紅葉先生こうえふせんせい在世ざいせいのころ、名古屋なごや金色夜叉夫人こんじきやしやふじんといふ、わか奇麗きれい夫人ふじんがあつた。まをすまでもなく、最大さいだいなる愛讀者あいどくしやで、みやさん、貫一くわんいちでなければけない。
 ――かつらならではとゆるまでに結做ゆひなしたる圓髷まるまげうるしごときに、珊瑚さんご六分玉ろくぶだま後插あとざしてんじたれば、さら白襟しろえり※(「艷のへん+盍」、第4水準2-88-94)れいえんものたとふべきく――
 とあれば、かつらならではとゆるまで、圓髷まるまげゆひなして、六分玉ろくぶだま珊瑚さんごに、※(「艷のへん+盍」、第4水準2-88-94)れいえんなる白襟しろえりこのみ。
 ――貴族鼠きぞくねずみ※(「糸+芻」、第4水準2-84-49)高縮緬しぼたかちりめん五紋いつゝもんなる單衣ひとへきて、おび海松地みるぢ裝束切模しやうぞくぎれうつし色紙散しきしちらし七絲しつちん……淡紅色紋絽ときいろもんろ長襦袢ながじゆばん――
 とあれば、かくのごとく、お出入でいり松坂屋まつざかやへあつらへる。金色夜叉こんじきやしや中編ちうへんのおみやは、この姿すがたで、雪見燈籠ゆきみどうろう小楯こだてに、かんざきつゝじのしげみにすそかくしてつのだから――にはに、築山つきやまがかりの景色けしきはあるが、燈籠とうろうがないからと、ことさらにゑさせて、みぎよそほひでスリツパで芝生しばふんで、秋空あきぞらたか睫毛まつげすまして、やがて雪見燈籠ゆきみどうろうかさうへにくづほれた。
「おまへたち、名古屋なごやくなら、紹介せうかいをしてらうよ。」
 いま兜町かぶとちやう山一商會やまいちしやうくわい杉野喜精氏すぎのきせいしは、先生せんせい舊知きうちで、その時分じぶん名古屋なごや愛知銀行あいちぎんかうの――うもわたしあま銀行ぎんかうにはゆかりがないから、やくづきはなんといふのからないが、つてこの金色夜叉夫人こんじきやしやふじん電話口でんわぐちでそのひとよびだすのをくと、「あゝ、もし/\御支配人ごしはいにん、……」だから御支配人ごしはいにんであつた。――一年あるとし先生せんせい名古屋なごやあそんで、夫人ふじんとは、この杉野氏すぎのしつうじて、あひんなすつたので。……おまへたち。……柳川春葉やながはしゆんえふと、わたしとが編輯へんしふたづさはつてた、春陽堂しゆんやうだう新小説しんせうせつ社會欄しやくわいらん記事きじとして、中京ちうきやう觀察くわんさつくために、名古屋なごや派遣はけんといふのを、主幹しゆかんだつた宙外ちうぐわいさんからうけたまはつたときであつた。なにしろ、杉野すぎのいへで、早午飯はやひる二人ふたり牛肉ぎうなべをつゝいてると、ふすまごしに(お相伴しやうばん)といふこゑがしたとおもひな。紋着もんつきしろえりで盛裝せいさうした、えんなのが、ちやわんとはしを兩手りやうてつて、めるやうにあらはれて、すぐに一切ひときれはさんだのが、そのひとさ。和出來わでき猪八戒ちよはつかい沙悟淨さごじやうのやうな、へんなのが二人ふたりしやち城下じやうかころちて、門前もんぜんときつたつて、みぎ度胸どきようだからまでおびえまいよ。紹介せうかいをしよう。……(かくはま)にも。」かくはまは、名古屋通なごやつうむねをそらした杉野氏すぎのし可笑をかしがつて、當時たうじ先生せんせい御支配人ごしはいにんたはむれにあざけつた渾名あだなである。御存ごぞんじのとほり(さま)を彼地かのちでは(はま)といふ。……
 わたしは、先生せんせい名古屋なごやあそびのときの、心得こゝろえ手帳てちやうつてゐる。餘白よはく澤山たくさんあるからといつて、一册いつさつくだすつたものだが、用意よういふかかただから、他見たけんしかるべからざるペイヂには剪刀はさみはひつてゐる。おぼえのこつてゐるのに――あとわたしたちもいたうたしるしてある。
あぢ川文かはぶんなが前津まへつ香雪軒かうせつけんよ、
せきひろいは金城館きんじやうくわん愉快ゆくわい、おなやの奧座敷おくざしき一寸ちよつと二次會にじくわい
河喜樓かはきろう
また魚半ぎよはん中二階ちうにかい
 近頃ちかごろは、得月とくげつなどといふのが評判ひやうばんたかいとく、が、いまもこのうたおもむきはあるのであらう。その何家なにやだからないが、御支配人ごしはいにんがズツと先生せんせいみちびくと、ひとつゑぐらうといふ數寄屋すきやがかりの座敷ざしきへ、折目をりめだかな女中ぢよちうが、何事なにごとぞ、コーヒーいり角砂糖かくざたうさゝげてた。――シユウとあわがつて、くろいしるのあふるのをさぢでかきまはすしろものである。以來いらいひこつ名古屋通なごやつうを、(かくはま)とふのである。
 おなじ手帳てちやうに、そのときのお料理れうりしるしてあるから、一寸ちよつと御馳走ごちそうをしたいとおもふ。
(わん。)津島つしまぶ、隱元いんげん、きす、鳥肉とりにく。(はち。)たひさしみ、新菊しんぎくあまだい二切ふたきれ。(はち。)えびしんじよ、ぎんなん、かぶ、つゆ澤山だくさん土瓶どびんむしまつだけ。つけもの、かぶ、奈良ならづけ。かごにて、ぶだう、なし
 手帳てちやうのけいのなかほどに、ぜんづ、としゆがきがしてある。

 そのかくはま、と夫人ふじんとに、紹介状せうかいじやう頂戴ちやうだいして、春葉しゆんえふ二人ふたりかけた。あゝ、この紹介状せうかいじやうなかりせば……おもひだしても、げつそりとはらく。……
 なにしろ、中京ちうきやう殖産工業しよくさんこうげふから、名所めいしよ名物めいぶつ花柳界くわりうかい一般いつぱん芝居しばゐ寄席よせ興行こうぎやうものの状態じやうたい視察しさつ。あひなるべくは多治見たぢみへのして、陶器製造たうきせいざう模樣もやうまでで、滯在たいざいすくなくとも一週間いつしうかん旅費りよひとして、一人前いちにんまへ二十五兩にじふごりやうちうにおよばず、きりもちたつた一切ひときれづゝ。――むかしから、落人おちうど七騎しちき相場さうばきまつたが、これは大國たいこく討手うつてである。五十萬石ごじふまんごくたゝかふに、きりもちひとつはなさけない。が、討死うちじに覺悟かくごもせずに、血氣けつきまかせて馳向はせむかつた。
 日露戰爭にちろせんさうのすぐ以前いぜんとはひながら、一圓いちゑんづゝにかぞへても、紙幣さつ人數にんず五十枚ごじふまいで、きんしやちほこ拮抗きつかうする、勇氣ゆうきのほどはすさまじい。とき二月きさらぎなりけるが、あまつさへ出陣しゆつぢんさいして、陣羽織ぢんばおりも、よろひもない。るにはるがあづけてある。いきほへいわかたねばらない。くれから人質ひとじちはひつてゐる外套ぐわいたう羽織はおりすくひだすのに、もなく八九枚はつくまい討取うちとられた。がかつたつむぎ羽織はおりに、銘仙めいせんちやじまをたのと、石持こくもち黒羽織くろばおりに、まがひ琉球りうきうのかすりをたのが、しよぼ/\あめなかを、夜汽車よぎしやつた。
 みじかころだから、翌日よくじつ旅館りよくわんいて、支度したくをすると、もうそちこち薄暗うすぐらい。東京とうきやうへば淺草あさくさのやうなところだと、かねいて大須おほす觀音くわんおんまうでて、表門おもてもんからかへればいのを、風俗ふうぞく視察しさつのためだ、とうらへまはつたのが過失あやまちで。……大福餅だいふくもちの、いたのを頬張ほゝばつて、ばあさんに澁茶しぶちやをくんでもらひながら「やあ、このおほきなすゞをがらん/\とけてくのは、號外がうぐわいではなささうだが、なんだい。」ばあさんが「あれは、ナアモ、藝妓衆げいこしゆ線香せんかうらせでナアモ。」そろ/\風俗ふうぞく視察しさつにおよんで、なに任務にんむだからと、何樓なにやかのまへで、かけつて、値切ねぎつて、ひきつけへとほつてさけると、階子はしごちうくらゐのおのぼ二人ふたり、さつぱりてない。第一だいいちをんなどもが寄着よりつかない。おてうしが一二本いちにほん遠見とほみ傍示ばうじぐひのごと押立おつたつて、廣間ひろまはガランとしてごとし。まつになつた柳川やながはが、なるお羽織はおり……これが可笑をかしい。京傳きやうでん志羅川夜船しらかはよふねに、素見山すけんざんの(きふう)ととなへて、息子むすこなんぞうたはつせえ、といぬのくそをまたいでさきをとこがゐる。――(きふう)はだ。けだしいろ象徴しやうちようではないのだが、春葉しゆんえふ羽織はおりういふものか、不斷ふだんから、くだん素見山すけんざんふうがあつた。――そいつをパツといで、角力すまふらうとふ。ぼく角力すまふきらひだ、といふと、……ちひさなこゑで、「示威運動じゐうんどうだから、かたばかりでくんだ。」よした、とつと、「りたけむかうからはずみをつけてけててポンとつかりたまへ、いか。」すとんと、呼吸こきふで、もなくなげられる。いか。よした。どん、すとん、と身上しんしやうかるい。けれども家鳴やなり震動しんどうする。遣手やりても、仲居なかゐも、をんなどももけつけたが、あきれて廊下らうかつばかり、はなしいた芝天狗しばてんぐと、河太郎かはたらうが、紫川むらさきがはからけてたやうにえたらう。恐怖おそれをなして遠卷とほまきいてゐる。なげはうも、なげられるはうも、へと/\になつてすわつたが、つたうへ騷劇さうげきで、がくらんで、もう別嬪べつぴんかほえない。財産家ざいさんか角力すまふひきつけでるものだ。またるよ、とふられさうなさき見越みこして、勘定かんぢやうをすまして、いさぎよ退しりぞいた。が、旅宿りよしゆくかへつて、雙方さうはうかほ見合みあはせて、ためいきをホツといた。――今夜こんや一夜いちや籠城ろうじやうにも、あますところの兵糧ひやうらうでは覺束おぼつかない。角力すまふなどらねばかつた。夜半よなかはらいたこと大福だいふくもちより、きしめんにすればかつたものを、と木賃きちんでしらみをひねるやうに、二人ふたりとも財布さいふそこをもんでたんじた。
 このとき神通じんづうあらはして、討死うちじに窮地きうちすくつたのが、先生せんせい紹介状せうかいじやう威徳ゐとくで、したがつて金色夜叉夫人こんじきやしやふじんなさけであつた。

 翌日よくじつばんともはず、ひるからの御馳走ごちそう杉野氏すぎのしはうも、通勤つうきんがあるから留主るすで、同夫人どうふじんと、夫人同士ふじんどうし御招待ごせうだいで、すなはち(ぜんづ。)である。「あゝ、うまい、が、おどろいた、この、たひはらわたけてる。」「よして頂戴ちやうだいつともない。それはね、ほら、たひのけんちんむしといふものよ。」なにかくさう、わたしはうまれてはじめてべた。春葉しゆんえふはこれよりさき、ぐぢ、と甘鯛あまだひ區別くべつつて、葉門中ゑふもんちう食通しよくつうだから、よわつたかほをしながら、しろ差味さしみにわさびをかして苦笑くせうをしてた。
 そのときだつけか、あとだつたか、春葉しゆんえふあひひとしく、まぐろの中脂ちうあぶらを、おろしでへて、醤油したぢいで、令夫人れいふじんのお給仕きふじつきの御飯ごはんへのつけて、あつちやつかけて、さくさく/\、おかはり、とまた退治たいぢるのを、「たのもしいわ、わたしたちの主人しゆじんにはそれが出來できないの。」と感状かんじやうあづかつた得意とくいさに、にのつて、「ぼくはね、お彼岸ひがんのぼたもちでさへおちやづけにするんですぜ。」「まあ、うれしい。……」うもあきれたものだ。
 おきれいなのが三人さんにんばかりと、わたしたち、そろつて、前津まへつ田畝たんぼあたりを、冬霧ふゆぎり薄紫うすむらさきにそゞろあるきして、一寸ちよつとした茶屋ちやややすんだときだ。「ちらしを。」と、夫人ふじんもくずしをあつらへた。
 ついいましがた牡丹亭ぼたんていとかいふ、廣庭ひろには枯草かれくさしもいた、人氣ひとつけのないはな座敷ざしきで。――かつらならではとゆるまでにゆひなしたる圓髷まるまげに、珊瑚さんご六分玉ろくぶだまのうしろざしをてんじた、冷艷れいえんたぐふべきなきと、こゝの名物めいぶつだとく、ちひさなとこぶしを、あをく、銀色ぎんしよくかひのまゝかさねた鹽蒸しほむしさかなに、相對あひたいして、そのときは、ひなまたゝくか、とかほつた。――「いましがた御馳走ごちそうつたばかりです、もう、そんなには。」「いゝからねえさんにまかせておき。」紅葉先生こうえふせんせいの、じつ媛友えんいうなんだから、といつて、をんな先生せんせい可笑をかしい。……たゞおくさんではにいらず、あねごは失禮しつれいだ。小母をばさんもへんだ、第一だいいち嬌瞋けうしん」をはつしようし……そこンところがなんとなく、いつのまにか、むかうが、あねが、あねが、といふから、年紀としわたしうへなんだが、あねさんも、うちつけがましいから、そこで、「お姉上あねうへ。」――いや、二十幾年にじふいくねんぶりかで、近頃ちかごろつたが、夫人ふじん矢張やつぱり、年上としうへのやうな心持こゝろもちがするとかふ。「第一だいいち二人ふたりとも割前わりまへあやしいんです。」とそのときいふと、お姉上あねうへわかかつた。はこせこかとおもふ、にしき紙入かみいれから、定期ていきだかなんだかちひさくたゝんだ愛知あいち銀行券ぎんかうけんきぬハンケチのやうにひら/\とふつて、きん一千圓いつせんゑんなり、といふ楷書かいしよのところをせて、「心配しんぱいしないで、めしあがれ。」ちらしの金主きんしゆ一千圓いつせんゑん。この意氣いきかんじては、こちらも、くわつと氣競きほはざるをない。「ありがたい、おちやづけだ。」と、いまおもふとあせる。……鮪茶漬まぐちやづうれしがられた禮心れいごころに、このどんぶりへ番茶ばんちやをかけてんだ。あぢうだ、とおつしやるか? いや、はなしらない。人參にんじんも、干瓢かんぺうも、もさ/\して咽喉のどへつかへていところへ、上置うはおきあぢの、ぷんと生臭なまぐさくしがらむ工合ぐあひは、なんともへない。やつひとどんぶり、それでも我慢がまんたひらげて、「うれしい、お見事みごと。」とめられたが、歸途かへりみちくらつて、溝端どぶばたるがいなや、げツといつて、現實げんじつ立所たちどころ暴露ばくろにおよんだ。
 愛想あいそかさず、こいつを病人びやうにんあつかひに、やしき引取ひきとつて、やはらかい布團ふとんかして、さむくはないの、とそでをたゝいて、清心丹せいしんたんすゞしろゆびでパチリ……にいたつては、ぶんぎたお厚情こゝろざしわたしはその都度つど、「先生せんせい威徳ゐとく廣大くわうだい先生せんせい威徳ゐとく廣大くわうだい。」ととなへて、金色夜叉こんじきやしや愛讀者あいどくしや感銘かんめいした。
 翌年よくねん一月いちぐわつ親類見舞しんるゐみまひに、夫人ふじん上京じやうきやうする。ついでに、茅屋ばうをく立寄たちよるといふ音信たよりをうけた。ところで、いまさら狼狽らうばいしたのは、そのとき厚意こうい萬分まんぶんいちむくゆるのに手段しゆだんがなかつたためである。手段しゆだんがなかつたのではない、はなむかふるに蝶々てふ/\がなかつたのである。……なにかんがへたか、いづれ周章あわてたまぎれであらうが、神田かんだ從姉いとこ――松本まつもとながしあね口説くどいて、じつ名古屋なごやゆきにてゐた琉球りうきうだつて、月賦げつぷ約束やくそくで、その從姉いとこかほで、糶呉服せりごふくりたのさへかへさない……にもかゝはらず、しやちたいして、もんなしでは、初松魚はつがつを……とまでもかないでも、夕河岸ゆふがし小鰺こあぢかほたない、とかうさへへば「あいよ。」とふ。……すこしばかり巾着きんちやくからひきだして、夫人ふじんにすゝむべく座布團ざぶとん一枚いちまいこしらへた。……お待遠樣まちどほさま。――これから一寸ちよつとうすどろにるのである。
 おごつた、じまの郡内ぐんないである。通例つうれいわたしたちがもちゐるのは、四角しかくうすくて、ちよぼりとしてて、こしせるとその重量おもみで、すこあぶんで、ひざでぺたんとるのだが、そんなのではない。たゝみ半疊はんでふばかりなのを、おほきく、ふはりとこしらへた。わたしはそのころ牛込うしごめ南榎町みなみえのきちやうんでたが、水道町すゐだうちやう丸屋まるやから仕立上したてあがりを持込もちこんで、あつらへの疊紙たゝうむすいたときは、四疊半よでふはんたゞ一間ひとま二階にかい半分はんぶん盛上もりあがつて、女中ぢよちうほそまるくした。わたしなどの夜具やぐは、むやみと引張ひつぱつたり、かぶつたりだから、胴中どうなか綿わた透切すきぎれがしてさむい、すそひざ引包ひつくるめて、そであたま突込つツこむで、こと/\むしかたちるのに、この女中ぢよちうは、まためう道樂だうらくで、給金きふきんをのこらず夜具やぐにかける、くのが二枚にまいうへへかけるのが三枚さんまいといふ贅澤ぜいたくで、下階した六疊ろくでふ一杯いつぱいつて、はゞかりへきかへりあし踏所ふみどがない。おまけに、もえ夜具やぐぶろしきを上被うはつぱりにかけて、つゝんでた。ひとつはそれにたいする敵愾心てきがいしんくははつたので。……奮發ふんぱつした。
 ――ところで、夫人ふじんむかへたあとを、そのまゝ押入おしいれしまつていたのが、おもひがけず、とほからず、紅葉先生こうえふせんせいれう用立ようだつた。

 憶起おもひおこす。……先生せんせいは、讀賣新聞よみうりしんぶんに、寒牡丹かんぼたん執筆中しつぴつちうであつた。横寺町よこでらまちうめやなぎのおたくから三町さんちやうばかりへだたつたらう。わたし小家こいへ餘寒よかんいま相去あひさまをさずだつたが――おたく來客らいきやくがくびすをせつしておびたゞしい。玄關げんくわんで、わたしたち友達ともだち留守るす使つかふばかりにもるからと、おにいりの煎茶茶碗せんちやぢやわんひとつ。……これはそのまゝ、いま頂戴ちやうだいつてる。……ふろ敷包しきづつみ御持參ごぢさんで、「つくゑしな。」とおえにつた。それ、とふたつほこりをたゝいたが、まだしもうもしない、うつくしい夫人ふじんうつをそのまゝ、みぎ座布團ざぶとんをすゝめたのである。あへてうつりといふ。留南木とめぎのかをり、香水かうすゐかをりである。わたしはうまれて、おやどもからも、先生せんせいからも、をんなにく臭氣にほひといふことをおしへられたおぼえがない。したがつていまだにらない。あせと、わきがと、湯無精ゆぶしやうのぞいては、をんなは――化粧けしやう香料かうれうのほか、だしなみのいゝをんなは、くさくはないものとおもつてる。はゞかりながらはなはきく。空腹すきばらへ、秋刀魚さんまやきいものごときは、第一だいいちにきくのである。折角せつかく結構けつこうなる體臭たいしうをお持合もちあはせの御婦人方ごふじんがたには、あひすまぬ。が……したがつて、はらひもしないで、かせまをした。かべ障子しやうじあなだらけななかで、先生せんせい一驚いつきやうをきつして、「なんだい、これは。――田舍ゐなかから、内證ないしようよめでもくるのかい。」「へい。」「うまのくらにくやうだな。」「えへゝ。」わたしよわつて、だらしなくあたまをかいた。「ちやがなかつたら、うちつてつてな。鐵瓶てつびんをおかけ。」と小造こづくり瀬戸火鉢せとひばち引寄ひきよせて、ぐい、と小机こづくゑむかひなすつた。それでも、せんべい布團ぶとんよりは、居心ゐごころがよかつたらしい。……五日いつかばかりおいでがつゞいた。
 暮合くれあひ土間どま下駄げたえぬ。
先生せんせいは?……」
 とほりへ買物かひものから、かへつてくと、女中ぢよちうが、いましがたおかへりにつたといふ。矢來やらいつじ行違ゆきちがつた。……うか、とうもかへつておそろしくさむかつたので、いきなりちや六疊ろくでふはひつて、祖母そぼ行火あんくわすそはひつて、しりまでもぐると、祖母おばあさんが、むく/\ときて、をかきててくれたので、ほか/\いゝ心持こゝろもちになつて、ぐつすり寢込ねこむだ。「柳川やながはさんが、柳川やながはさんがおえになりました。」うつとりとさますと、「ゆきだよ、ゆきだよ、大雪おほゆきつた。このゆきやつがあるものか。」と、もう枕元まくらもとながかほつてる。あがれ、二階にかいへと、マツチを手探てさぐりでランプをけるのにれてるから、いきなりさきつて、すぐの階子段はしごだんあがつて、ふすまをけると、むツとけむりのくらむよりさきに、つくゑまへに、眞紅まつか毛氈もうせんいたかと、戸袋とぶくろに、ひなまぼろしがあるやうに、夢心地ゆめごこちつたのは、ひとはゞ一面いちめんであつた。地獄ぢごくぶやうにすべむと、あを火鉢ひばち金色きんいろひかつて、座布團ざぶとん一枚いちまい、ありのまゝに、萌黄もえぎほそ覆輪ふくりんつて、しゆとも、とも、るつぼのたゞれたごとくにとろけて、燃拔もえぬけた中心ちうしんが、藥研やげんくぼんで、天井てんじやうくづれて、そこ眞黒まつくろいたには、ちら/\とがからんで、ぱち/\とすゝく、ほのほめる、と一目ひとめた。「大變たいへんだ。」わたし夢中むちうで、鐵瓶てつびん噴火口ふんくわこう打覆ぶちまけた。こゝろいて、すばやい春葉しゆんえふだから、「みづだ、みづだ。」と、もう臺所だいどころぶのがきこえて、わたしかけおりるのと、入違いれちがひに、せま階子段はしごだん一杯いつぱい大丸おほまるまげの肥滿ふとつたのと、どうすれつたか、まげのうへとびおりたからない。りざまに、おゝ、一手桶ひとてをけつて女中ぢよちうが、とおもはなのさきを、丸々まる/\としたあし二本にほんきおろすけむりなかちうあがつた。すぐに柳川やながは馳違はせちがつた。にバケツをげながら、「あとは、たらひでも、どんぶりでも、……水瓶みづがめにまだある。」と、この二階にかいとゞいた、とおもふと、した座敷ざしき六疊ろくでふへ、ざあーとまばらに、すだれをみだして、天井てんじやうからみづちた。さいはひに、でない。わたし柳川やながは恩人おんじんだとおもふ――おもつてる。もう一歩ひとあしやうがおそいと、最早もはやことばつひやすにおよぶまい。

 敷合しきあはたゝみ三疊さんでふ丁度ちやうど座布團ざぶとんとともに、そのかたちだけ、ばさ/\のすゝになつて、うづたかくかさなつた。したすゝだらけ、みづびたしのなかかしこまつて、きつける雪風ゆきかぜ不安ふあんさに、そと勇氣ゆうきはない。らうしやするにさけもない。柳川やながは卷煙草まきたばこもつけずに、ひとりで蕎麥そばべるとてかへつた。
 女中ぢよちうが、づぶぬれのたゝみをついて、「申譯まをしわけがございません。おさむいので、すみをどつさりおまをしあげたものですから、先生樣せんせいさまはおかへりがけに、もう一度いちどよくけなよ、とたしか御注意ごちういあそばしたのでございますものを、ついわたくし疎雜ぞんざいで。……すみねまして、あのお布團ふとんへ。……申譯まをしわけがございません。」祖母そぼ佛壇ぶつだんりんつてすわつた。わたしおなじやうにすわつた。「……あに、これからもをつけさつしやい、うちではむかしから年越としこしの今夜こんやがの。……」わすれてた、如何いかにもその節分せつぶんであつた。わたしむつつからこゝのつぐらゐのころだつたとおもふ。とほやまの、田舍ゐなかゆきなかで、おなじ節分せつぶんに、三年さんねんつゞけて過失あやまちをした、こゝろさびしい、ものおそろしいおぼえがある。いつも表二階おもてにかい炬燵こたつから。……一度いちど職人しよくにんいへ節分せつぶんいそがしさに、わたし一人ひとりて、したがけを踏込ふみこんだ。一度いちど雪國ゆきぐにでする習慣ならはしれた足袋たびを、やぐらにしたひもむすびめがけてちたためである。もう一度いちどおぼえてない。いづれも大事だいじいたらなかつたのは勿論もちろんである。が、家中いへぢうみづつて、こほつた。三年目さんねんめときごときは、翌朝よくあさめししるてて、のき氷柱つらゝいたかつた。
 番町ばんちやうして十二三年じふにさんねんになる。あの大地震おほぢしんまへとし二月四日にぐわつよつか大雪おほゆきであつた。二百十日にひやくとをかもおなじこと、日記につきしる方々かた/″\は、一寸ちよつとづけを御覽ごらんねがふ、あめはれも、毎年まいねんそんなにをかへないであらうとおもふ。げん今年ことし、この四月しぐわつは、九日こゝぬか十日とをか二日ふつかつゞけて大風おほかぜであつた。いつか、吉原よしはら大火たいくわもおなじであつた。しかもまだだれわすれない、あさからすさまじい大風おほかぜで、はなさかりだし、わたし見付みつけから四谷よつや裏通うらどほりをぶらついたが、つちがうづをいてけられない。かはらにしたやうな眞赤まつか砂煙すなけむりに、咽喉のどつまらせてかへりがけ、見付みつけやぐら頂邊てつぺんで、かう、薄赤うすあかい、おぼろ月夜づきよのうちに、人影ひとかげ入亂いりみだれるやうな光景くわうけいたが。――淺草邊あさくさへん病人びやうにん見舞みまひに、あさのうちかけた家内かないが、四時頃よじごろ、うすぼんやりして、唯今たゞいまかへつた、見舞みまひつてた、病人びやうにんきさうな重詰ぢうづめものと、いけばなが、そのまゝすわつたまへかけのそばにある。「おや。」「どうも、なんだつて大變たいへんひとで、とてもうちへははひれません。」「はてな、へい?……」いかに見舞客みまひきやく立込たてこんだつて、まはりまはつて、いへはひれないとはへんだ、とおもふと、戸外おもてふきすさぶかぜのまぎれに、かすれごゑせきして、いくたびはなし行違ゆきちがつてやつわかつた。大火事おほくわじだ! そこへ號外がうぐわいかけまはる。……それにしても、重詰ぢうづめ中味なかみのまゝつてかへことはない、とおもつたが、成程なるほどわたし家内かないだつて、つらはどうでも、かみつたをんなが、「めしあがれ。」とその火事場くわじばなかに、重詰ぢうづめはなへてつきだしたのでは狂人きちがひにされるよりほかはない……といつたおな大風おほかぜに――あゝ、今年ことし無事ぶじでよかつた。……

 ところ地震前ぢしんまへのその大雪おほゆきよるである。晩食ばんしよく一合いちがふで、いゝ心持こゝろもちにこたつで寢込ねこんだ。ふすま一重ひとへちやで、濱野はまのさんのこゑがするので、よく、このゆきに、とおもひながら、ひよいときて、ふらりとた。はなしをするうちに、さく/\とゆきけるおとがして、おんやくはらひましよな、厄落やくおとし。……妹背山いもせやま言立いひたてなんぞ、芝居しばゐのはきらひだから、あをものか、さかな見立みたてで西にしうみへさらり、などをくと、またさつ/\とく。おんやくはらひましよな、厄落やくおとし。……はるかこゑえると、戸外おもてよひくちだのに、もう寂寞しんとして、時々とき/″\びゆうとかぜさわぐ。なんだか、どうも、さつきから部屋へやがこもる。玄關境げんくわんざかひのふすまをけたが、矢張やつぱいきがこもる。そのうち、かうばしいやうな、とほくで……海藻かいさうをあぶるやうなにほひつたはる。にほひ可厭いやではないが、すこしうつたうしい。出窓でまどけた。おゝ、る/\、さかんしろい。まむかうのくろべいもさくらがかぶさつて眞白まつしろだ。さつとかぜしたけれども、しめたあとまたこもつてせつぽい。濱野はまのさんもせきしてた。寒餅かんもちでもだつたか、家内かないつて、このとき、はじめて、座敷ざしきはうのふすまをけた、……とおもふと、ひし/\とたゝみにくひんで、そのくせぶやうなおとてて、「みづみづ……」なんと、つと、もう/\として、八疊はちでふくろ吹雪ふゞき
 けむりなみだ。荒磯あらいそいは炬燵こたつ眞赤まつかだ。が此時このとき燃拔もえぬけてはなかつた。あとると、やぐら兩脚りやうあしからこたつのへり、すきをふさいだ小布團こぶとん二枚にまい黒焦くろこげに、したがけのすそいて、うへけて、うはがけの三布布團みのぶとん綿わたにして、おもて一面いちめん黄色きいろにいぶつた。もう一呼吸ひといきで、あがるところであつた。臺所だいどころから、座敷ざしきへ、みづ夜具やぐ布團ふとん一所いつしよちまけて、こたつはたちまながれとなつた。が屈強くつきやうきやく居合ゐあはせた。女中ぢよちうはたらいた。家内かないおちついた。わたし一人ひとり、おれぢやあない、おれぢやあない、と、戸惑とまどひをしてたが、しなに、踏込ふみこんだに相違さうゐない。このときも、さいはひ何處どこまど閉込とぢこんでたから、きなつくさいのをとほして、少々せう/\小火ぼやにほひのするのが屋根々々やね/\ゆきつてげて、近所きんじよへもれないで、申譯まをしわけをしないでんだ。が、さむさはさむし、こたつのあなみづたまりをて、胴震どうぶるひをして、ちひさくなつてかしこまつた。夜具やぐ背負しよはして町内ちやうないをまはらせられないばかりであつた。あいにくかぜつよくなつて、いへ周圍まはりきまはるゆきが、こたつのしたふきたまつて、パツとあかりさうで、一晩ひとばんおびえてられなかつた。――下宿げしゆくかへつた濱野はまのさんも、どうも、おち/\られない。深夜しんやゆきけて、幾度いくど見舞みまはう、とおもつたほどだつたさうである。
 これが節分せつぶんばんである。大都會だいとくわい喧騷けんさう雜音ざつおんに、その、そのまぎるゝものは、いつか、魔界まかい消息せうそく無視むしし、鬼神きじん隱約いんやく忘却ばうきやくする。……
 五年ごねんとはたぬのに――うつかりした。
 今年ことし二月三日にぐわつみつか點燈頃てんとうごろ、やゝまへに、文藝春秋ぶんげいしゆんじうことについて、……齋藤さいとうさんと、すがさんの時々とき/″\えるのが、そのすがさんであつた。小稿せうかうことである。――その九時頃くじごろ濱野はまのさんがて、ちやはなしながら、ふと「いつかのこたつさわぎは、丁度ちやうど節分せつぶん今夜こんやでしたね。」といふのをなかばくうちに、わたしはドキリとした。總毛立そうけだつてぞつとした。――前刻さつきすがさんにつたときわたしをりしもあかインキで校正かうせいをしてたが、組版くみはん一面いちめん何行なんぎやうかに、ヴエスビヤス、噴火山ふんくわざん文宇もんじがあつた。手近てぢか即興詩人そくきようしじんには、あきらかにヱズヰオとるが、これをそのまゝにはもちゐられぬ。いさゝか不確ふたしかなところを、丁度ちやうどい。をしへをうけようと、電氣でんきけて、火鉢ひばちうへへ、ありあはせた白紙はくしをかざして、そのあかいインキで、ヴヱスビヤス、ブエスビイヤス、ヴエスヴイヤス、ヴエスビイヤス、どれがたゞしいのでせう、とき/\――いろどしるした。

 あゝ、のやうに、ちら/\する。
 わたし二階にかい驅上かけあがつて、その一枚いちまいそつふところにした。
 つめたいあせた。
 濱野はまのさんがかへつてから、その一枚いちまいみづひたして、そして佛壇ぶつだんあかりてんじた。つゝしんでまもつたのである
大正十五年四月―五月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「火(ひ)の用心(ようじん)の事(こと)」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月6日作成
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