久し振りで京都の秋を観ようと、十月十五日の朝東京駅を発つ時、偶然会った山内義雄さんから、お宿はと聞かれて、実は志す家はあるが通知もしてないことをいうと、それでは万一の場合にと、名刺に書き添えた紹介を下すったが、それは鴨川に近い三本木という、かねて私もひそかに見当をつけたことのある静かな佳い場所であった。然し実際私の落ちついたのは、中京なかぎょうも淋しい位静かな町筋の、暗く奥深い呉服屋や、古い扇屋、袋物みせ、さては何を商う家とも、よそ土地の者には一寸分りかねるような家々に挟まれた、まことに古風な小さな宿である。
 以前この土地に親類のあった私は、宿屋に就いてはまるで知識をもたないが、此の家は他の多くの旅館の如く、すぐ賑かな大通りに面した入口に、大勢並んで靴の紐を結べるような造りではなく、門をはいった突き当りが薄暗い勝手口で、横手の玄関に小さい古びた衝立ついたてを据えたところなども、土地馴れない眼には漢方医者の家を客商売に造り替えたような感じを受ける。あとで聞けば殆どお馴染なじみさんばかりで、ふりの御客は稀だという。なるほど、入り口で自動車の中から首を出した私に、少し渋った風でもあったが、最初心ざして行った家がんで居て、そこからされて来たことをいうと、ともかくも通されたのが、ささやかな中庭を見下ろす奥の二階、それが折れ曲った廊下のはずれで、全く他の部屋と縁の切れて居るのをよいと思ったが、それよりも其の狭い中庭の一方を仕切る土蔵の白壁を背景にして、些か振りを作ってある松の緑が、折からの時雨に美しい色を見せ、ほかには何の木も無いのが却ってよかった。殊に其処は小さな二た間つづきで、その両方のどちらの窓にっても、中庭ごしの白壁のほかに、北から西へ掛けて屋根の上、物干しのはずれ、近所の家々の蔵が五つ六つもずらりと白い壁を見せて居る。蔵というものは、場合によっては陰気にさえ見えるほど静かな感じを与えるものであるが、東京あたりでは此の頃それが段々見られなくなってしまった。久しい以前、始めて川越の町を見に行った折、黒磨きの土蔵造りの店がずらりと並んで居る町筋を通って、眼を見はったことがあるが、考えて見れば川越は江戸よりも古い文化を持った町であった。まして此処は旧い都、ことに此の辺りは落ち着いた家の多い町である。こういう背景を持った此の部屋の、ひっそりとした気配に、すっかり京都へ来たような気になって、些かいぶせき宿ではあるが、ともかくここを当分のねぐらにしてと思い定めたことである。
 京都の駅に着いた時、もう降り始めていた小雨が、暗くなると本降りになって夜を通して蕭条しょうじょうと降りそそぐ。今まで此の土地へ来るたび、いつも天気でついぞ雨らしい雨に会ったことのない私は、すっかり雨というものを忘れて来たが、聞けば此の夏はまるで降らなかったという。これは悪くすると、滞在中ずっと降り通すかも知れない、然しその時には又その時のこととはらをきめると、雨の音は落ち着かぬ旅の心をなごやかに静めてくれる。悪い癖で宿屋の褞袍どてらを着ることの嫌いな私は、ほんの七八日の旅なのに、わざわざ鞄に入れて来た着物と着換えて、早目に床を延べてくれた奥の小間の唐紙からかみを締め切り、入り口の方の部屋のまん中に小机を据えて端坐すると、少し強くなった雨の音が、明日の行程の悩みを想わせるよりも、ひどく静かな愉しいものに聞えて来る。一二冊は携えて来た本もあるが、さてそれに読み入るだけの余裕はなくて、落ち着いたようで居て、何か物に憧れるような焦立いらだたしさを覚えるのも可笑おかしい。
 近頃少し眠られぬ癖がつきかけて、これで旅に出てはと危ぶんで居たが、それにしても其の夜は割によく眠れたことである。暁に眼ざめてそれから程なく聞いた鐘の音は、ふだん東京で聞くものよりはやや澄んで高い音であった。目をつぶったまま近くの寺々を思い浮べて見たが、さてどの辺とも分らない。やがて彼方此方、音色ねいろの違った、然し同じくやや高い鐘の音が、入交って静かに秋雨の中に響いて来る。じっと目を閉じて居たが、雨は如何にも落ちついて降り注いで居るようである。若い頃、利根川のほとり鹿島の宿で、土用明けのざんざ降りを食って、三日も無言の行を続けたことを思いだしたが、あの黒ずんだ、色彩の無い、常陸の国の川沿いの丘の宿に比べると、此処は雨もまた優しく懐かしい。といって、今度の旅は単に京都の秋の景色にひたってだけ居るわけにはいかない。少しは調べたいもの、見たい所もあって、五六日は随分歩くつもりで、足慣らしもして来たのであるが、これでは愛宕あたご乙訓おとくに久世くぜ綴喜つづきと遠っ走りは出来そうにない。然し雨なら雨で、近まの寺々の苔の色を見て歩いてもよい京都である。幸い博物館には、思いがけず海北友松かいほうゆうしょうの特別展覧会が開かれても居る。祇園の石段を上って、雨に煙る高台寺下の静かな通りを清水きよみずへ抜ける道筋も悪くはない。そんなことを寝たまま考えて居るうちに、いつか下の方でも起き出した気配で、なめらかな優しい此の土地特有の女達の言葉が聞えて来た。

底本:「日本の名随筆43 雨」作品社
   1986(昭和61)年5月25日第1刷発行
   1995(平成7)年3月30日第14刷発行
底本の親本:「岩本素白全集 第一巻」春秋社
   1974(昭和49)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年11月28日作成
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