車掌に注意されて、彼は福島で下車した。朝の五時であった。それから晩の六時まで待たねばならないのだ。
 耕吉は昨夜の十一時上野発の列車へ乗りこんだのだ、が、奥羽線廻りはその前の九時発のだったのである。あわてて、酔払って、二三の友人から追いたてられるようにして送られてきた彼には、それをたずねている余裕もなかったのだ。で結局、今朝の九時に上野を発ってくる奥羽線廻りの青森行を待合せて、退屈なばかな時間を過さねばならぬことになったのだ。
 が、「もとより心せかれるような旅行でもあるまい……」彼はこう自分をなぐさめて、昨夜送ってきた友だちの一人が、意味をふくめて彼に贈ってくれたところのトルストイの「光の中を歩め」を読んでいた。
 ストーヴのまわりには朝からいろいろな客が入替った。が耕吉のほかにもう一人十二三とも思われる小僧ばかりは、幾回の列車の発着にも無頓着な風で、ストーヴの傍の椅子いすを離れずにいた。小僧はだぶだぶの白足袋に藁草履わらぞうりをはいて、膝きりのぼろぼろな筒袖を着て、浅黄あさぎの風呂敷包を肩にかけていた。
「こらこら手前まだいやがるんか。ここは手前なぞには用のないところなんだぜ。出て行け!」
 掃除に来た駅夫に、襟首えりくびをつかまえられて小突き廻されると、「うるさいな」といった風で外へ出て行くが、またじきに戻ってきて、じっとストーヴの傍に俯向いて立ったりしていた。
「お前どこまで行くんか?」耕吉はふと言葉をかけた。
「青森まで」と小僧は答えた。青森というのは耕吉の郷国だったので、彼もちょっと心ひかれて、どうした事情かといてみる気になった。
 小僧は前借で行っていた埼玉在の紡績会社を逃げだしてきたのだ。小僧は、「あまり労働しごとが辛いから……」という言葉に力を入れて繰返した。そして途中乞食をしながら、ほとんど二十日余りもかかって福島まで歩いてきたのだが、この先きは雪が積っていて歩けぬので、こうして四五日来ここの待合室で日を送っているのだというのであった。
「巡査に話してみたのか?」
「話したけれど取上げてくれない」
「そんなはずってあるまい。それがもし本当の話だったら、巡査の方でもどうにかしてくれるわけだがなあ。……がいったいここではどうして腹をこしらえていたんだ? 金はいくら持っている? 年齢はいくつだ? 青森県もどの辺だ?」
 耕吉は半信半疑の気持からいろいろと問訊といただしてみたが、小僧の答弁はむしろ反感を起させるほどにすらすらとよどみなく出てきた。年齢は十五だと言った。で、「それは本当の話だろうね。……お前嘘だったらひどいぞ」と念を押しながら、まだ十二時過ぎたばかりの時刻だったので、小僧と警察へ同行することにした。
 警察では受附の巡査が、「こうした事件はすべて市役所の関係したことだから、そっちへ伴れて行ったらいいでしょう」と冷淡な態度で言放ったが、耕吉が執固しつっこく言だすと、警部など出てきて、「とにかく御苦労です」といった調子で、小僧を引取った。で、「喰詰者くいつめもののお前なぞによけいな……」こう後ろから呶鳴りつけられそうな気もされてきて、そこそこに待合室へ引返して「光の中を歩め」を読みおえたが、現在の頼りない気持から、かなり感動を受けた。
 ちょうど三月の下旬にはいっていた。が乗客はまだいずれも雪国らしいぎょうさんな風姿なりをしている。藁沓わらぐついて、綿ネルの布切で首から頭から包んだり、綿の厚くはいった紺の雪袴もんぺ穿いたり――女も――していた。そして耕吉の落着先きを想わせ、また子供の時分から慣れ親しんできた彼には、言い知れぬ安易さを感じさせるような雪国らしいにおいが、乗客の立てこんでくるにしたがって、胸苦しく室の中に吐きかれていた。
「明日から自分もこの一人になるのだ」と、彼はふと思った。「いつからか自分にはこうしたことになって、故郷に帰ることになるだろうという予感はあったよ」とも思った。そして改札口前をぶらぶらしていたが、表の方からひょこひょこはいってくる先刻の小僧が眼に止ったので、思わず駈け寄って声をかけた。
「やっぱしだめだった? 追いだして寄越した?」
「いいんにゃそうじゃない。巡査が切符を買って乗せてやるって、だから誰かに言っちゃいけないって……今にここへ来て買ってやるから待っておれって」
 小僧はこう言ったが、いかにもそわそわしていて、耕吉の傍から離れたい風だったので、「そうか、それはよかった。……これでパンでも買え」と言って、十銭遣った。そしてあれからどうしたかということは訊かずに離れてしまった。
 が耕吉が改札して出るようになっても、その巡査が来ないのか、小僧はしきりに表の方や出札口前をうろうろしていた。耕吉は橋を渡り、汽車に乗って、窓から顔を出していたが、やがてプラットホームの混雑も薄れてきても、小僧も巡査の姿も見えないので、「やっぱしだめなんだろう」とも思っていたが、発車間ぎわになって、小僧は前になり巡査は後から剣をがちゃがちゃさせながら、階段を駈け下りてきた。そして耕吉の窓の下をも一二度、口鬚くちひげの巡査は剣と靴音とあわてた叫声をげながら、例の風呂敷包を肩にした、どう見ても年齢にしては発育不良のずんぐりの小僧とともに、空席を捜し迷うて駈け歩いていた。「巡査というものもじつに可愛いものだ……」耕吉は思わず微笑した。

 それきり小僧とは別の客車だったので顔を合わさなかった。が彼は思いもかけず自分の前途に一道の光明を望みえたような軽い気持になって、汽車の進むにしたがって、田圃たんぼや山々にまだ雪の厚く残っているほの白い窓外を眺めていた。「光の中を歩め」の中の人々の心持や生活が、たぐいもなく懐しくしたわしいものに思われた。自分にもあんな気持にもなれるし、あんな生活も送れないことはないという気がされたのだ。偶然な小僧の事件は、彼のそうした気持に油をそそいだ。
「そうだ! 田舎へ帰ると、ああした事件やああしたあわれな人々もたくさんいるだろう。そうした処にも自分の歩むべき新しい道がある。そして自分の無能と不心得から、無惨にも離散になっている妻子供をまとめて、謙遜けんそんな気持で継母の畠仕事の手伝いをして働こう。そして最も素朴な真実な芸術を作ろう……」などと、それからそれと楽しい空想に追われて、数日来の激しい疲労にもかかわらず、彼は睡むることができなかった。

 翌朝彼は本線から私線の軽便鉄道に乗替えて、秋田のある鉱山町で商売をしている弟の惣治を訪ねた。そして四五日逗留とうりゅうしていた。この弟夫婦の処に、昨年の秋から、彼の総領の七つになるのが引取られているのであった。
 惣治はこれまでとてもさんざん兄のためにはいためられてきているのだが、さすがに三十づらをしたみすぼらしい兄の姿を見ては、卒気そっけない態度も取れなかった。彼は兄に、自分の二階へ妻子たちを集めてはどうかと言ってみた。食っているくらいのことはたいしたことでもなし、またそれくらいのことは、兄のいかにも自信のあるらしい創作を書いてももうかりそうなものだと思ったのだ。
「もっとも今も話したようなわけで、破産騒ぎまでしたあげくだから、取引店の方から帳簿まで監督されてる始末なんで、場合が場合だから、二階へ兄さんたちを置いてるとなると小面倒なことを言うかもしれませんが、しかしそれとてもたいしたことではないんです。兄さんたちさえ気にかけなければ、貸間に置いてあるんで経済は別だと言えばそれまでの話なんだから……」
 その晩だいぶ酒の浸みたところで、惣治は兄に向ってこう言った。気まぐれな兄の性質が考えられるだけに、どうせ老父の家へ帰ったって居つけるものではないと思ったのだ。
「しかし酒だけは、先も永いことだから、兄さんと一緒に飲んでいるというわけにも行きますまいね。そりゃ兄さんが一人で二階で飲んでる分にはちっともかまいませんが、私もお相伴しょうばんをして、毎日飲んでるとなっては、帳場の手前にしてもよくありませんからね」
 これが惣治の最も怖れたことであった。
「……そりゃそうとも、僕も今度はまったく禁酒のつもりで帰ってきたのだ」と耕吉は答えた。「じつはね、僕も酒さえめると、田舎へ帰ったらまだきて行く余地もあろうかと思ってね……」
 耕吉はついこうつけ加えたが、さすがに顔の赤くなるのを感じた。そのうち弟は兄のかなり廃物めいた床の間の信玄袋に眼をつけて、
「兄さんの荷物はそれだけなんですか?」と、何気ない気で訊ねた。
「そうだ」と、耕吉は答えるほかなかった。そして、それで想いだしたがといった風で上機嫌になって、
「じつはね、この信玄袋では停車場へ送ってきた友だちと笑ったことさ。何しろ『富貴長命』と言うんだからね。人間の最上の理想物だと言うんだ。――君もこの信玄袋を背負って帰るんだから、まあ幸福者だろうてんでね、ハハハ」
 惣治にはおかしくもなかった。相変らずあんなことばかし言って、ふわふわしているのだろうという気がされて、袋から眼をらした。その富貴長命という字が模様のように織りこまれた袋の中には、汚れた褞袍どてら、シャツ、二三の文房具、数冊の本、サック、怖しげな薬、子供への土産みやげの色鉛筆や菓子などというものがはいっていた。
 さすがに永いヤケな生活の間にも、愛着の種となっていた彼の惣領も、久しぶりで会ってみては、かねがね想像していたようにのんびりと、都会風に色も白く、艶々した風ではなかった。いかにも永い冬と戦ってきたというような萎縮いじけた、粗硬な表情をしていた。「ただに冬とのみ戦ってきたのだとは言えまい」と、彼も子供の顔を見た刹那せつなに、自分の良心がとがめられる気がした。一日二日相手に遊んでいるうち、子供の智力の想ったほどにもなく発達しておらないというようなことも、彼の気持を暗くした。
「俺も正式に学校でも出ていて、まじめに勤めをするとか、翻訳の稽古けいこでもしていたら、今ごろはこうしたことにもならずにすんだものを、創作なぞとがらにもないことを空想して与太よたをやってきたのが間違いだったかしれん。どうせ俺のような能なし者には、妻子四人という家族を背負って都会生活のできようはずがない。田舎へ帰ってきたのは当然の径路というもんだろう。よくもまあ永い間、若い才物者ぞろいの独身者の間に交って、惨めなばかをさらしていられたものだ……」
 彼はこの惣領の三つの年に、大きな腹をした細君を郷里に帰したのだ。その後またちょっと帰ってきては一人ましたのだ。……がさて、明日からどうして自力でもってこれだけの妻子どもを養って行こうかという当は、やっぱしつかなかった。小僧事件と、「光の中を歩め」の興奮から思いついた継母の手伝いの肥料担ぎや林檎の樹の虫取りも、惣治に言われるまでもなく、なるほど自分の柄にはないことのようにも思われだした。「やっぱし弟の食客しょっかくというところかなあ……」と思うほかなかった。……
 二階の窓ガラス越しに、煙害騒ぎのやかましい二本の大煙筒が、硫黄臭い煙を吐いているのがいつも眺められた。家のすぐ傍を石炭や礦石を運ぶ電車が、夜昼のかまいなく激しい音を立てて運転していた。丈の低い笹とすすきのほかには生ええない周囲の山々には、雪も厚くは積もれなかった。そこらじゅうがあかく堀返されていた。
「母さんはいつ来るの?」
「もう少しするとじき。今度はね、たアちゃんも赤んぼも皆な来るの。そして皆なでいっしょにここにいるの。……早く来るといいねえ」
「あア……」
 こうした不健康な土地に妻子供を呼び集めねばならぬことかと、多少暗い気持で、せがれの耕太郎とこうした会話を交わしていた。
 こうした二三日の続いた日の午後、惣治の手紙で心配して、郷里の老父がひょっこり出てきたのだ。
「俺が行って追返してやろう。よし追返されないまでも、惣治の傍に置いてはよくない。ろくなことを仕出来しでかしゃしない。とにかくどんな様子か見てきてやれ」老父はこうした腹で出てきたのだ。
 その晩三人の間に酒が始ったが、酒の弱くなっている老人はじきに酔払った。そして声高く耕吉をののしった。しまいに耕吉は泣きだした。
「それは空涙というものではないんか? 真実の涙か? 親子の間柄だって、ずいぶん空涙も流さねばならぬようなこともあればあるものだ。お前はその涙でもって、俺や惣治を動かして、それで半年でも一年でものんべりと遊んでいるつもりではないんだろうな。そんならばまあいい。お前もまさか、お釈迦様しゃかさま檀特山だんどくせんへはいって修行したというほどの決心で帰ってきたというものを、追返すというわけにも行くまい。その代り俺の方で惣治からの仕送りを断るから、それでお前は別に生計を立てることにしたがいいだろう。とにかくいっしょにいるという考えはよくない」
 気のいい老父は、よかれあしかれ三人の父親である耕吉の、泣いて弁解めいたことを言ってるのに哀れをもよおして、しまいにはこうなぐさめるようにも言った。ことに老父の怒ったのは、耕吉がこの正月早々突然細君の実家へ離縁状を送ったということについてであった。その事件はまだそのままになっていたが、そのため両家の交際は断えていたのだ。
「何という無法者だろう。恩も義理も知らぬ仕打ではないか!」
 老父は耕吉の弁解に耳をそうとはしなかった。そして老父はその翌朝早く帰って行った。耕吉もこれに励まされて、そのまた翌日、子のない弟夫婦が手許に置きたがった耕太郎を伴れて、郷里へ発ったのであった。

 往来に雪解けの水蒸気の立つ暖かい日の午後、耕吉、老父、耕太郎、久助爺との四人が、久助爺の村に耕吉には恰好かっこうの空家があるというので、そろって家を出かけた。瀬音の高い川沿いの、松並木の断続した馬糞に汚れた雪路を一里ばかりも行ったところが、そのG村であった。国道沿いながら大きな山の蔭になっていて、戸数の百もあろうかというまったくの寒村であった。
 かなり長い急な山裾やますその切通し坂をぐるりと廻って上りきった突端に、その耕吉には恰好だという空家が、ちょこなんと建っていた。西向きの家の前は往来を隔てた杉山と、その上の二千尺もあろうという坊主山でふさがれ、後ろの杉や松の生えた山裾の下の谷間は田や畠になっていて、それを越えて見わたされる限りの山々は、すっかり林檎畠にひらかれていた。手前隣りの低地には、杉林に接してポプラやアカシヤの喬木がもくもくと灰色の細枝を空に向けている。右隣りの畠を隔てて家主の茅屋根が見られた。
 雪庇いのむしろやらこもやらが汚ならしく家のまわりにぶら下って、刈りこまない粗葺きの茅屋根は朽って凹凸になっている。
「……これかい、ずいぶんひどい家だねえ」
 耕吉は思わず眼をみはって言った。
「この辺の百姓家というものはたいていこんなもんでごいす。これでもお前様たちがはいってピンと片づけてみなせ、けっこうな住家すまいやになるで。在郷には空いてる家というものはめったにないもんでな、もっともしもの方に一軒いい家があるにはあるが、それがその肺病人ぶらぶらやまいがはいった家だで、お前様たちでは入れさせられないて、気を悪くすべと思ってな」
 久助爺はこれでたくさんだと言うつもりであった。
「子供らもいっしょのことだから、そんな病人のはいった家ではいけまい」と老父もそれに同意したが、
「なるほどこれでは少しひどい」と驚いた。
 表戸を開けてはいると四坪の土間で、わらがいっぱい積まれてあった。八畳の板の間には大きな焚火のいろりが切ってあって、ここが台所と居間を兼ねた室である。その奥に真暗な四畳の寝間があった。その他には半坪の流し場があるきりで、押入も敷物もついてなかった。勾配こうばいのひどく急な茅屋根の天井裏には煤埃すすほこりが真黒く下って、柱もはりも敷板も、鉄かとも思われるほどすすけている。上塗りのしてない粗壁あらかべは割れたり落ちたりして、外の明りが自由に通っている。
「狐か狸でもすまってそうな家だねえ」耕吉はつくづくそう思って、思わず弱音を吐いた。
「何しろ家賃が一カ月七十銭という家だからな、こんなもんだろう」と老父は言ったが、嫁や孫たちが可哀想だという口吻くちぶりでもあった。
「古いには古い家でごいす。俺が子供の時分の寺小屋だったでなあ。何度も建てなおされた家で、ここでは次男おじに鍛冶屋させるつもりで買ってきて建てたんだが、それが北海道へ行ったもんで、ただうっちゃらかしてあるんでごいす。これでも人がはいってピンと片づけてみなせ、本当に見違えるようになるで……」
 久助爺はけろりとした顔つきでこう繰返すので、耕吉は気乗りはしなかったが、結局これに極めるほかなかった。……
 月々十円ばかしの金が、借金の利息やら老父の飲代やらとして、惣治から送られていたのであった。それを老父は耕吉に横取りされたというわけである。家屋敷まで人手に渡している老父たちの生活は、惨めなものであった。老父は小商こあきないをして小遣いを儲けていた。継母は自分の手しおにかけた耕吉の従妹の十四になるのなど相手に、鬼のように真黒くなって、林檎りんご葡萄ぶどうの畠を世話していた。彼女はちょっと非凡なところのある精力家で、また皮肉屋であった。
自家うちの兄さんはいつ見ても若い。ちっともけないところを見ると、お釈迦様という人もそうだったそうだが、自家の兄さんもつまりお釈迦様のような人かもしれないねえ。ヒヒヒ」こういった調子で、耕吉の病人じみた顔をまじまじと見ては、老父は聴かされた壇特山だんどくせんの講釈を想いだしておかしがった。五十近い働き者の女の直覚から、「やっぱしだめだ。まだまだこんな人相をしてるようでは金なぞ儲けれはせん。生活を立てているという盛りの男の顔つきではない。やっぱしよたよたと酒ばかし喰らっては、悪遊びばかししていたに違いない」腹ではこう思っているのであった。こうした男にいつまでも義理立てしている嫁の心根が不憫ふびんにも考えられた。
「自家では女は皆しっかり者だけれど、男は自堕落者揃いだ。おばにしてもあねにしても。……私だってこれで老父さんには敗けないつもりだからねえ」……「向家むこうの阿母さんが木村の婆さんに、今度工藤の兄さんが脳病で帰ってきたということだが、工藤でもさぞ困ることだろうと言ってたそうなが、考えてみるとつまり脳病といったようなもんさね。ヒヒヒ」
 老父と耕吉とが永い晩酌にかかっていると、継母はこんなようなことを言っては、二人の気を悪くさせた。
 どんなものが書けるのだろうと危ぶまれはしたが、とにかくに小説を書いて金を儲けるという耕吉の口前を信じて、老父はむり算段をしてはまちへ世帯道具など買いに行った。手桶の担ぎ竿とか、鍋敷板とかいうものは自分の手で拵えた。大工に家を手入れをさせる時も、粗壁に古新聞を張る時も、従妹を伴れては老父が出かけて行った。そしてそういう費用のすべては、耕吉の収入を当てに、「Gのかよい」といったような帳面をこしらえてつけておいた。
 ある晩酒を飲みながら老父は耕吉に向って、
「俺はこうしてまあできるだけお前には尽しているつもりだが、よその親たちのことを考えてみろ、そんなもんではないぜ。これがもし世間に知れてみなさい、俺のことをいい親ばかだと言うに極まっている。……いったいお前は今度帰る時、もし俺たちがてんでかまいつけないとしたら、東京へ引返して働くのは厭だと言うし、まあいったい妻子供をどうするつもりだったのか?」
 とさぐるような眼をして言った。で耕吉はつい東京で空想していた最後の計画というのを話した。
「私はその時は詮方せんかたがありませんから、妻を伴れて諸国巡礼に出ようと思ってたんです。私のようなものではしょせん世間で働いてみたってだめですし、その苦しみにも堪ええないのです。もっとも妻がいっしょに行く行かないということは、妻の自由ですが……」
「乞食をしてか、……が子供はどうするつもりか?」
「子供らは欲しいという人にくれてしまいます」
「フーム……」老父は黙ってしまった。
 数日後、耕吉はひどく尻ごみする自分を鞭打して、一時間ばかし汽車に乗って、細君の実家さとへお詫びに出かけた。――細君は自儘には出てこれぬような状態になっていた。で、「右の頬を打たれたら左の頬も向けよう」彼はしきりにこうした気持をあおりたてて出かけて行ったのだが、しゅうとには、今さら彼を眼前に引据えて罵倒ばとうする張合も出ないのであった。軽蔑けいべつ冷嘲れいちょうの微笑を浮べて黙って彼の新生活の計画というものを聴いていたが、結局、「それでは仕度をさせて一両日中にることにしましょう」と言うほかなかった。今度だけは娘の意志にまかせるほかあるまいとあきらめていたのだ。

「俺の避難所はプアだけれど安全なものだ。俺も今こそかの芸術の仮面家どもを千里の遠くに唾棄だきして、安んじて生命のとうとく、人類の運命の大きくして悲しきを想うことができる……」
 寝間の粗壁あらかべを切抜いて形ばかりの明り取りをつけ、藁と薄縁うすべりを敷いたうす暗い書斎に、彼は金城鉄壁の思いかで、こもっていた。で得意になって、こういったような文句の手紙を、東京の友人たちへ出したりした。彼ら五人の親子は、五月の初旬にG村へ引移ったのであった。
 彼は、たちまちこのあばらやの新生活に有頂天うちょうてんだったのである。そしてしきりに生命とか、人類の運命とか、神とか愛とかいうことを考えようとした。それが彼の醜悪しゅうあく屈辱くつじょくの過去の記憶を、浄化じょうかするであろうと、彼は信じたのであった。彼は自分のことを、「空想と現実とのいたましき戦いをたたかう勇士ではあるまいか」と、思ったりした。そして今や現実の世界を遠く脚下に征服して、おもむろに宇宙人生の大理法、恒久不変こうきゅうふへんの真理を冥想することのできる新生活が始ったのだと、思わないわけに行かないのであった。
 彼は慣れぬ腰つきのふらふらする恰好かっこうを細君に笑われながら、肩の痛い担ぎ竿で下の往来側から樋の水をんでは、風呂を立てた。睡れずに過した朝は、暗いうちから湿った薪を炉にくすべて、往来を通る馬子まごの田舎唄に聴惚れた。そして周囲のもの珍しさから、午後は耕太郎を伴れて散歩した。ふきとうがそこらじゅうに出ていた。裏の崖から田圃に下りて鉄道線路を越えて、遠く川の辺まで寒い風に吹かれながら歩き廻った。そして蕗の薹や猫柳の枝など折ってきたりした。雪はほとんど消えていた。それでも時には、前の坊主山の頂きが白く曇りだして、羽毛のような雪片が互いに交錯こうさくするのを恐れるかのようにすじをなして、昼過ぎごろの空を斜めに吹下ろされた。……
「これだけの子供もあるというのに、あなたは男だから何でもないでしょうけれど、私にはおいそれと別れられるものと思って? あなたには子供が可愛いいというのがどんなんか、ちっとも解ってやしないのです。私がなかにはいってめた苦労の十が一だって、あなたには察しができやしません。私はどれほど皆から責められたかしれないのですよ。……お前の気のすむように後の始末はどんなにもつけてやれるから、とても先きの見込みがないんだから別れてしまえと、それは毎日のように責められ通したのですけれど、私にはどうしてもこの子供たちと別れる決心がつかなかったのです。つまり私のばかというもんでしょう……」
「まあまあそれもいいさ。何事も過ぎ去ったことだ。いっさい新規蒔直しんきまきなおしだ。……僕らの生活はこれからだよ!」
 生活の革命だと信じて思いたかぶっている耕吉には、細君の愚痴話には、心から同情することができなかったのだ。

 惣治は時々別荘へでも来る気で、子供好きなところから種々な土産物など提げては、泊りがけでG村を訪ねた。
「閑静でいいなあ、別世界へでも来た気がする。終日いちんち他人の顔を見ないですむという生活だからなあ」
 惣治はいつもそう言った。……厭な金の話を耳に入れずに、子供ら相手に暢気のんきに一日を遊んで暮したいと思ってくるのであった。耕吉は弟があの山の中の町から出てきて、まるで別世界へでも来たように感心するのを、おかしがった。
「そうかなあ。……しかし僕には昼間はこのとおり静かだからいいけれど、夜は怖い。ひどい風だからねえ、まるで怒濤の中でもいるようで、夜の明けるのが待遠しい。それに天井からは蜘蛛やら蚰蜒げじげじやら落ちてくるしね……」
「そういったわけでもないですがね、……兄さんには解らんでしょうが、遣繰やりくり算段一方で商売してるほど苦しいものはないと思いますね。朝から晩まで金の苦労だ。だからたまにこうして遊びに出てきても、留守の間にどんな厭な事件が起きてやしないかと思うと、家へ帰って行くのが退儀でしかたがない。だから僕もここへ来てこうして酒でも飲んでいると、つくづくそう思いますね。せめて二三千円の金でも残ったら、こうした処へ引っこんで林檎畠の世話でもして、糞草鞋わらじいて働いてもいいから暢気に暮したいものだと。……僕もあまり身体が丈夫でありませんからね。今でも例の肋膜ろくまくが、冬になると少しそのが出るんですよ」
 惣治も酔でも廻ってくると、額にぶさる長い髪を掌でで上げては、無口な平常に似合わず老人じみた調子でこんなようなことを言った。
「そうだろうね、商売というものもなかなかうまく行かんもんだろうからね。僕もせめて三十円くらいの収入があるようになったら、お前も商売をめて、皆でいっしょに暮すがなあ。どうせおばさんには子供はあるまいから、僕の子供をかかあと二人で世話するとして、お前は畠を作ったり本を読んだりするんだね。そして馬を一疋飼おうじゃないか。……お前は馬に乗れるかい?」
「乗れますとも! 僕は家で最中困った時には、馬を買って駄賃までつけたんですからね」
 惣治は今に始まらぬ兄の言うことのばかばかしさに腹が立つよりも、いつになったらその創作というものができて収入の道が開けるのか、まるで雲をつかむようなことを言ってすましていられる兄の性格が、うらやましくもあり憎々しくもあるような気がされた。
「兄さんとは性分が違うというんでしょうね。僕にはとても兄さんのようには泰然としておれない。もっともそれでないと、小説なんかというものは考えられまいからなあ」
「そうでもないさ。僕もこのごろはほとんど睡れないんだぜ。夜は怖いからでもあるが、やはり作のことや子供らのことが心配になるんさ。僕は今亡霊という題で考えているんだがね、つまりこの二年間ばかしの生活を書こうと思っているんだ。亡霊といっても他人の亡霊にではないが、僕自身の亡霊には僕はたびたび出会でくわしたよ。……お前にはそんな経験はあるまい?」
 耕吉はまじめな顔して言った。それはこの二年ばかし以来のことだが、彼は持病の気管支と貧乏から、最も恐れている冬が来ると、しばしばこの亡霊に襲われたと言うのだ。彼は家を追われた病犬のように惨めに生きていたというのだ。そして下宿へも帰れずに公園の中をうろついているとか、またはケチな一夜の歓楽を買おうなどと寒い夜更けにくるまにも乗れずに歩いている時とか、そういったような時に、よくその亡霊に出会したというのであった。
「……そんな場合の予感はあるね。変にこう身体がぞくぞくしてくるんで、『お出でなすったな』と思っていると、背後うしろから左りの肩越しに、白い霧のようなものがすうっと冷たく顔をかすめて通り過ぎるのだ。俺は膝頭をがたがたふるわしながら、『やっぱし苦しいと見えて、また出やがったよ』と、泣笑いしたい気持でつぶやくのだ。僕は僕の亡霊が、僕の虐待ぎゃくたいに堪えかねては、時々本体から脱けでるものと信じていたんだからね」
「そうですかねえ。そんなこともあるものですかねえ。……何しろ早く書くといいですねえ」
「そうだ。……僕もこれさえ書けたらねえ。何しろ僕もその時分はひどい生活をしていたんだからね。希望も信仰も、また人道とか愛とかいうようなことも解らなかったし、せめてはその亡霊にでもすがろうと思ったのだ。友だちはそれは酒精中毒からの幻覚というものだったと言ったが、僕にはその幻覚でよかったんさ。で僕は、僕という人間は、結局自分自身の亡霊相手に一生を送るほかには能のない人間だろうと、極めてしまったのだ。……お前はどう思ってるか知らんが、突然妻の家へ離縁状を送ったというのも、ひとつはそんな動機から出てるんだぜ……」
 惣治には兄の亡霊談は空々しくもあり、また今ではその愛とか人道とかいうようなものを心得ているらしい口吻には疑いも感じられたが、酒精中毒という診断には心を動かされた。
「しかし乱暴な話ですねえ。そんな動機からぴしぴし離縁状など出されては、相手が困るでしょう」
 惣治は兄の論法に苦笑を感じた。

 四月も暮れ、五月もって行った。彼は相変らず薄暗い書斎に閉籠って亡霊の妄想もうそうふけっていたが、いつまでしてもその亡霊は紙に現れてこなかった。
 ある日雨漏りの修繕に、村の知合の男を一日雇ってきた。彼は二間ほどもない梯子を登り降りするのに胸の動悸を感じた。屋根の端の方へは怖くて近寄れもせなかった。その男は汚ない褌など露わして平気でずぶずぶと凹む軒端へつくばっては、新しい茅を差していた。
 彼は屋根の棟に腰かけて、ほかほかと暖かい日光を浴びながら、健康に育った子供の時分のことを想いだして、不甲斐なくなった自分の神経をわれと憫笑びんしょうしていた。一度もまだはいって行ってみたことのない村の、くろずんだ茅屋根は、若葉の出た果樹や杉の樹間に隠見している。前の杉山では杜鵑ほととぎすや鶯がき交わしている。
 ふと下の往来を、青い顔して髯や髪の蓬々ぼうぼうと延びた、三十前後の乞食のような服装の男が、よさよさと通って行くのが、耕吉に見下された。
「あれは何者なんだ?」
「あれですかい、あれは関次郎というばかでごいす
「フーム、……そうか」
 彼は何気ない風して言ったが、呼吸も詰るような気がされた。「なるほど俺もああかな、……なるほど俺と似ているわい」
 彼はそこそこに屋根に下りて、書斎に引っこんでしまった。
 青い顔して、人目を避けて、引っこんでいる耕吉の生活は、村の人たちの眼には不思議なものとして映っていた。「やっぱしな、工藤の兄さんも学問をしそんじて頭を悪くしたか……」こう判断しているらしかった。でそうした巌丈がんじょう赭黒あかぐろい顔した村の人たちから、無遠慮な疑いの眼光を投げかけられるたびに、耕吉は恐怖と圧迫とを感じた。新生活の妄想でふやけきっている頭の底にも、自分の生活についての苦い反省が、ちょいちょい角をもたげてくるのを感じないわけに行かなかった。「生活の異端……」といったような孤独の思いから、だんだんと悩まされて行った。そしてそれがまた幼い子供らの柔かい頭にも感蝕して行くらしい状態を、悲しい気持で傍観していねばならなかった。
 永い間、十年近い間、耕吉の放埒ほうらつから憂目うきめをかけられ、その上三人の子まで産まされている細君は、今さら彼が郷里に引っこむ気になったという動機に対して、むしろ軽蔑の念を抱いていた。
「あなたには他人への迷惑とか気の毒とかいう心持が、まるで解らないんですねえ、まったく平気なんだから……」
 細君は何にかにつけて、耕吉の独立心のないことを責めたてた。弟の手に養われて、それをよいことかのように思っている良人の心根が、今さらに情けなくも心細くも思われるのであった。
「あなたはあまり気がよすぎるですよ、……正直すぎる」
 こうも言って、彼が他人の感情に鈍感で、他人の恩恵を一図に善意にのみ受取っている迂遠うえんさを冷笑した。「ばか正直でずうずうしくなくてはできないことだ」細君は良人の性質をこうも判断した。
「ばか言え、お前なぞに何が解る……」彼は平気を装ってこう言っているが、やはり心の中はとがめられた。……
 下の谷間に朝霧が漂うて、アカシアがまだついの葉をせて睡っている、――そうした朝早く、不眠に悩まされた彼は、早起きの子供らを伴れて、小さなのは褞袍どてらの中にぶって、前の杉山の下で山笹のたけのこなど抜いて遊んでいる。
「お早うごいす
 暗い中に朝飯を食ってそれぞれ働きに行く村のおやじどもが声をかけて行く。それがまたまじめで、健康で、生活とか人生とかいうことの意味を深くわきまえている哲人のようにも、彼には思われたりした。そしてこの春福島駅で小僧を救った――時の感想が胸に繰返された。
「そうだ! 田舎へ帰るとああした事件や、ああしたあわれな人々もたくさんいるだろう。そうした処にも自分の歩むべき新しい道がある……」
 しかしその救いを要する憫れな人というのは、結局自分自身にすぎなかったことに気がついて、さすがに皮肉を感じないわけに行かないのであった。

 離れていても、継母はおりおり耕吉への皮肉な便りを欠かさなかった。「あまり勉強がすぎても身体に毒だから、運動がてらその辺の往来の馬糞を集めておいてくれ」といったようなことである。耕吉はそんな便りを聞くたびに、妻子の前へも面はゆい思いのされたが、苦笑にまぎらしているほかなかった。
「お継母かあさんはあのとおり真向な、念々刻々の働き者だからいい人だと思うけれど、何しろあの毒舌にはかなわん。あれだけはしてくれるといいと思うがなあ。老父までもかぶれてすっかり変な人間になっちゃったよ。俺も継母ははが来てから十何年にもなるけれど、俺は三つきといっしょに暮したことがないもんだから、俺は俺の継母ほどいい継母というものは日本じゅうどこ捜したってあるまいと思ってたんだがね、今度ですっかり継母の味というものが解っちゃった」
 耕吉は酒でも飲むと、細君に向って継母への不平やら、継母へ頭のあがらぬらしい老父への憤慨ふんがいやらを口汚なくらすことがあった。細君は今さらならぬ耕吉の、その日本じゅうにもないいい継母だと思っていたという迂愚のろまさ加減を冷笑した。そして「私なんか嫁入った当時から、なかなかただの人ではないと思ってた」と、誇らしげに言った。
「私なんかには解りませんけど、後妻というものは特別に可愛いもんだといいますね。……後妻はどうしても若くもあるし、……あなたも私とあのようになっていたら、今ごろは若い別嬪べっぴんの後妻が貰えてよかったんでしょうに」
「そうしたもんかもしれんな。してみると老父へも同情しなければ……。俺はいっこうばかだから、そうしたことさえお前に聴かないと解らないんだ。……俺などには何も書けやせん」
 亡霊の妄想を続ける根気も尽き、野山への散歩も廃めて、彼はあえぐような一日一日を送って行った。ともすると自然の懐ろは偉大だとか、自然が美しいとかいって、それが自分とどうしたとかいうでもない、らちもない感想に耽りたがる自分の性癖せいへきが、今さらに厭わしいものにも思われだした。晩酌の量ばかりがだんだんと加わって行った。十円の金のほとんど半分は彼の酒代になった。その結果はちょいちょい耕太郎が無心の手紙を持たされて、一里の道を老父の処へ使いにやらされた。……継母が畑へ出た留守をうかがうのであった。それでも老父は、
「耕太郎可愛さにつき金一円さしあげ候、以来は申越しこれなきよう願いあげ候」といったような手紙の中に、一円二円と継母に隠した金を入れて寄越した。

「俺もせめて二三年前に帰ってくるとよかった。そして小面倒な家族関係でまれていたら、今ごろはもう少し人間が悧巧りこうになっていたかと思うけれど、何しろのっぽう一方で暮してきたんだから自分ながら始末にいけない。そこへ行くと惣治の方は俺と較べてよほど悧巧だ。あれはどんなに酔払っても俺にもそんな話はしないが、俺はこのごろになってようよう、彼がああして家を出て他郷たびで商売をする気になった心持が解ったよ。彼は老父たちにさえそうした疑念を抱かせないような具合にして、いつの間にかするりと家を脱けていたんだからね、よほど悧巧なところがある」
「そりゃ惣治さんの方は苦労してるからあなたとは違いますとも。だからあなたもいっそ帰ってなぞこなければよかったんですよ。どう気が変って帰ってなぞきたんでしょう。親たちがどんな生活をしてるかもご存じなしに、自分ほどえらいものはないという気でいつまでも自分の思いどおりの生活をして通した方が、あなたのためにはよかったんでしょう。……あなたの芸術というもののためにも、その方がどれほどよかったかしれないと思いますがね、私たちにはわかりませんけど」一生亭主と離れていても不自由ないという自信でも持ってるらしい口吻で、細君は言った。
「そうだったかしれない」と耕吉も思った。
「やはり俺のように愚かに生れついた人間は、自分自身に亡霊相手に一生を終る覚悟でいた方が、まだしもよかったらしい。柄にもない新生活なぞと言ってきても、つまりはよけいな憂目を妻子どもに見せるばかしだ」さりとて継母の提議に従って、山から材木を出すトロッコの後押しに出て、三十銭ずつの日手間を取る決心になったとして、それでいっさいが解決されるものとも、彼には考えられなかった。
 初夏からかけて、よく家の中へ蜥蜴とかげやら異様な毛虫やらがはいってきた。彼はそうしたものを見るにつけ、それが継母の呪いの使者ではないかという気がされて神経を悩ましたが、細君に言わせると彼こそは、継母にとっては、彼女らの生活をねらうより度しがたい毒虫だと言うのであった。
 彼は毎晩酔払っては一時ごろまでぐっすりと睡りこんだ。眼がめては追かけ苦しい妄想に悩まされた。ある時には自分が現在、広大な農園、立派な邸宅、豊富な才能、飲食物等の所有者であるような幻しに浮かされたが、また神とか愛とか信仰とかいうようなことも努めて考えてみたが、いずれは同じく自分に反ってくる絶望苛責のしもとであった。そして疲れはてては咽喉のどや胸腹に刃物を当てる発作的ほっさてきな恐怖におののきながら、夜明けごろから気色の悪い次ぎの睡りに落ちこんだ。自然の草木ほどにも威勢よく延びて行くという子供らの生命力を目の当り見せられても、讃美の念は起らず、苦痛であった。

 第二の破産状態に陥って、一日一日と惨めな空足掻からあがきを続けていた惣治が、どう言って説きつけたものか、叔父から千円ばかしの価額の掛物類を借りだしたから、上京して処分してくれという手紙のあったのはもう十月も中旬過ぎであった。ちょうど県下に陸軍の大演習があって、耕吉の家の前の国道を兵隊やら馬やらぞろぞろ通り過ぎていた。そうしたある朝耕吉は老父の村から汽車に乗り、一時間ばかりで鉱山行きの軽便鉄道に乗替えた。
 例の玩具めいた感じのする小さな汽罐車は、礦石や石炭を積んだ長い貨車の後に客車を二つ列ねて、とことこと引張って行った。耕吉はこの春初めてこの汽車に乗った当時の気持を考え浮べなどしていたが、ふと、「俺はこの先きも幾度かこの玩具のような汽車に乗らねばならぬことかしらん?」という気がされ、それがまた永遠の運命でもあるかのような気がされた。我と底抜けの生活から意味もなく翻弄ほんろうされて、悲観煩悶なぞと言っている自分のあわれな姿も、かえりみられた。
 閉店同様のありさまで、惣治は青くやつれきった顔をしていた。そしてさっそくその品物を見せるため二階へ案内した。
 周文、崋山、蕭伯、直入、木庵、蹄斎、雅邦、寛畝、玉章、熊沢蕃山の手紙を仕立てたもの、団十郎の書といったものまであった。都合十七点あった。表装もみごとなものばかしであった。惣治は一本一本床の間の釘へかけて、価額表の小本と照し合わせていちいち説明して聴かせた。
「この周文の山水というのは、こいつは怪しいものだ。これがまた真物だったら一本で二千円もするんだが、これは叔父さんさえそう言っていたほどだからむろんだめ。それから崋山、これもどうもだめらしいですね。じつはね、この間町の病院の医者の紹介で、博物館に関係のあるという鑑定家の処へ崋山と木庵を送ってみたんだが、いずれも偽物のはなはだしきものだといって返して寄越したんです。僕ら素人眼しろうとめにも、どうもこの崋山外史と書いた墨色が新しすぎるようですからね」
 しかし耕吉の眼には、どれもこれも立派なものばかしで、たいした金目のもののように見えた。その崋山の大幅というのは、心地よげに大口を開けて尻尾を振上げた虎に老人が乗り、若者がひいている図で、色彩の美しい密画であった。
「がこれだってなかなか立派なもんじゃないか。東京の鑑定家なんていうものの言うことも迂濶うかつに信用はできまいからね。田舎者の物だというんで変なけちをつけて、安く捲き上げるつもりかなんかしれやしないからね。……真物かもしれないぜ」
「いやどうもこの崋山はだめらしい。僕も毎日こうやってちょいちょい掛けてみてると、こいつは怪しいというような奴はだんだん襤褸ぼろが眼についてくる。でまあ、このうちで勝負をするという奴は蕭伯の[#「蕭伯の」は底本では「簫伯の」]副対ふくつい、直入、蕃山息游軒、蹄斎、それから雅邦、玉章、寛畝――この三本は新しい分だからむろんだいじょうぶだろう。ことにこの玉章の鶏は、先年叔父さんが上京して応挙の鯉とかを二千円で売ってきた時に、玉章に頼んで書かしてきたというんだから間違いっこはない。それから蕃山の手紙も、これは折紙つきだからだいじょうぶだ」茶掛けとでもいうのらしい蕃山の一幅は、革紐つきの時代のついた立派な桐箱にはいっていた。
 雅邦とか玉章とかいう名は聞いていても、その作物を見たこともなし、まして周文とか蕭伯とか[#「蕭伯とか」は底本では「簫伯とか」]直入とかいう名は聞くも初めての耕吉には、その真贋しんがんのほどは想像にも及ばなかったが、しかし価額表と照し合せての惣治の見当には、たいした狂いがなさそうに彼にも考えられた。そしてとにかくにこれだけのものを借りだした惣治の才略に感服した。
「何しろたいしたもんだ。一本五十円ずつと見積ってもたいしたもんじゃないか。五百や六百というこっちゃないぜ。とにかく俺は毎日の朝つことにしよう。そして手早く極めてきてやる」耕吉は調子づいて言った。
「そうしてもらいましょう。僕も初めは鉱山の役人どもに売りつけるつもりで奔走してみたんだが、いざとなるとなかなか金は出せない。この間も寛畝を好きだという人が印譜から写真にしたものやら持ってきて、較べてみていたが、しまいにこの寛畝の畝の字に疑問な点があるとか言って難癖なんくせをつけて、それでおじゃんさ。そんな訳だから、気長に一本一本売るつもりならこの辺でもいいが、まとまった金にしようというには、やっぱし東京でないとだめらしい」
 その晩は惣治も久しぶりでの元気で、老人の帳場まで仲間にはいって、三人で鶏などつぶして遅くまで酒を飲んだ。すくなくとも千円からの金が、数日中には確実にはいるという話は、忠実に勤めている帳場のしょぼしょぼした眼にも、悦ばしげの光りを注いだ。
「早くそこへ気がついて、兄さんに御苦労していただくとよかったんですな。この辺ではとてもこれだけの品物はさばけませんや。やっぱし東京に限りますなあ」
 毎日帳場に坐っていても、仕事というものはなくて、このひと月はただ掛物をそちこち持ち歩かせられて日を送っていた老人は、これで一安心したという風であった。
 予算どおりの価格に売れると、叔父はその中から二三百円だけ取って、あと全部惣治のもうかるまで貸しておくという好条件であった。叔父はその金で娯楽半分の養鶏をやるというのであった。……叔父は先年ある事業に関係して祖先の遺産を失ってからは、後に残った書画骨董類を売喰いしてしのいでいるのであった。
「何しろこんないい話ってない。神様がお前を救ってくれたんだろう」
 耕吉は叔父の厚意に感激して、酔って涙ぐましい眼つきをして言った。そして初めて弟に一臂いっぴの力をすことのできる機会の来たことを悦んで、希望に満ち満ちて翌朝東京へ発った。

 上野へ朝着いて、耕吉はすぐ新進作家の芳本の下宿している旅館へ電話をかけた。
「僕ね、今度ね、商売に出てきたんだが、……千円ばかしの品物を持ってきたんだが、……だから宿料の点はだいじょうぶだから、四五日君の処へ置いてくれ」
「ではとにかく来たまえ」耕吉の聴取りにくい電話を受けて、芳本は答えた。
 惣治から借りてきた恐ろしく旧式なセルの夏外套を着て、萌黄もえぎの大きな風呂敷包をせて、耕吉は久しぶりで電車に乗ってみたが、自分ながら田舎者臭い姿には気がひけた。
 まだ朝の八時前だったが、芳本は朝飯をすまして一散歩してきて、机の前にもきちんと坐っていた。一二年前のある文芸雑誌に、ばかに大きな湯呑で茶を飲んでいる芳本の体躯が、その湯呑でおおわれているようなカリケチュアがったことがあるが、ちょうど今もきゃしゃな小さな体躯に角帯などしめて、その大きな楽焼の湯呑で茶を飲んでいた。
「イヨー、すっかり米屋さんといった風じゃないか、蠣殻町かきがらちょうだね、……どう見ても」ぬうっとはいってきた耕吉の姿を見上げて、芳本はくりくりした美しい眼を光らして、並びのいい白い歯を見せて笑った。耕吉は「これだ」と言って風呂敷包を座敷の隅に置いて、
「じつはね、今度ね、祖先伝来の家宝を持ちだしてきたんさ。投売りにしても千円はたしかだろう。僕の使う金ではないが、弟の商売の資本にするのだ」
 耕吉は弟にもそう言われてきたことだが、またそれだけのもったいないをつける価値もあると信じたので、特に祖先伝来の家宝という言葉に意味を持たせて言ったのだ。
「まあまあ話は後にして、とにかく一風呂浴びてくるといいね。ばかにすすぼけてるじゃないか」
 潔癖な芳本は、久しく湯にもはいらず、むさ苦しく髯など延ばした耕吉の顔を気にして、自分から石鹸や手拭を出してはせきたてた。
 芳本は平生から、「俺は潔癖から、いやむしろ高慢から、つねに損をしている。他人に迷惑をかけられている。俺はつねに美しいものを求めて、あべこべに泥を投げつけられているんだが、つまり高慢が俺の病いだ」こう言っていた。耕吉はふと汽車の中でそのことを想いだして、せいぜい四五日の同居ではあるが誰を訪ねたものかと迷ったあげく、つい芳本を選んだのである。嫌われ者の耕吉の依頼をも、芳本ならば彼のいわゆる美しい高慢から、卒気なく断るようなこともあるまいと、耕吉は考えたのであった。
「それだけのもので一本も鑑定がついてないという法はないと思うがねえ……」
 ひととおり耕吉の話を聴いた後で芳本は言った。
「なあにね、俺の叔父さんが、貸金などの代りに取ったものばかしだから、鑑定などついてないさ」
 耕吉は白々しく答えた。で芳本はさっそく友人のSという洋画家へしかるべき日本画家への紹介を頼む電話をかけてくれたが、
「Sは今晩の汽車で、一家を挙げて、奈良へ転居するんだそうだ、それで取りこんでいるが夕方来てくれ、紹介しようというんだ。……とにかく俺は一仕事してくる、誰か来てるようだから。君は本でも読んでいたまえ」こう言って室を出て行った。
 旅館の一室が、ある本屋の仮編輯室になっていた。そこへ毎日四五人の若い作家連が寄って、分担して大部の翻訳物に従事していた。芳本もその一人であった。他にも耕吉の知った顔が一人二人いたが、芳本から話を聞いて、便所のついでに廻ってきて、耕吉の家宝を仔細らしくひろげてみては、「たいしたもんじゃないか。これだけあるとだいぶ飲めるね」と言ったりした。
 翌朝芳本と二人で、Sの紹介状を持って、Mといってかなり有名な日本画家を半蔵門近くの宅に訪ねて行った。Sから電話で頼んでもあったので、すぐ明るい日本室の画室へ通された。いったい日本画の大家なぞというものはかなり厭味なもったいぶったものだろうという耕吉の予想に反して、M先生はきさくな快活な調子で話した。
「S君は羨ましいですなあ。私もずいぶん引越し好きの方で、今もってそちこち引越し歩いているが、情けないことに市内に限られている。そこへ行くとS君の方は東京から大阪とか、奈良とか気の向き次第どこへでも勝手に引越しができるというんだから、豪儀ごうぎなもんです」
 ざっと紹介状に眼を通した後で、先生はこんなことも言ったりした。
 口不調法くちぶちょうほうな耕吉に代って、芳本は耕吉の出京の事情などひととおり述べた。
「それでは拝見しましょうか……」
 若い弟子に毛氈もうせんの上の描きかけの絹やら絵筆やらを片づけさせながら、先生は座を直した。
 耕吉は期待と不安の念に胸をどきどきさせながら、周文、崋山、蕭伯と[#「蕭伯と」は底本では「簫伯と」]、大物という順序から一本一本出して行った。
「周文ですかな……」ちょっとひろげて見たばかしで、おやおやと言った顔して、傍にかしこまっている弟子の方へ押してやる。弟子は叮嚀ていねいに巻いて紐を結ぶ。
 中には二三本首を傾げて注意しているようなものもあったが、たいていは無雑作な一瞥いちべつこうむったばかしで、弟子の手へ押しやられた。十七点の鑑定が三十分もかからずにすんだ。その間耕吉は隠しきれない不安な眼つきに注意を集めて、先生の顔色をうかがっていたが、先生の口元には同じような微笑しか浮んでこなかった。見終って先生は多少躊躇ちゅうちょしてる風だったが、
「何しろ困りましたですなあ。しかしそういう御事情で出京なさったということでもあり、それにS君の御手紙にも露骨ろこつに言えという注文ですから申しあげますが、まあほとんどと言いたいですね。とてもあなたの御希望のようなわけには行かんと思いますがね。露骨なところを申しあげれば、私には全部売払ったとしてもせいぜい往復の費用が出るかどうかという程度だろうと思いますがね、……これでは何分にも少しひどい」
 いかに何でも奥州んだりから商売の資本を作るつもりで、これだけの代物を提げてきたという耕吉の顔つきを、見なおさずにはいられないといった風で、先生はハキハキした調子で言った。
「それではその新しい方の分も、全部贋物なんでしょうか」芳本もあきれ顔して口を出した。
「さようのようです。雅邦さんの物も、これは弟子の人たちの描いたものでもないようですね。○○派の人たちの仕事でしょう。玉章さんの物なんか、ひところは私たちの知ってる数だけでも日に何十本という偽物が、商人の手で地方へとんだものです。寛畝さんのものはわりによくねてあると思いますが、真物はまだまだずっと筆に勁烈けいれつなところがあります。私もじつはせめて二三本もいいものがあると、信用のできる書画屋の方へも紹介しようと思ったんですがね、これではしようがありませんね。やはりお持ち帰りになった方がお得でしょう」
 仕事の邪魔された上に、よけいな汚らわしいものを見せられたといったような語気も見えて、先生はいろいろなことを言って聞かしたが、悄気しょげきった眼のり場にも困っているらしい耕吉の態を気の毒にも思ったか、
「しかし直入さんはあなたのお国の方へお出でになったことがありますかね? お出でになったようなことがあると、あるいは真物かもしれませんね。それから蕃山の手紙というのは私には解りませんから、これも相当の金になるかもしれませんね。何しろいずれもあまり古くから家に伝ったものではないようですね」
 耕吉は最後の一句に止めを刺されたような気がして、恐縮しきって、外へ出た。
 銀座の方へ廻ると言って電車に乗った芳本と別れて、耕吉は風呂敷包を右に左に持替えて、麹町こうじまちの通りを四谷見附まで歩いた。秋晴の好天気で、街にはもう御大典の装飾ができかかっていた。最後の希望は直入と蕃山の二本にかかった。
 そこの大きな骨董屋こっとうやへはいってまず直入を出したが、奥から出てきた若主人らしい男はちょっとひろげて見たばかしで巻いてしまった。たいしたえらいものではないからあるいは真物かもしれないという気で、北馬蹄斎の浮世絵も見せたが、やはり同じ運命であった。こればかしは、――これで往復の費用を出さねばならぬというので桐箱からとりだした蕃山の手紙は、ちょっと展げてみて、「おや……蕃山?――違うぞ」と首を傾げていたが、箱の中に入れてあった守札のような紙の字を見て、
「なあんだ、蕃山、息、――游軒か、フフフフ」
 と冷笑をらし、不愛想な態度で奥へ引っこんでしまった。
「こんなような品は手前どもではあつかっておりませんが、どこそこなら相談になりましょう」傍に坐っていた番頭は同じ区内の何とかいう店を教えてくれたが、耕吉は廻ってみる勇気もなく、疲れきって帰ってきた。
「熊沢蕃山、息、游軒か、……よかったねえ」
 編輯室の人たちも耕吉の話を聞いて、笑いはやした。
「熊沢蕃山という人のことなら僕らにもちっとは当りがつくが、その息子の先生と来てはさっぱり分っちょらんがな、何事をやった人物かい? どんなことをして生きていた人物かいっこうわからんじゃないか。そもそもまたそんな人物の手紙を麗々れいれいと仕立てて掛けておくという心懸けのほどが、僕には解らんねえ」芳本はくりくりした美しい眼を皮肉らしく輝かして言った。
「息游軒おるかい?」
 芳本の仕事に出た後で、耕吉は寝転んで本など読んでいると、訪ねてきた友人たちがこう言ってはいってくるようになった。一日も早く帰りたいから旅費を送ってくれと言ってだした惣治への手紙が、十日経っても二十日待っても来ないのであった。
「君の弟さんには会ったことがないからどんな性格の人物かわからんが、あるいはこれを機会に、君へ遠島をおおせつけた気でいるんじゃないかい? そうだと困るね」
 芳本は日増に不快と焦燥の念に悩まされて、暗い顔してうっそりかまえている耕吉に、毎日のようにこんなことを言いだした。
「まさか……」
 惣治はいよいよ断末魔の苦しみにおちいっていることを思いながらも、耕吉もそうした疑惑に悩まされて行った。

底本:「日本文学全集31 葛西善蔵 嘉村礒多集」集英社
   1969(昭和44)年7月12日初版
初出:「早稲田文学」
   1917(大正6)年2月
入力:岡本ゆみ子
校正:伊藤時也
2010年7月14日作成
2011年10月25日修正
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