そのうちにそこの芝居は終って、一座は次の町へ往くことになった。いたる処で女をこしらえてそれを煙草の吸殻を捨てるように捨てて往くのを権利のように思っている社会ではあるし、女房を養う腕はなし、そのうえ唖ではとても将来をともにすることができないので石川もたかをくくっていると、はたの者が岡焼半分に、石川は他に佳い女があるので、捨てて往くつもりだと云ってたきつけた。たきつけられた女はその夜おそく石川の許へ来たが、来るなり石川に打ってかかった。石川はやっと女をなだめて、ともに伴れて往くことにして黎明を待って出発した。そして、立場に往ったところで夜が明けた。夜が明けると女は着がえの一枚も持っていないことに気が注いた。女は衣服と杖頭を執って来ると云って石川を待たしておいて引返した。石川は後でまた女のことを考えてみたが、どうしても唖の女を伴れて往くことはできないので、女に場所を知らしてないのを幸にしてそのまま逃げて目的の町へ往った。
その時の芝居は旧派と新派の合同芝居で、開場の日は旧派が青い帽子に新派が赤い帽子を冠て、車に乗って町まわりをした。そして、某川の川原へ往ったところで、石川は小便がしたくなったので車をおりた。川原には五六人の者が集まっていた。石川は何んだろうと思って傍へ往ってみた。そこには水死人があって菰をかけてあった。石川は好奇心にかられてその端をめくってみた。壮い女の仰向けになった死体であった。石川は一眼見てのけぞるほど驚いた。それは己が捨てて来た唖の女ではないか。石川は急いで車に乗って一行の後を追ったが、酷い熱が出て芝居ができないようになった。病気では小屋に寝てもいられないので、三人の仲間の借りていた饂飩屋の二階へ寝かしてもらったが、そのうちに夜になって仲間は芝居に往った。石川が一人で電気の暗い室の中に寝ていると、へだての襖がすうと開いて入って来た者があった。饂飩屋の家族が来たものだろうと思ってみると、それは彼の唖の女であった。ぼうとしていた石川は、おや、やって来たのかと思ったところで、女はするすると、傍へ来て蒲団の襟に手をかけた。
石川はその時になってはじめて女の死んでいたことを思いだした。石川ははっと思って女を入れまいとしたが女はもう中へ入った。石川は怕くてしかたがなかったが、女がべつに怨むようなことも云わないので、やっと安心して女のするままになっていた。そして、何かの機会に気が注いてみると、夢が覚めたようになって女は傍にいなかった。
唖の女は翌晩もその翌晩も翌翌晩も病床に来て夫婦の道を行った。石川は困ってそのことを中間にざんげして、
「おれは、女の祟りで死ぬる、おれの衣服の襟に三四円入っている、死んだら故郷へ知らしてくれ」
と云ったが間もなく回復した。その石川は関東大震災の前後に物故した。
底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第三巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
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