、しんからこの、憂慮してだ、自分の信念にもとづいて、多少の鉄材を動かそうとした。それが、たまたま――
男4 ヘヘヘ、ひっかかったんですよねえ。ヘヘ、だいたい、まあ、そんなもんでしょう。いいじゃありませんか。(ねぼけたような調子で、ブツブツいう)なんでもいいよ、スリだろうとヤマシだろうとアカだろうと、此処にくれば、おしまいでしょうよ。そんなムクれることあないでしょう。みんな、自分のしたい事をして、そんでつかまるなり、手をおっぺしょられるなり、べつに、だから、そううらむ事はないじゃないですか。いくらジタバタしたって、人間だれしも、しまいにゃ壁に頭あぶっつけて、ハナあたらして死んでしまうんだ。それまでの踊りでしょう。ヘヘ、私なんざあ――
男3 なによネゴトいっていやがる、モヒ中め!
男4 あい、モヒ中ですよ。いいじゃないですか、ヘヘヘ、――
男3 よかあねえよ。お前みてえな、チッ、空襲のドサクサまぎれに、女をつかまえて、おかしなマネをするような奴は、人間じゃねえよ。
男4 そうですよ、ヘヘ、そうですよ。じゃ、だれが人間ですか? ドンドン殺しているんですよ、人間が人間を。ヘヘ、私あ、そんな手荒らな事あしません。ただ、女の子にチョッとさわるだけだもん。
男3 さわるっていやあがる。ペッ、ペッ!
男4 天にまします、われらの神さま……ヘ!(アーアーアーと何かうなり出す。その節が、それまでズーッと断続してきこえて来ている奥からのサンビ歌のメロディに合流して斉唱する形になる)
男1 よせよ、おい!
男2 くそッ!
別の声 (ここからは見えない奥から)おいおい、第三号、やかましいぞッ! 静かにしないと、ゆうめしを食わせんぞお!(この一言で四人とも、いっぺんにだまりこむ。そのシーンとした中に、奥からのサンビ歌だけが、静かに流れて来る。)
(間……)
男3 ……(低い声でまたはじめる)ヘッ? こらえてくれよ、飯をとりあげられて、たまるもんけえ、ゴクソツめ! ……(他の三人は、尚しばらく沈黙)
男4 ……だけど、なんですかねえ、この――これから、ぜんたい、どうなるんですかねえ?
男3 なにがね?
男4 サイパンは落ちる、オキナワも、もうダメらしいじゃないですかね? 四国や千葉あたりじゃ、海岸一帯に立ち退きがはじまっているというんだから。
男3 だから、本土作戦だよ。焦土戦術。
男4 それがですよ、どこがどんなふうになれば、どういうことになるんだろう? つまり勝つとか負けるとかいうメドがいつになったらだねえ――
男3 バクチだあ。丁と出るか半と出るか、やっつけるまでだよ。
男2 負けるね。
男4 え、負ける? こっちがですか?
男2 ああ。つもっても見ろよ、向うでは、原子力のバクダンかなんかを、ロケットで持って来ようとかしてるのに、こっちじゃ、紙で風船をこさえて、飛ばすんだそうだ。笑い話にもならん。ヘヘ、もう、なんだね、金や物をウンと持った連中は、山ん中やなんかへ逃げ出す仕度をしてるよ。ヘヘヘ。
男3 おいおい君! そんなへんなふうないい方はよしたらどうだね? 君あ、ファッショだろ? 右翼だろ? 忠君愛国だろ? つまり、カンバンだけでもよ。そんだら、イクサがこんなふうになって、わが国が困りきってるのに、そんなセセラ笑っている手はねえじゃねえか! とにかく、てめえの国だぞ! そうじゃねえか、日本人を、こんだけサンザン殺しやがって、ちきしょう! 
男2 や、国士に対し、脱帽!
男3 なにい?
男4 その原子バクダンというやつは、どういうもんですかねえ? よっぽど、モーレツな、この――?
男1 日本でも、出来ているというけどね、マッチ箱ぐらいのやつ一つあれば、ロンドンの全市をあとかたもなく吹き飛ばせるというんだから――
男4 ……使いますかね、そいつを?
男1 さあ。……使うかもしれんね。
男2 とにかく、もう向うでは一トン・バクダンは使ってるらしいね。こいつにやられると地下三四十尺の防空壕なども役に立たんそうだ。
(かなり間近かな所で、けたたましい空襲のサイレン。二度三度とつづけざまに鳴る。四人ともだまってしまう。……奥の上の方で「待避! 至急待避だっ[#「待避だっ」は底本では「待避だつ」]!」と叫ぶ声と、人々が待避に駆け去る足音)
男4 ……ふう、……き、き、来ましたねえ!(右手で鉄棒にかじりつく。左手の動きが、こきざみにはげしくなる。男はキョトキョトそのへんを見まわした末に、からだ全体をちぢこめ、石のように強直してしまう。頬の肉がブルブルとふるえている。男2はサッと立ちあがり、顔の中から今にも飛びだして来そうな兇暴な目で鉄の棒の間からこっちを睨む。男3は歯をむいて「タッ! おい、おい、おい! やい!」と思わず叫んだり、顔じゅうをしわめている。あたりはシーンとなってしまう。空襲警報が鳴りやんでから空襲のはじまるまでの間の静けさ。……その中を、中央の廊下をスタスタとこっちへ歩いて来る人影。鉄柵の前の明るい所に来たのを見ると友吉。衰えきってほとんどすき通るような顔色。左腕は肱の所からブランとなっている。右手にさげていたバケツとゾウキンを廊下の隅にかたづけ、廊下の奥を見る)
男3 おい、エスさん! エスさん! 空襲だ! 空襲だよ!(口中がかわいてしまったカスレ声)
(そこへ、ダダダと足音がして、廊下をこちらへ走って来る監守。制服にゲートルに鉄帽)
監守 (いきなり)おいエスさま! なにを、こんな所でグズグズしてるんだッ! 早くお前――
友吉 (ビックリして)はい、あの、どうか入れてください。掃除すみましたから――
監守 え?(檻房をチラッと見て)いや、お前はなんだ、待避壕の方へ来てもいいよ。ここは、あぶないから――
友吉 いいんです、ぼくは此処で、あの――
監守 え?(一瞬マジマジと友吉を見つめていてから)……そうか? 知らんよ、しかし、ドカーンと来ても。(いいながら、カギで檻房の小さい扉を開ける。友吉は身をかがめて房の中に入る)……来りゃいいになあ、待避壕の方へ――
友吉 ありがとう――(その言葉が終らない間に、男1が無言で、監守が締めかけた扉にかじりついて外に出ようとする。つづいて男2がヒッ[#「ヒッ」は底本では「ヒツ」]! と叫んで同じく外に出ようと男1をはねのけて、扉にかじりつく)
監守 とッ! バカッ! お前たちは此処でたくさんだッ!(ピンとかぎをかけてしまい)これでも、此処は地下室だからな、フフ。ち! なにをしゃがるんだ!(叫ぶと同時に、鉄柵の間から突出して彼の服をつかもうとする男1の右手をペシッ! と叩き払い、次ぎに柵の間からスッと入れたゲンコツで、男2の顔の正面をガンと突きなぐって置いて身をひるがえすや、ダダダと走って廊下奥に消え去る)
男1 (叫ぶ)ど、ど、どうしてくれるんだ、僕たちを! こんな所で、こんな――!
男2 (叫ぶ)助けてくれッ!
男3 ヒ!(笑おうとするが、顔がこわばって笑いにならぬ)
男4 フ! ……(左手ばかりをピキピキさせている)
友吉 ……(壁に顔を押しあてて、ジッとしている)
(ダダーンと、かなり遠い所で投弾の地響き。しばらくして第二弾、第三弾、それが次第に近づいて来るのがハッキリわかる。男2がギヤアと叫んで、猿のように正面の鉄柵の、かなり上部に飛びついて歯をむく。あとの四人は、恐怖で凍りついて、そのままの姿で動かぬ。……ダダーンと、さらに近い第四弾。その地響きで、友吉が廊下の隅に置いたカラのバケツが、カランといって横にころがる。チョット、シーンとしてから、ダダダダと、ごく近くにあるらしい高射機関銃の発射される噛みつくような音がして、プツンと切れる)
男1 ゲエ!(はく。しかし、なんにも出て来ない)
男3 エスさま! おい、エスさま! おい!(友吉のブラブラな左腕を取り、すがりつくように身をすりよせて来る)
男4 サ、サ、サンビ歌、うたってください。エスさま、ね、サ、サンビ歌……神さまに、あの祈り……サンビ歌を……ね、ねエスさま!
男2 こ、こんだ、来るぞ! このへんだぞッ!(鉄棒に四足でかじりついて歯をむいている)
男3 ねえ、エスさま! おい! ウーウーウー(うなり声が、サンビ歌に似た節になる)
男4 ね、エスさま! おい! 歌って――
友吉 ……(額を壁につけたまま、低い声で、男のうなり声の中に歌い出している。はじめ聞きとれないが、次第にメロディがハッキリし、又次第に歌詞がハッキリする。第四百四十五)……わがたましいを、愛するエスよ。波はさかまき、風吹きあれて――(男3は、それに合せて、うなっている。男4は、歌詞も節も知らないままに、唇をふるわせながら、つけて歌う)
男2 う、う、うるせえやいッ!
男1 ……(口のハタに付いている白いアワをそのままにして、毒々しい位の憎悪と恐怖のまじった眼で友吉を睨んでいる)
友吉 ……(スッと[#「スッと」は底本では「スツと」]壁から額をはなして、青ざめたしかし落着いた顔で、そのへんを見、左腕を男3につかませたまま、右手を男4の肩にかけて、ユックリと歌う)しずむばかりの、この身をまもり……(ガクーンと地ひびきを打たして、間近かな第五弾。同時に男2が、鉄棒から鉄棒をつたわって、天井に近い所を、クモがあばれるように、はねまわりはじめる)あめのみなもとに、みちびきたまえ。……(その歌声を寸断して、鳴りはためく投弾と高射砲発射のとどろき)

        8

 座談会の会場。
 会場といっても、ふだんは事務室に使っているガランとした室の、突き当りの壁の前の四五尺の部分だけ。壁に黒板。黒板の前にハバのせまい荒板を打ちつけた細長いテーブルにイス。それは演壇というわけではなく、話す人も聞く人も同じ高さに腰かけるようにならべられたテーブルとイスの円陣の一角である。だから座談会の出席者は客席の前部正面に凹字形にならんでいて、話す人だけが一人でフットライトの真上にイスにかけテーブルをへだてて正面に向いている。黒板の上部とわきの壁に、タテながの大きな紙に「人民政府をわれらの手で」「反動政府ぶったおせ」「働けるだけ食わせろ」「工場管理はおれたちで」と赤く大書したのがはってある。黒板には、大きい白字で「東亜時計労働組合文化部。時局座談会」と二行に書き、「司会者アイサツ――組合書記局、本山君」「労働組合の任務――細田正邦氏」「感想――片倉友吉君」(――ただし、この一行は、あとで急に書き加えた事が一見してわかるように、大きく※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入されている)「質問――有志」「閉会アイサツ――委員長」と数行に書いてある。
 正面に一人だけ腰かけた細田が、こちらへ話しかけている。顔色が青白く、背広に、伸びかけた頭髪。語調が単純で、くだけた語りくちの中に一種の迫力がある。それまでに既にかなり永く話して来て、ほとんど終わりに近いところ。

細田 ――そんなわけで、今度の戦争が、日本の帝国主義者たちによってくわだてられたドロボウ戦争――侵略戦争であったということは、以上の私の話で、よくわかっていただけたろうと思います。(客席から拍手)……で、もっといろんな事を話したいと思いましたが、なんです、この、まだカラダが本調子でないもんですから、非常につかれるもんで……(微笑)いや、実は、カラダと言うよりも、正直いって、ホンのしばらく前まで、ほとんど一日中、人と話をするのは、係りの監守やなんかと二言か三言といったような生活をズーッと[#「ズーッと」は底本では「ズーツと」]つづけて来てるもんですから、急にこうして多勢の方に会ってしゃべりますと、気づかれ――というよりもノドがくたびれましてね、ハハ、それに毎日のようにあちこちと引っぱり出されるんで、このところ、太夫、チョとインコウを害しておる(客席に好意的なひかえめな二三の笑い声)――といった所で。実は、この出しぬけにナニして、まだ世間の様子もなんにもわからないボクなどが理窟ばった話をするよりもです、ホントは皆さんのお話を伺うつもりで出席させていただいたわけなんです。場所も近いし、それに、君たちが今度、産業別組合会議に加盟されて、会社当局との間に争議を起そうとしていられるという話を聞きまして、それがどんな様子なのか心配にもなり、ホンのチョットあがって見たら、トタンに委員長から、なにか話をしろと厳重に命令されちゃって。ハハ、正直言うとカタくるしい話は、ごめんなんだ。つまり、久しくゴブサタしていた、働いている諸君の元気な顔を見に寄ったと言うところですよ。これくらいで、かんべんしてください。……ただ最後に一言いたいのは、――とにかく、そういったわけで、軍バツや財バツが国民大衆を自分たちの思うままにおさえつけ、しぼり取って、支配していた――その支配力が、自分たちの、つまり資本主義自身の持っている、いろんなムジュンのために、これまでのように、自由にエテカッテに[#「エテカッテに」は底本では「エテカツテに」]支配する事が出来なくなる。ほって置けば自分たちの立場があぶなくなる。ウマイ汁が吸えなくなる。なんとかしなければならない。そいで、外に向って手を出す。これが戦争なんです。……戦争はイヤだ。もう、とにかく、戦争は、ごめんですね? こんな恐ろしい、不合理な、バカゲた事はない。もう、コリゴリした! もう、どんな事があってもドンドンパチパチだけは、やめにしたい。誰にしたってそう思う。それには、どうすればよいか? どうすれば、今後、人間どうしが戦争をやらないですむようになるか? 世界国家というようなこともいわれています。連合国家によって強力な国際裁判所を作るといったような事も考えられています。それもよいでしょう。しかしもっともっと、直接に効果のある事は、もっと手近かにある。それは、けっきょく、人が人をしぼり取ったり、おさえつけようとするために戦争が起るんだから、それをなくせば戦争は起きない。誰も彼もが、それぞれの仕事で額に汗して働いて、そしてその代りに自分の生活に必要なものを貰って、幸福に暮す。みんなが、人をしぼり取らなくてもすむ。戦争なんか起こす必要が、そうすればないんです。……だが、人間にそんな事ができるか? できます。げんにそれをしている人が、居る。それは誰かというと、働いて物を作り出している人間です。つまり、労働者、勤労者、お百姓などです。つまり、諸君なんだ。諸君は、この工場で働いて、給料をもらって、それでもって人間らしく幸福に暮せさえすれば、それで満足なんだ。人をおさえつけたり、よその国を取ってしまおうとしたり、人をしぼり取ったりしようとは[#「しようとは」は底本では「しょうとは」]、全く考えていない。又、そんな必要はない。でしょう?(鋭い二三の拍手)ただ、残念ながら……諸君をしぼり取ろうとしている人は、まだ居りますがね。……(客席から「そうだ!」「そうだ!」と二声ばかり叫ぶ声がして、同時に全員が昂奮した烈しい拍手をする)……(気持よく笑って)ハハ、いや、まあ、なんですよ、しぼり取れる時にはサンザンにしぼり取って、そいで、こんな時代になって、あんまりもうからなくなったので、人手をへらす必要があるというんで、諸君をお払い箱にしたいという人たちは、居ります。……そいつは、あんまりきこえないというわけで、やむを得ず諸君も今度立ち上って、首は切らないでくれと、まあ言いはじめたわけですね?(拍手)……あたりまえなんですよ、諸君がそう思うのは。だから、つまり、諸君が働いてもうけだしたものを、諸君がみんなで分けてやって行けるようになれば、なんのゴタゴタも起きないわけです。同時に、そんなような諸君がいっぱい集って、自分たちの手で自分たちの間から選び出した人に政治をやってもらうようにすればゴタゴタは起きないのです。つまり、戦争は起きないんだ。……つまりですよ、本来、労働者、勤労階級、農民などはまったく平和的なんです。ですから、諸君が、自分たちの手で、自分たちの力で万事をやるようにする事が、諸君がおちついて安心して仕事にはげみ、幸福になる方法であると同時に、そうする事が即ち、世の中に今後ぜったいに戦争を起さないですむ最も善い、最も早い方法なんです!(客席に烈しい拍手。ワーといって四五人の男が立ちあがっている)どうかしっかりやってほしいと思います。……では、このへんで――失礼しました。(ニコニコしながら、客席の前の端を見る)
司会 ……(細田の視線の先から立ちあがって行き、細田に代って、テーブルの向うに立つ。細田は、わきに寄ってイスにかける)ええ、実に非常に良い話をしていただいて、私ども一同、なんと言ってよいか――われわれ勤労大衆のために、永い間牢獄にとじこめられて来られた細田さんのような方が、相変らずわれわれの事をこんなにまで考えてくださることに対し、これから、いえ、こんどこそは、われわれもシッカリしなくてはならない。現在の会社当局が、終戦以来われわれに対して取って来た態度と思い合わせますと、実に感がいなきを得ません。われわれは、此処にわれわれの決意をかためるとともに、細田さんをはじめ、人民解放のための闘いに、あるいは倒れ、あるいは自由をうばわれていた方達に心の底から感謝し、今後どうかよろしくお頼みしたいのであります。(さかんな拍手。細田微笑しつつ中腰になり、うなづいて拍手に答える。それを見て、客席の最前部から一人の青年が拍手しながらツト立ちあがる)
青年 あの――かんげいのために、歌を歌います! みんなで歌って下さい。(歌)民衆の旗、赤旗は――(客席前部の大部分の人々が、それにつれて歌い出す。司会者も手でタクトを振りながら歌う。……歌いおわり、全員で拍手)
司会 ええと……それでは、次ぎに――(と背後の黒板を振り返り)片倉友吉君に話をしてもらいます。片倉君のことは、紹介するまでもなくたいがい――特に組立部の者はみんな知ってる。戦争中一年以上、ほとんど二年近くも憲兵隊や警察にいて、終戦になって出て来たのです。さんざんゴウモンを受けて、片手を不具にされたりしても屈しないために、憲兵隊でも警察でも手を焼いてしまって、これをどう処置してよいか伸ばし伸ばしして来て、ついにしかたがないので、軍法会議の方へ廻されることになっていたそうですが、グズグズしているうちに終戦になったといいます。あぶなく命びろいをしたわけです。そういう意味で――つまり、あのドロボウ戦争に命がけで反対して来た人として、片倉君はかがやかしい闘士でありまして、そんな人間をわが工場から出したという事は、われわれのほこりであります。(われるような拍手)片倉君、どうぞ! 片倉君!(呼ばれて客席の前部に坐っていた友吉、しかたなく立ちあがるが、モジモジしている)どうぞ!
細田 (興味を引かれ、乗り出してそちらの方を見ながら)……すると、なんなの――その?
司会 ええ、あの、キリスト教なんですよ。そいで――(細田、ホウと口の中でいって、友吉の方を見る)片倉君! さあ、どうぞ、こっちへ!
友吉 でも、ぼくは……
司会 なんでもいいんだ。思った事を、チョットでもいいから、ね!
友吉 べつにその、話すことなど、ないもんで――
司会 えんりょしたまうなよ。ハハ、もとの仲間じゃないか、みんな。(三四人の笑い声。同時に、友吉のうしろから、彼をテーブルの方へ押しあげようとする二三人の手が見える)
細田 (微笑しつつ)どうぞ! どうぞ君!
友吉 ……(しかたなく、テーブルの方へ。きまりわるそうに細田に向っておじぎをしてから、テーブルの向うに立つ。まだ青白く、左の腕はブラリとたれている。一同拍手)……どうも、ぼくは、あの、チョット[#「チョット」は底本では「チヨット」]用事があって、来ましたら、人事課の表の所で、杉田さんに――(と司会者の方を見て)会って、無理に、あの、此処へつれて来られて[#「来られて」は底本では「来たられて」]しまって……(困りきった微笑。それを見ていて一同の間にも気の良い微笑のさざめき。一、二の人が、まばらに拍手する)……ぼくなんぞ、べつに話すことも有りませんから――
司会 いいじゃないか、なんでも思いついたままの事をいってくれよ。
友吉 ……弱ったなあ。
司会 弱るこたあないじゃないか。君がナカでがんばって居たじぶんの感想でも話してくれたまいな。
友吉 ……がんばって居たなんて、そんな――ぼくが悪いんですから、あの――
司会 悪い?
友吉 みんなにメイワクをかけて、父や弟や、そいからいろんな人たちを、苦しめることになって……会社の皆さんにもホントに(と会衆に向って詫びの頭をさげる)――ぼくのような者が一人出たために、ずいぶん、ごめいわくをかけちまって――ホントに、すみませんでした。……でも、しかたがなかったもんですから――
司会 そんな君、そんな――そういうふうには、ぼくら、誰一人思っていないんだから――
友吉 いえ、みんなにメイワクがかかる事は、はじめからわかっていたので、召集を受けるまでに会社をやめて置こうと思ってたんですけど、ほかに口がないもんですからグズグズしているうちに、あんなふうになってしまって――諸君があれだけシンケンに国のために働いているのに、それをぼくのために、みんなが国賊だなんていわれたりしたんですから、ぼくの事をみんなが、あんときハイゲキしたのは、とうぜんなんです。弟の明のこともあとで聞いたんですが――私のようなものの弟なんですから――あの、しかたのないことで――どうか、許してください。おわびをします。
(この言葉と、司会者及び一同の置かれている立場や気分とが、不意に喰いちがって一同シーンとなる。細田だけが注意深く友吉を見ている)
司会 ……(妙な顔をして)そりゃ君、今となっては、この、なんだよ――世の中が変って、自由な、この、つまり戦争中ぼくらみんながゴマカされたり目かくしをされていたために、なんだ、あんな戦争なのに、それに負けちゃならんといわれるままに、なかには本気になっていた者も居るんだから、なんだ、君に対して、君を、つまりハクガイしたりした者も居ただろうけど――いや、ほとんどみんな、そうだったかも知れんけれど、それは支配階級からゴマかされてホントの事を見ることが出来なかったからの事で――しかし今はもうわれわれは解放されて自由になったんだから――だから、みんな、あの時は、君に対してすまない事をしたと思っているんだと思うから、それで、まあ、こうして君を迎えて話を聞きたいというのも、つまり、そういう気持のあらわれ――
友吉 いえ、とんでもない、すまないのは僕なんです。(司会者の言葉を全く正反対に取りちがえてあわてている)僕ですよ。あの、最後にケンペイに連れて行かれる時だって、運動場でみんなから、ぶたれたり、けられたりして……みんなの中にはくやしがって泣きながら僕をけってる人もおります……されながら、僕は、ホントにつらかったです。昨日まで仲よくいっしょに働らいていた人たちから、自分だけが人とちがった事を考えているために、こんなに怒られている。そう思うと、よっぽど、あんときに、エスさまを捨ててしまおうかしらんと考えたりしました。しかし、どうしても、そう出来なかったんです。ですから、みんなにすまないと思って、心の中で手を合せながら連れて行かれました。しかたがなかったんです。……
(彼が正直に熱心に語れば語るほど、一同との間がグレハマになって行く。その事に友吉は気が附かない)
声一 (客席の前部の中から)エヘヘ、ヘ、ヘヘヘ!
声二 (同じく)なあんだい!(この二人の調子は嘲笑――というよりも、ムキになって嘲笑するにもあたいしないものをヒヤカすように)
声三 しかし――(と、これは友吉をかばうように)あん時、みんなで蹴とばしたのは、ホントだからなあ。こんなふうになったからって、おれたちも、よく考えてみなきゃ、いかんと思うんだ。
声一 (ふんがいした激しい調子で)なにを考えるんだい!おれたちは今、ストライキに入ろうとしてるんだよ! ベンベンとして、こんな話を聞いている事あないと思うんだ! 
声三 だけど、おれたちも人間だ。チットは恥を知らなきゃならんと思うんだ。片倉君のどこが悪いんだよ!
声一 悪くはねえよ。エスさまだよ、やっぱし片倉君は! 天にまします!(二、三の笑声)
声二 進行々々!
司会 (困って、それらの声をもみ消すように)いや、それは、それとして――つまり、問題は、そんな事じゃなくなって、つまり、われわれ勤労者が今後のことをやって行くについてだな、正しく平和的にわれわれの生活と生産を守って行くについての、この、参考にするために片倉君の意見というものを聞きたいので――ねえ片倉君!
友吉 え?(あちこちからの[#「あちこちからの」は底本では「あらこちからの」]声のためにキョトキョトと混乱して)はあ、あの、たしかに、あの、働らく人間が安心して働いて行けるようにならないと、たしかに、ホントの平和は来ないと思うんです。ですから――
司会 だからね、今ねえ、この会社では、つまり、君も知っているように、この会社では軍の仕事をして非常にもうけて来たんだ。で終戦になってから、又もとの時計の製造に切りかえたんだが、資材はなし、うまく行かないので、ドンドン人員整理――つまり首きりをはじめてるんだよ。戦争中にもうけた利益は、いち早く、ほかへ持って行ってしまったり、首脳部の方でかくしこんでしまってだな、どうしても経営が苦しくなったからと――会社の言草は、そうなんだよ。あんまりひどいんで、僕らの方では組合をこさえて、なんとか首きりはよして、うまくやって行けるように、さんざん交渉しているけど、会社では、どうしても此方の言い分を聞いてくれないんだ。そんで、まあ、或いはストライキになる以外に方法はないというところまで来てしまって――いや、誰もそんな事やりたくはないけどさ――しかたがないからね。しかたがないからね。そいでまあ、今日はその準備というか、こうして座談会を開いて、みんなの意見を出し合うという事になってね。そんなわけだよ。
友吉 ……そうですか。どうも僕には、よくわからないんで――ですから、そう言ったんですけど――どうしても出席しろとおっしゃるもんですから。――
司会 どうだろう、だから、それについて君の意見を聞かしてほしいんだよ。
友吉 べつに僕には――いえ――でも、ストライキなんかしないで、あの、会社によく頼んで、うまく、この、やれんでしょうか?
声一 エッヘヘヘ!頼んで聞いてくれるようなそんな人間らしい奴は、会社には居ないんだよ!
司会 そりゃサンザンやったんだ、これまでに。でもどうしてもダメだもんだから、いよいよ、しかたがないというんでね。
友吉 ……そうでしょうか?すると――いえ、実は僕も家族があの、――病人が居たり、弟はああして死んでしまったし、それに僕の手がこんなもんで、ほかの仕事を捜すといってもチョット有りません、暮しが苦しいもんで――又、こっちに使ってもらえないだろうかと思って、先日頼みに来たら、課長さんが、使ってやろうというようにおっしゃってくれたもんですから、実は今日やって来たんです。すると、しかし――
司会 どうりで、人事課に居たんだね? そうかね――しかし、そりゃ君、一方に於て百人以上も首を切ろうとしているなかで、君を採用しようというのは、そいつは、マユツバもんだし、もしそれが事実だとすると、君は一時会社をよして、組合に加入していない人間だから――
声二 なあんだ、なあんだい! スキャップじゃねえか、すると争議やぶりだ!
声一 エスさまあ、おれたちを裏切りにおいでになったんだあ!
友吉 ……(裏切りといわれて、しんけんになり)そんな事はありません!そんな諸君を裏切るなんて、そんな――。僕は、ただ、どうしても暮しが立たないもんだから、なんとかして、この時計の仕事でなんとかしたいと思ったもんだから――諸君を裏切ろうという気持なんか、僕には、ミジンもないんだ。
司会 そうだろう、そうだと思う。君にそんな気持がない事は信ずるよ。しかしだなあ、会社としてはこの際組合の人間を首切ってしまって、ウンと人数をへらして、代りに会社のいうなりになる人間だけを入れてやって行きたいと思っているんだからね――それに君は組立ての方では腕が良かったんだし、この際、会社では君のような人間をほしいんだ。だから、君が入社すれば、君自身われわれを裏切ろうという気はなくても、結果としてはだな、ぼくらを裏切ることになるんだよ。だから――
友吉 そいじゃ、僕は入社しなくても――いえ、入社しません。そんな僕は――でも、しかし、僕は思うんです。ストライキなど、しないで、もっとこの両方で話し合って、やって行くようにです。――できないでしょうか? いえ、僕には、めんどうな理屈はわかりませんけれど、こんなふうになって、日本はメチャメチャになってしまって、すべての事が乞食と同じような事になってしまったんですから、この、以前のように資本家だから、労働者だからということで対立して、あらそって見ても、事実、資本家の方も苦しくて成り立たなくなって来るんじゃないでしょうか? 今はもう、そんな差別は抜きにしてみんながいっしょになって立ち直して行くことを考えないと、うまく行かんのじゃないかと、僕――
声一 アーメン!アーメン!わかったよ!
声二 進行、進行!(五、六人の拍手)
司会 じゃあ、次ぎの、有志の質問意見という事にうつりますが、しかし、われわわれ此際、今の片倉君の意見と同じような――いや、意見そのものの当否の問題でなくて、事態が、事ここに至っているというのに、いまだに中途半端な、妥協的見解を抱いている者がわれわれの間に居るようでは、今後はなはだ困ると思うので、どうかみんなは今日は腹蔵の[#「腹蔵の」は底本では「腹臓の」]ない事を話し合いたいと思います。
友吉 それでは――(いいながら、テーブルの所からさがろうとして、足をイスにぶっつけ、左手がきかないために身体の中心を失ってヨロヨロとなる)
細田 ……(イスから腰を浮かして、その友吉をささえてやりながら、わきのイスをさして)ここへかけたら、いい。
友吉 はい、どうも。――
司会 それでは、その前に、委員長に、会社当局との、今日午前中までの交渉経過について報告をしてもらい、併せて今後の見通しと、われわれの持たなければならぬ決意について話して貰います!(一同のさかんな拍手)
(その拍手の中に、ションボリして[#「ションボリして」は底本では「シヨンボリして」]イスのそばから立ち去って行きかけた友吉が、ちょっと立ちどまって、一同の方を、いぶかしそうな、そして悲しそうな眼つきで見まわしている顔。その友吉を、細田がジッと見まもっている)

        9

 壕舎。
 6と同じ。ひるごろ。6で義一が仕事をしていた石油箱に向って、友吉が時計の修理をしている。左手の白由がきかないので、あまりうまく行かないようである。6で俊子の寝ていたところには母のリクが寝ている。一家の窮迫の状は6の時よりひどくなっている事が一見してわかる。6にも出た北村が、あがりばなに掛けて、持って来た二三の品物をポケットから出してユカの上に置きならべている。

北村 これはヒゲだ。もっといろんな種類のをそろえてと思ったけど――又手に入ったら持って来るよ。これは心棒。……心棒なども材料が悪くなったね。地金がまるきりヨタなんだ。会社でこさえていても、それ考えるとイヤになるよ。廻っているのがフシギさ。ハハ。(ポケットからガラスビンを出して)そいから、キハツをすこし。
友吉 だけど、そんなに――いいよ。この前のキハツの代もまだ払ってないし。
北村 いいじゃないか。だって、もうないんだろ?
友吉 ないにゃないけど――
北村 じゃ使えよ。修理をやるったって、部品やキハツなしじゃ、やれやしないじゃないか。なにどうせ僕だって買ったもんじゃなし。
友吉 悪いよ、だから。会社の物をそんなに君――困るなあ、僕。
北村 クスネて来たんじゃないんだよ。会社では近頃、請負の方の仕切りが、とても悪くなっているんで、その代りに余分の部品や、キハツのすこしぐらい、部長の責任で、仕切の歩合いとして持ち出していいことになってるんだよ。どうせ一時の事だろうが、そいつを外で売って、そいでしのいで行ってくれというんだね。
友吉 そうかねえ。しかし、それなら尚のこと、僕んとこなぞに廻しちゃ、大した金にはならんのだから――
北村 なに、僕は一人ぐらしだし、なんとかやってるから、大丈夫なんだ。
友吉 ……ありがとう。じゃ借りて――仕事して金が入ったら、あの、なにするから。
北村 いいんだ、いいんだ、いつでも。……おばさんよく眠るね?
友吉 うん、クスリをのむと、あと二時間ぐらいグッスリと眠るんだ。
北村 (のぞきこんで)なんだか、又、やせたようじゃないか?
友吉 ……食べるものを食べないもんだから。……いやいや、それくらい有るんだよ。有っても食べない。断食するんだといって――どうも。
北村 サチャグラなんとか――だろう?君のケイサツでの断食のことが頭にコビリついてしまったんだなあ。
友吉 ……(泣くような微笑)――そいで、眼がさめると、すぐに、なにか食べさしてくれ。で、食べる物当てがうと、食わない。――弱るよ。チンセイザイで、こうして眠っていてくれてる時だけホッとするんだ。俊子など、泣かされてばっかり居る。……
北村 ……(あんたんとして、しばらく黙っていてから)――俊ちゃんは?
友吉 ありゃ、修繕の注文をとって来るんだといって――
北村 え? あの眼で?
友吉 よせといっても、きかないんだよ。僕が廻っていると時間をとられて、かんじんの仕事ができないもんだから。
北村 どこまで、そいで――?
友吉 そこいらの家を一軒々々聞いて歩いて――。
北村 ……眼は、その後、どうなんだい?
友吉 ボンヤリ、見える――とまでは行かないようだが、ケントウぐらい附くらしいけど。
北村 ……そいで、仕事は、有るの?
友吉 今一つ受けてるけど、あと、どうも。――近頃あっちにもこっちにも時計の修理がふえたから――
北村 一つや二つパッチじゃ、しょうがないなあ。とてもそいじゃ、三人口――
友吉 しかたがないから、どっか盛り場にでも出かけて行ってやろうかと思ってる。
北村 ……会社にもどれりゃ、君ぐらいの腕だと、問題ないんだけどねえ。須田さんなど、君をほしがっているんだが――しかし、クローズドなんとかって、組合の方のなにで今、とても入れんからなあ。それに、ああしてゴタゴタしてるし――
友吉 ストライキは、その後、どうなったの?
北村 うまく行かないんだ。ううん、いっそハッキリとストライキをはじめてしまえば、まだいいかも知れんが、そうも行かないようで――だもんだから、かえって中でブスブスくすぶって、共産党と、そうでない方とが二つに割れてね、近ごろじゃ工場の中で時々両方のガワが腕ずくの喧嘩になったり――実にイヤだよ。
友吉 どうして、みんなで気をそろえてやれんのだろう? 同じように働らいている者どうしだもの、仲良くやれんわけはないと思うがなあ?
北村 やっぱり、オレがというやつだね。主義や主張のちがいも、もちろん有るだろうが、しかし、おおねは、やっぱりだ。正しいのは年中自分であって、シトのいう事する事はまちがっていると両方で――いや、みんなが一人一人そう思ってる。それさ。……つまり、けっきょくは、こないだの座談会の時の、君に対するみんなのシウチさ、あれと同じなんだよ。――
友吉 なに、あれは、もともと僕が悪いんだよ。久しく世間の事をまるで知らないですごして来たのが、いきなりあんなとこに引っぱりこまれて、どうも、へまな事ばっかりなにしたもんだから――
北村 そんな事あない。……僕あ、聞いてて、別になんにもいう気にゃならなかったけど――君をああして、みんながバカにするのを聞いてて、腹が立つというよりも、恥かしくなって――実に、顔から火が出そうに恥かしくなったよ。
友吉 恥かしい?なぜ?(びっくりしている)そんな君、どういう――?
北村 だって、そうじゃないか。ああして、急にみんな、まるで左翼の闘士みたいな調子で気勢をあげているけど、ホンのこのあいだまで、つまり戦時中は、連中、ほとんど全部、いや、今鼻息の荒い連中であればあるほど、終戦まで、打ちてしやまんとかでカンカンになっていたんだから。現に司会者をやっていた岡本さんなど、戦争中は旋盤の方の推進隊長をやってて、ずいぶんガンガンやったんだからね。へんだと思うんだ。そりゃ、あんとき話に来ていた細田なんて人は、どんな事いったって変な気にゃならんけどさ、ほかの連中はみんな、なんじゃないか、現に、戦争中、君の事件が起きると、まるでキチガイのように君をいじめたろう? 君だけじゃない、死んだ明君だって、ずいぶん、みんなからひどい目にあったんだ。僕あ、この目で見てる、明ちゃんがああして、行かないでもいい小笠原なぞへ行って、アッケなく戦死してしまったのなんかも、みんなからそういう目にあわされたヤケが半分以上手つだっている。――そんな目に君たちをあわした同じ連中が、いくら、今こうなったからといって、人間ならだ、人間らしい気持をちっとでも持っていたら、こないだみたいに、君を笑いものに出来る筈はないんだ。……(友吉が、返事をしないで時計をいじっているので、言葉をつづける)……もっとも、なんだね、連中にとっては、君から何かチョットいわれると、いや君の姿を一目見さされただけで、てめえの、そんなような戦争中の姿を思いださされる、つまり、てめえの恥知らずな姿を――つまり、てめえにも見たくないものを、鼻の先に突きつけられるような気持がするんだな。だから、君に対してなおのこと、腹を立てたり、あざ笑ったりするんだよ。俺にゃ、そこいらが、よくわかるんだ。……日本人は、キタネエよ。……そう思うと、もう、イヤにならあ。
友吉 ……でも、世の中がこんだけ変ってしまったんだから、それにつれてそれぞれの人がいろんなふうになるのも、しかたがないんじゃないかなあ。
北村 そりゃあね、人の事ばかりはいえない。俺だって自分の事を振返ってみて、オヤと思う事があるものだから、連中の事だけじゃないんだ、自分もだよ……つまり自分も人も、見ていると、なんだかキマリが悪くなってしまって、どいつもこいつも、トウテイ救われねえという気がするんだ。……みんな死んじまえという気が、ホントにする時がある。……いやね、君も知ってるように、俺あ以前から、どっちかというと社会主義や共産主義にやサンセイな人間だ。こないだの選挙だって共産党の運動員で走りまわったくらいだもん。だから、主義はそいでいいと思うんだ。――しかしだよ、だからといって戦争中のことを忘れちまっちゃ、いかんと思う――というよりは、人間なら忘れるわけにはいかんと思う。あいだけの親兄弟が死んだこと、そいから、その時分自分がどんな事を思い、どんな事をしていたかという事をだよ。……あん時、明ちゃんと此処で話した――おじさんがなにした日さ――(いいながら自然に彼の目が傾斜の上を見上げる。友吉の視線もそれを追ってそちらを見る)――ちょうど夕陽が、カッと照らしていた。――あんときの事を俺は忘れない。――自分の気持が上っすべりに突走りはじめると、きまって、それを思い出すんだ。――すると、いい気にゃなれない。組合の連中なんかのいってるような事では、片附かないんだ。そいだけでは救われないという気がするんだ。つまりそいだけでは、死にきれねえという気がするんだよ。だって、又、戦争が起きるかわからんのだからなあ。どうなるんだよ、こんだあ?……それこれ思ってると、ただ左翼の連中のいうことだけを聞いていたって、安心はできないんだよ。……そこいらの事、その、キリスト教では、どんなふうになるんだい?
友吉 ……(崖の上の、こげた樹から目を離さないで)さあ。……わからん。……ちかごろ僕には、いろんな事がわからなくなってしまった。……頭がクラクラして。
北村……どういう意味だったろう、あれは?いやさ、ここのおじさんが、あん時、――そうだ、君の今坐っている所に坐っていたが、ヒョッと「友吉のいうのがホントかも知れん」といったんだよ。そういって、そいで立上って、あすこをのぼって行った。そいで――。その、友吉のいうのがホントかも知れん――
友吉 ……(北村の言葉をジーッと聞いている間に、だんだん頭がさがってくる。ホントの苦しみが、はじめて彼の顔に現われる)
北村 ……どっちせ、このままでは、おれたち日本人は救われねえんだ。……安心は得られない。
友吉 ……(不意に、右手のピンセットを投げ出し、左右の手を組み合せ、その上に顔をのせて、修理中の時計の上にガシャンと突伏す)
北村 どうしたんだよ?片倉君?……どうしたんだい?え、友ちゃん?
友吉 (突伏したまま)わからない。僕には、よく、わからない。神さまは――(だまってしまう)
北村 ……(その友吉の姿を、つらそうな眼をして、ボンヤリ見つめている)
(そこへ、右手の小道の方から、人見治子が近づいて来る。みすぼらしいコートに、モンペ式の黒いズボン。以前は少女らしくフックリしていた線は彼女の顔からソギ落ちてしまって、鋭どくフケこんで、無口に無表情になっている。今日はともいわないで、あがりばなに立ち、突伏している友吉と北村と奥に寝ているリクをチラチラと見てから、北村に黙礼する)
北村 ……や、今日は。……どうです?
治子 はあ。……(相手になろうとせず、ゲタをぬいであがり、眠っているリクの方へ行く)
北村 その、事務員の方の仕事は、うまく行っていますか?
治子 ええ。(いいながら、リクの額にソッと手を当ててみたりする。その態度に取りつきばがない)
北村 ……じゃ。(と腰をあげて)じゃ、又来るからね、友ちゃん。(友吉は、まだジッと祈っているようなかっこうをしている)……あんまり、考え込まないで――こんだ、仕事が有ったら、持って来るから。……(治子に)治子さん、じゃ――(右手へ去って行く)
治子 ……失礼しました。……(リクの着ている薄いフトンのスソから手を入れてその足にさわって見たり、枕もとを片附けたりしてから、あがりばなの所へ来て坐る。そして、表情を動かさないままで、友吉の姿をしばらく見ている。間)……俊ちゃんは?
友吉 …………。
治子 ……私ね、明日からダンサーになるの。……学校時代の友達がやってるから、なんでも教えてくれるんですって。――近頃じゃ、すぐにやれるんですって。着物もその人が貸してくれるの。――(友吉動かない)どうしたの?
友吉 …………。
治子 今のアパートから、追い立てをくって、いよいよもう、居られなくなったの。部屋代をいっぺんに五百円にするというのよ。……そうでなくっても、今の会社の月給は六百円で、食べるだけでも、たりなくなって来たし……ホールに出ると、その日から百円ぐらいにはなるんですって。……私、もう、こうなったら、なんでもやるわ。……だって、このままで行ったら、私もだけど、それよりもお母さんも俊ちゃんも、医者や薬はおろか、あなたも、みんな、カツエて死んでしまう。……(しばらくだまっていてから)お祈り?
友吉 ……(顔をあげる。ボンヤリした眼つきで治子を見る)……ありがとう。……だけど、僕らはどうでもいいから、ダンサーなど、よしたほうがいいんじゃない?
治子 ……私には、もう、祈れなくなっちゃった。戦争中は、あいで、苦しかったけど祈れたわ。だけど……もうダメ。
友吉 ……そんな事しているよりか、早く教会に帰った方がよいと思うんだ。兄さん、こないだも此処に来て、治ちゃんにそういってくれって――
治子 ウソだわ。
友吉 だって、先生はホントに治ちゃんの事を心配して――
治子 ウソ!
友吉 しかし――
治子 兄さんなんか、どうでもいいのよ。友吉さんがウソいってる。
友吉 そんな――
治子 そうじゃありませんか? あなたは、兄さんの教会なんかを、良い所だとは思っていない。あすこには、もうホントの聖霊は居ない。そうなんだわ。……そして、あなたの思っている通りだわ。パリサイびとの宮――そうなのよ。そこへ私を、あなたは、そこへ私に帰れとおっしゃるの?
友吉 そんな事はない。キリスト教を受け入れる――神を受け入れる受け入れかたにも、人によっていろいろの形が有って――その事が僕にもわかって来たんですよ――いろんな形が有る。そのどれもが、広い大きな目から見れば、みんな神さまのものです。――主の祈りをとなえながら、その拍子に合せてキカン銃を打っていたヘイタイが居た――こないだ本で読んだんですよ。それだって神の世界の出来ごとかもしれない。神さまの世界の広さや深さを、われわれ弱い小さい者が、自分の量見で区切ってタカをククル――というのもへんだけど――てはいけない。そんな気がして来たんです。まして、あなたの兄さんなど、あんな立派な人格の――
治子 そいじゃ、そいじゃ戦争中の友吉さんが、神さまを守って、あんだけイジメられても、なにしていらしったのは、なあに?
友吉 ……あれは、僕の、思いあがった、まちがいだった――かも知れないという気が、ちかごろ、して来たんです。
治子 イヤだ! イヤだ! イヤだ! (ほとんど叫ぶ)そんなの、イヤです! いまさら、そんな、友吉さん、あなたまでが――イヤだ! ……(しばらく黙った後、再び沈んだ、過度に冷静な調子で)――あたしは、神さまを見失った人間なの。しかし友吉さんまでが、そんな事をいっては、いけない。しっかりしてちょうだい。……私が神を失ったのは、戦争中の兄さん、終戦後の兄さん、その兄さんを見ていてなの。私は、兄さんから、神さまを与えられた人間よ。そして、こんだ、兄さんから神を取り上げられたの。……そうじゃありませんか。……戦争中、兄さんは疑いだした。苦しんでいたわ。私も苦しかった。しかし、その頃は、まだよかったわ。けっきょくは、ホントは、ホントの心の底では信じていたわ。……その兄さんが、終戦後、又教会はじめて、以前の通り集会なんかもチャンと開いて、――そりゃ、いろんなメンドウな教義やリクツやいいまわし方でね――とても熱心だわ。それ見てて、どうしてだか、私、こんだホントに信じられなくなったの。まるきり、メチャメチャになった。……神さまなんて、まるで、出たとこ勝負の、イジの悪い、人にイジの悪い事ばかりして自分だけニヤニヤ笑っているような、ヘリクツこねの――そういう気がするの。……どうしてだか、わからない。すくなくとも、新約の神は、私から、なくなってしまったわ。悪魔が私にとりついたのかも知れないわね。フフ。どうでもいいわ。……そしたら、急に、私、自分も人間だっていう事に気が附いた。一人の女だって事に気がついたの。女よ。……私たちは私たちを愛しているのよ。食べて、生きて、愛しているのよ。食べて、生きて、愛して行くのよ。たとえ悪魔と同じような事をしても。……がまんにも、そいで、兄さんの教会には居られなくなったの。そいで、一人でアパートに行って、会社につとめて――そいで、食べられなくなったから、もう、なんでもしようというの。悪いかしら?
友吉 ……いや、悪いのなんのって、そんな――
治子 人間なんです。一人の女なの。私は。それが悪ければ、神さまは罰したら、いい。……女よ。おちちも有るの。そいから、そのほかの――みんな――(石のように青ざめて来た顔で、右手をツト動かして、コートの胸元のスナップを、白いミゾオチのへんまで、パラリと開ける。――友吉の方へ立ちかける)
友吉 ……(苦しみにゆがんだ顔)許してください。ぼくには、わからない。ダメなんだ。治子さん。もう、あの――
治子 友吉さん、私ね……
(そこへ、崖の上から、「兄さん!」という声がする。友吉も治子も、そちらへ目をやる。目の不自由な俊子が、そちらの小道を降りて来るらしい。友吉も治子も、しばらくボンヤリして、それを見迎えている。……やがて、傾斜のところに、俊子の姿が現われ、足さぐりに壕舎の方へ。極端にみすぼらしいナリに、頭髪をおさげにし、眼は普通に開いたまま、ごく僅かしか見えない。右手に大事そうに、大型の置時計を一つさげている。明るい顔付。時々、土くれにけつまづいたりして近づく)
友吉 ……(やっと、夢からさめたようになり)あぶないよ、俊子、そらそら!(立って行きかける)
俊子 いいのよ、平気。……(ニコニコして置時計をかざして見せながら)ほら、兄さん!角の隅本さんという内で、なおしてくれって!
治子 ……[#「 ……」は底本では「……」](その俊子の姿を見ているうちに、今までの凍りついた態度がクラリと変って、不意にバラバラと涙をこぼし、次ぎに声を出して泣き出す)……ごらんなさい、友吉さん! ごらんなさい、友吉さん!あなたの神さまは、こうだわ! いいえ、私は、ダンサーだって、いいえ、もっと、もっと、どんな事したって、――俊ちゃんまでを、こんなことさせるくらいなら――(泣く)
俊子 (あがりばなへ来て、びっくりして)……だあれ?
治子 私が働いて――どんな事をしたって働いて、俊ちゃんに、そんなこと、させない。……(ユカに突伏す)
俊子 ……治子さん?治子さんでしょう!……どうしたの、兄さん?(あがって、友吉に置時計を渡しながら)
友吉 ……角の、あの――
俊子 隅本さん。急いでなおしてくれって。……治子さん、どうなすったの?
友吉 うん。……
リク (それまで眠っていたのが、眼をさまし、寝たまま)ああ、ああ。ああ、ああ。……おなかが、すいたねえ。
俊子 お母さん、目がさめた。……(足さぐりに寄って行き)どう?よく眠れて?
リク 眠れやしないよ。頭の中でガンガン、ガンガン、鐘ばかりなって。
俊子 なんか、食べる?
リク 食べさしておくれ。おなかがすいて、おなかがすいて。なんでもいいから。食べさせておくれ。ひどいよ、自分たちばかり食べて、私には、なんにもくれないんだから。
俊子 だってそんな事いったって、お母さんが、なんかあげると、食べないんだもの。……今日は、ホントに食べる?
リク ああ、食べたいよ。早く、なんか――
俊子 はいはい。……(よく見えない目で友吉の方を見る。友吉立って室の左の隅に二つ三つ積んであるブリキのカンを次ぎ次ぎと開ける。みなカラッポ。だが、今度はポケットから、ガマグチを出して、なかみをチラリと見て、ガッカリしてボンヤリ坐っている。その様子を突伏していた治子が横眼でジッと見ている)
リク ……ああ、ああ。
俊子 ……(ひとりごとのように)ズーッと配給がおくれているから。
友吉 ……(思い決したふうで、ツト立って、左手の棚の上にのせてあった一冊の本を取って出て行きかける)じゃ、チョット、なんか買って来るから――
治子 ……(急いで、ガマグチを出し、有り金を手の上にあけて、それを友吉に渡しながら)これで、あの―― 五円ぽっちじゃ、なんにも買えやしないでしょうけど。
友吉 いいんだ、いいんだ。これを売ってくるから――
治子 バイブルでしょう[#「バイブルでしょう」は底本では「バイブルでしよう」]? ダメだわ、売っちゃ! 友吉さんが、それを――ダメ!
友吉 いいんだ。――(ゲタを突っかける)
(そこへ、崖の方から、不意に現われたと思うと、恐ろしい敏しょうさで[#「敏しょうさで」は底本では「敏しようさで」]、この家に近づいて来る復員服にジャンパーを着た貴島宗太郎――7に於ける男3――)
貴島 (自分の来た方を振返って見てから、スーッと近づいて来て、笑顔)おい、エスさん! 居るかね! よう! 片倉さん、今日は!(友吉にいいながら、ジロジロッと壕舎の中の三人の姿を見てしまっている)ヘッヘヘヘ、どうです景気は? ヘヘ、まあまあ、いいですよ、いいですよ、なあに、チョットそこまで来たんで、どうなすっているかと思って寄ってみたんだ。ハハ、どうかね、その後おっ母さんのグアイは? 今日は、おばさん!(友吉を室の中に押しもどし、自分もあがりばなに掛け、リクの方をのぞき込んだりして、ベラベラとしゃべりつづける)早く起き出して、この、なんでも食えるようにならなくちゃダメだね。元気を出さなくちゃ――そんなお前さん、この御時勢だ、なんちゅう事あないんだからねえ、あれはいけない、これはいけないなんて食わずぎらいをしていたって、しょうがないんだ。コジキだからね、俺たちあ。コジキになってしまったんだから、なんでもかんでも手当り次第に食うのさ。シャケの頭だろうと、人間の足だろうと、ドロであろうと、アブクであろうと、よりごのみをしていちゃ、生きて行けねえや[#「行けねえや」は底本では「行けねえゃ」]。ね、そうでしょう? (ジロリと治子を顧みて)ヘヘ、今日はあ! こりゃどうも、失礼。
友吉 貴島さん、あの先日の時計は、まだこうしてもうチョットあの――
貴島 ああ、いいですよ。いつまでもいいんだ。どうです、俊ちゃん、その後、眼の方は?(俊子が返事をするのも待たずに治子に向って)いえね、私あ、この少しばかり古物を扱っている貴島宗太郎と申しましてね、ヘヘ、ケチな男です。どうぞよろしく。なにね、片倉さんを好きで――いえ、好きといっちゃなんですがね、この、いえ、戦争中、ケイサツでいっしょに、この、ヘヘ、いろいろお世話になりましてね、なんしろあなた、いまどき、変った人だ。ハハ、だんだん見ていると、とんでもねえ、エレエというのかバカというのか、ヘヘヘ、まあ、神さまみてえな――つまるところが、エスさまあでさあ。おどろいたねえ。おどろきました! そいからまあ信者になったのです。信者といったって私あ、ヤソなんかの事あ、わからんですよ。ヤソだろうとクソだろうと、見さかいのない野郎でさあ、だから信者といっても、神さまの事じゃ、ごいせん。つまり片倉友吉さまでさあ。いや、まったく。片倉友吉さまの信者でさあ。ヘヘヘ、そいでまあ。(いいながら、ふところから、懐中時計を二つばかりと腕時計を一つ取り出して、友吉の机の上にのせる)……はい、これ、やっといて下さいよ。いや、ブンカイそうじをしてね、こわれてるのは、なおしといてくれりゃいいんだ。なんなら、誰かほしいという人があったら、売ってくれてもいいよ。値だんは、あんたにまかせようじゃないか。(又、もう一つ懐中時計をポケットから取り出す)ええと、こんで、おしまいだ。ヘッヘヘ、信者だからねえ、私あ。そんでまあ、片倉さんがこうして、こんだけエライ人が、こんだけの腕を持ちながら、こうして困っているのを見ていると、まったく、腹が立ってね、だから私が言うんだ。闇取引であろうが、なんであろうが、おやんなさい、私が方々のワタリはつけてあげる。今どき、そんなリョウシンのヘチマのいっていても、誰もホメちゃくれねえ、だいたい政府にしてからがタバコだのなんだの、法外もなく値上げをしてヤミをしょうれいしているようなもんだしよ。タカラクジなんてもなあ、ありゃお前さんバクチだもんねえ、つまりヤミやバクチは、おかみですすめているんだ。おれたちが、これをやらなきゃ、政府の方針に反するからね。ハハ……まあまあ話がさ、スのコンニャクのといったところで、生まれてきたんだから、生きて行かざあならねえやね。そんだけだあ! だからね、なんでもいいからおやんなさいと、いくらいっても、どうもしょうがねえ。しかたがないから、まあこうして、商売物の時計を持って来ちゃ、なにしてもらっているんですよ。ハハハ、どうもユーズーがきかねえもんだ。じょうだんじゃねえよ、まったく! うっちゃって置くと、神さまも神さまのゴケンゾクもおっ死んでしまいますからねえ! エスさまのヒモノなんざ、博物館でも引きとり手がねえべ。ハハ、じょうだんじゃ、ありません、まったくのところ! そんでまあ(まくしたてながら、ズボンのポケットから、サツのタバを無造作につかみ出して、その一部分をポイと友吉の机の上に置いて)……だろうじゃありませんか?(それに友吉がビックリして、口の中でなにかいって返しそうにするのを、押しふせて)ハハ、修繕代は又あとで払いますよ。こりゃその、ケンキンでさ。まあ、おサイセンだ。いいです! いいですよ! いやなら、修繕代としてくれてもよろしい。どっちでもいいでさ! エスさまなんてもなあ、この、ただ、えらそうなツラをして見ててくれりゃ、いいんでさ。でしょう? 神さまがケンキンを突き返したりなんか、コセコセすると、ありがたみがなくならあ。そういう事は、われわれこの人間は見たくないよ。神さまあ、人間どもを見おろしていてくれて、よしよしお前たちはウジ虫であるから、ウジウジとしていろ、金でも食い物でも、お初穂を持って来い、わしが食ってやるぞよ! そいでいいんだ。そいだから、ありがたいんですよ! そいで、はじめて神さまだあ! 食ってやるぞよ! ねえ、おっ母さん!(リクに)
リク ……(貴島のおしゃべりの間に、寝床の上に起きあがって坐っていたが、いわれて大きくうなづく)……はい、私あ、おなかが空いて――
貴島 ヘ?
俊子 おっ母さん、直ぐ、あの、買って来るから。
貴島 あ、そうか! なあんだ、そんならそうと早くいってくれりゃ、いいのに。おっと来た! 食べる物なら食べる物!(ジャンバアのポケットから、紙袋に入ったホットドックを三つ四つ取り出して、一つをリクに、残りを俊子に手渡す)さあどうぞ! さあ、さあ、お食べなさいよ、エンリョはいらねえよ! いやね、自分用のベントウ代りに、近ごろじゃ、どこでどんな目に会うか、わからねえからね、半日や一日の食料はいつも御持参でさ。肉がはさんであってね、チョットいけまさあ! あなたも一つ、どうです!(と、先程から、彼のいうことに異様に引きつけられて、非常に注意深く彼の顔を見つめている治子にも一つ持たせる)もっとも、これもやっぱり近頃の事だあ、肉といっても、豚の肉だか猫の肉だか、事によったら、人間の肉だか、これ、保証の限りじゃねえけどね、ヘヘヘ、どうでもいいじゃありませんかね、食えさえすりゃ、ねえ!
リク ……(にぎらされたホットドッグをマジマジと見つめていたが、なんと思ったか、ポイと放り出してしまう)
貴島 (それを見て)どうしました?
リク 友吉! お父っあんを、返しておくれ。明を返しておくれ。お前のおかげで――お父っあんを、明を、返しておくれ。……返してくれなければ、私あ、どんな事があっても、食べないよ! 食べません!(ドシンと音をさせて、壁の方を向いて寝てしまう)
貴島 ヘ? ――なんだって?
友吉 ……(弱り果てた眼で、その母の後姿を見守りながら)いつも、こうなんです。……断食するんだといって――。
貴島 へえ、すると、なんですか――? 断食をね? すると――(まじめに問いかけはじめた自分の調子を自分でガラリと投げ出して、ゲラゲラ笑う)ヘヘヘ、そいつは、いけねえよ! そりゃね、エスさま、あんたがケイサツで断食してくれりや、その食わないぶんのシャリを、あっしなんぞ、始終もらって食って、助かったがね、だから、あん時あ、なんだけんど、もうこうなってから、そいつは、いけねえや! このシャバでお前さん、そんな事いってりゃ、こんで踏み殺されるだけだあ! 日本人は、こんで多過ぎるときてるからね! ヘヘヘ!
治子 (貴島に)……あのう、チョット[#「チョット」は底本では「チヨット」]、あたし、お願いが有るんですけど。どっか、あたしみたいな者の働らく口が有ったら、あの――
貴島 ヘ? あ、そうですかあ。そりゃ、あんた、いくらでも――(友吉とリクの後姿に向って)ヘッヘヘ、しかし、多過ぎると来ているんだ日本人は、死ななきゃならねえんだ三分の一はね。そういうソロバンになっているんだよ。生きていたいと、いくら思ったって、食物が、そんだけしきゃねえんだ。あたりめえだあ、つもっても見な、あんだけ大きなイクサをして、ペチャペチャに負けたんだあね。こんで、今迄のように無事にやって行けると思うのは、話がウマすぎらあ。ね、そうでしょう? あたりめえだあ。だもの、そこい、断食するんだって? ヘッ、そいつは、願ったりかなったりだろう、笑わしちゃいけねえや、そうじゃないですかね。ホッ、プップッ、おおけむいや! フウ!(といったのは、俊子が貴島や治子にお茶を入れようとして、よく見えない目で室の隅のシチリンに、紙くずや木の枝などを入れて、火をつけたのが、ひどくいぶって来る、その煙にむせたのである)どうも、まるで、こいつはタヌキかムジナの穴だあ! ヘッヘヘ、ホウ! ね、そうだろう、エスさま? あんだけの兵隊が、おれたちのために死んだんだぜ? え? そいで、残ったおれたちが、おれたちだけが、無事ソクサイで過ぎて行くとあっちゃ、あんまり片手落ちじゃありませんかい? 虫がよすぎるよ、ねえ! フウ! だからさ、だから、ここんとこ、五年十年、日本人は、鬼になってもジャに[#「ジャに」は底本では「ジヤに」]なっても、とにもかくにも、生き抜いて行けるかどうか、善いも悪いもヘッタクレもねえや、やってみなきゃならねえんだ! ほかの事あ、その後で聞こうじゃねえか! ねえ、エスさん!(もうもうとした煙にむせながら、貴島のおしゃべりは、まだやみそうでない)

        10

 貴島のおしゃべりにダブって、三、四人の人が斉唱するサンビ歌の声。(クリスマス聖歌)
 会堂。冬の夜。
 人見勉の教会の内部。ガランとしているのは以前どおりだが、それでも、壁や窓など、かなりつくろってあるし、ソウジは行きとどいているし、集会用のベンチがキチンとならべてある。説教壇のわきに立てられたかなり大きなクリスマス・ツリイ。それに向って、人見勉が黒い背広をキチンと着、ネクタイもしめて、デコレーションをくくりつけている。その向うに立って、それを手伝っている木山譲二。進駐軍の制服を着ている。デコレーション用の小物が、説教壇のテーブルの上に山もりになっている。他に、食料品の入ったボール紙の箱やカンヅメなどが、別のテーブルにもりあげてある。教会の会員で中年の富裕らしい和服の婦人の小笠原が、説教壇の背後の壁に三色のモールを張りめぐらしている。三人は、微笑をうかべながら、余念なくそれぞれの仕事をしながら、声を合せてサンビ歌を歌っている。木山は、歌詞が日本語では歌えないのか、メロディ[#「メロディ」は底本では「メロデイ」]だけをアーアーアーとやっていたが、やがて、口笛で合せる。右寄りの、まだ一カ所だけ修繕のゆきとどかないで破れたままになっているガラス窓の穴から見える黒い戸外の闇の中に音もなく雪の降っているのが、内部からの電燈の光に照らされてチラチラと白い。

人見 ……だけど、七年前に別れたっきりのあなたと、こうして今いっしょにクリスマスの飾りつけをしようなどと、誰が考えたろう? 夢のようですよ、やっぱり生きているという事は、すばらしい。それを思うと私は感謝しないではいられませんよ。
木山 私もホントにおどろきました。あのステーションで先生を見た時は。ズッと、こちらへ来てから、さがしていたのです。どうしても、わかりません。(いいまわしが、少し不自由のようである)
人見 そうでしょう[#「そうでしょう」は底本では「そうでしよう」]、広島のあの中学を中途でやめて、あなたはカリフォルニヤの御両親の所へ帰る、私は教職を引いて東京へ出て来るというので、別れたきりですものねえ。その後も、思い出しては、木山君、どうしていらっしゃるだろうと――あの時代ですからね――気にかかっていました。……しかし、なんですねえ、フシギなもんだ、そうやって、あの当時にくらべると、ほとんど二倍ぐらいの大きさになって、リッパになっていられるのに、声をかけられて一目見ると、すぐにあなただとわかった。人の顔も、これで、変らないもんですねえ。
木山 人見先生も、もとのとおりです。ただ、カミゲが、たいへん、白くなりました。カミゲだけ見ると、オジイサン。ですから、はじめ、うしろから見た時、気がつきませんでしたよ。ハハハ。
人見 やあ!(頭髪をなでる)ハハ、そうですか。
小笠原 ホホ、そうですわ。戦争がはげしくなってからこの教会の会員もチリヂリに疎開したりなんかで、あれからズーッと終戦の年の冬まで集りも休ましていただいていて、都合三年ですか、こんだお会いしたら、まるであなた、こうでしょう[#「こうでしょう」は底本では「こうでしよう」]? みんなもう、ビックリしましたのよ。……でも、御無理もありませんわ。ズーッとあなた、御心痛があまりひどかったんですから――
木山 ゴシンツウ?
人見 なに、私など、そんな――もともと、こんなタチなんですよ。
小笠原 いいえ、そりゃ――(眼に浮んだ涙を指でふいて、木山に)そうなんですの。戦争がひどくなって来る頃からの、この、キリスト教に対する圧迫――といいますかイヤガラセ――とにかく、イジメぬかれたんですから、人見先生などの御苦労は、そりゃあなた――
木山 そうですか。……そうでしょう[#「そうでしょう」は底本では「そうでしよう」]。よくわかります。よくわかります。
小笠原 (まだ涙をふきながら、ニコヤカに笑って)それを思いますと、先生のオツムは、それを耐えしのんでいらしった印みたいなものですから、一面から申しますと、ミサカエの光を見せていただいているようなもので――ホホ!
人見 そんな事はありません。そんな――
小笠原 ですけど、とにかく、先生を中心に此処でみなさんで戻って来て――こうして又、クリスマスを祝うことが出来るんです。なんと感謝してよいかわかりませんわ。それに、思いがけない、木山さんから、こんなリッパなデコレーションや、ゴチソウまで、こんなにたくさん持って来ていただきまして、ホントにホントに、なんとお礼を申してよいか――(破れた窓の外の闇の中から、この室をのぞいている白い顔が見える)
木山 オー、なんでもありません。デコレーションは、友人たちからツゴウしてもらいました。食べものは、マザアとシスタが送ってくれたものです。クリスマス・イヴには、もうすこし持って来られます。あなたがたに、すこしでもお役に立てば、うれしいのです。……それに、これから世の中を平和にやってゆくには、クリスト教はダイジなものですから。さかんにならなければならないでしょうから。いえ、ボクは、まだクリスト教のことは、よくわかりません。信者ではありますが、ボンヤリした信者なので、なんにもわからないのですけど。……ですから、そのために、この――
小笠原 ホントに、私ども、平和が戻って来ました事を、なんと感謝して――
人見 ……(昂奮を自らおさえつけるように、デコレーションの銀紙で張った星をにぎったまま、クリスマス・ツリイのわきに膝をついて、口の中で祈る)……(それを見て小笠原も壇の所にしゃがんで祈りはじめる。木山は、その二人を見くらべて、チョットこまるが、祈りはしないで、カガトをそろえて立ち、すこし頭をさげかげんにしている。窓の外の顔は、まだのぞいている)……(口の中で低くいっている言葉が、すこし聞きとれるようになる)感謝いたします。……平和を私どもの上に導いてくださいました事を。このような兄弟を、私どもに再びおつかわし下さいました事を。……平和が、今後永久につづきますように、願わくば、……(あと、まだ祈る)
小笠原 ……(それを引きとって)アーメン!(昂奮して涙ぐんだ顔を輝かしながら、元気よく立ちあがって)……さあ、今夜でスッカリ飾りつけをすませましょう[#「すませましょう」は底本では「すませましよう」]。明日は日曜学校の生徒さんたちの準備だし、その次ぎの次ぎの日はクリスマスですものねえ……もっとおそくまで居れるといいんですけど、ちかごろ、郊外の方はぶっそうでしてねえ。おどろくじゃございませんの、ホンの二、三日前の晩に、私の内のすぐ近くで、追いはぎと、そいからあの、乱暴された女の人が、一晩に三人もありますのよ。それに近頃では強盗が押し入るんでも、ゲンカンから、堂々とアイサツをして来るそうですわ。ホントにまあ、日本は、なんという事になったんでございましょうねえ、恐ろしゅう[#「恐ろしゅう」は底本では「恐ろしゆう」]ござんすわ、それを思いますと。
人見 そうですね。……いや、もうこれだけやっていただけば、あとは私がボチボチいたしますから。それに明日あたり、ほかの会員のかたも見えて下さることになっていますから。(それまで、窓の外から、のぞいていた顔が、見えなくなっている)
小笠原 はあ、いえ、まだいいんですの。(と再びデコレーションにかかる)此処だけ、やってしまっておきます。……先生、あの、お妹さまは、ちかごろいらっしゃらないんですの?
人見 はい、ちょっと――
木山 いもうとさん、先生に有りますか?
人見 そう、木山君は御存じなかった。ええ――治子といって、今、ちょっとほかへ行っております。……(妹の事を語りたくない様子で、再びセッセとクリスマス・ツリイの飾りつけをはじめる。木山も)
小笠原 ……(手を動かしながら、奥の方へ呼びかける)原田さま、まだ? お手伝いしましょうか?(奥からは、返事がない)あのカン切りでは、ダメかも知れませんわよ先生? なんしろ向うのカンヅメは、シッカリできているんですから。
木山 では、私が開けてあげましょう[#「あげましょう」は底本では「あげましよう」]。(気軽に奥の方へ行きかける。そこへ、若い洋装の原田竜子が、切り開いた大型の四角のデセールのカンと、大きな西洋皿をかかえて、急いで出て来る。背後の奥を二度三度と振返りながら。木山それにぶっつかりそうになって)……おお、しつれい!(笑いながら、竜子の身体をかかえ止めるようにする)ああ、開けること出来ましたね。ハハ。――どうか、なさいました?(笑いを引っこめる。竜子が尚も奥を振返る顔が青く、手に持った西洋皿が、カチカチとカンヅメのかどに音を立てる)
人見 どうしました、竜子さん?
竜子 はあ、あの――いえ、私の気のセイかも――(皿とカンヅメをテーブルの上に置いて、又奥を振返る)
小笠原 なにか――?
竜子 ……ヒョッと、あの、流しのそばの窓を見たら、誰かこっちを向いて笑って――
小笠原 え? ソトから? 
竜子 はあ。 ――たような気がしたんです。
人見 ……コジキでしょう[#「コジキでしょう」は底本では「コジキでしよう」]、それは。ちかごろ、よくこのへんをウロウロしますから。
小笠原 でしょうか[#「でしょうか」は底本では「でしようか」]? こんな雪のふる晩に、それでも。――
木山 ぼく、見てきましょう[#「見てきましょう」は底本では「見てきましよう」]。こちらですね?(スタスタ奥へ。それを案内するように竜子が後からついて行く)
小笠原 (おびえた目で人見を見る)……?
人見 (笑って)たとえ、ドロボウにしたって、なんにも、あなた、このウチには取って行く物はない。
小笠原 でも――
人見 じゃまあ……(左手へ行く。小笠原も一人で居るのが不安らしく、急いでしたがって去る。室内に誰もいなくなる。……間)
(右手から友吉が入って来る。なつかしそうにそのへんを見まわしながら。学生服や作業服など有りたけの着物を重ねた、極端にみすぼらしい姿と、青ざめた、柔和な顔。ビッショリとぬれた両足。肩に附いた雪をはらいおとしながら、眼を輝かして、デコレーションにキラキラときらめいているクリスマス・ツリイに見とれている……間)
(奥から、腕や頭についた雪をはらいながら木山と竜子が、同時に左手から人見と小笠原が、もどって来る。木山と竜子はすぐに友吉をみとめて立ちどまる)
人見 (小笠原に)やっぱり、コジキですよ。……(友吉を見て、すこしギクンとする)……(しばらく友吉を見つめていてから)なあんだ、――君か?(木山と竜子は友吉を知らないが、人見の知人らしいことがわかり、ホッとして見ている。小笠原は前に友吉を二、三度は見たことがあるらしい。へんな顔をしてジロジロ見る)
友吉 (なつかしそうに)今晩は。(一同におじぎをする)
小笠原 あの、片倉――さん、でしたっけ? ホホホ、窓からのぞいたっていうのは、あなた?
友吉 (わびるように微笑して一同の顔を見くらべながら)ずいぶん、ごぶさたしちまったもんですから、あの――
小笠原 そういえば、竜子さんはちょうど[#「ちょうど」は底本では「ちようど」]、入れかわりのなんだから、ご存じじゃなかったんでしたっけ[#「なかったんでしたっけ」は底本では「なかったんでしたつけ」]? (竜子「はあ」とうなずく)やっぱり、此処の会員だった――(人見に)でしょう[#「でしょう」は底本では「でしよう」]、先生?
人見 ……(それには答えず友吉に)どうしているの、ちかごろ……?
友吉 ええ、まあ――
人見 僕も行こう行こうと思いながら、忙しいものだから――(友吉の姿を見てから、なにかコチンと、どこか怒ったような調子になっている)
友吉 いえ、私こそ、あの――(そのような相手の調子を受取ることができない位になつかしい気持でいっぱいになっている)……クリスマスですね、先生。(クリスマス・ツリイを見る)実にキレイだ。(ニコニコして)僕は思い出すんです。戦争中のクリスマス――たしか三度、先生と治子さんと僕の三人きりでお祝いをして――一度はそこの林からヒイラギの、こんなチッチャイのを切って来て、そこに立てて、飾りがないもんだから、ローソクを三本立てて、三人で、ソトにきこえないように小さな声でサンビ歌を歌った。ハハ。……それが、しかし、こうしてやれるようになったんですから、実にありがたいですねえ。
人見 ……お母さんなど、内のみなさん、元気かね?
友吉 え? ……ええ。あの、母は死にました。肺炎で――先々月。
人見 ……そう。そりゃ……ちっとも知らないもんだから。そうですか。どうも。(と、ていねいに頭をさげる。友吉も礼を返す)……そいで妹さんの眼の方は?
友吉 俊子ですか? ありがとう存じます。やっぱり同じですけど、すこしは見える――以前よりは良い方なんです。
人見 そりゃ、けっこうです。……それで、なにか御用でも――?
友吉 はい。いえ、べつに、その――
人見 実にこうして会員の方にも来ていただいたり、それから木山さんもわざわざ見えて下すって――もと広島の中学でしばらく私が教えてあげて、――御両親が向うにいられて、こんどやって来られた方で――
木山 (竜子に手つだって、西洋皿にカンヅメの中味をあけていたのが此方を向いて) こんばんは。
友吉 ……(木山に頭をさげる)
竜子 (デセールをもった皿を奥のテーブルの上に置き)どうぞ先生。小笠原さんも。すぐお茶を入れますから。(奥へ去る)
人見 (それにエシャクして置いて、友吉に)今夜は忙しいものだから――
友吉 ……(急にさびしそうな顔になる)はい。僕はすぐ、なんです、失礼しますから。……(すこし離れた奥では木山が二つ三つのイスをテーブルのわきに持って行き、小笠原を招じて掛けさせ、自分が先ず皿のデセールを一つ取って食べて見せ、小笠原にすすめている)……治子さんの事で、チョットあの――
人見 治子? ……なんでしょう[#「なんでしょう」は底本では「なんでしよう」]
友吉 心配になったもんですから――もっと早く来よう来ようと思っていたんですけど、ツイ――ぼく、この頃、時計の仕事がタマにしかないもんで、昼間、あの、クズ屋みたいな事をしているもんですから――暇がなくて――
人見 いや、そりゃ、妹の事については、私も心配しているんだが――なんしろ、この半年ばかりフッツリ寄り付かないし、訪ねて行っても会いたがらない。この三、四カ月、だまって、どっか越して行ってしまって、どこに居るか――君は会ったの?
友吉 たまにヒョッコリ、僕んとこに、あの――
人見 へえ? すると――?
友吉 たいがい僕のルスにみえて、俊子に、あの食べる物や、金をくだすって、そいで――二、三度は、ねむいから、いっとき寝させてくれといって半日寝て、そいから又どっかへ――僕も治子さんの所は、よく知らないんです。
人見 ふーむ……。
友吉 ここんとこ、しばらく、見えないんですが、二、三日前、人からヘンな話を聞いたもんですから、心配になって――
人見 どういう仕事をしているんだろう、そいで?
友吉 僕にもわかりません。会社の事務の方はトックにおよしなすったようですが、その後――二、三日前に治子さんを見たといって話してくれたのが、貴島――貴島宗太郎といって、あの、良い人間ですけど、でも、妙な所にばかり出入りして、あの、いろんな事を知っている人で――
人見 ダンスホールで見かけたという人がいたんだが――
友吉 ええ、それでこの……住む所なども、行きあたりバッタリに、方々の宿屋だとかなんかに、この――
人見 ふむ。……
小笠原 先生、いかが? やっぱり、向うのは、すばらしゅう[#「すばらしゅう」は底本では「すばらしゆう」]ござんすわ。口の中で、まるで、とろけるみたい!
木山 (デセールの皿を持ってツカツカこっちへ来て、二人に皿を出して)どうぞ。
人見 やあ、どうも。ごちそうさま。(一つつまむ)
木山 (友吉に)あなたも、どうぞ!
友吉 はい。あの、いいんです、僕は。いいんです。
木山 先生、妹さん、どうかしました?
人見 ええ、いえ、――(友吉に)ありがとう。いや、至急に、その、会うとか――君の家にも、そのうちに行って――(話を打ち切るように)どうも、ありがとう。
友吉 いえ、そんな――ただ、僕にも、責任が有るような気がするもんですから、一度先生に御相談して――
人見 いや、ありがとう。私も考えてみます。……(すぐわきに立って注意して聞いている木山に、牧師として習慣的になった笑顔を見せて)やあ、ハハハ、いえね、――この人は、なんですよ、片倉君といいまして、此処の会員だったんですが――
木山 (きげんよく、友吉にエシャクして)そうですか。……いかがです?
友吉 ありがとうございます。いえ、いいんです。(はにかんでいる)
木山 先生の妹さん、どうなさいました?
友吉 あの――
人見 (急に今までの調子とちがった、すこし過度に快活な声を出して)いえね、木山さん、この片倉君は、戦争中、なんですよ、戦争に反対して、召集令状を受けても出征するのをことわりましてね、そのために憲兵隊やケイサツにつかまって、ひどい目にあったんですよ。
木山 え? 戦争に反対? ……(急に非常な興味をもって、眼を輝かして友吉を見る)そうですか! そんな人が、日本にいたのですか!
小笠原 へえ……まあ、そうなんですの、この方が?(珍らしいケダモノを見るように友吉を見あげ見おろす。そこへ竜子が盆の上に茶器をのせたのを持って奥から出て来て、それをテーブルの上にのせながら、話を耳に入れてビックリして友吉を見つめる)
人見 この人の、その、左の腕の不自由なのは、その時の拷問のためでしてね。それから家族の人達もいろいろと迫害されて、お父さんはそのために自殺しました。そのほかいろいろと……私なども、かなりいじめられましたよ。ハハ。今になって見ると、まるで夢のようですが、実に、片倉君の強さというか――キゼンたる態度ですね、ホトホトどうも、なんです――(笑いながらほめあげる調子が、ほとんど憎悪に近い。友吉は、四人の視線に射すくめられて、赤い顔をして小さくなっている)
木山 (彼だけは、率直な好意で友吉のそばに寄って行き)すると、なんですか、日本のはじめた戦争が、まちがった戦争、――シンリャク戦争でしたから、反対なさったのですね?
友吉 はい……(コックリをする)でも――
人見 もちろん、それもあります。しかし、それと同時に、それがどんな戦争であろうと、戦争という――つまり人が人を殺し合う暴力に反対なんですよ、片倉君は。つまりクリスト教の信条によってなにされたんですから。クリスト教徒なんですよ。
木山 そうですか。すると――日本のクリスト信者の中に、ほかにも、そんな人がたくさんおりますか?
人見 いや、そりゃ――なんです――ほかに聞きません――居たかも知れませんが――私の知っている限りでは――
小笠原 アメリカやイギリスには、そんな人は有りまして? あの、あちらは、キリスト教国なんでしょうから、この――
人見 しかし、と同時に、片倉君は、ガンジイなどの影響を非常に受けていて、――つまり、暴力否定、それから、その暴力に対する非暴力抵抗ですか――むしろ、実際的には、キリスト教よりもそちらの方が強いんじゃありませんかねえ。ねえ片倉君?
友吉 ……(はずかしめられ、なぶりものにされた小動物のようにドギマギして)そんな――私は――べつに、そんなこと――
木山 ……(この人だけは、次第に敬意に近いもので友吉を注意深く見守りながら)あなた、片倉さん――コンミューニズム――あなた共産主義者ではありません?
友吉 ……(びっくりして、かぶりを振る)いいえ、あの――
木山 どう思います、共産主義を?
友吉 ……はい。良い事だと思いますけど、私には深い事はわかりませんので――
木山 これから後、もし戦争が起きたとします。どうなさいます? やっぱり反対しますか? それがどんな種類の戦争であってもです。それが、どこの国とどこの国との間に起きてもです。
友吉 ……しかし、戦争はもう、起してほしくないと思います。私は――。(いいよどむ)
木山 (友吉の左の腕をつかんで)御意見を聞かせてください。いえ、私たちは、なんです、日本人の血液を持ち、そして、それとは、ちがった国土にぞくしていて、今度の戦争に出あいました。……いろいろの、むずかしい問題にうちあたりました。戦争は終りました。もう過ぎ去ったことです。もう戦争はごめんだと思います。しかし、むずかしい問題が、みんな解決されたとはいえません。問題は残っています。そのために、まだゴタゴタしています。コールド・ウオー冷たい戦争――武器をとらぬイクサ――それは既にはじまっていると新聞などに書いてありますね? つまり、それを、武器を取ったイクサにまで持って行かぬようにするためには、われわれは、どうすればよいでしょう? どう思います?
友吉 ……わかりません。僕には、よくわかりません。
木山 ありのままに――思ったとおりに、いってくれませんか。私はマジメです。ソッチョクにいってくださってよいです。たとえ、どんな事をいわれても、怒りません。
人見 ハハ、ハハ!(と、ヘドモドしている友吉の様子を見て笑い出す)いったらいいじゃないか、片倉。……(小笠原も、おもしろそうに眺めている)
木山 ……それでは、あなたは、私たちを、憎んでいるのですか? 今度の戦争で、自分たちを負かして――こんな、メチャメチャにひどい目にあわしたのだから、私たちを、あなたがたは、憎んでいるのですか?
友吉 そんな――いいえ、そんな――そんな――負けた方にとっても勝った方にとっても、悲しい――悲しい事だったんですから――そんな――
木山 なぜ、それならば、いってくださらないのですか?
人見 ハハ、いったらいいじゃないか、思った通りに――
木山 おたのみします。
友吉 ……(追いつめられた者のように、そのへんをキョロキョロ見まわしたりしていたが、やがて自分の顔前一尺くらいのところに突きつけられている木山の真率な眼つきにヒタと吸いよせられて)……あの、それは、……僕はその――いえ、今度の戦争で、あなたがたは勝ちました、日本は負けました。……負けるのは、あたりまえかもしれません。……まちがっていたんですから。……良くない事をしたんですから。……思いあがっていたともいわれます。……そいで負けました。負けて、こんなに、なにもかも、ひどい事になってしまいました。しかし――しかし、日本が負けたのは、連合国に負けただけでしょうか?(しきりと自分の言葉をまとめようと努力しながら)……うまくいえませんけれど、日本は、ホントは日本に負けたのではないでしょうか? ……いえ、つまり、世の中の、なんです、ヨーロッパもアメリカも日本も、そのほかの国の人々みんなをつないでいる――もっと大きな、なんといいますか、つまり、もっと大きなものに負けたんではないでしょうか? 僕にはうまくいえません。
木山 (熱心にはげますように)いや、わかります。わかります。
友吉 日本にだって、良いものはあります。その、今いった、もっと大きなものは有るのです。それに負けたのです、悪い日本が。……しかし――しかし、同時にです、連合国が勝ったのも、完全に勝ったといえるでしょうか?……いえ、うまくいえませんけど、つまり、猫が鼠を取って食うのと同じような勝利だといえるでしょうか? いえないと思います、僕は。……失敬ですけど、連合国の方でも、それぞれ、今度の戦争では、かなりひどいテキズを受けたのだと思うんです。今の戦争で完全な勝ちということは、もう、ないと思うんです。自分のうちに有るものを、いくらか殺さなければ、ほかのものを殺すことはできないんじゃないでしょうか? つまり、人を殺すためには、自分の中の、大事なものも、いくらか殺さなければならないんじゃないでしょうか? それほど、人の中に自分が、はいりこんで行っているし、自分の中に人がはいりこんで来ているんだと思うのです。国と国だって同じです。……ですから、日本は今度、十だけ負けたんですけど、連合国も三だけは負けたんだと思うのです、ズット大きな目で見れば。……なんだか、うまくいえませんけれど――
木山 おお、よくわかります! それで――?
友吉 ですから、戦争というものは、正しくないだけでなく、損です。勝ち負けに関係なく、世界中の人間にとって損です。損だとわかれば、今後は、もう、よせる筈です。それに、もう、気が附いてもよい時ではないでしょうか? その、僕はそれを……ですから、もう、よして下さい。お頼みします。その、あなたの、今おっしゃった、あの、武器を取らない戦争――又、もう、はじまっている――その、それも、どうか、やめてください。……口で言い争そう事を、いつまでもつづけていると、どうにかしたチョットしたハズミで、ホントのケンカになります。どうか、どうか、お願いですから、あの、あなたがたの方も、それから――あなたがたの反対の側の人たちも、どうかもう、争うのは、やめてください。僕は、ホントに、お願いします。この――(両手を強くにぎりしめて、いっしょうけんめいにいっているうちに、すこしシドロモドロになって来る)
人見 (自分でも排除しきれない友吉に対する根深い反撥を、つとめて押しかくしながら)君のいう事は、一つの考えとしては正しい。戦争中と同じだ。あの頃とすこしも変って来ていない。……チットも成長していないんだ。ひとつおぼえ……つまり、それは、考えとして正しいかなんか知らんが……実際の、実行上の智恵としては、まるで力がないのじゃないだろうか?
友吉 ええ……僕はボンヤリですから、この――
人見 つまり、そんな事をいっても、誰がそれを実行できるだろう?
友吉 ……あの、僕は、実行できるんですけど――
人見 そりゃ、そりゃまあ、君は実行できる人だ。現に出来たんだから、しかし君のような人は、千人中、万人中、いや千万人の中に一人いるかいないか――とにかく、たいがいの人には実行できない。
友吉 いえ、あの――ほかの人も、僕のようにすればいいんです。(自分がいかに権威ある恐ろしい言葉をしゃべっているかに全く気附かず、ただ子供らしく、額に汗を浮べながら)……僕みたいな、なんにも知らない、こんなバカにだって出来るんですから、ほかの人に、やれないワケは――
人見 君が実行したために、君のお父さんは死んだ。明君は苦しんで、ヤケになって、戦死した。そいから私なども、ずいぶん――いや、私の事など、なんでもないが――それから、ヤミや不正は絶対にしないという君の行き方のために、君のお母さんも――肺炎だというけど、ホントは栄養不良が原因しているんじゃないかね? ――そんなふうな、それは或る意味で――自分の信念を生かすという事はけっこうだけど、その事だけのために、他の人をみんなギセイにするという意味で、それにエゴイズムともいえない事はないんだから――
友吉 ええ、それは、あの――(人見の言葉で打ちくだかれ、にぎりしめた両手をブルブルとふるわせ、やがて、イスからすべり落ちて、ユカに膝を突く)
木山 ……(しんけんに)片倉さん! しかしですねえ、自分がですねえ――つまり、自分の国が、いくらそんな気もちになってもですねえ、向うの相手が、相手の国が、あくまでガンコに自分だけの意見を押し通そうとする場合は、それでは、どうしたらよいのですか?
友吉 え? ……(膝を突いたまま、混乱して、人見を見たり木山を見たりしながら)あの、それは、おたがいに、許して――あの、許し合ってです! おたがいに人間どうしなんですから、許し合ってこの――(人見に、あわれみを乞うように目を上げて)先生、治子さんを許してください。治子さんは、ホントに、良い人なんです。治子さんは、今、ひどい生活を――あの、ダラクしようとして――僕もハッキリとは知りませんけれど、あの――許して此処へ引き取ってくださるように――
人見 そりゃ君、君からいわれなくっても、妹なんだから。しかし、あれは――(困って、不快そうにわきを向く)
友吉 お願いです!(救いを求めるように、木山を見あげて)そうなんです! 手を引いてください! その、武器を取らぬ戦争――それが、今のままでズーッと行くと、きっと武器を取ることになります! 新聞にも、米ソ戦争などという文句が出ています! やめて下さい! 争うのを、やめて下さい! あなたがたも、ソビエットも、お願いです、今のようなやり方を、どうぞどうぞ、よしてください! アメリカにお願いします! ソビエットにお願いします。両方とも、ケンカをやめて下さい! 両方で、もっと仲良く話し合って下さい! 私どもを恐ろしい所へつれて行くのは、こらえて下さい! そのために、私の命が入用なら、私を殺してください。神さまを、そのために、引きずりおろす事が必要ならば、神さまを引きずりおろして下さい! お願いです! 武器を取ろうと取るまいと、戦争は、戦争だけは、もう、どうかやめて下さい! この通りです、どうかどうか――!(昂奮の極、オイオイと声をあげて泣き出している)あの、先生も、そいから、あの、両方とも……(まだ何かいいつづけているが、泣き声になって聞きとれない。その、いじめられた子供のように、みじめなコッケイな姿)
小笠原 プッ、ホホホ、まあ! ホホ!(とうとう、ふきだしてしまう。竜子も釣られて笑い出すが、しかし眼は、いぶかしそうな、びっくりした色を浮べて友吉を見ながら。人見は時々ニヤニヤしたり、額にシワをよせたり、複雑な顔で、クリスマス・ツリイの下の方にゆわきつけた銀色の星に眼をやっている。木山だけが、まじめな顔をして、友吉を見つめている)

        11

 つんぼになる程のもうれつな地ひびきを立てて、頭上を通過して行く列車。非常に長い列車で、音はほとんどしんぼうしきれないくらいに長くつづく……。

 或るガードの下。
 冬のあけがた。ガード下の道路には、まだ人通りなし。カゲになった所は、まだほの暗く、それに、つめたいモヤが立ちこめていて、見通しがきかぬ。ガードの右側の、高架線路の下はズーッと、きたない荒れ果てた倉庫になっている。ガードの下の一番てまえにトラックが一台、なにも乗っていない後部をこちらに向けて置いてある。高架線路の鉄の橋ゲタの一部とトラックの左側の側板だけを、のぼりかけた朝日の光が、うっすりと照らしている。武装した警官が一人、トラックのわきに動かず無表情に立って、右がわの倉庫になった奥を見ている。その他には誰も居ない。――やっと高架線路を列車の音が通り過ぎる。……どこかで、工場の時報のサイレンが鳴る。……やがて男Aと男Bが、右がわの倉庫の前の、せまい路からノソノソ出て来る。二人とも、おそろしくよごれたカーキ色の服に、藁くずのようなものを方々にくっつけたまま。それでも、男Aは、からだに合わない古オーバを着ている。二人とも、トラックの方へ歩いて来る。

男A ……(ふりかえってノロノロした句調で)おい、おめえ、エンタねえか?
男B ……(ねぼけた目でAを見る)
男A エンタねえのかといってんだ。(右手を出す)
男B ……なんだよう?
男A タバコよ、有ったら、すこし、くれ。よ!
男B ……(相手の言葉はわかったのだが、それに返事はせず、いきなり、ノドチンコが見えるくらいの大あくびをする)おーう。
男A 朝起きて、いっぷく吸わねえと、どうも、眼がさめねえ。そういう習慣だ。(おかしくもなさそうにいう)
男B ……(つづけざまに、又あくび)
男A くれといったら、おい!
男B ねえよ。(あくびの後の身ぶるいをする)寒い。ちきしょう!
男A ねえならねえと早くいえ。アクビで返事をしゃあがる。
男B ……(相手にならず、クルリと向うを向いて倉庫の壁へ)
警官 おいおい!
男B ……?
警官 よせよ。
男B ヘヘ、そんでも、出てえもんで――
警官 ちっとがまんしろよ。
男B せっしょうだなあ。
警官 せっしょうは、こっちだ。僕がこうしている鼻の先でお前、あんまりじゃないか。
男B へえ。……(それでも、するのを思いとどまって、Aとともにトラックの方へ。警官は路を開いて二人を通す。二人は、慣れたもので、しかしノロノロとした動作で、タイヤの上部に足をかけて、トラックに乗る)
警官 ……(それを見ながら、かくべつの感じもなく)お前たちも、もう、いいかげんにしたらどうだい? 二人とも、何度目だよ? ……(AもBも返事をしない)警察と収容所とこんな所をグルグルまわって暮しているようなもんじゃないか。
男A ……そんでも、しょうがねえもんなあ。
警官 ……おれたちの身にもなってくれよ。三時にたたき起されて、こうして――
男B すんません。……(ニヤリとしてペコリと頭をさげ、Aと共にトラックの片隅に身を寄せ合って、ちぢこまる)
男C けしからんではないかね? 人権を、この――(プリプリいいつつ、私服刑事に、こづかれながら、同じ方向から出て来る。半白のヒゲを生やした老人で、顔だけはわりにチャンと[#「チャンと」は底本では「チヤンと」]しているが、みなりは完全に浮浪者。ブクブクのタビを五六枚はいて、その上からナワでしばった両足。私服Aは慣れきっているようで、ふきげんに興味なさそうに、返事はせず、男Cをトラックの方へ追い立てる)……これでも、とにかく、私は料金を払って……とにかく、ホテルなんだから、――それを、浮浪者あつかいにするというのは、この――(いっているのを私服Aがトラックに押しあげて、のせてしまう。そこへ、やはり同じ方向から、若い女が一人、あくびをしながらスタスタ出て来る。かっこうはすこしへンテコだが、わりにこざっぱりした洋装。ただ、パーマネントした頭髪に、ひどいホコリや藁くずが取りついている。ほとんど小娘といえる無邪気な顔)
若い女 ……(私服Aに)あたいも、あの……?
私服 ……(無言でうなずく)
若い女 病院じゃないの? ……(私服A、ふきげんに返事をしない)……でも、あたい、ホントによんべだけは、なんでもないのよ? ウソはいわない。終電をにがしちゃって、しかたがないんで、泊っただけよ。金も払ったし、……(私服Aあいてにならぬ。しかたなく、彼女はシブシブ、トラックによじのぼる。男Aが、上から引っぱりあげてやる)
(そこへ、同じ方角から、私服刑事Bにつれられて、両手に手錠をはめられた貴島宗太郎が、にが笑いをしながら出て来る。ちょっと離れて友吉と、病みおとろえた治子と、それを助けながら俊子。俊子は眼がいくらか見えるようになっている)
貴島 ヘヘ、しょうがねえなあ。しょうがねえよ、まったく! ザマあねえや! チッ、なんてえこったい! ねえダンナ、村岡さん(と私服Bに呼びかける)ホントなんだよ。ただ、俺あ、あすこに寝ていただけだよ。俺も貴島の宗太郎だ、ヒキョウなマネはしねえや。商売してたとこをナニされたんだったら、グズグズいやあしないよ。
私服B じゃ、なぜ逃げようとした?
貴島 逃げやしねえよ、ツラあ洗いに立っただけじゃありませんか。
私服B あんなとこに、お前が泊っている事からして、おかしいじゃないか。
貴島 だって、あいで宿泊所でしょう? 宿泊所に人間が泊るのが、なにがおかしいんだね?
私服B 引揚者や宿のない連中の宿泊所などに泊るやつか、お前が? 第一、この男は、どうした?(と友吉をアゴでさす)
責島 だから、あっしゃ、知らねえといってるんだ、そんな人。(いわれて友吉が貴島を見て、何か言いそうにする。しかし貴島は何の感情も示さないで、知らぬ人を見るように友吉を見る)
私服B じゃ、こいつのポケットに入ってた、こりゃ[#「こりゃ」は底本では「こりや」]、どうしたんだ?(ポケットから、懐中時計や腕時計を五つ六つ取り出して見せる)
貴島 だから、知らねえよ。ヘッ! その人のふところから、そんなものがゴマンと出ようと、俺が知ってなきゃならねえ義理はねえでしょう?
私服B ハハ、よかろう。向うへ行って聞こう。どっちせえ、大した事にゃならんよ。
貴島 あたりまえでしょう、大した事になってたまるもんじゃねえよ。あったり、まえ、でしょうっと[#「でしょうっと」は底本では「でしょうつと」]、ヘヘ、ねえ!(と私服Aに)今どきの東京だ、ツイたまたま電車をなくしちゃってさ、一泊旅館に泊っただけで、天下の公民が、大した事になって、たまるもんですかよ、ねえ!
私服A (その相手にはならずBに)こんだけだね?
私服B うん、あとはいいだろう。キリがない。
警官 (友吉をアゴでさして)これも?
私服B (手錠のために、うまくトラックにのぼれない貴島の尻を押し上げてやりながら)常習のスリだ。ちかごろじゃ、おかしなブロウカアなどもやっているようだ。そいつは初めての顔だが、組んでやってるらしい。まあ、子分かな。(いわれて友吉はオドオドして警官や刑事たちを見まわしている)
私服A (治子と俊子を指して)これは?
私服B そうさなあ……(二人を見る)
友吉 これは、私の妹と治子さん――あの、よく知っている――今、からだが悪くって――そいで、私と妹が、この人をむかえに、ゆうべ夜中に来たんです――治子さんが此処に居ると知らせてくれた人があって、あの――(と既にトラックにのっている貴島の方を見あげる)
貴島 (それには知らん顔をして、私服Bに)ダンナ! タバコを一服めぐんでくださいよ。(私服Bは、その貴島と友吉と治子と俊子をユックリと見まわしながら、ポケットからタバコのケースを出して一本抜き、差し出した貴島の口にくわえさせてやる)……ありがてえ。
友吉 あの、兄さんにも――先生にも知らせる筈だったんですが、その暇がなくて――んで、からだが悪いんで、朝になって連れて帰ろうと思っていたら、こんな、その――ですから――
私服A 向うへ行ってから、言いたまい。
私服B いいだろう、関係は有るらしいが、かげんが悪いらしいし、(と治子の事をいってから俊子を見て)眼が見えないのか?
俊子 いえ、あの、見えます。すこし見えますから――
私服B 二人ともそんな様子で、このへんでヘンなマネをするんじゃないぜ。家は有るのかね?
俊子 はい、あの――でも兄さんが――
私服A 兄さんだか、ヒモだか知らんが、早く帰るんだ。
貴島 (刑事たちに向って)チョット火を貸して下さい。(わきに乗っている若い女が、ライタアを出して火をつけてやる)
男A (貴島に)あんさん! 俺にもチョックラ吸わしてくださいよ。
貴島 オーケー。だけど、もうちょっと、やらしてくんなよ。
友吉 しかし、こうして、この人はからだが悪いし、これはよく見えないので、僕がつれて行ってやらないと、帰れないんですから――
私服B いかん。お前も乗るんだ。
貴島 (タバコを男に渡してやって)わからねえなあ、ダンナも! そんなの連れてったって、しょうがねえじゃねえか、帰してやんなさいよ。正真ショウメイ、そんな人は、わっしゃ、知らねえんだ。チッ!
私服B (友吉に)そうかね? お前は、あの男を知らんのか?
友吉 はあ、いえ――
男B (トラックの上で)早くしてくれよう! 寒くって、しょうがねえよう!
私服B 仲間だろ?
友吉 はい。貴島さんで――あのよく知っています――
私服B 見ろ!
貴島 (くやしがって、クツで板がこいを蹴って)チッ! なってまあ[#「なってまあ」はママ]
友吉 ゆうべ、貴島さんが、治子さんの事を知らせてくれて、そいで、ここに案内してくれたんです。そいで――
私服A それで、なんだお前は?
友吉 あの、僕は時計屋で――クズ屋もやりますけど――片倉友吉といって――
私服B (貴島をにらみ上げて、笑う)見ろ! 時計屋だというから、おあつらえむきだ!
貴島 チッ! チッ! 知らねえよ、あっしゃ、そんな男!
友吉 善い人です、貴島さんは。
若い女 (男Aから廻されたタバコをふかしていたが)ホホホ! 善い人! ヒヒ!
警官 さあ、乗った乗った!(友吉の背に手をかけて、トラックに助け乗せる)
友吉 (しかたなく、かき乗りながら治子と俊子に)あのね、治子さん、僕あ、あの――先生の所へ、まっすぐ帰ってください! 先生は心痛なすってるんですから! 僕あ――僕あ、あの――治子さんの事、その、なんです、この、いっしょうけんめいに、なんですから――あの考えているんですから――大事にして、早くからだを治して――
若い女 ホホホ!
男A フフフ、ハハ!
友吉 (その自分のコッケイなミジメな姿を顧慮している余裕なく)俊子! 気をつけて! 気をつけて行くんだよ! 治子さんから離れないで――いいかい、頼んだよ!
俊子 いいわ、あの――(よく見えぬ眼で、なんどもうなずいて見せる)
治子 友吉っあん! 私、あの――(セキこむ。苦しそうである)
私服A よし! 頼むよ。(と既に、運転台の方へ廻っている警官に言い、自分もトラックに乗りこむ。私服Bも乗りこむ。スタートするトラックのエンジン。と同時に、高架線路の一方の方から、グワーッと近づいて来る列車のひびき)
友吉 たのんだよ! 俊子! 気をつけて! 治子さん、あのね、僕は、あなたを、あの、――気をつけてください! あの――(とトラックから乗り出しそうにして治子と俊子に呼びかける。私服Aが、そのエリクビを掴んで、力一杯に引きもどす。友吉は、からだが弱っているので、浮浪者たちとインバイとスリのまんなかに、たたきつけられたようになる)
若い女 いたっ!
(グワーッと列車が迫って来る。友吉は、起き直って、俊子と治子に大声で呼びかける。しかしその声は、列車の轟く音にのみこまれてしまって、全く聞きとれない。……友吉、口に両手をかって、叫んでいる。聞きとれない。こちらの、治子と俊子は聞き取ろうとして、トラックの方へ走り寄る。……やがて友吉は、両手を組み合せて、祈るようなかっこうをして、こちらの治子と俊子を向いて、早口に何かいいながらなんどもなんどもうなづいて見せる。
 若い女、すぐそばでは友吉の言葉が聞き取れると見え、不意にプーッと吹き出し、ゲラゲラ笑い出して、嘲笑の手つきで友吉を指す。他の一同もゲラゲラ笑い出す。刑事たちまで笑っている。しかし、それらぜんぶの声が、列車の音に消されて全くきこえない。……友吉、一同を見まわし、又、治子と俊子の方を見て、ニコッと笑う。その白い笑顔を、あけがたの薄桃色の陽の光が照らし出している。
 やがて、トラックが、奥へ向って動き出す。地ひびきを立てて通過しつつある列車。……その、ツンボになるように激しいひびきの静けさの中に、よく見えない眼をこらすようにした俊子と、俊子に肩をかかえられて苦しみをこらえながら、横顔を見せた治子が、遠ざかり行くトラックを見送っている)

底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
   1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
初出:「人間 別冊 人間作品集」
   1948(昭和23)年6月
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2009年4月9日作成
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