わかいがんたちが、せまいけなかで、さかなをあさってはあらそっているのをて、としとったがんが歎息たんそくをしました。
「なぜ、こんなところに、いつまでもいるのだろうか。」
 これをいた、りこうそうな一わかいがんがこたえて、
「おじいさん、どこへゆけば、わたしたちは幸福こうふくらされるというのですか。このいけへおちつくまで、わたしたちはどんなに方々ほうぼうぬまや、かた探索たんさくしたかしれません。けれど、どこにもすばしこい猟犬りょうけんごえをきくし、狡猾こうかつ人間にんげんじゅうをかついだ姿すがた見受みうけるし、安心あんしんして、みんなのやすむところがなかったのです。そして、ようやく、この禁猟区きんりょうくなかのこのいけいだしたというようなわけです。」と、いたるがんにかって、いいました。
「そのことは、わたしにもよくわかっている。だから、人間にんげんがめったにゆかないところをさがすのだ。もっととおい、さむくにかって旅立たびだちをするのだ。わたしがまだ子供こども時分じぶんおやたちにつれられてとおったことのある地方ちほうは、やまがあり、もりがあり、みずうみがあり、そして、うみ荒波あらなみが、しろきしせているばかりで、さびしい景色けしきではあったが、人間にんげん猟犬りょうけんかげなどをなかったのだ。あの記憶きおくのこっているところを、もう一さがしにかけるのだ。」
「おじいさん、なんだかゆめのようなはなしではあるが、そこをはっきりとおぼえていますか。」と、わかいがんがたずねました。
ちいさい時分じぶんのことを、どうして、よくおぼえていよう。かすかな記憶きおくにしかのこっていない。しかし、そこをさがすのだ。」と、としとったがんはいいました。
 りこうなわかいがんは、みんなをあつめて、そのつきした協議きょうぎひらくことにしました。するといろいろのせつました。
人間にんげんのみずからもうけた禁猟区きんりょうくにいて、こちらの安全あんぜんをはかるということは、なんと賢明けんめいなやりかたではないか。もしここをしたが最後さいご自分じぶんたちは、いつどこで、どんな危険きけんにさらされないともかぎらないだろう。」と、ビーがんが、いいました。
「その心配しんぱい道理どうりである。が、おじいさんは、ほんとうにそうした理想りそう世界せかいっているのだろうか。」と、冒険好ぼうけんずきな、ケーがんがいいました。
ちいさな時分じぶんに、たびをする途中とちゅうたというのだ。そしていま、その記憶きおくはかすかになったけれど、おじいさんは、さがせばかならずいだせるというつよ信念しんねんゆうしているのだ。」と、この禁猟区きんりょうくに、はじめてみんなをみちびいた、りこうながんがいいました。
「そんなら、おれたちは、おじいさんに案内あんないたのんで、かけることにしようじゃないか。」と、なかでも、もっとも野生やせいゆうしていた、ケーがんが、さっそくこのせつ賛成さんせいしました。
いくか、んでいって、それがいといってかえってくることができるだろうか?」と、ビーがんが、むしろ、反対はんたい意見いけんをもらしました。
「そのことだ。ただ、このたよりない希望きぼうのために、この安全あんぜんなすみかをててゆくということがかんがええものなのだ。おそらく、もう二ともどってくることはできなかろう。」と、りこうそうながんが、かんがぶかかおつきをしてビーのいったことにこたえました。
人間にんげんあたえた安全あんぜんが、なんでいつまでたよりになろう。いまから、わたしたちは、それをさがしにてもおそくはないのだ。」と、ケーがんがいいました。
 しかし、こうしたはなしがると、自由じゆうした本能ほんのうが、みんなのこころなか目覚めざめたのでした。
「ゆこう、ゆこう、ここで、こうして意気地いくじなく、このふゆおくるよりか、つばさちからのつづくかぎり、ひろい、自由じゆうな、そして、安全あんぜん世界せかいさがしにかけようじゃないか。」と、ついにみんなの意見いけんが、一しました。
「おじいさん、どうぞ道案内みちあんないたのみます。」と、かれらはいいました。
 このときまでだまって、つき見上みあげていた、としとったがんは、
「ここから、きたへ、きたへとんでゆけば、その地方ちほうられるようながする。ゆくなら今夜こんやにでも、すぐにとうではないか。」といいました。どのがんも、これにたいして不平ふへいをいったり、反対はんたいするものはありませんでした。みんなは、つきひかりびながら、めいめいつばさをひろげて、はねならしをしていました。そして、拍子ひょうしわせて、二、三ばたきをしました。これから、長旅ながたびかけるまえのあいさつであります。
 つぎの瞬間しゅんかんに、かれらは、そらがりました。そして、いけうえを、なつかしそうに一しゅうしたかとおもうと、ここを見捨みすてて、陣形じんけいつくって、たがいにわしながら、かなたへとえていってしまったのであります。
 としとったがんが、かれらの先達せんだつでありました。つぎにりこうなエスがんと、勇敢ゆうかんケーがんがつづきました。そして、しんがりを注意深ちゅういぶかビーがんがつとめ、よわいものをばれつなかにいれて、長途ちょうとたびについたのであります。
 ふゆへかけてのたびは、はげしい北風きたかぜこうしてすすまなければならなかった。としとったがんは、みんなをれているという責任せきにんかんじていました。同時どうじわかいものの勇気ゆうき鼓舞こぶしなければならぬ役目やくめをもっていました。かれは、かぜたたかい、山野さんや見下みおろしてんだけれど、ややもするとつばさにぶって、わかいものにされそうになるのでした。
「おじいさん、ゆっくりびましょう。」
 わかいがんたちは、いくばくもなくして、このとしとったがんを冒険ぼうけん旅路たびじ案内あんないにさせたことは、無理むりであり、また、どくであったことをかんじました。けれど、どうすることもできません。そして、こういたわると、としとったがんは、わかいものにみずからのちからおとろえと、弱気よわきせまいと努力どりょく努力どりょくをつづけてんでいました。
 しかし、かれらは、ある山中やまなかみずうみうえとおったときに、ついにそこへりなければなりませんでした。
 先達せんだついたがんは、もうまったくぶことができなかったからです。
わたしたちは、ここへんできたことが、無謀むぼうであった。」と、エスがんがいいました。
「いや、けっしてそうでない。この湖水こすいいだしただけでもこのたびはむだではなかった。あのすばらしい四辺あたり山々やまやまるがいい。」と、元気げんきな、ケーがんが、いいました。
「それにちがいない。いま、わすれていた記憶きおくがすっかりよみがええってきた。これから、もっと、もっと、きたへさしてゆくとわたしのいった理想りそう土地とちられるのだ。しかし、わたしちからは、もうそこまでゆくことができない。どうかわたしをここにのこしてみんなは、はやたびいそいだがいい。」と、としとった、あわれながんがいいました。
「おじいさん、そんなよわいことをいってはいけない。わたしたちは、おじいさんをてて、どうしてゆくことができよう。二日ふつかでも、三日みっかでも、おじいさんのからだがなおるまでつことにします。」と、ビーがんがいうと、ケーがんも、エスがんも、みんながその言葉ことば賛成さんせいしました。
 しかし、としとったがんにとって、この山中やまなかみずうみかれのしかばねをほうむるところとなりました。まだ、みずうみうえ鉛色なまりいろけきらぬ、さむあさかれは、ついに首垂うなだれたまま自然しぜんとの闘争とうそうの一しょうわることになりました。
 そのは、終日しゅうじつがんたちは、湖上こじょうかなしみさけんでいました。そして、よるになるとかれらの一ぐんは、しばらく名残なごりしむように、ひくみずうみうえんでいたが、やがて、ケーがんを先頭せんとうきたをさして、目的もくてき到達とうたつすべく出発しゅっぱつしたのであります。それは、星影ほしかげのきらきらとひかる、さむばんのことでありました。

底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社
   1977(昭和52)年8月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第6刷発行
初出:「民政」
   1934(昭和9)年11月
※初出時の表題は「雁」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:仙酔ゑびす
2012年7月16日作成
2012年9月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。