九蔵の此村大炊之助は見ず。宋蘇卿最期の所は気乗に乏しく、鷹までそれにつり込まれて、四、五度も袖を落ししは、頼みがひなく見えたり。矢田平の立、長いのでは有名な方なるを、訥子の勤むることなれば、見ぬ方大だすかりなり。宋蘇卿の最期に駈け附くる所も騒がしきだけなり。
楼門の幕明には、とにかくこの座だけの大薩摩あり。幕を切て落すと花の釣枝と霞幕とに装はれたる朱塗の楼門見事にて、芝翫の五右衛門、大百に白塗立て、黒天鵞絨寛博素一天の吹貫、掻巻をはおり、銀の捻煙管を持ち「春の眺は」の前に「絶景かな/\」と云ふ句を加へ「眺ぢやなあ」までを正面を切て云ふ処立派なり。しかし全く春の眺に感服してこの文句が出たとは見えず。とひよを聞きて、ぎつくりしてあたりを見廻すも、五右衛門にはあるまじき仰山なる仕草なり。袖を取りて読むくだりは、例のめちやめちやにて、宋蘇卿を「そうそうけい」と云ふなど大愛嬌なり。「おのれ久吉、今にぞ思ひ、待て居れ」にて、左の手に片袖を攫み、右の手にて我左の袖をかかげしまま、左の二の腕を握り、右足を高欄へかけ、きつと見え、この科にてせりあげになる所もまた立派なり。ただ寛博の前を行儀よく合せたるは拡げてもらひたかりき。
九蔵の久吉、浅黄のこくもちに白のおひずる、濃浅黄のやつし頭巾を冠り、浅黄の手甲、脚半にてせり上げの間後向にしやがみ、楼門の柱に「石川や」の歌をかき居る。道具止ると、筆を墨斗にをさめ、札を肩にかけ、立上り、右に柄杓を持ち、左に笠を持ち、斜に下手に向ひて、柱に記しし歌を読み「順礼に」にて五右衛門が打ち出す手裏剣を右手の柄杓に受け止め、さてその柄杓を左手に取り直してさし上げ、右手を腰の番ひにあて「御報捨」と云ひての見え、これも立派なり。しかし頭巾の色濃すぎて醜く、しやがみて歌をかくも見た目悪し。せり出しは真中にても切にはぜひとも水盤の下手へ廻らでは五右衛門との形の釣合悪きに心付かぬは大不承知なり。
二番目「春景色梅由兵衛」は三幕なり。男達梅の由兵衛古主の息子金谷金五郎に、その情婦にて元は由兵衛の古主にちなみある芸者小さんを身受して添はせんため、百両の金の工面に困みし折しも、由兵衛の妻小梅の弟なる長吉が、姉の頼にて、おのれが私通せる主人の娘おきみに調へ貰ひし百両を携へて来るに逢ふ。由兵衛は未だ長吉と面を合はしたることなきため、義弟としらずして殺し、その財布を奪ひ、小梅の書状を見て、始めておのれのために調へたる金なるを知るに終る。古来の俳優はただ長吉と小梅との早替りを以て能事畢れりと心得たるが如し。
九蔵の梅の由兵衛、今より十年前中村座にてなしし時も評はよかりしが、序幕のみにて殺しをば見せざりき。
向島の場にては、紫縮緬の錏頭巾をかぶり、右の顳にあたる所に小き錠を附け、紫縮緬に大いなる鴉数羽飛びちがひたる模様ある綿入に、黒手八丈の下着、白博多の帯、梅華皮の一本差、象牙の根附に銀鎖附きたる菖蒲皮の提煙草入、駒下駄と云ふ拵へにて、きつかけなしに揚幕より出で、金五郎を呼び止めて意見を為し、花道に往かけたる勘十郎に向ひて、堪忍の歌を繰返し、手に持ちし金包を見て、この百両と云ふ。悪漢かかると、何をしやあがると振払ひて、内懐に入る。悪漢胸ぐらを取るに構はず、向ふを見て「花は三芳野、人は武士、情けぶけえ御方だなあ」と云ひ「さてはなせ、はなさねえか」と云ひ、右手を出し、悪漢の手を捻ぢあげて抛りだし「様あ見やがれ」と云ひ、懐手にてゆうゆうと上手に入るところすつきりとしてよし。
大七の場、金五郎の窘めを上手にてきき居て切迫つまりしところにて、百両包を投げ出し「何にも言はずとこの金を、そつくりかへしておしまいなせえ」のところ応へたり。「今ぞ始めの旅衣、よいやまかせ」にて頭巾をかなぐり捨て、糸鬢奴の仮髪を見せ、緋縮緬に白鷺の飛ちがひし襦袢の肌脱になり裾を両手にてまくり、緋縮緬のさがりを見せての見えは、眼目の場ほどありて、よい心持なり。源兵衛「その内逢はう」との道具変りもよし。
裏口の場、小梅との引込相応に色気ありたり。
大川端の場、棒縞の糸織の一枚小袖、御納戸博多の帯一本差し、尻端折り雪駄ばきにて、白縮緬のさがりを見せ、腕組をしながら出て、花道の附ぎはにとまり「金がかたきの世の中とはよく云つたことだなあ」と云ふ白、しんみりとせり。長吉を送つてやるとて、仮花道から大廻りして、また本花道へかかり、百両の金を持ち居ると聞き、やたらに欲くなる様子よし。訳を云ひて頼めども聞かぬゆゑ、威しのためにぬきし刀にて、誤り殺すと云ふ仕悪き仕草をも、充分にこなしたり。この役はこの人の外やつて見る人もあるまじ。
芝翫の源兵衛堀の源兵衛、思の外よし。
芝鶴の手代長吉と女房小梅との二役、頭巾を取つたり冠つたりするは御苦労なれど、小梅はどうしても女にならず。
女寅の娘おきみ、美くまた気乗りありてよし。染五郎の金屋金五郎は、元と武家出と云ふ腹もあつて、相応にこなしたれど、菊之助の伝兵衛とは較べものにならず。猿蔵の信楽勘十郎、庄屋めきたる家康公にて一驚を喫はせられし当座なれば、評は預る。滝十郎の米屋佐平、鶴五郎の曾根伴五郎、いつ見ても年を取らで結構なり。喜猿のどび六、実は十平次、乞食が侍に化けると云ふ役廻りほどありて、思ひ切つて臭さ味をふりまはせり。団七の医者久庵、思つた割にをかしくなけれど、木登りをして熊だ鴉だとからかはれ、とど木から落ちて「両人待つた」と云ふ。由兵衛が「何だ」と云ふと「お楽み」といひて蹲る処は受けたり。同人の角力長五郎は大によし。
鶴三郎の芸者小さんは柳盛座よりここへぬけたばかりで、立旦の役を廻されしため、諸新聞の攻撃を受けしこと、気の毒なり。
大切浄瑠璃上の巻「襖落那須語」、下の巻「名大津画噂一軸」。上は太郎冠者主人の使にて、伊勢参宮に同行のことを、主人のをぢに尋ねに行きしに、そこなる姫御寮より餞別の酒を賜り、所望によりて那須の語をなす。さて褒美に賜はりし素襖をいたく秘めかくさんとして、酔へるあまりに取落ししを主人に拾ひかくされ、あわてて捜しまはると云ふ筋なり。下は大津絵の襖画ぬけいでておどると云ふ曲なり。
新蔵の太郎冠者以下、それぞれにひとりよがりの所を見することなれば悪い気遣あるまじ。
女寅の藤娘は無法に美しく、升蔵の座頭はかるくてよし。(三月四日見物)
一番目はやはり、「楼門五三桐」なれど、都座に比ぶればやや複雑せり。奴矢田平は明の宋蘇卿の遺子順喜歓が仮の名にて、これしきの一天下を覆がへすになんの手間隙と云ふ意気込にて、真柴久次に仕へしが、老女石田の局に見あらはされ、自尽す。その折矢田平が父より夢中に授かりし片袖を、白斑の鷹来て攫み、飛去る。この石田の局もまた光秀の臣四天王但馬守の妻にて、久次の放埒に乗じてこれを押し込め、真柴の天下を覆さんと云ふ大望を懐きたりしが、手もなく裏をかかれ、久次の放埒は手段なりと聞き、これに手向はんとせしに、己の妹に仕立てたる武智の姫君皐月を人質にとられしため力及ばず「武智の姫は汝の娘のつもりにて尼になす」と云ふ淀の方の言葉をきき「思ひおく事更になし」と、乍ち覚悟して自殺す。能舞台を芝居に担ぎ込んで来たる必要は更に見えず。殊に久次の乱行は反間苦肉との事なりしが、それにしては手討になる老臣粟田主膳といふ男こそいい面の皮なれ。楼門の場も筋は無法の極端に達せしものなれど、上下の人物の配合はまた無類の趣向なり。
団十郎の石田局、矢田平が久次の身替にたてくれよとせがむを「はてさてしつこい、立ちやといふに」と袂を振切り立上らんとして、矢田平が落しし袱を拾ひ、開けて船切手を見「まちや/\、用がある」と呼止め、切手は左の袂に入れ、立身にて斜に下手に向ひ、左の袂の手をつつぱり、右手にて左の袖口を持ち「面をあげい」にてしげしげと眺め「はて、矢田平ぢやなあ」と気味合にていひ、右に廻りて後向になり、また頭を右に向けて見やり、そのままさつさつと上手へはいる所は充分に応へたり。面をつけず熊野の舞一くさりあり。久次の牢輿にて連れ行かれしを見送り「まことや槿花一日の栄、是非もなき世の盛衰ぢやなあ」との白廻しも値あり。本行にて竜神の舞は見事にて、棹を捨てると遠寄になる。これにてちよつと思入あり。娘の出にて面をとり、つかつかと舞台の端に出で、見附け柱を抱へて向ひを見込む所よし。赤顔を除き、半臂を脱捨て、侍女の薙刀を奪ひ、大口を穿きしまま小脇にかいこみたる形は、四天王但馬の妻と見えたり。
石川五右衛門にて寛博の前をくつろげ、胸を見せたるはよく、やや頭を左に傾けたる形風情あり。のべの銀煙管は市川流なり。「春の眺は」云々をゆつたりとして、句切句切に力を入れての言ひ廻し、句の意味に適ひてよし。「はて麗な眺ぢやなあ」にて、左手を内懐より出し、右手の煙管を持添へて突立てる仕打あり。鷹のとまりしを逐ふ所にて、煙管にて欄干を叩く外に、鷹の前にて煙管を廻し見るは新し。遺書を読む処は、句ごとに拾ひて読む心持あり。怨を演ぶる意気込すさまじく「己れ久吉」にて、右手は内懐より出して片袖を攫み、左手にて右の腕首を肘との中ほどを握り、右の足を高欄にかけしまませりあがる。「石川や」の上の句をききて、不審の思入ありて心づき、右の手の片袖をそのまま内懐に入れ、下を見下し、下の句きるると「何と」といひて刀を取上げ「順礼に」にてえいと手裏剣を打出し「御報捨」にて、高欄に足ふみかけたるまま、半ば刀を抜きかけて、きつと見下す処にて幕となる。
菊五郎の真柴久吉、浅黄の頭巾は普通にてよし。せり上げの間は已に柱に歌を書きをはり、立身にてやや下手に向き、墨斗の紐を巻き居る体なり。笠は水盤によせかけあり。道具止ると柱に向ひ上の句を読み終り、下の句を読みながら上に思入れあり。「順礼に」にて、柄杓を左手にてぬきとり、これに手裏剣を受け止め、下手に廻り「御報捨」にてそを右手へ取直して僅にささげ、左手は手洗鉢の縁にかけ、さげすみたる笑にて幕となる。
試にある好事家の望に因りて、両座の楼門を較べ評せんに、大薩摩やら大道具やら衣裳やら、勿論銭目だけの事はありて、明治座を勝とす。芝翫の五右衛門は面構へこの役に適ひ、見えなどは幅があつて、総体に芝居らしき処はよし。気の入れ方、仕打、白廻はしは芝翫の方は論外にて、団十郎とは較べ物にならず。九蔵の久吉は頭巾もまづく、人形の列べ方に心付かぬは老功の人に似合はしからず。菊五郎は「世に盗人の」にて上へ思入あるため五右衛門の受が引立ち、笑ひも真柴大領の腹ありて、九蔵に比すれば遥に好し。
権十郎の真柴久次、持前の疳癖の強き殿様なれば評よし。秀調の淀の方、貫目は確なり。小団次の矢田平、思切て派手にこなしたれば、役者だけのことはありたり。福助の早瀬、栄三郎の滝川は対の着附にて引据ゑられし処あざやか/\。その他役々いづれも御苦労。
中幕、「菅原伝授手習鑑」寺子屋の場、この筋はまづやめておくべし。団十郎の武部源蔵、腕組をして考へながら揚幕を出で、花道中ほどにて留り、向ふを見て気を替へ、つか/\と舞台に来り、門口を開けて子供を見廻し「いづれを見ても山家育」といひて、下の句をいはず、力脱けし思入にて戸をしむ。この仕打のやや仰山なるため多数の人は早く家へ帰つてとは取らず、ここで身替の思案がつきし様に取るは無理ならず。小太郎が会釈の中も、なほ上手の子供をずつと見廻して漸く心付き、これならばと思案を定める工合得心がいき、貴人高位の白も喜の余溢れ出でし様にて好し。「品によつたら母もろとも」にて息込み、戸浪が「えゝ」と驚くを「これ」と押へ、調子を替へて「若君には、替へられぬは」といふところよし。「すまじきものは宮仕へ」の句を除き「互に顔を」にて刀をつき「我子も同然」にて立ち上り「報はこつちも」はしんみりといひ、右の襦袢の袖口にて眼を拭ふ。さて刀を置き、若君を戸棚に入れ、戸の前にぬかづく。伝授の巻を内懐に入るる仕草は除けり。刀を提げ、表を開き見て、女房に手にて奥へ行けといひ、二重にて入り替り、暖簾口に入る。「撃てば響けと」にて一旦出で、女房を刀の鐺にて押へ入ることあり。入来る両人にて検使を出迎ひ、松王と行逢ひ、附け廻りにて下手にかはる、松王が「蟻のはひ出る」といふ処「相がうがかはる」などと云処にて思入し、「身替の偽首」にて腹に応へし模様見え「玄蕃が権柄」にてはつと刀をさし、右の小脇に首桶をかかへ、二重を上らんとす。女房が「もし」と追ひすがるを、振かへりてぷつと叱る。次の出は羽織を脱ぎしほしほとして出で「しつかりと」といふ白に力を入れ、刀を引寄せ、小刀をも抜出して揃へ置き、体を斜よりもむしろ後向になし、両手を膝につき松王の方をじつと見込む。「源蔵よく打つた」にてほつと腰をおとす。検使の帰る所にては手をついたるままその方に向き直る。さて膝に手をついて立上り、二重に上り、手真似にて女房に門をしめさせ、暖簾口をのぞき、また手真似にて門口の錠をかけさせ、戸棚を開き菅秀才の顔を見て、始めて気の緩みし心にて、後へべたりと尻餅をつき、手を合せ拝み、また正面を向きて上を見上げて拝む。胸を押へ、女房に飲む真似をして見せ、水呑より水を呑まんとして二重より片足落し、呑み終りて女房に渡し、息をきらする仕草あり。千代が門口を叩くを聞き、女房が物言はんとするを、右手にて後より抱き、左の袖を女房の口に当て、無理に引つ立てて二重に上り、若君を出して奥に伴はせ「はい、只今、誰ぞいぬか、無用心千万な、只今」といひ、刀を左に提げ、右手にて拝み、涙をふき、戸を開く。千代と顔見合せ、ほつとして体をひき「はゝゝゝ」と軽く笑ふ。刀をつきて坐り「されば手前でござる」云々の白あり。上手にやり「御勝手」にて抜き掛く。千代が振かへると刀ををさめ「ふゝゝゝ」と笑ひ、次に右の偏袒になり、襷をかけし襦袢を見せて、切りかけ、二、三度外され、千代が下手に膝をつき文庫にて白刃をうくる仕草あり。「経惟子」にてびつくりして後へさがり、二重に腰をかく。「何人の」にて刀のむねを左の平手に当てて構ふ。短冊を吟じのみ込めぬ思入あり、入り来る松王を見て刀をふりかぶり、刀投げ出すを見、なほ疑解けぬ様子にて坐り、白刃持つ手を膝の上に置く。松王の詞の中に刀を納め、襷をとり、肌を入れ、松王が投げ出しし大小を揃へて返す。愁歎の中はじつとうつむき聞き居り「につこりと笑うて」の白は云ひ悪さうにいふ。松王二度目の出よりは脇師の腹ありてよし。すべてのこなし方能く本文の意に適ひ、人形流の悪騒ぎなくして、後人の模範となすに足る。
菊五郎の松王丸、「やれ俣たれよ玄蕃殿」と声かけ駕籠より出で、左手に刀を杖き、下手の床几にかかり「助けて返す」にて咳入り「つら改めて」にて右手を懐に入れ、後へ体をのしてきまる。子供を改める件は首を振るだけなり。家に入り源蔵を附け廻りにて、上手に替り、床几にかかる。「しばしの猶予と暇取らせ」との白あり。戸浪が寺入と云ひ掛くると「なゝゝに、馬鹿なことを」と云ひ消す処よし。言訳を聞き終りてほつとする仕打あり。「奥にてばつたり」にてはつと応へし思入ありてよろよろと前に来る。戸浪が立ち上るを「すざり居らう」と叱り、左手の刀の鐺を其方へつき出し、これに右の肘をもたせ、その上に体をのせかけ、口を開き舌を出して大見得あるところぢやぢやがきたり。さて右の拳にて額を叩き、次に平手にて額を押へ、床几にかかる。実検の件は大小を抜とりて下に置き、正面を向きて坐り、先づ首桶に右手をかけ、次に両手にて引寄せ、蓋をとりて前に置き、この上に両手を重ね、正面よりずつと見下し「菅秀才の首に、相違なし」といひ、また玄蕃に向ひ「相違ござらぬ」といひて、蓋をなし、下手に向ひ「源蔵、よく打つた」といひて身をふるはす。首を見ぬ前に松王は已に我子の身替りに立ちしことはほぼ承知せる事ゆゑ、ここの思入のあつさりなるはよし。短冊を投入れて、次いで家に入り「源蔵殿、先刻は段々」といひながら刀の鐺にて源蔵を押へながら上手に来り、大小を投出して坐り、また右の平手を延し押ふ。女房の歎くを「泣くな/\、えゝ」にて膝をぽんとうち「泣くなと申すに」と叱る。「につこりと笑うて」と聞き「笑ひましたか」とのり出し、女房に向ひて「笑うたと」といひて身をふるはす。「源蔵殿、御免下され」にて懐紙を出し、顔に当てて大手に泣く。総じて松王は品格上々にて貫目も充分にあり、応ふるところも応へたれど、慾をいへば調子がどす一てん張なるため、やや変化に乏きを憾とす。八年前竹の屋主人はこの人のこの役を評して、なるほど今代の松王なりといひしが、今日を以て八年前に比するに、その技芸優るとも、劣りはせじ。しかして余はその折も今日もこの評語に団十郎を除きてはの数語を加ふることを躇せず。
権十郎の春藤玄蕃、調子の高いだけがとりどころなり。秀調の戸浪、団十郎の源蔵と相俟ちて始終寸分の隙なく、まま微に入る妙あり。福助の千代、品格ありて愁歎も騒しからず。菊五郎の松王とは一対の好夫婦なりき。松助の下男三助、生真面目にてよし。市蔵の涎くり、人の褒むるほどにてはなし。
二番目「猿廻門途の一諷」、井筒屋伝兵衛の出入屋敷の武士横淵官左衛門、伝兵衛の情婦丹波屋お俊を身受せんとすれども、お俊がその心に随はざるため、井筒屋手代万八と中買勘造とに命じて、伝兵衛に贋金つかひの悪名を負はせ、打擲をなす。この怨を晴さんとて、伝兵衛四条河原に待ち受けて、官左衛門ら三人を殺す。お俊の兄猿牽与次郎が、盲目の母に貧き中にて孝養を尽せる堀川の住居を、お俊伝兵衛を伴ひて訪ふ。与次郎両人を落しやらんとして、猿にお初徳兵衛の祝言の模様を舞はせて送る。緊急問題は堀川の序と切とを残して、中をくつてしまふにあり。
菊之助の井筒屋伝兵衛、花道の出よりお俊との出あひは、かつぷくも調子も、やや若輩過ぎし様なりしが、贋金を見せられ、片膝ついてぱらぱらと金をおとすあたりより、ぐつと引つ立ち、官左衛門に渡しし金も同じ贋金なりと聞き、思はず這ひ出して覗き込み驚く所前と一つにならず。官左衛門の悪口はじつと受居りながら、万八の悪口は聞きかねて喰つてかかる処、四郎兵衛に金を渡され、門口まで送つて泣く泣く礼を言ひ、屹となりてばたばたと内に這入り、金包みを官左衛門に打ち附けんとして心附き、坐り直して叮寧に返す処いづれも尤の仕打なり。官左衛門がお俊を連れ立出しあとを追かけ行かんとして、女房幇間に無理に抱きすくめられ「私が心をこれ」と下を敲き「推量して下さんせ」と男泣に泣くところ芝居とは思はれず。河原にての殺しの息込隙なく、お俊の手を取つて花道を駈け込む体のこなしなど、突ころばしの妙を極めし出来なり。黒縮緬裾ぼかしの着附にて堀川に来る所も男前上々なり。
市蔵の横淵官左衛門、持前の役柄にて手強く応へたり。寿美蔵の八坂の四郎兵衛もうけ役ゆゑよし。秀調の茶屋の女房、伝兵衛を抱止むる意気込さすがなり。栄三郎のお俊、今一と息心入れありたし。勘十郎の手代万八よし。又吉の丹波屋六左衛門、菊三郎の仲買勘蔵、うつり悪し。勘太郎の中間宅助よし。和市の幇間は目障りなりき。
菊五郎の猿牽与次郎、本物の猿を使つて見すると云ふ触込み初日前より高く、当人得意でお辞儀をさせて悦べども、我はただ菊五郎ほどの名優が人の視聴を引かんため劇に上すべからざる動物を劇に上ぼし、愁歎場をして滑稽場とならしめて毫も顧みざる志の卑きに驚くのみ。与次郎の如きは篤実なる所より可笑味の出る者にて、この役にて名を留めたる坂東寿太郎や二代目三十郎は知らず、誰がしてもはしりもとや冗口に己気を入れて、与次郎らしき者は近来絶無の姿。久松座の多見蔵など大鼻つまみなりき。菊五郎も固ぼつとをかくる人ならず、ただ申歳からの思ひ付で出したものなれば、箝らぬは尤とはいひながら、売込んだ愛敬を振廻し、やたらに気を利せ、洒落を云ふため、例に因りてその本性を失へり。むだ口の一、二を挙ぐれば、隣のかみさんに水を汲んでやるはまだしも「音羽屋に似て居る」と云はれて「頭のはげた所と顎の長い所だけ似て居ませう」と云ひ、これから寝るとききて「それぢやあ今晩はお楽だね」と云ひ、稽古の娘が来ると立たせたり向うへ向かせたりして「けい/\がよく出来た」と云ひ、稽古の間も「大層幅が出て来た」といひ「よう/\、惜い」とほめるなど、気が利けば気が利くほど与次郎に遠ざかり、緊要な泣かせ場の哀れげのなくなるに心附かぬは、驚き入つたものなり。お俊の着物を撫でて見、しまひに裾をまくり、手紙を書くと云ふとき堅炭を持ち来り、お俊の懐中鏡を借りて我顔を写し、見えをして見るも悪るふざけなり。
寿美蔵の老婆は、毎度かかる役に手覚あれば、相応に見られたり。翫太郎の長屋の女房は真を得たり。土之助の稽古娘はよし。殊に鳥部山は出来たり。三人掛取の内、松助の大屋は本役なれど、権十郎の米屋、小団次の古着屋は御馳走の心ならんが、御馳走としてはまづいものにて、ささ事やら何やらで四十分間を費すとはさてもさても。(三月八日及十七日見物)
諸評者の両座についての評を久々にて見たり。
『東京朝日』の竹の屋主人は相かはらず面白し。「楼門」の優劣を論ずるものを笑ひて、「六万五千の劇通が批評眼といふ怖いものをつたところで、娘の子が羽子板屋の店へ立つて気迷する位なものなるべし」といひながら、御自身もこれを論ぜしは可笑し。九蔵の由兵衛を「奴頭ながら髢の出て居るちよん髷なり」とて難ぜしは通なことなり。歌舞伎座の番附に事実相違の廉は云々とありしを押へ、「興行ごとに事実相違有無の世話がある様では大変なり」と云ひしが、都座の番附には両優顔競べといふかたりありて、名題は「楼門五山桐」と記し、或新聞には「襖落」に「ふすまおとし」と訓じ、娘千代といひしさへあり。「ふた流この石川に合し、つひに大に山門に脂下る」といふ句は妙なり。団十郎の五右衛門を評し、「山門がせり上るため見識が下つてはならぬ」といふはよけれど、「この考が先入主となりて、ただ大な声と目をむくだけで気魂精神更に加はらず」といひ、菊五郎の秀吉のみを大に褒めしは例の片贔負なり。中幕の両優を「天下無類、古今無類」といふ四字にて済せ、片市と松助の涎くりと三助とを評せしは大利口なり。栄三郎のお俊が狂言中笑ひしを戒めて、「千万無量の思の中へちよこ/\する猿を叩き廻し、そら御辞儀だほら立つのだと与次郎も何もなしになつて騒ぐ馬鹿らしさ、誰しも笑はぬ者はなく、それを目前に突き付けて見せらるゝなれば、笑ひたくなるは無理はなし、されど其処を堪へるも嗜なり、親父が猿を使ふからは、今に奮発して獅子を使つて見せてやると気に張を持て、ほい違つた、獅子を使ふのは西洋曲馬の見世物であつた」といひ、また菊五郎の与次郎を評して、「朴訥な孝行者が忽ち小気の利いた苦労人になつてしまひ、これでは妹もわが道楽のために売つたのかとまで思はる」といひ、「また倅の道楽には親の意見あり、親の道楽には意見もならず、両人も困るなるべし」といひて嘲りしなど、いづれも可笑し。「菊之助に望むに、町人とて決死の伝兵衛、今少し強くてもよかるべし」とは無理なり。
『読売』の芋兵衛は襖落しといひ、石田局といひ、十二分に能通を列べて留飲をさげしなるべし。ただこの竜神必ず中ほどで棹を捨て、扇を持ち綱の引手を見するが極りの様なるにこれは終まで棹を振り通しにてありしは奇なりといひしが、余が見たるときは、両度とも棹をからりと投捨つるがきつかけにて遠寄を打込みしは好き趣向なりと却りて感伏したり。
贋阿弥は芋兵衛と御両人にて、いつもながらの年代記は、御苦労といふべし。殊に贋阿弥は近頃大に型通になられたれど、お誂への「ハテ矢田平ぢやよなあ」、松王がぬつと這入り、懐紙を顔に押当てて泣伏すなどは耳立ちぬ。団十郎の源蔵の花道の思入を難じたるが、これは六二連も妥ならずといひしことあり。友右衛門の型を引合に出されしは当らず。とにかく明治十四年春の評判記を見たまへ。源蔵が若君の恙なき姿を見て、初めて張つめし気の弛みしは忠臣の真面目にて、戸棚に入れあれば大丈夫とは知りながら、今更の如く安心せし様を示せるは芝居としての見せ場なり。これを吃又といひし大向のかけ声に賛成するは大人しからず。菊五郎の松王を徹頭徹尾無類の大出来にて、堀越の源蔵とは月鼈の相違ありとは鷸掻中なる面白き断定に加ふべし。
『やまと』の弄月庵は天保生れと自ら名乗りしほどありて、堀越がしたらいざ知らず、今では外に類なき松王なりといひ、源蔵を茶碗に比せば取も直さず青井戸とでも云ふべく、天下一品といふべしといひしは妥なる評なり。
『国民』の斬馬剣禅は自ら青年といひしが、楼門評は味好くせられたり。ただ五右衛門の怨を含む言廻しを、両優とも述懐に精神入り、頗る聞栄ありとは、芝翫に対してあまりのお世辞なり。また団十郎の源蔵を弁護して、「思案に余る所より自然に足も止り、急に我家に近づきたるを知り、早足にて帰り云々と見て置けば」といはれしが、これには団十郎首肯すべし。
『絵入日報』の鹿の子が、与次郎の精神を失へりとて菊五郎を難ぜしは、図らず余の意見に合せり。
『日々』の梅痴は今の劇を腐敗劇と罵りしはよけれど、長吉殺しを近来流行の誤殺劇といひしは目新し。芝鶴を評して、その多能なる点は現時俳優中に匹儔少しといひしが、この多能は年枝のいはゆる数でこなすといふ事ならばいざ知らず、普通の意味にては受取難し。
『万朝』の蜃気楼は古老の説を訊ぬと見えて、その言ふ所よく当れり。『報知』の松葉は蘭圃の向を張る楽屋通もなく、至極おとなし。『都』の厭花も前日に比すれば筆馴れたり。中央の素人評、東京の大向評はほんの案内に過ぎず。
底本:「観劇偶評」岩波文庫、岩波書店
2004(平成16)年6月16日第1刷発行
底本の親本:「めさまし草 巻三」
1896(明治29)年3月発行
初出:「めさまし草 巻三」
1896(明治29)年3月発行
※初出時の表題は「芋あらひ」です。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※文中のセリフ、および竹本の詞章などのカギカッコは底本の編者(渡辺保)によります。改行、冒頭の作品名、作品評における場割、芸評における俳優名・役名の太字は編者によります。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2011年3月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。