青丘雑記せいきゅうざっき』は安倍能成氏が最近六年間に書いた随筆の集である。朝鮮、満州、シナの風物記と、数人の故人の追憶記及び友人への消息とから成っている。今これをまとめて読んでみると、まず第一に著者の文章の円熟に打たれる。文章の極致は、透明無色なガラスのように、その有を感ぜしめないことである。我々はそれに媒介せられながらその媒介を忘れて直接に表現せられたものを見ることができる。著者の文章は、なお時々夾雑物きょうざつぶつを感じさせるとはいえ、著しくこの理想に近づいて来たように思う。これは著者の人格的生活における近来の進境を物語るものにほかならぬ。そうしてそのことを我々はこの書の内容において具体的に見いだすことができるのである。
 著者はこの書の序文において、「悠々たる観の世界」を持つことの喜びを語っている。この書はこのような心持ちに貫かれているのである。そうしてまさにその点にこの書の優れたる特色が見いだされると思う。
 観照もまた一つの態度としては実践に属する。それは時にあるいは有閑階級にのみ可能な非実践の実践として、すなわち搾取者の奢侈しゃしとして特性づけられ得るであろう。あるいはまた怯懦きょうだな知識階級の特色としての現実逃避であるとも見られるであろう。しかしこれらの観照は「悠々たる」観の世界を持つものとは言えない。人が悠々として観る態度を取り得るのは、人間の争いに驚かない不死身な強さを持つからである。著者はシナの乞食の図太さの内にさえそれに類したものを認めている。寒山拾得かんざんじっとくはその象徴である。しからば人はいかにして不死身となり得るか。我を没して自然の中に融け入ることができるからである。著者はこの境地の内に無限に深いもの、無限に強いものを認める。「悠々たる」観の世界はかかる否定の上に立つものにほかならぬ。
 ところでこの「否定」は単なる否定ではない。それは著者によれば「本来の境地」の把捉である。いいかえれば「そこよりいで来たるその本源の境地に帰る」ことである。しからばその否定は否定の否定であり、従ってこの否定において没せられる我そのものがすでに一つの否定態でなくてはならぬ。著者はこのことを明白に論じてはいないが、自然と人事とを観る態度の「悠々たること」は実はここにもとづくのであり、また否定の陰に肯定のあることを関説するのもここに起因するのではないかと思う。
 悠々として観る態度が否定の否定を意味すると見るとき、我々はこの書の優れたる力を充分に理解し得るかと思う。著者は朝鮮、シナの風物を語るに当たって、我を没して風物自身のしみじみとした味を露出させる。しかもこれらの風物は徹頭徹尾著者の人格に滲透せられているのである。「観る」とはただ受容的に即自の対象を受け取ることではない。観ること自身がすでに対象に働き込むことである、という仕方においてのみ対象はあるのである。我は没せられつつ、しかも対象として己れを露出して来る。ここに著者の風物記の滋味が存すると思う。
 もちろん著者が顕著に個人主義的傾向を持つことは覆い難い。日本の文化や日本人の特性が批判せられるに当たって最も目につくことは個人の自覚の不足が指摘せられている点である。この不足のゆえに公共生活の訓練が不充分であり、従ってあらゆる都市の経営が根柢こんていを欠いている。日本人はまだ都市の公共性を理解しない、これが著者の嗟嘆の一つである。しかしこのことは否定の否定が実現せられ得るためにまず第一の否定が明白に行なわれねばならぬことをさしているにほかならぬ。著者が一人旅の心を説くのも、我執に徹することによって我から脱却し、自然に遊ぶ境地に至らんがためであった。ただ我執の立場にとどまる旅行記からは、我々は何の感銘も受けることができない。脱我の立場において異境の風物が語られるとき、我々はしばしば驚異すべき観察に接する。人間を取り巻く植物、家、道具、衣服等々の細かな形態が、深い人生の表現としての巨大な意義を、突如として我々に示してくれる。風物記はそのままに人間性の表現の解釈となっている。特に人間の風土性に関心を持つ自分にとっては、これらの風物記はみ尽くせぬ興味の泉であった。
 著者が故人を語るに当たって示した比類なき友情の表現もまた同様に脱我の立場によって可能にせられている。特に人を動かすのは浅川巧あさかわたくみ氏を惜しむ一文であるが著者はここに驚嘆すべき一人の偉人の姿をおのずからにして描き出している。描かれたのはあくまでもこの敬服すべき山林技師であって著者自身ではない。しかも我々はこの一文において直接に著者自身と語り合う思いがある。悠々たる観の世界は否定の否定の立場として自他不二の境に我々を誘い込むのである。

底本:「和辻哲郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年9月18日第1刷発行
   2006(平成18)年11月22日第6刷発行
初出:「帝国大学新聞」
   1933(昭和8)年1月16日
※編集部による補足は省略しました。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年10月21日作成
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