今から何十年も前のことである。L氏殺人事件といふ騒ぎが麻布の或る女学校に起つて世間をおどろかした。私はまだ十三か十四の少女でその女学校の寄宿生であつた。ちやうどイースタアのお休み中で、寄宿生徒で東京に家のあるものはみんな帰つてゐて、学校は大へん静かな時だつた。
 その学校は丘の下の平地に建つてゐて、門を入ると右手に生徒の出入口があり、教室がいくつも続いて、二階三階が寄宿生の部屋になつてゐた。門から正面に植込を隔てて学校の玄関があり、西洋応接間、事務室、父兄の応接間、新聞室、先生方のひかへ室などあり、こちらの二階も生徒の部屋になつてゐて、ひろい廊下の突きあたりの扉をあけると、外国人教師の部屋が二つ三つ続いて、みんな南に向いて窓をもつてゐた。その一ばん端の、東南に向いた角に校長L夫人の部屋があつて、L氏もその部屋に夫人と一しよに暮してゐた。その部屋の扉のそとでL氏が殺された。
 L夫人は前にはミスSと言つてもう長くこの女学校の校長をつとめてゐた。L氏は丘の上のT学校の教授で夫人よりはずつとあとから日本に来た人だが、縁あつて二人は結婚し、二つぐらゐの女の子も出来てゐた。
 先生たちの部屋の前の廊下に、東に向いた階段があつて玄関に通じ、西に向いた裏の階段がキツチンや小使部屋に通じた。
 小使部屋のそばの出入口の戸をあけて、(たぶん鍵がかかつてゐなかつたらしい)泥棒はすぐ裏の階段を上がつて二階の廊下に出ると、大きな吊りランプが一つ廊下を照らしてゐた。彼は別に案内をしらべて置いたのではないから、まづ一ばん端のいちばん大きさうな部屋の扉を叩いた。女ばかりの学校ときいてゐたので、おどかして何か奪らうと思つたらしく、抜身の刀を持つてゐた。扉があいて中から出て来たのは女ではなく、背の高い大きな西洋人の男だつた。「何ですか?」と言つて彼は抜身の刀をみると、ひと目で強盗であることがわかつたから、妻や子供を守るために一息に押へつけるつもりでその手をつかまうとした。泥棒は小男ではなかつたが、この大きな若い男につかまへられる前に、めちやくちやに刀を振り廻した。ひどい物音で夫人が戸口に出て来ると、泥棒がいま倒れてゐる夫の上に刀をふり上げたところだから、彼女は「おお」と言つて手をのばしてその刀を受け止めようとした。その拍子に夫人の右手の指が二本人差指と中指とがぱらりと切り落されて夫人は失神して倒れてしまつた。泥棒は思ひのほかの自分の仕事に途方にくれて、血刀を下げて突立つてゐるとき、隣りの部屋に大きな叫び声や泣きごゑが聞えて、窓を開けて、一人ならず二人位の声で「どろぼう、どろぼう」と騒ぎ始めたから彼ははじめて正気に返つて、あわてて階段を駈け下り、逃げてしまつた。
 隣りの部屋に二人の若い女教師がゐた。NH女史とEH女史だつた。人ごゑや格闘の音で目さめた一人が扉をあけてこの惨げきを一目みるや、夢中で扉をしめて鍵穴からのぞいてゐた。一人はふるへながら窓をあけ、庭に向いて大声で助けを呼んだ。
 鍵穴からじいつとのぞいてゐたEH女史は音楽の先生で花車な姿をしてゐたが、すばらしい度胸で、もう泥棒がゐないと見るや扉をあけて廊下に出て、倒れてゐる夫妻を助けようとした。L氏はもうすでに完全に息が絶えてゐた。夫人は額をきられ二本の指を切られ出血がひどかつたが、EH女史の手当で生命をとりとめることが出来た。
 教頭のM女史とボーイッシュで美しいA女史とは東の建物の二階の二つの部屋にそれぞれ起居してゐて、広い庭をへだててゐたからこの騒ぎは知らなかつた。小使の知らせで二人は急いで起きて来て、それから漸く医者と警察に連絡をした。
 新聞は大々的にこの殺人事件を書き立てた。書かうとして探ぐれば、いろんな事が出てくる。警察はすぐに犯人を探しあてるつもりで大奮闘した。しかし血刀をさげて駈け出したその殺人者はすこしも跡を残さず消えてしまつた。死んだ人と回復をあやぶまれる人とが眼前に証拠を見せてゐるのでなければ、まつたく、だれかが夢をみたのだと思はれさうに、犯人は完全に隠れてしまつた。
 二人の被害者のほかに、悲しい犠牲者がもう一人ゐた。
 L氏が教へてゐた丘の上のT学校の校長は神学博士C氏で、この老博士に二人の令嬢があつた。L氏はC博士の家に親しく出入りして故郷にあるやうな気やすさで交際してゐるうちに、むかし風の淑女であるC令嬢の姉の方に温かい愛を感じ、彼等はじきに婚約した。C博士もC夫人も非常に喜んだことだつた。しかしその晴ればれとした幸福のただ中に、金髪の青い眼をしたすばらしい才女、丘の下の女学校の校長であるS女史が現はれると、L氏の心に急な変化が来た。彼は生れてはじめての熱情を以て女史を恋した。周囲の人たちも同情してこの恋愛を成り立たせ、結婚させたのだつた。C令嬢はしづかに身をひいて、今まで教へてゐた女学校の方も止め、丘の上の学校にはL氏が教へてゐるから、そこにも教へる気がしないで、麻布の裏街の家々を訪問して個人伝道をはじめてゐた。さういふ過去の話も警察が聞き出すと、すぐそこに一つのスキヤンダルがあつたとして、或る手がかりを握つたやうに騒ぎ立てた。C令嬢はじつに不幸であつた。しかしまた幸であつたのは、殺人の現場を隣室の鍵の孔からEH女史がこまかに覗いたことであつた。日本人の泥棒が刀を持つてL氏と組合つたことを確かに見たことで、いろいろな奇想天外の警察側の空想も破られて、彼等もその泥棒を探すより仕方がなかつた。C令嬢はその夏ぐらゐまでしんぼうしてゐたが、ついに両親とわかれて故郷に帰つて行つた。その後の彼女の生活はきこえてゐない、やはり清くつつましく生きたことと思はれる。
 この騒ぎがしづまつてL夫人がやつと回復すると、教頭のM女史を校長にして自分は顧問といふやうな位置につき、小さい子供を育てながら上級の生徒たちには料理とか洗濯といふやうな家庭の仕事を教へた。子供が五つぐらゐになつた時彼女は故郷に帰つて行つた。むろん彼女と子供だけを旅立たせることはあまり痛ましいので、教師の中で最年少者のA女史が同伴者として一しよに立つて行つた。
 T女学校はさういふ悲劇が一つの暗い影を落して、それと同時にハイカラな風がだんだん倦きられて急に古風な女子教育法が世間一ぱんに流行して来た時代の波で、最も進歩的であつたこの女学校もひどく急に生徒の数を減らしてしまつた。この学校をやめた生徒たちは華族女学校とか虎の門女学館なぞに入学して、みんなが宗教のにほひのする世界のそとに育つて行つた。
 この時の悲劇はほんとうに突発的なもので、路傍に電線が垂れ下がつてゐて偶然それに触れた人が感電したのと同じやうなわけだつた。何の原因があるでもなく誰のせゐでもない。もしL氏がほかの人と結婚して別の場所に暮してゐたら、彼は何の怪我もなく、学校の案内もよく知らずに侵入した泥棒は、校長かほかの先生かの指を二ほん切り落しただけで、殺人もしなかつたであらう。通り魔といふやうな物すごい一瞬の出来事ではあつたが、初めの一つの不幸がいくつもの不幸を引いて来たと言はれるかもしれない。生徒たちは学校の体面をおもひ、また二本の指を失くした未亡人の姿を朝に晩に見てゐるので、それ以後だれも決してこの悲しい事件を口に出すものはゐなかつた。しかし物に感じやすい少女たちの心にはいろいろな陰影がうごいてゐて、神秘的に考へるものと常識的に考へるものと、それはただ彼等のをさない心の世界にだけくり返された問答であつた。
 新しい校長M女史は深く物を考へる学者型の人で、決して伝道者型ではなかつた。洗礼をうける人数が多いのを誇りにしてゐたこの女学校の初期の気風とはすつかり離れて、彼女は西洋風の教養を持つ日本の新しい女性をつくり出さうと力いつぱいに骨を折つた。M女史は教へることが上手で、また楽しみでもあつた。それゆゑ不景気時代の学校の経営もむづかしかつたらうけれど、生徒を教授することが生命がけで、学校は今までとは違つた地味なものになつたが、しづかに根づよく育つて行つた。
 迷宮に入つたまま葬り去られるかと思はれた殺人事件は、しかしもう一度新聞に書かれる時が来た。それは三十何年か過ぎた後のこと、東京のどこかの警察にちよつとした微罪で挙げられた一人の男が、自分はむかし、今から三十余年前、麻布で人を殺したことがあると自白したのだつた。その委細が新聞に出たが、それだけ古い事になると読む人をあまり動かさなかつた。読者の半分以上は自分たちの生れ出ない前の話なのだから、また年をとつて大ていの事は忘れてしまつた人も多かつたから。しかし少数のものは、私もその中の一人で、熱心にこの記事を読んだ。もう疾うに時効にかかつてゐるから、この犯人はその昔の殺人事件のため罰せられるわけにはゆかないで、その新しい微罪のため行くところにゆかせられたと覚えてゐる。その後のことはどうなつたか知らない。学校と警察とからは故郷に静かに生きてゐた老夫人にこの最後の知らせを送つた。一人の泥棒が物盗りに入つた拍子に何のゆかりも恨みもない人を殺してしまつて、一生その罪の重荷に苦しみながら生きて来たが、警察で隠せばかくし了へられる古い事件をついに自分から言ひ出してしまつたといふことを「御報告するよろこびを持ちます」と手紙には書いたと思はれる。
 もうすでに一世紀の半分ほどを経過してゐるけれど、その事件を身近く見聞きした人たちの幾人かがまだ生きてゐると思ふ。その人たちの平和としづかな余生を祈りたい、私自身もその中に含めてである。

底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:伊藤時也
2010年10月14日作成
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