「はしばみの枝々うごき 日は西にしづむ
風よ 潮かぜよ 海かぜよ
いまは眠るべき時なるを
なにを求めてさまよひ歩く」
その西に[#「 その西に」は底本では「その西に」]沈む夕日も見られて、潮風に吹きさらされた小さい島である。岩と石の険しい道をのぼつて行くと、三本の榛の樹がどんぐりを落し枯葉をおとす井戸があつた。井戸といふ名ばかりで、水が涸れて落葉にうもれた土のくぼみと見えるけれど、何十年に一度か二度か、ほんの一瞬間そこから水が湧いて、その水をのむ人は老いず死なず、永久に生きられるといふ。その井戸の精が美しいわかい女の姿をして、また或るときは鷹の姿になつて、井戸を守つてゐる。風よ 潮かぜよ 海かぜよ
いまは眠るべき時なるを
なにを求めてさまよひ歩く」
その水を飲みたくて、若いときにこの島に来たまま、もう五十年も井戸を見守つてゐる老人がゐた。或る時は鷹の声に誘はれて井戸から離れてゐる間に、又疲れてうたたねをしてゐる間に井戸の水が出たらしく落葉のぬれてゐることがあつても、まだ一度も自分の見てゐる前で水の出たことはなかつた。冷たい無表情の顔つきで石に腰かけてゐる井戸の精に、老人は声をかけてみても、精は何も言はない。
さつそうとした一人の青年がこの岩山の崖をのぼつて来た。井戸の秘密をある饗宴の席で聞いた青年は、すぐその席を立つて舟に帆をあげ明方の海をわたつてこの島に来たのである。青年はその榛の樹のそばの井戸の所在を老人に訊いてみるが、老人はもう五十年もこの島にゐて、まだ井戸の水が湧き出すのを見ない。岩と石と枯山のこの島はわかい人の住むところではないと、青年を追ひかへさうとする。青年は井戸の水が湧くのを待つて、自分の掌ですくつてでも二人で一しよに飲まうと約束する。老人は青年に見張りをたのんで岩に腰かけて眠ると、井戸の精はいつの間にか上衣をぬいで、鷹のつばさを垂れて、鷹の声で鳴く。
鷹が鳴く、鷹が鳴く、青年は山の空を高くとぶその鷹を追ひかけてゆくと、その間に井戸の水が湧いてまたすぐ湧き止む。
今から十余年前に東京で「鷹の井戸」の舞踊を見ることが出来た。伊藤道郎氏が老人に、千田是也氏が青年、伊藤貞子氏が鷹の精に扮して、みんなが面をつけてをどつた。それを見てゐるうちに「鷹の井戸」は西風の吹く遠くの島でなく、もつと近いところにあるやうな気がした。愉しいもの裕かなもの、涼しいものが一瞬間でも湧き出す井戸が、その「鷹の井戸」が、どこかにあるのかしら?