※(ローマ数字1、1-13-21)

 牡丹ぼたんの花の咲いたような王朝時代が衰えて、武家朝時代があらわれようとしているころのことでありました。土佐の国の浦戸と云う処に宇賀長者うかのちょうじゃと云う長者がありました。浦戸は土佐日記などにも見えている古い土地で、その当時は今の浦戸港の入江が奥深くり込んで、高知市の東になった五台山ごだいざんと呼んでいる大島おおしまや、田辺島たべしま葛島かずらしま比島ひしまなど云う村村の丘陵が波の上に浮んでいた。長岡郡ながおかぐんの国府に在任していた国司などが、任期を終えて都へ帰って往くには、大津おおつさきと云う処から船に乗って、入江の右岸になったこの地をさして漕いで来て、それから外海そとうみに出て、泊り泊りを追うのでありました。宇賀長者は、ここに大きなやしきをかまえて、莫大な富を作っておりました。その田地でんちかられる米のすりぬかが、邸の傍に何時いつも大きな山をこしらえていたので、糠塚ぬかづか長者と呼ぶ者もありました。
 この長者の家では、附近の土地を耕すほかに、海の水を煮て塩を製し、また魚などをっておりました。それには二百人に近い奴隷どれいがいて、その仕事をやっておりました。長者は太い赤樫あかがしつえを持って、日毎ひごとに奴隷の前にその姿を見せました。赤樫の杖は、時とすると、奴隷どもの肩のあたりに蛇のようにひらめきました。奴隷どもはその杖を非常に恐れました。
 それは晩春の明るい正午おひるさがりのことでありました。紺青こんじょうたたえたような海には、穏かな小さな波があって、白い沙浜すなはまには、陽炎かげろうが処どころに立ち昇っておりました。そこには潮風に枝葉を吹きたわめられた磯馴松そなれまつ種種しゅじゅ恰好かっこうをして生えておりました。その中のある松の下には、海の水を入れた塩汲桶しおくみおけを傍にえて、腰簑こしみのをつけた二人の奴隷が休んでおりました。一人はせた老人で、それは浮出た松の根に腰をかけておりました。一人は物におびえるようなおどおどした眼つきをしたわかい男で、それはすなの上に腰をおろして、両足を投げ出しておりました。壮い男は思い出したように小さな声で、「お月灘桃色つきなだももいろ、だれが云うた、さまが云うた、様の口を引き裂け」と、調子をつけて歌を歌うように云いました。
「お前はどこから来た」と、老人は思い出したように壮い男の顔を見て問いました。
「西の方から来た」と、壮い男は云いました。この壮い男は、人買船ひとかいぶねから長者の家にげられたばかりでありました。
「西はどんな処だ、よい処か」と、老人はまた問いました。
「好い処とも、それは好い処だよ、いそにはたまにする木が生えていたり、真珠を持った貝があったりするから、黄金こがねときれいなきぬをどっさり積んだ商人船あきんどぶねが都の方から来て、それと交易かえかえして往くことがあるよ」
たまにする木と、真珠を持った貝、何故なぜまたそんな好い処を捨てて、こんな地獄のような処へやって来た」
人買ひとかい掠奪さらわれたのさ」
「お前もやっぱりそうか、俺もそうだが、俺は小供の時だった、故郷は判らないが、どうもここから東北ひがしきたのように思われる、やっぱり海があって、海の中には数多たくさんの島があった、掠奪われた日は、暑い日の夕方だ、いそへ一人出て遊んでいると、珍らしい船が着いた、俺は何船なにぶねだろうかと思って、傍へ往ってみると、顔のあかい男が出て来て、好い物を見せてやろうと云うから、うっかり船へあがって往くと、そのまま船底ふなぞこへやほうり込まれてれて来られた、お前はどうして掠奪われた」
「俺か、俺は、人魚を見に往って掠奪われた」
「え、人魚……」と、老人には合点がてんがゆきません。
「そうだよ、人魚を見に往っていてこんなことになったよ、俺には好きなむすめがあって、毎晩のように往っていたが、むすめも俺が好きで、俺の往きようが遅いと、門口かどぐちに出て待っていたものだ、そのむすめは俺と話をする時に、好いにおいをさすと云うて、何時いつも草花を折って頭髪かみしていた、せぎすな、手足のしんなりとした、それは※(「女+朱」、第3水準1-15-80)きれいむすめであったよ、そのむすめ在所ざいしょへ往くには、小さな岬の下の波の打ちかける処を通らねばならなかったが、ある晩、平生いつものように俺はそこを歩いていた、それは月の好い晩であった、海はしずかいで、灘一面に蒼白あおじろい月がしていた、俺は波の飛沫しぶきのかかるいわおの上を伝いながら、ふと前の方を見ると、その巌から人の脊丈せだけを三ついだ位離れた海の中に、満潮みちしおの時には隠れて、干潮ひしおの時に黒犬の頭のような頭だけだすはえがあるが、そこに※(「女+朱」、第3水準1-15-80)きれい女子おなごが、雪のような白い胸を出しているじゃないか、おおかたその礁に両手をかけてすがりついていたろうよ、からすの羽をらしたような黒い頭髪かみは肩に重そうに垂れていた、胸から下は青いきものを着ているように、青い玉のようなものがぎらぎらとその周囲まわりに光っていた、それを見つけた時の俺の気もちと云うものはなかったよ、俺はなんだか五色ごしきの雲に包まれて、竜宮りゅうぐうへでも往って、乙姫様おとひめさまの前に出たような気になって、穴の開く程その顔を見詰めていたよ、すると女子おなごは俺に気がいたように、俺の顔を見てにっと笑ったが、笑う拍子に赤い下唇が動いて、なにか云ったように思ったが、それは聴きとれなかった、俺の気は、もう遠くなっていたと見える、その時、なにか知ら、ぐらぐらとしたので、気をつけてみると、俺の体はいわはしへ往って、今にも波の中へ落ち込もうとしているのを、傍の巌角いわかどにかけた隻手かたてがやっと支えていたじゃないか、俺は吃驚びっくりして体の位置むきを変えたが、今度見るともう女子おなごは見えなかった、俺はそれからむすめもとへ往ったが、その女子おなごのことが頭に一杯になっているので、むすめことばがおりおり耳に入らないことがある、(どうしたの、ねむいの)と云って、むすめは俺の体をったりした、翌晩あくるばん、俺はまた岬の下へ往って、昨夜ゆうべ女子おなごはいないだろうかと思って、その辺を見廻したが、もうその晩はいなかった、俺は、一時いっときあまりもそこに立っているうちに、むすめの許に往くのがいやになったので、そのまま引きかえそうかと思ったが、それもなんだか、心残りがするので、またむすめの許へ往くと、(お前さんは、人魚を見やしない)とむすめが云うじゃないか、俺はなるほどあの女子おなごは人魚だと思ったが、他人に知らすのは何か知ら大事の秘密をらすような気がして恐ろしいので、(そんなことはない)と云って黙っていた、するとむすめが、(ほんとに人魚を見やしないの、人魚を見ると世の中の女子おなごが厭になって、どこかへ往ってしまうと云うよ)と云うじゃないか、俺はあの人魚といっしょならどこへ往っても好いと思ったが、それが俺のあやまりであったよ、その翌晩あくるばんになると、俺はまたふらふらと岬の下へ往ったが、だ月が出ていないので、いわに腰をかけて待っていた、しかしその時は、もう三人の人買ひとかい背後うしろ巌陰いわかげにかくれている時であったよ」と云って、わかい男は悲しそうな顔をしました。
「そうか、それは可哀そうだ、むすめのところへ帰りたいだろうな」と、老人は海の方を見て云いました。
「帰りたい、どうしたら帰れるだろう」と、壮い男は問いました。
「この海のふちを西へ西へ往けば、帰れないことはないだろうが、見張りが厳しいから逃げられない、もし逃げ出して捕まろうものなら、どんな目にわされるか知れやしない」
 老人がこう云いかけた時に、いその方から三人の仲間の塩汲しおくみがあがって来ました。三人のうちの一人は、十三四歳の小供でありました。前には四十格好かっこうの高い男がおりました。その男はおかの方でなんか見つけたと見えて、「鬼が来たよ、鬼が来たよ」と周章あわてて云いました。
 老人と壮い男はその声を聞くと飛びあがるようにちあがって、塩汲桶しおくみおけを肩にして歩きだしました。おかの麦畑の間にあるみちから、中脊ちゅうぜい肥満ふとった傲慢ごうまんな顔をした長者が、赤樫あかがしつえ引摺ひきずるようにしてあるいて来るところでありました。麦畑のはてには、長者のやしきの構えのなかに建てつらねた、堅魚木かつおぎのある檜肌葺ひわだぶきの屋根が幾棟いくむねとなく見えておりました。

※(ローマ数字2、1-13-22)

 人魚を見たと云うわかい男は、それから二三日して夜遅く長者のやしきを逃げだしました。数多たくさんの仲間といっしょに寝ていた塩小屋をいだしてみると、庭には薄月がしておりました。
 壮い男は海岸を西へ西へ往きました。野茨のいばらやぶがあったり、人の背丈よりも高いおぎの生えたところがあったりしました。荻の大きな葉は人の来るように、ざらざらと鳴りました。そのたびに壮い男は心をふるわせました。
 一里ばかり往ったところで、小さな野川の水が微白ほのじろく現われました。川のへりには一軒の苫屋とまやが黙黙として立っておりました。壮い男はその前に立って、どうして川を越したものかと考えておりました。苫屋の中からは四つの眼が光っておりました。そこは長者の家の見張でありました。壮い男は水際みずぎわあしの中へ追い詰められて縛られました。
 海から昇った真紅まっか朝陽あさひが長者の家の棟棟むねむねを照らしておりました。背後手うしろでに縛られた壮い男は、見張の男に引摺ひきずられて母屋おもや庭前にわさきへはいって来て、土の上に腰をおろしました。起きたばかりの長者は、縁側えんがわに立って大きな欠伸あくびをしておりました。
「旦那様、また一ぴきうさぎがかかりました」と云って、見張の男は鼻高高と云いました。
 長者は黙ってうなずいて、じっと壮い男の顔を見おろしておりましたが、「ふむ、此奴こいつは、この間の奴だな、まだ赤餅あかもちの味を知らんと見えるな」とあざけるように笑って、家の内をり向いて云いました。「おい、赤餅あかもちを持って来い」
 わかい男は首をすくめて俯向うつむいておりました。見張の男は背後うしろの方で、手鼻をかむ音をさせました。長者はへやの内をあっちこっちと歩きだしました。
 年とったげなんが赤く焼いた火箸ひばしのような鉄片を持って出て来ました。握る処にはれた藁縄わらなわを巻いてありました。長者はそれを受けとると、庭に下りてわかい男の前に立ちました。
 壮い男は恐れて気が遠くなっておりました。彼にはもう長者の云うことばが判りません。長者は何か云いながら焼いた鉄片を壮い男のひたいに当てようとしました。
「父さん、父さん」と云う声がしました。長者は背後うしろを向いてへやの方を見ました。紫色のきものを着た起きたばかりの一人むすめが立っておりました。
「父さん、お伊勢様へ往くのに、そんなことをなさらんが好いではありませんか」と、むすめは云いました。
 長者は二三日すると伊勢参宮さんぐうをすることになっておりました。長者はなるほどと思いました。しかし逃亡しようとした奴隷どれいをそのままにして置くわけには往きません。で、長者は奴隷の体に傷をつけないで、らしめになる苦しい刑罰はないかと考えました。そして、長者の頭に一つの考えがうかみました。
「赤餅を許してやるかわりに、十日間切燈台きりとうだいにする」と云って、長者は手にしていた鉄片を投げだしました。
 壮い男は長者の詞の意味がはっきり判りません。彼はどんなことになるだろうと思って、おどおどしながら長者の顔を見あげました。その物におびえたあし嫩葉わかばの風にふるえるような顔を、長者のむすめは座敷の方からのぞくようにしておりました。

※(ローマ数字3、1-13-23)

 わかい男はその日から昼間は塗籠ぬりかごの中へ入れられ、夜になると長者のへやへ引き出されて、切燈台きりとうだいの用をさせられました。それは頭髪を角髪みずらにして左右の耳の上につかねた頭に、油をなみなみと入れた瓦盃かわらけを置いて、それに火をともすのでありました。
「一滴でも油をこぼしたら、これだぞ」と云って、長者は傍に置いてある赤樫あかがしつえって見せました。長者はそのあかりで酒を飲んでおりました。
 壮い男は腕を組んだなりに眼をつむっておりました。油の燃える音が頭の上でじじじと鳴りました。長者の傍にいる者は、壮い二人の女と、「宇賀の老爺おじい」と云う長者一門の老人でありました。下顎したあごの出た猿のようなこの老人は、どこへでもしゃあしゃあと押しだして往って、何人たれとでも顔馴染かおなじみになりました。国司こくしたちなどに往くと、十日も二十日はつかもそこにいることがありました。そして、国司や、奥方おくがたの身のまわりの用を足してやりました。これがために国司のたちなどでは、「宇賀の老爺」「浜の宇賀」などと云って、非常に重宝がりました。長者もこの老人を可愛がって、今度の伊勢参宮にもれて往くと云うことになっておりました。
「老爺の用意は好いかな」と、長者は瓦盃の酒を一口めてから云いました。
 傍の女を対手あいてにして戯言じょうだんを云っていた宇賀の老爺おじいは、小さなつぶらな眼を長者の方にやりました。「この老爺に用意も何もあるものではありません、これからぐでもおともができます」
「……さすがに国司のお気に入る老爺ほどあるな、それでは明後日あさってあたり出かけるとしよう」と、長者は心地好さそうに云って、からになった瓦盃かわらけを前に差しだしました。
 宇賀の老爺は心持ち背後うしろりかえて、かすれた声を出して今様いまようを唄いました。そして、手にしているおうぎをぱちぱち鳴らして拍子をとりました。
 長者は隻手かたてを突いて、体を横にして聞いていたが、何時いつの間にか寝込んでしまいました。宇賀の老爺はこれを見ると小声でまた女に戯言じょうだんを云いだしました。そして、三人でたわむれあいながら次のへやへ出て往きました。
 切燈台きりとうだいわかい男は、このさまかすかに見開いた眼で恨めしそうに見ておりました。

※(ローマ数字4、1-13-24)

 長者はその日が来ると、宇賀の老爺はじめ十余人の供人ともびとれて、伊勢参宮に出かけて往きましたが、土佐の海は風浪ふうろうの恐れがあるので、陸路をとることにしました。海岸を東へ往って、野根山のねやまと云う山を越えると阿波あわの国になります。阿波から船で由良ゆらを渡って往きます。
 長者が出発すると、その日から長者の留守許るすもとでは、修験者しゅげんしゃを迎えて長者一行の道中の安全を祈りました。柿色の篠掛しのかけを着けた、面長おもながな眼の鋭い中年の修験者は、黒い長い頭髪を切ってあごのあたりで揃えておりました。修験者の珠数じゅずを押しんで祈祷きとうする傍には、長者の一人むすめと、留守をあずかっている宇賀一門の老人達が二三人坐っておりました。
 修験者は二三年ぜんから浦戸に来て、長者の家へ出入でいりしている者で、老人達とも親しい間柄あいだがらでありました。彼は祈祷のあとでゆっくり坐り込んで面白そうに話しておりましたが、心の中は物足りなさで一杯になっておりました。それは祈祷が済むや済まずに引っ込んで往って、二度と顔を見せない長者のむすめのこのごろ素振そぶりからでありました。彼は折おり老人のことばに対して、とんちんかんな返事をしました。
 そのうちに老人が一人ち二人起ちして、一人も姿を見せないようになりました。修験者はそっと起って奥の座敷の方へ往きました。それはむすめうためでありました。
 むすめじぶんへやでつくねんと坐って何か考えごとをしておりました。修験者のそっと入って往く跫音あしおとがしますと、むすめは顔をあげました。むすめの眼はうおのように冷たく光っておりました。
老人としよりに見られては困ります、帰ってください」とむすめが云いました。
何故なぜそんなことを云います、あなたは何か私におこっておりますか」
「何も憤ることはありませんが、こんなことが父さんに知れたら大変ではありませんか」
「どうせ一度は知れることではありませんか」
「私はいや」と、むすめは叱るように云いました。
 修験者は淋しそうな顔をして立っておりました。
「さ、早う帰ってください、何人だれか来ると困りますから」
「もう私が厭になりましたな」と、修験者はいて穏やかな声で云いました。
 女は黙って戸外そとの方を見ました。薄れかけた夕陽の光が築地ついじの上にありました。
「何かあなたは、かん違いをしておるようだ、今晩来てゆっくり話します」と、修験者は云いました。
「父さんの留守に、そんなことをされては困ります」と、むすめ周章あわてたように云いました。
「来ては悪いですか」
「困ります、父さんの留守に……」
 修験者は一寸ちょっと口をつぐんでいたが、
「まあ、そんなに云うものではありませんよ」と云って、苦笑にがわらいをしながら出て往きました。
 今歳ことしの正月、長者が宇賀の老爺おじいれて、国司こくしたちに往って四五日逗留とうりゅうしている留守に、むすめは修験者の神秘におかされていたが、そのころになってその反動が起っておりました。
「来ては困りますよ」と、むすめはまた修験者の背後うしろから云いました。
 やかましい父が見張っている時でさえ、そのすきを盗んでまとわりついた者が、今日からはどんなに煩耨しつこく纏うて来るだろうと云う恐れが、むすめの頭に充満いっぱいになっておりました。むすめはどうかして修験者から逃れる工風くふうはないかと考えておりました。
 暗くなると塗籠ぬりかごに入れられていたわかい男が引き出されて、長者のへやで頭に火をともしました。むすめはそれを見て、これをじぶんの室へえて置くなら、修験者が入って来ないだろうと思いました。切燈台きりとうだいむすめの寝室へ移されました。

※(ローマ数字5、1-13-25)

 切燈台きりとうだいになったわかい男は、ひざに手を置いてじっとしておりました。そこには草色のとばりをかけた几帳きちょうがあって、むすめはその陰に横になっておりましたが、枕頭まくらもとに坐っている白いうさぎのような感じのする壮い男のことが、頭に浮んだり消えたりしておりました。
 この時、寝室の外の暗い廊下に修験者が来て立っておりましたが、どうしても内へ入ることができませんでした。修験者はむすめを恨み恨み帰って往きました。
 翌晩あくるばんになると、むすめは切燈台の台を持って来て、
「人に知らさないようにすれば、瓦盃かわらけは台の上に乗せても好い」と云いました。壮い男はむすめの云うままに、折おり瓦盃を頭からおろして休んでおりました。修験者はむすめの寝室へ近づくことができませんでした。
 五六日すると、壮い男の懲罰ちょうばつを受けるが尽きました。むすめは壮い男に昼の自由を与えて、夜はそのままに切燈台の役を勉めさせました。むすめの寝室に近づくことができないと見てとった修験者は、昼のすきむすめに近づこうとしました。女は下婢はしため老人としよりの中へ身を置いたり、壮い男を閉じ込めてあった塗籠ぬりかごの中へ隠れたりしました。
 あるりずに忍んで来た修験者が、寝室の口からのぞいて見ると、切燈台の壮い男は頭からあかりともった瓦盃をおろして、こくりこくりと居睡いねむりをしておりました。修験者はじぶんの忍び込んで来ていることを忘れて飛び込んで来ました。
「こらッ、横道漢おうちゃくもの!」と云って、わかい男の頭にこぶしを加えました。壮い男は驚いてうろうろしておりました。
 几帳きちょうの陰からむすめがあらわれました。
「かってに入って来て狼藉ろうぜきをなさるのは何人たれ
「私だ、これが瓦盃かわらけをおろして横道おうちゃくをきめておったから、折檻せっかんに入りました」と修験者が云いました。
「これに不都合があれば、私が折檻します、あなたはお帰りください」
「あなたは私を忘れましたか」と、修験者はうらみめたことばで云いました。
「私は何も忘れました、お帰りください」と、むすめは叱るように云いました。
 修験者はすごい眼をして、むすめの顔を見い見い出て往きました。
 むすめはおろおろしている壮い男の傍を通って、几帳きちょうの陰に隠れましたが、眼がえて物淋しくなりましたから、声をかけて壮い男を呼びました。
 女と壮い男との間はそのから非常に接近しました。そして、二人で修験者を恐れるようになったのは、それから間もないことでありました。

※(ローマ数字6、1-13-26)

 長者の一行はようやく伊勢に着いて、外宮げぐう参詣さんけいしました。白木しらき宮柱みやはしら萱葺かやぶきの屋根をした素朴なやしろでありました。一の華表とりいくぐったところで、驕慢きょうまんな長者は大きな声をだしました。
「お伊勢様、お伊勢様と云うから、どんなものかと思えや、俺の家の納屋なやほどもないじゃないか」
 宇賀の老爺おじいの耳にも、不敬なそのことばが入りました。宇賀の老爺は恐れて耳をおおいました。
「老爺どうじゃ」と、長者はり返って宇賀老人を見て云いました。
 老人は恐ろしくて返事をすることができませんでした。
 内宮ないぐう参詣さんけいした時にも、長者は外宮げぐうのような不敬な詞を繰返しました。
「なんと云う乱暴な詞だろう」と、宇賀老人は長者の詞をにくみました。

 修験者は長者の家へ忍び込んで来て、むすめの寝室の方へ歩いておりました。
 その時むすめわかい男は、几帳きちょうの陰でひそひそと話しておりました。切燈台きりとうだいは淋しそうにともっておりました。
 寝室の口に立った修験者は耳をそばだてました。几帳のかげの話は、生暖かな夜の空気に融け込んでなまめかしく聞えました。修験者は狂人きちがいのようになってけ込みました。
 むすめと壮い男がとり乱した姿をして、燈火ともしびの光の中に出ました。吠えかかるような修験者の声が家の中に響きました。むすめと壮い男は寝室の外へ逃げだしました。切燈台の燈がどうした拍子にか几帳のとばりに燃え移って、めらめらとほのおをあげました。二人を追っかけて往く修験者の背に、その光がちらちらと映りました。
 火はみるみる天井に移り、屋根に燃えつきました。母屋おもやの火はまたその周囲まわりの建物に移りました。四辺あたりは火の海となりました。
 むすめと壮い男はその火の光にそむいて、北へ北へと逃げました。修験者はそのあとを激しく追っかけました。むすめわかい男は手をりあっておりました。
 丘陵おかの間を走ったり、入江のふちを走ったりしていると、一軒の家が星の下に見えました。二人はその戸を叩きました。
 そこは北村と云う長者の家と親しい家でありました。家内の者は、二人を奥のへやへあげて茶をんでくれました。二人はやっと安心して茶を飲んでおりました。もうが明けかけておりました。どこかでとりの声がしました。
 表の戸を割れるように叩く者がありました。「ここに長者のむすめがおるはずじゃ、出してくれ、出してくれ」
 二人は裏口から逃げだしました。そして、田圃たんぼの間を東に向って走りました。走りながら壮い男がり返って見ると、修験者は背後うしろに迫っておりました。
 田圃のさきは低い丘陵おかでありました。二人はその丘陵おかけあがって、生い茂った林の下をくぐってむこうふもとにおりましたが、そこは入江の岸になって、みちの下には水の白い池がありました。右を見ても左を見てもけわしい崖で、背後うしろに引返すより他に往く処はありません。修験者の跫音あしおとはもう聞えて来ました。
 二人は池の中へ飛び込みました。微暗うすぐらい水のおもてに二人の姿が一度浮みあがった時、修験者は池の上に駈けつけることができましたが、このさまを見るとおのれも池の中へ身を沈めました。

 伊勢参宮から帰りかけた長者の一行は、ある夜半比よなかごろ手結山ていやまと云う山坂やまさかの頂上にかかりました。手結から浦戸へは五里位しかないから、夜路よみちをしたものと見えます。
 長者はその坂に登ると、浦戸の方へ眼をやりました。浦戸の方角に当って山焼やまやけのようなほのおが赤あかと空に映って見えました。
「や、火事だぞ、それにしても、こんな大きな火事は、俺の家より他にないが、ままよ、急いで帰ったところで間に合うまい、ここで尻でもあぶろうか」と云って、長者は大きな尻を、浦戸の方へ向けて突きだしました。
「云はん[#「云はん」はママ]ことか、お伊勢様のばちだ」と、宇賀の老爺おじいは小声でつぶやいておりましたが、やがて大祓おおばらいことばとなえだしました。

 長者のむすめはじめ三人の沈んだ処は、福浦と云う処であった。浦戸港の入江に面した田圃たんぼの中には、そのあとだと云うはすの生えた小さな池があって、そこに三人を祭った小社こやしろがあった。私の記憶ではやしろは二つあったように思われる。一つは縁切えんきりの神とせられ、一つは縁結びの神とせられて、痴愚ちぐな附近の男女の祈願所となっている。んでもその社には錆びた二つ三つのはさみを置き、そのがんほどきに切ったらしい、女の黒髪の束にしたのを数多たくさんかねのに結びつけてあったのを憶えている。
 宇賀長者の邸跡やしきあととしては、今、吾川郡あがわぐん浦戸村の南になった外海がいかいに沿うた松原に、宇賀神社と云う村社そんしゃがある。その村社の背後うしろには古墳らしい円錐えんすい形の小丘しょうきゅうもある。土地の人はこれ糠塚様ぬかづかさまと云っている。

 古い土佐のことわざに、遠火とおびに物をあぶって火のとどかないことを、手結山ていやまの火と云ったものだ。

底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
   1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
   1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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