目次
 四谷見付よつやみつけから築地両国行つきじりょうごくゆきの電車に乗った。別に何処どこへ行くというあてもない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体からだゆすられるのが、自分には一種の快感を起させるからで。これは紐育ニューヨークの高架鉄道、巴里パリーの乗合馬車の屋根裏、セエヌの河船かわぶねなぞで、何時いつとはなしに妙な習慣になってしまった。
 いい天気である。あたたかい。風も吹かない。十二月も早や二十日過ぎなので、電車のせ行く麹町こうじまちの大通りには、松竹まつたけ注目飾しめかざり、鬼灯提灯ほおずきちょうちん引幕ひきまく高張たかはりのぼりや旗のさまざまが、よごれたかわら屋根と、新築した家の生々なまなましい木の板とに対照して、少しの調和もない混乱をば、なお更無残に、三時過ぎの日光ひかげが斜めにまぶしくてらしている。調子の合わない広告の楽隊が彼方かなた此方こなたから騒々しくはやし立てている。人通りは随分はげしい。
 けれども、電車の中は案外すいていて、きいろい軍服をつけた大尉たいいらしい軍人が一人、片隅かたすみに小さくなって兵卒が二人、折革包おりかばんひざにして請負師風うけおいしふうの男が一人、掛取かけとりらしい商人あきんどが三人、女学生が二人、それに新宿しんじゅく婆芸者ばばあげいしゃらしい女が一人乗っているばかりであった。日の光が斜めに窓からさし込むので、それを真面まともに受けた大尉のあかじみた横顔にはらない無性髯ぶしょうひげが一本々々針のように光っている。女学生のでこでこした庇髪ひさしがみが赤ちゃけて、油についたごみ二目ふためと見られぬほどきたならしい。一同黙っていずれも唇を半開きにしたままのない目でたがいに顔を見合わしている。伏目ふしめになって、いろいろの下駄げたや靴の先が並んだ乗客の足元を見ているものもある。何万円とか書いた福引の広告ももう一向いっこうに人の視線を引かぬらしい。婆芸者が土色したうすっぺらな唇をじ曲げてチュウッチュウッと音高く虫歯を吸う。請負師が大叭おおあくびの後でウーイと一ツ※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびをする。車掌が身体からだを折れるほどにそらして時々はずれるうしろの綱をば引き直している。
 麹町の三丁目で、ぶら提灯ぢょうちんと大きな白木綿しろもめん風呂敷包ふろしきづつみを持ち、ねんねこ半纏ばんてん赤児あかごおぶった四十ばかりの醜い女房と、ベエスボオルの道具を携えた少年が二人乗った。少年が夢中で昨日済んだ学期試験の成績を話し出す。突然けたたましく泣き出す赤児の声に婆芸者の歯を吸うひびきももう聞えなくなった。乗客はみんな泣く子の顔を見ている。女房はねんねこ半纏のひもをといて赤児を抱き下し、渋紙しぶかみのような肌をば平気で、襟垢えりあかだらけの襟を割って乳房を含ませる。赤児がやっとの事泣きんだかと思うと、車掌が、「半蔵門はんぞうもん、半蔵門でございます。九段くだんいち本郷ほんごう神田かんだ小石川こいしかわ方面のおかたはお乗換え――あなた小石川はお乗換ですよ。お早く願います。」と注意されて女房は真黒まっくろな乳房をぶらぶら、片手に赤児片手に提灯と風呂敷包みを抱え込み、周章あわてふためいて降り掛ける。その入口からは、待っていた乗客が案外にすいている車と見るやなお更に先きを争い、出ようとする女房を押しかえして、われがちに座を占める。赤児がヒーヒーわめき立てる。おしめが滑り落ちる。乗客が構わずそれをば踏み付けて行こうとするので、此度こんどは女房が死物狂しにものぐるいに叫び出した。口癖になった車掌はきいろい声で、
「お忘れものの御在ございませんように。」と注意したが、見るから汚いおしめの有様。といって黙って打捨てても置かれず、詮方せんかたなしに「おあぶのう御在いますから、御ゆるり願います。」
 ようやくにして、チインと引く鈴の音。
「動きます。」
 車掌の声に電車ががたりと動くや否や、席を取りそこねて立っていた半白はんぱくばばあに、その娘らしい十八、九の銀杏返いちょうがえ前垂掛まえだれがけの女が、二人一度にそろって倒れかけそうにして危くも釣革つりかわに取りすがった。同時に、
「あいたッ。」と足を踏まれて叫んだものがある。半纏股引はんてんももひきの職人である。
「まア、どうぞ御免なすって……。」と銀杏返は顔を真赤まっかに腰をかがめて会釈しようとすると、電車の動揺でまたよろけ掛ける。
「ああ、こわい。」
「おかけなさい。姉さん。」
 薄髯うすひげ二重廻にじゅうまわし殊勝しゅしょうらしく席を譲った。
「どうもありがとう……。」
 しかし腰をかけたのは母らしい半白の婆であった。若い女は丈伸せのびをするほど手を延ばして吊革つりかわ握締にぎりしめる。その袖口そでぐちからどうかすると脇の下まで見えきそうになるのを、しきりと気にして絶えず片手でメレンスの襦袢じゅばんの袖口を押えている。車はゆるやかな坂道をば静かに心地よくせ下りて行く。突然足を踏まれた先刻さっきの職人が鼾声いびきをかき出す。誰れかが『報知新聞』の雑報を音読し初めた。
 三宅坂みやけざかの停留場は何の混雑もなく過ぎて、車はこぶだらけに枯れた柳の並木の下をば土手に沿うて走る。往来おうらいの右側、いつでも夏らしくしげった老樹の下に、三、四台の荷車が休んでいる。二頭だての箱馬車が電車を追抜けて行った。左側は車の窓からほりの景色が絵のように見える。石垣と松のしげりを頂いた高い土手が、出たり這入はいったりして、その傾斜のやがて静かに水に接する処、日の光に照らされた岸の曲線は見渡すかぎり、驚くほどあざやかに強く引立って見えた。青く濁った水のおもては鏡の如く両岸の土手をおおう雑草をはじめ、柳の細い枝も一条ひとすじ残さず、高い空の浮雲までをそのままはっきりと映している。それをば土手にむらがる水鳥が幾羽となく飛入っては絶えず、羽ばたきの水沫しぶきうごかし砕く。岸に沿うて電車がまがった。濠の水は一層広く一層静かに望まれ、そのはずれに立っている桜田門さくらだもん真白まっしろな壁が夕方前のやや濁った日の光に薄く色づいたままいずれが影いずれが実在の物とも見分けられぬほど鮮かに水の面に映っている。もなく日比谷ひびやの公園外を通る。電車は広い大通りを越して向側むこうがわのやや狭い街の角に止まるのを待ちきれず二、三人の男が飛び下りた。
とまりましてからお降り下さい。」と車掌のいうより先に一人が早くも転んでしまった。無論大した怪我けがではないと合点して、車掌は見向きもせず、曲り角の大厄難、うしろの綱のはずれかかるのを一生懸命に引直ひきなおす。車は八重やえかさなる線路の上をガタガタと行悩んで、定めの停留場に着くと、其処そこに待っている一団の群集。中には大きな荷物を脊負った商人も二、三人まじっていた。
 例のあがり降りの混雑。車掌は声をきいろくして、
「どうぞ中の方へ願います。あなた、恐入りますが、もう少々もうひとツ先きの釣革に願います。込み合いますから御懐中物を御用心。動きます。ただ今お乗り換えの方は切符を拝見致します。次は数寄屋橋すきやばし、お乗換のりかえかたは御在いませんか。」
「ありますよ。ちょいと、乗りかえ。本所ほんじょは乗り換えじゃないんですか。」髪を切り下げにした隠居風の老婆ろうば逸早いちはやく叫んだ。
 けれども車掌は片隅から一人々々に切符をきって行くせわしさ。「往復で御在いますか。十銭じっせん銀貨で一銭のお釣で御在います。お乗換は御在いませんか。」
「乗換ですよ。ちょいと。」本所行の老婆は首でも絞められるように、もう金切声かなきりごえになっている。
「おい、回数券だ、三十回……。」
 鳥打帽とりうちぼう双子縞ふたこじま尻端折しりはしおり、下には長い毛糸の靴足袋くつたびに編上げ靴を穿いた自転車屋の手代てだいとでもいいそうな男が、一円紙幣さつ二枚を車掌に渡した。車掌は受取ったなり向うを見て、狼狽あわてて出て行き数寄屋橋へ停車の先触さきぶれをする。尾張町おわりちょうまで来ても回数券を持って来ぬので、今度は老婆の代りに心配しだしたのはこの手代で。しかしさすがに声はかけず、鋭い眼付めつきまたたき一ツせず車掌の姿に注目していた。車の硝子窓ガラスまどから、印度や南清なんしん殖民地しょくみんちで見るような質素な実利的な西洋館が街の両側に続いて見え出した。車の音がにわかに激しい。調子の合わない楽隊が再び聞える。すなわち銀座の大通おおどおりを横切るのである。乗客の中には三人づれ草鞋わらじばき菅笠すげがさの田舎ものまでまじって、また一層の大混雑おおこんざつうしろの降り口のほうには乗客が息もつけないほどに押合い今にもなぐり合いの喧嘩けんかでも始めそうにいいののしっている。
「込み合いますから、どうぞお二側ふたかわに願います。」
 釣革をば一ツ残らずいろいろの手が引張っている。指環ゆびわの輝くやさしい白い手の隣りには馬蹄ひづめのように厚い母指おやゆびの爪がそびえている。あかだらけの綿めんネルシャツの袖口そでぐちは金ボタンのカフスとあい接した。乗換切符の要求、田舎ものの狼狽ろうばい。車の中は頭痛のするほどさわがしい中に、いつか下町したまちの優しい女の話声も交るようになった。
 木挽町こびきちょう河岸かしへ止った時、混雑にまぎれて乗り逃げしかけたものがあるとかいうので、車掌が向うの露地口ろじぐちまで、中折帽なかおれぼう提革包さげかばんの男を追いかけて行った。あとからつづいて停車した電車の車掌までが加勢に出かけて、往来際おうらいぎわには直様すぐさま物見高い見物人が寄り集った。
 車の中から席を去って出口まで見に行くものもある。「けちけちするない――早く出さねえか――正直にぜにを払ってる此輩こちとらアいい迷惑だ。」と叫ぶものもある。
 不時の停車を幸いに、おくせにかけつけた二、三人が、あわてて乗込んだ。その最後の一人は、一時に車中の目を引いたほどの美人で、赤いてがらをかけた年は二十二、三の丸髷まるまげである。オリブ色の吾妻あずまコオトのたもとふりから二枚重にまいがさね紅裏もみうらそろわせ、片手に進物しんもつの菓子折ででもあるらしい絞りの福紗包ふくさづつみを持ち、出口に近い釣革へつかまると、その下の腰掛から、
「あら、よし子さんじゃいらッしゃいませんか。」と同じ年頃としごろ、同じような風俗みなりの同じような丸髷が声をかけた。
「あら、まア……。」と立っている丸髷はいかにもこの奇遇に驚いたらしく言葉をきる。
「五年ぶり……もっとになるかも知れませんわね。よし子さん。」
「ほんとに……あの、藤村ふじむらさんの御宅おたくで校友会のあったあの時お目にかかったきりでしたねえ。」
 電車がやっと動き始めた。
「よし子さん、おかけ遊ばせよ、かかりますよ。」と下なる丸髷は、かなりに窮屈らしく詰まっている腰掛をグット左の方へ押しつめた。
 押詰められて、じじむさい襟巻えりまきした金貸らしいおやじが不満らしく横目ににらみかえしたが、真白まっしろな女の襟元に、文句はいえず、押し敷かれた古臭い二重廻にじゅうまわしのはねを、だいじそうに引取りながら、順送りに席をざった。赤いてがらは腰をかけ、両袖りょうそで福紗包ふくさづつみひざの上にのせて、
「校友会はどうしちまったんでしょう、この頃はさっぱり会費も取りに来ないんですよ。」
「藤村さんも、おいそがしいんですよ、きっと。何しろ、あれだけのお店ですからね。」
「お宅さまでは皆さまおかわりも……。」
「は、ありがとう。」
「どちらまでいらッしゃいますの、私はもう、すぐそこで下りますの。」
新富町しんとみちょうですか。わたくしは……。」
 いいかけた処へ車掌が順送りに賃銭を取りに来た。赤いてがらの細君は帯の間から塩瀬しおぜちいさ紙入かみいれを出して、あざやかな発音で静かに、
「のりかえ、ふかがわ。」
茅場町かやばちょうでおのりかえ。」と車掌が地方訛いなかなまりで蛇足だそくを加えた。
 真直まっすぐ往来おうらいの両側には、意気な格子戸こうしど板塀いたべいつづき、すりがらすの軒燈けんとうさてはまた霜よけした松の枝越し、二階の欄干てすり黄八丈きはちじょう手拭地てぬぐいじ浴衣ゆかたをかさねた褞袍どてらを干した家もある。行書で太く書いた「鳥」「蒲焼かばやき」なぞの行燈あんどうがあちらこちらに見える。たちまち左右がぱッとあかるく開けて電車は一条ひとすじの橋へと登りかけた。
 左の方に同じような木造の橋が浮いている。見下みおろすと河岸かしの石垣は直線に伸びてやがて正しい角度に曲っている。池かと思うほど静止した堀割ほりわりの水は河岸通かしどおりに続く格子戸づくりの二階家から、正面に見える古風な忍返しのびがえしをつけた黒板塀の影までをはっきり映している。丁度汐時しおどきであろう。泊っている荷舟にぶね苫屋根とまやねが往来よりも高く持上って、物を煮る青い煙が風のない空中へと真直まっすぐに立昇っている。鯉口半纏こいぐちばんてん向鉢巻むこうはちまきの女房がふなばたから子供のおかわを洗っている。橋の向角むこうかどには「かしぶね」とした真白な新しい行燈と葭簀よしずを片寄せた店先の障子しょうじが見え、石垣の下には舟板を一枚残らず綺麗きれいに組み並べた釣舟が四、五そう浮いている。人通りはほとんどない、もう四時過ぎたかも知れない。傾いた日輪をばまぶしくもなく正面まともに見詰める事が出来る。この黄味きいろみの強い赤い夕陽ゆうひの光に照りつけられて、見渡す人家、堀割、石垣、すべての物の側面は、その角度を鋭く鮮明にしてはいたが、しかし日本の空気の是非なさは遠近を区別すべき些少さしょうの濃淡をもつけないので、堀割の眺望ながめはさながら旧式の芝居のひらた書割かきわりとしか思われない。それが今、自分の眼にはかえって一層適切に、黙阿弥もくあみ小団次こだんじ菊五郎きくごろうらの舞台をば、遺憾なく思い返させた。あの貸舟、格子戸づくり、忍返し……。
 折もよく海鼠壁なまこかべの芝居小屋を過ぎる。しかるに車掌が何事ぞ、
「スントミ町。」と発音した。
 丸髷の一人は席を立って、「それじゃ、御免ください、どうぞお宅へよろしく。」
「ちッと、おひまの時いらしッて下さい。さよなら。」
 電車は桜橋さくらばしを渡った。堀割は以前のよりもずッと広く、荷船の往来ゆききせわしく見えたが、道路は建て込んだ小家と小売店こうりみせの松かざりに、築地つきじの通りよりも狭く貧しげに見え、人がなんという事もなく入り乱れて、ぞろぞろ歩いている。坂本さかもと公園前に停車すると、それなり如何いかほど待っていても更に出発する様子はない。あとにも先にも電車が止っている。運転手も車掌もいつの間にやら何処どこへか行ってしまった。
「またくらったんだ。停電にちげえねえ。」
 糸織いとおりの羽織に雪駄せったばきの商人が臘虎らっこ襟巻えりまきしたあから顔の連れなるじじいを顧みた。萌黄もえぎの小包を首にかけた小僧が逸早いちはやく飛出して、「やア、電車の行列だ。先の見えねえほど続いてらア。」と叫ぶ。
 車掌が革包かばんを小脇に押えながら、帽子を阿弥陀あみだに汗をふきふきけ戻って来て、「お気の毒様ですがお乗りかえの方はお降りを願います。」
 声を聞くと共に乗客の大半は一度に席を立った。その中には唇をとがらして、「どうしたんだ。よっぽどひまがかかるのか。」
あい済みません、この通りで御在います。茅場町かやばちょうまでつづいておりますから……。」
 菓子折らしい福紗包ふくさづつみを携えた丸髷まるまげの美人が車を下りた最後の乗客であった。

 自分は既に述べたよう何処どこへも行く当てはない。大勢が下車するその場の騒ぎに引入れられて何心なにごころもなく席を立ったが、すると車掌は自分が要求もせぬのに深川行ふかがわゆき乗換のりかえ切符を渡してくれた。
 人家の屋根に日をさえぎられた往来おうらいには海老色えびいろり立てた電車が二、三ちょうも長く続いている。茅場町かやばちょうの通りから斜めにさし込んで来る日光ひかげで、向角むこうかどに高く低く不揃ふぞろいに立っている幾棟いくむねの西洋造りが、屋根と窓ばかりで何一ツ彫刻の装飾をも施さぬ結果であろう。如何いかにも貧相に厚みも重みもない物置小屋のように見えた。往来の上に縦横の網目を張っている電線が透明な冬の空の眺望を目まぐるしく妨げている。昨日あたり山から伐出きりだして来たといわぬばかりの生々なまなましい丸太の電柱が、どうかすると向うの見えぬほど遠慮会釈もなく突立っている。その上に意匠の技術を無視した色のわるいペンキ塗の広告がベタベタってある。竹の葉のきたならしく枯れた松飾りの間からは、家ののきごとに各自勝手ののぼりや旗が出してあるのが、いずれも紫とか赤とかいう極めて単純な色ばかりをえらんでいる。
 自分は憤然として昔の深川を思返した。幸い乗換の切符は手のうちにある。自分は浅間あさましいこの都会の中心から一飛びに深川へ行こう――深川へ逃げて行こうという押えられぬ欲望にめられた。
 数年前まで、自分が日本を去るまで、水の深川は久しい間、あらゆる自分の趣味、恍惚こうこつ、悲しみ、よろこびの感激を満足させてくれた処であった。電車はまだ布設されていなかったが既にそのころから、東京市街の美観は散々に破壊されていた中で、河を越したの場末の一劃ばかりがわずかにさびしく悲しい裏町の眺望ながめうちに、衰残と零落とのいいつくし得ぬ純粋一致調和の美をあじわわしてくれたのである。
 その頃、繁華な市中からこの深川へ来るには電車の便はなし、人力車じんりきしゃ賃銭ちんせんの高いばかりか何年間とも知れず永代橋えいたいばし橋普請はしぶしんで、近所の往来は竹矢来たけやらいせばめられ、小石や砂利で車の通れぬほど荒らされていた処から、れも彼れも、皆汐溜しおどめから出て三十間堀さんじっけんぼりの堀割を通って来る小さな石油の蒸汽船、もしくは、南八丁堀みなみはっちょうぼり河岸縁かしぶちに、「出ますよ出ますよ」と呼びながら一向出発せずに豆腐屋のような鈴ばかりならし立てている櫓舟ろぶねに乗り、石川島いしかわじまを向うに望んで越前堀えちぜんぼりに添い、やがて、引汐ひきしお上汐あげしおの波にゆられながら、印度洋でも横断するようにやっとの事で永代橋の河下かわしもを横ぎり、越中島えっちゅうじまから蛤町はまぐりちょうの堀割に這入はいるのであった。不動様のお三日さんにちという午過ひるすぎなぞ参詣戻りの人々が筑波根つくばね繭玉まゆだま成田山なりたさん提灯ちょうちん泥細工つちざいく住吉踊すみよしおどりの人形なぞ、さまざまな玩具おもちゃを手にさげたその中には根下ねさがりの銀杏返いちょうがえしや印半纏しるしばんてんかしらなどもまじっていて、幾艘いくそう早舟はやぶねの音をそろえ、碇泊ていはくした荷舟にぶねの間をば声を掛け合い、しずかうしおに従って流れて行く。水にうつる人々の衣服や玩具や提灯の色、それをば諸車止しょしゃどめ高札こうさつ打ったる朽ちた木の橋から欄干らんかんもたれて眺め送る心地の如何いかに絵画的であったろう。
 夏中洲崎すさき遊廓ゆうかくに、燈籠とうろうの催しのあった時分じぶん、夜おそく舟でかよった景色をも、自分は一生忘れまい。とまのかげから漏れる鈍い火影ほかげが、酒にって喧嘩けんかしている裸体はだかの船頭を照す。川添いの小家こいえの裏窓から、いやらしい姿をした女が、文身ほりものした裸体はだかの男と酒をんでいるのが見える。水門すいもん忍返しのびがえしから老木おいきの松が水の上に枝をのばした庭構え、燈影ほかげしずかな料理屋の二階から芸者げいしゃの歌ううたが聞える。月が出る。倉庫の屋根のかげになって、片側は真暗まっくら河岸縁かしぶち新内しんないのながしが通る。水の光であかるく見える板橋の上を提灯つけた車が走る。それらの景色をばいい知れず美しく悲しく感じて、満腔まんこうの詩情を托したその頃の自分は若いものであった。煩悶はんもんを知らなかった。江戸趣味の恍惚こうこつのみに満足して、心は実に平和であった。硯友社けんゆうしゃの芸術を立派なもの、新しいものだと思っていた。近松ちかまつ西鶴さいかくが残した文章で、如何なる感情の激動をもいいつくし得るものと安心していた。音波おんぱの動揺、色彩の濃淡、空気の軽重けいちょう、そんな事は少しも自分の神経を刺戟しげきしなかった。そんな事は芸術の範囲にるべきものとは少しも予想しなかった。日本は永久自分の住む処、日本語は永久自分の感情を自由にいいあらわしてくれるものだと信じて疑わなかった。
 自分は今、ひげをはやし、洋服を着ている。電気鉄道に乗って、鉄で出来た永代橋を渡るのだ。時代の激変をどうして感ぜずにいられよう。
 夕陽ゆうひは荷舟やほばしら輻輳ふくそうしている越前堀からずっと遠くのほうをば、まぶしくけむりのように曇らしている。影のように黒く立つ石川島の前側に、いつも幾艘となく碇泊している帆前船ほまえせんの横腹は、赤々と日の光にいろどられた。橋の下からき昇る石炭の煙が、時々は先の見えぬほど、橋の上に立ち迷う。これだけは以前に変らぬ眺めであったが、自分の眼はたちま佃島つくだじま彼方かなたから深川へとかけられた一条ひとすじの長い橋の姿に驚かされた。堤の上の小さい松の並木、橋の上の人影までが、はっきり絵のように見える。自分は永代橋の向岸むこうぎしで電車を下りた。その頃はほとん門並かどなみに知っていた深川の大通り。かど蛤屋はまぐりやには意気な女房がいた。名物の煎餅屋せんべいやの娘はどうしたか知ら。一時跡方あとかたもなく消失きえうせてしまった二十歳時分はたちじぶんの記憶を呼び返そうと、自分はきょろきょろしながら歩く。
 無論それらしい娘も女房も今は見当てられようはずはない。しかし深川の大通りは相変らず日あたりが悪く、妙にこの土地ばかり薄寒いような気がして、市中は風もなかったのに、此処ここでは松かざりの竹の葉がざわざわいって動いている。よく見覚えのある深川座ののぼりがたった一本さびに、昔の通り、横町よこちょう曲角まがりかどに立っていたので、自分は道路の新しく取広げられたのをもほとんど気付かず、心は全く十年前のなつかしい昔に立返る事が出来た。
 つい名を忘れてしまった。思い出せない――一条の板橋を渡ると、やがて左へ曲る横町にのぼりの如くつるした幾筋いくすじ手拭てぬぐいが見える。紺と黒と柿色かきいろの配合が、全体に色のない場末の町とて殊更ことさら強く人目をく。自分は深川に名高い不動のやしろであると、直様すぐさま思返してその方へ曲った。
 細いどぶにかかった石橋を前にして、「内陣ないじん新吉原講しんよしわらこう」と金字きんじで書いた鉄門をはいると、真直まっすぐな敷石道の左右に並ぶ休茶屋やすみぢゃや暖簾のれんと、奉納の手拭が目覚めるばかり連続つながって、その奥深く石段を上った小高い処に、本殿の屋根が夕日を受けながら黒くそびえている。参詣の人が二人三人と絶えずあがりする石段の下には易者の机や、筑波根つくばね売りの露店が二、三軒出ていた。そのそばに児守こもりや子供や人が大勢立止たちどまっているので、何かとちかづいて見ると、坊主頭の老人が木魚もくぎょたたいて阿呆陀羅経あほだらきょうをやっているのであった。阿呆陀羅経のとなりには塵埃ほこりで灰色になった頭髪かみのけをぼうぼうはやした盲目の男が、三味線しゃみせんを抱えて小さく身をかがめながら蹲踞しゃがんでいた。阿呆陀羅経を聞き飽きた参詣戻りの人たちが三人四人立止る砂利の上の足音を聞分けて、盲目の男は懐中ふところに入れたかしのばちを取り出し、ちょっと調子をしらべる三の糸から直ぐチントンシャンと弾き出して、低いリョの声を咽喉のどへとみ込んで、
 あきイ――の
と長く引張ひっぱったところで、つく息と共に汚い白眼しろめをきょろりとさせ、仰向あおむける顔と共に首を斜めに振りながら、
 は――ア
と歌った。声は枯れている。三味線の一の糸には少しのさわりもない。けれども、歌出うたいだしの「秋――」という節廻ふしまわしから拍子の間取まどりが、山の手の芸者などには到底聞く事の出来ぬ正確たしか歌沢節うたざわぶしであった。自分はなつかしいばかりでない、非常な尊敬の念を感じて、男の顔をば何んという事もなくしげしげ眺めた。
 さして年老としとっているというでもない。無論明治になってから生れた人であろう。自分は何の理由もなく、かの男は生れついての盲目ではないような気がした。小学校で地理とか数学とか、事によったら、以前の小学制度で、高等科に英語の初歩位学んだ事がありはしまいか。けれども、江戸伝来の趣味性は九州の足軽風情ふぜいが経営した俗悪蕪雑ぶざつな「明治」と一致する事が出来ず、家産を失うと共に盲目になった。そして栄華の昔には洒落しゃれ半分の理想であった芸に身を助けられる哀れな境遇に落ちたのであろう。その昔、芝居茶屋の混雑、おさらいの座敷の緋毛氈ひもうせん、祭礼の万燈まんどう花笠はながさったその眼は永久に光を失ったばかりに、かえって浅間しい電車や電線や薄ッぺらな西洋づくりを打仰ぐ不幸を知らない。よしまた、知ったにしても、こういう江戸ッはわれら近代の人の如く熱烈な嫌悪けんお憤怒ふんぬを感じまい。我れながらせられぬ煩悶はんもんに苦しむような執着を持っていまい。江戸の人は早くあきらめをつけてしまう。すぐと自分で自分を冷笑する特徴をそなえているから。
 高い三の糸がしきりに響く。おとするものは――アと歌って、盲人もうじんは首をひょいと前につき出し顔をしかめて、
 鐘――エエばアかり――
という一番高い節廻ふしまわしをば枯れた自分の咽喉のどをよく承知して、たくみに裏声を使って逃げてしまった。
 夕日が左手の梅林うめばやしから流れて盲人の横顔をてらす。しゃがんだ哀れな影が如何いかにも薄くうしろの石垣にうつっている。石垣を築いた石の一片いっぺんごとに、奉納した人の名前が赤い字で彫りつけてある。芸者、芸人、鳶者とびのもの、芝居の出方でかた博奕打ばくちうち、皆近世に関係のない名ばかりである。
 自分はふと後を振向いた。梅林の奥、公園外の低い人家の屋根を越して西の大空一帯に濃い紺色の夕雲が物すごい壁のように棚曳たなびき、沈む夕日は生血なまちしたたる如くその間に燃えている。真赤まっかな色は驚くほど濃いが、光は弱く鈍り衰えている。自分は突然一種悲壮な感に打たれた。あの夕日の沈むところは早稲田わせだの森であろうか。本郷ほんごうの岡であろうか。自分の身は今如何に遠く、東洋のカルチェエ・ラタンから離れているであろう。盲人は一曲終ってすぐさま、
けての気苦労は――」と歌いつづける。
 自分はいつまでも、いつまでも、暮行くこの深川の夕日を浴び、迷信の霊境なる本堂の石垣の下にたたずんで、歌沢の端唄はうたを聴いていたいと思った。永代橋えいたいばしを渡って帰って行くのが堪えられぬほどつらく思われた。いっそ、明治が生んだ江戸追慕の詩人斎藤緑雨さいとうりょくうの如くほろびてしまいたいような気がした。
 ああ、しかし、自分はついに帰らねばなるまい。それが自分の運命だ、河を隔て堀割を越え坂をあがって遠く行く、大久保おおくぼの森のかげ、自分の書斎の机にはワグナアの画像の下にニイチェの詩ザラツストラの一巻が開かれたままに自分を待っている……
明治四十一年十二月作

底本:「すみだ川・新橋夜話 他一篇」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
   2005(平成17)年11月25日第23刷発行
底本の親本:「荷風小説 二」岩波書店
   1986(昭和61)年6月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:米田
2010年9月5日作成
2011年4月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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