スミ(花嫁)
  楠一六(花婿)
  鈴村彦之丞(スミの父親)
  信太郎(放火犯容疑者)
  お若(信太郎の恋人)
  土方(流れ者)
  区長
  旅商人(呉服小間物屋)
  刑事
  ユリ(サーカスのダンサー)
  乗合馬車の馭者
  サーカスの楽士達。村人達。
  軽便鉄道の乗客達。乗務員達。
  その他。

音楽  パストラール風に。

○村の誰彼れが昂奮した顔を突合せて、囁き合つてゐる。
 (戸外)
「鈴村の彦之丞がとけえ、電報が来たと?」
「なんだろか? 又大地震があつたんづろか?」
「去年の暮れ、森の喜六がとこの娘が紡績で機械に食はれておつ死んだ時、来たきりぢや。此の村さ電報来んのそれ以来だ」
「なんせロクな事あ無えぞな。電報来るようでは、もうはあ、彦之丞がとこも永え事は無えぞ」
「大水が出たのか? 戦争け?」これは駆け付けて来た男。
「あんだ、あんだ?」
「彦之丞がどうしたと?」とスツトンキヨーな声をあげたのはツンボの爺さん。
「電報が来たとよ!」
ひようが降つたのか? そいつは困つたのう」
「違う、電報じや」
「コロの値が出んのか? それはおいねえ!」
「まだ聞えねえ。電報だつ!」
「デンピだと?」
「電報つ!」
「デンピヨーかつ! ウーン」――爺さんが目をまはしかける。泳ぐ。
○それを追つてパンすると、中景に道路一杯に右往左往してゐる豚の群。
  その群の中に取りかこまれ、歩き悩んでゐる電報配達夫。カメラそれに近づく。
○親豚子豚とりまぜてヒシヒシと動きまはつてゐる。
 ブウブウ、ギイギイ、キユーツと鳴声。
「わーい!」配達夫叫んで、自転車を引きずる様にして、豚の背の波を踏み越え、すべり越えてメチヤメチヤに走り出す。
 しかし豚の群も同方向に向つて歩いてゐるので、なかなか抜け出られない。「助けてくれつ!」
○やつと豚の波の中から飛出す。そこは村はづれ。――一軒の家の表にたどり着く。汗をぬぐひながら、表札を見る。
「鈴村彦之丞」
 しかし表戸はビツシリ締切つてある。開けようとしても開かないので、ドンドン叩く。
「鈴村さん、電報!」
 戸が内からガラツと開けられる。配達夫、はづみを喰つて、転げ込む。戸を開けた十五六歳の少年も、ぶつつけられて転びかける。トタンにいきなり、とんでもない大きな声。
「たかさごやあ……この」(変な謡曲)。
○貧農の家の内部。
 間の襖を取り払つた奥の六畳の室の床の間を背にして坐つた鈴村彦之丞(五十前後)がヤツキとなつてドーマ声をふりしぼつてゐる。ゴリゴリの紋付袴姿。酔つてゐる。その傍にかしこまつてゐる楠一六とスミ。
 三々九度が済んだばかりで、二人ともボーツと上気してゐる。特に花嫁の眼は涙にかすんで、器量一杯に声を振りしぼつてゐる父親の顔がボヤけて見えるのである。
 近所の小母さんが花婿に酌をしてゐる。花婿は昂奮してゐるので盃がふるえて、酒がこぼれる。こぼれた酒を、もつたいながつて指に付けて舐めてしまふ小母さん。
「この……この……たかさごやあ……」(変な謡曲)。
「お父つつあん」と起き上つた少年。
「このう……このう」――何かを紛失でもしたやうにその辺をキヨトキヨト見廻す彦之丞。
○めんくらつて、しばし呆然としてゐた配達夫が、やつと気を取り直して「電報つ!」
「えゝと……あん※(感嘆符疑問符、1-8-78)」彦之丞
「鈴村彦之丞方、クスノキ、イチロクさん、電報!」
 花婿、飛びあがつて来て、受取る。
 電文
「ハナシキマリ五ヒカホ
 ツナギ アリカエレオ
 ヤヂ イワクマニアハ
 ネバ クビ ヨシダ」

○桃の花の花盛りの山村の風景(移動で)
         (パストラール風の音楽)
 しばらくして会話(画面は山村風景)(伴奏音楽)
「僕の方は明日どうしても発たなきや間に合はないんだが。然し君は……小父さんがあんなに云ふものをねえ……だけど本当は仕度も何も要りはしないんだから一緒に発つといいんだがなあ」
「だつてえ……お父うが明日コロば売つて金ば持たせてやるからつて……」
「一人娘を東京くんだりまで嫁〔縁カ〕づかせるのに仕度金も持たせねえぢや、やれねえ、か。……小父さんは旧弊だからなあ。そりや、僕だつて月給まだいくらも取つてゐないから、さうして貰えばありがたいにはありがたいさ。スミちやんに直ぐに着物買つてやれる。でもそんな事どうでもいいんだけどなあ。しかし、まあいいや。ね、君あ明日発てばいい。ね、君が上野に着く時にはチヤンと迎ひに出てるよ」
「うん……」
「本当は僕が明日まで居れば一番いいけど、若しか本当にクビにでもされたら詰らないからね。無論電報打つて呉れた友達がフザけてあんな文句入れたんだけれどね……まアだからホンの二日だけ寂しいのを我慢してくれよ。ね、いいだらう?」
「ん……」
「ありがたう。君と僕とはまたいとこで小さい頃から仲が好かつたな。ね! ねえ! さうだら……ねえ!」
 接吻か何かしたらしい。
(音楽に依るストレツス)
「いやん! ウフン」
「だつて僕達はもう婚礼をしたんだから、夫婦なんだよ。ね?」
「ウフン……んでもおらあ途中がさむしいが! 汽車こ乗んの初めてだからなあ」
「なんでも無いさ。そら、君の分まで買つといたから、この切符で乗つて、黙つて坐つてればひとりでに東京に着く。乗合馬車に乗つて、次に軽便鉄道に乗つてさ、そいから此の切符で省線に乗り換へればいい。省線の駅迄は行つたことがあるだろ?」
画面に入れてもよろし(切符を渡す花婿の手と、それを受取る花嫁の手)
「うん、二度行つたことあら。……だども、汽車こ乗つてて、もしかしてズルコケて、落つこちたら、どうしべね?」
「そ、そんな、大丈夫だよ。寂しいだらうが、その代り東京に着いたらウーンと可愛がつてやるぜ。食べたいものでも見たい物でも、なんでも――」
「東京にはなんでもあんのけ?」
「あゝ、なんでもある」
「ぢや、おら、海つうもんば見てえ」
「ウミ? あゝ海か。あ、あるとも」
「水が一杯あつて、キリが無えつうのはホンマかえ?」
「うん、ホンマだよ、ホンマだ」
「海の色、青いの?」
「青い。青くつてキラキラして綺麗だよ。丁度よく晴れた空みたいだ」
「そんねえに、青い水一杯あれば、おつかないだろ?」
「おつかない? そんな事あない、見てゐると良い気持だ」
「へーん?」
「見ればわかるよ。見ればわかる。アハハハ」
 花嫁も笑ふ。
「笑ふと、何て君は可愛くなるんだらう!」
「……そんねにキツクすると、息が苦しいが! やん!」
○それまで風景や桃の花ばかりを映してゐたカメラが不意に角度を変へたと思ふと、村はづれの峠の上、人の居ない立場茶屋の傍の、見事に咲いた桃の木の下に、並んで草むらにしやがんだスミと一六をキヤツチする。(UP
 停つてゐる乗合馬車。
 一六が桃の小枝を折り、スミの肩を抱くようにして、田舎島田に、カンザシに※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)してやる。
「やーい、やつとらあ! やつとらあ! スミ公! 一六! 一六勝負! 勝負はどつちだ、一六勝負!」
 はやし立てる四五人の声。
 びつくりして、声の方を見る一六とスミ。
「こらつ! なん奴ぢやつ!」彦之丞のドラ声。丁度一六のカバンを下げて坂を登つて来た彦之丞が峠に登り着いた姿が頭から肩、腰と見えて来る。まだ酔つてゐる。
「なん奴だつ!」
 怒鳴られて、それまで人の姿の見えなかつた、直ぐ横ツチヨの草むらの中から少年少女が四五人、バラバラと飛出す。すべつたり転んだり、笑ひはやしながらにげて行く。彦之丞、手を振り上げて見送つてゐたが、直ぐに笑ひ出す。
「アツハハハハハ、阿呆め! おらがとこのスミと楠一六公はな――」
 えらい上機嫌で言ひながら、二人に近附く。「天下晴れたる――」
「小父さん――」閉口してゐる一六。
 きまり悪がつて袖で顔を蔽つてゐるスミ。
「アハハハ、楠一六公、バンザーイー」。その同じ大声で「おーい、まだ出ねえかあ?」
○「おいよう、出るぞう」立場茶屋の裏の辺から馭者の声。
 続いてトテツテテテ……と響き渡るラツパの音。用便でもしてゐたのかノソノソ出て来る馭者。彦之丞同じ調子の上機嫌で、
「さあ乗れや一六! 大丈夫だよ! 花嫁さんは明日出立だ。軽便までは俺が送つて行くだ、心配すんな! さ、乗れよつ! (馭者に)おい馬造公、頼んだぞ、大事な婿ぢや!」
「あれま、さうかい! そいつは、めでてえ、アハハハ(スミを見て笑ひながら馭者台へ。スミ馬車の後ろに隠れる)アハハ。あゝよつ! 今日はまだ客がねえで、貸切り同様でえ! 殿様だよつ!」
「アハハハ。ようし、こんだ一杯買うぞツ。さあ殿様、乗つたり!」
 押し乗せられる一六。窓から上半身を出してスミに耳打ちをする。スミかぶりを振る。やがてコツクリをするスミ。それを見ながら彦之丞「スミの事、可愛がつてくれよつ、一六! 俺らお前を信用しちよるぞ、一六! スミは物知らずぢやが、気立てだけは無類の子ぢや。正直マツトウで腹の中の綺麗なことだけは天下一ぢや。頼んだぞつ! 言ふ事聞かねえ時あ撲つてくれ、貧乏の苦労だつていくらでもさせてえゝ、たゞ可愛がつてくれろやつ! なあつ!」言ひながらボロボロ泣いてゐる彦之丞。
 一六閉口して「大丈夫だよ、小父さん、大丈夫だよ」
「アハハハ、よしよし、仲あ良えぞつ! 仲あ良えぞつ!」
 羞しがりながら父を睨むスミ。
○馬車が動き出す。(音楽)
 彦之丞、おどり上つて見送る。「バンザーイ!」
 笑つて見送るスミの眼に涙があふれる。
 車窓で帽子を打振る一六。
 遠ざかり行く馬車。
 スミの頭に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)したカンザシの桃の花が揺れる。
○翌日。
 花嫁の出発。
 父親も子豚十五頭を連れて一緒に行く(娘を途中――C町――まで送りがてら、其処で豚の仲買人に豚を売つてその代金を娘に持たせてやるため)。
   (順路)
 村(A)から乗合馬車の通る峠(B)迄は徒歩。
 そこから軽便鉄道の起点になつてゐる町(C)迄は馬車、(C)町から東北本線の(D)駅迄は軽便、(D)駅から上野行きの列車に乗る。
 乗り合ひ馬車の通る峠B迄は勿論徒歩。父とスミと弟と小母さん。それから、つながれて追ひ立てられて行く豚達。四人Bの峠の立場茶屋に着く。今日はまだ馬車が来てゐない。
 待つてゐる間に、スミは、自分の為に売られて行く豚達を憐れがつて「可哀さうに、売らぬ訳には行かねえか、お父う? そんな金、おら、なくともいいだけど……」
「まあいい、しまひにはどうせ売るものぢや。そりや売らなくても金さへ有ればだけんど、知つての通りの貧乏ぢやい」
 弟「おらも行きてえなあ」
「馬鹿あこけ! お前が行つてなんになるだ?」
「んぢや、軽便迄でいいから連れてつてけれ」
「いけねえ。馬車賃かさんで、おいねえ。それよりも帰りにお土産持つて来てやるで、お前は留守番をしてゐてくれ。なあ、隣りのお母ア」
 小母「それがえゝ、わしと一緒に留守番しべえよ」
 スミ「おらも東京さ着いたら、一六さに良い物買つて貰つて送つてやつからな。いいな!」
 云々。
 荒い竹籠にギユーギユー入れられる豚達。隙が有れば忽ち走り出さうとするので、詰めるのが一仕事だ。――滑稽な騒ぎ。一匹だけはどうしても詰めきれぬので、それはスミが抱いて行く事にする。
○馬車が来る。今日は既に一人先客が有る。馭者「はあ、いよいよ花嫁ごのお立ちかあ!」等々。
 馬車の屋根に載せられて、しばり付けられる豚の籠。
 彦「頼んだぞう!」
 馭「花嫁ごとコロとは、えらい珍な取り合せだのう! えゝか、出るぞう! 落ちねえように縛つときなよ!」
 等々。
 スミと弟及び小母さんとの別れ。
 弟と子豚との別れ。
 馬車が動き出す。暫く追ひすがつて来る弟もやがて取残されて、小さくなり、呼びかけながら見送る弟。
○馬車の道中(Cまで)(音楽伴奏)
 豚の充満した籠を屋根に載せた滑稽極まる格好の馬車の進行。
 馭者の襟足の辺に、籠の目から首を突出した豚の鼻が時々さはるので、馭者はひどく気にしてゐる。しまひに、頭を振り帽子を脱いだ馭者の頭が禿頭。その禿頭を又豚が舐めにかかるので悪戦苦闘する馭者。
 先客は、隣村からCまで行く区長さん。――一升ビンとチヨコを持つてグビグビ飲んでゐる。既にいい機嫌である。スミと彦之丞と区長――以上三人の客。
 区長は彦之丞と顔見知りなので、盃を差し、互ひに話し合ふ。
 (ダイアローグはコンテイの時書く)
 彦之丞、自分の旅行の目的を語る。
 祝意を述べる区長。
 彦「区長さんは、どちらまで?」
 区長返事して、今日はC町の農業補習校で「農村代用食研究試食会」があるので、それに出席するためだと話す。「東京から偉い博士が来て、C町の婦人会の奥さん達が総出で、いろんな食物拵へちや、私等が食はされる側だけど、これが痛しかゆしでなあ。此の前の時はあまり変な物食はされて、帰つてから早速えれえ下痢をやらかして一週間寝込んだて。今日は当てられないやうに前以て酒飲んで行くさ。なんしろ、こんな不作では、百姓の食物が一つでも余計に出来ると言ふ事は結構な話だからのう……」
 兇作の話。
 農村の窮乏に関する一二の示唆。
 C町の近くの村で起つた地主邸放火未遂事件の噂。区長「なんでもそこの持田を小作してゐる若い小作人がやつたと言ふ話だが、世間がこんな不景気になつて来れば、人間の気持もあらくなつて来るわけだな――」云々。
 彦「しかし世間一般が不景気だとばかり言へめえ。C町あたりでは、いくらか景気が出て来たと言ふではねえかね? あんでも、C町の市場辺では此の前の牛市からこつち、曲馬団や見せ物が掛つたりして、まるでお祭りみてえな騒ぎだと言ふ」
 「あゝに、つまる所どこもかしこも不景気で、しよう事なしに、こんな所まで曲馬やなんぞが入り込んで来るのさ」
 「今日ばかりは酔ふと困るから」と酒を控へるように父に頼むスミ。
 「大丈夫々々々」と言ひながら、差されるまゝに飲む父親。
 酔つて歌ひ出す区長。「相馬二遍返し」
 その歌に感動して、屋根の上でギイギイギイと鳴きしきる豚達。
○右の経過と同時に、移り行く車窓外の風景。山村、遠くの山々、近くの小山や森、街道添ひの家々、等々。
 次第にC町に近づいて行くらしい。
 沿道。それまでは一人も客は無かつたのが、此のあたりで前方の道角に立つて馬車に向つて手を上げてゐる中年の男。すぐそばに、一人の青年が立つてゐる。
 馬車停り、二人の客を乗せる。(この一人は刑事で、もう一人の青年は引かれて行きつつある放火犯容疑者なのだが、画の上では、かなり経つまで全然それがわかつてはいけない。唯、何となく変つた調子の客と言ふ位の印象で)
 馬車は再びC町の方へ向ふ。
 青年が、悲しさうな眼をあげて、車の後部の窓から離れて行く自分の村の方を見ようとして……思はずハツとする。一瞬嬉しさうな顔色。が直ぐに又悲しさうな複雑な表情。カメラが後部の窓を覗くと――かなり離れた路上を小走りに追つて来る若い女の姿。
 あわてて家を飛出して来たと見える身装、フロシキ包みをわきに抱え、左手で乱れかかる頭髪を直しながら真剣な眼で馬車を見詰めたまま走る。
 青年がそればかりを見詰めてゐるので、中年男もその視線を追つて、これを見る。
 青年「あのう……」中年男の方に向ける哀願するやうな眼ざし。
「うん?」
「チヨツト、馬車を停めていただいて――」
「なんだ?」
「あと一ヶ月したら、私が一緒に世帯を持つ事になつてゐた者で――」
 黙つて女を見てゐる中年男。――やがて馭者に「おい、チヨイと停めてくれ」
 馬車停る。
 追ひすがり近づく女。車上の青年と女が黙つて見かはす顔。女の眼にグツと涙がこみ上げて来るが、拭かうとはせぬ。「信太郎さ……」
 中年男「……ついて来ても仕方がない。どうするんだね?」
 女「……へい? 心配ですから……」
 モヂモヂと車窓から離れる。
 馭者「乗らねえのかね?」
 女「へい、……銭が少し足りねえから」
 これらを見てゐる彦之丞とスミ。特にスミは女をマヂマヂと見詰めてゐる。
 青年「お若、村へ戻つて待つててくれ……」
○馬車は又走り出す。
 若い女も再び車の後を追ふ。車の立てる白いホコリをかぶりながらトツトツトツと走る。一度何かに蹴つまづいて倒れさうにするが再び走つて追つて来る。
 それに気をとられて見てゐるスミの手からのがれた子豚が腰掛けの上を歩いて行き、そこに既に酔つて延びてウツラウツラとしてゐる区長の鼻づらを舐めてゐる。
 青年の腰の辺にチラリと見えた捕繩を眼にして「ふーむ」と言つて二人を見、トツトと走つて来る若い女を見くらべてゐる彦之丞。
○C町の入口が見えはじめる。
 馬車は進む。
 もうかなり後ろから、懸命に追ひ付かうと走つて来るお若。豚に舐められた区長が、大きなクシヤミをして起き上る。
○馬車が停る。
 馭者の声「区長さん! 補習学校に行くんなら此処で降りるんでは無えのかあ? 鈴村の彦さも此処からの方が早えよつ!」
 見ると其処は町に入つて直ぐの三つ角になつてゐる。
 区長「おゝさうだ。んぢや直ぐだから帰りも頼んだぞ。村まで歩いて帰るんぢやおいねえからの、少し遅れても待つててくれよ」降りる。
 馭者「ようがす。軽便の待合の前に待つてるだから、大丈夫だあ。あんたも、又酒くらつておそくなつちまねえように来てくれるだぞ!」
 彦之丞、車を降り、豚をおろしつつ「あゝに、今日は飲むもんかよ。ぢやスミ、(スミの小豚を取りつつ)俺直きにすまして軽便さ行ぐからの、お前先きに行つて待つて居な。賃金は後で俺が一緒に払ふ。馬造公、頼んだぞ。(チラリチラリとお若の方を見ながら)……可哀さうにのう……」――豚を籠から出しにかかつてゐる。
 区長、彦之丞に「ぢや帰りは又一緒になるべえ」とポクポク歩き出す。
 二人と豚達を残して馬車は区長とは別の道を曲つて町に入つて行く。
 お若もそれについて行く。
○馬車がC町の、軽便鉄道の起点の駅に着き、その小さい待合室の前に停る。
 スミ、馬車を降りて待合の方へ。
 中年男は自分と信太郎二人分の乗車賃を払つて降りる。
 歩いて来たお若も最後から待合室の方へ。
 酒でも飲みに行くのか、他へ行つてしまふ馭者。
○待合室。
 スミ入つて行く。
 板張りの腰掛けの隅にモヂリを頭から被つて寝てゐる土方風の男。
 少し離れて旅商人(呉服・小間物)が掛けて、腰掛一杯に背負荷を拡げて包み直してゐる。鼻歌を唄ひながら。スミとお若の姿を見て、フロシキを片附けながらキサクに、
「さあさあ掛けなさい」
 スミ掛ける。お若は立つたまま他の事に気を取られてゐる。
 旅商人「悪い時に来たものさ。丁度今出たばかりで、次のは一時間半も待たなきやならねえ。これだから、私あこんなガタガタの軽便なんて嫌ひさ、アハハハハ。一時間半とは、間が有り過ぎらあ。いや、ブマな時あ、何もかもブマさ。おとついから三日、足をスリコギにして駆けずり廻つても、一反も売れねえ。たまに売れるかと思やあ、木綿針か羽織のヒモ位のもんだ。以前はこんな所ぢや無かつたが、いや近来此の辺の村も、酷いことになつて来たものさ。要するに、金が無いんですね。アハハハ。なんでも放火があつたつてえが、いや、こんな事になつて来ると、火もつけたくなるさ」――ベラベラ喋りながらお若のそぶりの変なのを見てゐる。スミ、お若の見詰めてゐる方を見ると、駅長室らしい所に刑事と青年が居るのが硝子戸越しに見える。刑事は駅長と何か話してゐる。信太郎は椅子にかけてうなだれてゐる。
 スミ「……あんた、掛けねえの?」
 言はれて、お若、スミの傍に掛ける。
 旅商人「なんですい?」
 うつむいてしまふお若。
 お若と駅長室の二人とをキヨロキヨロ見くらべてゐる旅商人。――やがてハハーンと言つた顔をして、お若を見詰める。
 旅客が一人入つて来る。
 それをキツカケにして旅商人、気を変へて、
 スミに「あんたあ、どこの村かね?」
 スミ「へえ……」
 旅商人「こんな歌知つてゐるかね? へへ……」少しいかがわしい流行歌を唄ふ。
 歌の意味がよくわからずニコニコして聞くスミ。
「うるせえな」と寝ながら言ひ放つ土方風の男。
 旅商人びつくりして歌をやめる。そちらを睨んでしばらく黙つてゐたが、スミに馴々しく話しかける。
「あんた、どこへ行くの?」
 スミ「あのう、東京へ……」
「東京? へえ。それは遠くへ、まあ。そいで東京へは、なんしにね?」
 スミ「あのう……」赤くなつて返事出来ぬ。
「一人でかね……あちらに親戚でも有るのかね?」
 スミ「へえ。……いいえ……」益々ドギマギする。
 旅商人「すると、御一緒かね?」と言つてお若を見やる。と、お若は腰掛けに置いた包みの上に突伏してゐる。
 スミ見てゐてから「あんた気分でも悪いのかね?」と肩に手を置く。
 お若ハツと起き直る。しかし顔を差し覗いてゐるのが親切さうなスミであるのを知つて、悲しげに微笑む。「……」
「気分でも良く無えの?」
「いいえ、あんでも無い。ありがたう」
 二人の若い娘の間にかもし出されるシミジミとした同情と感謝の気分。
 旅商人「あすこに連れられて行くのは、もしかすると、C村の放火をしたと言ふ犯人では無えかな?」
 その言葉で、先づお若が、次にスミが旅商人を見詰める。
 しばらくして、寝てゐた土方がノツソリ起きて、旅商人を見る。冷酷な獣の様な眼である。
 旅商人「いえさ、あれがよ」
 スミ、駅長室を見る。土方もその方を見る。――ヂツと見詰めてゐる。
 お若は旅商人を見てゐる――「いいえ、違ひます。信太郎さんは、そんな大それた事をする人ではありません!」
 その声に、駅長室を見詰めてゐた土方がお若を見る。
 穴の開くほど見詰めてゐる。
 待合室の大時計が秒を刻む音。
 待合室の表に人力車が二台ばかり着いて人が降りるらしい物音や人声。やがて裕福らしい紳士が、第二号夫人と言つた様子の女を連れて待合に入つて来る。「直ぐに出る車が有るかな? えゝと……」待合室の中が少しゴタゴタして賑かになる。
○スミ、父親の事を思ひ出し、外に出て行きかけるが席に荷物を置いてあることを思ひ出して引返し、どうしようかと困つた顔。
 それを見てお若「あの、御用ならば、わしが待つて居てあげますから……」
 スミ「ぢやチヨツクラ頼みます」
 スミ表へ小走りに出て行く。――出入口の角を急いで曲らうとしたトタンに、それまで其処の壁にピツタリ身を附けて待合室の内部を窺つてでもゐたらしい人に、ぶつつかる。
 スミ「あゝ、ごめんなせ!」
 見ると、短いケープを着た、変な、あまり清潔で無い洋装の極く小柄な少女(ユリ)である。少女はスミからぶつゝかられて、怒つてとがめでもすることか、いゝえ……と小さい声で言つて、オドオドした眼でニツと笑つて、段々尻ごみをして退り、待合の外の壁に添つて柵の方へ。
 スミ「チツとも知らなかつたもんだから……どうぞ、ごめんなせ」キクンと腰を折つて最敬礼であやまる。
 しかし今度スミが頭を上げた時には、既に少女の姿は見えなくなつてゐる。(建物の角を後退りに折れたのだらう)スミ、ばかされた様な顔付きで少しキヨトキヨト見廻すが大した事でもないので、まだ父は来ないかと町通りを眺める。――
 駅前のガランとした広場。それに続いて、田舎町の通りの風景のパースペクテイヴ。人通りも少く、勿論、父親の姿は無い。
 広場へ出て、もつとよく通りを見透さうとスミは広場の手前を横切つて、駅の柵の方へ近づく。
 柵の内側は、荷役をする場所になつてゐて、既に大半の積込みを済ませた小さな軽便鉄道の荷物車が二つ見える。
 スミが柵に近づくと、急にギーギーブウブウといふ鳴声がするのでヒヨイと見ると、二つの荷物車にはギツシリ豚が積込まれてゐるのが横板の間からのぞける。
 スミはびつくりしてそれに気を取られ、柵につかまつて、延び上つてそれを見る。
 荷物車の向う側でウロウロしてゐる人の姿が、車と線路の間からチラチラ見える。それが人夫でもなければ駅員でもなく、薄色のストツキングに踵の低い靴を穿いた細い足である。スミ不思議に思ひ、それを凝視する。足はスツと何処かへ消える。
 何だらうと思つて考へてゐるスミ。
 やがて再び町通りの方を眺めるスミ。
○通りを此方へ向つて、ひどくのけぞる様な格好でユツクリ歩いて来る人の姿。見るとそれは区長である。竹の皮包みを下げてゐる。待合室の前に置いてある乗合馬車の方へ。
 何かを非常に食ひ過ぎてゐるらしい。
 どうしたのかと、それに近附いて行くスミ。
 キクツキクツと区長はシヤツクリをしてゐる。
 馭者(既に馬車の上にゐる)「おそいなあ区長さん! もう出るぜえ!」
 区長「やあ、済まんのう。あんしろ――ゲツ」
 区長は馬車に乗る。
 スミ「小父さん! お父うがまだだから、もう少し待つてくだせえよう!」
 馭者「仕様無えなあ。彦さは又どつかでドブロク引つかけてんだ。早くしねえと困るがの? 暗くなつてしまふと、方々に崖があるで危ねえからな! チヨツ、仕様の無え飲んだくれだぞ!」――鞭を鳴らす。
 スミはヤキモキして通りを見たりする。
 四辺にポカリと電燈がつく。
 そのついたばかりの広場の街燈の下から、よろめき出るようにして、フラフラする足を踏みしめ踏みしめ走つて来る彦之丞。
 馭者「さあ、彦さ、乗つた乗つた! 出るぞ」
 彦之丞、スミに豚代金廿円余を渡す。豚の値が下つたのを悲しみ憤慨しながら。且、仲買人には前に借金が有つたのを差し引かれたために金が少くなつてしまつたことを嘆きながら。――「あんにしても、貧乏百姓が一番つまらねえて! カスを掴むはいつでも百姓だ。孫子の代迄百姓なんぞさせるもんで無えつ!」
 馭者が怒つて怒鳴る。それでも彦之丞がスミに向つて道中の注意や一六によろしくだの何のとグズついてゐるので、馭者、彦之丞の襟がみを掴んで馬車の上に引つぱりあげてしまふ。
 窓から乗り出した酔つた父と、スミの別れ。
 馬車、動き出す。
 窓から区長の手がヌツと出て、竹の皮包みをスミに握らせる。「さあ、これやるだから、汽車ん中で食べな、御馳走だ」ゲー、ゲー、と言ふ声。
 彦之丞「身体を大事にするだぞーつ! しよつちゆう便りを呉れるだぞーつ! 途中気を附けなよつ!」云々と窓から突出した腕を振つて酔つた声で呼ぶ父を乗せて、馬車は町通りを元来た方へ。
 それを見送つてスミの打振る手には竹の皮包みがブラブラしてゐる。馬車が町の彼方に消える。スミの眼に涙。
 (伴奏音楽)
 ヒヨイと気が附くと、あたりは少し薄暗くなつてゐる。
 スミびつくりして待合室に入つて行く。
 待合室は既に電燈で明るい。
 既に改札口は開いてゐて、お若と土方を残して他の旅客は全部、軽便に乗り込んでしまつた後である。
 土方が腕を組んで立つたまま、お若の顔をヂツと見てゐる。
 お若も土方を見てゐる。
 土方「……そいで、あんた、ついて行くのかね?」
 お若「へえ、信太郎さには、別について行つてやる人居ねえので、私、どこまででも、ついて行つて――」
 土方「どうするんだ?」
 お若「どうするつて……とんかく見とゞけてあげるです」
 土方「……さうかい、ふん」
 スミの入つて来たのを二人見る。
 お若「あゝ、あんた、早くしねえと、もう出るが」
 スミ「へい、どうも、ありがたう」荷物を取る。
 土方はノツソリ歩き出して切符を買ひ、改札口を出て行く。スミとお若、出札口へ。
「あんた、銭無えのではねえの?」
「いえ、有る。軽便だけは乗つて行く積りで来ただから」
「おら買つてあげる」
「いえ、そいじやお気の毒だ、そんな――」
「すれば、汽車にも乗つて行けら」
 スミ切符を二枚買つて、お若にやる。
 お若「……すみません。ありがたう」
 スミとお若、改札を出て客車へ。
○軽便鉄道の列車。
 列車と言つても、箱は小さい上に、人間の乗る箱は一番前の一つきりで、後の二つは豚を載せる箱である。だから此の各種の旅客達は、待合室よりも更に狭い旧式な箱の中に全部収容されたわけである。
 スミとお若が入つて行くと、旅商人が「さあさあ、此処が開いてるよ」と言ひ、先づスミの荷物を網棚に載せてくれる。次にお若の包みをも載せてくれる。礼を言ふ二人。
 土方が冷い眼をニヤリとさせて、その様子を見てゐる。
 更に視線を移して、ズツと離れて一番向ふの隅に陣取つた刑事と青年の方をヂロリヂロリと睨む。
 軽便はなかなか発車しない。
 連れの女を相手にボヤいてゐる金持の紳士「これだから嫌やになるんだ。いつそ自動車を雇つて[#「雇つて」は底本では「雇つ 」]D町迄飛ばすんだつたな。夜になつちまつた。これで又、この車が、丹念に一つ一つ停留所に停車して行く奴だよ。Dまで四時間では利かないかも知れん。こんなヘンピに遊びに来るのはもうコリゴリだ。保養が保養にならん」それに相槌を打つてゐる連れの女。
 向ふの隅に坐つた信太郎と、此方のお若は黙つて眼と眼を見詰め合つてゐる。
 発車のベル。
○そこへ駆け付けて来るサーカスの団員(中に楽士も二三人ゐる)一行の五六人。楽器などの荷物を持ち、口々にわめきながら、改札口をドヤドヤ走り入つて来て、車に乗り込む。――ダンサーの一人が逃げ出したことを語り合ひながら。(此の四五人はそのダンサーを捜しかたがた、サーカス団の殿しんがりとして最後まで残つてゐたらしいが、もう出発しないと次の町の興業に間に合はぬので、一人を捜査役に残して出発するのである)――「なにしろ、ユリもうまい事をやつたもんだよ。お蔭で迷惑を見るのは俺達だ。ユリが見つからねえと、ダンスがやれねえから、捜すのはお前達の責任だぞと来た。団長も人は好いけど、直ぐに責任と来るから、いやんなつちまわあ」――等々と喋る。
 箱の中は急に賑かになる。
 (この間に、短いが、いろいろの風景と会話が点描される)
 発車。
 外はスツカリ夜になつてゐる。箱の中だけが照し出されて明るい。
○心細い速力で走つてゐる客車の内。
 窓外には黒々とした山や森や川等の風景。
 ポツリポツリと寂しく人家の燈火が点綴する。
 時々、列車は停留所(停車場)に停る。走つてゐる時間よりも停つてゐる時間が永い位の停車である。
 単線のためホンの二三ヶ所で一二の乗客が乗つて来るだけ。
 お若がスミに向つてポツリ、ポツリ、と言葉少なに語り出す話。――二人の直ぐ前向ふの席の隅に坐つてゐる土方が怒つた様なムツツリした顔でそれを聞いてゐる。
 ――近くに坐つた旅商人も勿論聞いてゐる。
――(信太郎が地主放火犯人容疑者として引かれて行くやうになつた事情。……青年はかねてその地主の小作をしてゐたこと、地主から借金(滞納小作料)してゐたこと、最近小作料釣上げの問題から地主の方では小作田の取戻しにかゝつてゐて、それに就き信太郎の方から地主宅へ行つて交渉してゐたこと、極く最近に地主が青年をひどく撲り辱かしめた件の有つたこと、放火未遂当夜も宵の口に青年が地主邸へ行つてゐるのを村人から見られて居る事、そのために青年に対して好意を持つてゐる村人からまでスツカリうたがはれてしまつたこと等――。それから自分の境遇(少女の頃、製糸工場に女工に出てゐたが、病気になつて帰村し、貧しい兄の家に寄食して農業や家事を手伝つてゐた)と信太郎との夫婦約束のこと。(話の途中にも列車は一回停車する。話の一番デリケートな部分を停車中にさせるやうにはめ込む)
 スミ「そいで、あんた、どうすんの?」
 お若「E市迄ついて行きます。そこで裁判のすむのを待つだ。信太郎さは必らず無罪になります。あの人は火附けなどをする人では無えもの」
 旅商人「待つと言つても、どうして待つてゐるんだね?」
 お若「勤め口を捜します。まさかとなれば身体を金に代へてでも稼ぎます。信太さんには誰一人差入れをしてやる人も弁護士を頼んでやる人も居ないのです。それにあの人の留守の家には病気のお母さんと子供が二人居ります。仕送りをしてやらねえと、かつえて死んでしまふ。それを私がしようと思つて居ります」
 お若の顔を見詰めてゐる土方。
 旅商人「そいつはいま時感心な話だ。なんなら私が勤め口の世話をしてやらうぢやないか。E市には口入屋に知つたのが居るし、もし又間に人を立てるが嫌ならば、二三里離れてはゐるが△△町の銀座会館と言ふ一流のカフエーのコツクに懇意な男がゐるから、いつそ、私と一緒に其処に行つたらどうだね? あんた位の器量なら直ぐに置いてくれるよ。料理屋などと違つてチツプチツプで稼ぎは大きいしさ。私にまかせなさいよ。今夜はどうせ遅くなるから、Dに泊つてさ。私が連れて行つてあげるから――」云々とひどく乗り出して来る。
 土方「……とんだ男気のある仁も有るもんだ、アハハハ。だつてお前さん、あの人が火附けなどをする筈は無いと言つてたぢや無いか? んぢや、直ぐに調べが附いて放免になる筈だ。そんな大袈裟な事をすることも無いやね」
 お若「それはさうですけど、信太さんには前申したやうに真犯人と疑はれても動きの取れない事情が有るもんだで……いづれ急には、どうと言つて――」
 旅商人「さうだなあ。そいだけ口が揃つてゐるんぢやなあ」
 土方(お若に)「ふん。警察にしろ裁判所にしろ、あき盲ばかり居る訳でもあるめえ。本当に犯さねえ罪なら、やがては身は晴れるだらうさ。そんな事よりも、本当に怖えのは、親切さうに持ち込んで……ヘツヘヘヘ」
 旅商人「……おい君!」とからみかける。「君あ、なにか……」
 返事をしないでヂロリと見る土方。二人の睨み合ひになつて、白ける。
 スミはお若に同情して、父から貰つた金の中からその半分ばかりをやる。辞退するお若。それをキヨロキヨロ見る旅商人。――結局お若、心から感謝して金を受取る。
○退屈しきつて、楽器を引つぱり出してブーツと鳴らすサーカス楽士。他の楽士が欠伸しながら、「畜生、ユリの奴、逃げ出したりするもんだから、こんな不景気な目に合つて俺達が糞を掴むんだ。見附けたら只は置かねえから」等々々と喋つてゐる。
 連れの女に酌をさせてウイスキーを飲んでゐる金持紳士。
 汚い車室内に現出されてゐる小さい人生の姿。――
 しびれを切らして立上つて、通路をゴトゴトと一人ダンスみたいな事をする楽士。――靴が何か踏んづけたと見えて、下を見ると、スミが区長から貰つた竹の皮包みが床に落ちてゐる。「こいつあ、いけねえ」と楽士それを開けて見ると、カンピヨーとオカラの煮たのと、えたいの知れぬ草の煮たものがコテコテと入つてゐる。楽士、変な顔をして眼を近づけて見る。
 スミ(ヒヨイと見て)「あら、それ、おらのだ」
 楽士「あんたのですかい?」
 スミそれを取る。
 楽士「それ、なんです?」
 スミ「御馳走だ。区長さま下すつたで――」
 楽士「へーい。あんたあ、オカラと草を食ふのか? まるで兎みたいな人だなあ!」
 その辺の乗客がゲラゲラ笑ふ。
 まつ赤になり、困つて、デツキの方へ行くスミ。そこで竹の皮包みの中味を見てビツクリし、次にどうしたものかと弱つてゐる。ゲーゲーと言つてゐた区長を思ひ出してゐる。
 車が停車する。小さな駅。
 車掌――「十分間停車」言ひながら外を歩いてゐる。
 方々で欠伸の声。ボヤク声。小便に降りて行く乗客も居る。暗い外景。
 スミ、竹の皮包みのやり場に困つて、捨てようとして、首を出して見ると、客車の窓から肩を出して外を眺めてゐる乗客の姿。間が悪くなり、デツキから降りて、列車の後部の方へ歩いて行き、捨てようとする。
 豚の鳴声。
 スミが振返ると、後部の二輌の箱の板張りの間に、外に向つてズラリと並んでゐる豚の鼻ヅラの列。
 スミ、急になつかしい様な気持になり、近附いて内部を覗く。――自分のために売られた子豚達もしまひにはこんな目に会ふのだと思ひ、少し悲しくなりながら更に後部の方へ歩いて行く。
 竹の皮包みを貨車の中の豚にポイとはうり込む。そしてヒヨイと目を上げると、列車の最後の車――第三番目の後尾の車掌室(非常に狭い場所)の所に、デクデク肥え、鼻が上を向いた車掌が腰かけて、非常に小さな眼を眠さうに開けたままウツラウツラとしてゐたのが、ヒヨイと眼を開ける。が再び眠りこけてしまふ。その顔が豚に実によく似てゐるのである。
 前部――客車の方へ戻りかけるスミ。
○戻りかかつて、第二番目の箱の車掌室の前を通りかかり、ヒヨイと覗いたトタンに、その奥でムクムクと動いた黒いものがある。これも豚かと思つてよく見ると人間らしい。勿論車掌ではない。
 スミの方を見た顔は、夕方待合室の表でぶつつかつた少女――サーカスのダンサーのユリである。
 無賃乗車をしてゐたのである。
 スミ驚ろいて、どうしたのかと問ふ。
 ユリ「どうか、どうか、此の客車の人達には黙つてゐて下さい」哀願する。
 スミ「あゝ、あんたは、昼間、待合のとこで会うた人だね。どうしたんです。こんな所に?」
 スミとユリの対話。
 東京迄逃げて行くのだが、金を持つてゐないユリ。悲しいユリの切迫した境遇。
 (たつた一人の兄が東京で急病になり、危篤の通知を受けたけれども自分は曲馬団に雇はれてゐる身故、東京へ行かしてくれと頼んでみたけれど、どうしても許してくれないので、心ならずも逃げ出して東京へ向つてゐる)
 スミ、同情して自分まで泣き出す。
 スミ、再び金をやる。これで父親から持たされた豚代金はおしまひになる。ユリは、初め辞退するが、やがて感謝してそれを貰ふ。
 スミ「そいで、どんな風にして東京まで行くだ?」
 ユリ「この車で終点まで行き、いたゞいたお金で行ける所まで行つて、後は又なんとかして――」
 汽罐車の方でシユーツ、シユーツとエキゾーストを吹き出す響。
 それに元気を得た楽士達が一言二言喚声を上げて、二三の楽器で楽隊(「美しき天然」か何か)を奏し出した音。
 スミとユリびつくりしてゐる。
 やがてそれと悟り、ユリが青くなる。
 スミ「あゝ! 曲馬とやらの人が四五人乗つてる。あ、さうだ、あの人達、あんたの事話してゐたつけ、思ひ出した! あんでも、あんたを掴めえるために居残りさせられてゐたつう人達だ。このまま、これに乗つて行けば、いづれは見つかつてしまふ。どうしたらよかべ? どうすんの?」
 困つてウロウロするユリ。窓からヂツと前部の方を覗いたりする。スミもうろたへる。
 スミは早く此処を降りて、二つ三つ後に通る汽車で逃げろと言ふ。しかし、ユリの身装を見ると異様なダンサー姿である。このままで行けば、又直ぐ見つかつてしまふだらう。発車は迫つてゐるし、スミは仕方なく、ユリの洋服を脱がせ、自分の着物をスツカリ脱いでユリに着せる。
 発車の汽笛。
 泣いて感謝するユリをせき立てて、外へ下ろす。ユリは車の人に見つからぬやうに、這ふやうにして、闇へ。スミの方を向いて伏し拝みながら。
 列車は発車する。
○客車内。
 やつと発車したので、喜んでゐる楽土達。
 (楽曲の流れを此処でミートさせる)
 お若がキヨトキヨトして、スミの行方を捜してゐる。
 楽士達の楽隊が止む。
 土方もスミの居なくなつたのに気附いて、
 「あの娘さんは、どうしたのかね?」
 お若「へえ……私もさう思つて――」不安になつて立ちかける。
 旅商人「なあに、便所だよ。ヘツヘヘヘ!」
○第二番の車掌室では、
 下着一枚のスミが、洋服を着ようとして苦労してゐる。長いストツキングを引つぱつて見たり。恐ろしく短いスカート。――引廻しマントが有るので、からうじて外見だけはごまかせる。
 それを覗いてゐる豚達の鼻づら。
 外は暗い。
 洋服を上手に着ることは諦めて、車掌室の隅に、小さくなり、心細くうづくまるスミ。
 列車の進行。
 スミがウトウトしてゐる。
 不意に停車する列車。
 動揺のためにハツと我に返るスミ。
 「どうしたんだ?」「どうした?」と客車の方で騒いでゐる声々。
 後部の豚に似た顔の車掌が、スミの箱の前をサツと駆け抜けて行く。
 驚ろいて、首だけ出してスミが前方を見る。
 カツと明るいのは、少し離れた前方の線路の傍に旺んな焚火が燃えてゐる上に、カンテラの光と、列車のヘツドライトが丁度その辺を照し出してゐるためである。一人の保線工夫(丁度見廻りに来て、線路の故障を発見して警報のために焚火をするのと同時に、故障をなほしにかかつてゐた者)が、此方に向つて両手を振り、怒鳴つてゐる。小さい崖くづれが起きて、線路上にかなり大きな岩が二三個、転がり落ちて来てゐるのである。
 列車の運転士をはじめ、火夫、車掌等その方へ走つて行く。乗客連も次々に降りて、ゾロゾロ見に行く。
 「今夜あ、悪いことに一人で出て来ましてねえ、此処まで来ると、これだらう! しまつたと思つて、保線課へ通知しようと思つても、此の辺、電話あ無しさ。弱つてね。いいあんべえに、金テコと鶴ハシはかついで来てゐるんで、小さい奴二つ三つはどけちやつたが、あとはどうにも重くつて手に負えねんだ。なあに、線路は大して痛んでゐねえから、どけさえすれば、車あ通れねえ事あ無えが、なんしても大き過ぎらあ」
 運転士「とにかく、君、次の駅まで走つてくれ」
 走り去る車掌。
 直ぐには修復出来さうも無い。乗客達ボヤく。「おやおや。こんな所で立往生か!」等々々々。
 刑事「困つたなあ。(運転士と工夫に)とにかく、どけるやうに、やつて見てくれないか」
 「えゝ、しかしこれだけ大きいんですから」
 刑事「ちよつ、しようがねえな、全く……」
 「済みません。一つやつて見ませう」云々。
 工夫と乗務員達が、金テコを岩の下に差しこみにかかる。
 大ボヤキにボヤいてゐる金持の紳士。
 運転士が乗客達にあやまり、とにかく、車室に戻つて待つてゐてくれと頼む。
 愚痴タラタラで車の方へ歩き出す乗客達。
 先頭に進んでゐた楽士の一人が、
 「おやつ!」と言つて車の方をすかして見る。
 それは車掌室から、様子をうかゞひに這ひ出して、そこでウロウロしつつ此方の方を見てゐるスミの姿である。
 楽士「おい、あれは――?」
 他の楽士「あゝ、ユリぢや無いかな?」
 楽士達バラバラと走つて近寄る。スミ逃げ出す。
 列車をめぐつてにげ廻るスミ。
 崖くづれを取りのける仕事に加勢しようともしないで、ノソノソ列車の方に戻つて来た土方に逃げて来たスミがぶつゝかる。
 土方はスミを認めて「あゝ、あんた。どうしたんだ?」
 追つて来た楽士達が迫つて、やにわにスミを掴み、
 「ユリ、貴様あ、よくも!」「さあ、もう逃しはしないぞ!」等々言ひながら、こづき廻す。しかし楽士達も直ぐに人が違つてゐることを発見する。身装はユリであるのに人はまるきり違つてゐるので、どう考へてよいか解らず、面喰つてゐるのである。
 わけがわからず、スミと楽士達を見較べて黙つてヂロヂロ見てゐる土方。
 楽士達がスミに、どうしてユリの洋服を着てゐるのかと問ふ。スミそれに答へようとして、しかし答へると事情がわかつて再びユリが危くなることに思ひ至り、口ごもり、返事をせぬ。楽士達、詰問する。そして土方に「――いえね、私等あ、昨日までC町で打つてゐた曲馬団の者なんですけどね、十七になるダンサーが一人ずらかつたんですよ。私等あそれを捜すのを言ひつかつて、昨日以来どれだけ骨を折つたか、わからねえんだ。そのユリと言ふ奴の洋服を此の人が着てゐるんで――」
 土方「なんだか知らねえが、此の人なら怪しい者ぢや無え。ズーツと俺も道連れをして来た……」
 スミ「おスミ……」
 土方「おスミさん――だ」
 楽士「しかし、ユリの洋服を着てるんだから、係り合ひが無えとは言はせねえ。とにかくE市までは一緒に行つて貰ひたいね。警察へ行きや、話して貰へようからね」
 哀願するやうに土方を見るスミ。
 土方は、「警察」と言つた相手の顔をヂロヂロ見てゐるだけでだまつてゐる。
 楽士「いいね? 又にげ出しちや、困るよ」
 スミ「へえ……」
○崖くづれを取りのける工事をやつてゐる一群の方から、烈しい男の悲鳴が聞えて来る。振返ると、その辺、立騒いでゐる人影(乗務員、刑事、青年、お若、その他)。
 楽士連「あ、どうしたんだ?」
 楽士達の中の三四人はバラバラとそちらへ走つて行く。
 列車に戻つてゐた乗客連も再び現場へ走つて行く。
 楽士の一人は、スミを見張つてゐなければ再びにげ出しでもされるかと思つて、モヂモヂしてゐるが、現場の方の悲鳴は益々烈しくなるので、二人を振返りながら、現場の方へ走り出す。
 土方「――おスミさん。――全体どうしたんだ?」
 スミ「へえ――そのユリと言ふ人、おら、着物ばやつてにがしてやつたのです」
 土方「……ぢや、知り合ひなのかい?」
 スミ「いんね。この前の停車場んとこで、コロの箱の方さ行つて見たら、そん人、車賃なくて只乗りしてゐた。可哀そうだで、着物着がへて、銭やつて、そいで、あとの軽便乗るやうにつて、降ろして――」
 土方「さうか――」スミの顔を見てゐる。
○現場の人々の騒ぎは止まらぬ。
 土方、そちらへ行く。
 スミもそれについて行く。
 人々の間から覗くと、岩を早くのけようと焦つたために、少しゆらいだ岩に足の先を食はれて倒れて唸り声を立ててゐる保線工夫。
 それを囲んで人々の狼狽。
 乗務員や乗客の中の二三の男(――楽士)や刑事などが、その岩を反対側に動かさうとして岩に取りついて力を入れてゐるが岩は動かぬ。
 保線工夫「うーん。向う側の足の下のバラスの所ば掘つてくれ、さうすれば抜けるんだ! うーむ」
 運転士はやつきとなつて、鶴ハシを取つて、工夫の足の横を掘りはじめる。
 「そこだつ!」「もう少しだ!」等々々。
 全員の動き――。(カメラ)
 工夫の足が岩の下から抜ける。――トツサに飛び退く工夫。トタンに、下部を掘られたために岩を掘つてゐた人の方へ向つてグラリと動く。岩を押してゐた人々が飛び退く。
 見てゐる人達(特にお若)の叫び声。
 鶴ハシを打込んだ時に、岩がゆらいだために、退きそこなつた火夫が、その先を岩の下にグツと噛まれた鶴ハシの柄を肩にピツタリと附けて、全身の力で以て倒されまいと懸命になつてゐる。捨てて置けば力尽きて、倒れ、つぶされさうである。
 全員の動揺。
 捕縄のままの信太郎が何を考へる暇もなく、飛込んで行かうとした瞬間、
 「どけつ! 危い!」それを突除けてモヂリ外套をかなぐり捨て乍ら飛び出した男がある。むつつり傍へ立つてゐた土方である。
 スミ「あつ! あつ! 助けてつ! 助けてつ!」
 短い緊張した間。――
 パツパツとその辺を見て、やはり側に転がつてゐる手頃の岩を抱へて、鶴ハシの直ぐ側の岩の下に噛ませる。同時に
 「テコだつ!」
 二三人が転がつてゐる金テコを持上げて、土方に渡す。
 土方が、それを、大岩と小岩の間にグワツと突込んだのが瞬間である。いきなり中腰になり、金テコの末端を肩に当てて、ウムツ! と力を入れる。
 全てが一瞬間の出来事である。
 いつ傷ついたのか、レールをガツシリと掴んでゐる右手から、血がタラタラと垂れてゐる。
 全身の力で、重みをこらへながら、左手を火夫の方へ振り、
 「退いた! 退くんだつ!」
 息づまる瞬間。――
 緊張のあまりシーンとなつてしまつた人々の中から三四人の男達が、やつと、金テコに取り附く。起き直つた信太郎もその中に加つてゐる。はら/\するお若。
 土方「いいかつ! そら、ひのふのみつ!」
 その掛声と共に、今度はテコ応用で六七人の男の力が加はる。岩がグラリと傾き、勢ひが附いて転がる。
 線路の外へ出る。
 全員の無言の喚声。――緊張は直ぐには取れず、全員は呆然としたやうに顔を見合せてゐるのである。
 不意に泣き声がするのを見ると、――スミである。
 わきに立つたお若も啜りあげてゐる、信太郎も涙を浮べて笑つてゐる。火夫と工夫とが、土方に礼をする。それらを見廻しながら、黙つてゐる土方。
 大岩の取りのけられた後は、線路には三四岩があつても小さな奴なので、取りのけるのに大した手間はかかりさうに無い。
 人々の間にやつと喜びの話し声が起る。
 客車の方へ引き上げて行く乗客達。
○客車。
 今の騒ぎのことをガヤガヤと喋りながら、席を取る乗客達。
 血だらけになつた片手を拭きながら戻つて来る土方、その後ろからスミ。スミの後に引き添つて楽士。それからお若。お若のそばを離れようとしない旅商人。
 皆は、まるで英雄を迎へるやうにして土方を迎へるが、土方はムツツリしてゐて、どうしたのか酷く不機嫌である。最後から刑事に附添はれて戻つて来た信太郎が心から土方にすみませんと言ふが、土方はプイと横を向いてしまふ。
○金持の紳士が皆を代表したやうな口の利き方で謝意を表し、飲んでゐたウイスキーを土方に差さうとする。
 土方、ことわる。
 紳士、更にしつこく差す。
 土方「いらねえと言つたら」と振つた手がウイスキーの瓶とコツプに当つて、それが床に落ちて割れる。
 そのために何となく恐れをなして、スミに附きまとつてゐた楽士が、コソコソ立つて仲間の方へ行く。
 刑事「どうも御骨折、ありがたう。私はこんな者だが、人命救助として報告したいから――」
 土方、愛想も無く相手にならぬ。
 車掌が「会社の方へ申告して、御礼をする手続きをしますから、御名前と御所おところを――」と言つて来る。
 「礼が欲しくつてやつた事ぢや無いんだ」――なんだか怒りを含んだ声である。
 プイと窓の方を向いて相手にならぬ。
○スミが礼を述べる。
 スミにだけは返事をする土方。
 スミと土方の対話。
 「全く馬鹿な話さ。誰だつて、人の世話あ焼かねえ方がいいんだ。死ぬ奴あ、死んだ方がいいんだ。馬鹿な!」云々。何の事だかわからずにビツクリしてゐるスミ。
 時々トンチンカンな問ひをするスミを相手にして土方の述懐。
(ダイアローグはコンテイの際に。此のダイアローグは重要である)
 土方の哲学――悪徒のツムジ曲りの人生観――トツサの間に人命を助けたことに就ては、彼は自分自ら、そんな気持が自分の裡に残存してゐたことに就て、ひどく驚き、且、心外に思つてゐるのである。
 且、自分の人生観体系が、こんな事で崩壊したのを見るのが、彼にして見れば悲しくもあれば腹も立つ事である。
(地主邸に放火をしても平然として逃げつゝある自分がこんな風にトツサに人間らしい気持から人を救つたことが、彼には自分の敗北の様に意識されるのだ)――
 スミ「……あんの事だか、おらにや、わからねえ」
 土方「アハハハ、お前さんにや解らなくていいさ。――(急に真面目に)あの男あ東京に居る頃、千円あまりも俺に借りがあつたんだ。金ばかりぢや無え。世話だつて、どいだけやいてやつたか解らねえ奴だ。ハハ、こう見えても、私あ、元東京で手広く請負稼業をやつてゐた事がある。その頃の話だ。かうして今ぢや落ちぶれてしまつたがね。通りかかつたもんだから、彼奴の事思ひ出して、どうしてゐるかと思つて寄つて見りや、ユスリにでも来たかと思やがつて、十円パツチの包みを出しやがつて追払ひにかかるんだ。高利の金を貸して、人を泣かした揚句が、今ぢや地主か何か知らねえが、へん――あんまり癪に障つたから怒鳴つてやつたら、人を呼んで来て叩き出しにかかるんだ。あんまり、ナメた真似をしやがるから、――なあに、あんな奴あ叩き殺せばとて、世間の功徳にやなつても、悪かあ無え代物さ。腐れ金で建てた百姓家の一軒や二軒灰になつた位が何んだ!」
 スミ、びつくりして「へつ! あんですか?」
 土方「いや、さうぢやなからうかと言つてゐるんだ。ビツクリしなくともいい。アハハ。お前さんは気立てのいい娘だ。お前さんの様に腹ん中の綺麗な人を見るのは、私あ初めてだ。――東京に何をしに行くね?」
 スミ「一六さん、待つて居ります」
 土方「兄さんかね?」
 赤くなつて、かぶりを振るスミ。
 土方「御亭主か? さうか。ぢやお前さん嫁入つて行くんだね?」
 スミ「……(小さい声で)へい」
 土方「さうか、そいつは、めでたい。可愛がつて貰ひなよ。お前さんを嫁に持つ男は日本一の仕合せ者だ。さうか!」
 スミ「んで、小父さんは、こいから、どこへ?」
 土方「何処へ?……さうだ」
 考へてゐたが、隅の刑事と信太郎の方を見て、フイと立ち、ヂツと見詰めてゐる。――
 再び坐つて、お若を眼で捜して、少し離れた所に居るお若に、
 「あんたあ、町へ身を沈めるのは止しにして、村へ帰つて、あの人の帰るのを待つてゐるがよいよ。あの人は二三日したら放免されて戻つて来るさ。帰りな」
 お若は訳がわからず反問する。
 土方「俺がさう言つてゐるんだ。俺の言ふ事が信用ならねえのか!」と怒鳴る。
 お若「では帰ることにします」
 やつと笑ひ出す土方。
 土方の血だらけの〔手を〕手当してやるスミ。
 スミに向つてする土方の短い述懐。
地主邸放火の件を自首して出る気になつてゐる事を短く、鋭く。
それは悔悟の気持からではない。人生観の自己崩壊からである。――この点を強くダイアローグの中に入れる。
 無心にホータイをしつつ聞いてゐるスミの手の甲にポタリと落ちて来たものがある。
 びつくりしてスミが見上げると土方の眼に涙が一杯。涙を拭きもしないで、スミを見たまま頬笑んでゐる土方。
○そこへ車掌が来て、線路の岩の取りのけがスツカリ済んだから、直ぐ発車しますと告げる。
 喜び湧立つ車室内。
 楽士達が、おどり上つて楽器を鳴らしはじめる。楽隊。(音楽、楽隊。元気の良い行進曲かなにかを)
○列車動き出す。初め徐行。崖くづれの個所を通り過ぎた後で速力を出す。
 客車内は明るい。喜び勇んだ乗客達と、豚達と、それから、鳴り渡る奏楽を乗せた列車が、暗い夜の中を走る。(朝にすれば変る)
○E市の警察署(らしい)近くを刑事と信太郎、それに曲馬団の一人に連れられたスミが行く。
 少し離れて、お若が行く。それから土方が附いて行つてゐる。その後からキヨロキヨロと旅商人が追つて行く。
 警察署の表札の下部が見える。
 その門内へ、右の人々が次々に入つて行く。土方も入つて行く。
 門の所に旅商人だけが取残されてポカンとしてゐる。
○鬚を生やして眼鏡をかけた制服の人(署長)が何か聴取してゐるらしい顔。
 壁の上の八角時計。
○制服を着た右手が、壁につるした大きなメクリ暦を一枚めくり、二枚めくり、三枚めくる。
○朝。
 陽がカツと明るく照してゐる。
 通用門の外である。代書屋がある。
 代書屋の前でシヤガンで、人待顔に通用門の方を見てゐるのは旅商人。
 通用門から、ニコニコして包みを持つた信太郎来る。
 続いて荷物を持つたスミ。それからお若。三人とも喜色を浮べて。――スミは片手を廻して背をポリポリ掻いてゐる。
 信太郎とお若がスミに礼を述べる。
 そしてお若が「私達は真直ぐ村に帰るので、これは要りませんから、どうぞ取つて下さい」
 と貰つた金を返す。
 「しかし汽車賃が要るだから」とその中の二三円をお若にやるスミ。頂いて礼を述べる信太郎とお若。
 スミ (門内を振返つて)「んでも、あの小父さんもなるべく軽くて済めばよい」
 三人門内を振返つてゐる。
 やがて三人、互ひに旅の無事を祈り合ひ、なつかしさうに涙ぐみつゝ振返りつゝ別れる。(スミは省線の駅の方へ。信太郎とお若は軽便の始点の方へ)――
 ガツカリ見送つてゐる旅商人。
○スタスタ急ぐスミ。
 「おすみさん――と言ひましたね」振返ると旅商人だ。
 「これからどちらへ?」
 返事をせず歩き出すスミ。しつこく追つて来て色々話しかける旅商人。果ては荷物に手を掛ける。
 振返つて、いきなりスパツと相手の頬に平手打ちを喰はせるスミ。向直つてトツトと歩いて行く。――
 毒気を抜かれてポカンと見送る旅商人。
○上野駅のプラツトホーム。
 心配そうに焦々して待つてゐる楠一六。彼の手に電報。
 その発信局の名がE市の駅。それが彼には訳がわからぬ。
○列車到着。
 一六、眼を皿にして捜すがスミの姿無し。箱を次々にあわてて捜して行く。
 旅客の殆んど降りてしまつた降車口から、恐ろしく風変りなツンツルテンの洋装で降りて来る女。
 一六には初め、それとわからぬ。やがてスミを認めるが、その変り方の異様さに驚ろき呆れて、口を開けて見てゐる。双方見合つて永いこと立つてゐる。
○スミ、声を上げて泣き出す。一六をこづき廻すやうにし、しまひに、むしやぶり附いて行くスミ。
(めでたし、めでたし)

(附記)
――これは、久しい前に、こんな風な筋と匂ひを持つた話を書き度いと思つてメモしてして置いた草稿で、不満な点も多いし、それに各所の細部やダイアローグがまだ書いてない。ちやんと書き改めて発表すれは良いのですが、急な話で今その時間が有りませんので不本意ながら未完成のまま一応読んでいたゞきます。今後出来る丈け早く書き改めようと思ひます。特にもし誰かがこれを映画化して呉れる機会でも有つたら、その際ウンと補筆する予定です。(三好)

底本:「三好十郎の仕事 第一巻」學藝書林
   1968(昭和43)年7月1日第1刷発行
初出:「シナリオ文学全集四」
   1937(昭和12)12月
入力:伊藤時也
校正:及川 雅・伊藤時也
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※アキの有無、字下げ、仮名表記のばらつき、新字と旧字の混在は、底本どおりにしました。
※「〔〕」内は、底本編集部による注記です。「…カ」は、不確かな推測によるものをあらわしています。
2009年10月6日作成
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