今日は教育家の大会を御催しなされたに付きまして御招待に預り出席致しましたが、私は普通いわゆる教育家という方々の仲間入を致しましたのが昨年の暮でありまして、まだ十分に教育家たるの資格も具えておらずまたその心得も持ちませぬので、諸君の前に立って教育に関する意見を述べる期節にはまだ至りませぬ。然るにいわゆる教育界に身を投じましたに付いてはどういう心掛けをせねばならぬか、どういう責任があるか、また一体教育家なるものは如何なるものなるか、段々考えました。然るに未熟の考であって何にも未だ判断致しかねまするが、幸に今日は教育に経験のあられる、あるいは知識のあられる方々の御集合であるから、いささか未熟な考を述べて教を受けたいと思う。その教を受けたいというのが私の本意で此処ここに参ったのであります。
 就きましては題が教育家の教育、ちょっと題だけを御覧になりますと甚だ無礼に聞えましょうが、私自分が今日は教育家の一人になった積りであるから、私自身の教育は今後どうしようと考えたのである。付けては教育家の教育とは即ち私自分で今後どういう教育を我が身に施そうかと大きな声で自分をいましめるに当るので、もしこの中に無礼なことを言いましたならば、大きな声で自分を叱り付けるのであると思召あらんことをひとえに希望致します。(喝采)
 一体私には教育家という文字がハッキリしないのです。どういう人を教育家と名付るか、世間では教育屋などという者があるやに聞いている。こういう人は学校を造って銭をもうけ、あるいは卒業証書を売って自分の生計を営む、あるいは少しばかり覚えたことに勿体もったいを付けてこれを他の一層未熟な人に売付けるのが教育屋であるということを度々聞きました。然るに教育家というものはそういう者ではあるまい。私のう教育家の定義第一教育の定義を広く取るか狭く取るかに依て定まると思う。そこで教育なるものを広い意味に取れば人類殊に人類の若い者、児童を養成する、彼らの身体なり精神なり知識なりの発達を助くるものが何物でも教育である。これを為す者は何者に限らず教育者、あるいは教育家と称する価値がある。そう広く取った日には宇宙にあるものは何事でも教育を授けないものはないので、菩提樹の下で坐禅を組まれた御釈迦様が彼の樹のために教を受けたかどうかは知りませぬが、とにかく菩提樹という樹が何か御釈迦様の悟道に入らるることを手伝をしたものと見えて、今日なお仏教に於てはこの木を有難いものとしている。果して彼の樹が御釈迦様に教育を授けたならば樹も教育家の一つである。また半夜何ということなく宇宙を観じて浩然の気を養うた孟子に取っては森羅万象悉く教育家であろう。またテニソンの如く、花を一つ取ってもしこの花の研究が出来、花、葉、根までスッカリ分ったならば宇宙の原理も悉く理解し得るであろうと歌うた如きは、即ちテニソンに取っては花が一つの教育家であった。エマソンがオー星よ我れに汝の教訓を与えよと呼んだ如きは、エマソンに取っては星が教育家である。かくのごとく広意に解すれば勧善懲悪の資料に供するものは皆教育である。懲役人も犯罪の恐るべきを教ゆる一つの教育家になってしまう。まして善人を賞し悪人をののしる講釈師、落語家、デロレンなどが教導職と称せられ、下層社会の教育をつかさどった観がある。こういう広い意味に取れば、教育家なるものあまり漠然となって話が結ばらなくなりましょう。
 けれども私の謂う教育家はさほど広い意味ではない。ズッと狭くして児童の精神あるいは知識あるいは身体を発育せしむる事に志し、かつ尽力する輩をいうのである。これはあるいは普通一般に用いらる解釈とは少し違うかも知れませぬ。世の教育家と称するのは志と尽力の有無は問わず、あるいは文部省あるいは地方庁なり何んなり相応の官憲等から免状を受けている者を教育家というので、免状あるいは辞令書が教育家と否との標準となる。志の有無は別問題。もっとも、いずれ誰でも教えて見よう位の志が有ればこそ免状を得ようが、しかし能く探ると実際真に必しもそういう志が有る訳ではなくして外に飯を食う道がないから教育を一の飯食う手段とするので、志は教育にあらずして飯に存する。故にかくの如き人は如何に免状を貰っても教育家の中には入れられない。これはいわゆる教育屋の側に属する。故に私の教育家と申しますのは飯を食うために教育を手段とするのでなくして児童の身体知識精神を発達せしめる志と力のある者をいうのである。即ち今日此処ここに御会合になった方々を教育家というのであります。(拍手)
 そこでこの教育家が然らばどんな教育をしなければならぬかと申せば、人あるいはそんなことは余計な話だ、貴様は教育界に昨年始めて足を入れ未だ何も知らないようだが、日本には師範学校のあることを知っているか、日本には各県に師範学校というものがあるし、その上高等師範学校もある、これが教育家を教育する所である、明治の初年頃から師範学校が出来ているのに今更明治四十年に教育家の教育を論ずる如きは怪しからぬ、とこう言う方々があろう。然るに私はここに疑問がある。甚だ過言を吐いて時々叱られるから、また今日もお叱りを受けるか知れませぬが(笑)、なるほど師範学校という所は教育家――私の謂う教育に志す者を養成する所ではあるが、果してこの志を堅める所であるかということに付いて少し疑わざるを得ぬ(拍手)、なるほど教育の歴史も方法も教えるだろう。教授法の如きは大変精しい。また学校の衛生、あるいは試験の方法点数の採り方、あるいは児童の心理、あるいは学校の構造など大分精しいであろう。けれどもそれは志を堅めるものではない。それは或る人がいうたように教育の機関を教えるのである。即ち教育学の技術を授けるので教育家を作るとは違うように思われる。そこで我輩の教育家なるものの教育に就ては、或る英人の書いた本に教育のやり方を二つにけて一つを実益的学問(Utility studies)、第二を修養的学問(Culture studies)とし、実益的学問とは私の訳が悪いか知れませぬが詰り実利を主とするもので、今の実業教育などの如くこれを応用すれば直ぐ銭に交換出来るいわば現金的教育である(笑)、もう一つの修養的と仮に訳しました方は活きた物精神なら精神を養い、ツクる即ち修養するので、これは習った事を直ぐにそのまま現金と引替に出来ぬ方で、あるいは十年も二十年も役に立たず、物によっては一生に一度より用に立たぬもあり、丁度種子が土の中に埋められているように、天気の作用に依ってあるいは場合に依ると五年か十年経って漸く発芽するような学問を修養的教育というのです。
 今日本で普通に行われる教育は、小中学を除いては現金的の学問、今直ぐに銭に引替え得る技術的学問である。私も農学を少しやったが、学校を出ると県の技師になると一年に千円とかいくらかの俸給が貰える。あるいは試験場の技師になるとか、そうでなければ何か本でも書くといくらでこれを買ってくれるかという相談が出来る。また工学をやっても商業学も同じことである。全体技術の学問は言うまでもなく現金的であるが、今日我邦の現況を見ますると現金主義が独り技術的学問ばかりに限らぬ、法学も文学も皆現金的ではないか、たしかに修養的ではないと思う。あるいは修養的にやっている者があれば、その結果は先きに申した通り五年も十年ないし五十年も経て顕われるだろう。ただ果してやっているや如何の点が疑わしい。
 寧ろ明治以前に教育された人々、御維新の当時にウンと練修練磨をした人達が、そんな文字などは知らずに「カルチュア」の学問をやって来たが如く思われます。
 先刻も戦争の話をうけたまわって思いましたが、今後また戦が起るかも知れない、その時には奉天旅順の戦争よりも一層危険であろう、一層惨酷であろうと思う。その場合にそれに応ずるだけの精神の練磨が必要だと言われましたが、この精神の練磨即ち修養的学問とは総ての方面から今日の急務になっている。ここに於て教育に従事する者、教育に志す諸君と我輩は一層修養的教育に力を注いでやらねばならぬと思うのであります。(拍手)
 この頃能く人が言うことで、日本人は大変に強い、と。この前に旅順で虜になった露西亜ロシアの士官でヴイレンという人が名古屋に収容されておりました。中々学問のある男で哲学を研究したということですが、役目は陸軍の大尉に過ぎんが露西亜の将校には珍らしい学問を修めた人であるということでこの人が日本の大和魂を研究したいということから妙な縁で私も交際をしまして、名古屋を通過する時にこの人を訪問した。その時にヴイレンの言うには、私が旅順に籠城した時日本の軍隊が進んで来る、日本軍といっても旅順のことだからバラバラに殆んど一人ずつもしくは二人三人ずつ日本兵が来襲した、上からドンとやるとたおれる、斃れると直ぐにまた外の兵がやって来て、戦友の骸を踏んで進む、いくら倒しても後からやって来る、実に恐ろしい人間だと思ったその後俘虜になって松山にいる間に夜、日本の兵士が戦友の骸を踏んで進んで来る有様が幻のように脳髄に浮んだ、奇態のことだ、かくのごときはただの命令で出来るものでないこれは何か日本人の教育の然らしむる所があるに相違ないと思って日本人の心理学に付いて研究を始めたが、一体どういう訳だろうと言うて頻に尋ねました。その時に私は頗る御同感だと答えましたが、そもそもこの日本の今日までの教は学校で児童に吹き込んだ精神だといって教育家が自認している、今度の戦争に勝ったのは教育家の賜物たまものであるなどとめられるけれども果してそうであろうか、私はチト怪しく思っている。甚だ失敬なことながら、能く日本の兵士が就学中受けた教育が不完全なるにもかかわらずこんな精神が出たものだと感心しております。能くも今日の教育で日本の大和魂なるものを悉く消滅させなかったことを感心している位のことで(拍手)、今日の教育で大和魂を益々盛に惹起することは僕はあまり見受けないのであって、寧ろ消滅させる傾が余計あると思っている(ノウノウ)、有難い、それでこそ我輩も満足するところである、けれどもノウノウという声はまだ低いと思う(ノウノウ)、恐らくは今日此処におらるるところの満場の諸君がノウノウと言われるならば我輩も誠にこれから将来を楽しく思うところであるが、千人の中で僅に十人やそこらのノウノウでは私は不足に思う。大和魂に加うるに、ただ今御話のあった日本人が一致協力してやるという美風を益々盛にしたい。そこでなお露西亜の俘虜の言うたことで思い出したのは、ヴイレンを訪問した時に私が氏に尋ねたのに、あなたが名古屋や松山を御覧になって日本の家屋が大層露西亜の家屋に比べて弱くって窓もなく開けッ放しになっているのがさぞおかしく見えるであろうと言うた時に、ヴイレン大尉の言うたことが面白い。名古屋を散歩して見ると家が皆開いている、台所の隅までも能く見える、そこで私はこういう感情が起る、日本人は天子様がお父さんであって皆兄弟分で喧嘩もしなければ泥棒もなし、開けッ放しで皆一家族の風なり、と言うた。なるほど良い所へ気が付いた、これも今後さようにありたい。そこで今後国民としては、一方には大和魂の枠を発揮すると同時に挙国一致の精神を児童に吹込むことが肝要で、吾々教育の任に当る者がその精神で自らも協同して修養的教育を受けなければならぬと思う。
 私はこの教育家が教育をするには第一先刻から申上げまする如く修養的教育を自分で務める必要が専らあると感じます。何時も生徒に対して話をする際にも、自身にまだ足らぬ足らぬと思うことが始終あります。とかく生徒に何か教える気になっていけない、教場に往くと何か面白い説か新い学理でも頭に入れてやりたくなる。かなり実用的学問を授けたくなって、それより大事な心底に潜伏してある精力を開発してやろう修養をたすけようという心がおろそかになり易い。私の話が小さくなったり大きくなったりするようですが、小中学では生徒にモッと自ら動く自ら働くという気象を養成することは出来まいか。今日の有様では、小学も中学も、また高等学校から大学に至るまで生徒がただ受働的、受け身にばかりなる。先生が何か言うとハイハイといって受けるだけで、考えて疑を出すことも出来ぬ。知識といえどもそういう風になると前に進まぬ。地球が円いといわるれば何の証拠なしにもそうですかといって、あるいは自分が四角ではないかと思っても質問さえ出来ない。自ら動く自ら働く気質を奨励するには、モット生徒に質問をさせたり、疑があったならこれを吐かせる工風が必要と思う。これはこの間もある独逸の教育家が自国の教育法の欠点だと嘆じましたが、この独逸風を日本では一層やって、教育は単に押込になっているようです。教育の教に重を置き育の方を怠る風が行われる。育とは心気を引延ばす意である。殊に少しく一風変った児童であれば、色々脳髄に浮ぶ疑もあろうから、その疑を言い出して質問をして討議するような方法が何かしなければ、とても普通の教育の受け身にばかりでは足らん。そういうことをやり出すと他の児童の邪魔になって教室で我も我もと質問するようになっては規律がなくなるから、そういう一風変った児童は特別な学校を造って教えたならばよかろうという説もありましたが、果してそう出来るなら面白い。亜米利加アメリカに於ては天才を教育する学校を設立したと、独逸でも特別学校を開くと聞きましたが、その辺のことはかえって諸君の方が精しいでしょう。私の願うところは、とにかく自ら働き出す力の養成をお互に務めたいと思うのであります。
 それに付けて一の方法は、師弟の間柄を好くする事である。教師と生徒が個人個人に交際つきあうことがどうであろうか、これに付てもなお御教を受けたい。今日の小学校では大変以前よりは能く進んだが、中学校になるとモウ生徒と教師の間が大に遠ざかる。殊に高等学校、大学に至ればなおさらその間が隔って来ますが、せめて中学程度の学校では生徒と教師の間柄を深くすることは出来まいか。即ち人としての感化力を与うる余地を造りたい。ある人はそういうことは行われぬ、中学校の先生は時間も多いし到底そんな余裕はないという説も聞きましたけれども、心掛けがあるとないとに依っては、時間配置の具合にも関係して来るでありましょうから、一体そのことは善いか悪いかということを一つの疑問として諸君の御教を受けたいのであります。またその他に学校に於てただ学問を上から押込めるのみでなく、またただ今申上げたように銘々の心にある疑問を引出すばかりでなく、殊に中学生徒の如きに於ては静粛に黙座してジッと心を養う方法等に付ても御教を受けたいのであります。王陽明毎朝自分の弟子を皆集めて端座して暫く黙って、それから大きな声で詩を吟じて、そうして今日の言葉でいえば課業に就いたと申します。また近頃或る外国の学校では、時間をめて、例えば何時何分に鐘を打くと十分ばかりの間寄宿舎にいる生徒が動きもせず物も言わず、ヨシ話をしておってもその鐘を聞くと黙って本を伏せて、あるいは目をつむり、あるいは動かないでジッとする、即ちこの間学校中皆な悉くシーンとしてしまう規則を実行するそうです。かくの如きはジッとしていられない活溌な児童には頗る精神の鍛練になると聞きましたが、かくのごときは最も精神鍛練に効力があるまいか(拍手)。もしあるならば吾々教育に従事する者は生徒に勧むるに先立ってやらねばならぬと思いますが、一体生徒に教える、あるいは生徒を養成する方法は色々あろうが、それを授くる前に必ず我身に応用してからでなければいくまいと思います。(拍手)
 例えば私は自分に顧て感じますが、意志の修養は我邦の教育に大変少いと思う西洋でもこれは弱点だと申しますが、教育者は皆なこのことを慨嘆せぬ者はなかろうが、他国のことはしばらいて、間近い我邦に於て御互が預かる子弟を育てるに当りてただ口で言うだけではいけませぬ。自分率先していくらなり実行して、子弟にこれを及ぼす事を努めたい。即ち他人を教育する前に己を教育する必要がある。意志の鍛練はどうしてやるか、これを如何に説いたところが感服するばかりであって実行しなければ殆ど体育と同然、どれほど生理学や解剖学を教えたところが直ぐ身体が良くなる訳ではない。意志の鍛練は何程心理学倫理道徳論を説いても実行しなければ効果皆無、故に小なる事でも実地の鍛練にく方法はないと思う。必ず長い経験のあられる諸君はそれぞれ御実行であろうとは思いますが、なお私が述べて御教を受けたいのは、なお己も実行し生徒にも教ゆるにはさほど難くない事を撰んでこれを何遍となく繰返して練習することでございます。例えば冷水浴の如き私も生徒に接するごとに能くそう言うのですが、君らは水をりたまえ、殊に五月六月頃は丁度好い時節である、一つ思い切ってやりたまえ。初めの中三日位は随分辛抱して皆やるけれども十日廿日となるとたゆんで来るが、それを奮張ってやるのが意志の修養である。かくの如く容易なる事を毎日撓まずやらせるので、私が自分の経験上から能く話すのですが、恐らく水浴が身体を益することは牛乳三合位飲むに優ると思う。それから小さなことながら生徒に日記を書かせる。毎日一行でも二行でもいから撓まなく書かせる。私の愚論では少しき易いことを繰返すということが意思の練磨になると思うので、一年一回する事より毎月一度、毎月一度より日に三度やることがよかろうと思う。飯を食うたびに思出さしむるのが最も練磨になる。大抵日常起る事物に就ては子供心にも善悪の弁別は付いているに、悪と知りつつ為すのは子供に限らず吾々でも意志の弱き故である。故に此処ここだぞ、此処が悪人と善人となる界だぞ、と分別のつき次第善を取る意志と勇気を実行するが即ち実践教育の粋である。そこで日に三度飯を食う時に、此処ここだぞ此処で行儀を直さなければならぬ、姿勢を直すのは此処だぞ、疲労つかれた時には安座あぐらをかいて飯を食いたい、寝て物を食たいが此処だぞ、飯を食う時に急かず落付いて食べる。これに付いてちょっと御話申しておきますが、私が一つ大切にして持っているものは真鍮しんちゅうの小さな人形ですが、百姓が笠を持って稲叢の側に休んでいるところを彫んだ像です。これは水戸黄門卿が数多あまたこしらえられて一族に悉く分けてお遣りになったのである。今でも水戸家の御方は、若い御方はどうか知れませんが、年寄の御方は大抵この人形を持っておられる。その所以はこの人形を食事ごとにお膳の上に置き、御飯粒を三粒なり四粒なり取って百姓の笠の上に載せて暫く黙念する、この御飯は百姓の作ったのである。粒々皆辛苦、実にこれは勿体ないものである。決して粗怱にしてはならぬ、また美味いの不味いのと叱言こごとを言うな、有難いと思うて喫べろ、というのである。かくのごとき練習が日に三度ずつあるがため、講釈も何もしないでこの民をおもう心が養われ、遺伝的にズッと続いて来るかと思う。そういうような訳で、善いことならば日に何遍でも繰返して習いとなし、遂に性とするのが頗る良法でなかろうか。まだこの外に意志の練磨の方法、また吾々教育家として大切な児童を預るに付けて己自ら先きに修むべき点は沢山あると思われます。言うまでもなく諸君の方は一層我輩よりも感じていらっしゃるであろうが、私はホンの時のある限り三つ四つの点だけを述べたに過ぎません。私の要点は、どうか教育に志す以上は吾々が教育家たるの資格を具えたい。その資格とは即ち免状の有無ではない、志と力の資格を具えたい。実益的教育と修養的教育とは謂わば有限責任と無限責任の差があるように思われる。技術的の教育(現金的教育)は有限的の責任で、これだけあればよいと数に定まりがありますが、修養的教育は無限責任であくまでも児童が後日死ぬるまで人生観を誤まらないように、正しき人生観の材料を与うるのが即ち教育家の最も務むべき所であって、専門学で以て技術を授くるのとは大層違う所であります。
 私は昔の歌を能くは知りませぬが、少しばかり聞いた中に感じた一首がある。『古今集』に「白露の色は一つをいかにして秋の木の葉を千々に染むらん」という歌があります。なるほど白露は色があるかないか知りませぬが、あっても一つである。その白露が如何にして秋になれば紅葉は紅に銀杏は黄色に染むるであろう。自ら何んの色なきに種々に木の葉を染めるとは実に奇妙な力である。学術より論ずれば木の葉を染めるのは露の作用ではないけれども、この歌に面白い意味があるように思われます。専門学者ならば己れは法学、己れは農学、己れは工学と明かに露の色が着いているが、教育家なるものは専門的色なき人格である。児童に触れるに当り、これを紅に彼を黄色に化するというのは児童の銘々の力を発揮せしめるのであって、天賦の力を啓発せしめるのが即ち吾々教育家の任務である。戦後経営として今日国力を増すとか富源開発と称し、あるいは隠れたる金山なり不毛の土地なり開いて国力増進を計るに就け、その国力の中に就いて吾々が最も務めて開かねばならぬ、今日まであまり未だ十分開かれざりしものは、児童の天賦の力である。水力の利用もよし、風力応用もよし、あらゆる天然の力を利用して工業の発達を計り富源開発には国民挙げて計画しつつあるが、まだまだ深く潜める無限の精神を開発することは吾々教育家も未だ力を込めんように私は感ずる。それ故に今後は一層無限に働くべき国民精神の開発に務めんことが、吾々教育家の最も注意すべき事業にして、これに当る吾々の最も要するものは自己の精神的教育であろうと思います。いささか感ずるところを述べて諸君の御教を請う次第でございます。(拍手喝采)
〔一九〇七年一〇月七日『帝国六大教育家』〕

底本:「新渡戸稲造論集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年5月16日第1刷発行
底本の親本:「帝国六大教育家」博文館
   1907(明治40)年10月7日
初出:「帝国六大教育家」博文館
   1907(明治40)年10月7日
入力:田中哲郎
校正:ゆうき
2010年10月16日作成
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