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 私は妙なところからはじめます。
 いま私はすこし長い戯曲にとりかかっていますがそれを書きあげても発表する場所の目あてがないので困っています。以前からそうですが、敗戦後はじつに徹底的に、日本の諸雑誌は戯曲作品をのせることを毛ぎらいします。理由は、編集者たちの好みや偏見からくる小説偏重の習慣もあるだろうし、ページ数をとりすぎるという点もあろうし、戯曲作家たちが良い作品をあまり書きえないこともあるだろうし、読者が戯曲形式をよろこばないと思われている等々のようです。
 どの理由も反ばくしようと思えばできるが、しかし反ばくしても仕方のない、また完全には反ばくできない理由ばかりです。なかでも最後の、読者がよろこばぬという理由がいちばん痛い。
 現在の読者は、一冊の雑誌に小間物屋の店さきのように、流行小説家の名がズラリと並んでいないと買わないそうで、その並んでいる作品のなかみは比較的どうでもよいそうです。じつにばからしい話でその点では、現にそんな雑誌の編集者自体が、そのような読者を軽蔑しきっています。私などもハッキリ言うとそんな読者を軽蔑します。しかしそのような読者が雑誌を買ってくれないと、販売競争に負けて落伍する。そういう仕事をして食っているのが編集者であり、また、そういう雑誌に原稿を売って食っているのが著作家なのだから、実際上はそんな読者を軽蔑できるだんではないのです。アブラムシに依存しているアリが、アブラムシを軽蔑すると言ってみても意味はない。さしあたりは、それにむかってどうしようもないところの壁のようなものです。
 そんなわけで、私のところに小説を書けとか随筆や評論を書けという注文は、ときどきくるが、戯曲を書けとの注文は、ほとんどきません。こちらから頼めば戯曲をのせてくれる雑誌は一二あるにはありますが、あまりたびたびだと迷惑をかけそうで気やすくは頼めません。
 現在書きかけている作品の発表のあてがないのもそのためです。そして、私はごぞんじのとおり小説や評論は、まれにしか書かないし、枚数もすこしなので、それからの収入はごく僅かです。財産も貯蓄もありません。毎月の生活を原稿料でまかなっていく以外に手段はない。まったく手から口への生活である。
 私はたいがい戯曲を一編書きあげるのに三カ月を要しますが、書きだすときに生活費がチャンとあったためしがないので、たいがい他から借金します。毎月いくらかずつ借金して三カ月後に作品を書きあげ、それをどこかに売って金をもらい、それで借金をかえすとたいがい、なんにもなくなるか、ごく僅かが残るだけです。もし作品が売れないばあいは、借金は全部ひっかぶらなければなりません。
 今まで、ありがたいことに、だいたい売れてきたが、しかし売れないばあいのことを想像すると、書いているあいだも背筋がさむくなります。ヘタをすると家族全部が飢えなければならないのです。飢えた家族たち、および自分の姿を、机のむこうがわにマザマザと見ながら、青ざめた顔をして戯曲を書いているのです。そういう場で私は仕事をしています。
 ところで、そういう私という劇作家は全体なんだろう? そうです、二十年あまり戯曲を書いてきている。あまりすぐれた作品は書いていないが、現在日本の劇作家の中から代表的な十人をえらべばその中の一人になろう。それがこんな状態で仕事をしている。ウラメシイと言うのではない。不当だとも思わぬ。事実を語っているまでです。そして、しかし、この私などはまだ幸運ではないかと思います。とにかく劇作の仕事をつづけられるほどの状態ではあるのですから。
 現在の劇作家は、劇作の仕事だけでは、まったく食っていけないのがふつうなのです。それは前記のとおりジャーナル一般が戯曲を疎外しているためもあるが、一方、演劇が経済的になりたっていないためでもあります。
 いろいろの種類の演劇が現に存在しているのに、それらが経済的になりたっていないというのは、変な言いかただが、事実だからしかたがない。演劇興行だけの収入で人件費その他全部の費用をまかなって自立している劇団は、今ひとつもないといっても言いすぎではない。ほとんどが映画や放送に依存しているか、または、ひどく変則に赤字をころがして歩きながら芝居をしている状態です。他の人のことをいうと迷惑をかけるから自分を例にひきます。
 最近、劇団民芸みんげいが私の作品を二三回上演したが、その全部がヒットで、百パーセント以上の入りでした。ところで、その収入から製作費いっさいを支払ってみると純益はほとんど残らぬか、足が出て赤字になっています。劇団全員の月給など、そこからはまったく出てきません。月給は、劇団員たちが映画やラジオに出演した金を劇団に入れて積みたてたものから出るのです。作者への上演料はもちろん出ますが、そういう状態のため、ごく少額にならざるをえない。だいたい現在日本の一本立ちのシナリオライタアが、シナリオ一本書いて映画会社からもらっている金の五分の一か八分の一程度でしょう。しかも、もちろん上演したとき一回きりで、ふだんの作者の生活はまったく保証されていないし、保証するだけの力は劇団がわにもありません。したがって、われわれ劇作家は劇団を当てにして生活し仕事していくこともできないのです。
 ザッと右のような実情に、私はあります。

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 小説家や評論家たちは、これほどではないのかもしれません。しかしよく考えてみると、それは程度の差だけで、ごく少数の流行児をのぞいて、小説家なども本質的には似たような情況にさらされていると私は思うが、どうでしょうか? その日ぐらしの不安を抱かないで仕事をしている文学者が今の日本にいくにんいるでしょうか? しばらくまえに自殺した原民喜はらたみきの懐中に、十円サツが一枚残っていたとかいう新聞記事を、私は忘れることができないのです。
 なるほど流行児以外の文学者が経済的にめぐまれないということは、今にはじまったことではありません。昔からそうだし、世界中どこでもそうだ。しかし、そんなことは今の慰めにはならぬし、かつ現在の日本のこの状態は極端すぎる。
 つまり、文学者は――その文学者が真に文学者と呼ばれるにふさわしい文学であればあるほど、ルンペン化の一歩手まえまで追いつめられているのです。そして私は、「文学者というものは、だれから頼まれたわけでもないのに、自分から好んで、だれに必要でもないものを作りだそうとしている人間だから、貧乏し飢えるのもしかたがない」といったようなセンチメンタルな考えには賛成できないのです。人がそう考えることも、自分がそう考えることも、私は許しません。
 文学者は、社会全体からの暗黙の付託によって生まれ、それへの責任をせおって立っているものです。これは、私の主張や希望ではなく、客観的にそうなのです。飢えてはならぬし、飢えるべきではない。
 このばあい、「社会のなかに多数の飢えたものがいる。それを無視できないだけの誠実さがあるならば、文学者はペンを捨てて社会全体の救済におもむくべきだ。またそのペンを社会救済の仕事にむけるべきだ」といったような考えも、私には甘く見えます。ペンを持たない「文学者」などありうるはずはないし、文学が他の目的の「用具」になりうるなどの考えは、傲慢であると同時に、卑屈な妄想であります。
 文学者は虫のせいやカンのせいで文学者になったのではない。また趣味や慈善のために文学者になったのでもない。のっぴきならず、しょうことなしにつまり石が水に沈むように文学者になってしまったのだ。頬がえしがつくものか。もはや、かくある現前のザインの地べたを踏んまえてテンゼンとして立ち、発言する以外にないのです。
 そこで、飢えてはならない。ところが現実はまさに飢えんとする一歩まえにあります。しかも全体としては完全な自由競争に打ちすてられながらです。日雇人夫さえ組合をもっている時代に、頭脳労働者はチャンとした組合ひとつ持たないでいます。(著作家組合はあるにはあるが、今のところユニオンよりもソサエティに近い。もちろん、それでもあった方がよいにはよい。)
 それが持てないほど、われわれの職業意識はひくく、現実にたいする感覚は分散的で、集中力を欠いているといえるでしょう。原民喜のような人が、あと百人ばかり現われれば、あるいはこうでなくなるかもしれません。さしあたりは仕方がない。一人びとりが自分だけを頼りにして自由競争の波をしのいでいくほかに方法はありません。実情においては原民喜と本質的に同じ状態――懐中に十円サツを一枚もっただけで、そして電車にひき殺されないようにして、われわれは歩いていかなければならないのです。なさけなかろうと、あろうと、これがわれわれの置かれている情況です。
 さて、かかる情況のなかで抵抗が論じられています。他からくわえられる、またはくわえられるであろう政治的な力や軍事的な力や文化的な力にたいするレジスタンスが論じられているのは、かかる情況のなかにおいてです。論じられるのはよい。どんな情況のなかででも、重大な問題ならば論じられる方がよいのです。ただそれが、われわれが現実的に置かれている情況と切りはなされた形や場で、ただ一般的に、そして一般的にだけ論じられているとするならば、私にはおもしろくないだろうと思う。そして、おもしろくない抵抗論が多すぎるように、私には見えます。
 一つのことを考え、押し出し、論ずるのに、それをする人の全生活や全生命を底の方まで貫いてなされるのでなければ、論そのものが、無意味であると同時に無力でありましょう。腹のタシにならないのです。それは空論です。肥え太ったブルジョアがソファによりかかりながら、飢餓についてする空論はコッケイです。しかし現に飢えている人間が、自分が飢えているという事実を抜きにして、それとは無縁のこととして、飢餓について空論を弄することだってあるのです。これは二重にコッケイだし、ミジメです。その二重のコッケイな、ミジメなことをわれわれの抵抗論者たちは、やりすぎているのではないでしょうか?
 その証拠に――証拠というのもちょっと変ですが――多くの抵抗論者の論文を読んでも、その論者の主体のあり場所がわからないことが多い。また、論の主旨は理解できても、それを一つの知恵として実践しようとすると、われわれはどうしてよいか、わからなくなる。
 一例をあげます。勇敢でしつような抵抗論者としての清水幾太郎しみずいくたろうを、私はかねて尊重しているが、正直のところ、この人はただ単なるアップ・ツウ・デイトなジャーナリストにすぎないのではないかと思うことが、ときどきある。しかし、そう思いきれもしないで、やっぱり一人の進歩的な愛国者だろうと思ったり。そして、彼の力説する再軍備反対、戦争反対、アメリカ軍事基地化反対などにこちらが賛成して、では、じっさいに、どうすればよいかと考えると、さっぱりわからなくなる。少なくとも、口さきで反対をとなえる以上のことは、何をしてよいかわからない。
 しかも、清水の抵抗論にこちらがいくら賛成していても、たとえば、自分が失業したときにアメリカ軍需品工場に雇われるのが、よいか悪いかを判断するよりどころにはならないだんではない、たとえばアメリカがくれた小麦粉でつくったパンを、食えばよいか食わないがよいか、食うとすればどう思って食えばよいか、などの態度を生みだしてくる頼りにさえもなりにくい。
 それは結局は、清水が自分の主体をさらけ出し、その主体を根こそぎクシザシにした形で、自分は具体的にこのように抵抗するのだといった形で論をおしだしていないからだと思います。少なくともそのような地盤に立って発想していないからだと思います。つまり「自分のことはタナの上において」いるからです。もちろん、清水がズルイためや悪意があってそうしているのではないと、私は思います。ただ「痛い」からだろうと思う。自分を人なかにさらし、クシザシにするのは、だれにしても痛い。これは清水だけでなく、その他の抵抗論者のほとんどがそうでしょう。
 しかし私は、私自身のために、いま行われているような抵抗論では不安だし、満足できません。だから、自分だけの考えを語りひろげてみるのですが、それにはまず、よかれあしかれ、自分をタナの上から引きずりおろし、人なかにさらし、クシザシにし――一言にいって、自分がまず少しばかり痛い思をしてみることが第一歩だと思ったのです。それで前節のような、グチばなしに似た自身の内輪話をすることによって痛い思いをしはじめたわけです。もうすこし、それをつづけます。

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 前記のとおり私の生活は苦しく、仕事をしていくのはかなり困難です。しかもこのさき楽になったり容易になったりする見通しはまずありません。ですから時によると、自分は全体どんなわけでりに選ってこんな仕事をするようになったのだろうと思って、それをのろうような気分になったりすることもあることを白状します。心がつかれ弱りはてたときなど、中学生のように、ヒョッと死んでしまいたくなることさえあります。しかもこのような自分を唯一の頼りにして生きている家族の者たちや、またとない尊い杖とたのんで、生きている親しい者たちがいます。それを思うと、暗い不覚の涙が流れることさえあります。
 さて、そういう姿で暮し戯曲を書きながら、私は悲鳴をあげているか? 悲鳴のはてに私は戯曲を書くことをやめてしまうことがあるであろうか? また、そのはてに原民喜と似たような姿で死ぬことがあるであろうか? いえ、私は悲鳴をあげていない。戯曲を書くのをやめることはない。原民喜と似たようには死にません。私は快活に笑うことができるし、客観的な情況がそれを絶対に不可能にしてしまうまでゆうゆうとして戯曲を書くし、人か物かが私をとらえて打ち殺してしまうまで死なないでしょう。冷たい確信をもって私はそう言えます。
 それは私が自分をとりまいている諸条件を楽観しているからではありません。むしろ悲観しきっているからです。望みを持っていないからです。いわばほとんど絶望しているからです。ソフィストリィを弄しているのではありません。素直に考えてそうなのです。それはつぎのように私に思えるからです。
 現在の自分の状態は、いかにも困った状態である。しかし、なんとかかんとかやっていける。やっていけるあいだは、これでやっていく。いよいよやっていけなくなったら、私は自分の作品をプリントにするか筆写して一部を百円で売ろう。全国に私の読者が一万人はいる。たぶん、そのなかの千人か五百人は買ってくれる。すると五万円から十万円が私の手にはいる。それだけの金があれば私と家族は三カ月暮せる。その三カ月でつぎの作品を書いて、また売る。そういうこともやっておれなくなったら、私は私にもできる軽い労働をさがす。それもなければ紙芝居屋になる。紙芝居なら私にもかなり巧みにやれる自信がある。そして休みの日や夜間に戯曲を書く。さて、そういうこともやっておれなくなったら、仕方がない、乞食になる。そして時間とエネルギーの余裕だけを戯曲を書くことに使う。
 君は読みながら、たぶん笑っていられるでしょう。なるほど、こんなことまで考えるのは感傷的すぎ、神経質すぎるかもしれません。しかし私において、これは笑いごとでもなければ、感傷でもなければ、過敏でもありません。ごくあたりまえの冷たい思量なのです。現前の自己の条件を一つのハッキリした限界情況として受けとったうえで、それとつなげた形として私の持ちうる具体的実践的なパースペクティヴであって、ほしいままな、または逃避的な想定ではないのです。ですから私は事態がそうなったときにはそうするであろう決心をもっています。
 そう決心をつけたら私は落ちつけました。不安はあります。不安はどこまでいっても、ついてまわるでしょう。しかし根本的なところで安心しました。つまり自分の生活および仕事と、起りうる困難な事態との関係では、私は水中を下へ下へと沈んでいったすえに、私の足は水底の地面にやっととどいたのです。それは貧弱きわまる、一尺四方ぐらいの地面ですが、しっかりした岩でできた地面で、私がその上に立つことはできます。
 立つことができるならば、そこで、もし他からくわえられる力に抵抗しなければならないとならば、抵抗することができるのです。私の足が私を支える力を失ってしまうまで抵抗することができます。
 いまのジャーナリズムや大学などは、生活や仕事の地盤としては泥沼とおなじです。底はあるだろうが、その底は確かめられた形ではつかまれていません。ジャーナリズムや大学に依存して、そして依存するだけで安心して抵抗論を展開している文筆家や大学教授たちは、泥沼が自分の脚を没し胸を没し手を没し頭を没し去ったときが、自分の抵抗のおわるとき、つまり自分の抵抗の限界であることを知っているのでしょうか? つまり問題は、人が「どこでネをあげるか」ということなんだ。
 戦争中、情報局からおどかされただけでは転向しなかった進歩主義者で、軍からおどかされるとひとたまりもなく転向した人がかなり多かったことを思いだしてほしい。それのよい悪いを言いたいのではない。軍に抵抗することができないのならば、またそのような抵抗をするだけのよりどころに立っているのでないのならば、情報局にも抵抗しない方がよかろう。少なくともそれは無意味だ。というようなことが言えたと思うのです。
 現在ジャーナリズムや大学その他に依存しつつ抵抗論をやっている人たちは、もしその抵抗の結果か、または他の理由からジャーナリズムや大学その他から締め出しをくったばあいには、どこに自分の足を置いて抵抗していくのですか? さらに、現在それらの抵抗論者たちは、アメリカがわれわれにくれている軍事力と生活必需物資の、軍事力はイヤだからことわるが物だけはもらうという形で抵抗論をやっているが、これが軍事力がイヤなら物もやらないぞという形になるか、または軍事力をわれわれに与えることが、軍事力をもって強制されるという段階になったら、どうする気なのでしょうか? 私にはわからない。たぶんそれはご当人たちにはわかっていることで、ただ語らないものだから私にわからないまでだろうと思います。しかし、はたしてそうなのか? はたしてそうだと思ってしまうにしては、あまりに共通してわからなさすぎます。
 この人たちは、これほど一致して自分たちの考えていることを、これほど人からかくすことができるのだろうか? ふしぎでなりません。だからもしかすると、この人たちはそういうところまでは考えていないのではないか、だからこの人たちの抵抗論は今後起りうる悪い事態を予想して、それにむかって警戒照明弾をぶっぱなしておくといった式のものか、または観念的な――観念的のみでありうる境での、犬の遠吠え式のものではなかろうかと思ったりするわけです。
 さて、この点でも人さまのことは、さしあたりどうでもよい。まず私は私の足もとを照らしてみなければならない。これらのことにつき私は考えました。私の考えたことは例のとおり浅薄素朴なものかもしれないが、私にわかっています。それをのべてみます。

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 正直のところ、私はなにものにたいしても、どんな種類の抵抗もしたくありません。抵抗などむりなことをしないで、自分の貧しい生活と仕事だけにいそしんでいたい。しかし、いろいろの圧力はいろいろの方向からくわえられる。逃げても逃げても結局は逃げおうせることはできない。ならば、それを受けいれなければならぬ。受けいれることがイヤならば抵抗しなければならぬ。せざるをえない。だからといって、しかし、いくら貧しくとも自分の生活と仕事にいそしむという、私にとって第一義的に意味のあること、人間としての最低の基本的な要求をわきに打ち捨てて、それとは別のものである抵抗――または、それとは別のものとして抵抗をとりあげたくはない。もしできるならば、自身の生活と仕事にいそしんでいる私の仕事そのものが、そっくりそのままで角度をかえてみれば抵抗の姿そのものであったというふうにありたい。――そんなふうに私は言おうとしているのです。
 これは虫のよい考えです。人間は、しかし、すべて虫のよい動物です。私もそうです。問題はそれが可能であるかどうかだ。私は可能だと思う。すくなくとも、ある程度までは可能だと思う。
 こうして物を書いている私の窓の前に、一本の老いたる桃の木が立っています。雨がふればぬれるし風がふけば揺れうごきます。子どもがよじ登っても鉄砲虫が幹をかじっても、はらい落すことはできません。目に見える抵抗は一つもしません。しかし桃の木は生きていて、時がくれば花をさかせ実をつけます。すでに幹も枝も朽ちかけているが、まだ倒れそうにない。
 一個の自然物だから、これをいま話している抵抗にひっかけて考えるのは、無意味かもしれませんが、いつだったかの大嵐の日に、この桃の木が枝々をもぎとられそうに振りみだし、幹も根もとのところからユサユサとゆすぶりたてられている姿を見ていて私はこの木がこうして立っている姿を、ソックリそのまま抵抗の姿だと見られないこともないと思ったことがあるのです。
 もしそう見ることができるならば、この桃の木の姿は、前述の私がこうありたいとのぞむ抵抗の姿勢にいちばん近いわけです。つまり、目的と手段とをそれ自体のなかに同時に統一的に完結させており、他のものをどういう意味ででも圧迫したり搾取したりしないで独立しており、そのように独立した姿がそのままで、時あってくわえられる他からの圧力にむかっての抵抗そのものであるという姿勢です。もっともよく抵抗するために、まったく抵抗しないという姿勢をとることです。
 もちろん人間は桃の木にはなれない。しかしそれから学ぶことはできます。自分の姿勢を桃の木のそれに近づけ似せることはできます。私どもが、私どもの生活と仕事とを目的と手段とに切りはなさず、目的が手段であり手段が目的であるといったようにまたそのようでありうる生活と仕事とを持つことは私どものクフウしだいで、ある程度までできます。
 それには何よりもまず、私ども自身がシンから好きな仕事、自分がホントにやりがいがあると思える仕事をとりあげ、それ以外の仕事はなるべく早く、なるべく完全に捨ててしまうことが必要でしょう。よく言う「死にきれる仕事」をすることです。それ以外の自分にとってどうでもよい仕事はなるべく捨てさる。そのために、かりに金の勘定がメチャメチャになったり、役所に役人がいなくなったり、商店がガラアキになったりしても、そんなことはどうでもよいではありませんか。
 人間はどんなに長生きしても、たかだか百歳ぐらいまでしか生きてはいない。あれをして、これをしてから、それをしようなどと思っているうちに死んでしまいます。生きているうちに人は知らなければならぬことがある。味わわなければならぬことがある。その余のことは早く捨ててしまえ。
 それから、できるだけ他を圧迫したり搾取したりしません。ここで圧迫や搾取というのは、哲学的な意味をふくみません。
 ひとつの室内に二人の人間がいれば、たがいに何もしなくても一人が他を圧迫していることになるだの、人が野菜を買って食っていれば、それは農民を搾取していることになるだのといったような、発生してからたかだか三千年ぐらいにしかならぬ「未開な」人間の知恵がうんだ理屈からきたヴォキャブラリイによるのではない。もっと直接的な物理的な圧迫や搾取のことです。それをしないこと。すくなくともできるだけ避けること。これはそれほどむずかしいことではありません。ふつうの真人間には他人を圧迫したり搾取したりすることの方が、圧迫や搾取しないことよりもむずかしい。つぎに、他人の世話にならず、すくなくともなるべく他人に迷惑をかけないようにして独立することです。これもむずかしいことではない。ふつうの健全な人間ならば自然にできることです。
 これだけを実行すれば、その人の立っている姿は桃の木の立ちかたに似てきます。そして他からの圧力にむかって抵抗するのに自分本来の内容を失ったり歪めたりしないで抵抗することができ、したがって、もっとも実効あり長つづきのする抵抗ができるわけでしょう。私もそれを心がけているわけです。それはまだあまりうまくいっているとは言えません。しかしかろうじて、私は自分にとっていちばんやりがいありと思える仕事を持っています。芸術を生みだすという仕事です。
 そして、ひじょうに往々に失敗を演じながらも、その仕事と自分の生活を相互に目的であり手段であるように統一的にやっていけるときもあります。それから自分にとってどうでもよいと思われることをかなり捨てることができました。それから他の人を圧迫したり搾取したりもあまりせずに過しています。それから他の世話にならず――いや、これはダメだ、人の世話にはなりすぎている。せいぜい私にやれていることは、食って着て住むということだけについては自分で働いて、かろうじてやっていってる、つまり、ふつうの意味で、他人に迷惑をかけないで独立の生計をたてている程度です。
 それでもこれで、政治屋とか役人とか資本家とか共産党員とか銀行家とか闇屋とかゴロツキとか商人とか宗教家とか軍人などよりも、いくらか桃の木に近いとは言えるでしょう。だからいくらかは桃の木のする抵抗に似たような抵抗もできるだろうと思うのです。ことわっておきますが、これは私が人にすぐれて偉かったり強かったりするためではない。むしろ、私がごくふつうで弱い人間だからです。そのことはあとに書きます。
 さて、なぜにこのようなことをくだくだしく私がのべるか、理由は四つばかりあります。
 第一に、今われわれの周囲で行われている抵抗論が主として戦争中フランス文化人たちがドイツ占領軍にむかってした抵抗運動をひき写しにした、すくなくともそのへんを考えのよりどころとした議論のように私に見える。それはそれでよいが、フランス文化人たちのした抵抗は、戦争中のナチス軍事力――暴力のなかでももっともハッキリした、そしてそれが悪だと一見してわかるような種類の暴力――にむかってなされたもので、それだけに困難で危険だったといえるが、相手の暴力には、知らず知らずのうちにこちら側にしみ通ってきて、こちらを腐蝕してしまう力は、さまでなかったと思う。
 ところが、いまの日本は戦争中ではなく、日本にくわえられている、または今後くわえられるであろう諸種の圧力は、直接の軍事力というよりも、もっと間接の政治・経済・思想・文化・生活様式などの、それ自体としては暴力などとはいえない、広くゆるやかなもので、直接に目に見える困難や危険はないが、それだけに、ひじょうに強くかつ長い浸透性と腐蝕力を持ったものだ。だからこれにたいする抵抗は、フランス文化人の経験したものとはかなり質のちがうもので、ある意味では、より困難で危険で、百倍もの持久力を必要とするものだと言えよう。この特性がつかまれたうえで、現在の抵抗論が展開されているようには私には見えないからである。
 第二の理由は、それらの抵抗論の姿の多くが、前のめりになりすぎているように私に見えるからである。ということは、抵抗すべき目標物が一目標にかぎられすぎ、それにむかって論者の目が「すわり」すぎて、他を見まわす余裕が失われているということと、論の力点が前の方へ傾きすぎて、後からヒョイとこづかれれば、前方へひっくりかえる態勢にあるということだ。その実例はいくらでもあげうるが、いまは略しておく。そのため、前から走ってくる自動車にひかれまいと思ってあまりに夢中になっている人が、後から来た馬車にひかれてしまう危険とおなじような危険が感じられるからである。目は四方にはなたれる必要がある。身体は安定に、八方へ可動に、ということはそれ自体としての自然に立つ必要がある。
 第三の理由は、抵抗論のほとんどが評論家によって展開されるだけで、他の専門の仕事をもっている人にとってはほとんどなされていないことだ。もちろん評論家は評論が本職なのだから、抵抗論を書いたり講演してよいし、それでメシを食って悪いわけはあるまい。しかし労働者が労働をとおして、農民が農作をとおして、その他あらゆる業種の者が、自分の専門の勤労をとおして具体的にしている「日々の抵抗」を、評論家たちはどれだけしているか? 重大な点は、日本においてこれまでいろいろのことがそうであったように、問題を筆や口のさきであまりに「ヘナブリ」すぎると、抵抗という課題自体のもっている重大な現実的意味が、国民のあいだに定着しないで、頭の上を通りすぎていく危険があるということだ。
 第四の理由は、「抵抗屋」も、あるところまではたぶん抵抗するだろうが、それがある限度をこえると、たぶん、よそへ逃げ出す、つまり亡命するといったようなことになるだろうし、またそうすることができる。しかし私どもは、この土地でなさなければならぬ本業があるから、よそへ逃げだすわけにはいかぬし、逃げだすことを欲しない。そのような抵抗論者の考えた抵抗論と、そのような私どもの考えなければならぬ抵抗とは、そもそものはじめから違ったものでなければならぬと、私が思うためである。
 そこで、私どもが自然にある姿が、私どもの抵抗のもっともよい姿勢ではなかろうか、そうできるかできないかはまだハッキリ言えないが、やりようしだいでは、ある程度までできるような気がする――というところまで話をこぎつけました。つぎに移ります。
 そのまえに、私が戦争中にその目撃者からきいた国民党政権下の中共軍パルチザン部隊の老兵士の話を思いだしてみます。
 彼はそのとき、すでに十年もパルチザン戦に参加してきたそうで、痩せた身体の強じんで柔軟なことはムチのようで、風雨にさらされた頬にはコケのようなものが生え、一頭の馬にまたがり、戦闘と生活に必要なものは全部馬につけており、その姿はまるで安心しきった乞食の引っこしのようで、さらに、つねに少量の酒をたやさず、そして馬のくらつぼのところには古いコキュウを一ちょうさげている。どんなところでどんな敵にあってもよく戦い、つねに機嫌がよく、どこででも眠り、戦闘がひまになると銃把から手をはなしてコキュウをひいて歌ってたのしむそうです。
 それゆえ、彼は自分のしているパルチザンの抵抗戦に、とくに一時的に興奮したり興味を感じたりはしないが、いつでも、そしていつまでもそれに飽きないらしく見うけられたそうです。彼にとって戦いは、すでに戦いではなくて生活それ自体だからでしょう。抵抗はすでに抵抗ではなくて自分が生きているということ自体だからでしょう。
 戦争はイヤです。戦闘もごめんだ。だからそういう意味のパルチザンなどにはなりたくない。しかしもっと深い意味での戦い――自分を自分であらしめるための、自分たちの国であらしめるための、そして自分と自分の国がどんなことがあっても欠くことのできない根源的な「自由」を確保するための、武器によらざる戦いに私どもが参与しなければならないのならば、そのときの私の姿は右の老兵のような姿でありたいと思うのです。そして老兵の姿は、桃の木の姿に似ています。

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 私自身の抵抗論そのものは、じつに簡単素朴なもので、十行ぐらいに個条書きにすることができます。しかしそのまえに、ちょっと言っておきたいことがあります。それは前節中で「あとに書きます。」と言ったことです。
 私という人間は、どううぬぼれてみても、それほど偉くありません。また、それほど強くない。ごくふつうの知情意をもっているにすぎず、弱い。ところが、現在あちこちで行われている抵抗論はみんなかなり偉い強い人間でなければ実行できないようなものが多いのです。これまでにあった優れた抵抗論もほとんどすべて、かなり偉い強い人間――理想的人間を目安においてなされています。
 たとえば、ガンジイの無抵抗の教義など、じつにりっぱな抵抗論であり、私などそれから無限の教訓と勇気づけとを受けとることができるが、いかにせん、これを実行するにあたっては、人格的に最高にちかい、そしてひじょうに強く完全な、宗教的信念に立脚した人間が予想されています。そのような人びとにしてはじめて可能な抵抗が押し出されています。うらやましいとは思うが、ふつうの人間には実行不可能なことが多いのです。
 私は偉くなく、不完全で弱虫で、宗教的信念ももたず、将来とても、だいたいそうだろうと思います。だから多少とも理想的人間を予想した抵抗論をやる資格と、そして、じつは興味ももちません。私は私じしんに実行可能な抵抗しか考えられないのです。
 つぎに、私がたいへんな臆病者であるということです。卑怯者ではありたくないと思い努力していますが、そしてこれはいくらかなおせるが、臆病である本性はなおせない。自分の身と心を危険にさらしそうなことのいっさいが私に怖い。生れつきの過敏という素因もあります。時によって、それは病的にまで昂進して恐怖症の状態にまでなることがある。私の日々の暮しと仕事は大きい恐れや小さい恐れの連続だといってもさしつかえありません。まして異常な破壊力や暴力などの発現は、上は原子爆弾から下は市井しせいの喧嘩ざたまでシンから怖い。生活の不安にたいしても、じつに気が小さいのです。私にも多少の勇気はあって、いくらかは恐怖とたたかうことができますが、たいがい恐怖の方が勝ちます。
 だから用心ぶかい。性質が慎重だからではなく、臆病のためです。危険な橋はわたりたくない。渡らなければならぬ橋は叩いてわたる。それでも足をふるわせながらわたります。私のような臆病者がことをなすにあたって、本能的に心がけることは、いつでも最悪のばあいを予想するということです。その予想に立って自分の腹をきめるのです。そうでなければ何ひとつ決心できないのです。ことが多少でもうまく行くことを考えながら何かをしようとすると恐怖がさきに立って私の足はこわばりすくんで自由さを失い、できることにまで失敗するのです。
 私は海へ飛びこむときには、海底の岩にぶちあたって、頭を割ることを予想したうえでなければ飛びこめません。だれかと喧嘩するときには、自分が殺されることを予想したうえでないと手が出せません。それは、いつでも虚無から発想発足するということです。全き否定から肯定を引きずりだしてくるということです。そういう哲学上、人生観上の心法が西洋にも東洋にもこれまでありました。ことに東洋のうんだ深い知恵のたいがいは、この手の心法をふくんでいます。老荘や道教や禅や真言、それから道元どうげん日蓮にちれん親鸞しんらんなどのメトーデ、それから茶道の歴史上にあらわれている巨大な師匠たちの様式など、その、代表的なものでありましょう。
 ところが私のやつは、そのような高級なものではさらさらありません。臆病のあまり、怖いのをがまんして何とかやっていく必要から、考えに考えたはてに、たどりついた方式です。方式というよりも、ばかな猿が人のくれたラッキョウの皮をはいではいではぎ終ったら、中には何もなかったので悲鳴をあげて、それからは、どんなものを人がくれても、その中には何も入っていないと、はじめから思って皮をはぎはじめようと思うにいたったというようなことです。
 最初から、なんの期待もなんの望みも持たないようにして、しかし、もしかするともしかして、その中に食えるものが、ごく僅かでもあるかもしれないとの、ほのかな希望だけは捨てきれないで、それをしてみようということなのです。じつにミジメな話です。しかし私にはそうしかできないのです。ですから私の抵抗論は、最悪のことを予想したうえでの、しかしながらごく微量の希望は捨てきれないままでの、臆病者の抵抗論です。
 つぎに私の肉体の弱さのことを言っておかなければなりません。肉体の弱さといっても私の病弱のことではありません。精神が一度こうと決定したことをも、いざその場にのぞんで現実から本能的・衝動的に点火されれば、往々にして肉体はそれをうらぎって行動する。その肉体の弱さのことです。
 理智が論理的に考えつめて生み出したテーゼをも、じっさいの現場にさらしたばあいに往々にして感情はそれをうらぎると言ってもよい。肉体と感情は現実の実感にほだされたり追いつめられたりして、ひじょうにしばしば平常の冷静な思惟に矛盾したりそれを越えたりしてしまう。その「肉体のもろさ」のことです。
 たいがいの人びとがそれをもっています。とくに私のように本能的感性的な人間、しかも自分が動物のように本能的感性的であることを、ある意味でたいへん幸福な、よいことだと是認している私のような人間の肉体は、はなはだもろいのです。人と喧嘩するのがこんなに嫌いで臆病なくせに、自分および自分の親しいものが他から不当に侮辱される現場にのぞむと、ついカッとして喧嘩をすることがあるのです。
 さきの戦争中にしても、そうでした。戦前も戦争中も私の思想は戦争に賛成せず、私の理性は日本の敗北を見とおしていたのに、自分の目の前で無数の同胞が殺されていくのを見ているうちに、私の目はくらみ、負けてはたまらぬと思い、敵をにくいと思い、そして気がついたときには、片隅のところでではあるが、日本戦力の増強のためのボタンの一つを握って立っていたのです。
 これは、私の恥です。私が私自身にくわえた恥です。私の本能や感性が、私の精神と理性にあたえた侮辱です。肉体が精神をうらぎり侮辱することができるほど、私の肉体と精神は分裂していたということです。これは、まさに人間の恥辱のなかの最大の恥辱でありましょう。こんな恥辱をふたたびくりかえさぬように、私はしなければならない。私はそうするつもりです。たぶん、そうできるだろうと思います。
 しかしながら、いくらそのような決意をもち、考えぬき考えぬいておいても、またしても肉体はうらぎるかもわからない。肉体というものが、本来そういうものかもわからないのだ。また、もしかすると、肉体と理性とは近代においては、ある程度まで分裂しているのが自然で合理的なのかもわからない。また、もしかすると歴史における人間の現在の段階は肉体と理知のこのような乖離かいりというところにあるのかもわからない。また、もしかすると、これまで人間を存続させ、人間の文化を進歩させてきたものはほかならぬこの肉体と理知の分裂であったかもわからない。もちろん今となっては、この分裂は世界と人間を混乱させ衰弱させるマイナスになっているが、ある時期まではプラスであったかもしれないのである。そのプラスとマイナスの総決算への中間報告的な、またラップ・タイム的な段階が現代かもわからない。また、もしかすると、人間の肉体と理知の現在のような分裂状態はその二つのもののより高い統合というみねにのぼる直前の、ふかい谷底の風景かもわからない。……いろいろのことが考えられます。
 いずれにしろ現前の事実としては、私は私の肉体を愛するが、完全には信頼しきれないのです。私の精神が、どのように私の肉体の条件や本性を考慮にいれ、それとの調和統合においてゆるぎのないと思われる抵抗論をつくりあげたとしても、将来私の肉体が、私の抵抗論を絶対にうらぎることはないとは、私は言いきれない。自身にたいして、いちまつの不安があります。私はこの不安をかくしてはならない。また、かくしえない。私は英雄ではありません。卓越個人ではない。あらゆる意味でふつうの人間です。
 私の抵抗論はそういう地盤に立っての抵抗論です。

          6

 これだけを君にわかってもらったうえで、私は私のしようと思っている抵抗を具体的に列記します。
 まず、私は何にむかって抵抗するか?
 それには、ひろい意味のものと、せまい意味のものがあります。ひろい意味のものとは、政治・経済・言語・文化・教養・習慣・生活様式などのすべての領域にわたって、日本および日本人がってもって立っている伝統のなかの良きものを、阻害したり腐敗させたり死滅させたり歪めたり侮辱したり植民地化したりする、いっさいの内外の力にたいして抵抗するということです。せまい意味のものとは、ハッキリと目に見える形で日本人の生命や財産や国土を害し、または奪うところの内外の暴力、そのもっとも大きな現われである軍事力の発動にたいして抵抗するということです。
 この二つは、同時的に統一的になされます。そして抵抗はあらゆる手段をもってなされるが、ただ一つ暴力による手段だけは、かたく除外される。
 ここに私が暴力というのは、現在ふつう使われている「言葉の暴力」とか「富の暴力」とか「多数の暴力」とか、その他形容詞または比喩ひゆとして使われる暴力の意ではない。「一つの有機体へむかって、その有機体の意志にさからって、その有機体の生命や機能を損傷または死滅させる目的または方向へむかって、他からくわえられる破壊力」のことです。
 ひろい意味の抵抗運動のなかには、いうまでもなく、日本人の人間的自己完成の努力と、日本文化の再整理と再確認の事業とがふくまれなければなりません。なぜならば、それ自体としても、現在の世界が要求している平均レヴェルからいっても、われわれ日本人の自己完成の度がひじょうに低いことは、残念ながら認めざるをえない。また、日本文化の中には、中世や封建時代のものが近代のものと入りまじって、未整理のままに投げだされていると同時に、東洋のものと西洋のものとが混乱と不調和のままに放任されているからです。
 私は徹頭徹尾、日本人でありたい。日本の国土をはなれたくない。そのためには、よき日本人にならなければならぬし、よき日本国をつくりあげなくてはならぬ。そしてよき日本人とは、日本人のうちのよい性質や、よい要素をハッキリと確認是認して、これをかたく守ろうとする日本人のことです。そして、日本人のうちのよい性質やよい要素を確認するためには、現在の世界が要求している知識や教養、具体的にいえばヨーロッパやアメリカの知識や教養を――少なくともその根本的な滋養分を――摂取し消化吸収せずしては不可能です。ということは、よき世界人になることなくしてよき日本人にはなれないだろうということです。
 地球上の諸国と諸国民の関係の近接の状態は、すでにそういう段階にまで来ていると見てよいのです。したがって私が日本人でありたければありたいほど、外国人および外国文化にたいして排他的では、これまた徹頭徹尾ありえない。
 私はアメリカ人およびアメリカ文化を歓迎する。またソビエット人およびソビエット文化を歓迎する。その他のどの外国人およびその文化をも歓迎する。どうぞおいでください。よいものを私どもにあたえてください。私どもも、あなたがたによいものをあげましょう。仲よくしましょう。しかし私どもが日本人であること、ここに[#「ここに」はママ]日本国であることを忘れないでください。日本人や日本国を、とくに尊重してくださることはいらない。ふつうに、ふつうの人間としてあつかってくだされば私どもは満足する。ということは、ふつう以下に、自分たちよりもいちだん下等な人間としてあつかわれることに、私どもはがまんしないし、したくないということである。
 ことにアメリカが、日本および日本人を、アメリカ資本主義(それが、かりにどんなによいものであったとしても)の東洋における番犬にしたり、番犬にしようとしたりするいっさいの動きに、私どもは協力することはできない。
 同時にソビエットが、日本人の総意がそれを欲していないことを事実のうえで知っていながら、少数の日本人を激励、またはそれに指令することによって、自国の全体主義(それが仮りにどんなによいものであったとしても)の拡大と伝播でんぱを押しつけようとする動きのすべてに、私は反対せざるをえない。
 したがってまた、アメリカが敗戦後の日本にあたえてくれたさまざまのよいものと暖かい援助にたいしてはどれほど感謝したとしても(事実感謝しているが)、それとは別に、「安保条約」その他どんな口実のもとででも、日本を植民地化しようとしたり、日本人のある者たちを買弁ばいべん化しようとしたりパンパン化しようとしたり、日本人の生活や生産や風俗習慣を圧迫したり阻害したり乱したりするならば、私どもはこれを憎み軽蔑しないわけにはいかない。
 それらのことにつき、私は抵抗します。もちろん私が抵抗しなければならぬ外国のそのような動きに協力し手先となる日本人および日本国内勢力にむかっても私は抵抗します。私の抵抗は暴力をともなわないから、はなはだ微力にちがいありません。しかし、まえに書いたような拠りどころと姿勢をもっているために長くつづけることができます。
 せまい意味の、暴力=軍事力にたいする私の抵抗はごく簡単に書けます。
 いままで書いたことによって、私が日本が再軍備されることに反対であることは知ってくださったと思います。しかし問題はそんな段階を飛びこえているのです。保安隊その他の実情は、再軍備はすでにはじまっていると見てよいとも言えると思うのです。解釈上の言葉の遊戯にごまかされても仕方がない。それに、軍備というものは全体どこからはじまるか? 原子爆弾がなければ軍備とはいえないとも言えるが、人が靴をはくところからすでに軍備であるともいえよう。いまごろ再軍備反対をとなえて、となえるだけならば、なんにもしないことにほとんどひとしいでしょう。それで私は私流に考えぬいて、私のような貧しい弱い臆病な人間にも実行できる具体的な処方箋をつくりあげました。それはこうです。
 私は今後、どこの国のだれが私に武器を持たせてくれても、ていねいにことわって、それを地べたに置くでしょう。武器というのはサーベルから原子兵器にいたるすべての人殺しの道具です。外国人がくれても日本人がくれても、地べたに置いて、使いません。
 そうすると、ばあいによっては私は処罰されるかもわかりません。それは怖いし、イヤです。なるべくそういうことにならないように相手にたのみます。しかしどうしても処罰されるのだったら、それを受けます。たぶん、即座に殺されるということはないだろうと思います。いずれにしろ怖いが、しかし武器を取って人を殺すほど怖くはないでしょうから。
 暴力=軍事力にたいする私の抵抗は、じつはたったこれだけのことです。もちろん、このことからいろいろ派生してくる問題はありますが、それらみな副次的なことで、右の一つのことさえ私が実行できるならば、その他のことは、そのときどきになんとか処理できるだろうと思います。
 残る問題は、まえに書いた肉体と感情の弱さのことです。自分の目の前で、なんの罪もない同胞がバタバタ殺されるのを見せられても、最後まで、私は武器を取らないでいられるだろうかという問題です。
 これは、目下のところ、いくら考えてもハッキリわかりません。なんとも言えない。もしどこかの国の軍隊が侵略の意図でもって日本の国土をふみにじり、日本人を虐殺しはじめ、そしてその事実が疑いようのない形でわれわれに確認され、私の怒りが完全に私をもえあがらせたばあいは、もしかすると、私はナイフを取ってでも眼前の敵を刺し殺すかもわからないし、またもしかすると、私とおなじ考えをもった人たちとともに、パルチザン部隊をつくって敵と戦うにいたるかもわからない。
 もし万一そうなったばあいは、私は悲しみ、あきらめるでしょう。私という人間の成長の程度が、現在のところ残念ながらその程度で、また私と同じような人びとも私と同様まだ不完全で弱いと思い、その不完全と弱さのゆえをもって戦わざるをえない運命を、人間全体のために悲しみ、あきらめます。ほかに仕方がないから、あきらめるのです。そうすれば、その戦う私たちと敵の大部分が死にますが、生きのこる人もできるでしょう。その生きのこった人たちが、そのうちには、戦争などという愚かな手段に訴えないでも、人間同士が暮していけるように、完全な強い人間になってくれるでしょう。
(一九五二・六)

底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
   1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
初出:「群像」
   1952(昭和27)年11月号
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2009年1月20日作成
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