よる眠る前に、北の窓をあけて北の空を見ることが私のくせになつてしまつた。窓から二間ぐらゐ離れて、隣家の地主の大きな納屋が立つてゐる、むかし住宅であつたこの納屋は古くても立派な屋根をもつてゐる。その黒々とした大きな屋根の上を少しはづれたところに北斗の星がみえる。どこで見ても変らない位置のあの七つの星は納屋の屋根の真上からななめに拡がつて、いちばん遠い端のものはひろい夜ぞらの中に光つてゐる。しかし私がきまつてながめるのは、あの「ねの星」つまり北極星である。肉眼でみるとあまり大きくはないが、静かにしづかに光つてまばたきもしない。かぎりなく遠い、かぎりなく正しい、冷たい、頼りない感じを与へながら、それでゐて、どの星よりもたのもしく、われわれに近いやうでもある。人間に毎晩よびかけて何か言つてゐる感じである。
 浜田山に疎開して以来、月や星をながめる気持でなくなつたのに、ふしぎに毎晩眠る前には北の星を仰いで何か祈りたい心になる。何をいのるのか自分でもわからない。たよりなく小さい、はかない、人間の身を見て下さいと星に言ふつもりだらうか?
 伝説には、円卓騎士の大将アーサアが北極星から名をもらつたといふ話もあるが、えらい人にはいろいろな伝説がつくので、どこから名を貰つてもさしつかへない。
 たぶん中世紀かそれより以前に栄えた人であつたらう、大王ペンドラゴンは無限に広い領土を持つてゐた。ペンドラゴンといふ字は辞書には覇王と訳してある。ただのドラゴンは龍であり星の名でもあるから、どつちにしてもえらい王であつたにちがひない。今の全欧羅巴の土地から北は北極まで、西はブリテンの島々の向うの茫々たる大洋まで支配してゐた。その大王ペンドラゴンのひとり子、金髪の少年スノーバアド(雪鳥)は或る夕がた繁つた山を出はづれた丘に出て西北に限りなくひろがる海を見てゐた。一日じう彼は考へごとをしながら歩いてゐたのである。父なるペンドラゴン王とその尊い一族は神ではないが、この世に生きてゐる人間たちよりはずつと神に近く、智慧もあり力もあり、礼儀の美しさを守る偉大な存在であることを彼はよく知つてゐた。そのペンドラゴン大王と別れる時が近く来ることを王子はすぐれた霊智に依つて知らされてゐるのだつた。自分はもう子供でなく大人になりつつあるのだと思ふと、今までの子供時代の名を捨てて何といふ名を名のらうかと考へて、彼はヘザの草原に腰をおろして海を見てゐたが、いつか眠つてしまつた。何か物のけはひに眼をあげて見ると、すぐ側に背の高い立派な人が立つてゐた。神であらうかと彼は思つた。
「わが子よ、わたしを知らないのか?」とその人が言つたが、彼はその人に見おぼえがなかつた。その人がまた言つた。
「わが子よ、わたしを知らないのか?……お前の父ペンドラゴンだ。あそこにわたしの家がある、遠からずお前にわかれてあそこに行かなければならぬ。だから、わたしはお前の夢の中に来たのだ」さう言つてその人は北の空の無限の深みに夜ごとに現はれる北の星座を指さした。少年はその星を仰いでまた眼をかへして父を見たが、もうそこには誰もゐなかつた。彼は体がふるへていつまでも北の星を見てゐるうちに、急に自分の身が軽くなり雲のやうにふわふわと空へのぼつて行つた。ゆめをみるやうな気持で、空の無形の梯子をのぼりのぼり、やがて北の果の空の大熊星とよばれる星まで来た。そこにまぼろしの眼に見えたのは高貴な偉大な七つの姿が大きな卓のかたちの円い深淵の上に腰かけてゐるのだつた。その姿の一人一人が額に一つの星をいただいてゐた。地上の彼の家の窓から見なれたあの七つの星まで彼は来てしまつたのだ。そしてその星の諸王を支配する大王は彼自身であつた。驚いて見てゐるうちに彼の影が大きく大きくなつて大洋の波のやうに響く声が言つた。「神にむすばれた友だち、大なるものが小さくなる時が来た」彼自身の声がさう言つたのである。
 少年王は夢の中に自分が流星のやうに堕ちてゆくのを感じた。やがて彼は雲となり霧となつてふるさとの山の上に沈んだと思つた。
 風に吹かれ体が冷えて空を仰いで北斗を見た時、彼はすつかりの事を思ひ出した。山を降りて父の家に近づくと、ペンドラゴン大王と部下の勇ましい騎士たちが揃つて門を出て彼を迎へた。ドルイドの司祭は、未来の大王たるべき王子が山の静寂の中で天の使命を受けたことをもうすでに父王に知らせたのである。
 少年は恐れる色なく一同を見て「わたしはもう少年のスノーバアド(雪鳥)ではない、今日からアースアールとなりました」と言つた。(古いイギリス語でアースは「熊」であり、アールは「大なる」または「驚くべき」の意味)そこでみんな彼をアーサアと呼んだ。星のなかの驚くべき星、大熊の星である。
 ペンドラゴンが言つた。
「わが子アーサアよ、わたしは老人になつた、もうぢきにお前が王とならなければならぬ。何か一つ欲しい物をわたしに言つてくれ。どんな望みでもかなへて上げよう」
 さう言はれてアーサアはあの夢を思ひ出して父に言つた。父上のおあとに自分がやがて王となる日には、新しい騎士の一団をつくりたいと思ひますが、まづ初めに七人の純潔な独身の騎士を選んで自分の仲間としていただきたい。それから木匠にたのんで円いテイブルを、自分と七人の仲間がらくに腰かけて食事のできる大きさに造らせていただきたいと頼んだ。王は承知した。ア―サアは七人の清らかな若い強い騎士を選んで、彼等に言つた。
「君たちはいま大熊の子供となつた。私の仲間であり、西の王となるべきアーサアの部下である。以後「円卓の騎士」と呼ばれるだらう。その名をあざける者は死ななければならぬ。この世のいかなる光栄もその名の輝きには比べられぬ。君たちおのおのはその栄光の騎士の一人である。その名を汚すな」
 三年のち、大王ペンドラゴンが死んでアーサアが王となつた。父から受けついだ領土以外に彼はもつとずうつと広い「西」の大王となつたのである。欧羅巳の国々、ことに西の方では、アーサアの伝説の伝つてゐない国はない。暖い南仏の海ぞひの岩穴にも、北の山国の古い都にも、アーサアの眠つてゐると言はれる跡が残つて、彼は死なずにただ眠つてゐることになつてゐる。
 イギリスの詩人テニスンの詩 Idylls of the King にはアーサア王の高貴な不幸な生涯をあはれに歌つてゐる。
この島にアーサアが来る前には
諸王割拠して 戦争たえまなく
王は王を攻め 国ぜんたいを廃墟とした
そのうへに 外国軍はいくたびか
海を越えて侵入し 国に残る物を掠奪した
国は荒れて野となり
けものら無限に殖えはびこり
人間は弱りほろびてゆく
その時アーサアが来た
 滅びかけたその島国にアーサアが来て、立派なブリテンの王国を建てたのだが、この島以外に海の北に南に東に無辺の領土を支配してゐた彼である。
カムリアードの王レオドグランは
一人のうつくしい娘を持つてゐた ただ一人のむすめ
地上に生きてゐるものの中で最も美しい
ギニーヴィヤ それは王の唯一の歓びであつた
 詩の第一章に美しい王女を歌つて花のにほひを添えてゐるが、北極星の伝説の方ではさういふ色どりはなく、星そのもののやうに冷たく寒い話である。

 よる眠る前、私が北の星をながめる時アーサア王の話をいつも考へ出すわけではない。私はただ星その物を見て、この世の中の何もかも変つてゆき、また変りつつあるときに、変りない物が一つだけでもそこにあることが頼もしく愉しいのである。私がたのもしく思つても思はなくても北の星に何の感じがあらうか? それにしても、昔からきまつたあの位置に、とほく静かにまばたきもしないで、むしろ悲しさうな顔を見せてゐる星はすばらしいと思ふ。すべての正しいもののみなもとである神も、あの星のやうに悲しい冷たい静かなものであらうか? 私はさう信じたい。

底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:伊藤時也
2010年10月14日作成
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