この長者の家では、附近の土地を耕すほかに、海の水を煮て塩を製し、また魚などを獲っておりました。それには二百人に近い奴隷がいて、その仕事をやっておりました。長者は太い赤樫の杖を持って、日毎に奴隷の前にその姿を見せました。赤樫の杖は、時とすると、奴隷どもの肩のあたりに蛇のように閃きました。奴隷どもはその杖を非常に恐れました。
それは晩春の明るい正午さがりのことでありました。紺青を湛えたような海には、穏かな小さな波があって、白い沙浜には、陽炎が処どころに立ち昇っておりました。そこには潮風に枝葉を吹き撓められた磯馴松が種種な恰好をして生えておりました。その中のある松の下には、海の水を入れた塩汲桶を傍に据えて、腰簑をつけた二人の奴隷が休んでおりました。一人は痩せた老人で、それは浮出た松の根に腰をかけておりました。一人は物に劫えるようなおどおどした眼つきをした壮い男で、それは沙の上に腰をおろして、両足を投げ出しておりました。壮い男は思い出したように小さな声で、「お月灘桃色、だれが云うた、様が云うた、様の口を引き裂け」と、調子をつけて歌を歌うように云いました。
「お前はどこから来た」と、老人は思い出したように壮い男の顔を見て問いました。
「西の方から来た」と、壮い男は云いました。この壮い男は、人買船から長者の家に揚げられたばかりでありました。
「西はどんな処だ、よい処か」と、老人はまた問いました。
「好い処とも、それは好い処だよ、磯には球にする木が生えていたり、真珠を持った貝があったりするから、黄金ときれいな衣をどっさり積んだ商人船が都の方から来て、それと交易して往くことがあるよ」
「球にする木と、真珠を持った貝、何故またそんな好い処を捨てて、こんな地獄のような処へやって来た」
「人買に掠奪われたのさ」
「お前もやっぱりそうか、俺もそうだが、俺は小供の時だった、故郷は判らないが、どうもここから東北のように思われる、やっぱり海があって、海の中には数多の島があった、掠奪われた日は、暑い日の夕方だ、磯へ一人出て遊んでいると、珍らしい船が着いた、俺は何船だろうかと思って、傍へ往ってみると、顔の赧い男が出て来て、好い物を見せてやろうと云うから、うっかり船へあがって往くと、そのまま船底の室へ投り込まれて伴れて来られた、お前はどうして掠奪われた」
「俺か、俺は、人魚を見に往って掠奪われた」
「え、人魚……」と、老人には合点がゆきません。
「そうだよ、人魚を見に往っていてこんなことになったよ、俺には好きな女があって、毎晩のように往っていたが、女も俺が好きで、俺の往きようが遅いと、門口に出て待っていたものだ、その女は俺と話をする時に、好い匂をさすと云うて、何時も草花を折って頭髪に挿していた、痩せぎすな、手足のしんなりとした、それはな女であったよ、その女の在所へ往くには、小さな岬の下の波の打ちかける処を通らねばならなかったが、ある晩、平生のように俺はそこを歩いていた、それは月の好い晩であった、海は静に凪いで、灘一面に蒼白い月が射していた、俺は波の飛沫のかかる巌の上を伝いながら、ふと前の方を見ると、その巌から人の脊丈を三つ継いだ位離れた海の中に、満潮の時には隠れて、干潮の時に黒犬の頭のような頭だけだす礁があるが、そこにな女子が、雪のような白い胸を出しているじゃないか、おおかたその礁に両手をかけて縋りついていたろうよ、烏の羽を濡らしたような黒い頭髪は肩に重そうに垂れていた、胸から下は青い衣を着ているように、青い玉のようなものがぎらぎらとその周囲に光っていた、それを見つけた時の俺の気もちと云うものはなかったよ、俺はなんだか五色の雲に包まれて、竜宮へでも往って、乙姫様の前に出たような気になって、穴の開く程その顔を見詰めていたよ、すると女子は俺に気が注いたように、俺の顔を見て莞と笑ったが、笑う拍子に赤い下唇が動いて、なにか云ったように思ったが、それは聴きとれなかった、俺の気は、もう遠くなっていたと見える、その時、なにか知ら、ぐらぐらとしたので、気をつけてみると、俺の体は巌の端へ往って、今にも波の中へ落ち込もうとしているのを、傍の巌角にかけた隻手がやっと支えていたじゃないか、俺は吃驚して体の位置を変えたが、今度見るともう女子は見えなかった、俺はそれから女の許へ往ったが、その女子のことが頭に一杯になっているので、女の詞がおりおり耳に入らないことがある、(どうしたの、睡いの)と云って、女は俺の体を揺ったりした、翌晩、俺はまた岬の下へ往って、昨夜の女子はいないだろうかと思って、その辺を見廻したが、もうその晩はいなかった、俺は、一時あまりもそこに立っているうちに、女の許に往くのが厭になったので、そのまま引きかえそうかと思ったが、それもなんだか、心残りがするので、また女の許へ往くと、(お前さんは、人魚を見やしない)と女が云うじゃないか、俺はなるほどあの女子は人魚だと思ったが、他人に知らすのは何か知ら大事の秘密を漏らすような気がして恐ろしいので、(そんなことはない)と云って黙っていた、すると女が、(ほんとに人魚を見やしないの、人魚を見ると世の中の女子が厭になって、どこかへ往ってしまうと云うよ)と云うじゃないか、俺はあの人魚といっしょならどこへ往っても好いと思ったが、それが俺の過りであったよ、その翌晩になると、俺はまたふらふらと岬の下へ往ったが、未だ月が出ていないので、巌に腰をかけて待っていた、併しその時は、もう三人の人買が背後の巌陰にかくれている時であったよ」と云って、壮い男は悲しそうな顔をしました。
「そうか、それは可哀そうだ、女のところへ帰りたいだろうな」と、老人は海の方を見て云いました。
「帰りたい、どうしたら帰れるだろう」と、壮い男は問いました。
「この海のふちを西へ西へ往けば、帰れないことはないだろうが、見張りが厳しいから逃げられない、もし逃げ出して捕まろうものなら、どんな目に逢わされるか知れやしない」
老人がこう云いかけた時に、磯の方から三人の仲間の塩汲があがって来ました。三人の中の一人は、十三四歳の小供でありました。前には四十格好の脊の高い男がおりました。その男は陸の方で何か見つけたと見えて、「鬼が来たよ、鬼が来たよ」と周章てて云いました。
老人と壮い男はその声を聞くと飛びあがるように起ちあがって、塩汲桶を肩にして歩きだしました。陸の麦畑の間にある路から、中脊の肥満った傲慢な顔をした長者が、赤樫の杖を引摺るようにしてあるいて来るところでありました。麦畑のはてには、長者の邸の構えのなかに建てつらねた、堅魚木のある檜肌葺の屋根が幾棟となく見えておりました。
人魚を見たと云う壮い男は、それから二三日して夜遅く長者の邸を逃げだしました。数多の仲間といっしょに寝ていた塩小屋を這いだしてみると、庭には薄月が射しておりました。
壮い男は海岸を西へ西へ往きました。野茨の藪があったり、人の背丈よりも高い荻の生えたところがあったりしました。荻の大きな葉は人の来るように、ざらざらと鳴りました。そのたびに壮い男は心を顫わせました。
一里ばかり往ったところで、小さな野川の水が微白く現われました。川の縁には一軒の苫屋が黙黙として立っておりました。壮い男はその前に立って、どうして川を越したものかと考えておりました。苫屋の中からは四つの眼が光っておりました。そこは長者の家の見張でありました。壮い男は水際の蘆の中へ追い詰められて縛られました。
海から昇った真紅な朝陽が長者の家の棟棟を照らしておりました。背後手に縛られた壮い男は、見張の男に引摺られて母屋の庭前へはいって来て、土の上に腰をおろしました。起きたばかりの長者は、縁側に立って大きな欠伸をしておりました。
「旦那様、また一疋兎がかかりました」と云って、見張の男は鼻高高と云いました。
長者は黙って頷ずいて、じっと壮い男の顔を見おろしておりましたが、「ふむ、此奴は、この間の奴だな、まだ赤餅の味を知らんと見えるな」と嘲るように笑って、家の内を揮り向いて云いました。「おい、赤餅を持って来い」
壮い男は首を縮めて俯向いておりました。見張の男は背後の方で、手鼻をかむ音をさせました。長者は室の内をあっちこっちと歩きだしました。
年とった僕が赤く焼いた火箸のような鉄片を持って出て来ました。握る処には濡れた藁縄を巻いてありました。長者はそれを受けとると、庭に下りて壮い男の前に立ちました。
壮い男は恐れて気が遠くなっておりました。彼にはもう長者の云う詞が判りません。長者は何か云いながら焼いた鉄片を壮い男の額に当てようとしました。
「父さん、父さん」と云う声がしました。長者は背後を向いて室の方を見ました。紫色の衣を着た起きたばかりの一人女が立っておりました。
「父さん、お伊勢様へ往くのに、そんなことをなさらんが好いではありませんか」と、女は云いました。
長者は二三日すると伊勢参宮をすることになっておりました。長者はなるほどと思いました。併し逃亡しようとした奴隷をそのままにして置くわけには往きません。で、長者は奴隷の体に傷をつけないで、懲らしめになる苦しい刑罰はないかと考えました。そして、長者の頭に一つの考えが浮みました。
「赤餅を許してやるかわりに、十日間切燈台にする」と云って、長者は手にしていた鉄片を投げだしました。
壮い男は長者の詞の意味がはっきり判りません。彼はどんなことになるだろうと思って、おどおどしながら長者の顔を見あげました。その物に怯えた蘆の嫩葉の風に顫えるような顔を、長者の女は座敷の方から覗くようにしておりました。
壮い男はその日から昼間は塗籠の中へ入れられ、夜になると長者の室へ引き出されて、切燈台の用をさせられました。それは頭髪を角髪にして左右の耳の上に束ねた頭に、油をなみなみと入れた瓦盃を置いて、それに火を燈すのでありました。
「一滴でも油を滴したら、これだぞ」と云って、長者は傍に置いてある赤樫の杖を揮って見せました。長者はその明りで酒を飲んでおりました。
壮い男は腕を組んだなりに眼をつむっておりました。油の燃える音が頭の上でじじじと鳴りました。長者の傍にいる者は、壮い二人の女と、「宇賀の老爺」と云う長者一門の老人でありました。下顎の出た猿のようなこの老人は、どこへでもしゃあしゃあと押しだして往って、何人とでも顔馴染になりました。国司の館などに往くと、十日も二十日もそこにいることがありました。そして、国司や、奥方の身のまわりの用を足してやりました。これがために国司の館などでは、「宇賀の老爺」「浜の宇賀」などと云って、非常に重宝がりました。長者もこの老人を可愛がって、今度の伊勢参宮にも伴れて往くと云うことになっておりました。
「老爺の用意は好いかな」と、長者は瓦盃の酒を一口甞めてから云いました。
傍の女を対手にして戯言を云っていた宇賀の老爺は、小さな円な眼を長者の方にやりました。「この老爺に用意も何もあるものではありません、これから直ぐでもお供ができます」
「……さすがに国司のお気に入る老爺ほどあるな、それでは明後日あたり出かけるとしよう」と、長者は心地好さそうに云って、空になった瓦盃を前に差しだしました。
宇賀の老爺は心持ち背後に反りかえて、かすれた声を出して今様を唄いました。そして、手にしている扇をぱちぱち鳴らして拍子をとりました。
長者は隻手を突いて、体を横にして聞いていたが、何時の間にか寝込んでしまいました。宇賀の老爺はこれを見ると小声でまた女に戯言を云いだしました。そして、三人で戯れあいながら次の室へ出て往きました。
切燈台の壮い男は、この容を微に見開いた眼で恨めしそうに見ておりました。
長者はその日が来ると、宇賀の老爺はじめ十余人の供人を伴れて、伊勢参宮に出かけて往きましたが、土佐の海は風浪の恐れがあるので、陸路をとることにしました。海岸を東へ往って、野根山と云う山を越えると阿波の国になります。阿波から船で由良の門を渡って往きます。
長者が出発すると、その日から長者の留守許では、修験者を迎えて長者一行の道中の安全を祈りました。柿色の篠掛を着けた、面長な眼の鋭い中年の修験者は、黒い長い頭髪を切って頷のあたりで揃えておりました。修験者の珠数を押し揉んで祈祷する傍には、長者の一人女と、留守を預っている宇賀一門の老人達が二三人坐っておりました。
修験者は二三年前から浦戸に来て、長者の家へ出入している者で、老人達とも親しい間柄でありました。彼は祈祷の後でゆっくり坐り込んで面白そうに話しておりましたが、心の中は物足りなさで一杯になっておりました。それは祈祷が済むや済まずに引っ込んで往って、二度と顔を見せない長者の女のこの比の素振からでありました。彼は折おり老人の詞に対して、とんちんかんな返事をしました。
そのうちに老人が一人起ち二人起ちして、一人も姿を見せないようになりました。修験者はそっと起って奥の座敷の方へ往きました。それは女に逢うためでありました。
女は己の室でつくねんと坐って何か考えごとをしておりました。修験者のそっと入って往く跫音がしますと、女は顔をあげました。女の眼は魚のように冷たく光っておりました。
「老人に見られては困ります、帰ってください」と女が云いました。
「何故そんなことを云います、あなたは何か私に憤っておりますか」
「何も憤ることはありませんが、こんなことが父さんに知れたら大変ではありませんか」
「どうせ一度は知れることではありませんか」
「私は厭」と、女は叱るように云いました。
修験者は淋しそうな顔をして立っておりました。
「さ、早う帰ってください、何人か来ると困りますから」
「もう私が厭になりましたな」と、修験者は強いて穏やかな声で云いました。
女は黙って戸外の方を見ました。薄れかけた夕陽の光が築地の上にありました。
「何かあなたは、かん違いをしておるようだ、今晩来てゆっくり話します」と、修験者は云いました。
「父さんの留守に、そんなことをされては困ります」と、女は周章てたように云いました。
「来ては悪いですか」
「困ります、父さんの留守に……」
修験者は一寸口をつぐんでいたが、
「まあ、そんなに云うものではありませんよ」と云って、苦笑をしながら出て往きました。
今歳の正月、長者が宇賀の老爺を伴れて、国司の館に往って四五日逗留している留守に、女は修験者の神秘に侵されていたが、その比になってその反動が起っておりました。
「来ては困りますよ」と、女はまた修験者の背後から云いました。
やかましい父が見張っている時でさえ、その隙を盗んで纏わりついた者が、今日からはどんなに煩耨く纏うて来るだろうと云う恐れが、女の頭に充満になっておりました。女はどうかして修験者から逃れる工風はないかと考えておりました。
暗くなると塗籠に入れられていた壮い男が引き出されて、長者の室で頭に火を燈しました。女はそれを見て、これを己の室へ据えて置くなら、修験者が入って来ないだろうと思いました。切燈台は女の寝室へ移されました。
切燈台になった壮い男は、膝に手を置いてじっとしておりました。そこには草色の帷をかけた几帳があって、女はその陰に横になっておりましたが、枕頭に坐っている白い兎のような感じのする壮い男のことが、頭に浮んだり消えたりしておりました。
この時、寝室の外の暗い廊下に修験者が来て立っておりましたが、どうしても内へ入ることができませんでした。修験者は女を恨み恨み帰って往きました。
翌晩になると、女は切燈台の台を持って来て、
「人に知らさないようにすれば、瓦盃は台の上に乗せても好い」と云いました。壮い男は女の云うままに、折おり瓦盃を頭からおろして休んでおりました。修験者は女の寝室へ近づくことができませんでした。
五六日すると、壮い男の懲罰を受ける期が尽きました。女は壮い男に昼の自由を与えて、夜はそのままに切燈台の役を勉めさせました。女の寝室に近づくことができないと見てとった修験者は、昼の隙に女に近づこうとしました。女は下婢や老人の中へ身を置いたり、壮い男を閉じ込めてあった塗籠の中へ隠れたりしました。
ある夜懲りずに忍んで来た修験者が、寝室の口から覗いて見ると、切燈台の壮い男は頭から明の点った瓦盃をおろして、こくりこくりと居睡りをしておりました。修験者は己の忍び込んで来ていることを忘れて飛び込んで来ました。
「こらッ、横道漢!」と云って、壮い男の頭に拳を加えました。壮い男は驚いてうろうろしておりました。
几帳の陰から女があらわれました。
「かってに入って来て狼藉をなさるのは何人」
「私だ、これが瓦盃をおろして横道をきめておったから、折檻に入りました」と修験者が云いました。
「これに不都合があれば、私が折檻します、あなたはお帰りください」
「あなたは私を忘れましたか」と、修験者は恨を籠めた詞で云いました。
「私は何も忘れました、お帰りください」と、女は叱るように云いました。
修験者は凄い眼をして、女の顔を見い見い出て往きました。
女はおろおろしている壮い男の傍を通って、几帳の陰に隠れましたが、眼が冴えて物淋しくなりましたから、声をかけて壮い男を呼びました。
女と壮い男との間はその夜から非常に接近しました。そして、二人で修験者を恐れるようになったのは、それから間もないことでありました。
長者の一行は漸く伊勢に着いて、先ず外宮に参詣しました。白木の宮柱に萱葺の屋根をした素朴な社でありました。一の華表を潜ったところで、驕慢な長者は大きな声をだしました。
「お伊勢様、お伊勢様と云うから、どんなものかと思えや、俺の家の納屋ほどもないじゃないか」
宇賀の老爺の耳にも、不敬なその詞が入りました。宇賀の老爺は恐れて耳をおおいました。
「老爺どうじゃ」と、長者は揮り返って宇賀老人を見て云いました。
老人は恐ろしくて返事をすることができませんでした。
内宮へ参詣した時にも、長者は外宮のような不敬な詞を繰返しました。
「なんと云う乱暴な詞だろう」と、宇賀老人は長者の詞を悪みました。
修験者は長者の家へ忍び込んで来て、女の寝室の方へ歩いておりました。
その時女と壮い男は、几帳の陰でひそひそと話しておりました。切燈台の燈は淋しそうに燈っておりました。
寝室の口に立った修験者は耳を聳てました。几帳の陰の話は、生暖かな夜の空気に融け込んで艶めかしく聞えました。修験者は狂人のようになって駈け込みました。
女と壮い男がとり乱した姿をして、燈火の光の中に出ました。吠えかかるような修験者の声が家の中に響きました。女と壮い男は寝室の外へ逃げだしました。切燈台の燈がどうした拍子にか几帳の帷に燃え移って、めらめらと焔をあげました。二人を追っかけて往く修験者の背に、その光がちらちらと映りました。
火はみるみる天井に移り、屋根に燃えつきました。母屋の火はまたその周囲の建物に移りました。四辺は火の海となりました。
女と壮い男はその火の光に背いて、北へ北へと逃げました。修験者はその後を激しく追っかけました。女と壮い男は手を執りあっておりました。
丘陵の間を走ったり、入江の縁を走ったりしていると、一軒の家が星の下に見えました。二人はその戸を叩きました。
そこは北村と云う長者の家と親しい家でありました。家内の者は、二人を奥の室へあげて茶を汲んでくれました。二人はやっと安心して茶を飲んでおりました。もう夜が明けかけておりました。どこかで鶏の声がしました。
表の戸を割れるように叩く者がありました。「ここに長者の女がおるはずじゃ、出してくれ、出してくれ」
二人は裏口から逃げだしました。そして、田圃の間を東に向って走りました。走りながら壮い男が揮り返って見ると、修験者は直ぐ背後に迫っておりました。
田圃の前は低い丘陵でありました。二人はその丘陵に駈けあがって、生い茂った林の下を潜って前の麓におりましたが、そこは入江の岸になって、路の下には水の白い池がありました。右を見ても左を見ても嶮しい崖で、背後に引返すより他に往く処はありません。修験者の跫音はもう聞えて来ました。
二人は池の中へ飛び込みました。微暗い水の面に二人の姿が一度浮みあがった時、修験者は池の上に駈けつけることができましたが、この容を見ると己も池の中へ身を沈めました。
伊勢参宮から帰りかけた長者の一行は、ある夜半比、手結山と云う山坂の頂上にかかりました。手結から浦戸へは五里位しかないから、夜路をしたものと見えます。
長者はその坂に登ると、浦戸の方へ眼をやりました。浦戸の方角に当って山焼のような焔が赤あかと空に映って見えました。
「や、火事だぞ、それにしても、こんな大きな火事は、俺の家より他にないが、ままよ、急いで帰ったところで間に合うまい、ここで尻でも炙ろうか」と云って、長者は大きな尻を、浦戸の方へ向けて突きだしました。
「云はん[#「云はん」はママ]ことか、お伊勢様の罰だ」と、宇賀の老爺は小声で呟いておりましたが、やがて大祓の詞を唱えだしました。
長者の女はじめ三人の沈んだ処は、福浦と云う処であった。浦戸港の入江に面した田圃の中には、その趾だと云う蓮の生えた小さな池があって、そこに三人を祭った小社があった。私の記憶では社は二つあったように思われる。一つは縁切りの神とせられ、一つは縁結びの神とせられて、痴愚な附近の男女の祈願所となっている。何んでもその社には錆びた二つ三つの鋏を置き、その願ほどきに切ったらしい、女の黒髪の束にしたのを数多かねの緒に結びつけてあったのを憶えている。
宇賀長者の邸跡としては、今、吾川郡浦戸村の南になった外海に沿うた松原に、宇賀神社と云う村社がある。その村社の背後には古墳らしい円錐形の小丘もある。土地の人は之を糠塚様と云っている。
古い土佐の諺に、遠火に物を焙って火のとどかないことを、手結山の火と云ったものだ。
底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
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