昭和六年の夏ののことであった。大連たいれんで夜間飛行の練習をやっていると、計器盤のある処にいているライトの光で、その黒塗くろぬりの計器盤に、じぶんの乗っている飛行機のうしろから、今一台の飛行機がやはり同じ方向に向って飛んで来るのがうつった。
 そんなことはない、錯覚だ、と思いながら計器盤を見るとやはり映っている。とうとううす鬼魅きみが悪くなって、そのの練習を中止したことがあったが、こうした錯覚や幻想は決して珍らしいことではない。
 某時あるときわかい飛行士が、
「海賊があるから、やがて空賊くうぞくと云うのができるかも知れないよ」
 と云ったことがあるが、その時その飛行士は、この空想にさらに小説らしい空想を織りこんで、
「胴体を真紅しんくに染めて、白抜きで白骨をいてあるよ、機はカーチスの小型機で勿論もちろん機関銃があり、操縦士は腕利うでききで、そして、支那海しなかいから朝鮮海峡に盛んに出没するんだね」
 と云っていたが、まもなくこの飛行士は蔚山うるさん福岡間の海峡飛行の時にじぶんの空想が事実となって現れたのに驚いた。
 蔚山をってまもなく、エンジンの激しい音の間にばら、ばら、ばらと云う異様な音が走るので、不思議に思って海の上に眼をやると、そこには己の飛行機と同じ飛行機の姿が判然はっきりと影を落している。
「ばかな」
 といくら考え直しても、やはり追いかけられていると云う気もちをとりさることができなかった。
「しかし、さいわいにまちがいがなくてよかったのですよ、うっかりすると、とんだ事故を起しますからね、だからわれわれには、くだらない空想は禁物です、陸の飛行には少いのですが、洋上になると視野が単調ですから、したがってそんなことが多いのですよ」
 と云って某飛行士がしみじみ述懐したことがあった。

底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
   1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
   1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
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