目次
一、余、はじめ紀行、日記等は編述せざる意なりしが、友人来たりて曰く、近来洋行者はなはだ多く、紀行、日記またすくなからずといえども、いまだ宗教、風俗に関したる紀行を見ず。君、よろしくその洋行日記を編成して世上に公にすべしと。余、よって懐中日記を出だしてこれを示す。友人曰く、これにて足れり。世人、君より政教の事情を聞かんことを欲するや切なり。君、速やかにこれを刊布すべし。余、よって懐中日記中より日月地名を除き去り、もっぱら宗教、風俗に関したる種目のみを取り出だし、一編の冊子となせり。仮に題して『政教日記』という。
一、この書、題して『政教日記』と称するも、もっぱら宗教と風俗とに関したる事項のみを掲出せり。しかして、各国の政教関係論にいたりては、他日別に編述することあるべし。
一、この書、むしろ洋行雑記にして、宗教、風俗のほかに種々雑多の事項を混入せざるにあらず。そのうち往々政教上に必要ならざるものあるべしといえども、帰朝後意外に多忙にして、緩々訂正取捨するのいとまなければ、その日記中、草案のまま編成するに至る。読者請う、これを了せよ。
   明治二十二年八月
著者 しるす
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 政教子、一日机により新紙を読むに、天下の論鋒ようやく進みて政教の版図に入り、舌戦、筆闘、壇上やや穏やかならざる事情あるを見る。立ちて社会の風潮をうかがえば、政海の波ようやく高く、教天の光ために暗きを覚ゆ。政教子すなわちおもえらく、これ、あに書窓に閑座するのときならんや。けだし政教子の人たる、春来たれば野外に鶯花をたずね、秋来たれば窓間に風月を弄し、その心つねに真理を友とし、その口みだりに世事を談ぜずといえども、あえて国家のために思うところなきにあらず。一変一動に際会するごとに、いまだかつてその国を思わざるはあらず。いわゆる江湖の遠きにおりて、その国を憂うるものなり。この憂国の情、鬱々として胸襟の間に積滞し、一結して悶を成し、再結して病を成さんとす。その平常、春花に詠じ秋月に吟ずるがごとき、ただこの病悶をいやせんとするにほかならず。今やわが国、政教の関係ようやく密に、政教の論場ようやくやかましく、まさにその影響を一国独立の上に及ぼさんとするの勢いあり。政教子ここにおいて、奮然一起して遠洋万里の途に上り、欧米政教の大勢を一見せんとするに至りしなり。
 政教子曰く、山高くして大ならざるものあり、大にして高からざるものあり、その高きものは衆目に触れやすし。ゆえに、人これを指して高山峻嶺と称す。その低きものは、人その山たるを覚えず、ただこれを広原平野と呼ぶのみ。しかして、この二者中いずれが最も地球の重量を成すに加わりて力ありやというにいたりては、その低きもの一歩もその高きものに譲らざるのみならず、かえってはるかにその上に出ずるなり。今、政府の事業たる高山危峰のごとし、民間の事業たる広原大沢のごとし。もし、その品位の高低を較すれば、民間の事業はあるいは政府の事業に及ばざるも、二者中いずれが最も一国の重量を成すに加わりて力ありやというにいたりては、政府の事業は民間の事業に及ばざること遠し。畢竟するに、政府の事業それ自体民間の事業の一部分にして、ただその品位のやや高きものなるのみ。しかるにわが国、維新以来、人の汲々孜々として力を改良振起に尽くしたるものは、政府の事業もしくは会社の事業にして、最も衆目に触れやすきもののみ。ゆえに、これらの事業は大いに進歩の実跡を見たるも、その衆目に触れざる事業にいたりては、いまだ寸分も進歩の徴候を見ず。例えば、風俗交際のごとし、精神気質のごとし、人物人品のごとし、徳義のごとし、礼節のごとし。その改良は一国の改進に欠くべからざるものにして、いまだ一人のその意をこの点に注ぎしものあるを聞かず。ゆえに、余はこれよりもっぱら力をこのことに用いて、政教の一分を補い、治道の万一を助けんと欲するなり。
 人あり、政教子に問うて曰く、君は哲学をもって自ら任ずるものにあらずや。しかるに今、政教に関するはなんぞや。政教子曰く、政教すなわち哲学なり。哲学に理論哲学あり、実際哲学あり、政教は実際哲学に属す。理論哲学の目的は真理を発見するにあるをもって、人外に道を講究せざるべからず。実際哲学の目的は実益を興起するにあるをもって、人中に道を応用せざるべからず。すなわち、理論上発見するところのもの、これを応用しては実際となり、実際上応用するところのもの、これを論究しては理論となる。形而上哲学、心理学等は理論哲学なり、宗教学、教育学等は実際哲学なり。この二者互いに相まちて、互いに相全きことを得るなり。しかして、世の勢いと国の情はときどき同じからざるをもって、二者を研究するに先後、軽重の次第なきあたわず、理論を先とすることあり、実際を重しとすることあり。今わが国の事情は、実際を重しとせざるべからず。これ、余が実際哲学すなわち政教学を講ずるゆえんなり。
 政教子曰く、およそ人には必ず二様の見あるを要す。その見一様に偏すれば邪見となり、その見二様の中を得れば正見となる。政治家は政治に保守と改進の両主義あることを知らざるべからず、哲学者は哲学に理論と実際の二学派あることを知らざるべからず。その一を取りて他を捨つるは正見にあらず、二者相合してよくその中を得れば正見なり。しかれども、世論は常に動揺して一定すること難きをもって、その論あるいは保守の一方に偏し、あるいは改進の一方に偏するを免れず。このときに当たり、人もしその中正を保たんとするときは、その勢い保守の一方を取るか、しからざれば改進の一方を守らざるを得ず。これ、他なし。ただ、時変に応じてその中を維持せんと欲するのみ。ゆえに、保守の一方を取るものは、改進の同等に必要なることを記せざるべからず、改進の一方を守るものは、保守の同時に廃去すべからざることを知るを要す。この理は、ひとり政治の上に存するのみならず、百事百物の上に存するなり。人もしその生命を保全せんと欲せば、身体を養うと精神を養うと同等に必要なることを知らざるべからず。学者もしその名誉を立てんと欲せば、真理を愛すると国家を愛すると同様に必要なることを知らざるべからず。余は、この二者の偏廃すべからざることを知るものなり。ゆえに余は、真理を愛すると同時に、国家を愛するものなり、真理のためにその心を尽くすと同時に、国家のためにその力をつくすものなり。これ、余が内にありて理論哲学を講じ、外に出でて実際哲学を説くゆえんなり。これ、余が理論上、教育、宗教の原理を究めて、実際上、風俗、人情の改良をはかるゆえんなり。余が今回の遠遊もまた、この目的を達するにほかならず。
 政教子曰く、国の本は兵力にあるか、商業にあるか、金銭にあるか、学問にあるか。もしこれを兵力にありとするときは、兵力の本はなににあるかを知らざるべからず。もしこれを商業にありとするときは、商業の本を知らざるべからず。金銭、学問またしかり。余をもってこれをみれば、国の本は人にあり、人の本は精神にあり、精神ひとたび定まりて、初めて国家の富強を講ずることを得るなり。兵力も商業も学問もみなこの精神によりて、初めてその活用実功を見ることを得るなり。しかして、その精神を一定するの法は教育によらざるべからず。そのいわゆる教育は、ひとり学校の教育をいうにあらず、ひとり知力の教育を指すにあらず、社会百般の事々物々、政治、宗教、人情、風俗より天文、地理、気候、地味にいたるまで、いやしくもわが体外に囲繞せる万象万化、みなことごとくわれを教育して一時も休まざるものなり。ゆえに、人もしこの種の教育法を講ぜんと欲せば、事々物々について、そのわが精神上に及ぼすところの影響、結果を考えざるべからず。かくのごとき教育は、もしこれを学校の小教育に比すれば、実に大教育といわざるべからず。余は、この大教育をもって自ら任ぜんと欲するものなり。
 政教子曰く、わが国有形上の文明は、今日すでに欧米諸国の模範を取り、ほとんど大成すといって可なり。しかして、無形上の文明すなわち余がいわゆる精神上の文明は、いまだ全く着手せざるがごとし。そのうち着手せるものは、ただ大・中・小学校の教育のみ。これ、他なし。無形上の文明は、有形上の文明のごとくたやすく模擬することあたわず、かつその進歩は永き歳月を要するをもって、一両年間にその成功を見ること難ければなり。しかれども、もしわが国をして西洋に対立抗敵せしめんと欲するときは、必ず無形上の文明を振起するを要す。そのことたるや、難中の至難なりといえども、また要中の至要なり。ゆえに、これを至難なりとして決して放棄すべからず。わが邦人も数年来ひとり外形上の文明を奨励して今日に至り、初めてわが無形上の文明は、はるかに欧米の下にあることを発見したるがごとし。商業に従事するものは、わが商人の小利小欲に汲々として大利を忘れ、公衆永久の信用を重んぜざるの弊あるを憂え、学術に従事するものは、わが学生の小成に安んじて耐忍、進取の気風なきを憂え、政治社会に立つものは、わが人民の議論つねに軽躁に走りて遠大の見識なきを憂え、会社事業をとるものは、わが人民の結合力に乏しきを憂う。これみな、精神上の文明いまだ欧米に及ばざるによる。しかして、世間いまだこの精神上の文明を任じて、わが国をして西洋人同等の地位に進めしめんとするものあるを聞かず。これ、余がひとり惑うところにして、自ら進みてその任に当たらんと欲するゆえんなり。
 人あり、説をなして曰く、無形精神上の文明は、宗教の力によらざれば進むることあたわず、しかしてその宗教はヤソ教に限ると。政教子曰く、宗教は直接に人の精神に関係するをもって、その進歩すなわち精神上の文明を進むることを得るは必然なりといえども、精神上の文明を進むるの方法は、決して宗教のみに限るにあらず、いわんやその宗教はヤソ教に限るというにおいてをや。余輩、ここに至りて一言弁明せざるをえず。今、ヤソ教は精神上の文明を進むるの力あるゆえんを証せんと欲せば、まず歴史上、ヤソ教と西洋の文明の関係を知らざるべからず。中古、ヤソ教の欧州を一統し、学問、芸術みなヤソ教にもとづきて講究したる時は、精神上の文明最も発達せざりし時なり。すなわち、この時を歴史上にて中古の暗世と称す。しかして、近世文化のにわかに興りたるは、ヤソ教中より出でたる結果にあらずして、ヤソ教外より発したる影響なり。すなわち、十字軍の東征よりアメリカ発見、インド洋航海等のこと起こり、欧州の人民ただちにアラビア、インド等の新文物に接し、これをその国に伝来し、加うるに当時ギリシアの古文学再興せるをもって、新旧相合して文明の新元素を醸成するに至れり。これ、すなわち今日の文明の起源なり。そのいわゆるインド、アラビアはヤソ教国にあらず、ギリシアまたヤソ教国にあらず。果たしてしからば、ヤソ教国の文明は、仏教国、イスラム教国等の源泉より流出せるものなり。
 かの近世星学の祖先たるコペルニクス、ガリレイ、ブルーノ等は、みなヤソ教の旧説に抗して天文の新知識を与えたるものなり。かの近世哲学の祖先たるデカルト、スピノザ等は、みなヤソ教の妄見を脱して思想の新世界を開きたるものなり。近世の学術の新理一歩進むごとに、ヤソ教はその旧来の解釈を変じて、学術の原則に付会せんことをつとむるにあらずや。もし、果たして欧米諸国の駸々として文明に進むゆえんのものヤソ教に由来すというときは、ヤソ教の炎勢は、その文明とともに次第にさかんならざるをえず。しかるにその教、近年に至り著しくその勢力を減じ、大いに衰微の兆候を現ぜしはいかん。もしまた、精神上の文明はヤソ教より発生すというときは、ヤソ教を信ずるものに限り美徳を有すべき理なり。しかるに、欧州上流社会はヤソ教を信ずるものかえって少なく、ヤソ教を信ぜざるものにしてかえって美徳を有する者多しという。これによりてこれをみるに、欧米精神上の文明は、決してヤソ教中より発生せるにあらず、決してヤソ教の感化をまちて進達せるにあらず、ただ社会の風俗、習慣、経験、教育等の結果なり。その風俗、習慣、経験、教育は、今日今時に始まるにあらず、数世の間、人々社会の間に競争淘汰せる結果なり。例えばここに一商あり、詐欺を用いて商業をなし、他商あり、真実を用いて商業をなし、二人相競争するときは、その結局、詐欺の真実にしかざることを知るに至る。ここにおいて、真実は商業上に必要なることの風説を社会の上に流すに至り、その説相伝えて風をなし、俗をなし、一般の性質となり、自然の教育となり、善良の商人を化成するに至るなり。ゆえに、余はこれを競争の結果という。
 わが人民は数千年来太平の海波に浴し、数百年来外国の交際を絶ちしをもって、未競争、未経験の人なり。これに反して、西洋人は既競争、既経験の人なり。われがこの人民と競争して今日及ばざるは、もとより道理のあるところにして、決してその人民ヤソ教を奉信するによるにあらざるは明らかなり。しかるに、わが邦人もしこの道理を知らずして、精神上の進歩はひとりヤソ教に任じて、さらにこれを進歩する方法を講ぜざるときは、ただにその進歩の実功を見ざるのみならず、余はなはだ恐る、わが国の文明はようやく退歩して、欧州中古の暗世と同一に帰せんことを。これ、余が欧州政教の実際上の関係を視察せんことを欲せしゆえんなり。これ、余が今度遠遊を計画したるゆえんなり。
 政教子曰く、器機的の文明は、今日西洋に存するものをただちにわが国に適用することを得るなり。例えば汽船、汽車のごとし。西洋の舟車を買ってこれをわが国に用うるも、その実用あるにいたりては同一なり。しかるに社会的の文明、別して精神上の文明は、平易即時に模擬適用することあたわざるのみならず、その国風、民俗に応じて、その用法を異にせざるべからず。語を換えてこれを言えば、西洋の文明をひとたびわが日本の腸胃に入れ、これを消化吸収して一個の日本的の文明となさざるべからず。例えば、北米合衆国は共和政治にして、その国いたって富み、その文明いたって盛んなりといえども、決してただちにその風をわが国に適用すべからず。もし、ただちにこれを適用すれば、わが国体を害し、わが人心をそこない、わが国の生存独立の上に大影響あるを免れず。ゆえに、もしこれを適用せんと欲せば、まずその文明を消化変質して、わが従来系続せる国体の原形を保持せしむるを要す。なんとなれば、社会は一個の生活物にして、動物の発達と同一の規則を有すればなり。例えばここに一動物あり、もしこれを養育せんと欲すれば、必ず外物をひとたびその消化機関の中に入れ、これをしてそれ自体の原質に変化せしむるを要すると同一般なり。
 宗教もまたしかり。わが国には千百年来、わが国体、民情に適合せる宗教あり、西洋各国にはその国体に適合せる宗教あり。すなわち共和政治の国には、共和政治とその性質を同じくする宗教あり、米国の宗教これなり。君民共治の国には、その政体と同組織を有する宗教あり、なお英国の国教宗のごとし。君主専制の国には、その国体と同主義の宗教あり、ロシアの国教のごとし。しかして、皇統一系の国には僧統一系の宗教あり、わが国本願寺宗のごとし。本願寺宗の僧統一系は、決して偶然に起こりしにあらず、一方に皇統一系あるによる。一方に皇統一系あるは、わが古来の人民、血統を重んぜしによる。人民、血統を重んずるをもって、一方には皇統一系あり、他方には僧統一系あり。両方に血統一系あるをもって、人民ますます血統を重んずるに至るは自然の勢いなり。ゆえに、この二者互いに相助くるところあるは必然なり。もし、人みな僧統一系の非理なるを知りて、わが国の教会ことごとく自由共和主義を用いて組織するに至らば、これとともに、わが人民の血統を尊重する風習、また次第に破るるに至るべし。ゆえに余曰く、各国みな、その国に適合せる一種特別の宗教あり。これをもって欧米各国はその表面のみは一般にヤソ国と称するも、その国特有の宗派を用う。すなわち、ロシアはギリシア教を用い、ドイツは新教を用い、フランスは旧教を用い、英国および米国は新教を用うるなり。しかして、ロシアのギリシア教はギリシアおよびトルコなるギリシア教と同名異実にして、全く異なりたる組織を有し、ドイツの新教と英国の新教と米国の新教およびフランス、スイスの間にある新教は、おのおの全く異なりたる宗派にして、その組織もとより同じからず。これ、なんの理によるや。けだし、かくのごとく宗派および組織を異にするは、その国の独立上必要なる理由あるによる。
 これによりてこれをみるに、将来わが国の宗教を改良せんと欲せば、文明の元素をひとたびわが従来の宗教の胃管の中に入れて消化するを要するなり。そもそもわが国従来の宗教中、仏教のごときは悟道といい安心といい修身といい斉家といい、その教理にいたりてはヤソ教に説くところのものを含有せざるはなし。また、これを応用して実際上、ヤソ教と同一の結果を生ずることあたわざるの理なし。ただ、その教の今日に振るわざるは、教にあらずして人にあり。この人を改良すれば、宗教おのずから改良を得べし。しかして、この人を改良するは国家の文明上最も必要のことにして、現今わが国にある僧侶およそ七万人と称す。この七万人は三千七百万人の一部分にして、みな同一種の日本人たり。西洋人日本に来たりて、わが僧侶の品行下等の地位にあるを見れば、その国に帰りて必ず人に語りて曰く、日本国の野蛮推して知るべし。僧侶の不道徳かくのごとし。すなわち、僧侶の不道不徳は日本人一般の野蛮を代表するなり。ゆえに、日本国をして欧米同等の文明国となさんと欲せば、まず人を教導するをもって本職とする僧侶を教育せざるべからず。もし人ありて、わが国の僧侶はともに談ずるに足らざれば、これを捨てて外国の僧侶をまつべしといわば、これ日本国あるを忘れ、日本人あるを知らざるものなり。
 近年、世間の論ようやく移り、しきりにヤソ教を主唱するものあり、仏教を排斥するものあり。しかして、かれを主唱するものかれを知らず、これを排斥するものこれを知らず。ただ、その口実とするところ、ヤソ教は欧米諸国の宗教なり、開明社会の宗教なり。ゆえに、わが国ひとたびヤソ教を用うれば、国家を富強にすることを得べし、人知を発達することを得べし、欧米人民の愛顧を受くることを得べし、開明社会と交際を通ずることを得べしと惑えるもまたはなはだし。もしその論者に向かいて、英国のヤソ教と米国のヤソ教とその異同いかん、ドイツのヤソ教とフランスのヤソ教とその区別いかんをたずぬるときは、さらに答うることあたわざるべし。彼ただ曰く、これみなヤソ教なれば、定めて同一なるべしと。ああ妄なるかな、論者の言や。ヤソ教中の甲派の乙派に異なるは、その一派の仏教の一派と異なるよりはなはだし。かつ欧米各国みなその国固有のヤソ教ありて、宗教を論ずるもの、決してわが国のごとく、ロシアのヤソ教もフランスのヤソ教も英教も米教も混同して主唱するにあらず。宗教に一定独立の見なきは、ひいて一国の上に及ぶ。いやしくも国家の独立に志あるもの、あに戒めざるべけんや。これ、余が国家のために、欧米政教の関係を実視せんことを欲せしゆえんなり。
 政教子曰く、およそ一国の独立を維持するに、最も必要なるもの三種あり。曰く、言語なり、歴史なり、宗教なり。言語、歴史の必要は、人すでにこれを知る。しかして宗教の必要にいたりては、これを知るものはなはだ少なし。今その必要なるゆえんを述ぶるに、第一に、一般の学術は真理を将来に期し、今後いよいよ進みてこれに達せんことを目的とするをもって、旧を去りて新に就くの性あるものなり。しかるに、宗教はその真理既往に定まるをもって、旧を守るの性あるものなり。今、日本国をして永く日本国たらしむるには、その従来日本国たりし精神、思想を維持するを要す。ゆえに、宗教を維持すれば、この従来の思想を維持することを得るなり。第二に、一般の学術は真理いまだ一定せざるをもって、衆説一致せざるの憂いありといえども、宗教はその説一人の口より出でたるものなれば、衆説相分かるるの恐れなし。これ、宗教の力よく人心民情を連合して、一国の団結を助くるゆえんなり。第三に、宗教は人の感情の上に動き、人の精神の中に入り、一心不乱、鋭意不撓の気風を養成するに最も適したるものにして、したがって一国の独立を助くるに必要なるものなり。第四に、宗教の思想は種々その形を変じて、世間の習慣を構造し、社会の礼節を支配し、そのほか国家の秩序を保ち、独立を全うするに欠くべからざる諸元素中に加わりて相離れざるものなり。これ、宗教のその国の言語、歴史とともに、一国の独立を保全するに必要なるゆえんなり。別して社会の諸事諸物、旧を去りて新に就くの際に当たりては、宗教にあらざれば、一国従来の精神を愚民の間に維持すること難し。もし、その愚民をして開明の進歩をとらしめんと欲せば、よろしく旧来の宗教中にその元素を入れて、知らず識らずの間に有知有識の境に誘入するを要するなり。
 今、わが国旧来の宗教には神仏二教あり。仏はそのはじめ他邦より入りたるも、弘法大師神仏調和論を唱えてより以来、インドの仏教は転じて日本の仏教となり、ついで中世浄土宗起こりて以来、日本に一種固有の仏教を見るに至れり。ゆえに、今日にありては神仏二道ともに日本の宗教なるのみならず、この二者互いに相調和して、その間に不和を生ずるの憂いなし。しかるに、ヤソ教はその今日、日本にあるもの、ロシアより入るものあり、フランスより入るものあり、英国より来たるものあり、米国より来たるものあり、その宗派といい、その組織といい、その性質といい、その精神といい千種万様にして、ただに日本の民情、人心に適合すること難きのみならず、わが人心をしてますます離散し、ややもすれば宗教と宗教との間に不和を生じ、一方には一国政治上の妨害となり、一方には国家独立上の妨害となること明らかなり。余つとに、ここに見るところあり。近日ようやく政教の論穏やかならざるを見て、遠く西洋諸国の、その自国の宗教を保護するの本意、いずれのところにあるやを知らんと欲し、今度の周遊を企つるに至りしなり。
 政教子曰く、政治家は政治の裏面に宗教あることを知らざるべからず、宗教家は宗教の表面に政治あることを知らざるべからず。例えば、政治上いかなる明君明相あるも、その国の人民をして、ことごとく自由を得せしめ、ことごとく幸福を全うせしむることあたわず、いかなる仁君ありて法律を設くるも、貧富貴賤の人をして、ことごとく同等同量の福利を得せしむることあたわず、必ずや一方に満足するものあれば、他方に満足せざるものあり、一方に不平なきものあれば、他方に不平を有するものあり。この不平不満足の心は、必ず幽鬱して病患を結び、激発して争乱を醸すに至るべし。しかるに実際上これをみるに、政治上不平あるものも法律上満足を得ざる者も、みなよく満足して不平を鳴らさず争乱を醸さず、その堵に安んずる者の多きはなんぞや。これ、宗教の影響にあらざるはなし。進みて政治上表面の幸福を得ることあたわざるものは、退きて宗教上裏面の快楽を求め、法律上の不平は流れて宗教内の満足となり、不満不平の人をして、おのおの安心立命の境裏に住せしむるなり。もし世に宗教なかりせば、政治上得たるところの不平は、必ず政治上に向かって発するよりほかなし。けだし政治上の不幸、これより大なるはなし。
 今、わが国の神仏二道は、たとい今日その勢力を減じたりというも、人民これによりて幸福を得しもの幾人あるを知らず、政治これによりて治安を保つことを得たるやまた疑いをいれず。今や政府新たに憲法を設け、人民はじめて自由に就き、政治上一大変動を人心の上に与えんとす。このときに際して、政府は従来の宗教を保持して、人心をして一方に安んずることをえざるも、他方に安んずるところあらしむるは、政教上最も必要なる機密なり。もし、政治と宗教と同時に大変動を生ずるに至らば、国家の不利またこれより大なるはなし。これ、政治家の注目せざるをえざる要点なり。今、余が洋行の挙ある欧米諸国にも、この機密の政教の間に存するを知らんと欲するなり。
 そもそも政教子の今度の洋行たるや、その意、欧米政教実際の関係を視察するにあるも、その視察は普通尋常の視察にあらず、哲学的の視察なり。尋常の視察は外面一様の視察に過ぎず、目前直接の視察に過ぎず、哲学的の視察は内部の視察なり、原因の視察なり、道理の視察なり。例えば、西洋は開明国なり、その宗教はヤソ教なり、ゆえに、わが国ヤソ教を用うるにあらざれば、開明国となることあたわずと論定するがごときは、いわゆる尋常一様、皮相外面の視察なり。もしこれに反し、かの国にヤソ教の存する原因を探り、政府のこれを保護する理由を究め、その利害得失を比較審査して、これをわが国の事情の上に考うるがごときは、いわゆる哲学的の視察なり。また、西洋各国の政教の関係を見て、ただちにこれをわが国に適用せんとするは、尋常一様の視察なり。もし、わが国の事情と西洋の事情と比考し、その間接の利害と将来の得失を審査するは、いわゆる哲学的の視察なり。この尋常的の視察は日本人の最も長ずるところなれども、哲学的の視察は日本人の最も長ぜざるところなり。今、余が行はこの哲学的の視察を、欧米各国の政治、宗教、風俗、教育の上に施さんと欲するものなり。
 政教子、船上にありて水天を望みて曰く、真理はなお水のごときか、味なきがごとくにして味あり、真理はなお空気のごときか、色なきがごとくにして色あり。
 政教子、一日太平洋上の風波の穏やかならざるを見て曰く、海上の風波はあたかも社会の変動のごとし。人あり、これを聞きて曰く、社会の変動、海上の風波のごとしというは至当なり、海上の風波、社会の変動のごとしというは不当ならずや。政教子曰く、画景を評して実景のごとしといい、実景を評して画景のごとしというにあらずや。
 船を知らざるもの風波に際会するときは、船の陸に近づくを喜ぶ。船を知るものは船の陸に遠ざかるを喜ぶ。
 友人、船中にありて問うて曰く、仏教は必ずしも肉食妻帯を禁ずるをもって一宗の要旨とするにあらず。しかるに、今日の宗旨の肉食妻帯せざるものをもって真の仏者となすはいかん。政教子曰く、顔回は貧におるをもってその目的とするにあらず。しかるに、後世その道を伝うるもの、陋巷にありて道を楽しむをもって、まことに顔回の意を得たりとなすと同一なり。
 また問うて曰く、ヤソ教の『バイブル』中に説くがごとき怪誕妄説は信ずべからずといえども、かのユニテリアン宗に立つるがごとき造物主あるの説は、はなはだ道理あるに似たり、いかん。政教子曰く、その説はなはだ道理あるに似て、その実道理あらず。これ、余がかつて『仏教活論』中に論明せるところにして、その書を一見せるものは、必ずその道理あらざるゆえんを知るべしと信ず。今ここにその一点を述ぶれば、造物主ありというの説は、要するに天地万物は必ずその起源なかるべからずというの理にもとづく。しかるに、天地万物の起源を証明するに両説あり。一つはその体をもって有始有終とし、一つは無始無終とす。有始有終とするときは、別に造物主を想立せざるべからずといえども、無始無終とするときは、天地万物は無始以来の天地万物にして、別に造物主ありて創造せるにあらず。この無始無終説は仏教の天地開闢説にして、今日の学術もまたこの理を証立するに至る。かの物質不滅、勢力恒存等の理学上の原則は、みな無始無終説を証明するものなり。もし、これに反して天地万物を有始有終とするも、いまだ造物主ありの断言を結ぶべからず。仮に一歩を譲りその断言を結ぶべしとするも、第二の問題は造物主の起源なり。すなわち、造物主は有始有終なるや無始無終なるやの問題なり。もし、造物主は有始有終なりとするときは、造物主の造物主なかるべからず。もし、造物主は無始以来現存するものにして自存自立なりとするときは、その体すなわち無始無終なりといわざるべからず。
 ゆえに、天地万物の解釈を下すに、造物主を立ててその体無始無終なりとするも、造物主を立てずして宇宙の体無始無終なりとするも、その結論にいたりては同一なり。決して造物主を立てたるをもって、宇宙の問題を説き尽くしたりというべからず。ただ、甲のほかに別に乙を設けて、その問題を乙の上に移したるのみ。しかして、天地万物の体無始無終自存自立なりとするの論は、理学、哲学の証明せるところにして、造物主を立つるの論は、古代の妄想を保守するに過ぎず。その理は、余が『仏教活論』中に論示せるところなり。

 政教子、サンフランシスコにありて友人某に語りて曰く、日本人中、その従来の宗教家のこれをヤソ教者に比して、徳行、学識ともに数等の懸隔あるを痛責して、日本将来の宗教はヤソ教を用うるにしかずと論ずるものあれども、第一にその論の正しからざるは、神官、僧侶は日本人にあらざるもののように考うるこれなり。第二にその論の誤りあるは、宗教家は日本人一般の進歩の程度を代表することを知らざるこれなり。今、わが国の宗教家、神官、僧侶を合して十万前後の人員ありと称す。この人員は三千数百万の日本人の一部分なれば、その愚なるはすなわち日本人一部分の愚なるなり。ゆえに、たとい論者の評のごとく、わが宗教家は学識、徳行ともにはるかにヤソ教家の下にありと許すも、この宗教家を奨励して学識研究の方法を設けざれば、日本人一般の知識の程度を進ましむることあたわず。いわんや、この宗教家は民間にありて人民を教導するをもってその本務とするものにおいてをや。この人の知識進歩すれば、その人民の知識また進歩するは必然なり。もし、これに反して人民の教導をひとりヤソ教者に委するも、世間の神仏二教を信ずるもの、決して一朝一夕に改宗転派するものにあらず。その改宗転派の日を待ちて、はじめて人民の知識を進歩せんとするは、実に迂闊の策といわざるべからず。例えばここに幼児あり、これに薬を与えんとす。他人これを与うれば、幼児おそれてあえて近づかず、乳母これを与うれば、喜んでこれを受く。しかるときは、まず他人をして毎日幼児に近づかしめ、幼児のようやくこれになるるを待ちて薬を与うる方良策なるか、すでになれたる乳母の手を経てこれに与うる方良策なるか、余はあくまで従来なれたる宗教家の手を経て、文明の薬物を愚民の脳中に入るるをもって良策とするものなり。しかるときは、宗教家とこれに属する信徒とを、同時に学識、徳行健全の人となさしむべし。
 つぎに余が第二の論点は、宗教家と一般の人民は、その文明の程度を同じくするものなりというにあり。今、世人の見るところによるに、日本の宗教家は知徳ともにはるかに西洋の宗教家に及ばずというも、この懸隔はひとり宗教家の間に存するのみならず、日本の商法家は同一に西洋の商法家に及ばず、日本の工業者は同一に西洋の工業者に及ばず、日本の学者は同一に西洋の学者に及ばざるべし。他語にてこれを言えば、日本人の心力、体力ともに今日の勢い、はるかに西洋人に及ばざるなり。しかして、宗教家の懸隔最もさきに人の目に触れたるは、西洋の宗教早くわが国に入り、人みな東西の宗教家を目前に比較することを得たるによる。ほかの商法、工業等は、幸いに東西遠く相離れて目前に比較することあたわざるをもって、したがって人の批評を免れたるのみ。さらにこれを理論上に考うるに、人民みなその知徳ともに高等の地を占むるときは、宗教家ひとりその間に立ちて下等の知徳を有することあたわず。もし、その知徳ひとり下等にあるときは、一般の人民決してこれを宗教家と許すべき理なし。もし、かくのごとき宗教家の民間に立ちて人民を教導することを得る以上は、人民中その知徳なお下等にあるもの存すればなり。
 果たしてしからば、日本の宗教家の西洋の宗教家にしかざるは、日本人一般の西洋人にしかざることを代表するものにして、我が輩はこの一例を見て、ますます日本宗教家の教育を進むることをつとめざるべからず。もしその教育を進めずして、ただみだりに宗教を変ずるも、一国の文明上、決してその進歩を見ることあたわざるなり。けだし、文明の進否は人にありて道にあらず。古語に曰く、「人よく道を広む、道の人を広むるにあらず」。わが国の宗教は、その理論一歩もヤソ教に及ばざるにあらず、かえってその上にあるは、今日西洋学者もすでに許すところなり。かつ、その宗教中に説くところの道徳、品行は、決してヤソ教中に説くところのものに下れるにあらず、ただこれを広むる人、その言行一致せざるのみ。これ人の罪にして、教の罪にあらず。ゆえに、今日の急務ただその人の教育、学識を進むるにありて、決して宗教を変ずるにあらざるなり。
 米国ソルトレーク都府には、モルモン宗の本寺あり。その礼拝堂は、一万五千人をいるるべしという。当時、本堂建築中なり。その費用、米貨千万ドル(わが千三百万円)なりという。
 モルモン宗は米国中ユタ州内に蔓延し、州の人口およそ二十万あり、そのうち十五万以上のモルモン信徒あり。その徒、有するところの妻の多少は貧富に応じて異なり、その最も富めるものは十五人の妻を有すという。
 政教子、一夕散歩の際書肆に至り、モルモン宗の書を求む。書肆、『バイブル』を出だしてこれを示す。政教子曰く、これ『バイブル』なり。書肆曰く、モルモン宗はすなわち『バイブル』宗なり。政教子曰く、その多妻なるはいかん。書肆曰く、多妻はもとより『バイブル』の許すところなり。翌朝、政教子モルモンの寺に至り、堂守に同宗立教の書を求む。堂守、モルモン宗歴史一冊および多妻論一冊を示す。その多妻論中には、多妻説は『バイブル』の許すゆえんを証明せり。
 友人某、車夫に語りて曰く、われ聞く、貴宗は多妻宗なりと。果たしてしからば、わが国にもモルモン宗ありといわざるべからず。なんとなれば、わが人民中、妻妾を蓄うるものあり、その実多妻なり。車夫曰く、モルモン宗は多妻宗なるも、多妻を有するものことごとくモルモンなるにあらずと。政教子曰く、車夫の言、論理に合す。論理学命題の規則中に、主辞、賓辞を転倒するの過失を証明せり。今、モルモン宗は多妻なりの一命題を転倒して、多妻なるものはモルモン宗なりということを得るときは、こうもりは獣類なりの命題を転倒して、獣類はこうもりなりということを得べき理なり。その過失、証明を待たずして明らかなり。しかれども、世にこれと同一の過失をなすものはなはだ多し。「英雄色を好む」の言を口実として色にふけるものあり、「君子は貧を楽しむ」の言を口実として貧に安んずるものあり、これみな大なる過失なり。英雄色を好むも、色を好むもの必ずしも英雄ならず、君子貧を楽しむも、貧に安んずるもの必ずしも君子ならず。
 米人某曰く、日本人は不潔にして、襯衣を洗濯することなしと聞く、果たしてしかるや。政教子曰く、襯衣を洗濯せざるものはシナ人にして日本人にあらず。日本人はただ洗濯するの度数、あるいは欧米人のごとくはなはだしからざるのみ。しかして、日本人は毎日浴湯するの風習あり、欧米人は毎月一回もしくは半年に一回浴湯するのみ。衣服を洗濯すると身体を洗濯するとは、いずれが最も清潔なるや。
 ニューヨーク府中の寺院(ヤソ教会堂)、その主なるものおよそ五百棟ありという。しかして市中の人口百二十万なれば、二千四百人につき一カ寺の割合なり。フィラデルフィア府は寺院やはり五百前後ありて、人民八十四万七千なれば、一千六百九十四人につき一カ寺の割合なり。アメリカ合衆国の人口総計おおよそ六千一百万にして、寺院大小諸宗を合して九万二千百七棟、僧侶(牧師)七万七千二百三十人なれば、六百六十二人につき寺院一棟、八百人につき僧侶一人の割合なり。
 米国には人民の間に上下の階級なし、男女の間に尊卑の懸隔あり(女尊男卑)。
 米国にてヤソ教学術クリスチャン・サイエンスの名称をもって、一種の奇法を唱うるものあり。その法、婦人の発明せるところにして、万病を医するに、従来の医方と全く異なりたる方法を用うという。政教子曰く、これ、わがいわゆる心理療法の一種なり。
 米国は国内いたるところ村落あれば、必ず寺院すなわちヤソ会堂あり。会堂にはおよそ一定の建築法ありて、前面に高塔あり、塔上に十字形あり。ゆえに、遠方より村落を一望して、その中に会堂あるを知るべし。都府の会堂はみな商店に隣接して立ち、市中に散布して存す。決してわが国東京その他各都府の寺院のごとく、一隅に僻在するにあらず。
 一寺住職すなわち牧師たるものは、その寺の礼拝、説教、婚礼、葬式等を主任するほかに、ときどきその檀家信徒を巡回し、起居安否を尋問し、病客あるときはその病を問い、不幸あるときはその不幸を弔する等、いたって多事なり。
 米国にて僧侶たるものは、多少尊敬を受くるの風あり、田舎に至りて最もはなはだし。ただし僧侶は、男女の交際、外人の応接に注意し、言語、談話、訪問、待遇の極めて懇切丁寧なるを要す。すなわち、懇切丁寧をもって人の愛を買うものにして、しからざればたちまち名望を失するなり。
 米国の寺院は、他教会もしくは他邦の人その会堂に至るときは、はなはだ鄭重に待遇するの風あり。また、各宗派の信徒互いに共同して、慈善会、救助会等を設くるの風あり。これ、良風習というべし。これに反し、新教諸宗とローマ宗とは互いに敵視するの風ありて、往々争論をその間に起こすことありという。
 米国の風習、寺院に名望ある牧師あるときは、これを終身その寺に奉職せしめんため、教会の資金をもってその生命を保険することありという。これ、おもしろき方法なり。
 合衆国にて、牧師の有名なるものは一年に一万二千ドル(わが金およそ一万五千円)以上の所得あり。その最も有名なるものは、大統領の年給より多き所得ありという。
 普通の米国人はヤソ教外の宗教を信ずるものを外道ヘーゼンと称し、ただにこれを擯斥するのみならず、人類より一等下るもののように考うるの風あり。しかして、なにゆえ外道は擯斥すべきやを知らず、実に愚の至りなり。しかれども、近年ようやく学者中にヤソ教を信ぜざるもの起こり、仏教を主唱するものありて、ややその惑いを解くに至れり。ただその高論の、いまだ狹隘なる婦人の心裏に入らざるのみ。
 ヤソ教の熱血ひとたびアメリカ人の血管中に入りてより以来、その精神は常に宗教の熱を帯び、氷雪飢餒の間にその寒を忘れ、刻苦艱難して得たるところの結果は、米国今日の文明なり。しかるに、今日にありては血管中の熱はすでに放散して、ただわずかに皮膚の上に余熱を存するのみ。婦人は美服を新調して日曜を待ち、男子は美人を捜索して会堂に入り、日曜の会堂は男女相まみゆるの媒介場となる。これ、果たしてヤソ教の真面目なるか。当時、ヤソ教隆盛の地をかぞうるときは、人みな米国を呼びて第一指を屈す。しかしてその実況、すでにかくのごとし。ほかの地方に存するヤソ教、推して知るべきなり。
 米国にて聞くところによるに、ヤソ教の僧侶ことごとく品行端正にして信教篤実なるにあらず、その三分の二は内実はなはだ疑わしといえども、表面には厳然たる宗教家たる言行を示すをもって、世間一般に宗教家は品行端正、信教篤実なりと認定するに至る。かつ、世人は宗教家と道徳家とは同一の意義を有し、宗教家はすなわち道徳家なり、道徳家はすなわち宗教家なりと信ずるの風あり。ゆえに、一、二の不道徳者の宗教家中にあるときは、世人これを宗教の外に放擲して、決してその罪を宗教に帰せず。しかるにわが日本のごときは、宗教家に不道徳のものあればその罪を宗教に帰し、宗教と人とを同一視するの風あり。これ、他なし。西洋人は宗教をもってその国の宗教とし、日本人は宗教をもってその人すなわち宗教者の宗教とするの別あるによる。政教子曰く、宗教は道なり、一人の私有するものにあらず、人の心変ずるも道の変ずるにあらず、宗教者不道徳なるときは、その人宗教者にあらざるのみ。なんぞ、その罪を宗教に帰するの理あらんや。
 米国はヤソ教最も盛んなりと称す。しかして近年、毎日曜に寺院に参詣するもの次第に減少すという。新聞上にてその原因を論じて曰く、近年学術の進歩に従い、自然にその影響を人心の上に及ぼし、人をしておのずから上帝の在否、未来の有無を疑わしめたるは、その第一原因なり。毎日曜に寺に詣し、礼拝供養怠ることなきも、実際上さらにその応果を見ず。牧師は説教上において神つねにおわすというも、上帝その愛子をして不幸を免れしむることあたわず、神見ざるところなく聞かざるところなしというも、その信者をして病苦を脱せしむることあたわず。上帝を信ずるものと信ぜざるものと、苦楽の境裏を来往するに寸分の差等あることなし。ゆえに、人をしておのずから上帝の威徳を怪しみ、これに対して礼拝供養するも、なんの益するところなしとの疑いを抱かしむ。これ、その第二原因なり。第三の原因は、人毎日曜に寺に詣して毎回同じようなる説教を聴き、一週一日の貴重の休暇を犠牲にするは、あるいは野外に歩を散じ、あるいは友人と懐を語り、随意放任の楽にしかざることを知るこれなり。第四の原因は、米国の風習として寺に詣するものは、競って美服を着し美容を装い、婦人はこれを男子に示さんと欲し、男子は婦人の愛を引かんと欲するを常とす。ゆえに、資産に乏しきもの、または美服の新調なきもの、または一見識ありてかくのごとき風習を好まざるもの、または老人にしてかくのごとき外観に意なきものは、自然の勢い、寺に詣せざるに至るこれなり。
 政教子曰く、ヤソ教者布教の手段は、要するに婦人と小児を教訓して、その道に引入するの一事にあり、別して婦人を教訓するをもって第一手段とす。もし、ひとたび婦人の心中にヤソ教の思想を注入すれば、その思想、これによりて養育するところの小児に伝染するは必然なり。すでに婦人と小児とともに、その心ヤソ教海の水に浴するときは、男子は自然の性力によりてその余波をくむは、また必然の勢いなり。かつ、小児のとき得たる思想は先入主となるの理にもとづき、成長の後を支配するの力あるをもって、幼時ひとたびヤソ教の井中に入りたるものは、終身大海の波上に立つことあたわざるべし。これに加うるに、婦人と小児はその心、春陽の青草のごとく宗教の風に伏しやすきものなり。その最もやすきものを婦人とす。ゆえに、ヤソ教者の婦人教訓をもって第一の目的とするは、好手段中の好手段にして、労少なくして功多きものといわざるべからず。
 政教子曰く、米国の宗教は満嚢自由の空気をもって吸入せるものなり、全身自由の精神をもって注射せるものなり。そもそも米国人は、そのはじめ英国より渡航せるものにして、当時英国政府は国教を組織し、君主をもってその首長となし、人民に宗教の自由を許さざりし。しかるに人民中その主義に反対せるものありて、信教の自由、教会の独立を唱え、父母の国を辞して遠くアメリカに渡り、不毛の広野に植民を開けり。その子孫ようやく繁殖して邑を成し都を成し、ついに英国政府に抗して独立を天下に公布するに至れり。しかして、その独立戦争の起こりし原因は、宗教上の旧怨、間接に相助けしや疑いをいれず。かつその独立後、共和政体を組織するに至りしも、米国人の従来宗教の自由、教会の独立を唱えたる精神より起こりしを知らざるべからず。なんとなれば、一方に自由の思想あれば、その思想他方に向かって発するは自然の理なればなり。
 これを史上に考うるに、近古新教の乱ひとたび起こり、ルターの徒、ローマ法王の権勢に抗して宗教の独立を唱えてより以来、その自由の思想は政治上に及ぼし、各国に革命の乱を生ずるに至れり。これ、他なし。政治と宗教はその性質を異にするも人の思想同一なれば、政治上得るところの独立の精神は、宗教上に発して宗教の自由を唱え、宗教上得るところの独立の思想は、政治上に及ぼして政治の自由を唱うるに至ればなり。
 故をもって、政治と宗教はたいてい同一の組織を有し、君主政治の組織の下には、君主政治に相応したる宗教組織あり、共和政治の組織の下には、共和政治に相応したる宗教組織あり。今、合衆国はその政体自由共和にして、その各連邦ほとんど独立の組織を有す。しかして、その国の宗教また自由独立の組織を有し、各教会独立して各寺の法律を制定し、これを総裁統轄する本山なく、また教正なし。ただ、その宗派の連合により年会を開き、各寺の名代人相会して、その宗一般に関する事項を議定するものあり。その組織、あたかも合衆国の政体と異なることなし。ゆえに余曰く、米国の宗教は満嚢自由の空気をもって吸入せるものなり、満身独立の精神をもって注射するものなりと。
 果たしてしからば、米国の宗教のわが国に入るは、他日政治上の大不利を醸成するに至るや必然なり。現今わが国にあるヤソ新教は、たいていみな米国より来たるものなり。しかして、その教会の組織は全く米国の組織を模写せるものにして、自由共和の主義によりて成立せるものなり。もし、この宗教ひとたび人心中に入るときは、知らず識らずの間に共和自由の思想を養成し、その思想発して政治上の共和自由を唱うるに至るを計るべからず。これ、我が輩が今よりその結果のいかんを憂慮するところなり。
 米国の日曜は、朝十時半ごろをもって寺時てらどきと称し礼拝始まる。これ、朝時の礼拝なり。およそその前十五分に鳴鐘ありて参詣を促す。わが国の寺院のごとし。つぎに午後七時、礼拝また始まる。これ、夕時の礼拝なり。そのほか、午後三時ごろに午後の礼拝を行う寺あれども一般ならず。
 米国にて、同志相募り遠足遊山をなすことあり、これをピクニックという。しかるときは、あらかじめ時日と場所とを定め、有志のものへ切符を売り渡す。もしその場所水浜なれば、当日端舟と楽隊とを用意し、会するものみな弁当を携えともに水を渡りて、あらかじめ期したる場所に至り舟をとどめて、男女適意に野遊をなし、晩に至りて再び舟に乗じて帰る。当日切符より得たるところの金は、端舟と楽隊との費用を除き、その余はことごとく寺院もしくは病院、貧院等へ寄付して、慈善に用うという。
 米国の寺院には、毎月一、二回ソーシャブルと称し、その檀徒のもの、おのおのその友人知己を誘い寺院に至り、互いに紹介し互いに談話し、茶菓を喫して去ることあり。すなわち小懇親会なり。ゆえに、米国の寺院は説教場のほかに待合所を兼ぬるものなり。
 政教子、ニューヨーク府にありて一日公園に遊び、古今の英雄・学者の肖像、石に彫刻せるもの路傍に並列するを見て曰く、これ我人を薫育する良教師なり。およそ人たるもの、ひとたび英雄の肖像を見れば、その心おのずから英雄を愛し英雄を慕い、自ら進みて英雄とならんとする思想を起こすものなり。学者の肖像を見るもまたしかり。ゆえに余曰く、これ我人を薫育する良教師なりと。しかるにわが国公園中に、いまだかくのごとき肖像を建置せざるは、教育上の一大欠点といわざるべからず。
 米国中の都府には、往々番人なくして新聞を街上に売るものあり。これを買う人は、まずその代価を銭箱の中に投入して一紙を持ち去り、だれも盗み去るものなし。料理屋に入りて食事をなすものあり、意に任じて数品を食し終わりて入り口の勘定所に至り、自らその食するところのものを告げ、相当の代価を払うの例なれば、言をはむも自在なり。しかるに、人みな告ぐるにその実をもってすという。人の正直なること、かくのごとし。政教子曰く、これ、その人はじめより正直なるにあらず、数世数百年回、社会の事情によりて淘汰せられたる結果なり。世上に伝うるところの「正直に過ぎたる政略なし」といえる諺は、数世間経験の末発見したる規則なり。
 今、西洋社会は家屋の建築いたって堅牢にして、その防御またいたって厳密なれば、知らず識らず人をして窃盗の念を絶たしむるに至り、また商法上ひとたび世間に信を失えば、ふたたび社会に立つことあたわざるをもって、その勢い自然に人をして信義を守るの必要を知らしむ。かくのごとき経験、注意、数回相重なり数世相伝わり、風をなし俗をなし遺伝性をなし、ついに人をして生まれながら窃盗・詐偽の念を去り、正直朴実ならしむるなり。しかれども、その国全く盗賊なきにあらず。われ聞く、ロッキー山間には盗賊隊を成し、汽車の線路を遮り、乗客の財宝を奪い取るがごときことあるは、しばしば新紙上に見るところなり。
 人あり、問うて曰く、米国の駸々として文明に進むゆえんのもの、必ずその原因なかるべからず、なにをかその原因とするや。政教子曰く、これ教育の力なり。およそ教育には人為の教育あり、天然の教育あり、人為と天然を合したる教育あり。人為の教育とは、家にありては父母の教育、家を出でては朋友の教育、学校の教育これなり。天然の教育とは、天候地勢、山川草木等、我人の体外に囲繞せる諸象、およびこれより生ずるところの万変万化、自然に我人の精神思想、性質気風を感動薫化するこれなり。しかしてこの天然の形情を、画に文に詩に音楽に彫刻に現示して人を感動薫化するは、いわゆる天然と人為とを合したる教育なり。今、米国の人民を教育して、その国をして今日の隆盛に至らしめたるもの、多くは天然の教育による。
 まずその地勢を案ずるに、東西数千里にわたる大国にして、大西・太平の両大洋を前後に接し、その内地にはロッキーのごとき世界に一、二を争う高山あり、ミシシッピーのごとき万国に比類なき大川あり、その湖には北部の大湖あり、その原には中央の平原あり、ともに一望千里、際涯を見ず。この間に生長せる人民は、朝夕目にその大を見、耳にその大を聞き、精神思想もまたおのずから大なるは自然の勢いなり。つぎに天候を案ずるに、米国中いたるところ、ただ冬夏二季の気候の厳酷なるもののみありて、春秋二季の温柔なるものあらず。ゆえに、この間に生長せる人民は、その心またおのずから勇猛の気風を帯ぶるに至るべし。かの米人の百折不撓、耐忍不抜の精神は、全くこの感化によらざるはなし。かつ、この不撓不抜の精神は、かの国山川の感化より来たるもの、またすくなしとせず。その地にそびゆるところの山嶺は、自然にして起こり自然にして高く、決して突起危立するにあらず。その地を横ぎるところの河水は、流れざるがごとくにして流れ、動かざるがごとくにして動き、決して急速なるにあらず。この泰然として動かず悠然として流るる山河の形勢は、すなわち米人今日の気風を養成し、その文明の進歩は徐々緩々として決して急速に失せざるも、またあえて逡巡として進まざるにあらず。けだし、その勢い一刻片時も休止することなく、まさに無窮に向かって進まんとす。ああ山川の教育も、その功また大なるかな。
 また問うて曰く、米国人は美術の思想に乏しきはいかん。政教子曰く、これまた天然の形勢による。その地には高山あり巨川あり大湖あり広原あるも、みなただ粗大なるのみにて、一つとして美麗なるはなし。わが国の日光の勝、松島の勝、嵐山の勝、舞子の勝のごときは、その国にありて絶えて見ざるところにして、実に風致に乏しき地勢といわざるべからず。これに反して日本には、いたるところの山川海湾は天然の画図を現出し、人をして知らず識らず風雅の思想に富ましむ。これ、わが邦人の美術の思想に長じ、米国人の乏しきゆえんなり。
 また問うて曰く、山川の教育はいずれの国にも存するや。政教子曰く、しかり。試みにシナと日本を挙げてこれを論ぜん。シナには世界一の大川あり、その名を黄河という。日本には天下一の高山あり、その名を富士という。富士は日本人を教育し、黄河はシナ人を教育す。シナ人は悠々緩々として小事に驚かず、細行を顧みず、事情に迂闊なるの弊あるも、また規模の遠大なるの長所あり。これ、あたかも黄河の悠然として流れ、泰山の居然として動かざるがごとし。わが国の山河はしからず。山は小にして危立し、川は狭くして急流なり。あたかもわが人民の意を小事に注ぎ、心中急速にして余地に乏しきに似たり。しかしてその急速の心中に、秀然として高く皓然として潔き、一種卓絶、万古不朽の元気ありて存す。その気発しては愛国の精神となり、凝りては尊王の忠魂となり、二千五百余年来、日本国をして東海の上に旭日とともに光輝を四方に放たしめたるは、全くこの元気の、人心中に薫育せるによる。その状、あたかも富岳の群山連峰の上に屹立し、秀然として高く皓然として潔きと同一なり。
 古来わが国の風、詩人は富峰の美をその詩にえがき、画工は富峰の雪をその画に示し、日本人民をして朝に夕にその美景に接見し、その美操を欽慕せしむ。ゆえに、余は日本人に一種卓絶の元気あるは、富峰の教育によるという。シナ人はこれに反し、その心黄河の水とともに潔からざるは、なんぞ知らん、黄河その教師となるを。ゆえに余、歌いて曰く、
シナ人の心は黄河とともに濁り、日本人の心は富峰とともに潔し
 政教子曰く、従来日本人の教育に与うるところの解釈全く誤れり。そのいわゆる教育は、学校の教育に過ぎず。しかれども、学校の教育は教育中の小部分にして、そのほかに種々の教育あり。まず、教育を分かちて間接教育と直接教育となす。間接教育は、人の初めて母の胎内に宿りて以来出産のときまで、胎中にありて受くるところの教育をいう。世のいわゆる胎教これなり。胎教は母の体を経て間接に受くるところの教育なれば、これを間接教育という。すでに出産して、ただちに外界の現象に接し受くるところの教育は直接教育なり。これに天然の教育あり、人為の教育あり、装飾の教育、地位の教育、名称の教育等、枚挙するにいとまあらず。
 装飾の教育とは、例えば室内の装飾に勧善懲悪に関する書画彫刻を用うるときは、知らず識らずの間にこれを見るものを教育して、善良の人とならしむるがごときこれなり。地位の教育とは、世のいわゆる孟母三遷の教育その一例なり。名称の教育とは、これに普通名称教育と特有名称教育の二種あり。特有名称教育とは、父母その子に虎吉とか竜五郎とかいえる実名を与うるときは、その子自然に勇猛活発の人となり、直吉とか順二郎とかいえる実名を与うるときは、その子自然に柔順正直の人となるの類をいう。普通名称教育とは、苗字、村名、州名等、普通名称の人を教育するの力あるをいう。例えば、国名を日本と称するときは、その人民をして旭日の昇るがごとく進取の気風を生ぜしめ、艦名を金剛と称するときは、その水兵をして勇健の気風を養わしむるの類これなり。ゆえに、人もし名称を設けんとするときは、良名を選ぶこと必要なり。
 政教子、ニューヨークより汽船に乗じ、まさに英国ロンドンに至らんとす。その船、美にして大なり。上等船客四百余名、その十分の九は、アメリカ人のフランス、スイスの間に遊ぶものなりという。友人曰く、フランスの富をなすゆえん、年々外国人のその地に来たりて金を散ずるによると。政教子このことを聞きて曰く、日本国の富をはからんと欲せば、外国人の来遊を待つの策を立つるよりほかなし。わが国今日の勢い、商業、工業を興して輸出品を増し、もって外国の製産と競争し、もって外国の金を入れんとするは、ただに難事なるのみならず、今よりその策を立つるも、十年ないし二十年以内に成功を期すべからざるは明らかなり。かつその策を立つるに、あらかじめ夥多の資本を要するをいかんせんや。これに反して外国人の来遊を待つの策は、いたって実行しやすき方法なり。
 その方法は、ただ内地の都会および名所に西洋風の旅店を新設すると、土地案内道中記を作りて広く外国人に配布するとの二条にほかならず。しかして、わが国は天然にこの策を立つるに適するなり。第一に、気候温和にして、夏は暑を避け冬は寒をしのぐに便なること、第二に、土地、風景に富み、山水の美勝、いたるところに存すること、第三に、陸に天然の温泉あり、海に天然の浴湯あること、第四に、日本は旧国なるをもって、歴史上の旧跡はなはだ多きこと、第五に、古刹旧社そのほか、古代の美術・奇観、今なお存すること等、みな外国人の来遊を引くに最も適するなり。ゆえに余は、国を富ますの策は、西洋風の旅店を立てて外国人を引くにほかならずという。
 友人問うて曰く、この方法によりて得るところの利益、あらかじめ知ることを得るや。政教子曰く、その利益に直接と間接の二つあり。直接の利益は、外国人がその滞在中、旅店その他において毎日費やすところのものをいう。仮に毎日平均五百人ありて、一人五円ずつ費やすものと定むるときは、一年に得るところの金、九十一万二千五百円なり。もし毎日平均千人ありて、一人十円ずつ費やすものと定むるときは、毎年得るところ三百六十五万円なり。これ、直接の利益に幾倍せるや知るべからず。
 第一に、日本の物産外国に入るときは、海関税のために非常に高価となり、人これを得ること難し。しかるに外国人日本に来たるときは、安価にて買い入るることを得るをもって、その売りさばき方、従前に数倍すること。第二に、外国人の口に適せざる米食、米酒、醤油のごときは、まことに外国人の口に適せざるにあらず、ただその味に慣れざるのみ。ゆえに、もし日本に来たり、その滞在の間一回、二回と重ねてこれを試むるときは、次第にその味に慣れ、帰国の後もこれを用うるに至り、日本の輸出品これより増加すること。第三に、日本従来の遊興技芸(例えば書画、碁、将棋、茶の湯、挿花等)、外国人のいまだその用を知らざるものも、内地に来たりてこれを実見するときは、その風を西洋に伝うるに至ること。第四に、日本の内地の改良すなわち(道路の改良、建築の改良、美術の改良、演戯の改良等)これによりて進むこと。第五に、日本人民、西洋人の風を見て開明の事情を知り、今日喋々せる風俗の改良、自然に実行するを得ること。第六に、西洋人の従来日本は東洋諸国のごとく野蛮の国なりと信ぜしも、ひとたび日本に来たりて日本の事情に通ずるときは、その人民のなすところあるを知り、日本贔負の思想を生ずるに至ること。これ、間接の益なり。
 また問うて曰く、もし洋館を設立すれば、洋人果たして来遊するの目的ありや。政教子曰く、今日わが国には洋館らしき旅店なし。かつ、わが邦人の外国人を処するの方、実に不深切、不信用を極む。しかるに、シナ、インド諸邦にある西洋人の日本に来遊するものは、年々に増加するのみという。ゆえに、もし洋館を諸方に設立し、外人を処するの方を改良するときは、その数一層増加するは言をまたずして明らかなり。
 まず、はじめにシナ諸港、ホンコン、インド、その他東洋の諸島にある外国人を引き、つぎにオーストラリア、アメリカの人を引き、つぎに欧州の人を引きて、これをわが国にいたすことを得べし。このことにつき、左の事情を考うるを要す。
 すなわち、第一に、西洋人は一般に旅行を好むこと。第二に、日本の物価は西洋より安きをもって旅行しやすきこと。第三に、愉快を得るために旅行するものは中等以上の人にして、資産を有するものなること。第四に、愉快の旅行は商用の旅行と異なり、余分の金を費やし、多数の日限滞在すること。第五に、外国人は日本に遊ぶも、パリやロンドンに遊ぶがごとき愉快を買うことあたわざるも、人には奇を好むの情ありて、すでに一回もしくは二、三回、ロンドン、パリに遊びたるときは、そのつぎは全く異なりたる地方に遊ぶを好むこと。第六に、外国人の日本に来たるもの年々増加するときは、各地方より直接に日本に航海する汽船を設くること、および太平洋の航海日数も乗客の便を計り、大いに短縮するに至るべきこと等これなり。
 大西洋渡航の節、船中にて一夕、音曲会を催せしことあり。当夕は船客中に一芸を有するものを選び、唱歌に巧みなるものは唱歌し、奏楽に長ずるものは奏楽し、あらかじめその順序を定め、逐次にその芸を演ぜしむ。あたかもわが東京の寄席のごとし。会終わるに臨み、聴衆よりおのおのその志に応じて五銭ないし二、三十銭を徴集し、その金は米国の慈善会に寄付して、慈善の用に供うといえり。

 英国中に行わるるところのヤソ教宗派は数百種あるうち、その各派にて寺院、僧侶、信徒を統轄するの方法は、要するに三種の組織による。これを仮に宗教政府という。すなわち、管長組織、会議組織、独立組織これなり。管長組織は一宗派中に大教正のごときものありて、末寺僧徒に関する一切の事件を統裁する一種の政府なり。英国教宗およびローマ宗これに属す。つぎに会議組織は、毎年一回もしくは毎月一回、各寺院の名代人相会して、その宗派上に関する事件を共議決定し、別に管長を置かざる一種の組織なり。スコットランド国教宗、プレスビテリアン宗、メソジスト宗等これに属す。つぎに独立組織は、各寺みな独立を唱え、その寺院に関する事件は自らこれを裁定し、別に同宗の総寺院を統裁する管長を置かず、また会議を設けざる一種の組織なり。コングレゲーショナル宗、バプテスト宗等これに属す。
 英国中、現今行わるるところの宗派は、昨年の調査表によるに二百四十三種ありて、みなヤソ教の宗派なり。しかしてヤソ教に属せざるものは、ユダヤ宗とコント宗と仏教宗の三種なり。ヤソ教中に旧教(すなわちローマ宗)と新教の二種あり、新教中に国教宗と非国教宗の二種あり。コングレゲーショナル宗、バプテスト宗、メソジスト宗、プレスビテリアン宗、ユニテリアン宗、クエーカー宗等は、みな非国教宗なり。
 大英国は宗教の自由を許すといえども、その国教と定むるところのものは、英国教宗とスコットランド国教宗との二種なり。英国教宗は、二人の大教正と三十一人の教正ありてこれを管理す。そのうち大教正と二十四人の教正は、国会の上院に列席することを得るなり。寺院の数一万四千五百七十三棟、僧侶の数およそ二万四千人、寺院の収入総計、毎年およそ七百二十五万ポンド(わが金およそ四千七百万円)、これに属する信徒の数一千三百五十万(スコットランドとアイルランドはこれを除く)、大教正の年給、一人は一万五千ポンド(わが金およそ九万八千円)、一人は一万ポンド、英国所領地にある僧侶の数は、教正六十五人、平僧三千四百人なり。
 英国中にある寺院の数、大小諸宗を合わせて二万五千八百五十七棟(スコットランド、アイルランドはこれを除く)なり。しかして、英国の人口二千五百九十七万四千四百三十九人なり。ゆえに、もしこれを寺院の数に配するときは、一カ寺に属する人の数およそ一千四人の割合なり。
 国教宗にては僧侶の階級を三等に分かつ。教正、訓導、試補これなり。教正は訓導を監督指令するの権を有す、訓導は一カ寺の住職となることを得、試補は訓導の候補者なり。教正中に二人の大教正の名称を有する者あり、これ国教宗の管長なり。一つをカンタベリー大教正と称し、一つをヨーク大教正と称す。前者は正、後者は副管長なり。
 英国にて、その全国(イングランド、ウェールズ両州)を分かちて二大教区とし、その一つをカンタベリー大教正の配下に属し、その一つをヨーク大教正の配下に属するなり。各大教区を分かちて、あまたの中教区とす。中教区には必ず一人の教正ありて、その区内を管理す。各中教区を分かちて、あまたの小教区とす。小教区には必ず一名もしくは二、三名の訓導ありて、その区内を監督す。ゆえに、寺院に二種あり。教正の住する寺をカテドラルという。本山の義なり。訓導の住する寺をチャーチという。末寺なり。末寺にはインカムベントと称するものあり。住職の義なり。住職にレクターの名称を有するものと、ビカーの名称を有するものと二種あり。一つは総住職、一つは一分住職というがごとし。インカムベントのほかにキュレートと称するものあり。住職の補佐なり。補住職というがごとし。本山にはカノンと称するものあり。本山に従事する僧官の名なり。その長をデーンと称す。なお、僧長というがごとし。
 国教宗にては堂内に礼壇あり、その上に十字架上のヤソ像と花瓶、燭台あり、別に説教席と読経席あり、毫もローマ宗の寺に異なることなし。非国教宗にては礼壇なし、ただ説教席あるのみ。
 英国国教宗の大本山はカンタベリーの地にあり、セント・オーガスチンと名づくる高僧、ローマ法王の命を帯びて英国に来たり、法錫をこの地にとどめて以来、代々大教正の本寺となり、千余年を経て今日に至る。すこぶる古刹にして、宝物また多し。毎朝九時半より日没に至るまで、衆人に堂内参観を許す。
 国教宗の寺院にては必ず俗吏を使用す。通例一カ寺に、世話人チャーチワーデン二名、副世話人サイズマン四名、掃除人バージャー一名あり。寺院の会計は世話人これを摂理し、住職これを監督す。しかして世話人は、住職の勤惰を直接に教正に報道するの権あり。世話人と副世話人は檀家中より選定せるものにして無給なり。掃除人には少額の金を付与す。
 国教宗にて僧侶とならんと欲するものは、三項の性質を完備せざるをえず。学力、品行、信心これなり。この三点は、教正の方にてその従来経歴ある学校の卒業証、勤惰表、履歴書、その他臨時の試験等によりて審定して、その可なるものはまず試補に命じ、つぎに訓導に命ずるなり。試補の年齢は二十三歳以上、訓導は二十四歳以上、教正三十歳以上の規則ありて、その年齢に達せざれば拝命することあたわず。
 国教宗にては僧侶裁判所を設置す。各中教区の配下に必ず一裁判所あり、教正その長たり。これ始審裁判なり。各大教区に一裁判所あり、大教正その長たり。これ控訴裁判なり。大教区裁判所の判決を不当なりとするものは、政府の枢密院に上申することを得。これ大審院なり。
 英国教宗にては、小教区中に毎年一回会議を設けて諸事を評定す。これをベストリーという。そのときは教区中の人民(すなわちわが氏子というがごとし)相会するなり。中教区中にまた会議あり。これをコンファレンスという。そのときは中教区内の僧侶相会するなり。大教区中に毎年一回大会議あり。これをコンヴォケーションという。そのときは各教区僧侶の名代人相集まりて下院を組成し、教正は上院を組成して、諸事を議定するなり。スコットランド国教宗にては、あまたの寺院相合して小会議区を組成す。これをプレスビテリーという。あまたのプレスビテリー相合して中会議区を組成す。これをシノッドという。あまたのシノッド相合して大会議区を組成す。これをゼネラル・アッセンブリーという。非国教宗中、コングレゲーショナル宗、バプテスト宗等は各寺独立を唱うる宗なれば、別に会議の組織なし。ただ有志連合会ありて、一年一回もしくは二回会合することあるのみ。
 寺院にて礼拝、説教の度数およびその時間の長短は、世とともに変遷すという。昔時は、ヤソ教は毎日礼拝を行い、その時間またいたって長く、日曜のごときはほとんど終日礼拝を行いしが、今日はしからず、毎日曜に限り礼拝、説教あるのみ。その時間もまた短縮し、一時間ないし一時間半に過ぎず。ローマ宗および英国教宗は、なお昔時の風あり。非国教宗は全く今日の風に改良せしものなり。これ、他なし。世進むにしたがい事務多忙、寺に詣する間隙を得ること難ければなり。
 国教宗の寺院はたいてい毎日朝夕二回礼拝を行うも、平日は読経のみにて説教なし。説教あるは日曜朝夕とその他の祭日に限る。非国教宗は日曜朝夕および祭日のほかは礼拝を行わず、木曜に行うものあれども一般ならず。国教宗の日曜礼拝は、およそ一時間半ないし二時間を要す。そのうち説教の時間は、三十分ないし四十五分を常とす。非国教宗の礼拝は、一時間ないし一時間半に過ぎず。そのうち説教時間は、やはり三十分ないし四十五分なり。読経は『バイブル』中のある部分を誦読するものにして、これに前後両回あり。前回読経は『旧約全書』中の一部分、後回読経は『新約全書』中の一部分なり。
 寺院の収入は、国教宗にては左の諸目を主とす。
(一)国教税(田地を有するものに課して、その耕作および牧畜より収入せるもののいくぶんを寺院に上納せしむるこれなり)
(二)寺領地(寺院にて従来所有せる土地をいう)
(三)座料(寺院にてその堂内の席を檀家に配当して、毎月もしくは毎年一定の席費を徴集し、あるいは毎説教会に一定の座料を参詣人より徴集するものこれなり)
(四)賽銭(このほか寺院資金と称するものありて、寺院の歳入不足の節はこの資金より支弁する法あり。また、臨時再建費と称して有志の寄付を請うことあり。そのほか、金満家より不時に土地または金円を献納することありという)
 僧侶の月給は、寺院の大小と僧侶の名望とによりて一定せず。ただし、国教宗の僧侶は非国教宗のものより多額の月給を得るなり。国教宗の僧侶にして一カ寺の住職たるもの、その多きは年給千ポンド(わが金六千五百円)、少なきは二百ポンド(わが千三百円)なりという。そのほか、僧侶には臨時の所得あり。例えば婚礼式の節(宗派によりてはその他の儀式にも)には、多少の金を僧侶に進呈するを例とす。わが国にて布施と称するものに同じ。
 礼拝のときには、いずれの寺にても必ず賽銭を集むるを例とす。寺の世話人、礼拝の終わりに賽銭箱(もしくは袋)を出だし、おのおの一銭以上十銭、二十銭くらいをその中に投入するなり。あるいは寺の規則により、賽銭のほかに座料を収入することあり。上等席一名二十五銭、中等席十銭、下等席一銭等と次第するなり。あたかも芝居にて席費を収入するがごとし。そのほか、寺の堂内の柱には必ず数個の銭箱を掛くるを見る。その箱の上には、あるいは貧民のためと書し、あるいは廃疾病人のために、あるいは寺院建築費・内陳修繕費・旧債支弁のため、神前供養のため等と書し、寺あれば必ず銭箱あり、銭箱あれば必ず寺かと人をして怪ましむるほどなり。この箱は最もローマ宗と国教宗に多し。そのほか、寺院によりて内陳の入り口に、大人は十銭、二十銭、小児半額等と掲示し、内陳参観料を収入する所あり。あたかも汽車の賃銭表を見るがごとし。
 内国布教会あるいは外国布教会、その他これに類する教会にて費金を集むるために、説教会または展覧会のごときものを設くることあり。例えば外国布教費徴集のため、一定の日に某寺院をかりて説教会を開き、当日参ずるものは志に応じて多少の金を寄付し、その席にて集むる金はすべて布教会に収納するなり。また、有志の貴婦人手細工物を作り、これを一場に集め商品展覧会と称し、来観者をしてその好みに応じて購求せしめ、これより得るところの金額はことごとく布教会に寄付するなり。この方法は寺院建築、負債償却等にも用うるという。
 各寺院にて一週内に集まりたる賽銭その他種々の寄付金は、堂内の掲示場に掲示するを例とす。また、寺によりては新聞上に広告する所あり。田舎の寺院にても、毎週百円もしくは二百円くらいの賽銭あり。
 通常の寺院にて、その創立建築費は一カ寺五万円に下らずという。
 寺院に金円を寄付したるものは、その姓名を堂内の壁上に刻し、後日の記念となす。あたかもわが国の寺院に永代読経の掲示あるがごとし。
 英国にて宗教信者の家を見るに、内仏、神棚のごときものはさらに安置せず。ゆえに、朝夕礼拝を行うことなし。ただ国教宗の家にては、食前に誦すべき文句あり。これを晩食のとき、食卓に対して口誦するを例とす。
 宗派異なればその名目また異なり、ヤソ教の祭式に一杯のブドウ酒と一片のパンを神前に供し、読経祈請の後、これをヤソの血と肉なりといいて衆人に配与することあり。この式を英国教宗にてはホリー・コミュニオンといい、ローマ宗にてはミサといい、非国教宗にてはローズ・サパーといい、あるいはプリマス・ブレズレン宗にてはブレイキング・ブレッドという。日曜日のことをクエーカー宗にては第一日といい、プリマス・ブレズレン宗にては神の日と称するなり。
 政教子、一日英人に問うて曰く、英国教宗は新教の一派なりと称するも、そのローマ宗と大いに似たるところあるはなんぞや。英人曰く、ローマ宗と国教宗の別は、洗手の前と後との別と同一なり。ローマ宗はいまだ洗わざるときのごとく、国教宗はすでに洗いたるときのごとし。その前と後とは、手の形異なるにあらず、ただ垢を去りたると去らざるとの別あるのみ。
 ヤソ教と仏教と大いに類同するところの諸点あるは、今日すでに世人の注目するところとなり、西洋学者中にヤソ教は仏教の説を取捨変更して成りたるものなりと唱うるもの多し。英国オックスフォード大学教授マクス・ミュラー氏も、その『宗教起源論』中に『新約全書』中の事実と仏書中の事実とを比較して、その似たるもの多きを見て、大いに疑いを起こされたるがごとし。
 ヤソ教と仏教はその立つるところの説類同するのみならず、その実際上の儀式はなはだ相似たるもの多し。別してローマ宗は、その寺院の装飾、読経、礼拝、僧の生活等、最も仏教に近きものなり。
(甲)堂内の装飾
(一)あまたの偶像(木像、金像、絵像)を安置すること
(二)偶像の周囲に光明をえがくこと
(三)神前に礼壇を設け、その上に御地敷をしくこと
(四)壇の上にろうそく台、花瓶を並列すること
(五)酒および食物(パン)を毎朝供養すること
(乙)礼拝の儀式
(六)僧侶は袈裟・法衣(五条・七条の類)同様のものを着すること
(七)信徒は珠数を用うること
(八)合掌跪座すること
(九)香を焼くこと
(十)常夜灯を点ずること
(十一)読経、説教の順序、体裁の同一なること
(十二)鈴および鐘を鳴らすこと
(十三)説教後に賽銭を集むること(ヤソ教諸派みなしかり)
(十四)毎日朝夕、礼拝、読経すること
(丙)僧徒の生活
(十五)僧侶は妻帯せざること
(十六)外出するに一定の法衣を着すること
(十七)頭上の一部分を剃髪すること
(十八)祭日に生肉を食せず断食を行うこと
(十九)僧徒はたいてい寺院内に寄宿すること
(二十)男僧のほかに女僧(尼)あること
(二十一)法王、教正ありて僧侶を統轄すること
 以上二十一項はヤソ教と仏教との外形上の儀式の似同せる点にして、人をしてヤソ教の儀式はインドの風を模取したるやを疑わしむるものなり。しかれども、ヤソ新教はローマ宗を改良したるものなれば、仏教と大いに異なるところあり。その改良は真宗の改良に比すれば、またはなはだ相近し。
 ある英国の学士語りて曰く、日本の仏教はまことの仏教にあらず。そのシナに伝わるものすでに純然ならず、流れて日本に入るに当たりてまた濁水と混じ、腐敗の宗教となる。もし、これを今日インドに伝わるものと比するときは、その清濁の別、判然知ることを得るなり。政教子曰く、その清きもの果たしてインド今日の仏教にして、その濁れるもの果たして日本今日の仏教なるか。両邦に伝わるもの互いに相異なるもなんぞ知らん、日本の宗教かえって純然にして、インドの宗教かえって腐敗せるを。かつ余がみるところによるに、学術、宗教、そのほか百般のこと、みな世の進歩とともに発達するは自然の勢いにして、中世のヤソ教と近世のヤソ教と大いに異なるところあるは、中世のヤソ教純良にして、近世のヤソ教腐敗せるにあらず、ただ世の進歩とともに発達したるのみ。今、日本の仏教とインドの仏教と異なるも、またこの理にほかならず。インドの仏教はインドの文明とともに発達し、日本の仏教は日本の文明とともに発達し、両国の文明その性質を異にするをもって、その今日の仏教互いに相異なるところあるも自然の理なり。また、インド古代の仏教と日本今日の仏教の異なるも同一理なり。その教まずシナに入りて、その国の文明とともに発達し、日本に入りてまた日本の文明とともに発達して、今日の仏教とインドの仏教と同一ならざるの結果を生ずるに至れり。例えば、草木はその初発のときとその成長の後とは、同一の形状を有するにあらざるも同一の草木なり。もし人、その成長せるもののその初発のときに異なるを見て、これ別種の草木なりといわば、だれかその愚を笑わざるものあらんや。
 今、日本の仏教はその古代インドに行われしもの、およびその今日インドに存するものと異なるところあるは、その種類はじめより異なるにあらず、ただ発達に前後・東西の別あるによるのみ。しかして、その果たして同種の仏教なるゆえんは、仏教の原理とするところのもの(すなわち因果の理等)、古今東西寸分の差異なきを見て知るべし。かつ、仏教の古来発達せる次序を考うるに、ただ一理脈のその前後に貫通するのみならず、一より二を生じ、二より三を生ずるがごとき論理発達の規則によらざるはなし。あたかも草木のはじめに芽を生じ、幹を生じ、枝を生じ、葉を生ずる次序に異ならず。これによりてこれをみるに、その今日に発達せるところの原形は、すでにそのいまだ発達せざる種子中に含有すること明らかなり。ゆえに、余は日本の仏教もインドの仏教も同一種なりというなり。
 西洋人中にも迷信者はなはだ多し。例えば、十三人食卓に列するを忌み、金曜日に旅立ちするを嫌い、二個の包丁の食卓上に相交わり十字形をなすを不吉の兆しとし、プラムを食しそのさねの数をかぞえて吉凶を卜すとし、火箸を炉の前に立てて火をおこすマジナイと称する等、種々のことあり。
 英国人は堅牢を貴び、米国人は危険を顧みず。
 英国の新聞は必ず日曜日に休刊し、米国の新聞は日曜に休刊せざるのみならず、必ず大付録を増刷するなり。
 西洋人は、シナ婦人のその足を縮小にし、インド婦人のその鼻に輪環を掛くるを見て、天然を害する野蛮の風習なりという。しかして、西洋にも上下貧富を問わず、婦人は必ず両耳をうがちて輪環を貫くが、ことき、天然を害する風習あるを知らず。
 英国の民間に行わるる暦書あり。毎年これを頒布して、その翌年中の天災地変、毎日の吉凶禍福を前定す。しかしてこれを前定するの法は、古代の天文学家の推歩術によるといえども、学術上一点も考うべきところなし。ただ、愚民の意を慰むるに過ぎず。しかるに愚民は固くこれを信じ、毎日その暦書を見て日業をとるという。政教子曰く、英国の愚民も日本の愚民も愚民に二種なく、その思想の帰するところ一轍なり。
 英国にはオックスフォード大学、ケンブリッジ大学をはじめとし、その他の大学中に神学部あるほかに、宗教専門の大学いたって多し。今、英国中にあるものを統計するに左表のごとし。
国教宗に属するもの      二十一
メソジスト宗          七
コングレゲーショナル宗    十三
バプテスト宗          九
プレスビテリアン宗       七
ユニテリアン宗         一
ローマ宗          二十九
ユダヤ宗            一
 英国中に布教、慈善、保護、救助、養育等の目的をもって立てたる教会、教社はなはだ多し。その主なる種類を挙ぐれば、布教会に関したるものには内国布教会、外国布教会、水上布教会、市中布教会、軍中布教会、神典出版会等あり、防護、慈善、救助に関したるものには、労役者保護会、婦女子保護会、寡婦、小児、老人、水夫、免役者(兵役・懲役とも)、外国人、破船者、遭難者、牛馬等を保護救助する諸会あり。これみな有志の結合によりて成り、多くは寺院僧侶の主唱するところなり。
 英国に婦人内国布教会と称するものあり。その規約書を見るに、会員たるものは会費として一シリング(わが金三十三銭)を収納すること、手細工物を作り、これを売りてその金を会に収納すること、賽銭箱を作り、集会ごとにその中に寄付金を投入し、あるいは帳面を作り、その中に寄付金の高を記載せしむること、会員にして資産なきものは、毎月一日もしくは二日間特別に労力をとり、これによりて得るところのものを会に寄付すること、等の箇条あり。
 寺院には少年教会のほかに小児教会あり。小児の四、五歳より七、八歳に至るもの、会日にはその父母もしくは乳母とともに寺にまいり、極めて簡短なる讃美歌と、極めて簡短なる宗意問答を習読するなり。宗意問答はこれを小冊子に編成し、その一部を各名に配付し、導師(僧侶)その問いを読む。小児、その父母もしくは乳母の助けによりてその答えを誦す。その問答書は、(問)神はなにものなるや、(答)神はわれわれのまことの父母なり、等のごとき極めて簡短なる問答より成るものなり。
 ヤソ教の洗礼式は、ローマ宗にては、水をひしゃく体のものにて赤子の額にそそぐなり。バプテスト宗にては赤子の洗礼を許さず、人ようやく長じて是非善悪を弁ずるに至り洗礼を挙行す。その式、全身を水に浸すなり。そのほかの宗派は、水の数滴を赤子の顔に振りかくるのみ。
 ヤソ教にて僧侶となるの儀式すなわちわがいわゆる得度式は、国教宗と非国教宗と異なり、国教宗にては試補となるにも訓導となるにも教正となるにも、その式を行うの権は教正にあり。試補となるの式は、教正一名その手を候補者の頭上に加え、訓導となるの式は、教正一名ほかの訓導とともにその手を加え、教正となるの式は、ほかの教正、通例三名ともにその手を加うるなり。非国教宗にてはこの手を加うるの式なし。ただ、隣寺の僧侶もしくは友人にて、すでに僧侶となりしもの来たりて言句を口授するのみ。
 ヤソ誕生日すなわちクリスマスは、西洋諸国の大祝日なり。なお、わが国の正月元日のごとし。当日は戸ごとに常葉木をかけ、室内の花瓶、燭台にいたるまでその小枝をはさむ。あたかもわが正月に松、竹、燈を用うるに同じ。当夕、眷属一同一席に集まり美食を設け、食後、自在に歓楽を尽くして深更に至る等、みなわが正月の風俗に異なることなし。当日は親戚、朋友の間には必ず贈品呈書するを例とし、下女下男、出入でいり、小作の者には多少の金を与え、近隣の貧民にも多少の愛を施す等、またわが歳末のごとし。地方の停車場などには当日に限り、「天下泰平、武運長久、鉄道会社千秋万歳」と題示せるあり。これまた、わが国風に異ならず。
 クリスマスの朝は、各寺院会堂みな礼拝式あり。ローマ宗の寺は、堂内別にヤソ降誕の壇を設く。すなわち堂内の一隅に、マリア婦人廏内にありてヤソを産せし実景を作り、人をしてその前に跪座合掌せしむ。国教宗の寺院は降誕の壇を設けず、ただ常葉木をもって堂内を装飾するのみ。非国教宗の寺院はなにも装飾らしきものなく、さらに尋常に異ならず。
 ヤソ教中ユニテリアン宗は、当時日本に流行するの勢力ありしも、西洋にては最も勢力なき宗旨にして、近年次第にその信徒を失うという。その英国中にあるもの、礼拝堂三百四十五カ所、僧侶三百四十人に過ぎず。けだしその原因は、第一に、高尚に過ぎて通俗に適せず、第二に、自由に過ぎて教会を組織するに難きの理由あるべしといえども、要するに、その教に立つるところの原理正しからざるによる。およそヤソ教は、その原理とするところ三条あり。第一に造物主あること、第二に死後の未来あること、第三にヤソは神子なることこれなり。そのうち、第三条をもって最要点とす。しかるに、ユニテリアン宗この点をとらず。ゆえに、これにヤソ教の名を与うること難し。これ、ヤソ教各宗のその宗義を攻撃するゆえんなり。しかるに、この宗は造物主あるの一条をもって世の学説に付会し、これ学術上の宗教なりと自ら許すは、世の学理を知らざるものを籠絡する好手段なるも、学者の目よりこれをみれば、その説一つも学理に合するところなし。
 およそ神の解釈に二つあり。一つは普性神、一つは特性神なり。特性神は、一種特殊の形質を有し、作用を有し、意想行為を有する最上知、無量寿の体をいう。ヤソ教に立つるところの神これなり。普性神は、特殊の性質、作用、意想を有せざる万物の本体実質をいう。仏教の真如法性というがごとし。今、ユニテリアン宗の説くところの神はやはりこの特性神にして、この特性神は今日の学術の全く許さざるところなり。学術上にて宇宙間に不可思議の一体ありというも、万物の起源本体は知るべからずというも、これ一つとして特性神の存するゆえんを証明せるものにあらず。明日の天気知るべからずというは、決して明日雨あり風ありというの意にあらず。もし、ヤソ教者のごとく学術上、宇宙間に知るべからざる一体ありというを聞きて、その知るべからざるの体は意志を有し、知力を有し、天地を作り、万物を造るというがごとき断言をなすは、あたかも明日の天気知るべからずというを聞きて、明日の天気は雨もあり風もありと断定するに異ならず。ゆえに、ユニテリアン宗が特性神を立つる以上は、学術上の原理に適合することあたわざるは明らかなり。これによりてこれをみるに、ユニテリアン宗は0、一方にありてはヤソ教各宗より、これヤソ教にあらずの攻撃をきたし、一方よりは理学者、哲学者より、これ真理にあらずの駁論を招き、孤軍両敵の間に介立し、四面援声をなすものを見ず。その欧米諸州に振るわざるは誠に理あり。
 非国教宗中、クエーカーと称する一派あり。その儀式・礼拝全く他の宗派に異なりて、寺院または礼拝堂を設けず。いずれの所なりとも、同派の信徒の相会する席を定め、これを同朋集会所と称す。その席には礼壇を設けず、楽器を置かず、説教座もなく、ただ数脚の椅子排列するのみ。ゆえに、日曜には同朋相会するも、別に説教者なく、牧師なく、歌を誦せず、楽を奏せず、各自その意に任じて、祈請せんと欲するものはひざまずきて祈請し、演説せんと欲するものはたちて演説し、一時間ないし一時間半にして散会す。散会の前にはおよそ五分間、一同首を垂れ沈思黙座す。これ、その宗の主義、外形上の装飾・礼式はすべて無用に属し、内心の信仰ひとり必要なりと立つればなり。しかしてその沈思黙座するは、心鏡明らかなれば、その面に神を見ると信ずるによる。ゆえに、神を外に見んとするは迷いなり、よろしく内にみるべしという。この宗に限り、人生まるるも洗礼を行わず、祭日あるも酒とパンを供養せず。けだし礼式の簡略なる、この宗をもって第一とす。かつ、道徳品行の点にいたりても、この宗の信徒をもって第一とすという。
 クエーカー宗に最も相近きもの、プリマス・ブレズレン宗なり。この宗また寺院を建てず僧侶を置かず、しかして礼拝の節は唱歌を用い、祭日には酒とパンとを供養するなり。政教子、一日その会堂に入りてこれを見るに、会場にはその宗の信徒と他宗よりの来観者はその席をわかち、酒とパンの供物は来観者に配与せず、賽銭も来観者より集めざるなり。
 英国なる新教中、メソジスト宗は会議組織より成り、毎年大会議を設けて諸事を整理す。これをコンフェレンスという。二百四十人の僧侶と二百四十人の信徒相会するなり。毎半年に中会議あり、毎四季に小会議あり。この小中両会議は大会議に付属するものなり。ゆえに、一宗統轄の中心は大会議にあり。大会議には年々大統領を選定して、議長の席に就かしむ。
 英国非国教宗中、その最も古きものはコングレゲーショナル宗なり。その宗徒、エリザベス女王の朝に起こりしも、当時英国政府信教の自由を許さざるをもって、去りて北米に移住するものはなはだ多かりし。クロムウェル氏共和政治を唱うるに至りて、その宗初めて勢力を得るに至れり。けだし、その宗の主義とするところ、各寺みな独立にして、これを統轄する教正を置かず、会議を設けず、純然たる自由主義の宗旨なり。しかしてコングレゲーショナル連合と称するものありて、毎年同志の連合会を開くも、決してその宗の宗制・寺法を議定するにあらずという。
 ユダヤ人はその今日世界中に散布せるもの、大数七百万人ありという。そのうち英国にあるもの六万人以上にして、教会堂の数八十、僧侶の数一百人あり。その教会および慈善上に費やすところの金、年々およそ百万円の巨額に及ぶという。
 ローマ宗の教正世界中にあるもの、大教正を合して一千二百二十二人。そのうち、英国および英国所領地内にあるもの百四十七人なりという。
 寺院の堂宇および所属財産は、国教宗にては法律上その住職の所有とし、非国教宗にては檀家中の主なるもの数名連署してその所有者となるなり。国教宗の住職は、ほとんど全く一寺を支配するの特権を有するも、非国教宗の牧師は、檀家中の総代人とともに一寺を支配するの権を有す。ゆえに、非国教宗にありては、檀家のもの牧師を進退するの権あり、国教宗にては教正その権を有するなり。
 英人某曰く、仏教は無神教なりという。だれか賞善罰悪の権を有するや。政教子曰く、仏教は賞罰を主宰する神を立てず、ゆえにその権を有するものなし。しかして道理の主宰あり、すなわち因果の理法これなり。この理法よく善を賞し悪を罰し、尺善寸悪といえども必ずその果報あり。善因異なればその果また異なり、悪因同じからざればその果また同じからず。罪業の軽重に従って、受くるところの果報に軽重あり。これをもって、極楽にも種々の極楽あり、地獄にも種々の地獄ありという。これ、みな因果の理法によりて論定せるものなり。ゆえに、仏教を信ずるものは、因果の理を信ずるをもって足れりとす。あえてその理法のほかに、ことさらに想像をたたきて天帝を喚起するを要せず。某曰く、仏理の簡明なること、遠くヤソ教に勝れり。
 英人某問うて曰く、君は仏教を主唱するものなり。仏教を主唱する以上は、ヤソ教は君の敵視するところなるか。政教子曰く、いな、余は仏教を主唱すると同時に、宗教の真理を主唱するものなり。ヤソ教はいまだ宗教の真理に合せずといえども、その真理に達するの途次にあるものなり。論理上ヤソ教の理を推究すれば、その極み仏教の原理に合体するに至る。ゆえに、余はかつていえるあり、ヤソ教一変すれば仏教に至らんと。ただその今日のありさま、真理に達するの途次にありて迷中に出没し、暗裏に彷徨して進路をとるゆえんを知らざるのみ。あたかも雲外に明月あるを知らず、林外に秀山あるを知らざるがごとし。ゆえに、余はヤソ教をもって仏教の一部分とせんとす。決してこれを敵視するにあらず、ただ朋友視あるいは兄弟視するのみ。もしヤソ教者、その自ら迷うゆえんを知らずして、雲外に明月なし林外に秀山なしというに至りては、余もとより黙止に付すべからず。しかれども、そのこれを敵視するは余が本心にあらざるなり。
 ある人語りて曰く、英国教宗の教正、日本に布教せるもの英国に帰り、その布教の実況を報道せし演説中に、ヤソ教を日本に広むるははなはだ難し。その国の人民論理に明にして、その質問難駁するところ実に順序あり条理あり、決して凡常平易の問難にあらず。この人民をしてヤソ教の理を信ぜしむるには、いちいち哲学上の論法を用いざるべからず。普通の説教演説のよく化すべきにあらず、ただ将来布教の目的は、女学校の進歩にあらんかとの意を述べられたりという。その意、日本の男子は脳中に論理の精水すでに満つるをもって、ヤソ教の法雨を注入すること難し。しかして、女子はその心面の膜質いたって柔らかにして、宗教の風に変質しやすきをもって、将来の布教は女子を教育するよりほかに手段なしというにあり。
 英国その他欧米各国の宣教師は、そのいまだ日本に来たらざるに当たりては、日本の人民はアフリカ、アメリカ等の野蛮人民同等のように考え、この人民をヤソ教に入るるは、小児に対して説教するよりやすきように思うもの多し。すでに来たりて人民の思想に接すれば、全く自ら予想せるところに反し、その宗教上に有するところの観念は、遠くヤソ教の上にあるに驚くという。英国などにて堂々たる大寺院の説教すら極めて浅薄なるものにて、毫も日本の僧侶の田舎の愚夫愚婦に対して述ぶるものに異ならず。しかして聴衆は唯々諾々、一言も疑問を起こすことなし。かつ、日本にて従来講ずるところの仏道・儒道ともに、その理の高尚なることはるかにヤソ教の右にあれば、宣教師の日本に来たりて人民の思想に驚くは、実に道理ありというべし。

 ロンドンの人口は、市中の内外を合わせて三百八十一万四千五百七十一人なり。ゆえに、大数四百万と称す。しかして寺院の数(ヤソ教会堂)、英国教宗に属するもの八百、ほかの諸派に属するもの六百、合わせて千四百カ寺あり。
国教宗             八百カ寺
コングレゲーショナル宗   二百四十カ寺
バプテスト宗        一百三十カ寺
メソジスト宗        一百五十カ寺
ローマ宗            五十カ寺
 ロンドンなる寺院中、その最も名あるものはウェストミンスター・アベーとセントポール・カテドラルなり。この二者ともに国教宗に属す。ウェストミンスター・アベーは英国第一の古刹にして、その最も古き部分は紀元後九八五年(今を去ること九百余年前)の建設にかかる。セントポール・カテドラルはただに英国中の最大寺院なるのみならず、欧米諸国中にある寺院中、第三に位する巨刹なり。すなわち、イタリア国ローマにあるサンピエトロ寺をもって第一とし、同国ミラノにあるものを第二とし、そのつぎはこの寺なり。その堂内の前後の長さは五百尺、左右の長さ(最も広き部分)は二百五十尺、堂の高さ三百六十三尺なり。この寺建築費のうち七十四万七千九百五十四ポンド(わが金四百八十万円)は、ロンドン市中に輸入せる石炭に税を課して収入せるものなりという。非国教宗中最も大なる寺院は、バプテスト宗のメトロポリタン・タバナクル寺なり。その堂内には、六千人の参詣にあつべき座位あり。
 国教宗の制規によるに、婦人子を産すれば、まずその子を寺に送り、洗礼式を受け、法号を賜る。その後、産室を離るるに当たりて、母自ら礼参として寺に詣するを例とす。なお、わが国の宮参りのごとし。その子長じて十四、五歳に至ればまた寺に参り、コンフォメーションと名づくる礼式を受くるを例とす。その式、わが国の冠礼に比すべし。これを行うの法は、教正ありてコンフォメーションを受くべき人の頭上にその手を加え、誓詞を誦するなり。
 西洋の風習となして、出産のとき贈品をなすの例なし。ただ、毎年誕生日に多少の物品を贈呈するのみ。ゆえに人の誕生日は、人みなこれを記憶す。しかして人の死日は、父母の死日といえども、記憶することいたってまれなり。これ、大いに日本とその風習を異にするところなり。
 西洋には、男女結婚の前に結婚約束をなすことあり。これを婚約という。この約を証するため、指環を男より女に与うるを例とす。これを婚約指環という。すでに結婚すれば、結婚指環を与うるなり。結婚指環は、純金にして装飾なきものを用う。この指環を与うるの例はローマ時代の旧風にして、その風の流れてヤソ教に入りしものなりという。
 国教宗の制規によるに、男女結婚を約するものは、その結婚の期日にさきだちて(通常五週間前)、これをその檀那寺に報知し、その寺にて毎日曜続きて三回、礼拝の節これを聴衆の前に報告し、異見故障あるものはその事情を住職に通知するを例とす。この例をバンズという。もしバンズを好まざるものは、大教正すなわち管長閣下に願書を上ぐるを要す。これをマリッジ・ライセンスという。非国教宗に属するものは、かくのごとき手続きをふむを要せず、ただ結婚の当日、その檀那寺に至りて儀式を執行するをもって足れりとす。もし寺院にて結婚することを好まざるものは、区役所もしくは戸長役場を経て結婚を執行することあり。これをシビル・マリッジという。
 国教の制規にては、結婚儀式執行の時間は、当日朝八時より午後三時までを限りとす。しかして、通例朝八時より正午十二時までの間をよしとす。葬式はこれに反し、必ず午後に執行するなり。三時前後最も多し。
 結婚の当日は、新郎まず、あらかじめ期するところの寺院に至りて新婦の来たるを待つ。そのとき音楽を奏す。新婦はその父とともに堂内に入り、礼壇の前に至りてとどまる。新郎はその右に立ち、父はその左に立ち、僧はその前に立ち、新婦付き添いの婦人はその背に立つ。ときに僧、経文および誓文をとりてこれを誦し、新夫婦これに和す。すでにして結婚指環を新郎より新婦に与え、両人おのおの結婚の誓文を誦す。儀式の時間およそ三十分なり。終わりて住職の休息室に至り、おのおの帳簿に記名して結婚を証す。その後、両人同車して新婦の父母の家に至りて朝餐の席につく。その席には、両人の親戚、朋友、そのほか寺院の住職も列するなり。食事は冷肉のみを用い、美菓をその両人の前に置く。これを結婚菓子と称す。新婦包丁をとり、この菓子を分割するを礼とす。食事終わり次第、両人は旅服を着け旅行に就く。この旅行のことを甘月ハネムーンと称す。これを結婚儀式の大要とす。
 甘月旅行は新夫婦両人のみにてこれを約し、そのいずれの所に遊び、何日間滞在する等のことは、毫も父母、親戚に告げざるを例とす。両人出発の後は、その不在の宅にありて当日の夜更けに宴会を張り、あるいは歌い、あるいはおどり、もって婚儀を祝するなり。その翌日、結婚菓子を分配して、親戚、朋友の家に送呈するを例とすという。
 日本にては結婚式の祝宴は新郎の父母の宅において行い、西洋にては新婦の父母の宅において行うの別あり。
 西洋にて葬式の風はまた日本と異なり、まず死人の取り扱い方は、市中にある葬儀取り扱い人に命じて行わしむ。これをアンダーテーカーという。ゆえに、死人あれば必ずその取り扱い人に報知すべし。しかるときは、大小一切葬式の始末、寸分も眷属親戚の手を煩わさずして弁ずることを得るなり。
 英国の埋葬場は会社にて所有するもの多し。会社にてあらかじめ地面を買い入れ、その一部分を埋葬者に売り渡すなり。およそ長さ七尺、幅三尺くらいの地面にて、一人前に相当する埋葬地、ロンドンにては四百円くらいの価なり。棺はすべて臥棺にして、長さ六尺、横二尺半、厚さ一尺くらいなり。地面は極めて深く掘り、一家一族の棺を数重に合葬するなり。その地面の上に石碑をたて、これに埋葬せるものの名と年月を刻するなり。
 埋葬所の一隅に衆人合葬の地を設く。これをポーパーという。貧民を葬る所なり。この地面に葬るものは、少々の金額を出だせば足れり。
 埋葬場の前には必ず花屋と石屋あり。東京の谷中に異ならず。親戚、朋友ときどき埋葬場を訪い、墓所を掃除し花を献ずる等、またわが国の風習に異ならず。
 埋葬場の中央に寺院あり。棺はまずこの寺院に送り、僧侶来たりて読経す。つぎに墓所に至る。僧侶また読経す。楽器を用いず、これを通常の葬式とす。読経の時間は前後あわせて二十分くらいなり。
 中等以上の葬式には、医師の馬車、行列の終わりに加わるを例とす。ただし、その馬車は空車なり。
 西洋のヤソ教は現世の儀式のみを支配し、日本の仏教は死後の儀式のみを支配するの別あり。例えば、ヤソ教の儀式は人の誕生の時に始まり、冠婚より葬式に至りて終わる。さらに死後の祭典供養をなすの儀式なし。仏教はこれに反して、その儀式葬時に始まり、死後の祭典供養を主とす。しかして現世の儀式は、わが国にては神道の主とするところとなれり。
 父母を慕い死人をおもうの情は、西洋人はなはだ薄く、東洋人はなはだ厚し。父母の葬儀のごとき、ただ目前に哀を呈するのみにて、その心かえって喜ぶの類、往々これありという。葬式終わり人みな家に帰れば、父母の遺言に従って財産を分配するを常とす。そのとき一族兄弟の間に争論を起こし、哀泣の声たちまち変じて罵詈の声となるの例、しばしば聞くところなり。かつ、人おのおのその父母の財産の分配を欲して、心ひそかに父母の死期の早からんことを祈るがごとき弊、また少なからずという。
 夏夜、人の涼を戸外に迎え、街上の往来極めて雑踏なるの際に当たり、寺院の僧侶は俗人中の篤志なるものに許して、街上説教をなさしむることあり。
 英国なるヤソ教諸宗派中の最も異風なるものは、サルベーション・アーミーと称するものなり。その組織全く軍制に倣い、群を成し隊を成し、将あり佐あり、あるいは行軍しあるいは屯集し、もって布教伝道をなす。実に異風というべし。当時、その隊中に加名するもの三十万人、隊数二千百五十八隊ありという。
 ヤソ教者曰く、ヤソ教の他教に勝るゆえんのものは、愛をもって教の根本とするにあり。政教子曰く、孔子は仁をもって道の体とし、釈迦は慈悲をもって教の本とす。仁と慈悲と愛とはその名異なるも、その実同じきにあらずや。
 政教子、一日国教宗の僧に面し問うて曰く、貴宗の僧侶は国会議員になることを得るや。僧答えて曰く、教正は上院に列席することを得といえども、一寺の住職たるものは選挙権を有して被選挙権を有せず。他日、非国教宗の僧侶に面し問うて曰く、非国教宗の僧侶は国会議員になることを得るや。僧答えて曰く、選挙権および被選挙権を有すること、町村の人民に異ならず。重ねて問うて曰く、国教宗の僧侶は被選挙権を有せず。しかして貴宗の僧侶は選挙権を有するはいかん。僧曰く、国教宗は二十六人の教正上院に列席するをもって、別に国会議員となるを要せず。かつ、国教宗の寺院は政府の役所の一部分のごとく、住職は官吏の一人のごとく、政府の保護を受くるといえども、わが宗はさらに政府の保護を受けず、その僧侶は純然たる平民の資格を有するものなり。ゆえに、その国会議員となるの資格もまた、平民同様ならざるべからず。
 英人某曰く、仏教に三位一体説ありや。政教子曰く、三位一体説はインドの説なり。仏教中、もとよりその説あり。ヤソ教の三位一体説は、インドの旧説をとるものなり。その天帝主宰説も万物創造説も、みなインドの旧説なり。『バイブル』中に見るところのもの、多くはインドの経文中に見るところのものなり。『新約全書』中に記載せる同一の事項の仏経中に存するは、比較宗教学者の大いに疑いを抱くところなり。仏教はヤソ教の前に出ず。しかしてその説符合するところあるは、はなはだ奇怪ならずや。英人これを信ぜず。よって政教子、英国学士の著せる一書を出だしてこれを示す。某曰く、余はじめてこのことあるを聞く。仏教のよって来たるところ遠し。なんぞ知らん、ヤソ教は仏教の卵中より化生せるを。
 英人某問うて曰く、聞く、日本人民は大半インドの仏教を奉信すと。果たしてしかるや。政教子曰く、日本には日本の仏教あるのみ、インドの仏教あるを聞かず。英人怪しみて曰く、日本の仏教はインドの仏教にあらずや。曰く、そのはじめはインドより伝来せるも、日本に伝わりて以来千余年を経過し、その間大いに発達進化して、すでに念仏宗、法華宗のごとき、天竺にもシナにも聞かざる宗旨を日本に見るに至る。ゆえに、余はこれを日本の仏教というなり。例えば、ヤソ教はそのはじめアジアの西部に起こりしも、今日に至りては英国には英国のヤソ教あり、米国には米国のヤソ教あり、だれか英国のヤソ教を指してアジア西部のヤソ教なりというものあらんや。しかりしこうして、今日わが国に流布せるヤソ教は、西洋のヤソ教というべし。いまだ日本のヤソ教というべからず。なんとなれば、米国より伝来せるヤソ教は米国のヤソ教を模写せるものにして、その教義、儀式、教会の組織等、みな米国にあるものと同一なるのみならず、日本の教会はたいていみな米国教会の付属支会にして、あるいはかの国の伝教師をいただき、あるいはかの人民の扶助金を仰ぐものなり。また、ローマ宗のごときはフランス国ローマ宗の支会にして、ギリシア宗のごときはロシア国ギリシア宗の出張なり。ゆえに、日本には日本の仏教あり、いまだ日本のヤソ教なしというべし。
 政教子、仏教宗の教会のロンドン市中にあるを聞き、一夕これを訪うて会主に面す。会主曰く、この教会当府下に開きて以来、僅々数年を出でずといえども、十余個の分会を英国中に設立するに至れり。実に非常の進歩というべし。毎週木曜日、説教会をこの会堂に開く。聴衆五十名に下らず。米国、フランス等にも、同主義をもって教会を設立するものあり。みな会員、日を追って増加す。ああ仏教、西洋に流行するの機運すでに熟せりと。別に臨みて会主また曰く、われはまことに仏教を奉ずるものなり、われは仏教ひとり真理の宗教なりと信ずるものなり、われは畢生の力を尽くして仏教を拡張せんと欲するものなり。君請う、疑うことなかれと。その鋭意、熱心、実に感ずべし。
 人問うて曰く、仏教の諸宗はみな別主義をもって宗則とし、ヤソ教の諸宗は一主義をもって宗則とするはいかん。政教子曰く、ヤソ教の諸宗は一主義なりというも、各宗多少その宗義を異にす。そのうち主義の全く相異なるものは、ユニテリアン宗、クエーカー宗なり。仏教の諸宗各主義を異にすというも、浄土宗と真宗はその本経一つなり、天台宗と日蓮宗はその本経一つなり。しかれども、もし両教を較するときは、仏教の方、別主義の宗多し。これ釈迦の本意にして、その言に、「われは大医王なり、病に応じて薬を与う」といえり。すなわち、人の病症一つならざれば、これを治する薬また一つならず、一方をもって万病を治することあたわず。今、我人の性質、生来おのおの別なり。万人には万人の心あり、知者あり無知あり、鋭利なるものあり魯鈍なるものあり。もし、この人をして同一に涅槃の楽地に至らしめんと欲せば、その説くところの法、知愚利鈍に応じて異にせざるをえず。これ、釈迦のその教えを説くに当たりて、種々の宗義を立てたるゆえんなり。
 友人某、ヤソ教者の家に遊ぶ。ヤソ教者曰く、世界中種々の宗教ありといえども、ヤソ教にしくものなし。欧米今日の文明といい、国勢といい、人民の道徳品行といい、社会の風俗習慣といい、そのこれを東洋に比して大いに懸隔するところあるは、全くヤソ教の力によらざるはなし。友人曰く、英国はヤソ教国なり、ロンドンに住する人民はヤソ教国の人民なり。この一府中にある寺院および僧侶ともに、千をもって数う。その寺院は人民を保護せざるにあらず、その僧侶は人民を訓導せざるにあらず。しかして市中の罪人悪徒、日に増し月に加わり、人を殺して利をたくましくするがごとき悪賊あるは、しばしば新聞上に見るところなり。わが国はヤソ教国にあらず、わが人民はヤソ教人民にあらずといえども、罪人悪徒かくのごとく多からず。ヤソ教者は世人の品行道徳を振起すというも、その力、罪人悪徒を感化することあたわざるか。これ、わがはなはだ惑うところなり。ヤソ教者曰く、君の論まことにしかり。余この点にいたりては、一言もって答うることあたわず。
 政教子曰く、ヤソ教一変すればユニテリアン宗に至らん、ユニテリアン宗一変すれば仏教に至らん。
 政教子曰く、ヤソ教中、その儀式の仏教に近きものはローマ宗およびギリシア宗なり、その教理の仏教に近きものはユニテリアン宗およびクエーカー宗なり。
 政教子、一日ヤソ教信者に面会す。信者曰く、君なんぞヤソ教を信ぜざるや。政教子曰く、余ヤソ教を信ぜんと欲すること久し。しかしていまだ一人の、余に向かってその信ずべきゆえんを説明するものあらず。信者曰く、われ、よく君のためにこれを説明せん。しかしてその説明は、ただ『バイブル』中に説くところの奇跡・怪談を反復するのみ。よって政教子曰く、君の説明は『バイブル』の講釈にして、これ『バイブル』をもって『バイブル』を証示するものなり。しかして余が要するところの説明は、『バイブル』を離れて『バイブル』を証示するをいう。信者、すなわちヤソ教を奉ずる国は富強にして、他教を奉ずる国は貧弱なるの例を挙げて、神はその信者を愛護することかくのごとしという。
 政教子曰く、ああこれ、なんの説明ぞや。ヤソ教を奉ずる国はみな富強なりというときは、その諸国はみな同一に富強なるべき理なり。しかるにヤソ教国中、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカは富強をもって名ありといえども、スペイン、ポルトガル、ギリシア、ベルギー等は富強と称し難し。しかして、その富強ならざるものヤソ教を信ずること、必ず富強なるものより薄きにあらず。例えば、フランスとスペインとを較するに、フランスはヤソ教を信ずること必ず厚く、スペインは必ず薄きにあらず。もし、新教の国は富強にして旧教の国は富強ならずとするときは、かのフランスもオーストリアもイタリアもみな旧教の国にして、オランダ、スイス、デンマークは新教の国なるはいかん。もし、さらにこれを一個人の上に考うるときは、ヤソ教を信ずる人は終身神の愛護を受け、信ぜざる人は神罰を受くべき理なり。しかるに西洋人中、神を信ずるもの必ず幸福を得、信ぜざるもの必ず不幸にあうの実証なきはなんぞや。これによりてこれをみるに、君のいわゆるヤソ教を信ずる国は必ず神の愛護を得て富強となるの説、はなはだ疑わざるをえず。信者答うることあたわずして曰く、他日、君の家を訪うて応答せんと。しかして、ついに来たらず。
 英国人某曰く、日本人はその妻を称して愚妻と呼び、その家を指して弊屋と呼ぶという。あに愚ならずや。政教子曰く、なお英国人がその書翰の終わりに、われは君の奴僕なりといって文を結ぶの愚と同一なり。
 ある人、斬髪所に入る。斬髪師曰く、足下、髪を長くするを好むか、はた短くするを好むか。曰く、汝の力よくわが髪をして長くすることを得ば、請う、これを長くせよ。斬髪師答うることあたわず。政教子曰く、日本にて斬髪所に入るもの、斬髪師に命じて曰く、わが天窓あたまれと。斬髪師その命のごとく頭を斬らばいかん。
 政教子、一日コングレゲーショナル宗の僧を訪い、その宗の主義、各寺みな独立を唱うる以上は各寺の制度・儀式一定せざるべき理なり、しかるに実際上、各寺みな一定の制度・儀式を用うるは、いかなる道理によるやはなはだ解し難し。その僧曰く、なお世間にて食事の時間一定するがごとし。食事の時間は、決して法律上一定せるにあらず。ゆえに、もとより各自の意に任じてしかるべしといえども、世間一般、午前八時に朝飯を食し、十二時に昼飯、夕六時に晩飯を食するように一定すると同一なり。
 ロンドンは十一月より二月に至るまで、およそ四カ月間は黒煙四方に遮り、終日日影を見ず。はなはだしきにいたりては、四隣灯をともし、白昼あたかも暗夜のごとし。政教子曰く、この魔霧、なおよく人民を教育するの力あり。けだし英人の性たる、街上の遊びを好まず、日業終われば必ず家に帰り、父母の諸仏と妻子兄弟の菩薩と一室に相会し、互いにその懐を放ち、互いにその歓をかたり、一場の極楽界を開くがごときは、全く戸外の気候の人身の健康に適せず、街上にありて愉快をとることあたわざるによる。
 政教子、一日ロンドンなる博物館に遊び、その館内に陳列せる古今万国の諸品諸物を見て曰く、これ英国人民の学校なり。人民この館を一見するときは、その見聞を広くし、その知識を進むること、ほとんど計るべからざるなり。今日、英国人民の教育の進めるは、決して学校の教育に限るにあらず、かくのごとき陳列場に入りて受くるところの教育の力、最も多きにおる。
 ロンドンの博物館内に仏像を収集せる一部分あり、その中に左の種類あり。
木像 三十種  金像 三種  陶像 三種  画像 三種  その他仏器・仏具・経文
 西洋には近年大いに東洋学を研究すること流行し、これに関する書類、諸方において発行するに至る。今、ロンドントリビュナー書肆のみにて発行せるものを挙ぐるに(一昨年発布せる書目表による)、
日本の言語・文学に関するもの                十八部
シナの言語・文学に関するもの               七十七部
インドの言語・文学に関するもの            三百九十七部
東洋の宗教(仏教・儒教・イスラム教等)に関するもの    九十九部
なり。インドの言語・文学書の中には仏教の文学書も混入せり。
 政教子、一日英文にて日本の事情を批評せるものを読み、その中に「日本国王の祖先は神にして天より降りたるものなり。ゆえに、今に至りて国民一般に天皇を呼びて天の子と称す」という一句あるを見る。西洋人の日本のことを解する、往々かくのごとき誤謬あるを免れず。ゆえに、西洋人の評論ことごとく信を置くべからず。

 スコットランド国教宗には十三中会議区、八十四小会議区あり。しかして、住職の数一千六百六十人なり。スコットランド非国教宗には、フリー・チャーチとユナイテッド・プレスビテリアンの二宗あり。前者は十六中会議区、七十三小会議区、一千百四十一住職を有し、後者は三十三小会議区、五百九十八住職を有す。
 スコットランド国教宗は、毎年国教税、寺領地等より得るところの金、総計平均三十五万ポンド(二百三十万円)、そのほか一八四五年以後創立せる寺院の建築費および人民の寺院に寄付せる土地・家屋等の代価、合計二千百万ポンド(一億四千万円)なり。以上の入金のほか、一八八七年中の表によるに、有志の喜捨金(賽銭・志納の類)三十二万二千五十八ポンド、座料(寺院内の席税)六万三千四百四十七ポンドなり。
 スコットランド非国教宗中、フリー・チャーチ宗の一年の収入、悉皆総計(一八八七年中)五十九万二千八百五十五ポンド(三百八十万円)、この四十年間に徴募せる宗教資本金一千八百五十万ポンド(一億二千万円)なりという。
 スコットランドの日曜は厳重をもって名あり。市中の諸商店はもとよりことごとく閉鎖し、家にありても高声にて談話するを禁じ、宗教書類を除くのほか、当日読書することを禁ず。ゆえに、英国にて日曜の静謐なるときは、これをよんでスコットランド日曜のごとしという。
 人あり、スコットランドより来たりて曰く、かの地の日曜はいたって厳重にして、一人も業をとるものなしと。政教子曰く、スコットランドの日曜なにほど厳重なるも、人みな業を休むことあたわざるべし。商工等は業をとらざるも、寺院にある僧侶および世話人は当日かえって多事なり。
 スコットランドの結婚式は英国とやや異なり、結婚を行うもの必ずしも寺院に至るを要せず。寺院の僧侶を招き、私宅にありて執行することありという。
 スコットランド国教宗の大会議は、まず英国女王よりこれを開会すべき旨をスコットランドの貴族に伝え、貴族は女王の代理者となりて開かしむるなり。
 アイルランドは当時、国教の名称を有するものなし。ただし、人民の大半ローマ宗を奉ず。ローマ宗には四人の大教正、二十三人の教正ありて僧侶を管理す。教正死するときは、その相続者を選定するの法、まずその管轄配下の僧侶一名を指名して、これを相続者となさんことをローマ法王に奏願す。しかして国内の教正は、別に二、三名の相続者に適当なるものを認定して法王に上申す。しかるときに法王は、これを法嗣会(イタリアの部を見るべし)の共議に付して選定するなり。
 アイルランドのローマ宗僧侶は、その生計の一半は奉職の給料より出でて、一半はヤソ降誕および昇天日等、信徒より献納せる布施、そのほか葬婚等の節得るところの謝礼より出ずるなり。
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 フランスは宗教の自由を許すも、当時政府の公認を得たるもの、ローマ宗、新教派、ユダヤ教、ミュジュルマン宗の四宗のみ、これを公認教と称す。すなわちその国の規則に、信徒十万人以上を有する宗旨は、政府これを認定して公認教とするという。この公認教には、政府より毎年若干の保護金を賦与するなり。すなわち一八八八年度の表によるに、政府にて宗教上に費やせる金額、左のごとし。
ローマ宗に 四千三百十二万六千七百五フラン(わが金およそ一千三十万円)
新教派に 百五十五万一千六百フラン
ユダヤ教に 十八万九百フラン
そのほか新教、ユダヤ両宗礼拝所に 四千フラン
ミュジュルマン宗に 二十一万六千三百四十フラン
そのほか行政上に 二十五万一千フラン
 合計 四千五百三十六万六千五百四十五フラン(わが金およそ一千百三十四万円)
 フランスはその政府中に教部省の一部分ありて、その国の宗教に関する事務を管理するなり。しかして教部省は司法省と相合し、司法兼教部省と称するなり。
 欧州にてヤソ教の次第に衰うる一例は、その人民中、自らヤソ教の信徒にあらざることを明言するもの、年一年より加わるを見て知るべし。すでにフランスのごときは、一八八一年一二月の統計表によるに、人民中宗旨を定めざるもの七百六十八万四千九百六人ありという。
 フランスはローマ宗の国なれば、その寺院の大なるものみなローマ宗に属す。その堂内の礼壇には必ず十字架上のヤソ像と花瓶、燭台とを駢列し、その礼壇の背部に、別にマリアの女像を安置せる一室あり。なお、わが神社の奥院のごとし。その堂の入り口の傍らには洗礼室あり。小児の洗礼を行う所なり。
 旧教の寺院にては、その入り口に水の少量を蓄えたる石器あり。参詣のもの、まず指をその水中に点じ、十字を胸にえがきて神前に近づくを例とす。なお、わが国にて神仏に詣するに手を清むるの風習に相類す。
 フランスのヤソ教は、多くカルバン宗に属す。政教子、一日パリ市中にある同宗の寺院をみるに、堂内には牧師の説教席あるのみにて礼壇なし。あたかも英国非国教宗に異ならず、ただ説教席の後壁に十字の印ある幕を垂れり。日曜礼拝の時間は一時十分にして、そのうち三十分間は説教なり。当日参詣人は百二十九人ありて、そのうち九十八人は婦人、三十一人は男子なり。その年齢は十二、三歳の子供かまたは四十以上の男女にして、みな下等の人物のみ。
 フランスの旧教にては、十七人の大教正と六十九人の教正ありて宗務を管理す。その国の新教にては、一宗内の会議によりて寺法を議定するなり。
 英国にてはヤソ教を非難する書は、今日に至り従前のごとくはなはだしからざれども、なお世間に行われ難き傾きあり。フランスにてはヤソ教を非難する書、かえって多数の購読者を得るという。両国間のヤソ教の盛衰、推して知るべし。
 英人は家にありて楽しみ、フランス人は家を出でて遊ぶ。
 英国にては一寺の長たるものをビカーといい、その補佐をなすものをキュレートという。フランスにては一寺の長たるものをキュレートといい、その補佐をなすものをビカーという。両国の名称、まさしく相反せり。
 フランスにて下等の料理屋は、馬肉を牛肉と称して食せしむるという。政教子曰く、昔時は鹿を指して馬という。今時は馬を指して牛という。馬鹿の名称、これより変じて馬牛となるべし。
 ヤソ教国の人民は、教祖ヤソは金曜日に死刑に処せられたるをもって、一週中ひとりこの日を称して不吉とし、当日旅行を忌むの風あり。ゆえに、毎週金曜日には汽車の乗客はなはだ少数なりし。しかるに近年、同日の乗客次第に増加するに至れり。これ、ヤソ教の妄信者次第に減少せるによるという。
 西洋にて従前はみな埋葬のみを用い、火葬は絶えて用いざりしが、近年に至り火葬ようやく行われ、英国にもすでに火葬場の設置あり、フランスにては火葬の数次第に増加するという。
 欧州諸国中、埋葬地の最も美なるものはパリの埋葬場なり。富めるものの墓は六畳敷きくらい大なる石堂を建て、その中に拝壇を設け、花瓶、燭台、写真、油絵、植木、椅子等を陳列せり。
 パリにて上等の墓地は、一人前七百フラン(わが金百七十五円)の価なり。七歳以下の子供は一人前その半額なり。もし年限を定めて買うときは、十年間限り一人前百五十フラン(わが金三十七円五十銭)なりという。
 ローマ宗葬式のときは、刷毛体のものあり、これを水に湿し、送葬のものをして代わる代わるその柄をとりて、一、二滴を棺の上に振り掛けしむ。あたかもわが国の各宗にて香台を出だし、送葬者をして焼香せしむるに異ならず。
 パリにて往来の人、街上にて棺車を見るときは、みな帽を脱して敬礼をなす。よき風習というべし。
 英国教宗にては、各寺の住職は戸長役場の役人に代わり、結婚者の姓名を戸籍帳に登載するの権を有す。ゆえに、その宗の者は戸長役場に結婚届を呈出するを要せず。非国教宗にては、僧侶その権を有せざれども、結婚の節は戸長役人その寺に臨みて結婚者の姓名を登記す。ゆえに、これまた役場に届け出ずるを要せず。しかるにフランスにては、結婚者必ず区役所もしくは戸長役場に至りて記名するを要す。しかして後、寺院に至りてその式を行うを例とす。もし役場に至らざるときは、その結婚は無効に属するなり。
 西洋にては、結婚のとき夫婦同伴して旅行するは上下一般の通俗なれば、貧富の別なく必ず数日間旅行するを例とす。ただし、貧なるものは数日間の旅費を弁ずることあたわざれば、あるいは一夜間の旅行、あるいは一日間の旅行をなすものあり。例えば、朝より家を出でて同所の公園もしくは近村に遊び、晩に至りて帰るものありという。
 西洋人は馬を買うには血統を正し、妻を迎うるには血統を問わず、日本人は妻を迎うるに血統を正し、馬を買うに血統を問わずという。妻と馬といずれが重要なるや。
 西洋人は裸体は野蛮の風なりとていたくこれを責め、しかして絵画および彫刻に男女裸体の像多し。これを見て怪しまざるはなんぞや。
 西洋にありて日本人と対話するときは、往々日本語と西洋語を混同して意味を聞き誤ることあり。例えば、英国にありて人と談話するの際、なにがしはデュークなりというを聞き誤り、余は、かの人の年は三十歳くらいに見えたりと答うることあり。これ、デュークは英国の爵名なるに、日本語の十九と混同せるによる。フランスにて、この品はサンフランなりというを聞きて、サンフランはあまり安し、五フランくらいのものなりと答うることあり。しかるに、サンフランはフランス語にて五フランのことなり。
 パリにはギメ氏の仏教博物館と称して、仏像および仏書を収集せる一館あり。仏像の部にはインドの部、シナの部、日本の部の区域ありて、日本の部のみにても絵像、木像、金像、仏器、仏壇等、幾百種あるを知らず。しかしてその仏像はたいてい宗派をもって区分し、真言部、真宗部等と次第せり。
 スイスは新教の国にして、その宗はカルバン宗なり。しかして旧教の信徒また多し。
 カルバン宗は会議組織より成り、僧侶の平等同権を唱え、本山を置かず教正を立てず、諸事みな会議によりて決す。ゆえに、スコットランド宗と同組織を有す。
 カルバン宗は新教の一派にして、旧教に抗抵して起こりたるものなれども、ドイツに行わるるところの新教すなわちルター宗とはやや異なるところありて、これをルター宗に比すれば、その主義といい宗制といい、一層厳なるものなり。
 スペインの都城マドリードは、その地位いたって高く、欧米首府中最も天に近きものなり。ゆえに、その人民大いに喜びて曰く、わが国都は最も天国に近きをもって、特別に上帝の監護を受くべしと。その妄信かくのごとし。
 スペインの貴族院には高僧および教正列席の権を有し、下院には一寺の住職はもちろん、いやしくも僧侶の列に加わるものは、みな議員を選挙するの権を有すという。
 友人、スペインに遊びたるもの曰く、スペインの事情は左の一句にて尽くすことを得べし。曰く、
スペインは寺と乞食と歴史のみ
 ポルトガルには僧坊、尼坊今なお存すといえども、堂宇はたいてい頽敗して零落の状を呈し、僧侶はその下等の地位にいたりては学識はなはだ乏しく、生計大いに困し、農夫、役夫を去ること遠からずという。

 イタリアはローマ宗をもって国教と定め、その国を分かちて三十七大教区、二万四百六十五小教区となし、寺院の数五万五千二百六十三棟、僧侶の数七万六千五百六十人あり。そのほか、往時は僧坊一千五百六、尼坊八百七十六、坊僧二万八千九百九十一人、尼一万四千百八十四人ありしも、現今は大いにその数を減じたりという。
 ローマはローマ宗大本山の地にして、法王の住する所なり。しかれども、法王には通常の人、容易に謁見することを得ず。年中、大祭日もしくは大祝日を除くのほか、法王は礼拝堂に臨席することなし。臨席の節も、衆人容易に法王に接見することあたわず。当日入場のものは特別の許可を得るを要し、かつ礼服を着用せざるべからず。しかして平日は法王深殿中に起居し、絶えて市中に出ずることなし。ゆえに、大祭日にみずから礼壇に上りて供養をなすに当たりては、満堂随喜の涙にむせび、感泣の声四隣に聞こゆという。あたかもわが真宗信徒の、その法主を拝するに異ならず。
 大本山の名はサンピエトロ寺という世界第一の大堂なり。その奥行き百十六間、中央左右の長さ六十五間、堂の絶頂の高さ二百十六間なり。その建築の費用、大計六千五百万円なりという。当時、法王この費用を支弁するに苦しみ、金を納めて位階・特許等を買い得るの方法を設けたるに、その結果、宗教改革の乱を引き起こすに至れりという。
 法王の宮殿をバチカンという。古来、世界にある宮殿中最も大なるものなり。その長さ五百七十八間、その横三百八十五間、その殿内には大小室数を合わせて一万一千室ありという。当時は法王その一小部分を占有し、そのほかは政府にて博物館、美術館等に用う。この一事を見て、法王の権勢の衰えたる一斑を知るべし。
 ローマにはサンピエトロを除くほか、有名なる寺院はなはだ多し。その中には、古来巡礼参拝の寺あり、ヤソに因縁ある宝物を有せし寺あり、ヤソを縛せる杭、ヤソの踞せし石などを保存せる寺あり。あたかもわが国の古刹にて、袈裟掛けの松、手植えの梅、何上人の袈裟・珠数等を保存せるに異ならず。
 ローマの市外に、古代ヤソ教者を埋葬せし所あり。これをカタコムという。その中にはローマ時代の高僧大徳の遺骨もあり、罪人悪徒の遺骨もあれども、今日にありてはその遺骨を弁別することあたわず。しかるに狡商輩ローマに至り、その墓所より遺骨を拾い取り、これに高僧大徳の名を与え、これ何大師の遺骨なり、これ何上人の遺骨なりと称し、世のヤソ教信者より千金万金を取りてその品を売り渡すという。ゆえに、昔時大罪人の骨、今日大聖者の骨となり、朝夕礼拝供養を受くるもの必ず多かるべし。
 ローマ宗当代の法王はレオ十三世にして、イタリア貴族の子なり。一八一〇年に生まれ、一八七八年に法位につく。法王の初代彼得サンピエトロよりこの法王に至るまで、二百六十三代を経るという。すなわち、当代は二百六十三代目の法王なり。
 法王の下には、法王の大臣参議もしくは顧問官とも称すべきもの数十名、相会して議事を開く。その人員一定せずといえども、たいてい七十名をもって限りとす。その名を法老カーディナルという。法老は法王を選挙し、および法王に選挙せらるるの権を有するものなり。
 法王を選定する法は、数十名の法老相集まりて選定会を開く。これをコンクレイブという。そのときおのおの投票を取り、その票面に選挙者の名すなわち自名と、法王に当たるべき法老の名と両方相書し、これを封鎖して神壇の上に置き、おのおの誓式を行う。その式終わりて投票を開披し、票数その総数の三分の二以上を得たるものは法王に選定するの規則なり。もし三分の二以上を得たるもの一人もなきときは、さらに投票を行うを例とす。法王すでに定まりたるときは、ことごとくその投票を焼没するという。
 法老の定数七十名は、法老教正カーディナルビショップ六人、法老訓導カーディナルプリースト五十人、法老試補カーディナルデーコン十四人より成る。しかれども、当今は法老教正六人、法老訓導四十二人、法老試補十二人、都合六十人なり。
 ローマ宗はその組織、英国教宗に異なることなし。ただその異なるは、一は法王これを総轄し、一は国主これを総轄するの点にあり。法王の下に、あまたの教正および大教正あり。各教正は地方中本山の長にして、その教区内の末寺僧侶を監督す。大教正は地方大本山の長にして、大教区内を監督す。この大中両本山を総轄するものは法王なり。ゆえに、法王の本山は総本山なり。また、各教正の配下すなわち中教区に中教区会議あり、その区内の僧侶これに出席す。その上に大教区会議あり、大教区内の教正これに出席す。その上に総本山の会議あり、各教正および大教正ことごとくこれに出席す。
 ローマ宗にて僧侶賞罰の権は、その地方の教正これを有す。教正の賞罰に服せざるものは、法王に直訴することを得るなり。
 ローマ宗にては近代、本山より各末寺に税を課して金を募ることなし。しかして、各末寺より信徒の喜捨金を集め、これを法王の下に献納することありという。
 ローマにて街上散歩の際、往来の僧侶を算せしに、前の一時間に四十三人を見、後の一時間に七十二人を見たり。僧侶の多き、推して知るべし。
 イタリアの寺院にては、参詣の信徒代わる代わる進みて、僧の手を口吻するの風習あり。また、堂内に安置せる神像を、衆人争って口吻す。あたかもわが国の風習、賓頭盧尊者の像を、手をもって撫捺するに異ならず。サンピエトロの堂内に、彼得サンピエトロ法王の偶像あり。人争い、ひざまずきてこれを口吻す。また、堂内の灯明の油に手を浸して、おのおのその額に塗るの風習あり。
 ローマ宗の本山サンピエトロの堂内には数個の常夜灯あり。白昼なお火をともし、昼夜滅することなし。
 ローマ宗の信者は食事の席につくとき、胸に十字をえがきてのち座するを礼とす。席を退くときも、またしかり。かつその宗に熱心なるものは、毎金曜日に精進潔斎すという。金曜日はヤソ死刑に処せられたる日なればなり。
 政教子、ローマに在りて一人の僧に面し、僧侶兵役のことを問う。僧曰く、この国の僧侶は二年間兵役に従事するを要すという。
 イタリア政府にては、近年ようやく寺院所有の土地を買い上げ、政府の所有となすという。
 イタリアは近年宗教の勢力非常に衰え、政府はますますその勢いを減殺せんことをつとむ。ひとりローマの寺院には参詣の客続々たえざるがごときも、これ多くは外国人のこの府中に滞留せるものなりという。けだし、宗教のかくのごとく衰頽せる原因は他なし。ローマは宗教の大首府にして、諸国より高僧大徳の来たり集まる所なり。しかるにその高僧、必ずしもみな品行端正なるにあらず、往々醜聞の外に漏るるあり。この地に住するものよくその内情を知り、自然の勢い僧侶を尊敬せざるに至り、したがって宗教の勢力を減ずるに至れりという。果たしてまことか。
 欧州いたるところ乞食あらざるはなし。フランスおよびイタリアにては、寺院の門前に必ず乞食ありて愛を請う。そのうち、廃疾、不具の者最も多し。不具にして乞食に巧みなるものは、毎日平均、仏貨十フラン(わが金二円五十銭)くらいの所得あり。ゆえに、不具ならざるものも、ことさらに不具を偽造して乞食となるという。
 ギリシアの宗教はローマ宗とその組織を異にしたる一種のヤソ教にして、これを世にギリシア宗という。その一宗の主権は、アテネ府なる宗教会議これを有す。その会議は五人の僧侶と二人の俗徒より成る。
 従来ギリシアは三十二教区に分かち、各区に一人の教正ありてこれを管轄す。しかしてその住するところの寺一国の首府にあるときは、これを大教正と称す。およそこの宗の制規として、普通の僧侶は妻帯することを得るも、教正の位にあるものは妻帯することを許さず。ゆえに、もし僧侶上進して教正となるときは、その妻子をすてざるをえず。しかしてその妻は、たいてい尼寺に入りて比丘尼となるという。
 ギリシアの内地いたるところ、必ず郷寺もしくは村寺とも称すべきものあり。わが国の郷社、村社のごとし。その各寺には必ず住僧ありて、他邦人その村を通過するときは、その僧これを接待するの風習なり。すなわち外人を接待するは、寺僧の職務の一部分となれるなり。しかしてその僧は、学識といい職業といい、一般の村民に異なることなし。ただその異なるは外貌上、黒帽をいただき黒衣を着し、長髪長髯これのみ。しかして寺務の余間には、僧はその妻とともに、ほかの村民のごとく農業をとるを常とす。なんとなれば、村落の住僧は寺務の所得のみにては、糊口をみたすことあたわざればなり。その生計かくのごとく窮するをもって、学問を修めんと欲するも、その志を果たすことあたわず、ただ神前にありて経文を誦することを知るのみ。ゆえにその学識の度、かえって俗人の下にありという。
 政教子ここにおいて曰く、僧侶の貧かつ愚なるは、ひとり東洋の諸邦に限るにあらず、仏教の諸宗に限るにあらず。ギリシアのごときは欧州中の一国にして、その宗旨はヤソ教の一派なるも、僧侶の愚かつ貧なること、かくのごとし。これによりてこれをみるに、僧侶はその国人の学識・貧富の一斑を示すものにして、僧侶の貧かつ愚なるは、その国民の知識資産の程度一般に低きにより、僧侶の富かつ学識あるは、その国民の程度もまた高きによる。国民一般に資産に富めば僧侶もまた富み、国民一般に学識に長ずれば僧侶もまた長じ、僧侶ひとり貧なるあたわず、僧侶ひとり愚なるあたわず。ああ、僧侶は一国人民の貧富、賢愚の程度を代表するものなり。
 ギリシアにはおよそ百五十前後の僧坊ありて所々に散在す。その坊内にはあまたの僧侶ありて眠食す。外人の来たりて泊宿を請うものは、たれびとにてもこれを許す。あたかも客舎のごとし。ただその客舎と異なるは、日没後、門の出入を禁ずるのみ。もし僧徒にしてその坊に入らんと欲するものは、まずその有するところの金銭諸品を出だすべし。しかるときは、これに相当せる年月の間、その社中に加わりて眠食することを得るなり。その寄留の間は一切、長老の指揮に従わざるを得ず。長老は坊長として選挙せるものなり。
 およそ欧州中、礼拝所の多き、ギリシアよりはなはだしきはなし。ギリシアにてはひとたび寺院を設立せる地は、その寺院すでに破壊せるも、永くその跡を存し、十字架と灯明台を置きて礼拝堂となすなり。なんとなれば、ギリシア人は寺院を設立せる跡は永く神聖の地にして、これを開墾するは天帝に対し大不敬なりと信ずるによる。
 ギリシアの寺院は二、三の大寺巨刹を除くのほかは、たいてい木造の柱壁より成る。その内部の礼壇上には十字架と経台あり、礼拝のときは無数のろうそくをその前にともす。壁上には種々彩色せる画像あれども、木像、石像等なし。なんとなれば、ギリシア宗は彫刻に属する偶像を、寺内に安置することを禁ずればなり。
 トルコはイスラム教国にして、帝王はイスラム教の法王なり、その政府はイスラム教の政府なり。『コーラン神典』はその国の法律書なり。その官に在るものは神典を暗記するを要し、その宗の僧侶は世襲なりという。
 アラビアのメッカは教祖マホメットの霊地なればとて、毎年四方よりその地に参詣するもの、万をもって数う。一八八七年中、陸より詣するもの二万八千二百五十一人、海より詣するもの六万八千六百八十九人ありしという。

 オーストリアの帝室はローマ宗を奉じ、全国人民十中九分はまたローマ宗を奉じ、その宗を国教と称すれども、その実公認教なり。当時、ローマ宗とルター宗とユダヤ宗は、政府これを認定して公認教とす。ギリシア宗もまたその国の公認教なり。けだし、この国の法律によるに人民の信教は自由なれども、公然会堂を建てて説教を開くべきものは公認教に限るという。
 欧州各国、たいてい政府にて寺院保存金を監督し、廃寺保存の用に備うる方法を設く。英国はもちろん、フランス、プロイセンにもこの方法を設くという。オーストリアにもこの法ありて、教部省その資金を監督すという。
 オーストリアの憲法上には州会と国会との二部あり。国会は上下両院より成り、上院には大教正十人、教正七人出席するの制規なり。州会にはローマ宗の大教正および教正、そのほかギリシア宗教正もその議席に列することを得るなり。
 ローマ宗、ギリシア宗の僧侶および国教宗の僧侶は一種の服制ありて、五条袈裟、七条、輪袈裟、白衣、黒衣等、大いにわが仏教宗にて今日用うるところのものに似たり。外出のときも一定の服制ありて、その帽も他人に異なり、一目して僧と俗とを区別することを得べし。しかれども、その他の新教諸宗は服制平常の人に大差なければ、僧と俗とを区別することはなはだ難し。
 オーストリアはローマ宗の国なれば、路傍に往々十字架上のヤソ像あり、その下に神灯ありて、その前を通過するもの一拝して去り、あたかもわが国の路傍にある地蔵尊、道祖神のごとし。
 ウィーンよりダニューブ河に至るの道、八畳敷きくらいの一小屋あり。その内にマリアの像を安置し、その両側に十二徒弟の像を排列せり。わが国の庵室に仏像を安置せるに異ならず。しかしてその室内には参詣のもの群集し、おのおの一心に請願祈念するの状あり。来たりてその室に入るもの、みなろうそくを献じて拝礼を行う。そのとき点灯の数をかぞえしに九十二丁ありし。政教子曰く、愚民の宗教を念ずるその形、東西異なることなし。ウィーンの大都会にして、なおわが国の村落僻邑に存するものと同一の風習あるを見る。世の論者ヤソ教と仏教とを較し、一は開明の儀式を用い一は野蛮の風習を存すというも、余はいずれが野蛮いずれが開明なるやを判定するに、はなはだ苦しむ。けだし、儀式、風習の野蛮なると野蛮ならざるとは、人の方にありて教の方にあらざるべし。
 オーストリアのローマ宗には左の寺院、僧侶あり。
大教正 七人   教正 二十二人   僧長 二人
神学校 四十六  教員 二百三十人  生徒 二千七十八人
僧坊  四百六十一  坊僧 六千八百九十六人
尼坊  四百二十九  尼 千七百二十七人
寺僧  一万五千二十六人
 そのほかハンガリーには、大教正一人、僧長一人、教正十六人、坊僧一千九百四十七人、尼一千九百七十五人あり。
 ローマ宗に祭るところのマリアの女像は、わが国観音を拝するに異ならず。
 ロシアの人口は、その諸領地内にあるものを合算して一億二百六十八万四千五百十四人なり。しかして、その百分の六十五はロシア国教宗、その十一は非国教宗、その八はローマ宗、その六はイスラム教、その四半は新教諸派、その四はユダヤ宗、その一はアルメニア宗、その他は外教なりという。
 ロシアの宗教は、名はギリシア宗と称すといえども、その実大いに異なり。ただ、そのギリシア宗と称するゆえんは、ローマ法王の管轄を受けざることと、宗教会議を置きて一宗の政府を組織することと、彫刻に属する偶像を用いざること等の数条、二者相同じきによる。しかして、ロシアの宗教はロシア皇帝をいただき、これをして一宗総轄の権をとらしむ。なお、英国の国教宗にてその国主を奉戴するがごとし。これをロシア国教宗と称す。この国教宗に反対して、宗教の独立を唱うるものあり。なお、英国の非国教宗のごとし。これをロシア非国教宗と称す。この国教、非国教二宗ともにギリシア宗の名称を用う。そのほかローマ宗、ユダヤ宗等の数宗あり。
 ロシア国教宗の寺院は、みな美麗をもって名あり。堂の内外に金銀宝石の装飾あるは、ただ目を驚かすのみ。すでにセン・アイサーク巨刹のごときは、その建築費三百二十五万ポンド、すなわちわが金二千百万円を要せりという。
 ロシア国教宗の寺院の礼拝式は、たいてい毎日午前六時より八時、十時より十二時、午後四時より六時までを定めとす。土曜と日曜は少々時間の相違あり。礼拝中、唱歌その主なる部分なり。唱歌終わるとき、ロシア皇帝陛下および皇族のために祈請することあり。そのとき、一同やや屈身して敬礼をなす。
 信者が寺院に入るときには、まずその入り口に売り出だせるろうそくを買い、これをその手にとりて徐々として堂内に進み、神前に近づくに及び一方の足を折りてひざまずき、首を垂れて胸に十字をえがき、もって敬礼の状を呈し、のち進みて神前に至るときに、その持ちたるろうそくに火をともしてこれを燭台の上に置き、屈身跪座して一、二言の祈請の語を誦す。祈請終わりて退く。その退くも、礼壇に向かいながら足を背部に進むるを礼とす。しばらく去りて足を地に屈し、十字を胸にえがき、敬礼して堂を出ず。これ普通拝礼の状なり。
 ロシア国教宗のローマ宗と異なる第一点は、ローマ法王を奉戴せざること、第二点は洗礼のときに全身を水に浸すことの必要を唱うること、第三は僧侶に結婚を許すこと、第四は器械的の音楽を許さざること、第五は絵像を許すも木像、金像等を許さざること、そのほか宗義教理上に二、三点の異同あり。
 ロシア国教宗にては、年中四期の大断食あり、そのほか毎週の断食あり。水曜日と金曜日これなり。これを断食と称するも、決して絶食するのいいにあらず、ただ生肉を食せざるのみ。なお、わが国の精進潔斎というがごとし。
 ロシアには寺院の祭日はなはだ多く、各地の本山へ巡礼巡拝するの風、また大いに行わる。布施、奉加、献納金等のこと、みなわが国の風習に異なることなし。日曜には寺時の間(すなわち寺院にて礼拝式ある間)は市中の商府を閉ずれども、その時間後は諸商店たいてい相開き、芝居、見せ物等自在なり。人を訪問するも自在なりという。
 ロシア国教宗は帝王その管長にして、僧侶の拝命訓令はすべて帝王より出ずるなり。その寺院にて礼拝の節は、必ず厳粛鄭重にロシア皇帝およびその帝室のために、天帝に対して祈請するなり。ゆえに、ひとたびその宗門に入るものは、ロシア皇帝を奉戴するものなり、ロシア皇帝の配下に入るものなり。しかるに、ロシア国教ひとたびわが国に入りて以来、わが愚民ようやくその門に入り、信者の数、日に月に加わり、現今幾万人あるを知らずといえども、余が聞くところによるに、その信徒は北海道および奥羽地方に最も多しという。北海道はロシアの国境に接するの地にあらずや。その人民、もしことごとくロシア国教宗を固信し、ロシア皇帝を奉戴するときは、わが国の不利、けだしこれより大なるはなし。しかして、その地方に住する人民の多数は無知の愚民にして、ロシアのなんたるを知らず、ロシアと日本はいかなる関係を有するやを知らざるものなれば、これを誘引してかの宗門に入るるは、また決して難きことにあらざるべし。ことにわが国信教の自由を公達せし今日に当たりては、その宗門の旧に倍して民間に流布するに至るは自然の勢いなり。余輩、あにこれより生ずるところの将来の結果を憂慮せざるべけんや。
 ロシアの政府中には大教院ありて、全国の宗教に関する事件を議決するなり。その議事に参与するものは大教正、教正等なり。ここにて決したる議事は、必ず帝王の認可を得るを要す。その会を神会(ホリー・シノド)という。一八八九年度の調査表にかかるに、神会の一年間の経費一千百十七万四千六百五十九円なり。その会にて有するところの資本、別に三千二百万円以上ありという。一八八六年の表によるに、その会にて一年間費やせる金額中、帝室より支弁したるもの一千三百二十六万七千四百二十一円、信徒の寄付より支弁せるもの一千三百二十三万八千百八十四円、神会の資本より支出せるもの六百二十三万六千九百四十四円、都合総計三千二百七十四万二千五百四十九円なり。右は寺院の保存、僧侶の俸給、そのほか布教、伝道等の経費に充てしものなり。
 政教子、欧州を巡回してロシア宗寺院の各国にあるものを見るに、英国にはロンドン市中に一寺あり、フランスにはパリ市中に一寺あり、オーストリアにはウィーン市中に一寺あり。これみな小会堂にして、ロシア人のかの地にあるものの詣する所なるのみ。つぎに、ドイツのベルリンに至りロシアの寺院をたずぬるに、市中にその堂宇なし。ただロシア公使館中の一室に会堂ありて、毎日曜、同国人ここに至りて礼拝を行うという。ゆえに、余はついにその会堂を見ることあたわざりし。しかるに、わが東京にあるロシア宗の会堂は、その大きさ欧州各国にあるものに幾倍せるを知らず。しかして毎日曜この会堂に至るもの、決してひとりロシア人にあらずわが国の人民なり。その神学校にありて教授を受くるものは、決してロシアの生徒にあらずわが国の生徒なり。かつその会堂は、ヤソ会堂のわが国にあるもののうち最も大なるものなり。これ、余が欧米を巡見して、大いにこの点に感覚を起こしたるゆえんなり。

 西洋に女権の盛んなるは米国を第一とし、英国これに次ぎ、フランスこれに次ぎ、ドイツその次なり。
 西洋の上等社会および下等社会は品行正しからず、中等社会最も正しという。
 フランスの戦争の画は敗北の図多く、ドイツの戦争の画は勝利の図多し。
 ドイツにはルター宗徒最も多し。その宗は英国教宗のごとく堂内に礼壇を設け、その上に十字架上のヤソ像を安置す。その上に燭台、経台あり、そのほか別に説教座あり。
 ルター宗の日曜礼拝の時間は、およそ一時間十五分ないし三十分なり。そのうち三十分ないし四十五分は説教なり。ベルリンの寺院にては毎日曜参詣せる人を見るに、三分の二以上は女、三分の一以下は男なり。その年齢は十二、三歳以下の子供か、または四十以上の男女を多しとす。
 政教子、一日ベルリンにあり皇族の葬式あるに会す。楽隊および兵隊その列に加わる。幡持ち数車、花持ち数行あり。棺車の馬は黒衣をもって全体にかぶらしめたり。わが国の葬式に、別にかわりたることなし。
 ベルリンの墓所は日本の墓所の風とはなはだ相近し。墓碑は極めて粗略なるものにして、その富めるものは広く地面を取り、周囲に鉄柵をめぐらし、貧しきものは少々地を高め、その上に墓標を建て芝を植うる等、みなわが東京青山もしくは谷中の墓地に異ならず。
 政教子ベルリンにありて、ヤソ死刑に処せられたる日にあう。この日を英語にてグッド・フライデーという金曜日なり。当日、ルター宗の各寺は朝十時より大法会あり、いたって鄭重なる礼拝および奏楽を行う。しかれども、堂内の装飾は平常に異なるを覚えず。ただその平常に異なるは、礼壇を覆うに黒色の帛布を用うるのみ。ローマ宗の寺院はこれに反し、堂内別にヤソ処刑の礼壇を設け、その前に十字架上のヤソ像を仰臥せしめ、参詣のものをして代わり代わりひざまずき進みて、その像の手足胸腹を口吻せしむ。
 ヤソ昇天の日、これをイースターという。この日はヤソ教国の大祝日の一つにして、一年中ヤソ降誕の日を第一の大祝日とし、昇天の日を第二の大祝日とす。当日は鶏卵を人に贈るの風習あり。市中の店には鶏卵をかたどりたる菓子、パン等を売り、進物の用に備う。これけだし、ヤソ蘇生を表する意ならん。
 当日、寺院には早朝よりパンとブドウ酒の供養あり。信者争って寺にまいり、その供養の分配を待つ。あたかもわが神道にて、神前に供えたる餅もしくは酒を、参詣のものに配与するに異ならず。ローマ宗にては、堂内ことさらに礼壇を設け、ヤソ天に現出し光明を四方に放ちたる像を安置し、参詣のものをしてその前に跪座合掌せしむ。
 ヤソ処刑の日は、ベルリンの市中一般に閉店し、演戯もその興行を休止す。昇天の日も休日なれども、午後には演戯の興行ありし。
 ドイツの風習にて、女子成年に達し成年服を着くるときは、必ずまず寺院に至りて、コンフォメーションの式を受くるを要すという。
 英国その他欧州各国にて、ユダヤ教の会堂はたいていみな美麗にして壮観なり。その儀式のヤソ教に異なるは、第一に、『旧約全書』のみを用いて『新約全書』を用いざると、第二に、経文および唱歌みなヘブライ語を用うると、第三に、土曜日をもって安息日と定め、金曜日の晩と土曜日の朝とに礼拝式を行うと、第四に、堂内に入るものは帽子を脱することを禁ずると、第五に、男女その席を異にする等なり。
 欧州今日のヤソ教は、つらつらその実況を観察するに、到底、進んで当時の学術と論壇に理鋒を争うことあたわざるを知り、退いて道徳の孤城を守り、落日残灯の下に往時の隆盛を追懐してやまざるがごとし。ドイツ、イギリス、アメリカ三国はヤソ新教の国なるも、近来旧教すなわちローマ宗の旧燼再び火勢を生ずるに至り、ヤソ教の進路すでに極まりて旧途に復するの状あり。これによりて将来を卜するに、第二十世紀のヤソ教はくだりて貧かつ愚なる下等社会の宗教となりて、上等社会は別に学術上組成せる一種の新宗教を講究するに至るべしという。
 わが国にて説教に巧みなるものは学識なく、学識に長ずるものは説教につたなし。西洋もまたしかり。説教者に学者少なく、学者に説教者少なし。毎日曜の寺院の説教のごときは極めて浅薄なるものにして、その喋々として我人の罪業の深きゆえん、上帝の大悲の浅からざるゆえんを述ぶるは、毫もわが国の説教者の講席に上りて説くところと異なることなし。
 ドイツのライプチヒに、当時欧米各国の語にて発行せる東洋文学書類の名目を集めたる小冊子あり。今、西洋にて東洋学研究の流行せる景況の一斑を示さんため、その冊子中より右に関する書類の部数を挙ぐること、左表のごとし。
日本の歴史に関したるもの         五十三部
日本の文学に関したるもの          三十部
シナの歴史、地理、宗教に関したるもの   九十五部
シナの言語、文学に関したるもの     百二十一部
インドの史類に関したるもの       百二十八部
インドの考古に関したるもの         二十部
インドの哲学に関したるもの        三十七部
サンスクリット文学に関したるもの(仏教書中、サンスクリット語より訳するものはこの中に入るる)  三百九十七部
パーリ語学に関したるもの(仏教書中、パーリ語より訳するものはこの中に入るる)        三十一部
仏教に関したるもの(仏教に関したる西洋人の評論、著作等)  六十二部
 そのほか蒙古、チベット、アンナン、シャム等諸国の文学、宗教に関したる書類また多し。西洋なおかくのごとし、いわんやわが国においてをや。日本学はもちろん東洋の諸学を研究するの必要、推して知るべし。
 西洋人の評論、著作にかかる仏教書類六十二部のうち、
英国ロンドンの発行にかかるもの      二十九部
英国オックスフォードの発行にかかるもの    三部
イギリス領インドの発行にかかるもの      五部
米国ニューヨークの発行にかかるもの      一部
フランス・パリの発行にかかるもの       八部
オランダの発行にかかるもの          一部
スイスの発行にかかるもの           二部
ロシアの発行にかかるもの           二部
ドイツ・ベルリンの発行にかかるもの      三部
ドイツ・ライプチヒの発行にかかるもの     一部
ドイツ・ドレスデンの発行にかかるもの     一部
そのほかドイツ地方の発行にかかるもの     三部
なり。そのほか各国にて他国発行の仏典をその国語に訳したるものあれども、右の表中にはこれを除く。これまた、仏教研究の欧米各国に流行する一斑を知るに足る。
 西洋諸国にて東洋学を研究するに至りしは、この第十九世紀のことにして、諸国に東洋学校の設立あるに至りしは極めて近年のことなり。ドイツ、フランス、オーストリアはおのおの東洋学校を設立し、ドイツ、フランス両国の東洋学校には日本学の部あり、英国の大学中にはサンスクリットおよびシナ学の教授あり。サンスクリットおよびシナ学は、イタリアおよびロシアにても講究するなり。西洋にて東洋学を研究することかくのごとく盛んなるに、日本人は自国の諸学を捨ててひとり西洋学を用うるは、はなはだ怪しまざるべからず。
 西洋の大学内には、たいてい神学部あらざるはなし。英国の大学は論をまたず、ベルリン大学にも神学部をもってその第一部とす。これ、なにによりてしかるや。けだし、これを置くの意、ヤソ教のほか学問上講ずべき宗教なきをもってか。曰く、いな。その意、ヤソ教はその国の宗教にして、これを研究するはその国のために必要なるによるのみ。果たしてしからば、わが国にありても、わが従来の宗教を大学およびその他の専門校において講究するは必要のことなり。
 寺院にはその住職の発起にて、日曜学校あるいは夜学校、夏季学校、冬季学校等を設置し、貧民の子弟を教育することあり。
 ドイツ連邦中、バイエルン国は全国をローマ宗教区および新教派教区に分かち、各小教区に小学を設立するなり。一八八六年には国内にローマ宗小学五千四十二カ所、新教派小学一千八百八十三カ所ありしという。
 プロイセンは政府中に教文部省ありて、宗旨の事件を管理す。その省にて毎年費やせる金、一八八九年の調査簿によるに、七千十八万四千九百九十二マルク(わが金二千三百万円)、そのうち新教宗に費やせるもの三百九十二万八千八百八十三マルク、ローマ宗百二十九万七千三百六マルクなり。
 プロイセンのローマ宗の高僧は、政府より毎年若干の俸給を賦与す。その教正の位最も高きもの年給三万四千マルク(わが一万一千円)、そのほかの教正は各二万二千七百マルク(わが七千円)を領得するなり。
 プロイセン国会上院には、新教宗の本山管長ともいうべき人、数名列席するなり。
 ケルンにある寺院は世界第一の高塔を有す(ただしパリの塔を除く)。その高さ五十丈以上なりという。若干の礼金を出だすものは、その寺内に保存せる宝物を参観することを得べし。
 政教子、ベルリンにて神通術に長ずるものあるを聞き、一夕これを聘して突然実験せんことを約す。しかして、ついに果たさず。けだし、未然のことを前言し、千里のほかを洞視するがごとき怪術は、古代蒙昧の世に限り行わるべきものにして、文明社会に存すべき理なしというといえども、欧米人民中、今日なおかくのごとき術を信ずるものはなはだ多きは、欧米諸国にも愚民の多き故なるか、はた、ほかに理由あるや。
 眼前を見る目は眼内を見るあたわず、灯外を照らす灯は灯下を照らすあたわず。果たしてしかり。かの西洋人はシナ人の牛尾髪を垂るるを見て、大いにこれを笑う。しかして西洋の婦人は、やはり牛尾髪を結びあるいは垂るるも、自らその笑うべきを知らず。
 ベルリン博物館中に地獄の図五幅あり、みなヤソ教の地獄図なり。その図、毫も本邦に伝わるところのものと異ならず。その想像東西符合せるは、はなはだ怪しむべし。
 ベルリンの人種博物館中にも、インドの仏像、シナの仏像、日本の仏像等の部あり。日本仏像の部には絵像四種、木像金像とも三十四種、都合三十八種あり。そのほか日本神道の諸像諸具をも収集せり。
 ヤソ新教の改良は、わが国の真宗の改良とは同点に帰するところ多し。ゆえに、西洋人は真宗を評して東洋の新教というなり。
第一点、新教にては各国の国語に訳したる『バイブル』を用い、人をしてその意を解しやすからしむ。真宗にても通俗文のものを用い、愚俗をしてたやすく宗意を解せしむること。
第二点、新教も真宗も、ともに僧侶の妻帯を許すこと。
第三点、新教も真宗も、堂内の装飾および儀式等、簡略を主とすること。
第四点、新教も真宗も、祭日、祝日、そのほか礼拝の節、もっぱら説教をつとむること。
第五点、両宗ともに世間俗門宗にして、僧俗関係親近なること。
 ドイツ中の新教信者は、これをその人口に比例するときは、総人口の百分の六十四、旧教信者は百分の三十四、ユダヤ教徒は百分の一、二なり。連邦中、プロイセンの新教者は総人口の百分の六十四、旧教信者は百分の三十四なり。
 スウェーデンおよびデンマークはルター宗をもって国教となし、スウェーデンにては十二人の教正あり、デンマークにては七人の教正ありて、宗務を分轄するなり。
 スウェーデン、デンマークの間には、かのヤソ教中の多妻宗すなわちモルモン宗の信徒あるを見る。一八八〇年の統計表によるに、スウェーデンに一千七百二十二人のモルモン信徒あり、デンマークに四百十四人の同信徒ありという。
 オランダにても政府より宗旨保護のため、毎年巨額の金を各宗に分与す。一八八九年の表によるに、新教宗に十一万五千六百五十二ポンド(英貨)、ローマ宗に四万八千二十四ポンド、ユダヤ教に一千五十五ポンドを下付せりという。合計十六万四千七百四十一ポンドすなわち、およそわが百十万円なり。
 ベルギーはローマ宗固結の国にして、宗旨をもって政党を団結し、当時の政府は宗旨政党の組織するところとなれりという。
 ベルギー政府よりその国内各宗に年々賦与せる金額は、一八八八年の調査によるに、
ローマ宗に四百七十九万二千四百フラン(すなわちわが百二十万円)
新教派に八万五千二百六十六フラン(わが二万千三百円)
ユダヤ教に一万六千二百九十二フラン(わが四千円)
 そのほか宗教上の事件に費やせる費用、五万六千フラン(わが一万四千円)なりという。

 政教子曰く、古来文化の進歩、東より西に移るの傾向あり。インドおよびシナは世界中文化最もさきに開け、アジア西部の諸国また欧州にさきだちて隆んなりし。その文運、次第に西に移りて欧州に入り、ギリシアおよびローマの文化の源泉を開き、ギリシアおよびローマの末流くだりて、欧州各国今日の文運を興起するに至れり。欧州各国中、大陸まず開け、つぎに英国に移り、英国ついで起こり現今の隆勢を見るに至る。今後、英国に続きて文化をもって世界に鳴るものは、けだしアメリカ合衆国ならん。その進歩、みな東より西に移るの規則に従うものなり。もししからば、将来アメリカに続きて世界に鳴るものは、東方アジアならざるべからず。すなわち日本その地なり。日本に続きて起こるものはシナおよびインドならん。文化の進歩、ここに至りて地球を一周するなり。
 政教子曰く、当時日本の物品大いに西洋に流行し、室内の装飾に日本の美術品を用いざるもの、はなはだ少なし。これに反し、日本の室内には西洋の美術品を用いざるもの、またほとんどなし。これ、すなわち流行品の交換なり。流行品の交換ひとり美術品に限らず、学問、宗教また大いにその傾向あり。日本には近時、喋々としてヤソ教を説くものあり。しかるに、西洋には続々ヤソ教を攻撃する論者起こり、大いにその勢力を減殺するに至れり、しかしてその結果、仏教を主唱するもの次第に加わるに至る。ゆえに余おもえらく、将来東西の間に、物品の交換とともに宗教の交換あるべし。
 フランスおよびイタリアは、政府中に司法兼教部省なるものありて、宗教および司法のことを管理す。プロイセン、デンマーク、スウェーデンおよびオーストリアは教部兼文部省なるものありて、宗教および教育のことを管理す。しかして、省務の三分の二は宗教の件なりという。
 米国および英国は、人民の志願に応じて兵役に就かしむるの規則なるをもって、僧侶は兵役に従事するを要せず。フランス、イタリア、オーストリア、ドイツは、国民ことごとく兵役に従事するの規則なるをもって、僧侶といえども兵役中に加わるを免れず。
 フランス、オーストリア、ドイツ等の僧侶は、みな一般の人民同様に国会議員となるの資格を有するなり。米国またしかり(英国のことは前に出ず。ゆえにこれを略す)。ひとりイタリアは、僧侶に被選権を与えざるの制限を置けり。
 フランス、ドイツ、イタリア等は毎日曜、市中の諸店たいてい相開き、演戯、見せ物等はその興行を休まず、平日よりは一層にぎわしきありさまなり。寺院に詣するものは、老人輩か下等の人民に過ぎず。そのありさま、毫もわが国の日曜に異ならず。しかして英国、米国の日曜は、諸店ことごとく閉じ、興行ことごとく休み、市中寂々として、ただ寺に詣する人を見るのみ。
 政教子、船中にありて船客と談話の際、客曰く、ヤソ教者、天帝の意ありて万物を創造せるゆえんを証する語中に、世にまことの毒物なし、その一般に認めて毒物とするものにして、治療上薬物として用うるものはなはだ多し云々の言あり。政教子これを聞きて曰く、世にまことの毒物なしと同時に、世にまことの薬物なし。その薬となるも毒となるも、ただ分量の多少に属するのみ。いかなる薬物も多量にこれを用うれば毒となり、いかなる毒物も少量に用うれば薬となる。語を換えてこれを言えば、少量は薬にして多量は毒なり。例えば阿片のごとし。世間これを毒物とするも、これを適度に用うれば薬物となり、もしその度を失すれば毒物となる。しかるに、もし世間にまことの毒物なしということを得るときは、これと同時に、世間にまことの薬物なしということを得べし。もし、神は意ありて毒物を作らずということを得るときは、これと同時に、神は意ありて薬物を作らずということを得べし。けだし、ヤソ教者はその神を立つるに、便利なる一方の理を見て、不便利なる他方の理を見ることあたわず。なんぞ、その見ることの偏頗なるや。例えば、水、火、空気は人生に必要なるものなり。人一日もこれを離るることあたわず。ゆえにヤソ教者必ず言わん、これ神の人に生を与うるために作るものなりと。しかるに水、火、空気は、その人を活かすと同時に人を殺すものなり。人生まれて、水、火、空気のその身に適せざるために死するもの幾千万あるを知らず。また水災、火災、風災のために、毎年人の生命を失うものいくばくあるを知らず。もし、神は人に生を与うるために、かくのごときものを作るということを得るときは、これと同時に、神は人を殺すために、かくのごときものを作るといわざるをえず。ヤソ教者が神は無用無益のものを作らずと喋々するもの、全く愚民の信仰を引く手段に過ぎざるなり。
 船客中、日本人八名あり。みな曰く、過般日本より欧州へ航するときは船中の食、その味いたって美なりしが、今度船中の食事はなはだあししと。政教子曰く、これ食事のあしきにあらず、久しく西洋にありて、かの地の食に慣れたるによる。
 船中に旧教の尼数名乗り込む。みなシナに伝道するものなり。シナ人夫婦、小児を携えてまた乗船す。尼その子の手を握らんとす。シナ人あえて許さず。けだし、シナ人は一般に、尼の手小児に触るれば、小児の一身上に不幸をきたすことを信ずという。
 サンフランシスコより日本に帰るものは、日本の家屋の小にして道路の狭きに驚き、インド洋より帰るものは、日本の家屋、道路の案外に美かつ大なるに驚くという。これ、他なし。インド洋より帰るときは、インド、シナ諸方の実況を目撃せるによる。
 船インドに着し、その市街、民家、林園等を観察するときは、おのずからわが日本の実況を提出するに至る。これ、その風俗、風景の、両国の間はなはだ相似たるところあるによる。
 政教子、シナ人と筆談を試み、談シナ哲学に及ぶ。種々問答の末、シナ人、詩を作りて政教子に贈る。
光緒己丑三月英倫役満東帰由法国之馬賽口登舟遇日本井上甫水兄亦自欧洲東帰者倚篷筆談※(「女+尾」、第3水準1-15-81)※(「女+尾」、第3水準1-15-81)不倦頗慰客懐甫水兄於書無敢不読既通泰西文字又通朱陸之学洵東方之博雅也将別矣率成一律以贈其帰時五月十八日舟過安南海書此。
(光緒己丑三月、英倫イングランドの務めを終えて東へ帰る、法国フランス馬賽口マルセイユより船に乗る、日本井上甫水兄に遇う。また欧州より東へ帰る者である。舟帆(篷は舟の苫)をかたわらに筆談す。※(「女+尾」、第3水準1-15-81)々として倦くことなく、すこぶる旅のおもいを慰められた。甫水兄は書物においてあえて読まないものはなく、すでに泰西の文字に通じ、また朱熹・陸象山の学術にも通じ、まことに東方の博雅の士である。いままさに別れんとす、これにさきだって一律詩を作ってその帰国に贈る。時に五月十八日、船は安南の海をよぎり、これを書す。)
弟 桐城 張祖翼 逖先未定艸
風雨共帰舟、言従海外遊、鐙明孤塔遠、風圧片帆遒、海水平如砥、客心間似鴎、他年応相済、莫漫説欧洲。
(風と雨とともに舟に乗る、ここに海外の視察よりす、あかりをともすぽつんとたつ塔は遠く、風の力は一片の帆におさまる、海は平らかにといしのごとく、旅客の心はしばし鴎にも似る、いつのかかならずやあいたすけるべく、みだりに欧州のことは説うまい。)
 西洋に行くものはホンコンの意外に美なるに驚き、西洋より帰るものはホンコンの意外に美ならざるに驚く。これ、ホンコンそのものの前後異なるにあらず、これを見る人の目、前後同じからざるによる。
 政教子、フランスにありてこれを聞く。日本人にして、西洋に行きて商店を開かんと欲するものは愚の極みなり。近来西洋に商店を開きたるものにして、一人も失敗をとらざるはなし。もし、外国に商店を開かんと欲せば、シナに行くを良策とすという。しかして、シナに至りその地に住する本邦人に聞くに曰く、日本人の商法をシナ人とともに争わんと欲するは愚の至りなり。シナ人の商法に巧みなるは西洋人もおそるるところなり。むしろこれと競争せんより、西洋人と競争するにしかずと。これによりてこれをみるに、日本人は到底、外国商法をもって国を富ますべからず。果たしてしからば、わが国を富ますの法は、政教子の唱うるところの富国策を用うるよりほかなし。
 船、玄海を渡りて馬関に近づくに及び、その雲容山影の尋常に異なるを見、ようやく近づきてその風景の画図中の山水に類するがごときものを見る。かくのごときの好風景は、ひとたび日本を出でてより、いまだかつて見ざるところなり。実に日本は天地の公園なり、自然の画図なり。この画図ありこの公園ありて、はじめて外人の来遊を引くべし。いながら富国の方法を講ずべし。
 欧米各国の人口と教徒、寺院、僧侶の比較表、左のごとし。
一、米国  人口 五千四十九万七千五十七人
新教宗徒              およそ三千万人
メソジスト宗徒           三百七十一万六千人
バプテスト宗徒           二百七十万五千九百人
プレスビテリアン          百三万人
ルター               九十三万八百三十人
ディサイブルス・オブ・クライスト  八十五万人
コングレゲーショナル        四十一万八千五百六十四人
エピスコパル            四十万七千五百四十六人
ユナイテッド・ブレズレン      十七万三千二百六十五人
リフォームド・チャーチ       二十五万四千八百二十九人
モルモン              十五万七千八百三十五人
クエーカー             十万人
旧教宗徒              二千百六十六万五千五十二人
一、英国(イングランド)  人口 二千五百九十七万四千四百三十九人(ウェールズとも)
英国教宗徒             一千三百五十万人
メソジスト宗徒           四十三万四千四百七人(イングランド、スコットランド両国)
プレスビテリアン宗徒        六万二千五百六十六人
コングレゲーショナル宗徒      三十六万人(イングランド、スコットランド両国)
バプテスト宗徒           二十九万九千五百六人(イングランド、スコットランド両国)
ローマ宗徒             百三十五万四千人
一、スコットランド  人口 三百七十三万五千五百七十三人
スコットランド国教宗徒       五十七万九千四十三人
フリー・チャーチ宗徒        百十六万五千人
ユナイテッド・プレスビテリアン宗徒 十八万二千百七十人
ローマ宗徒             三十二万六千人
英国教宗徒             八万人
一、アイルランド  人口 五百十七万四千八百三十六人
ローマ宗徒             三百九十六万八百九十一人
英国教宗徒             六十二万人
プレスビテリアン宗徒        四十七万七百三十四人
メソジスト宗徒           四万八千八百三十九人
コングレゲーショナル宗徒      六千二百十人
バプテスト宗徒           四千八百七十九人
クエーカー宗徒           三千六百四十五人
一、フランス  人口 三千八百二十一万八千九百三人
ローマ宗徒             二千九百二十万一千七百三人
新教宗徒              六十九万二千八百人
その他のヤソ諸派          三万三千四十二人
一、スペイン  人口 一千七百三十五万八千四百四人
ローマ宗徒             一千七百三十二万四千三百九十九人
新教宗徒              六千六百五十四人
一、ポルトガル  人口 四百七十万八千百七十八人
新教宗徒              五百人
その他はみな旧教徒なり
一、イタリア  人口 三千二十六万六十五人
新教宗徒              六万二千人
その他はみな旧教徒なり
一、ギリシア  人口 百九十七万九千四百五十三人
ギリシア宗徒            百六十三万五千六百九十八人
旧教およびその他のヤソ諸派     二千六百五十二人
その他ギリシア所属のエピラスおよびセッサリー地内にギリシア宗徒二十六万六千六百八十八人あり
一、オーストリア(ハンガリーを合わせて)  人口 四千三十四万八千二百十五人
オーストリア  人口 二千三百四十四万七千百九十二人
ローマ宗徒             一千七百六十八万六千人
ギリシア宗徒            二百五十四万一千人
新教諸派              四十万人
ハンガリー  人口 一千六百九十万一千二十三人
ローマ宗徒             七百九十万五千人
ギリシア宗徒            百五十万五千人
新教諸派              三百十七万四千人
一、ロシア  人口(欧州部内) 八千百七十二万五千百八十五人
ロシア教宗徒            六千五百万五千四百人
ローマ宗徒             八百三十万人
新教諸派              二百九十五万人
一、ドイツ帝国  人口 四千六百八十五万五千七百四人
ローマ宗徒             一千五百八十八万二千人
新教宗徒              三千万人
自余ヤソ諸派            十二万六千人
一、ドイツ連邦第一、プロイセン王国  人口 二千八百三十一万八千四百七十人
新教宗徒              一千八百二十四万四千四百五人
ローマ宗徒             九百六十二万三百二十六人
自余ヤソ諸派            八万二千三十人
一、デンマーク  人口 百九十八万二百五十九人
新教宗徒(ルター宗徒)       百九十六万二千三百六十二人
旧教宗徒              二千九百八十五人
カルバン宗徒            一千三百六十三人
その他ヤソ諸派           八千三百六十四人
一、スウェーデン  人口 四百七十三万四千九百一人
新教(ルター宗)宗徒        四百五十四万四千四百三十四人
その他新教宗徒           一万六千九百十一人
ローマ宗徒             八百十人
ギリシア宗徒            十七人
一、ノルウェー  人口 百八十万六千九百人
新教諸宗(ルター宗を除く)     七千二百三十八人
その他はたいていみなルター宗を奉ず
一、ベルギー  人口 五百九十七万四千七百四十三人
新教宗徒              一万五千人
その他はたいていみな旧教徒なり
一、オランダ  人口 四百四十五万八十七人
新教宗徒              二百四十六万九千八百十四人
旧教宗徒              百四十三万九千百三十九人
一、スイス  人口 二百九十五万七千五百二十七人
新教宗徒              百六十六万七千百九人
旧教宗徒              百十六万七百八十二人
 イギリス領インドに現今行わるるところのヤソ宗派およびその信者の表、左のごとし。
ローマ宗         九十六万三千五十九人
英国教宗         三十五万三千七百十二人
スコットランド国教宗   二万三十四人
その他新教諸派      十六万千三百三十五人
ギリシア宗        二千百四十二人
 セイロン島の宗教徒比較表、左のごとし。
仏教徒     百六十九万八千七十人
バラモン教徒  四十九万三千六百三十人
イスラム教徒  十九万七千七百七十五人
ヤソ教徒    十四万七千九百七十七人
 現今、シナ人のヤソ教に入るもの、左のごとし。
ローマ宗徒  大数百万人  同宗教正  二十五人
新教徒    五万人
 ヤソ教徒の地球上にあるものおよそ四億人と称し、総人口の三分の一を占むるという。そのうち半数は旧教徒にして、新教諸宗徒はおよそ七千万人、ギリシア宗徒もまたおよそ七千万人ありという。しかして、ローマ宗にて算するところによるに、旧教徒一億八千五百万人なり。そのほか新教諸派の信徒、世界中にあるもの左のごとし。
メソジスト宗徒       一千五百万人
コングレゲーショナル宗徒  百二十五万人
バプテスト宗徒       未詳(英米両国の同宗徒三百一万二百八十五人)
ルター宗徒         三千万人
 仏教信徒の現今世界にあるもの、南部派三千万人、北部派四億七千万人、合計五億人なりという。セイロン、ビルマ、シャム、アンナン地方にあるものは南部派なり。チベット、シナ、朝鮮、満州、蒙古、日本等にあるものは北部派なり。
 政教子、欧米政教の事情を巡察して、政教の関係に三種あることを発見せり。その第一は国教にして、これ政教混同の主義にもとづくものなり。第二は公認教にして、これ政教混同の主義一変して、政教分離の主義をとるものなり。第三は斉民教にして、これ政教分離の極点に達したるものなり。英国、ロシア等は国教の組織を有する国なり。フランス、オーストリアは公認教の制度を用うる国なり。ひとり米国は国教の組織なく公認教の制度なく、政教は全く分離して、政府中に教部省社寺局のごとき宗教に関する官省なく、僧侶は政府よりこれをみれば、一般の人民と同等なるものなり。ゆえに、この種の関係を斉民教という。公認教は特認教もしくは特待教の義にして、政府がその国の歴史上に縁故あり、その人民中に勢力ある宗教は、これを特別に待遇するをいう。国教は、政府はただにこれを特待するのみならず、これを政府の一部分とし、これを政治の機関とするものなり。ゆえに余曰く、国教は政教一致の極点にあるものなり、斉民教は政教分離の極点にあるものなり。
 人あり問うて曰く、わが国の宗教はこの三種中いずれに属すべきや。政教子曰く、往時にありては、わが神仏二道は国教の組織を有せしといえども、今日にありては、国教にあらず、また斉民教にあらず、いわゆる公認教なり。内務省中に社寺局を置き、各宗に管長を定むる等、みなその公認教たるゆえんなり。しかして、わが国いまだ公認教の名称を置かず、公認教の制度を設けざるのみ。維新以前はわが政府ヤソ教を厳禁し、維新以後はその禁を解くも、なおこれを黙許せるのみにして、いまだ公許するに至らず。しかるに、本年憲法発布ありてより信教自由となりたれば、ヤソ教も公許となれり。もし、これを欧州の制度に比考するときは、信教自由の公達の下には、公認教と非公認教の別を立つること必要なり。すなわち、欧州各国はみな信教の自由を許すも、その国々によりて公認したるものと公認せざるものあり。たとえば仏教その地に入ると想するに、信教自由なれば、その信徒を得ること自由なるべしといえども、その公認の中に加わること難く、その国にて政府が公認教に与うるところと同一の保護待遇を受くることあたわず。これによりてこれをみるに、わが国にても信教自由の今日にありては公認教の制度を設け、ヤソ教は公許したるもいまだ公認せざればこれを非公認教とし、政府がこれを待遇するの方法において、そのすでに公認したるものと異にするところなかるべからず。かつ、ヤソ教はその宗派のなんたるを問わずみな、あるいは外国の支会分局出張にして、あるいは外国の宣教師をいただき、あるいは外国の扶助金を仰ぐがごときは、いまだ日本の宗教と認定すること難し。ゆえに、もしこれを欧州の例に考うるときは、わが国の非公認教となさざるべからず。ゆえに余輩は、政府は早くその制度を設くること必要なりというなり。
 人あり論じて曰く、今日わが政府の主義は政教分離にあれば、将来の宗教は政府全くこれを放任して、米国のごとく斉民的宗教となすべし。政教子曰く、公認教はもとより政教分離の主義にもとづくものなり。ただし政府が、その国の歴史上に縁故あり、国体民俗に関係ある宗教は、その歴史を保存しその国体を永続するために、特別に保護待遇せざるべからず。決してこれを、今日今時外国より漸入する宗教、別して外国と関係を有する宗教と同一に待遇するの理あらんや。かつわが国今日の勢い、政府全く宗教を放任するときは種々の宗教国内に蔓延し、したがって外国の関係を生じ、宗教の争乱を醸すに至るは自然の勢いなり。果たしてしかるときは、政府が一国の安寧秩序を保つの目的を達することあたわざるべし。かつ我が輩の注意すべき点は、わが国は米国と大いにその事情を異にするゆえんを知るにあり。米国は歴史なき新開の国なり、わが国は歴史によりて建てたる旧国なり。アメリカは平等同権、自由共和の斉民的主義の国なり、わが国は上下貴賤の秩序階級ある国なり。米国は外冠の患いなく外国の関係少なき国なり、わが国はしからず。この三事情につきてこれを考うるに、わが国の事情はかえって欧州各国の事情に類同するなり。ゆえに、政治上宗教を待遇するの法は、米国にその例をとるは不適不当にして、欧州にとるは適当なるべし。もしこれを欧州にとるときは、公認教の制度を置くこと必要なり。
 人あり曰く、西洋はヤソ教国なり。わが国これと交際するにおいては、同一の宗教を奉ぜざるをえず。政教子曰く、西洋は決してヤソ教国にあらず。当時その国に流布せるものユダヤ教ありイスラム教あり仏教ありて、フランスはその公認教中にユダヤ教およびイスラム教を加えたるにあらずや、オーストリアもまたユダヤ教を公認せるにあらずや。しかるに、ユダヤ教およびイスラム教はヤソ教の仇敵なり。その仇敵にしてなおよく特別の保護待遇を受くる以上は、西洋はヤソ教国にあらざること明らかなり。かつフランスのごときは、その戸籍表に宗旨を定めざるもの七百六十八万四千九百六人あるを見る。これみな、自らヤソ教徒にあらざることを明言せるものなり。日本は独立国なり。その国体といい風俗といい人情といい、みな西洋各国と異なり、けだしその異なるところあるは、その独立国たるゆえんなり。すでに独立国たる以上は、宗教また西洋と異ならざるべからず。請う、みよ、西洋諸国一般にヤソ教国と称するも、各国みなその宗派を異にして一種固有の宗教あるを。わが国、なんぞあえてその固有の宗教を変ずるを要せんや。けだし、その宗教の西洋と異なるは、またその独立国たるゆえんなり。
 政教子の今回の行や、まず米国に至り、ついで英国に入り、この諸邦の一個人の富と一国の富と、ともにはるかに日本の上に出ずるを見、また一個人の力と一国の力と、ともにわが国の比にあらざるを知れり。つぎにフランス、イタリア、オーストリア、ドイツを巡遊して、その人民の節倹を守り勉強して怠らざるを見て、かの諸国の富と力は、決して偶然に起こりたるにあらざるを知るに至れり。しかして、政教子の最も驚きかつ感じたるものは、各国人民みな独立の精神を有し独立の気風に富むこれなり。人民みな独立の精神・思想を有するをもって、各国みな独立の学問あり、独立の事業あり、独立の組織あり、独立の目的あり、独立の風習あり、独立の礼式あり、独立の宗教あり。その独立とはなんぞや。曰く、フランスは事々物々の上にフランス固有の風を存して英国の風に異なり、英国は内外上下の間に英国固有の風を存して米国の風に異なるをいう。かくのごとく各国みな独立の風を有するは、その心中に一種独立の思想を有するにより、その独立の思想の発達せるは、またこの独立の風あるによるなり。
 顧みてわが国の事情を考うれば、日本従来の独立の学問も事業も組織も目的も風習も礼式も、みなすでにその独立を失い、今や西洋の事々物々次第にわが民間に行われて、人その事物の変化とともに、最も貴重なる独立の精神そのものをあわせて失わんとす。ただに日本人固有の精神を失うのみならず、西洋の精神に変ぜんとす。ただに西洋の精神に変ずるのみならず、イギリスを学ぶものはイギリスの精神に変じ、ドイツを慕うものはドイツの精神に変じ、アメリカに遊ぶものはアメリカの精神に変ぜんとす。この勢いをもって進むときは、日本人は到底一定の主義なく一致の運動なく、民心離散し上下相和せず、その極み国家の独立を失うに至りてやむよりほかなし。もし、この際に当たりて民心を結合し独立を維持せんと欲せば、いかなる方法を用いてしかるべきや。政教子曰く、けだしその方法は、日本固有の言語、歴史、宗教およびその他、日本固有の風俗習慣を改良保存するよりほかなし。そもそも一国の独立するゆえんのものは、事物変化の中心に当たりて、一脈の精神の絡々として持続するところなかるべからず。もしその精神、外形上の事物とともに変化するときは、事物その独立を失うと同時に、精神またその独立を失わざるべからず。かつその一脈の精神を持続せんと欲せば、精神と直接の関係を有する諸学諸術を保存せざるべからざるはもちろんなり。
 これをもって西洋各国、みなその国固有の学問を愛重し芸術を保護し、別して言語、宗教のごときは、つとめてその国固有のものを保存せんとす。これをもって、フランスにてはその諸学術みなフランス独立の風を存し、英国にては英国独立の風を存し、ドイツはドイツ、ロシアはロシア、おのおのその国独立の風あり。西洋の強国にして、なおかくのごとし。いわんやわが国のごとき、その富といいその力といい、ともに西洋諸国にしかざるものにおいてをや。ゆえに、その国固有の諸学諸術を保存してその国独立の気風を養成すること、最も今日の急務といわざるべからず。
 政教子曰く、一国の独立を維持する最も必要なる三大機関、すなわち言語、歴史、宗教は、その性質すでに時間上、変化しやすき人心を変化せずに持続するの力あり、かつ空間上、離散せる人心を結合するの力あるものなり。まず言語は、人の思想の関係を表示し、人心と人心との間を連接するものなれば、人心を結合して一国を団成するに力あるものなり。すなわち、いわゆる空間上、人心を結合するものなり。歴史は、その名称を総じて風俗習慣その他にいたるまで、いやしくも年代を経て成来せるものに応用するときは、古来伝続せる一種の精神を維持して、ほかの事物とともに変化せざらしむるの力あるものなり、いわゆる時間上、人の精神を永続するものなり。宗教はその性質、古代の説を永遠に持続せんとし、かつ衆人をして一説に帰着せしめんとするにあれば、空間上、人心を結合するの力と、時間上、人心を維続するの力あるものなり。ゆえに、その国固有の言語、歴史、宗教を保存するは、その国の独立を維持するに欠くべからざるものなり。
 政教子、その平常有するところの愛国の精神は、今度欧米を巡回して帰朝するに及び昔日に数倍し、その自ら設立するところの哲学館において、もっぱら国家の独立を維持するの三大機関たる言語、歴史、宗教を研究し、ようやく進みて日本大学の組織を開かんと欲するなり。わが国には一帝国大学あり、そのほか一、二の私立大学を経画するものあるも、みなその組織は西洋に倣い、その学科は西洋にとり、その教師は西洋に仰ぎ、その用書は西洋を用うる以上は、むしろ西洋の大学というべし。いまだ日本の大学というべからず。しかるに、政教子の組織するところの大学は、純然たる日本大学というべし。その旨趣書に曰く、
 余、欧米各国を巡遊して、かつ感じかつ驚きしものあり。すなわち、各国の大学はもちろん中学小学に至るまで、みなその国固有の学をもって基本とし、交ゆるに他邦の学のこれと関係を有するものをもってす。その国の学を保護し愛重すること、かくのごとし。けだし、その国固有の学は一国の独立を助くるに必要なる元素を含有するものにして、これを愛護するは、一国独立の思想を人心中に維持するに必要なるによる。しかるに、顧みてわが国をみれば、いまだ日本固有の学を基本として立てたる大学あらず、またこれを愛護するの必要を説くものすらあらざるがごとし。しかして、わが国にはわが国固有の学問あり。史学、文学、宗教学等これなり。これを愛護しこれを専攻するの方法を設くるは、日本従来の学問を振起するに必要なるのみならず、日本の人心を維持し独立を保存するに必要なり。
 ここにおいて、日本主義の大学を設立する必要起こる。その大学は日本固有の学問を基本として、これを輔翼するに西洋の諸学をもってし、その目的とするところは日本国の独立、日本人の独立、日本学の独立を期せざるべからず。かくのごとき大学にして、はじめて真の日本大学というべし。しかれども、大学のことたる大業なり。一朝に創して一夕に成るべきにあらず、漸々次々その序を追って基礎を起こし、大成を数年の後に期するを要す。ゆえに、余はこの哲学館をもってその目的を達する階梯とし、今よりようやくその功を積み、他日に至りて堂々たる日本大学の一家を落成せんとす。そもそも従来本館にて教授するところの学科は西洋、東洋の両部ありて、東洋部中には日本学ありシナ学ありインド学あり、日本学中には史学、文学、宗教学、哲学を兼修せしめ、シナ学中には文学、宗教学、哲学を兼修せしめ、インド学中には宗教学、哲学を兼修せしめしなり。しかして、そのシナ学もインド学も、みなわが国に伝来するものについて教授を施せり。ゆえに、これみなその名は他邦の学なるも、その実わが国の学なり。ただわが国の学問中に、日本在来のものと、シナ伝来のものと、インド伝来のものの別あるのみ。しかして、そのいわゆる伝来のものは、そのはじめ日本に伝えてより以来千余年を経過し、わが国在来の文物とともに成長しともに発達して、一種固有の日本性を帯び、この諸元素相和し相合して一種固有の国風民情を化成し、その今日インド、シナにあるものと大いにその性質を異にするに至れり。すなわち、その学は日本固有の学といわざるべからず。
 ゆえに、余が今日哲学館の上に改良を行わんとするの意は、その名称および学科の制を変ずるにあらず、ただその主義とするところ日本主義をとりて、一方には日本国の独立を維持し、一方には日本固有の諸学を愛護し、その学科中の東洋部は日本固有の学(すなわち神儒仏三道およびわが国固有の哲学、史学、文学)を教授するものとし、ようやく進みて他日、日本大学の組織を開かんことを望むものなり。
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一、ローマ宗の名称
本宗原名    Roman Catholic Church(ローマン・カトリック・チャーチ)
和漢訳名    羅馬教、旧教、あるいは加特力教
一、ギリシア宗の名称
本宗原名    Greek Church(グリーク・チャーチ)
あるいは    Geek Orthodox(グリーク・オーソドックス)
和漢訳名    希臘教、正教、あるいは阿爾多奪オーソドックス
あるいは一名  Eastern Church すなわち東宗
一、新教の名称
本宗原名    Protestant(プロテスタント)
和漢訳名    新教、あるいは普洛得士旦宗(もしくは普洛得宗)
一、カルバン宗の名称
本宗原名    Calvinism(カルビニズム)
あるいは一名  Reformed Church すなわち改革宗
和漢訳名    加而平宗すなわちカルバン宗(あるいは加利非尼教)
一、ルター宗の名称
本宗原名    Lutheranism(ルーテラニズム)
和漢訳名    如特倫宗、もしくは路※(「りっしんべん+易」、第3水準1-84-53)宗、すなわちルター宗
一、英国教宗
本宗原名    Church of England(チャーチ・オブ・イングランド)
あるいは一名  Episcopal Church(エピスコパル・チャーチ)
和漢訳名    英国教宗、あるいは監督宗、もしくは一劈士果抜宗
一、スコットランド国教宗
宗本宗原    Church of Scotland(チャーチ・オブ・スコットランド)
和漢訳名    蘇国教宗
一、ロシア国教宗
本宗原名    Russian Church(ロシアン・チャーチ)
あるいは    Greco-Russian Church(グレコ・ロシアン・チャーチ)
和漢訳名    魯国教宗
一、プロイセン国教宗
本宗原名    Evangelical(エバンジェリカル)
和漢訳名    埃彭者里加拉宗
一、非国教宗
本宗原名    Dissenter(ディセンター)
あるいは一名  Non-Conformist(ノン・コンフォーミスト)
和漢訳名    非国教宗
一、メソジスト宗
本宗原名    Methodist(メソジスト)
和漢訳名    密多的司得宗、もしくは密多的宗、または守法教
一、コングレゲーショナル宗
本宗原名    Congregational(コングレゲーショナル)
和漢訳名    康具来該升宗、または組合宗
一、バプテスト宗
本宗原名    Baptist(バプテスト)
和漢訳名    抜不的宗、または浸礼宗
一、ユニテリアン宗
本宗原名    Unitarian(ユニテリアン)
和漢訳名    尤尼太令宗、または唯一神教
一、クエーカー宗
本宗原名    Quaker(クエーカー)
和漢訳名    圭哥児宗
一、プレスビテリアン宗
本宗原名    Presbyterian(プレスビテリアン)
和漢訳名    普拉司必得亮宗、または長老宗
一、モルモン宗
本宗原名    Mormon(モルモン)
和漢訳名    莫爾門宗
一、アルメニアン宗
本宗原名    Armenian(アルメニアン)
和漢訳名    阿如麦亜宗

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僧侶 Clergy(クラージー)
教正 Bishop(ビショップ)
大教正 Archbishop(アーチビショップ)
法王 Pope(ポープ)
法長 Patriarch(パトリアーク)
法老 Cardinal(カーディナル)
訓導 Priest(プリースト)
試補 Deacon(デーコン)
住職 Incumbent(インカムベント)
僧長 Dean(デーン)
本山役僧 Canon(カノン)
総住職 Rector(レクター)
本住職 Vicar(ビカー)
輔住職 Curate(キュレート)
世話人 Churchwarden(チャーチワーデン)
副世話人 Sidesman(サイズマン)
掃除人 Verger(バージャー)
坊僧 Monk(モンク)
俗僧 Secular Clergy(セキュラー・クラージー)
僧坊 Monastery(モナステリー)
尼坊 Nunnery(ナンネリー)
本山 Cathedral(カテドラル)
末寺 Church(チャーチ)
大教区 Province(プロビンス)
中教区 Diocese(ダイオシス)
小教区 Parish(パリシュ)
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底本:「井上円了・世界旅行記」柏書房
   2003(平成15)年11月15日第1刷発行
底本の親本:「歐米各國 政教日記 上篇」哲学書院
   1889(明治22)年8月10日初版発行
   「歐米各國 政教日記 下篇」哲学書院
   1889(明治22)年12月12日初版発行
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
入力:門田裕志
校正:木浦
2012年8月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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